第五話 それは間違っている
次に気が付いたとき、俺は見知らぬ建物の一室で長椅子に寝かされていた。
気絶する前の出来事はハッキリと覚えている。女の子のタックルにあれほどの威力があったのは誤算だった。
今思えば、あれは爬虫類の尻尾ではなくドラゴンのものだったのかもしれない。それくらいに威力のあるタックルだった。羽根も生えていたし。
「あ、目が覚めた?」
濡れタオルを持ったフィオナが部屋に入ってきた。
「……ありがとな」
状況から察するに、後を追いかけてきたフィオナが昏倒した俺を発見し、頭を冷やしたりして介抱してくれたのだろう。
「ところで、あの子は?」
「蜥蜴族の子? あの子は平気なんだけど、ちょっと厄介なことになりそうなのよね……歩けそうなら少し来てくれる?」
「ああ、大丈夫」
部屋の外では、書類だらけのフロアを大勢の人間が大わらわで駆け回っていた。どうやらここは役所か何かのようだ。
厄介なことになりそう、というのは決して大袈裟な表現ではなかったようだ。現にこのフロアがとても忙しいことになっている。この世の終わりのような顔をしている職員もいて、まだ事情が分からないのに同情しそうになってしまう。
「失礼。彼、起きましたよ」
フロアに隣接した待合室のようなところに、例の女の子がちょこんと座っていた。
女の子は暗い顔で俯いていたが、俺を見るなり一気に表情を明るくして、弾き飛ばされたように飛びついてきた。
「ごめんなさぁい!」
「うおっとぉ!」
今度は腰を入れて受け止める。それでも少し後ろに押されてしまった。
女の子が無事だったのは良かったが、未だに状況が飲み込めない。女の子を抱き留めたままフィオナに視線を向けると、フィオナは額を押さえて首を横に振った。
「蜥蜴族とアステリア王国が和平を結んだって話をしたでしょう。この娘はその和平交渉担当者の娘なのよ」
「え、そんな子が暴漢に襲われたとか相当ヤバいんじゃ……」
「だから言ったでしょ? 厄介なことになりそうだって。この市庁舎も上へ下への大騒ぎ。しかもその担当者といういうのが、七人いる蜥蜴族の王様の一人なの。つまりこの子は蜥蜴族のお姫様で、今回の件が外交問題にもなりかねないというわけ」
こちらの国際情勢に疎い俺でも、これがかなり危うい問題なのは充分に理解できた。
つい最近まで戦争をしていた国のお姫様が、こちらの国の不届き者に暴行されかけたわけだから、下手をしたら速攻で戦争が再開しかねないだろう。
女の子は俺の胸に顔を埋めて泣いている。泣き声の端々に自分を責める言葉も混ざっていた。
「私が悪いんです……勝手にお出かけなんてしたから……」
なんて居た堪れない状況だ。女の子も部屋の外の役人達も気の毒で空気が重い。
とにかくこの部屋の雰囲気だけでも変えようと思い、女の子に目線を合わせて話しかける。
「君、名前は?」
「え……?」
「何だか有名人みたいだけど、俺、君のことよく知らないんだ。覚えてない、って言った方が正しいかな。いわゆる記憶喪失って奴なんだ」
女の子は袖で涙を拭い、少し震えた声で自己紹介をしてくれた。
「……シルヴィ、です」
「シルヴィか。可愛い名前だな。俺は有理。苗字は真壁だ」
こんな砕けた対応で大丈夫かと確認する意味を込めて、フィオナの方をちらりと見やる。フィオナは少し困ったような顔をしていたが、小さく頷いて黙認の意志を告げてくれた。
セシリアが王様の娘だと知ったときは驚いた。王様の弟のゼノビオスと会うときはとても緊張した。シルヴィも同じ立場のはずなのだが、驚きや緊張よりも、目の前で悲しんでいる子をどうにかしてあげたいという気持ちの方が強かった。
「勝手に出かけたからって言ってたけど、出かけちゃ駄目だって誰かに言われてたのか?」
「うん、危ないからって役人さんに……」
「そっか……」
街中でシルヴィを見かけたときの様子を思い出す。あのとき、シルヴィは目を輝かせてガラスの工芸品を眺めていた。
確かガラス製品はこの国の特産だったはずだ。自分の国では希少で綺麗なものを見たいと思うのは当然で、それを見に行くことを禁止されたら、言いつけを破ってでもこっそり見に行きたいと思ってもしょうがない。
そうしていると、言い争う声と共に二人の役人が部屋にやってきた。
「だから言ったのだ! もっと警備の兵を増やしておけと! 外に出さねば問題も起こりようがないのだからな!」
「言うは易し行うは難しですな。上位の蜥蜴族は擬似翼による飛行が可能。つまり五体満足で身柄を確保するには、屋内に閉じ込めるより他にありません」
「ならばそうすればいいだけの……っと! フィオナ様、おられたのですね」
二人揃って部屋の入口で姿勢を正す。いかにも軍人然とした男と、長身の割に痩せ気味な男の二人組だ。何事かと思ったが、よく考えればフィオナは領主の娘なのだから当然の反応だ。
「とりあえず状況を説明してくれる? 事態を飲み込めてない人もいるから、根本的なところからお願い」
「はい、では私が。外部折衝担当のアルギリスです」
痩せ気味の男が一歩前に出る。
「アステリア王国と蜥蜴族の間で和平が結ばれた折、調印に臨んだジアペルタ王から、娘がアステリア王国での滞在を望んでいるのでアスプロ市の滞在許可を貰いたい、との要請がありました」
俺の服の裾をシルヴィがきゅっと掴んだ。
「しかしながら、彼の部族では一人旅が通過儀礼だと主張し、護衛は不要であるとも通達してきました。そして実際に、先方からはただの一人も護衛担当が寄越されていません。これが問題になりました」
「はっきり言って、蜥蜴族と実際に戦ってきた者達は奴らに良い印象を持っておらん。憎んでいると言ってもいい。奴らは人間同士の戦争の決まりを守ろうとしなかったからな」
「失礼。こちらはシルヴィ王女の滞在場所の警備責任者のディアマンテスです。本件で責任を取る立場にあるため気が立っておりまして」
「気など立っておらん!」
痩せ気味のアルギリスが、話に割り込んできた大男についても説明した。
シルヴィはすっかり俺の後ろに隠れてしまっている。こんなに怯えている理由は何となく分かる。ディアマンテスという男、声が大きくてよく響くものだから、端的に言って怖い印象を与えてしまうのだ。
「ともあれ、警備上の理由でシルヴィ王女には滞在中の外出を控えて頂くことになっていました。庭園内の遊覧は許可していたのですが、その際に監視の目を潜り抜けて今に至るようです」
「うむ。御身に傷がついたら両国にとって損にしかならん」
どこにも行かさず、誰にも会わせなければ、トラブルは起こらない。身の安全だって守られる。理屈の上では確かにそうだ。けれど、正しいとも思えない。
「ちょっとあんた達……」
フィオナも流石に咎めようとする。
俺はそれよりも早く、片手を軽く挙げていた。
「……あのー、ちょっといいですか」
全員の視線が俺に集まる。不思議と怯むような気持ちは浮かんでこなかった。だから心に浮かんだ言葉を堂々と口にする。
「そのやり方は間違っていると思います」




