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第十六話 魔法師のお宅訪問(中)

「マリアエレナ様。セシリア様がご到着なさいました」


 オリンピアがドアノッカーで扉を叩く。

 家の中からバタバタと音がして、しばらく静かになったかと思うと、扉がスローモーション並にゆっくりと開かれた。


「いらっしゃ……い」


 ほんの僅かな扉の隙間から髪の長い少女が顔を出した。俯き気味なせいか妙に上目遣いで、印象的な目の隈がよく目立っている。

 軽く波打った黒髪はまるで黒いヴェールのようで、華やかさのない服と合わさって陰鬱な雰囲気を漂わせている。


 彼女がマリアエレナなのだろう。


 マリアエレナは死体のように虚ろな眼差しをオリンピアからセシリアに移し、シルヴィを怪訝そうに一瞥して、最後に俺のことを見上げた。


「ひっ……!」

「おっと」


 オリンピアは扉の隙間に足を突き入れて、扉が閉められるのを阻止した。物凄い勢いで閉めようとしていたのだが、足は大丈夫なのだろうか。


「今日はおまけの来客がいると、事前に連絡を差し上げていたでしょう? 殿方が苦手なのは存じていますが、フィオナお嬢様のご意志を優先させていただきます。いざ強制執行です」

「オマケって俺か?」


 扉の向こうでマリアエレナが必死に抵抗している気配がする。


 しかしオリンピアは無情にも左手一本で扉を開け放った。マリアエレナが非力なのか、それともオリンピアが見た目に似合わず怪力なのかは知らないが、あまりにも一方的な展開だった。


 白日の下に晒されたマリアエレナの全身は、何というか物凄く小動物的で、今にも蒸発して消えてしまいそうな雰囲気に包まれていた。


「……マ、マリアエレナ……です……」

「なんか……ごめん」


 妙に申し訳ない気持ちになってしまう。平穏に暮らしていた動物の巣穴を掘り返してしまった気分だ。


「まずはセシリア様の授業から始めていただきたいのですが……」


 オリンピアがちらりとシルヴィを見やる。


「シルヴィ王女も一緒に授業を受けてみてはいかがでしょう」

「え、いいんですか!?」

「私は構いませんわ。内容について来られるかは保証できませんけれど」


 意外にもセシリアは好感触だ。

 問題はマリアエレナが首を縦に振るか――


「……追加料金で、手を打つ、わ……」


 こちらも意外な返答だ。というか(したた)かだなこの人。


「では請求は市庁舎の外交部に回すとしましょう。宜しいですか?」

「必要経費でしょうな」


 空気に徹していたアルギリスが頷く。

 その瞬間、今度こそ扉が勢い良く閉められた。


「あー……もう一人いたんだったな、男」

「マリアエレナ様。今のは幻覚に過ぎません。ただの影ですとも」


 オリンピアは無茶苦茶なことを言いながら扉をこじ開けに掛かった。全力で閉められているはずの扉が、腕の力だけでじわじわと開かれていく。

 一体どんな腕力をしているんだ、このメイドは。











 すったもんだの末、どうにか授業を始められることになった。

 家の中はどう見ても普通の民家だった。分厚い本が多くて、ちょっとばかり散らかっている――正確には大いに散らかっていたのを超特急で片付けた気配が漂っている程度で、奇妙なところはどこにも見当たらない。


 魔法師の家というものだから、怪しげなアイテムがそこら中に転がっていると思いこんでいたが、イメージを改めなければいけないかもしれない。


「その本……危険だから、開いちゃダメ……死ぬ」


 訂正。やっぱヤバイわここ。


「私達は後ろの方で見学していましょう」


 オリンピアに促され、部屋の後ろの椅子に腰を下ろす。

 セシリアとシルヴィは備え付けの黒板の前に肩を並べて座っている。まだお互いに少し警戒し合っている様子だが、単に人見知りしている程度のようだ。


「……では、講義を、始めます……」

「よろしくお願いしますっ!」


 シルヴィの元気な声に気圧されて、マリアエレナの肩がびくりと震える。セシリアは「あーあ」と言わんばかりの呆れ顔だ。きっとマリアエレナは普段からあんな感じなのだろう。

 幼い少女二人が生徒で、幼くはない少女が先生役。講義というよりも親戚の子に勉強を教えているような光景だ。






 授業の内容は基本的な事項のおさらいのようだった。


 火、水、土、風の四つのエレメントの存在。

 第五のエレメント、神々の大いなる力を表す光の属性の発見までの歴史。


 火の属性は熱全般を司り、冷却もまたこのエレメントが行う。

 水の属性は動植物の体液も含む。一般的な治癒魔法は水の属性である。

 土の属性は地下資源に関わる魔法も包括する。いわば大地の属性。

 風の属性は大気にまつわる全て。空気の振動である音も操る。


 魔法の素質は属性一つか二つが一般的。三つや四つは修行次第。

 唯一、光の属性は神に仕える神官のみが習得できる。


 魔法で光を使うことと、光の属性の魔法であることは別物。

 光を放出したり操ったりするだけなら火や風の属性でもできる。

 もちろん、光の属性の魔法で光を操ることも可能である。

 ただしそれは本質ではない。



 ――ここでシルヴィが質問をした。光の属性の本質とは何なのかと。

 マリアエレナの代わりにセシリアが答える。それは『存在そのもの』への干渉。隠れた性質を露わにしたり、まるで違う存在に変えたりする神域の力。


 俺にも心当たりがある。閲覧(カルタ・ウィーサ)は相手の性質を露わにし、輝ける(スプレンデンス・)拘束の鎖(ウィンクルム)は真の姿を暴き立てる。雲海蜘蛛(アラーネア・ヌービス)をガラスにした呪文は、まさに対象を違う存在に変えていた。

 きっとああいう効果が光属性の呪文というものなんだろう。


 シルヴィはセシリアの知識に尊敬の眼差しを向けた。一切の裏がない純粋な賞賛だ。セシリアは居丈高に振る舞いながらも、明らかに照れていた。






 授業が進むに連れて、セシリアとシルヴィの距離が縮まっているのが見て取れた。もちろん物理的にだけではない。精神的に打ち解けてきているようだ。


 二人ともまだまだ子供だ。王女なんて立場でなければ、普通に学校に通って、あんな風に友達をたくさん作っていたに違いない。


 この光景をとても尊く感じる一方で、俺の頭の中では場違いな疑念が鎌首をもたげ始めていた。本当に俺の悪い癖だ。


「……なぁ、オリンピア。セシリアはどうしてこんな街外れで勉強してるんだ」

「と、言いますと」

「だって王女なんだろ? この国の風習は知らない……じゃなくて思い出せないけど、王様のところで家庭教師を呼んで勉強するものなんじゃないのか? もしくは首都の大きな学校に通うとかさ」


 三人の邪魔をしないように、出来る限り声を抑えて問いかける。

 オリンピアは暫く考え込んでから、諦めたように語り始めた。


「この国の王位は性別不問の長子相続で受け継がれます」

「王様の次は一番上の子で、その次は一番上の子の更に一番上の子で……っていう感じか」


 長子相続の場合、王位継承権第一位は王の長子で、第二位は長子の長子になる。そいつに更に子供がいればその子が第三位で、いなければ長子の次子が第三位となる。長子の子供全員に割り振ったら、今度は王の他の子供に順番が回る。

 図にすれば分かりやすいのだろうが、言葉で説明すると凄くややこしい。


「はい。第一王太子は子を成す前に戦死、第二王太子は小説じみた大恋愛の末に出奔し、第三王太子が王位継承者の筆頭となっていました。セシリア様が『見つかった』あの日までは――」


 そしてオリンピアは深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。


「結論から申し上げましょう。セシリア様は命を狙われています。実の叔父である第三王太子によって」

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