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ネタ帳  作者: 加茂セイ
4/21

Across The Gate Ⅱ

     プロローグ



「……現在、この世界では、最悪の事態が起きています」


 VRMMOゲーム“Across The Gate Ⅱ”――通称“ATGⅡ”にログインして、ミドという村にある神殿内に出現した私は、広間にいた美しい女性に、開口一番こう告げられた。

 名前からして、いわゆるNPCノンプレイヤーキャラクターではないようだ。

 青石色の眼と水色の髪をした彼女の頭上には、半透明の小さなネームタグが浮かんでいて、そこには奇妙な顔文字が表示されている。

 にこにこ顔でばんざい――これは、以前友人に教わったことがあった。

 別に大喜びしているわけではなく、どうしようもない状況に陥ってしまい、もう笑って両手を上げるしかないという、逆説的な意味合いを持つ顔文字だったはず。


「えっと、オワタさん? ですか?」

「――落ち着いて聞いてください。ハシビロ・コウさん」


 自分の名前のことには一切触れずに、水色の髪の女性は私の両肩に手を置いた。

 ちなみに、私の名前はアフリカの熱帯地方に生息するという奇妙な鳥からとった。何時間もじっとして、餌であるハイギョの息継ぎを待つ彼らの忍耐力と佇まいが、私はたまらなく好きだった。姿形も渋い。だから、私のキャラクターは無理やりその鳥に似せて作ってある。

 具体的には、後頭部が尖がったオールバック風の灰色の髪と、吊り上がった金色の眼、褐色の肌、そして無表情。かなりの強面に仕上がったと自負している。


「コウさん、とお呼びしてよろしいかしら?」

「はい」

「ゲームを始める前に、十五分だけわたくしに時間をいただけませんか? パーティやギルドの勧誘ではありませんから。どうか、ぜひ――」

「ええ、まあ。それくらいでしたら……」


 あからさまに怪しいお誘いだったが、オワタさんの声が優しげな響きを持つ、落ち着いた大人の女性のものだったこともあり、私は了承することにした。

 “ATGⅡ”のキャラクターメイキングは少し特殊らしく、最初にサンプルボイス――自分の声を登録する必要がある。

 つまり、現実世界と同じ声でゲームをするわけだ。

 ゆえに、作成されたキャラクターと現実世界リアルの性別は、ほぼ一致する。

 たとえば、男性プレイヤーが精魂込めて完璧な美少女キャラを作ったとしても、野太いだみ声でしゃべるとなれば、まともな感性を持つ者であれば耐えられないだろう。

 逆もまた然り、である。

 ちなみに“ATGⅡ”は販売方法も特殊で、マイナンバーで認証を行うサイトを経由しなければ、ソフトの購入もダウンロードもできない。そして、その男女の比率は、ほぼ一対一になるよう調整がされているという。

 当然のことながら、ゲーム大好きな男性の倍率は恐ろしいほどまでに跳ね上がり、落選者たちが募るネットの掲示板は、阿鼻叫喚の地獄絵図。未だ発表されていない二次募集についても、悲壮感漂う自虐的な書き込みで溢れかえっているようだ。

 幸いなことに、現役女子高生である私は、すんなりとこのゲームを購入することができた。

 正式サービス開始の時間――午後一時ちょうどに、ログイン。

 キャラクターメイキングで三十分、基本動作チュートリアルで二十分ほどかけて、ようやく私は“ATGⅡ”の世界へと舞い降りたところなのである。


「どうぞ、こちらにいらして」


 ややお嬢様キャラを作っている感のあるオワタさんは、丁寧な口調と優雅な足運びで私を神殿の外へと案内した。


「わぁ、すっごいリアル!」


 太陽の光が、眩しい。

 さらさらと流れる木の葉の音と、土と草花の香り。

 頬に受ける微妙な風の圧力、身につけている服の質感、そして、土を固めた道を踏みしめる感覚。

 これは――現実世界と、まるで変わらないではないか!


「ひょっとして、VRMMOは初めてかしら?」

「はい。実は、部活の友達に誘われて。私はゲーム苦手なんですけど、何時間でも、何百本でも、好きなだけ矢を撃てるっていうから。あ――私、弓道部なんです」

「……そうなの」


 理由は分からないが、弓道部であることを人に話すと、高確率で「すごいねぇ」と感心される。しかしオワタさんは、まるで何も知らない可哀相な子でも見るような目で、はかなく微笑むのであった。

 ぶっとんだ名前のわりには、かなりテンション低めな人である。


「それにしても……。なんだか、人が少ないですね」


 きょろきょろと周囲の様子を観察しつつ、私は正直な感想を漏らした。

 今日は“ATGⅡ”が開始された記念すべき日のはずだ。それなのに、ゲーム開始とともにプレイヤーが出現するはずの村にしては、どこか閑散としているように思えたのだ。

 道すがら何人かとすれ違いはしたが、ネームタグの色が違う。オワタさんの説明では、彼らはNPCであり、「声をかける」などの一定の行動条件を満たさなければ反応しないらしい。


「さ、この店に入りますよ」


 喫茶店らしき店内も、がらんとしていた。

 一番隅にあるテーブルに座ると、メイド服を身につけた可憐なNPCの少女が駆け寄ってきて、ぺこりとお辞儀した。黒髪ショートボブには、猫耳がふたつ飛び出している。そして、腰の辺りでうねうね動いているのは、間違いなく尻尾。


「おおう。猫耳メイドのウェイトレスさんだ!」

「いらっしゃいませぇ~。ご注文をお伺いします」


 おそらくアニメの声優がサンプルボイスを提供しているのだろう。少し鼻のかかった甲高い声だ。頭を上げた猫耳少女がにこりと微笑み、右手を斜めに構えた瞬間、視界の中に料理のメニューウィンドウが現れた。

 画像も料理名も表示されているが、どういう味なのか検討もつかない。しかも今の私は、おそらく所持金ゼロの素寒貧すかんぴんである。


「コウさん、ココアはお好き?」

「……あ、はい」 

「じゃあ、それに似た飲み物にするわね」


 どうやら奢ってくれるようだ。

 オワタさんは空中に絵を描くように指を滑らせた。他人の操作ウィンドウは見えないらしい。

 三十秒と経たず、ココア色をした熱い飲み物が出てきた。


「どうぞ、遠慮なくお飲みになって」

「いただきます」


 バニラとチョコレートを合わせたような香り。味はココアに似ているようで似ていない。無理やり名前をつけるならば、“さわやか洋風おしるこ飲料”だろうか。

 これはこれで美味しい飲み物だったが、味の分析をしたせいで、微妙な表情が出てしまったらしい。オワタさんが少し心配そうな顔をしたので、慌てて「美味しいです」と感想を述べた。


「よかった。これは、“ルンボゥ”という飲み物なの。“第二門世界セカンドゲートワールド”に“ルンボボの実”という木の実があって、それを料理スキルで加工すると“ルンボゥの粉”ができるわ」


 一杯で五百リゼ。高いのか安いのか分からない。


「……それで、話というのはどのようなことでしょうか?」


 早くこの世界の弓矢を試したかった私は、話を促すことにした。

 オワタさんは上品な仕草で“ルンボゥ”に口を付け、それからことりとカップを受け皿に戻す。


「わたくしの役割は、コウさんにとても残酷な事実を伝えること。何を言っているのか分からないかもしれないけれど、とにかくまずは――しっかりと覚悟を持って欲しいの」


 沈痛な表情と口調。そして、不吉感漂う前置き。ここまでお膳立てされては、警戒せざるを得ない。


「わかりました」

「では最初に、メニューウィンドウを開いていただけるかしら?」


 この世界に降り立つ前、奇妙な小部屋で行った基本操作チュートリアルを思い出す。一番最初に習ったのが、ウィンドウの操作方法だ。


「“オープン・メニューウィンドウ”」


 私が口にしたキーワードに反応して、半透明のウィンドウが目の前に現れた。顔の向きを変えるとつられてウィンドウも動いてしまうので、目玉と指のみを動かして操作する。


「ログアウト、できるかしら?」

「……ボタンの文字が、灰色になってます」


 他の文字は黒色なので、明らかに押せないっぽい配色だ。ためしに指先で触れてみたが、やはり反応はなかった。他のボタンはタップすることができて、別のウィンドウが表示される。


「……」


 落ち着け、私。

 ざわつく心を落ち着かせながら、私は“ルンボゥ”をひと口飲む。

 オワタさんもひと口。


「故障、でしょうか?」

「……バグではないようね」


 最初に私の頭の中に浮かんだ不吉な未来像は、親に叱られる――というものだった。

 今日は土曜日。私は午後一時ちょうどにログインし、ゲームの中で友達と合流して、二、三時間くらい遊んでからログアウトする予定だった。夕食の買い物と手伝いがあったからである。

 このままずっとゲームの中にいたら、いずれ不審に思った親が私の部屋にやってきて、強制ログアウトさせられるだろう。

 それから、「買い物は? 晩御飯は?」と、問い詰められるに違いない。 


「その、運営の人に連絡をとるとか。何か方法はないのでしょうか?」

「通常は、オプションウィンドウに緊急コールボタンがあるわ。開いてみて」


 コマンドを呟いてオプションウィンドウを開いてみたが、緊急コールボタンの文字もまた灰色だった。


「わたくしも――いえ、わたくしたちも、ログインしてすぐにこの異常に気づき、様々な方法を試してきました。しかし、六年近くが経過した今でも、ログアウトする方法や現実の世界と連絡をとる方法は発見されていないの」


 これはもう説教確定である。私の両親は私以上にアナログだから、ゲームの仕組みを説明したとしても理解してはくれないだろう。

 いさぎよく怒られて、夕食はありあわせの食材で作ろうか。

 目玉焼きに食パン――いかん、朝食とまったく同じメニューだ。

 こういう時にインスタントラーメンがあればよいのだけれど、そういった食品は、母親が嫌いなので、買い置きがない。高校生になって初めて食べることができたカップラーメン、あれは美味しかった……。

 と、ここまで妄想してから、はっと私は気づく。


「……ろく、ねん?」

「そう。六年よ」


 オワタさんはカップの中身を一気に飲み干して、その熱さに涙を浮かべた。

 それから、残酷な事実とやらを説明した。

 VRMMOゲームの中と現実の世界では、時間の流れる速度が違う。この比率“TSR《Time Stretch Ratiо》”については、ゲームによって設定が異なるが、“ATGⅡ”の場合、事前の仕様では二倍とされていた。

 つまり、“ATGⅡ”の世界で二時間遊んだとしても、現実の世界では一時間しか経過しないことになる。


「あ、そういえば、友達が言ってました。このすごい機能があるから、VR技術はビジネスの世界でも大活躍してるって」


 別名、“時を買うシステム”――確か、今世紀最大の発明と言われていたはずだ。

 この機能は、特に電子的なデータや資料を作成する場合に、絶大な効果を発揮する。VRの世界では肉体的な負荷があまりかからないので、長時間に渡って作業ができるし、“TSR”をある程度任意に設定することができる。もちろん、VRの世界で作成した電子データは、現実世界でも利用することが可能だ。


「しかし、その仕様は間違っていたの」


 オワタさんは言った。


「この世界の――“ATGⅡ”の“TSR”は、十万倍です」

 文字通り、この世が終わってしまったかのような顔で、オワタさんは言った。


「現実世界では、まだ三十分しか経っていない。でも、この“ATGⅡ”の世界では、その十万倍――すでに、六年近くが経過しているの」






 実はキャラクターメイクを行うツールに関しては、先行配布されており、事前に作り込

みをすることが可能だったらしい。

 大多数のプレイヤーたちは、午後一時を迎えると同時にログインして、さっそくゲーム開始。始まりの村ミドに降り立った。

 私の場合は、キャラクターメイキングで三十分、そしてチュートリアルで二十分をかけたわけだが、チュートリアルの開始時点から“TSR”十万倍は始まっていたようで、現実世界の時刻はまだ午後一時半らしい。

 私のように少し遅れてこの世界にやって来るプレイヤーもぽつぽついるようで、それはゲーム内の世界で一週間にひとりくらいの割合だという。

 だから、“始まりの村”にプレイヤーがいなかったのだ。

 計算すると、現実世界の一時間は、この世界では十万時間――つまり、約十一年と五ヶ月になる。私の人生の半分以上だ。

 たとえば、四時間後に強制ログアウトされると仮定すると、約四十五年と半年。

 私の今の年齢を加算すると――いや、やめよう。

 さすがにあ然として、そんなことが本当に起こりえるのかと質問すると、オワタさんは「だって現実ですから」と、何かを諦めたような笑みを浮かべた。

 現在市販されているVR製品の“TSR”は、最大で三倍。これは、使用者の脳や精神にどのような影響があるかの検証が充分でなく、国による規制がかかっているためである。また、大学や民間の研究機関で製作されているVR実験機でも、四倍が最高だったという。人間の脳の記憶速度が壁となっており、大きな技術的革新ブレイクスルーがなければ、“TSR”五倍の壁を越えることはできないとされていた。

 いや、そのはずだった。


「もう少し詳しい説明を知りたければ、メールをご覧になるといいわ」


 メールウィンドウを開くと、未読メールが一通だけあった。件名は「ようこそ! “Across The Gate Ⅱ”の世界へ!」。タップしてメールを開く。そこには現在の状況が丁寧な文体で事細かに書き込まれていた。

 ざっと流し読みしたが、大まかな内容はオワタさんの説明と同じである。


「ゲーム開始と同時に、同じメールがすべてのプレイヤーに送られているの。つまりこの状態は、誰かの意図的な行為により引き起こされた、人災ということよ」

「……っ!」


 当初、プレイヤーたちの中には、このおふざけそのものが仕様だという楽観的な意見もあったようだが、ゲーム内時間で六年近く経った今では、明確な悪意を持つ者によるテロ行為という見方で一致しているそうだ。

 手紙の中には、さらに絶望的な事実が書かれていた。

 “TSR”が三、四倍程度であれば、現実世界の脳と連携することができるが、十万倍となるとそうはいかない。脳の処理速度はともかく、記憶能力が追いつかないからだ。

 “ATGⅡ”では、ゲーム内での記憶を特殊なサーバ――仮想脳エアブレインサーバというらしい――内で管理しているという。

 つまり、どういうことかというと……。

 幸運にも短時間で強制ログアウトした人がいたとしても、当の本人はゲーム内での出来事を何も覚えていないということだ。

 これでは、運営や警察に状況を報告して、対応を依頼することもできない。

 現実的に考えて、この世界を抜け出す方法はふた通りしかないと、手紙の主は書き記していた。

 ひとつは、VR機からの強制ログアウト信号を待つ方法だ。

 VR機はヘルメット型をしており、頭頂部分に強制ログアウトボタンがついている。身内や知り合いが発見してこのボタンを長押ししてくれたならば、現実世界で約一分――“ATGⅡ”の世界では約七十日間でログアウトされる。ちなみに、VR機本体に組み込まれている最大連続使用可能時間は、二十四時間――約二百七十四年間我慢すれば、全員がログアウトできるとのこと。

 気の遠くなるような話である。

 そしてふたつ目が、手紙の主曰くお勧めの方法で“ATGⅡ”をクリアすることだという。

 “ATGⅡ”には七つの門があり、それぞれが別の世界へと繋がっている。七つの世界には支配者である魔王がいて、すべての魔王を倒すことができれば、“ATGⅡ”はクリアされるという。通常のVRMMOの場合、その後も世界が続くことが多いが、“ATGⅡ”は最後の魔王が倒された時点でゲーム終了。世界が崩壊し、プレイヤー全員が強制ログアウトされるという。

 手紙の最後は、こんな文章でまとめられていた。




 ――皆様にとっては悪夢かもしれませんが、見方を変えるならば、“Across The Gate Ⅱ”は、皆様が一生をかけるだけの価値のある、世界で初めての、そして唯一のゲームと言うことができるでしょう。

 では、皆様のご健闘とご活躍を祈ます。

 よき旅を――


                            ゲートを統べる王 バルス




「あっはっはっ!」


 この世界の事情を理解した私は、もはや笑うしかないという心情だった。

 だから、遠慮なく笑うことにした。


「これはもう、やるっきゃないですね」


 オワタさん情報によると、現在“Across The Gate Ⅱ”にログインしているプレイヤーの総数は、四千名弱――そのうち九割以上のプレイヤーが、一度は“ATGⅡ”のクリアを目指すことを選択したという。

 であるならば、人生経験の少ない女性高生である自分がいくら考えても、別の答えは出ないだろう。そもそも頭で考えて、くよくよ悩むのは苦手な性質たちである。後先考えずに、とにかくやってみるしかない。


「たとえゲームでも、中途半端に終わらせるつもりはなかったですし、せっかくですから、弓道ライフを楽しみますよ」


 私の答えがよほど意外だったのか、オワタさんは口をぽかんと開けたまま、濃い青色の目をぱちくりさせた。

 それから、胸に手を当てて安堵の息をつく。


「よかった――」


 私が女子高生ということもあり、取り乱すのではないかと心配していたらしい。


「わたくしたちは、攻略の意思を持つ勇敢なプレイヤーがひとりでも多く必要なの。だから、とっても嬉しいわ!」


 そう言ってオワタさんは、両手をぽんと合わせた。

 しかし、過度な期待をされても、正直困ってしまう。

 私は友人のカナと違って、まったくのゲーム初心者だ。カナもまた同じ弓道部なのだが、ゲームジャンキーである。別のゲームで弓兵アーチャーという職業を試したという彼女曰く、現実世界とVRMMOゲームの世界では、どうにも勝手が違うらしい。

 そもそも実践では、一本一本呼吸を整えながら、残心を意識しながら悠長に撃っている暇などないだろう。今ある知識と技術が、果たしてどこまで通用するものなのか。


「ふっふっふ。心配しなくても大丈夫よ」


 小鼻を膨らませて、オワタさんは笑った。


「この世界には、“ギルド連盟”という組織があって、初心者ニュービーに対して手厚いサポートを心がけているの。コウさんには、装備制限のないランク三の弓と矢を差し上げるわ。それに、高レベルのアーチャーを三日間、指導員としてつけます。効率のよい狩場で一気にレベルを上げて、まずは安全を確保しましょう!」


 ひょっとすると、オワタさんの現実世界リアルの職業は、教師ではなかろうか。おしとやかな令嬢の仮面がはがれて、熱血キャラが顔を出している。


「いえ、せっかくのお申し出ですが、お断りします」

「……えっ」


 習うより慣れろ――これが私のモットーだ。

 しかも、我が強い性格で、ひねくれ者のおまけ付き。自分自身でとことんやり尽くし納得しなければ、次の段階ステップに進めない。他人に合わせることが、どうにも苦手なのである。おそらく、指導役のプレイヤーにも迷惑をかけてしまうだろう。


「“ルンボゥ”ご馳走さまでした。貴重な情報も聞けて、助かりました!」


 先ほどから視界の中に浮かんでいる矢印のマーク。この方角に進んでいけば、おそらく何かのイベントが始まるのだろう。

 一礼して歩み去ろうとする私を、オワタさんは引きとめようとしたが、私の意志が固いことを知ると、指先で素早く空中をタップした。


「困ったことがあったら、遠慮なく連絡してちょうだい」


 軽やかな鐘の音とともに、私の視界に小さなメッセージウィンドウが開く。


『\(^o^)/さんから、フレンド登録依頼がきました。受けますか? YES/NO』


 “YES”のボタンに指を合わせながら、内心私は首を傾げる。

 どうしてこんな名前にしたのだろう。

 いたって常識的な、大人の女性だというのに……。 

 





     第一門世界   花咲く森の魔都



          (1)


 ――村の田畑を荒らす“牙猪ファング・ボア”を十体、倒して欲しい。

  

 それが、ミドの村の村長からの依頼であった。

 村長宅の地下には武器庫があって、最低ランクの武器を借りることができた。

 サバイバルナイフ、木こりの鉈、熊皮のグローブ、狩人の弓……。

 迷うことなく狩人の弓を選ぶ。

 アイコンを操作して、装備ウィンドウの手の部分にドラッグすると、かすかな効果音とともに左手に弓が現れた。


「おお、出た」


 同時に背中にも重みがかかる。矢筒が装備されたのだろう。

 和弓と比べると、かなり小さな弓だ。

 そして、矢の数は――なんと、∞本。

 装備類は依頼達成後に返却する必要があるようだが、これは存分に練習してよいという配慮なのだろう。

 ためしに、村外れの森の入口付近にある木の幹を撃ってみる。

 矢を弦につがえると、身体が一瞬、拘束されたように動かなくなった。その後、自動的に左右の手が動き、弓を引き、矢が放たれる。

 動作アシストという機能が働き、攻撃したようだ。

 まったく動けないというわけでなく、弓を持つ左手で標準を定めることができる。両腕に強く力を込めると、アシスト機能が解除され、攻撃動作が中断された。


「……便利だけど、違和感ありすぎ」


 姿勢や呼吸などに関係なく、安定した軌道で矢を撃てるのはよいが、これまで身体で覚えてきた動作と微妙に異なるため、どことなく気持ちがわるい。しかも、自分で撃っている感じがまったくしない。私はアシスト機能をカットすることにした。

 アクトウィンドウの中、歩くや走るなど、様々な動作に対してアシスト機能をON・OFFすることが出来るようだ。アタックタグの中の弓射をOFFにして、もう一度撃ってみる。

 目標を大きく外したが、とりあえず矢を飛ばすことはできた。


「力加減が難しいけれど、なかなか面白いな。いくら撃っても疲れないし、何よりも矢がなくならないのがいい」


 距離約十メートルの幹に八割方命中させることができるようになると、今度はちょっと遠くの幹を狙ってみる。

 おおよそだが、遠距離競技用の六十メートル。

 目標に向かって集中すると、突然視界が変わり、拡大された幹が表示された。


「うわっ」


 驚いて集中力を切らした瞬間、視界が元に戻る。


「何だ、今のは……」


 もう一度試してみると、やはり視界が切り替わる。中心には十字のマーク。これは、ライフル銃などのスコープのようなものだろうと検討をつけた。

 遠くの的に当てるには、やはり視力が重要になる。

 しかし私は、この機能も気に入らなかった。

 弓を放った瞬間、矢が美しい曲線を描いて、的に吸い込まれる――その過程が好きだというのに、拡大された視界では、初動と結果しか把握することができない。それに、視界が異様に狭くなるのも不安に思えた。


「……カットだな」


 ウィンドウを手当たり次第に開いて、ようやく見つけたスコープ機能をOFFにする。

 これで、準備が整った。

 一本一本動作を確認しながら、一定のリズムで撃っていく。

 ビュン――ザザッ。

 ビュン――ザザッ。

 的に当たらない。矢は森の中の空間に吸い込まれ、地面を削っていく。

 焦りはなかった。現実世界と仮想世界では、身体の造りや感覚そのものが違うのだから、失敗を糧に少しずつ微調整していく他ないだろう。

 しかし、当たらない。当たらない。まずい、口元がにやけてくる。何だか初心者に戻ってしまったかのような、くすぐったい感じだ。

 その後、三十本以上の矢を放っただろうか。

 ビュン――トン。

 ようやく的に当たった。

 と、同時に、甲高い効果音が鳴って、メッセージが現れる。


『ポン♪ “精密動作”が向上しました』


 何となくコツがつかめてきた。

 百本撃つごとに、何本狙ったところに当たるかを、矢尻の先を利用して、地面に書き記すことにした。

 最初の百本では、三本。


『ポン♪ “力”が向上しました』


 次の百本では、五本。

 次の百本では、六本。


『ポン♪ “精密動作”が向上しました』


 少しずつ、この世界の感覚や法則に寄り添っていく。

 矢を放つ瞬間に、当たりか外れかが分かるようになる。

 そうなると、俄然面白くなってくる。

 水分補給の必要がないこともあって、私は頭の中が真っ白になるまで矢を撃ち続けた。


『ポン♪ “精密動作”が向上しました』


 何度目のメッセージだろうか。

 気付けば、ゲーム内の時間は、午後五時。空は鮮やかな夕焼け色に染まり、その中を小さな鳥の影が群れをなして飛んでいた。

 村長と話をして依頼クエストを受けたのが、午前十時ごろだったと記憶しているので、昼食もとらず、七時間もぶっ続けで矢を放っていたことになる。

 肉体的、精神的な疲労は感じなかったが、身体の動きが鈍く、空腹感があった。


「“オープン・ステータスウィンドウ”」


 名前:ハシビロ・コウ

 レベル:一

 HP:二〇/二〇

 AP:一/一

 疲労度:一〇〇/一〇〇

 カロリー量:一七/一〇〇

 積載量:二五/四〇

 所持金:〇リゼ


 最初のチュートリアルで基本的なステータスの説明があったので、思い返してみる。

 レベルが上がると、HPとAPが上がる。

 HPはヒットポイントといって、これがゼロになると死んでしまう。

 APはアクトポイントといって、これがゼロになると、魔法やスキルや緊急回避が使えなくなる。

 疲労度は身体を動かしていると増えていく。これが百に近づくにつれて、身体が重く感じるようになり、一時的に最大APが減少する。回復させるには、休憩するか、睡眠をとるしかない。

 カロリー量というのは、空腹感を示す数値のようだ。時間とともに減っていき、これがゼロになると、力、集中力が落ち、さらには最大HPと最大APも一時的に減少する。

 積載量は荷物の重さである。私の場合は服と靴と弓を装備しているので、その重量の合計が二十五キロというわけだ。積載量が最大積載量を越えると、動きが鈍くなるらしい。

 この他にも細かな数値が設定されているが、今のところは関係ないだろう。

 あと三十分だけやって、それから村に戻ろうか。

 太陽が山の陰に隠れると、周囲は一気に暗くなる。的が見えづらくなったので、村長の屋敷に戻ることにした。


「おや、冒険者さん。どうされました?」

「あの、食事をしたいのですが」

「あそこの角を曲がったところに、村で唯一の喫茶店がありますぞ」

「泊まる場所は?」

「その三軒先に、宿屋がありますぞ」

「……お金、かかります?」


 好々爺とした白髪の老人は、ゆっくりと頷く。

 ――困った。

 腕を組んで唸ってみるが、その間、老人はまったく反応しない。


「あの、報酬の前借りはできますか?」

「できませんな」


 ゲーム初日。

 私は村の道端で、生まれて始めての野宿をすることになった。






『リリン♪ シエルローゼ・マーガレットさんから、緊急コールです』


 寝ぼけ眼を開くと、目の前に固定電話のような小さなアイコンがあり、左右に激しく揺れていた。

 指先でタップすると、切羽詰ったような友人の声が、直接頭に響く。


『――コ、コウ? コウなの? ちょっと、返事して~!』


 朝っぱらから、異様にテンションが高い。

 心の中でため息をつきつつ、私はもごもごと返事をした。


「ん~、うん」

『い、今、どこにいるの? 始まりの村?』

「ん~、そう。村長の家の、前……」

『すぐ行く!』


 一方的に会話が途切れて、私は再び目を閉じた。


「コウ!」

「ぐえっ」


 再び目を覚ましたのは、一分後か二分後か。いきなり上半身を起され、抱きつかれ、強く揺さぶられる。


「コウ――コウ! やった、やっと会えたよぉ~!」

「ちょ、苦しっ」


 視界に入っているのは、ストロベリーブロンドのふんわりショートカット。淡い桜色の外套。そして銀色の肩当て。ごちゃごちゃとした鎧を身につけているようだ。

 存分に泣き叫んでから、ストロベリーブロンドの少女はじっと私の顔を見つめてきた。


「相変わらず、ピンク大好きだな、カナは」

「~~~~~~っ」


 コケティッシュな顔が歪み、大きな若葉色の眼から再び涙が溢れてくる。


「来てたんだったら、どうして――」


 すぐにコールしてくれなかったのかと、カナは責めた。


「ごめん。カナの名前、覚えられなくて」


 事前にプレイヤーの名前を教え合い、ゲームの中で落ち合う予定だったのだが、私はカナの名前を忘れてしまったのだ。まあ、しっかり聞いていなかったとも言う。


「私は、毎日、毎日――あなたの名前、探したのよ! この、六年間、ずっと――」


 そこで、ようやく私は思い出した。

 昨日、この世界の事情を、オワタさんから聞いたのだ。

 事前にキャラクターメイキングを終わらせていたプレイヤーたちは、ログインとともにこの世界に降り立ち、すでにゲーム内で六年近くの時を過ごしているのだと。

 重度のゲームジャンキーであるカナも、そのひとりだったのだろう。

 私にとっては一日ぶりでも、彼女にとっては六年ぶり。

 その間、ずっと待っていてくれたのだ。


「ごめん、カナ。わるいけど――」


 友人の背中を抱きながら、私は苦しそうに顔を歪めた。


「うっ……い、いいの。こうやって無事、会え――」

「お金、貸して」

 

 カロリー量:〇/一〇〇






          (2)


 六年近く経っているのだとすると、カナの精神年齢は二十二、三歳くらいになっているはずだが、こうやってしゃべっている分には、その差はあまり感じられなかった。

 そのことを指摘すると、シエルローゼ・マーガレットことカナは、可愛らしい顔をぷうと膨らませた。


「どうせ私は、昔から子供っぽいですよーだ。でもね、こう見えて私、攻略組みの中でもトップクラスの実力者なんだから」


 “ATGⅡ”の世界に閉じ込められたプレイヤーの数は、四千弱。その中でも、最前線である“第四門世界フォースゲートワールド”で戦っているプレイヤーたちは、三百名に満たないのだという。レベルでいえば、おおよそ八十の猛者たち。彼らはまた、全プレイヤーの希望の光でもあった。そういう意味では、カナは偉い。

 偉い偉いと褒めつつ頭を撫でると、カナは「もう、子供じゃないんだから」と嫌がりつつも、まんざらでもなさそうだった。

 村で唯一の喫茶店には、相変わらず客がいない。おかげで遠慮なく話をすることができる。肉団子の入ったスープパスタ――ようなものを食べながら、私は気になったことを質問した。


「それで、攻略組み以外のプレイヤーたちは何してるの?」

「生産系に特化した人たちが、だいたい百人くらいかな? あとは、引きこもりが多いみたい」

「……引きこもるのは、現実世界の話でしょ?」

「最初はみんな、頑張るんだけどね」


 何度か命を落として、やる気をなくしていくらしい。


「なんで? ゲームクリアしないと、ログアウトできないのに」

「コウには分かんないかもしれないけれどさ」


 そう前置きして、カナは説明した。

 “ATGⅡ”の世界では、たとえHPがゼロになり命を落としたとしても、すぐに復活することができる。ただし、レベルは一に戻されるのだという。銀行に預けたお金やアイテムは残るが、装備品などはすべて消滅する。

 何ヶ月、何年もかけて積み上げてきたものが、一瞬で消し飛んでしまうわけだ。

 心はくじけ、気力は磨り減り、希望をなくす。

 そして、最終的には他人任せになる。


「だから今、攻略組みのプレイヤーは、神さまみたいに扱われてるわ。街を歩いているだけで拝まれたりするもん」

「なんか、世紀末って感じだね」


 かなり荒んだ状況に陥っているようだ。

 食事を終えてお茶を飲んでいると、カナがじっと見つめてきた。


「それで、コウはどうするの?」

「――頑張る」


 どうにもならない状況であることは分かった。自分にできることも限られている。いずれは攻略組みとやらに参加せねばとは思うが、実戦経験にして六年もの開きがあるのだ。弓道だって六年間も続けていれば、その差は歴然だろう。上を見上げてもきりがないので、とにかく、足元よりちょっと先を見つめて、少ずつ進んでいくしかない。


「やっぱり、コウは変わらない!」


 まだ一日しか経っていないのだから、変わりようもないのだが、カナはいたく感動したようである。


「私、コウのこと、全力で応援するから。今持てる武器と防具で最高のものを買って、効率のいい狩場で――」

「あ、それパス」


 習うより慣れろ――と、私のモットーはもういいか。

 一瞬、カナは呆けたような顔になり、それから頭痛をこらえるような渋面になった。


「そういえば、コウはそうだった。天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそん……」

「ああ、お春ちゃんがなんかそんなこと、言ってたかも」

「お春ちゃんっ! なつかしい!」


 弓道部の顧問の先生で、穏やかな初老の男性である。白い髭の似合う素敵な紳士なのだが、私を指導する時には、よく目頭を押さえてため息をつく。


「本当に、コウは変わらないね」

「だから、一日しか経ってないんだって。それよりカナ、お金貸して」


 手のひらを上にしてすっと差し出すと、カナは「はいはい」と、嬉しそうに指先で宙を描き、タップした。


「ほとんど銀行に預けてあるから、とりあえず手持ちのをあげるね」

『ポロン♪ シエルローゼ・マーガレットさんから、トレードの申し込みがありました。受けますか? YES/NO』

「え~と、どうすればいいの?」

「YESを二回押せばいいよ」


 よし、完了。

 ステータスを確認すると、素寒貧から大金持ちになっていた。


 所持金:三〇〇〇〇〇リゼ


豪儀ごうぎですなぁ」

「……ときどき時代錯誤な言葉使うよね、コウは」


 ちなみにカナの貯金は、余裕で億を超えているらしい。


「ありがと。出世したら返すから」

「期待しないで待ってる。それより、コウ。これからどうするつもり?」

「――頑張る」

「そうじゃなくて。とりあえずの、具体的な行動目標を聞いてるの」


 矢を撃つ感じはつかめてきたし、もうちょっとここで練習をするつもりだと、私は答えた。


「そうねぇ。ここは“牙猪ボア・ファング”くらいしか魔物がいないから、仮想世界に身体を慣らすには、ちょうどいいかも。いざとなったら、説明係の人を頼ればいいし」

「誰それ?」


 私が最初に出現した神殿の広間。今後現れる新人ビギナーに、この世界の状況を説明し、サポートするために、半日交代で熟練ベテランプレイヤーが待機することになっているらしい。私の場合、オワタさんがたまたまその係だったというわけだ。そうと知っていれば、野宿をすることもなかったのにと、私はがっくりと肩を落とした。


「ミドの村で一日過ごすプレイヤーなんていないわよ。“牙猪”を狩ったらすぐに王都に転移できるし。村長の依頼は、チュートリアル・クエストなんだから」

「へぇ」

「だいたい、“牙猪”の牙か肉を売れば、宿代くらいすぐに稼げるでしょ。なんで道端で寝てたの?」

「一日中、木を撃ってた」

「……」


 この田舎者に社会の常識を教えねばならない――というような感じで、カナは上目遣いに睨んできた。

 しかし、何かを口にしようとした直前、知り合いからメッセージが届いたようで、わたわたと指先で操作する。


「ああっ。もう集合時間過ぎてる!」


 カナは“ファイアー・クラッカー”なるギルドに所属しており、今日は遠征に出発する日なのだという。今のはギルドマスターからの連絡らしい。一週間くらいは王都を離れるということで、「さぼろうかしら」という不穏な呟きが漏れた。


「このゲームをクリアして、現実世界に戻るために、みんな頑張ってるんだろう? じゃあ、カナもいかなくちゃ」

「そう……なんだけどさ」


 ちらりとこちらを見る。この世界の常識を知らない私のことを、心配してくれているようだ。


「無茶はしないし、お金もある。しばらくここで練習してるから」

「うん。分かった」


 カナとはフレンド登録をして、幾つかの回復アイテムを無理やり渡された。最高級のポーションらしく、飲めば一時間、HPが回復し続けるという。


「夜になったら連絡するから」

「うん」

「変な人にギルド勧誘されても、入っちゃだめよ」

「はいはい」

「返事は一回」

「は~~~~い!」


 世話焼きで生真面目なカナとのこういったやりとりは、日常茶飯事だった。感慨深いものを感じたのか、再びカナは瞳を潤ませる。


「……ごめんなさい、コウ」

「何で謝るの?」

「だって、私がこのゲームに、あなたを誘ったから……」


 確かにカナがいなければ、私がVRMMOのゲームに手を出すことはなかっただろう。しかし、悪いのはカナじゃない。バルスとかいう得体の知れない犯人である。だから、カナに責任はないし、謝る必要なんてない。


「そもそも、私がまったく気にしてないんだから、謝っても意味ないじゃん!」


 不機嫌そうに、少し突き放すように言い放つと、カナは驚いたような顔をして、それから現実世界で私がよく知っている、ふにゃけた笑みを浮かべた。


「へへぇ」

「……なに?」


 こんなやりとりも、何度か経験したような気がする。


「やっぱりコウは、男前だね」

「……」


 頬杖をついてじろじろ見てくるので、居心地が悪くなった私は、ぷいと顔を逸らした。






          (3)


 懐は暖まった。

 村の宿にはお風呂とベッドがあり、疲労度は一気に回復する。

 日の出とともに特訓開始。全速力で走り、汗をかく――いや、汗は出ないから、疲労度を溜める。それから、朝風呂に入る。

 カナの受け売りだが、“ATGⅡ”では、お風呂の気持ちよさを再現するために、尋常ではない労力と開発費をつぎ込んでいるという。数値的には、快・不快指数なる隠しパラメーターが一気に跳ね上がるそうだが、その効果は、思わず「あふ~」と喉を鳴らしてしまうほどだった。

 午前八時になると喫茶店“すみれ”が開店するので、朝食をとる。猫耳メイドのウェイトレスに料理の材料や味の説明を受けて、毎回違うものを注文する。

 食後の休憩をとる必要はない。すぐに村外れの森の入口付近へ行き、夕暮れまでひたすら矢を射る。

 夕食は再び“すみれ”で食べて、宿に入る。

 ゆっくりと風呂に漬かり、カナとボイスチャットで話をしながら、うとうとと眠りにつく。

 これが私の最近のライフサイクルだ。

 ちなみに、ゲーム開始から数日が過ぎたが、村長の依頼である“牙猪ボア・ファング”の討伐には手をつけていない。「もう少し待ってもらえまえますか?」と聞いたところ「急いでは降りませんでな」と答えてくれたので、おそらく大丈夫だろう。

 ごめん、村長。私は、自分自信が納得できないと、次の段階ステップに進むことができない頑固で難儀な性格なのです。

 さて、肝心の修行の成果はというと……。

 百本中、二十二本命中。


『ポン♪ “視力”が向上しました』


 一応、周囲には誰もいないことを確認してから、気合を入れるために座右の銘を叫ぶ。


「為せば成る、為さねば成らぬ何事も!」


 百本中、二十三本命中。

 ちなみに私は、修行という言葉が大好きだ。

 現実世界では、矢を撃てる時間は限られていた。学校にある弓射場は午後六時までしか使えないし、部員も多いので、どうしても順番待ちになる。だから、修行と呼べるほどのめりこむことができなかった。

 寝食を忘れて――という境地にはまだ達していないけれど、私は時間が経つのも忘れて、弓を引き矢を撃つだけの発射マシーンと化していた。

 いかん。私今、幸せだ。


「あっはっはー!」


 百本中、命中は二十一本。

 修行をしている過程で、いくつかの発見があった。

 現実世界では、腕を上げているだけで疲れてくる。弓を番える右手より、むしろ弓を構える左手の方がしんどいのだ。

 しかし、身体的な動作が疲労度に繋がる“Across The Gate Ⅱ”の世界では、逆になるらしい。左手は余計な力を入れず、微調整のみ。あとは右手の動きを最適化していけば、疲労度は溜まりにくくなる。

 そしてそれは、連射速度の向上にも繋がった。

 百本ごとの時間を計ると、最初は八分近くかかっていたものが、二日目には五分を切るようになり、今では四分を切った。

 百本中、命中は二十五本。


『ポン♪ “精密動作”が向上しました』


 目標は、命中率七十パーセントと、百秒切り。

 連射速度を上げれば、命中率は下がる。相反する二つの目標を掲げてしまった私は、カナが遠征から戻ってくるまでミドの村でひたすら矢を撃ち続け、「真面目に攻略しなさい!」と怒られてしまった。






 ゲーム開始から十日目の朝。

 時刻は午前八時十五分。


「コウ様ぁ。最近、調子はどうですか?」

「ん~、ぜんっぜんダメ。四十本くらいは当たるようになったんだけど、そこからずっと足踏み中」

「修行を始めてから、まだ十日でしょう? 焦ることないですよぅ」

「ま、そうなんだけどさ。このままじゃ、目標達成までに何ヶ月かかることやら……」


 両手を頭の後ろで組んで、ストローを口にくわえ行儀悪く上下に動かしながら、「まいったなぁ」と私はぼやいた。

 ちなみに、会話をしているのはカナではなく、喫茶店“すみれ”のウェイトレスであるバーやんこと、バリエッタだ。どうせ客は来ないのだからと説得し、対面の席に座ってもらっている。

 黒髪のショートボブにはちみつ色の眼。紺色のメイド服の上に純白のエプロン、そして頭にカチューシャを身につけている。身長は低いが、かなりメリハリの利いたスタイルで、ようするに――細身の巨乳である。私と同じ相反する目標を、バーやんは見事に実現しているのだ。

 そして彼女には、作り物ではない猫耳と尻尾が生えている。

 “ATGⅡ”でプレイヤーが選べる種族は、四種類。その中に“獣人族”はない。バリエッタ曰く、召使いやウェイトレス専用の種族とのこと。わけがわからない。


「そんなに焦らなくてもいいんじゃないですか? コウ様のペースで、じっくり取り組んでいけばいいんですよぅ」


 ありがたい話ではあるが、それではカナたち攻略組みに追いつくことができないだろう。

 “ATGⅡ”には非常に厳しいデスペナルティがある。一度死んでしまうと、転生扱いとなり、レベルが一に戻されてしまうのだ。カナの話では、いくら効率のよいレベルの上げ方を知っているとはいえ、遅れを取り戻すには最短でも二年はかかるのだという。

 そんな重圧と戦いながら、日々強力な魔物たちと戦っているカナたち攻略組みと比べると、今の自分の状況は、まるでぬるま湯に使っているようなもの。その差は開く一方だろう。


「結局のところ、練習量を増やすしかないんだよな」


 しかし、が出ている間はずっと矢を撃っている。

 となれば、夜も練習し、さらに難易度の高い修行にも挑戦するしかない。

 ……何というか、燃えるな! すぐにやろう。

 疲労度が一〇〇になっても、動きが鈍くなり最大APが減るだけで、矢が撃てなくなるわけではない。

 問題は明かりだが……。


「ねぇ、バーやん。この村にLEDランプとか、売ってない?」

「……」


 可愛らしい笑顔を浮かべながら、バリエッタは青筋を立てた。

 おう、漫画やアニメでよく見る怒りのマーク(大)が、こめかみのところに浮かんでいるぞ。


「この世界に、電化製品そんなものはありません! というか雰囲気壊れますから、聞かないでください!」

「そ、そうだよね。ごめん」


 どうやら自分は、この世界に関する地雷を踏んでしまったらしい。

 パレッタは大きな胸に手を当ててふうと息をつき、再び間の伸びた声に戻った。 


「明かりが必要でしたら、道具屋さんにランプかランタンが売ってますよぅ。もちろん、油を使うやつです」


 修行の過程で、もうひとつ気づいたことがある。

 毎朝私は、ミドの村の周囲を全力で走っているのだが、現実世界リアルと比べて、そのフットワークは重い。スピードは出ないし、方向転換も思うようにいかない。

 しかし、メッセージが出て瞬発力が上がると、わずかながら早く走れるようになるのだ。

 おそらく、自分の意思が身体に伝わる速度が、瞬発力として数値化されているのだろう。

 そして、精密動作が上がると、思うように身体が動かせるようになる。

 このことから、私はとある仮説を立てた。

 感覚的にこのVR世界に慣れたとしても、それだけでは限界がある。キャラクターの能力値を上げなくては、弓道そのものの実力は向上しないのではないだろうか。その証拠に、五日目くらいから能力値の上がり方が鈍くなり、それに伴い命中率や連射速度も伸び悩んでいる。

 では、能力値を上げるには、どうすればよいのだろう。

 より難しい行為に挑戦すれば、能力が上がりやすくなるのではないだろうか。

 私の勘は、半分だけ当たっていた。

 最初、的までの距離を一気に約一五〇メートル――狩人の弓がぎりぎり届く距離である――まで伸ばしたのだが、矢が当たらないどころかか、能力は欠片ほども上がらなかった。

 身の程知らずに高嶺の花に手を伸ばしたとしても、意味がないということらしい。

 そこで、六十メートルから十メートル間隔で、距離を伸ばしていくことにした。

 当然のことながら命中率は下がるが、代わりに能力は上がりやすくなった。そして精密動作や視力が上がると、命中率も再び上がっていく。

 そしてさらに、距離を伸ばす。

 夜間にはランタンをともし、独特の雰囲気の中で弓射を続ける。

 視界が狭まり、距離感がつかめず、昼間以上に難易度が高い。

 ビュン――トン。


『ポン♪ “視力”が向上しました』


 そして、ゲーム開始から二十日目。

 充分に睡眠を取り、“すみれ”でカロリーも補給した私は、六十メートルの距離から百本射的を行い、ついに百秒以内、七十本命中を達成することになる。

 次は、いよいよ――“牙猪ボア・ファング”退治だ!



『いやいや、そんなたいした相手じゃないって。レベル一でも楽勝だから』

「……水、差さないでくれる? カナ」

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