第四話 実地調査(2)
当たり前のことだが、ガラスの建物というのは本当に四方八方がガラス製だ。天井も壁も床もガラスで構成されていて、とにかく違和感が凄まじい。
「こいつは想像以上だな……」
「壁があるか分かりにくいから、うっかり頭ぶつけないようにね」
「大丈夫だって……うおっ!?」
透明な壁に惑わされて、危うく鼻を打ち付けてしまうところだった。気をつけないと、出てくる頃には痣だらけなんてことになるかもしれない。
まずはさっきの穴を内側から確かめてから、その周辺のガラスの状態を調べてみる。熱で壁を溶かしたなら、穴の周りにも多少の影響が及んでいるはずだ。
そして案の定、すぐ近くの壁も熱で溶かされて歪んでいることが分かった。
更に、床面には細かな傷がびっしりと付いている。全体的に浅く広く、目の粗いヤスリで擦ったかのような跡だ。砂まみれの土嚢を引きずったらこんな傷跡が付くかもしれない。
「二種類の痕跡……? 溶かした跡と、擦ったみたいな跡……」
「火の魔法で溶かしただけじゃないみたいね」
「もう少し周りを調べてみるか」
俺とフィオナとマリアエレナの三人で、手分けをして一階を調べてみることにした。こういうときは集団で行動するよりも手数を増やした方がいい。二人とも魔法を扱えるので、単独行動をしても危険が少ないのが幸いだ。
透明な壁に気をつけながら手近な部屋に入ってみる。
恐ろしいことに、内装までもが綺麗さっぱりガラスに置き換えられている。棚の上に置いてあるのは花入りの花瓶か。棚の引き出しを引っ張ってみると、ガラスが擦れる音を立てながら開いた。
「中身までガラスになってるのか……」
引き出しの中身をひとつ取り出してみる。透明で分かりづらいが、どうやら筆記用具のようだ。
今度は反対側の壁に目をやる。壁際に並んでいるのは本棚だ。ひょっとしたら、ここは書斎だったのかもしれない。
「……まさか」
本棚に収まったガラスの本を取り出して、恐る恐るページを開こうとする。しかし、流石に表紙全体がガチガチに固くなっていたので、ガラスの本を読むことはできなかった。
残念に思う反面、少しほっとした。流石に本まで読めてしまったら気が変になりそうだ。
「やっぱり、ここも誰かの家だったんだろうな」
独り言を呟きながら、デスクらしきガラスの塊に手を置いて一息つく。
ふと、ガラスの椅子に何か大きなものが乗っていることに気が付いた。いくら透明とはいえ、さっきまで意識に入ってこなかったのが不思議なくらいの大きさだ。
……あるいは、その正体に気付きたくなくて、無意識のうちに気付かないフリをしてしまったのか。
それは紛れもなく、かつて人間だったものであった。
俺は声を上げることも忘れて飛び退いた。
構成物質がガラスであること以外は生きた人間としか思えない。服のシワや顔の起伏まで忠実にガラスに置き換えられている。これがガラス細工だとしたら、製作者は間違いなく人間国宝級だ。
遠くから盛大にガラスが割れる音が響いてくる。フィオナが言うには、採掘過程で大きなガラス塊を細かく粉砕するときの音らしい。
俺の脳裏に、ガラスと化した人間が細かく砕かれていく光景が思い浮かんだ。
もしもこれが、本当に女神の力でガラスに変えられた人間だとしたら――身の毛もよだつ想像をしていると、部屋の外から俺を呼ぶ声がした。
「ユーリ、ちょっと来て!」
俺は書斎から逃げるように声の方へ向かった。これ以上ここにいたら、ガラス細工をまともな目で見られなくなりそうだ。
「どうしたんだ?」
「これなんだけど、少しおかしいと思わない?」
フィオナとマリアエレナは、階段の近くの床に空いた穴を見下ろしていた。
穴の大きさは直径一メートル程で、下の地面が露出している。縁の状態からすると、割られてできた穴ではなく溶かされて空いた穴のようだ。
「……壁と同じだよな」
「ガラスじゃなくて地面の方よ」
「地面?」
指摘されたとおりに、露出した地面を改めて観察する。よくよく見ると、土の表面が黒い石になって固まっている。朧げな記憶だが、これと同じものを何かの映像で見たことが――
「――固まった溶岩みたいだな」
「ええ。前に国境付近の火山帯に行ったときに、こんな石を見たことがあるわ」
「何しにそんなところ行ったんだよ」
フィオナは視線を逸して俺の疑問をスルーした。この反応からすると、どうやらヒューレ村の事件と同じように、一人で無茶をしたときの出来事のようだ。
「……周、り……に……飛び散って、る……」
マリアエレナはガラスの床に散った黒い滴のような塊を指でなぞった。融けた土が広い範囲に飛び散って固まっているのだ。
「壁を溶かしたのと同じように床まで溶かして、その下も……? マリアエレナ、魔法でそんなことができるのか?」
「……可能、ね。高火力、か……火と、土の、複合で……融けやすく、して、熱を加える……か」
融けやすくするというのは、土や砂に干渉して少ない熱で融けるようにするということだろう。融点を下げるのかはたまた別の手段か。
しかしこの場合、融かす手段よりもずっと重要な問題がある。
「こいつ、どうしてこんなことをしてるんだろうな。壁を溶かすのは移動のためとしても、地面を融かして陥没させる理由が分からん」
「偶然当たっただけなのか、それとも何か理由があるのか……もっと調べなきゃいけないわね」
俺とフィオナは揃って階段を見上げた。ガラスの階段には、床と同じように何かで擦られたような痕跡が残されていた。
「上に昇ったんだな」
「あるいは降りてきたのかもね。蛇が地面を這いずるみたいに」




