第九話 戦い終わって
玻璃喰蛇こと灼熱兜との戦いが終わり、アスプロ市に戻った俺はまたもや医者の世話になってしまった。六脚地竜の件で治療を受けてからまだ半月も経っていないのに、再び療養生活に逆戻りである。
今回も自宅療養で、医者に部屋まで来てもらっている。こちらの世界ではよくある治療形態らしい。
「後は安静にしてください。右腕を使うのは厳禁です。食事も左手で摂るように。できれば寝返りも控えてもらいたいところですが、流石に難しいですね」
医者のクラテスは、普段と同じ落ち着いた雰囲気で診断を終えた。
クラテスの動じなさは相当なもので、たった二週間前に看たばかりの患者が前回以上の怪我をして帰ってきても、眉一つ動かさないほどだ。相当離れしているに違いないと、俺は勝手に思っている。
「靭帯は綺麗に治癒させられる程度の損傷で済んでいましたが、これは運が良かっただけだと考えるように。一歩間違えば再生不能になっていたところですよ」
俺の右腕は根本から包帯でぐるぐる巻きにされている。包帯の下には炎症を抑える軟膏とやらが塗りたくられ、治癒力増強の魔法を掛けた上でしっかり固定されているという状態だ。
三角巾で――正確にはつり包帯と言うらしいが――首から腕をぶら下げるのは初めての経験だ。前の世界でもこういう手当が必要になる怪我はしたことがない。
「王族御用達の医者の治療を受けられるなんて、俺って運が良いんですね」
「大袈裟ですよ。見ての通り若輩者ですから、親類の伝手を頼って仕事を紹介してもらっているだけです」
本人が言っているとおり、クラテスはかなり若い。青年の範疇に入るであろう男だ。正確な年齢は聞いたことがないが、俺と十歳も変わらないであろう見た目をしている。
「親類って、やっぱり王族ですか」
「……どうしてそう思ったんです?」
「俺がここに来てすぐのときにも治療してくれたでしょう? あの時点で俺を他人に紹介できるのは、王族の人達くらいでしたから。それに……」
少し言葉を切って、クラテスの頭髪に視線を向ける。
「その銀色の髪……王族と同じですよね」
これまでに俺が出会ってきた王族の共通点、それは特徴的な銀色の髪だ。
フィオナもセシリアも、ゼノビオスさんもそうだった。白髪の比喩ではなく、銀の色素が詰まっているかのような色。クラテスの髪も同じ色をしている。
「なるほど……記憶喪失だと聞いていましたが、それを補ってもなお余りあるほどに察しが良いようですね」
「普通に見ていればわかりますよ」
クラテスは診察道具を鞄に片付けてから、改めて俺と向き合った。
「君の読み通り、僕は王族と親類関係にあります。ですが厳密には王族に含まれていません。理由は……そうですね、この国の王位継承順位はご存知ですか」
まるで俺のことを試しているかのような言い方だ。
この国の王位継承システムについては前にオリンピアから教わっているので、基本的なことは把握している。
「長子相続制、ですよね。王様の一番目の子供とそのまた子供が優先されて、二番目、三番目と順番に割り振って、それから王様の兄弟とその子供にも同じように割り振って……ああ、なるほど」
そこまで考えたところで、クラテスの言いたいことがすぐに理解できた。
「王位継承権の範囲外にも王の親戚がいて、クラテス先生はその一人、と」
「ええ、そういうことです。例えば先代国王の弟の子孫は、今となっては王位継承権を持ちません。広い意味で王族と呼ばれることもありますが、厳密に言えば王族に含まれないわけです」
いつの間にか話題が全く違う方向に進んでいる。怪我の話は既にどこかへ行ってしまって、王族についての話題にすり替わっていた。
「ちなみに、僕は先代国王の『兄』の孫です」
「え、長男が王位を継ぐんですよね」
「祖父は継承を辞退したそうです。その見返りなのかは分かりませんが、南方に広大な領地を獲得して、今も子孫に受け継がれています。もっとも、僕は医者になりたいという夢を叶えて、面倒なことは全て姉に押し付けたわけですけど」
クラテスは意味ありげに間を置いて、続きを一語一語ハッキリと口にした。
「姉の名はアルテミシア。国王陛下と王弟殿下の所領に次ぐ国内第三位の大領地を治める領主にして――フィオナ君の母親です」
一瞬、思考回路がフリーズした。不意打ちにも程がある。まさかこの流れでフィオナの名前が出てくるなんて想像もしていなかった。
「どうしてこんな話をしたのか分かりますか?」
「……いいえ、全然」
「姉は君に関心を抱いています。フィオナ君は、お気に入りの時計塔……君がガラスに変えた塔を台無しにされたから、君に逆恨みをしているんだろうと考えているようですが……」
そしてクラテスは俺の胸元を指差した。
「僕が思うに、姉の関心の理由は逆恨みではありません。万物をガラスに変える光は女神ノルンの御業。それを放った君は女神の御力を授けられているのではないか……恐らく姉はそう考えているはずです」
俺は何も言うことができなかった。否定とか反論とかそういうレベルの問題ではない。いくらフィオナの母親とはいえ、見ず知らずの人間から強く興味を持たれています、なんて教えられてもリアクションのしようがなかったのだ。
「それが……どうかしたんですか」
「いいえ? どうもしませんとも」
クラテスはおもむろに席を立ち、上着を羽織って帰宅の準備を始めた。
「今の話はただの雑談です。僕の血縁関係が話題に上ったので、君の友人との意外な関係を披露したに過ぎません。姉の話はついでです。詳しく知りたければフィオナ君に聞くのが一番でしょう。ですが……」
ドアの前でクラテスが肩越しに振り返る。その眼差しは今まで見たことがないくらいに冷たく、そして真剣な色を湛えていた。
「アルテミシアのことを僕から聞いたと明かさないでください。フィオナ君に要らぬ心配を与えてしまいます。では、失礼」
クラテスが立ち去った後で、俺は深い溜め息を吐いて天井を見上げた。
「今の、警告だよな……」
フィオナの母アルテミシアに気をつけろ――クラテスは暗にそう告げていた。
アルテミシアという女性がどんな人物で、何を考えているのか、俺は全く知らない。フィオナの親子関係もさっぱりだ。母親と関係良好なのか険悪なのかも把握していないし、むしろ把握しようと思ったことすらない。
ならばフィオナに母親について訊ねてみるか?
……それも気が重い。地雷だったら最悪だ。そもそも、母親の弟から話を聞きました、と告げることがNGだというのが不穏過ぎる。普通なら何の問題もないはずだ。親類関係に何かしらの火種を抱えているとしか思えない。
そんなことをグダグダと考えていると、部屋の扉が軽くノックされた。
「――私だけど。入ってもいい?」
「フィオナ――!?」




