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第三話 懐かしの

 セシリアの声を聞いた瞬間、俺は血の気がさぁっと引いていくのを感じて、すぐに声のした方へ走り出した。


 老人の話に聞き入っている間に、セシリアとシルヴィが視界から消えていた。

 命を狙われる可能性があるのはシルヴィだけじゃない。セシリアだって継承権の問題で理不尽な恨みや妬みを買っている。セシリアは自分自身をシルヴィの護衛にカウントしていたが、セシリア自身も護られなければならない立場なのだ。


 目を離した隙に何かあったら、フィオナに謝っても謝りきれない。


「セシリア!」


 息を切らしながら隣の展示室へ駆け込む。狭い部屋の中央に置かれたガラスケースの前で、セシリアとシルヴィがにこやかに会話を交わしていた。

 二人の無事を確認した途端、疲労感がずしりとのしかかった。

 単に展示に興奮して大声を出しただけだったらしい。


「こちらですユーリ。とても珍しい物なんですよ」


 一人だけ焦っていた自分が馬鹿みたいだが、そもそも目を話した俺が悪いので、誰にも文句を付けられない。

 とりあえず何事もなかったかのように話を合わせることにして、二人の上からガラスケースを覗き込む。

 その瞬間、後頭部をぶん殴られたかのような衝撃を感じた。



 ――未知世界日誌 昭和十五年 起



 目眩がしそうになった。まさかこんな場所でこんなものに出くわすなんて。


 不思議な作用で読めてしまうこの世界の文字ではない。紛れもない日本語だ。それも七十年以上前の日記だと記されている。

 わざわざ『未知世界日誌』と明記してある以上、あちらの世界の物が何らかの理由で流れ着いたわけではないのだろう。俺と同じようにこちらの世界へ連れてこられた日本人が記したものに違いない。


 けれど、一体誰が何のために――


 この疑問には二つの意味がある。

 日記を書いたのが誰で、何のためにこれを書こうとおもったのか。

 日記の著者をこの世界に喚んだのが誰で、何のために喚び出したのか。


 とても解けそうになかったこれらの疑問は、後から追いついてきた学芸員の老人の一言によって、拍子抜けするほどあっさりと氷解した。


「流石はセシリア様。その日記に御興味を持たれましたか」

「ええ。今になっても解読不能という点が興味深いですわ」

「それはノルン様が試練を託して送り出された御使いの日記です。伝承によると、後の先代国王に仕えた日々を綴った記録であると言われております」


 またアイツか! 思わず心の中で叫んだ。

 何ということはない。ノルンに連れて来られたのは俺が初めてじゃなかったというだけのことだ。


 この日記の著者は俺と同じようにこちらの世界へ連れ去られ、次の国王を決めるためにこき使われたのだろう。顔も知らない同郷人に同情すると共に、どうしようもない不安が湧き上がってくる。


 彼は、あるいは彼女は、元の世界に帰ることができたのだろうか。

 もしくは楽園とやらに行くことができたのだろうか。

 それとも――もう一度『死んで』しまったのだろうか。


 俺にとっては他人事などではない。この人物が辿った道は俺が辿るかもしれない道なのだから。


「読めない文字なんて、凄いですよね、セシリア」

「ワークワークの言葉に似ているとも言われているそうですけど、解読は全く進んでいないそうですわ」


 二人の王女様は未解読言語への知的ロマンに夢中になっているようだ。

 俺は内心の動揺を抑えるのに精一杯で、二人に話を合わせる余裕すらなかった。あの日記を読んでみたい。その人物の()()が知りたい。どうしようもない衝動が、自然と言葉になって口を突いて出る。


「――すみません。あの日記、読ませてもらせませんか」


 年老いた学芸員は片方の眉をぴくりと上げて、俺の発言に関心を示した。


「あの書物には、先代国王が王位を継承するまでの記録が綴られていると考えられております。王族の秘密事項が記載されている恐れがあるため、万が一解読された場合を考えて、内容の一般公開はしておりません」


 やはり無理だったか。ダメ元で言ってみたのだが、少しがっかりしてしまう。

 言われてみれば、確かにあの日記には様々な秘密が記されている可能性がある。後の国王から聞いた極秘の話が書かれているかもしれないのなら、気軽に見せたくないのも当然だ。


「ですが、特例で許可が降りることも当然ございます。ゼノビオス様の覚えめでたいマカベ殿の要請ということでしたら、写本をお貸しする程度ならばすぐに許可が降りるでしょう」

「本当ですか!?」


 俺は即座に写本の貸与を申請することにした。またもやゼノビオスさんの威を借りることになってしまうが、今回ばかりはそうするしか手段がなさそうだ。


 この機を逃したら二度と確かめることができないかもしれない。


 ノルンによってこちらの世界に喚ばれた人間が、どんな風に生きてどんな終わりを迎えたのか。そして、ノルンが()()のことをどんな目で見ているのか。

 それを確かめる手がかりが、きっとあの日記の中にあるはずなのだ。

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