第五話 覗き見たもの
「六脚竜の件から手を引きなさい。貴方には荷が重すぎる」
そう告げるフィオナの目は真剣そのものだ。悪意だとか、敵意だとか、そういったものは全く感じない。
正直、俺だって荷が重いとは思っている。村長の要請を受け入れたのは、課題を失敗したときのペナルティの有無とエクシポディアのヤバさを知らなかったからだ。どちらか片方でも分かっていたならその場で断ったに決まっている。
「村長から聞きました。記憶を失っているというのに魔物の討伐に協力したいだなんて……あまり酷いことは言いたくありませんが、身の程を知るべきです」
……んん?
「エクシポディアに限らず、六脚竜はどれも第二級危険生物に指定されていて、一般人による接触は自殺行為なんですよ。だから私だけで討伐すると……」
「ちょ、ちょっと待った。村長から何を聞いたって?」
話の腰を折るようで悪いが、話の中にとてつもない違和感を感じる部分があった。
フィオナはきょとんとした顔で目を丸くしていたが、すぐに気を取り直して話を続けた。
「貴方が私達の六脚竜討伐に加わりたがっていると、村長が」
「待った! 俺は村長からエクシ何とかを退治して欲しいって頼まれたんだ。あんた達が倒しに行くなんて聞いてないぞ」
「でも村長は確かに……えっ、どういうこと?」
察するに、村長のところで何故か話がおかしくなっているようだ。
「確認するぞ。あんた達が怪物退治に行くことを村長が知ったのはいつだ? 俺が騒ぎを起こす前なのか?」
「……騒ぎの前、ね。間違いないわ」
これで確定的だ。村長はフィオナ達がエクシポディアを討伐するつもりだと知っていながら、それを伏せた上で俺に討伐の依頼をして、フィオナには「俺が同行を希望した」という体裁で話を持ちかけたのだ。
この推理を伝えると、フィオナは困ったような顔で首を傾げた。
「でも、どうしてそんなことに?」
「さぁな。年寄りだから記憶が混乱したんだろ。もしもそうじゃなかったら……」
――悪意ある解釈をするなら。
「俺をあんた達に同行させたい理由があるってことだ。自分だけで討伐に行きたいお嬢様を納得させるために、神官が同行を希望してるってことにして。んでもって、記憶喪失の神官をその気にさせるために、自分が最後の希望だと思い込ませるような芝居をしたって感じでな」
大方、動機は「足手まといを押し付けたい」とかだろう。領主の娘というからには、色々なしがらみが付きまとっているに違いない。足を引っ張ってやりたいと思われていても不思議はないはずだ。
ところが、フィオナのリアクションは俺の想像とまるっきり正反対だった。
「もう……そんなに心配しなくてもいいのに」
「……は?」
「こんなに遠回しなのは珍しいけど、よくあることなの。一人だけでやりたいって言ってるのに、あの手この手でお供を付けようとして……ありがた迷惑なのよね」
口では迷惑だと言いながらも、態度は満更でもなさそうだ。口調からも堅苦しさがすっかり抜けている。
あまりの純真さに思わず浄化されそうになる。この少女は他人の悪意を想定していないのか。真っ先に村長の悪意を疑った身には眩しすぎる。
「とにかく、竜の討伐は私だけでやります。貴方は村で待っていてください」
無意味に怯んでいる隙に話を元に戻されてしまった。
フィオナにとって一人で討伐に行くことは決して譲れない結論のようだ。しかし、よくよく考えれば、無理をしてまで討伐に参加する意味はない。
仮に課題がクリアできなくてもゴールが少し遠退くだけ。無理に同行してもページが一枚埋まるだけ。命を失うリスクを考慮すれば、選ぶべき選択肢は明らかだ。フィオナに意見を変えてもらう必要なんてない。
「……ひとつ、聞いてもいいか」
それでも首を縦に振らなかったのには理由がある。
「一人だけでやるってのは、自分一人で討伐するっていう意味なのか? 家来とかに手伝わせるんじゃなくて、本当に一人で……」
「ええ、そうよ。私だけでやるわ」
即答だった。あまりにも躊躇いなく言うものだから、咄嗟に言い返すことができなかった。
フィオナの身体はどうみても華奢だ。魔法云々のことはさっぱり分からないが、フィジカル面の強さだけなら俺の方が上だろう。それなのに、フィオナは怪物と独りで戦うと断言した。無謀としか思えない。
ノルンが言っていた『こんな辺境の魔獣を退治しようなんて物好き』とはフィオナのことを指していたに違いない。この少女が巨大な怪物と戦っている間、安全な場所で安穏と時間を潰している自分――想像するだけで反吐の出る光景だ。
「心配しないで。これでも一人前の戦士なんだから」
話は終わったとばかりにフィオナは立ち上がり、藁置き場を出ていこうとする。俺はどうしても伝えておかなければならない言葉をその小さな背中に投げかけた。
「昼間はありがとな。あんたのおかげで助かった」
「急にどうしたの。私は何もしてないでしょ」
「いいや。あんたが来てくれたから皆も話を聞いてくれたんだ。礼くらい言わせてくれ」
フィオナは困ったように笑いながら、痛みの激しい扉の向こうに姿を消した。
その寸前、俺は試練の書に手を置いて短い呪文を唱えた。
「閲覧」
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個体名:フィオナ・アステリオン
性別:女 種族名:人間 所属国:アステリア王国
身体性能:E 白兵技量:C
魔力総量:A 魔法知識:C
軍務適正:B 政務適正:B
総合評価:C
特殊技能
宮廷剣術:C 護身を前提とした剣術。一通り習得済み
王位継承権:E 末席。現時点では継承の見込みはない
■■:■ 【非開示情報】
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やはり身体能力は華奢な見た目の通りだ。
総合評価は俺と比べて一段階以上高いものの、軍務やら政務やら戦いと直接関係なさそうなもので底上げされている。剣術を習得している分だけ俺より強いかもしれないが、怪物相手に剣術がどれだけ役に立つのだろうか。
ひょっとしたら不安が拭えるかもと期待して覗き見したのだが、これでは安心しきれない。魔法の力でとてつもない身体能力が得られるとか、バカでかいトカゲくらいは簡単に倒せる魔法を使えるとか、それくらいのことがなければ不安なままだ。
そして何よりも、特殊技能の欄の一番下――
――相手が隠したがってる情報は表示されないので――
ノルンの何気ない一言が蘇る。まさかとは思うが、フィオナはこの『隠しておきたい何か』のために無茶をしているのではないだろうか。領主の娘でなおかつ王位継承権があるという立場も、重大な問題を背負い込む原因としては実に説得力がある……ように思う。
「あー、駄目だ。考えが纏まらねぇ」
俺は思考を放棄して、藁の布団に仰向けに倒れ込んだ。何かと考え過ぎてしまうのは、疑り深いのと並んで俺の欠点だ。
そろそろ明日に備えて身体を休めた方がいい。古ぼけた屋根の上をぼうっと眺めているうちに、俺の意識は深い眠りに飲み込まれていった。