4. 遺書
相川と篠崎は、別れ、篠崎は自宅へと帰って行った。
なぜ、引っ越し先を田川に伝えてしまったのか今更ながら後悔する。
車を駐車場にとめてる最中に、田川がニヤニヤしながらこっちを見て笑っている。
黄色い派手なパーカーに灰色のスウェット姿。
田川はバスケ部ということもあって、体が非常に大きかった。
この男なら、あの二人相手でもなんとかできるかもしれないと篠崎は一瞬思ったが、やはり巻き込まずに済むなら巻き込みたくはなかった。
夜までに、決断し、作戦を練らなければならない。
考えがまとまらない。
篠崎が、切羽詰まった表情で、眉をひそめて車から降りてくるので、さすがに田川も察したらしく、にやけた表情から真面目な表情に変わる。
「どうした? マジでなんかあったの?」
「・・・・・・」
篠崎は、言葉が見つからなかった。
とりあえず、自宅の方を指さして、田川に入るように促した。
田川は、そんな篠崎を不思議そうに眺めながら、篠崎の後をついていく。
自宅に入り、田川はぴょんとソファに寝ころびくつろぎ始める。
「彼女と喧嘩でもしたのか?」
篠崎は、「彼女なんていないよ」と床に座りこむ。
「俺が急に来た事怒ってんの?」田川が口をとがらせて、ふてくされたような表情をする。
「違うよ」
篠崎は、たった一人の友人を目の前にして、時間の迫る中でどうしたらいいのか途方に暮れていた。
「言えよ。なんでも聞くから。なんか悩んでるんだろ? いっつもちゃんと話してくれたろ?」
篠崎は、これまでも何度も田川に助けられてきた。
田川は強運の持ち主なのか、不思議とどんな難題でもいとも簡単に解決していく能力があった。
些細なことから大きなことまで、何を相談しても「任せとけ」の一言でさらっとやってのける。
篠崎は、頼り切っていたのかもしれない。
自分の無能さからそうやって逃げてきたのかもしれない。
今回だけは、逃げずに自分の手でなんとかしたいと思っていたが、また田川に頼らざるを得ない事態になってしまった。
何度も頭の中で想像してみたが、どうしてもあの二人を一人で止めることが想像できない。
なんとか警察に通報せずに、あの二人の今日の犯行を止めたい。
田川に計画を悟られることなく・・・。
篠崎は、まとまらない考えのまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
「俺・・・女性が二人組に襲われるのを見ちまったんだ。
犯人の顔も住所も知ってて、今日また犯行が行われるかもしれないんだ。
それをどうやって止めたらいいかをずっと考えてて」
「警察に通報しろよ!」
「勝手に通報するわけにはいかないだろ? 女性がどれだけそれで傷つくと思ってんだよ。
通報するなら女性の意思を確認してからじゃないと。騒ぎになって世間に知られたら生きていけないだろ?
男の都合で物を考えてたら、事態は最悪になる」
「そいつらの手口は?」
「黒いバンが犯人の家の前に止まってたから、あのバンに女性を連れ込むんだと思う」
「じゃあ、まずはその車を潰そう」
田川がいとも簡単に言ってのける。
「潰すって?」
「パンクさせて、窓ガラス割る。さすがにそれだと使えないだろ。今日の犯行はなくなる」
さすがは、田川だった。一見何も考えてない風に見えて、実は非常に頭の回転が速い。
「車での犯行を諦めたとして、もし二人で女性宅に押し込みってことになったら・・・」
「後つけて、犯行に及んだら止める。向こうも二人。こっちも二人。
いざとなったら、俺一人でもぶん殴って止める」
「相手は、ナイフを持って武装してるよ」
「腹と背中にになんか仕込んどくわ」
あっけらかんとした田川に、拍子抜けする篠崎。
そんな簡単に物事が進むのだろうか。
嫌な予感だけが胸の内をかけめぐる。
今日の犯行を止めるだけではなく、あの部屋に監禁するところまでが、篠崎の役目。
それが終わったら・・・こうしても田川と話しすることもなく、篠崎自身が冷たい肉の塊となって横たわることになる。
あの海の渦の中に落ちたらきっと遺体すらあがらないかもしれない。
「おまえ、なんか隠してんだろ?」
ずばりと言われて、篠崎は少しうろたえた。
「なんか・・・さっきから思ってたんだけど、やけに部屋が片付いてねーか?
お前の部屋って、いっつも汚かったような気がする」
「せっかくの連休だから、大掃除したんだよ」
「じゃあ、あの机の上にある白い手紙はなんだ?」
篠崎は、遺書を机の上に置いていたことをすっかり忘れていた。
人が尋ねてくることなど予想もしていなかったからだ。
田川に、自殺することを知られてしまった。
焦って言い訳が思いつかず、遺書をぐしゃぐしゃにして、ゴミ箱に投げ捨てる。
「ちょっと・・・会社で嫌なことあって・・・思わず書いただけだから・・・。
死んだりしない。死ぬわけないだろ」
田川はため息を一つついて、あきれ顔で篠崎を見つめる。
「レイプ魔二人の犯行止めて、良いことした気になって満足して、死ぬ気だったんだろ?」
「ち・・・ちがうよ・・・」
「しっかりしろよ!!! もう22だろ! 辛いこともあるかもしれねーけどさ、いちいちそんなことで落ち込んで死んでたら世話ないぜ。
死ぬぐらいの覚悟あるなら、なんでもできるだろ?!」
「おまえみたいな奴に何がわかるんだ! 強者のセリフだ! 弱者の想いも知らずに、正論振りかざすなよ!」
「ああ、そうだよ。何が悪い。死ぬなんて選択肢は、人生において無いんだよ!
簡単に逃げんな! 死ぬのなんて卑怯だ!」
「辛いんだよ・・・。もう本当に辛いんだ。生きていたくないんだよ・・・なんで生まれてきたかもわからないんだから、死ぬのぐらい自由にさせてくれよ」
「なんだよ・・・それ。自分勝手すぎる。親の気持ちも俺の気持ちもお構いなしか。お前は一人でここまで生きてきたのか。
人生なんて、何一つ思い通りにいかねぇよ。それでも、諦めずに変えようと努力したやつにだけ未来はあるんだよ。
お前は、ちゃんとその努力をしたのか? 努力して努力して、精一杯生きてそれでやっと死ねるんだよ。
お前に死ぬ資格なんてねぇ。ちゃんと生きてもいないのに」
「俺は、俺なりに生きてきた。何も悪いことせず、毎日ちゃんと生きてきた。
でも、いつの間にか周りととんでもない差がついてた。
みんなができることが、俺にはできない。
当たり前のことが、俺にはできないんだ」
「社会にでて、挫折して、できないことに打ちのめされてるのはわかる。
でも、そこがすべてじゃない。お前のすべてが否定されてるわけじゃない。
今いる場所は、通過点でしかない。全部じゃないんだ。
階段を一気に十段は上がれないけど、一歩ずつなら上がれるはずだ。
できることを見つけろ。それを必死にやれ。
食らいつけ。生きることに食らいつけ。
どうしてもできないなら、休め。何も考えずにただ休め。
でも、絶対に死ぬな」
篠崎は、引き留めてくれる友がいることに感謝した。
自分の死を嘆いてくれる者が一人でもいたことに、喜びを感じると同時に、自分がこれから成そうとしている恐ろしい計画を思い、その罪を背負って生きていけるだけのタフさは持ち合わせていないことを改めて知る。
息を吐くように嘘をつこう。精一杯の嘘を突き通そう。
どんなに励まされても、鼓舞されても、それを感謝しつつも篠崎の死への決意は揺らがなかった。
篠崎は、肩で大きく息をして、泣きながら笑う。
「ありがとう。何ができるかわかんないけど、俺がんばってみる」
田川も大きくうなずく。
あの日見た海の風景が、潮の流れる音が頭にこだまする。