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第四話 魔法陣

 セシリア達との外出から数日。俺はいつものようにマリアエレナの家で魔法の練習に励んでいた。


 例の日記の写本は申請が通ってから作り始めるので、受け取れるまでにそれなりの時間が掛かるらしい。あらかじめ一冊か二冊くらい作っておいた方が良いのではと思うのだが、決まりなので仕方がないそうだ。

 向こうの準備が済むまでは、こうしていつもどおりに過ごして待つしかない。


「……よし、これでどうだ?」


 俺は紙に描いた魔法陣をマリアエレナに見せた。練習の甲斐あって、手本を見ないで描いたにしては上手く描けたはずだ。


「う……ん……手本、見ず、に……なら……上、出来……」


 ようやく()()も満足できる仕上がりになったようだ。

 マリアエレナに教わっている魔法の練習法は、魔法陣を丸暗記して何も見ずに描けるようになることに重点が置かれている。というか、練習の九割はこれしかしていない。覚えて描いてまた覚える。ただひたすらにこれだけだ。


 魔法の発動方法には、呪文を唱えるだけで発動するものと魔法陣を用意してから呪文を唱えるものがある。前者は自分の体内の魔力を使い、後者は自然に満ちる魔力をかき集めて使うという違いがあるそうだ。


 俺の場合、体内の魔力の流れなんて言われても全く感じ取れない上に、そもそも魔力があるのか分からないので、前者の発動方法を習得することは根本的に不可能だった。

 試練の書に記された呪文は唱えるだけで使えているように思えるが、マリアエレナが言うには、試練の書が魔法陣の機能も兼ね備えているらしい。これのお陰で、よほどの大魔法でもない限り呪文だけで発動できるそうだ。


 というわけで、俺が試練の書に頼らずに魔法を使う手段は、魔法陣を描いて周囲の魔力をかき集めるしかないわけである。


「そろ……そろ……次の、段階……」


 マリアエレナは数種類の道具をテーブルに並べ始めた。

 大小様々な紙片と布。

 魔法陣をスライドパズルのように分割した板。

 ペンやチョーク、地面に溝を掘るための杖といったような筆記具。


「普、通……魔法陣、は……実戦、的、じゃ……ない、の……。工夫は、色々と、されて……きた、けど……呪文、の方が……便利……」

「あらかじめ描いておいても、持ち運べる大きさだと呪文を唱えた方が便利で、呪文じゃできないことをしようと思ったら、今度は持ち運びが不便になるっていう問題だろ。ちゃんと覚えてるよ」


 魔法を教わり始めてすぐに習った内容を思い出す。

 フィオナやマリアエレナが魔法陣を使って魔法を発動したところを見たことがない。これは単純に、魔法陣を使う意味がないからだそうだ。


 発動したい魔法が強力であればあるほど、描かなければならない魔法陣の面積も大きくなる。例えば光輝によりて(スプレンデンス・)消え果てよ(ダムナーティオ)の場合、試練の書のバックアップがあってなお、時計塔の床いっぱいの魔法陣を必要とした。同じ呪文を魔法陣だけで再現しようと思ったら、これの数十倍の面積が要求されるのだという。


 魔法陣を描いた馬鹿でかい紙や布は持ち運ぶだけで一苦労だし、いざ使うときになって広げる手間も掛かる。板に描いて分割した場合も同じ。可搬性も利便性も劣悪この上ない。

 ニーズがあるとすれば、一個人の魔力では発動できない大規模な呪文を、魔法陣を描けないような場所、あるいは描いている暇がない状況でも発動させたい場合くらいだろう。今のところ俺には無縁の話だ。


 かといって持ち運びやすい大きさにすると、今度は性能の方が大幅に低下してしまう。普通に呪文を唱えた方が下準備要らずで便利なのだ。本人の魔力を消費しないメリットはあるが、その程度の呪文は消費も微量で意味が薄いらしい。


 というわけで、魔法陣は大規模な魔法を使うときしか役に立たない、用途の限られた技術とされているのである。

 ちなみに、俺がさっきから紙に描いているのはあくまで練習。縮小サイズで形を覚える訓練でしかない。


「だけ、ど……ユーリに、は……」

「全ての問題を解決する手段がある、だろ?」


 マリアエレナはこくりと頷いた。


「ちゃんと練習はしてきたから、前よりは上手く動かせるはずだよ」


 俺とマリアエレナは家の外の開けた場所に移動した。

 太陽は西の地平に沈みかけ、東の空が深い藍色に染まりつつある。もう少しすれば星も見えてくる頃だろう。


「おっと、その前に付け直しだな。輝ける(スプレンデンス・)拘束の鎖(ウィンクルム)っと」


 初めて出会った日から毎日そうしているように、光の抗束帯をマリアエレナの手首に腕輪のように巻き付ける。これを続けている限り、マリアエレナが神の呪いとやらのせいで変貌してしまうこともない。


「い、いつ、も、あ……」


 マリアエレナが蚊の鳴くような声でぽそぽそと囁いている。声が小さいのはいつものことだが、たまにこうして本当に聞こえないくらいの声量になってしまう。


「…………実践……して」

「了解。五本か六本でいけるか?」

「もっと、は……いる、かも……」

「じゃあ念のため九本で。一筆書きでいけたら手っ取り早いんだけどな」


 俺は薄暗闇の虚空に狙いを定めて、再び例の呪文を口にした。


輝ける(ノウェム・)拘束の鎖(スプレンデンス・):九重展開(ウィンクルム)!」


 空中に解き放たれる九本の光鎖。それらは俺の操作に従って宙を動き、円を基盤とした文様を形作っていく。

 時計塔でやった魔法陣の描き方の応用で、同じ要領で魔法陣を描こうという試みだ。それも、地面に描いたら上手くいくのは実証済みだったので、空中に魔法陣を描くという無茶振りまでされている。


 練習の九割は魔法陣の暗記。そして残り一割は光鎖の正確なコントロール技術を身に付けることだった。


 頭の中のイメージ。視線による誘導。身振り手振り。

 様々な手段を尽くして光鎖の動きを制御し、空中に大規模で複雑な魔法陣を描いていく。

 今はまだ練習だ。急ぐ必要はない。焦らずゆっくりと確実に、記憶に刻み込んだ形状を夜空に再現するだけでいい。


 空がすっかり暗くなった頃、地上十数メートルの空中に、星座のような光り輝く魔法陣が浮かび上がった。


「できた……!」

「呪文、を……唱えて……」

「分かってる。最後の仕上げだろ?」


 深く息を吸い込み、そして吐き出す。難しいことは既に終わった。後は一言唱えるだけだ。


来たれ、(カステルム・)神威の砦(カエレスティス)!」


 魔法陣から放たれた光が障壁と化して俺達を取り囲む。

 上手くいった――自然と口が綻ぶ。俺達の理論は間違っていなかった。これでいくらでも呪文を身に付けることができる。


 進行中の二つの課題。俺は今、それらを攻略する足掛かりを踏みしめたのだ。

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