第十話 少女の真実
フィオナは遠慮気味に部屋に入ってきて、部屋の中で唯一の椅子に座り、ベッドの縁に腰掛けた俺と向き合った。
お互いに無言のまま時間が流れる。タイミングが最悪だ。あんなやり取りをした後に本人と直接対峙するなんて難易度が高過ぎる。
しかもフィオナは、自分から訪ねてきたにも関わらず、気まずそうな顔のまま何も喋ろうとしなかった。気持ちは分かるが正直いたたまれない。
――命を粗末にしないで! 私とは違うんだから!
あの日の言葉が脳裏に蘇る。胸を締め付けられるような心からの叫びだった。
一体何が違うのだろう。むしろ王族という社会的な立場があるフィオナの方が、この世界にとっての異物である俺も大事にされるべきではないのか。
「えっと……右手は、どう?」
ようやくフィオナが口にしたのは、そんな当たり障りのない話題だった。
「おかげさまで。さっきクラテス先生に看てもらったよ」
「うん、知ってる。玄関ですれ違ったから」
会話が途切れて再び部屋に沈黙が満ちる。これはまずい。この調子だと日が暮れてしまう。
こちらからも話題を提供しなければ埒が明かない。俺は少し考えて、ベッドに放り出していた試練の書に手を伸ばした。
「昨日はありがとな。お陰で試練が一歩進んだよ」
【一万アルギスを自力で稼げ】
【課題の報酬を含め、十二種類の呪文を習得せよ】
【第二級危険生物を十体討伐せよ】
灼熱兜の討伐によって、現在進行中の三つの試練のうち二つが完了し、一つが進行した。
第二級危険生物十体の討伐を指示する試練の下には、三種類の生物の名前が記されている。
六脚地竜
雲海蜘蛛
灼熱兜
玻璃喰蛇はこの国の人間が与えた便宜上の名称なので、より正確な呼称の方で表記されているらしい。
「にしても、あんな化け物でも第二級なんだよな。第一級はどれくらいとんでもないのやら」
「普通の第二級はアレ程じゃないわ。六脚地竜は通常の個体より明らかに強かったし、玻璃喰蛇を第二級で認定したのは明らかに過小評価よ」
そう言えば、ヒューレ村のときにそんなことを言っていた気がする。
「つまり三体とも実質的に第一級だったのか」
「雲海蜘蛛は評価通りじゃない?」
「……勘弁してくれ。あの蜘蛛を倒すのにどれだけ苦労したことか」
話しにくい話題から離れたせいだろうか。ようやく会話らしい会話ができるようになってきた。
「討伐の報奨金は受け取れた?」
「ああ、蜘蛛のときの四千と蛇の六千で合わせて一万。ちゃんと受け取ったよ」
それぞれ日本円にして二十万円と三十万円。試練で要求された一万アルギスの獲得をちょうどぴったりクリアした。
「それにしても、苦労の割に実入りが少ないというか」
「強いといっても第二級扱いだから……第一級認定の危険生物だったら二万や三万にもなるんだけどね」
フィオナは申し訳なさそうにしていた。領主の娘ということで、報奨金を支払う側の立場に立っているのだろう。
「もちろん、足りない分はまた何かの形で埋め合わせるから」
「本当か? だったら期待して待たないとな」
――フィオナも分かっているはずだ。談笑を交えたこの会話が時間稼ぎに過ぎないことを。どれだけ楽しそう院笑っても、からかっても、重大な問題からは決して逃れられない。
しばらくそんなやり取りを続けたところで、再び会話が途切れた。
フィオナは迷い、躊躇い、悩んだ末に、遂に重い口を開いた。
「……クラテスとは、どんな話をしてたの?」
「別に何も。ただ……先生から聞いた話ではないけど、アルテミシアっていう人のことを聞いたよ」
我ながら白々しいにも程がある。これでは口止めされたことも含めて、殆ど白状してしまっているようなものだ。
「誰から聞いたのかは知らないけど、どこまで教えてもらった?」
「アルテミシアが先生の姉で、南に大きな領地を持っていて、それで……フィオナの母親っていうところまで」
「そう……だったら話が早いね」
フィオナは椅子の背もたれに体重を預け、俯き気味にぽつぽつと語り始めた。
自分のことからで切り出すのではなく、外堀を埋めるかのように、過去の事実から少しずつ話していく。
「南の大領地は、王国の中の外国と呼ばれるくらいに強い自治権を持っているの。原因は先代国王が『弟』に広大な領地と自治権を与えたから。先王の勅令が未だに影響力を……」
「ちょっと待った。先王の弟、なのか?」
「そうだけど、どうかした?」
「……いや、何でもない。続けてくれ」
クラテスの話と細かいところが食い違っている。さっきは先代国王の『兄』だと聞いたが、フィオナは何故か『弟』だと言った。
とりあえず俺は話の続きを聞くことにした。疑問点を詰めるのは後でいい。
「その領地は半分独立状態にあって、王国の戦争にも殆ど手を貸してこなかった。他の国と隣り合っていないうえに、大きな港を持っていたから、海上貿易で悠々と蓄財していたわけ。本当に莫大な財産だったそうよ」
自分の母親の領地について語っているはずなのに、その口振りはまるで他人事のようだった。
「国王は大領地の領主であるあの女の協力を得たいと考えた。当時は四つの国と同時に戦争をしていたとんでもない時期だったから、少しでも財力を回復したかったんでしょうね。あの女は国王の足元を見て、ある条件を突き付けた――」
フィオナの顔が曇る。これ以上は話したくないと態度が言っている。
それでもフィオナは言葉を途切れさせはしなかった。
「王位継承権保持者との婚姻。王位継承権を持つ子供を産ませることを要求したの……これが今から十七年前の話」
話がどんどん核心に近付いているのが分かる。それにつれて、フィオナの表情が辛さを堪えたものに変わっていく。見ているだけで胸が苦しくなる。
十七年前と言えば第二王子が大恋愛の末に出奔したという頃だ。その三年前には第一王子が戦死している。それだけに、莫大な財力を持つ『親戚』を是が非でも自分達の陣営に組み込みたかったのだろう。
「継承権第一位だった王太子は、結婚を強要するなら出奔すると国王を脅して断固拒否。王太子の子供達は幼すぎて無理。結局、要求に応じたのは王弟ゼノビオスただ一人……妻に先立たれて、二人の息子も独り立ちしているから……と言ってね。親子にも近い年齢差だったけど、あの女も承諾したわ」
王太子の脅し文句は間違いなく効果抜群だったに違いない。何せ第二王子という前例が起きたばかりだ。国王も強硬手段には出られなかったのだろう。
それにしてもゼノビオスさんにそんな過去があったとは。
「あの女はすぐに娘を産んだ。戦線もあの女の財力で持ち直して、今年までに四ヶ国のうち三ヶ国と講話が成立。結局、あの女は国難を救った女領主と持ち上げられて、お父様でも簡単には諌められない存在になった……」
フィオナは声を震わせながら天井を見上げた。
「でもね……どうしても計算が合わなかった。早すぎたの。子供に王位継承権を与えることが協力の条件で、結果も出てしまったから、伯父様ですら表立っては指摘できないけれど……」
「おい、それって、まさか……」
フィオナの目に大粒の涙が溢れる。嗚咽を堪えて震える声が、少女にとって残酷な真実を告白する。
もういい。言わなくていい。その一言が間に合わない。
「ユーリ。私ね……お父様の娘じゃないの」




