第六話 未知世界日誌(下)
「……っ!」
女神ノルンという単語を目にした瞬間、俺は反射的に部屋の中を見渡した。
いつものパターンだと、いつの間にか現れていたノルンがくだらないちょっかいを出してくる場面だ。今回もそれを警戒したのだが、意外にもノルンの妨害が入る気配はしなかった。
安心しつつも、少し拍子抜けする。マリアエレナから魔法を習うときに推測したように、俺の行動がノルンにとって有利に働く場合はちょっかいを出してこないのかもしれない。
他に可能性があるとしたら、女神といっても常に俺のことを監視しているわけではない、ということもありうる。女神が普段どんな仕事をしているのかは知らないが、俺を観察し続けられるほど暇ということはないだろう。
「……まぁ、どうでもいいか」
ノルン側の事情がどうだろうと、重要なのは邪魔が入らなかったという事実だ。俺は気を取り直して日記のページを読み進めた。
――彼がノルンと会ったのはこれが二回目だった。
俺と同じくこちらの世界に送り込まれる直前に出会ったが、俺とは違って役目を果たした後の『特典』については説明されず、二回目の遭遇時に初めて聞かされたようだ。
曰く――役目を果たせば神の世界につれていく――と。
胡散臭いことこの上ない見返りだ。実際、日記にも全く真に受けていないことが記されてる。それでも彼がノルンの指示を受け入れたのは、与えられた役割が彼にとっても望ましいことだったから。
二人の王太子に課される試練、新たなる王の選定儀式の進行役を担うこと。
彼は女神の介入を喜んだ。家臣はどちらの王太子を王に推すかで派閥に分かれ、陰謀や謀略を繰り返していた。このまま派閥同士の争いが続けば内乱すら起こりかねない。故に、神仏の威光によって決着を付けられるなら諸手を挙げて賛同しよう――彼はそう日記に書き残していた。
進行役。審判者。立会人。介添人。
呼び方は色々あるだろうが、とにかく彼はその役目を受け容れ、ノルンは彼に試練の書を託した。
取り決めは単純明快。同じ試練を二人に課し、どちらかが脱落した時点でもう一方を王とする。ただそれだけだ。
当時の試練の書は、俺が持っているものと少し仕様が違い、一つの試練と数ページに渡る詳細なルール解説が記されていたらしい。クリアしても得られるものはなく、新たな試練が淡々と表示されたようだ。
第一の試練は、期間内に規定の金額の資金を集めること。また、今後の試練で使える金銭はここで集めた資金のみに限られたらしい。
彼はこれを為政者として必要な執政能力を図る試練であると解釈している。
第二の試練は、指定数の魔法を習得すること。
魔法が当然の技能として存在するこの世界において、支配者がこれを修めるのは当然の教養であると書かれている。
第三の試練は、指定された種類の魔獣を討伐すること。
王国は敵国だけでなく強力で凶暴な魔性の生物にも脅かされている。それらを討伐する能力を持つことは広く賞賛される、とある。
ここまで読み進めて、俺はあることに気が付いた。
第一から第三の試練は、これまでに俺がクリアしてきた試練とよく似ている。
金銭を得ること。魔法を習得すること。危険生物を討伐すること。
俺の場合はここまで順序立っていなかったし、どこそこに行けとか誰某に会えといった指示も挟まっていたが、要点だけ抜き出せば殆ど同じだ。
裏を返せば、第四の試練以降は「これから俺に課されるであろう試練」と同じなのではないだろうか。
今後の障害が分かるかもしれない期待と、知らない方がよかった情報を得てしまうかもしれない不安を抱えながら、俺は更にページを読み進めた。
第四の試練。数日のうちに現れる暗殺者から身を守ること。
双王子はどちらもこれを達成したが、彼は日記に嘆きの言葉を記していた。何故なら、その暗殺者が敵対派閥から送り込まれた刺客……つまり同じ国の人間が二人を殺そうとしていたからだ。
第五の試練。敵国に討ち入り首級を挙げること。
――つまりは人を殺せという指示だ。日記の著者はこれを問題視していないが、俺は何とも言えない不快感を覚えた。
第六の試練。神聖なる土地に封印された神器を持ち帰ること。
前の二つに比べると試練らしい試練といえる。
日記には、その土地の具体的な場所と封印されている神器についても触れられていた。ご丁寧にも、それらの所在が門外不出の秘密であることまで添えて。
機密事項が書かれているかもしれないという推測は大当たりだ。
そして、第七の試練――
「――もう一人の王太子を殺すこと」
何だこれは。思わず毒づきそうになる。
こんなモノを締めに持ってくることが許されるなら、どんな馬鹿だって次の王を一人に絞れるに決まっている。
「おい、ノルン。聞いてるのか。お前、馬鹿だろ」
天井に向かって罵声を吐き出す。本人に聞こえているのかどうかは分からないが、それでも言わずにはいられなかった。
日記の内容もそれはもう酷い荒れようだ。怒り、恨み、罵り、言葉の限りを尽くして女神の差配を呪っている。そして、王太子達の運命を嘆き悲しんでいる。
このページを最後に、日記は終わっていた。全体の半分もページを埋めていないにも関わらず、これ以降には白紙の紙だけが束ねられている。
写本が中途半端だったわけではないのだろう。彼はここで日記を止めたのだ。書き続ける意志を失ったのか、もう書くことができなくなったのか。俺が知り得た情報の範疇では分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。第七の試練は完遂されなかった。
どういう経緯があったのかは知らないが、双王子は二人とも生き残り、片方が王位を継承し、もう片方は大領主となった。それが歴史的事実だ。
「これを書いた奴はどうなったんだろうな……」
彼の去就は日記の内容からは窺い知ることができない。
約束通り神の世界に招かれたのか。日本に帰ることができたのか。この国で余生を送ったのか。それとも――日記の続きを書き記すことなく命を落としたのか。
俺は日記をケースに入れて、厳重に鍵を掛けた。
顔も名前も知らない先輩の幸運を祈りながら。
そして、俺の行く末にこんな試練が待ち受けていないことを願いながら。




