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ネタ帳  作者: 加茂セイ
20/21

異世界ヤンキー爆走伝1

     プロローグ




 一九八五年、夏――

 ひとつの生が終わり、伝説が生まれた。




 わずか三年足らずの活動期間中に数々の異名を与えられたその少年は、仲間たちから信頼され、敵対するチームからは恐れられ、多くのリーダーたちに気に入られた。

 彼が率いたチーム、いわゆる暴走族のメンバーはわずか十人足らずだったが、数百人規模のチームからも一目置かれる存在だった。

 無類の喧嘩好きで、スピード狂。

 規則を無視し、大人を嘲笑し、世間に反旗を翻す。

 当時はそれほど珍しくもなかった不良少年。

 しかし。


 ――カリスマ。


 そう。彼には他人ひとを惹きつける魅力があったのだ。

 真面目と不良、すべての少年少女たちに“青春”という言葉が等しく降り注いでいた時代。おそらく人生において最も濃密な期間を、彼は全力で駆け抜けて、死んだ。

 それは、突然の夕立ちに襲われたとある夏の日のこと。海岸沿いの道路をバイクで爆走していた彼は、進路上を不意に横切った小さな影、イタチか野良猫を視界に捉えた瞬間、とっさにその命を救おうと強引にハンドルを切り、そのままコントロールを失ったのだ。

 制限速度を遥かに超えたスピードは、彼の愛車をガードレールにめり込ませた。彼自身は棒高跳びの選手のように宙を舞い、美しい弧を描きながら三十メートル下方のテトラポット群に落下した。

 ヘルメットなど身につけていない。たとえ身につけていたとしても、結果は変わらなかっただろう。

 翌日の新聞、その片隅に数行だけ記されたちっぽけな記事は、彼を知る者たちに計り知れない衝撃をもたらした。

 仲間も取り巻きも、不倶戴天ふぐたいてんの敵も好敵手ライバルも、事故現場に駆けつけては悔し涙を流した。それから、彼が好きだった缶コーヒーとタバコ、そして彼にはあまり似つかわしくない花束を飾った。

 若きカリスマの死は、伝説となる。

 彼の名と生き様は、同世代の少年少女たちの記憶の中に深く刻み込まれ、その死に場所は聖地となり、彼を知らない世代まで語り継がれていく。

 さて、物語はここから始まる。

 彼の意思を継いだ後輩たちが結束し、大立ち回りをする、わけではない。

 あくまでも彼自身の物語だ。

 肉体と精神を失い、名もなき時空をさ迷い続けた彼の魂は、無限の空間と悠久の時を経て、とある世界に舞い降りた。とある港町に住む、とある夫婦の子どもの中に、である。

 唐突だが、人を構成する三要素をご存知だろうか。

 “肉体”、“精神”、そして“魂”である。

 無理やり例えるならば、魂は器である。その中を満たしている液体が精神。そして器の蓋が肉体だ。

 蓋はもろく、液体は気化しやすい性質を持つ。経年劣化や破損により蓋がなくなると、中身はあっという間に蒸発してしまう。

 しかし、器の形や大きさが変わることはない。

 空になった器は名もなき時空をさ迷い、どこかの世界で別の蓋を得て、別の液体で満たされる。

 これが、いわゆる“輪廻転生”の仕組みだ。

 だがごくまれに、強烈な熱量を持つ精神が、魂の器の表面に何らかの痕跡を残すことがある。

 記憶と呼べるほど具体的な代物ではない。それはちょっとした嗜好だったり、何気ない言動だったり、あるいは思いつきだったり、新たなる人生にはほとんど影響を及ぼすことのない、不完全きわまりない情報の欠片かけらだった。

 前世の自分が気合で焼き付けたあかし

 ある意味、自虐的な傷。


「ようするに、だ」


 直感に優れた彼ならば、ゆっくりとタバコを吸い、ふうと紫煙を吐き出してから、こう表現したことだろう。


「アスファルトについた、ブレーキこんだろ?」





     (1)



「ねぇ。レイディのお兄さまって、どんな方ですの?」


 大貴族が使うような立派な馬車の中で恋人のように寄り添いながら、カリン・カリルは甘い口調で問いかけた。

 豪奢な金髪の巻き毛と琥珀こはく色の瞳を持つ、気位の高そうな少女である。ビーズとフリルをふんだんにあしらった仕立てのよいドレスを身につけており、どこからどう見ても大金持ちのお嬢さまだ。


「そうだね」


 窓枠に肘をかけて頬杖をついていたレイディ・キースは、カリンに向かって微笑みかけた。


「とても強くて、頼りがいのある人だよ。細かいことが嫌いで、みんなから商売が下手だって言われていたけれど」


 レイディは銀色の短髪と氷青アイスブルー色の瞳を持つ、たぐいまれなる美男子――いや、美女であった。女性にしては声が低く、涼やかな響きである。飾りつけのない白の上衣と黒色の脚衣ズボンという男装。どこか耽美たんびな雰囲気を漂わせているのは、本人の魅力によるところだろう。

 カリンの方向から横顔を観察すると、耳の形がきれいで、鼻や顎のラインも優美で整っている。長身で手足がすらりと長く、何よりも女性に対する気遣いができる。

 思わず頬を赤らめながら、不潔でがさつな男たちも少しは見習って欲しいものですわと、カリンは心の中で文句を呟いた。


「うちはさ、男三人女二人の五人兄弟だったんだけど、父親が漁の最中に事故に遭ってね。その後を追うように母親も亡くなった。妹が生まれて、産後の肥立ちが悪かったんだ」

「……ご苦労、されたのですね」

「苦労したのはヤンク兄さんさ。つらいとか寂しいとか、僕は一度も考えたことはなかった」


 親しい相手と話をしている時、レイディは自分のことを“僕”と表現する。子どものころは男勝りだったらしく、その癖が抜けないそうだ。


「それに、ヤンク兄さんが漁で稼いでくれたおかげで、兄弟姉妹全員が初等教育を受けることができた。感謝してもしきれないよ」


 カリンはレイディに、彼女の子ども時代のエピソードや家族の話をねだった。


「昔、海で泳いでたら、潮目が変わって沖合いに流されたことがあってね。もうだめだと覚悟したんだけど、怪力鬼オーガのような雄叫びを上げながら、ヤンク兄さんが助けに来てくれたよ。海が割れるかと思うくらい水しぶきが上がって、大きな虹ができた。あれはきれいだったなぁ」

「そ、そうですの」


 かなり豪快な人物のようである。

 二人は王都からレイディの故郷であるヘイポの町へと向かっていた。

 レイディにとっては実に五年ぶりの帰省である。

 その目的は、レイディの兄、ヤンク・キースに、とある依頼をすること。

 レイディとカリンは、王都で活躍する冒険者チーム“シルバーローズ”の中心メンバーだった。所属メンバーは十二名。レイディがリーダーで、カリンがサブリーダーを務めている。

 もっとも、レイディは二十歳で、他のメンバーは十六、七歳の新米冒険者ばかりだ。レイディ以外はシェフィール女子魔法学園の卒業生で、全員が中距離攻撃魔法を使う魔法使い(ウィザード)である。

 接近戦を得意とする戦士ウォーリアは、レイディひとり。

 戦士ウォーリア魔法使い(ウィザード)の比率は、一対十一である。

 何故このような状態になったのか、その理由は明白であった。

 昨年、シェフィール女子魔法学園の臨時指導冒険者として招かれたレイディに、女子生徒たちがお熱を上げてしまったのである。

 学園に莫大な寄付をしていたカリル商会の令嬢であり、学年主席、ヴォルティア騎士団の魔法部隊に配属が内定していたカリンまで野に下ってしまったことは、シェフィール魔法学園にとって予想外の、そして痛恨の出来事だっただろう。

 さて、圧倒的な火力を誇る“シルバーローズ”であったが、拠点を構えた上での魔物殲滅戦においては、他の冒険者チームの追従を許さない活躍を見せたものの、索敵や偵察、部隊連携といった小技には、まったく対応できなかった。

 しかも、不意打ちに弱い。

 “氷の歌姫”レイディの奮闘により、今のところ死傷者は出ていないが、それも時間の問題だろう。

 ようするに、“シルバーローズ”は構造的な問題を抱えていたのである。


「カリンお嬢さま、ヘイポの町が見えてきたようです」


 御者をしていたカリル家の初老の執事が、馬車の連絡窓を開けて報告した。


「やっと着いた。いや、一週間の旅は長かった。早く身体を動かしたいよ」

「あら。わたくしは、馬車の中でも楽しめましたけど?」


 普段は大切な仕事仲間であるメンバーがいるので、聞けないことがいっぱいきけたと、カリンは大満足のようである。

 それぞれの窓を開けて前方を確認する。

 土を固めた街道は下っており、その先に薄い青と濃い青の境目、水平線が見えた。

 赤茶けたレンガ造りの街並みと、白い帆を立てた漁船の群れ。

 海鳥たちがゆるやかに舞っている。


「ああ、潮の香りだ。それにこの風。懐かしい!」


 銀色の髪をなびかせながら、レイディが感嘆の吐息を漏らす。普段、あまり感情を表に出さない彼女は、まるで少年のようにその瞳を輝かせていた。





     (2)



 手紙にあった住所を頼りに、目的の場所へと向う。

 五年前、レイディがヘイポの町を出たあと、ヤンクは漁師を辞め、今は料理屋を開いているという。使わない部屋が増えた実家は船とともに売り払って、店の開店資金に回したらしい。

 金銭感覚が皆無だった兄の行動としては、似つかわしくないような気もするが、五年も経ったのだから、心境の変化でもあったのだろう。そんなことを考えながら、レイディは大通りに面した二階建ての建物を観察した。


「ここかな?」

「そのようですわね」


 店の入口は大きく、気軽に入りやすい雰囲気である。扉も看板も手入れが行き届いており、ほこりや染みひとつない。

 扉には「準備中」の札がついていた。

 この向こう側に、兄がいる。

 意を決して、レイディは扉を開いた。

 店の中はカウンターとテーブル席が五つ。三十人ほどが入れるようだ。


「あ、お客さん? 今は準備中――」


 カウンターを拭いていた少女がにこりと微笑み、それから少し首を傾げた。


「お姉、ちゃん?」


 やや緊張気味だったレイディの表情が、喜びに変わる。


「ナギサ!」


 叫びながら駆け寄って、少女を思いきり抱きしめた。


「ちょ、お姉ちゃん、苦しいよ」

「ナギサ、大きくなったね! 僕のこと覚えてる?」

「忘れるわけないよ。それに、手紙でやりとりしてるでしょ?」


 少女の名前は、ナギサ。十四歳である。

 肩の上で切りそろえた栗色の髪に、榛色ヘイゼルの瞳。清楚で可愛らしい顔立ち。小柄でほっそりとした体形で、紺色のワンピースに白いエプロンがよく似合っている。

 熱烈な抱擁から抜け出すと、ナギサは入口に立っていたカリンに挨拶をした。


「はじめまして。レイディの妹の、ナギサ・キースです」


 カリンは優雅に返礼した。


「はじめまして。わたくしは、カリン・カリルと申します。もうひとり当家の執事がいるのですけれど、馬車を預けて別の宿屋にいますわ」

「お姉ちゃんのお友だち?」

「うん。まあ、仕事仲間かな?」

「遠いところをようこそ、カリンさん」


 ナギサは歓迎し、カリンを店内のテーブルに案内した。


「ほら、お姉ちゃん。荷物はこっちに運んで」

「あ、うん」


 五年ぶりに帰ってきた姉よりも、客人が優先。幼かった妹の成長ぶりに驚きつつも、レイディは指示に従う。

 どうやら兄のヤンクは外出中らしい。お茶が出て、全員がテーブルに着いたところで、互いに情報交換をすることになった。


「それにしても驚いたよ。ヤンク兄さんが漁師を辞めるだなんて。父さんの船を大切にしていたのに」

「漁師は儲かるけれど、危険もあるから。私のためにあきらめてくれたんだよ」


 十三年前、父親は漁の途中で荒波にさらわれ、そのまま帰ってこなかった。数日後、無人の船だけが、まるで主の想いを家族に届けるかのように湾内に流れ着いたのである。


「でも、頼み事をされた時なんかは、知り合いの船に乗ってるよ。今朝もね――」


 ヤンクには漁師の才能があった。まだ少年と呼べる歳の頃から海に出て、家族全員の生活費と弟や妹たちの学費を稼いでいたのだ。

 今、この町に残っている家族は、ヤンクとナギサの二人だけ。危険を冒してまで稼ぐ必要はないということだろう。

 ナギサはカリンに向かって微笑みかけた。


「うちのお兄ちゃん、大雑把な性格なんですけど、意外と凝り性なんです。だから、料理人とか向いてると思って」

「そうなんですの」


 ちなみにナギサはこの店で店員として働いているらしい。

 受け応えもはきはきしているし、家族の話でカリンがのけ者にならないように、さりげない気遣いもみせている。

 あの大人しかったナギサが、立派になって。

 感動のあまり胸を熱くしたレイディだったが、店の入口の扉が開く音がして、はっとしたように顔を硬直させた。

 光の中から現れた、たくましい人影シルエット


「ナギサ、帰ったぞ」


 どすのきいた声。


「お兄ちゃんお帰りなさい。レイディお姉ちゃん、帰ってきたよ」

「あ? なんだと?」


 男は店の中に入ると、テーブル席を観察するように立ち止まった。

 やや半身で、片足に体重をかける独特の立ち姿ポーズ。片手にもり持ち、肩にかついでいる。上半身は裸で腹に白い布を巻き、裾の方が膨らんだ珍しい形状の脚衣ズボンを身につけていた。


「久しぶりだな、レイ」

「ヤンク、兄さん……」

「お客さんもいっしょだよ。お姉ちゃんの仕事仲間だって」

「あ?」


 濃い黄金色の髪を後ろになでつけている。堀の深い顔立ちに、鋭い三白眼。眉が薄く、眉間には見事な縦じわが刻み込まれている。頬はややこけており、短いハの字型の口ひげと顎ひげをたくわえていた。


「――ひっ」


 凶悪な視線を向けられて、カリンが悲鳴を上げる。


「もう、お兄ちゃん! それ、だめだって言ってるでしょ」


 妹に注意されると、男は鼻の頭をかいて苦笑した。


「わりぃな、嬢ちゃん。こぎたねぇところだが、ゆっくりしていってくれヨ」

「い、いえ。こちらこそ、突然、おじゃましまして……」


 ヤンク・キース、二十七歳。筋骨逞しい長身の男である。ヘイポ漁業組合名誉会長兼、リセラ商店会会長、さらに青年団と消防団の団長を務める、町の顔役だ。

 気の荒い若い漁師たちからは、兄貴アニキと呼ばれている。


「ヤンク兄さん!」


 がたんと音を立てて、レイディが立ち上がった。

 十五歳でこの町を飛び出し、はや五年。身長もかなり伸びたが、それでも兄をやや見上げる形だ。口元をきつく結び、まるで自分の勇気を確かめるように睨みつける。


「兄さん、頼みがあるんだ!」


 ただいまの挨拶もないままに用件を切り出したのは、心に余裕がない証拠である。しかし、本人はそのことに気づいていない。

 焦燥感にかられたレイディの様子を、ヤンクはじっと観察する。


「あ、あの――」


 カリンが震える手で、ヤンクが担いでいるもりの先を指差した。


「か、感動の再会のお邪魔をしまして、も、もうしわけありませんけれど……。それは、一体なんですの?」


 もりの先には奇妙な物体が刺さっていた。

 人間の胴体ほどもある太さで、丸太のような形状。先の方が細く、くるりととぐろを巻いている。表面はどす黒い赤色、切り口は鮮やかな白色で、丸い突起がついている。


「これか?」


 ヤンクはにやりと笑い、もりの先をカリンに突き出した。


「タコだよ、タコ。網ごともっていっちまう大物でな。みんな困ってたのサ。サブの野郎がしくじりやがって、トドメはさせなかったが、何とか足一本だけ回収した。今日はこいつでお祝いだな」


 とぐろを巻いていた先の方がぐねりと動き、カリンの頬をべろん撫でる。


「――ッ」


 悲鳴すら上げることができず、金髪巻き毛の令嬢は、白目を剥いて倒れた。





     (3)



 カリンが見知らぬ寝室で目を覚ました時、すでには落ちていた。


「ううっ……」


 記憶を思い起こしつつ、額に手を当てる。

 憧れの人であるレイディとその家族の前で失神するとは、大失態であった。

 しかし、まるで蛇のようにうごめくあの物体。無理である。


「図鑑では見たことがありましたけど、実物は初めてですわ」


 内陸部にある王都では海産物は珍しく、あったとしても干物ばかりだ。

 魔物たちの中にはよく似た触手を持つものもいたりするのだが、いつも攻撃魔法で殲滅してしまうので、間近で観察したことはない。

 ひとつため息をついて、カリンは身だしなみを整える。部屋を出て階段を下りると、店の中には柔らかなランプの光がともされていた。


「ああ、カリン、気がついたんだね。気分はどう?」

「だいじょうぶですわ。みなさま、ご心配をおかけしました」


 しきりに恐縮するカリンだったが、レイディが「驚かせてごめん」と優しくフォローしてくれた。


「今、料理ができたところだ。座りな」 


 カウンターの中からどすのきいた声をかけたのは、ヤンクである。

 “氷の歌姫”の異名を誇るレイディの兄というからには、それなりの姿形すがたかたちを想像していたのだが、これは完全に予想外だった。

 下町のチンピラのボス。いや、貧民街スラムに潜むという殺し屋一家の頭領のような風格がある。懐からいきなりナイフを取り出したとしても、驚きはしなかっただろう。 

 先ほどは上半身裸で腹に布らしきものを巻いていたようだが、今は黒色の肌着を身につけていた。袖口を捲くり上げているので、二の腕の筋肉がむき出しになっている。だが、エプロンだけが可愛らしい。子犬が二匹じゃれあっている刺繍入りだ。


「カリンさん、こちらにどうぞ」


 鈴を転がしたような声にはっとする。

 可憐な少女が椅子を引いてくれた。天使のような笑顔が強張った心を和ませてくれる。こちらはレイディの妹だと、素直に納得することができた。


「ありがとう、ナギサさん」


 ちょっと変わった響きを持つ名前だった。

 彼女のことは事前にレイディから聞いていた。この少女が生まれてすぐに、母親が亡くなったらしい。名付け親は兄のヤンクで、とても内気で大人しい性格、とのことだったが……。

 ほっとしたのもつかの間、再びどすのきいた声がかけられる。


「今日は、臨時の定休日だ。遠慮すんなヨ」

「は、はい」


 四人だけのテーブルには、様々な料理と酒が並べられていた。

 先ほどのタコらしき物体もふんだんに使われており、カリンはこれ以上礼を失するわけにはいかないと、無理やり笑顔を浮かべながら料理を口に運んで、すぐさま酒で流し込んだ。

 ちなみにカリンは十七歳であり、この国では飲酒可能な年齢である。

 レイディは料理の見栄えや味付けに、しきりに感心していた。


「これ、本当にヤンク兄さんが作ったの?」

「ったりめーだ。つか、料理するとこ見てたろ」


 ヤンクが漁師を辞めて料理人になったのは、ナギサの提案だった。実家と船の処分、店の購入手続き、そして改装の指示もナギサが行ったという。店では給仕の他に、食材の仕入れや会計まで任されているようで、売上げについては、ヤンクはまったく把握していないらしい。

 そんなことでだいじょうぶなのかしらと、商家の娘であるカリンは心配した。


「嬢ちゃん」

「は、はい!」

「タコ食いな」


 気絶する直前の残像を消し去るかのように、バターでいためた“白いもの”を口の中に入れて、酒で流し込む。味など分からない。

 ナギサによると、商売は順調とのこと。


「たまにお兄ちゃんが調子に乗って、お客さんに奢っちゃうから、赤字になっちゃう日もあるけど。ぼちぼち儲かってるんだよ」


 ヤンクは鼻で笑った。


「うちに飲みに来るのは、昔馴染みばかりだからな。まあ、楽しくやってるぜ」

「よかった。ヤンク兄さんのことだから、商売で行き詰っているんじゃないかと思った」


 不思議そうにナギサが聞いた。


「お姉ちゃん、アルスお兄ちゃんに聞いてなかったの?」


 レイディの弟であるアルスは、十八歳。三年ほど前にヘイポの町を出たという。

 そして今では、王都では知らぬ者はいないほどの有名人であった。


 “光の勇者”アルス。


 直接会ったことはないが、カリンはレイディから話を聞いていた。


「あの子は地方派遣の依頼ばかり受けてるからね。あちこち飛び回っていて、ちっとも帰ってこないんだよ」

「もうっ」


 ナギサは少し怒っているようだ。


「アルスお兄ちゃん、手紙もくれないし。こっち方面の仕事でも受けて、寄ってくれたらいいのに!」


 頬を膨らませながら「今度会ったら、お仕置きなんだから」と、可愛らしい台詞を口にする。

 “勇者”の意外な一面を聞けただけでも、この旅に同行したかいがあったとカリンは思った。


「嬢ちゃん」

「ひ、ひゃい!」

「タコ食いな」


 もはや条件反射のように。タコ料理を酒で流し込む。

 食事中はおもに“シルバーローズ”の活躍話で盛り上がり、ナギサが食後のお茶を運んできたところで、レイディは用件を切り出した。


「実は、ヤンク兄さんに、王都に来てもらいたいんだ」





     (4)



 レイディ率いる“シルバーローズ”のメンバーは、十二名である。全員が女性で、レイディ以外はすべて魔法使ウィザードいという歪な構成だ。

 今後の活動のことを考えれば、前衛となるべき戦士ウォーリアを入れる必要があるのだが、これがなかなかうまくいかなかった。

 何しろ十代のうら若き乙女たちのそのである。男などという不純物を許容するだけでも大変なのに、もし美しい花園を荒らされでもしたら、チームは空中分解するかもしれない。


「女性の戦士ウォーリアさんは、いないの?」


 質問したナギサに、レイディは微妙に難しい顔を作った。


「いるにはいるけれど、絶対的に数が少ない」


 単独ソロや女性だけで活動している冒険者となれば、さらに限られてくる。また、その中で実力者を選び出そうとするならば……。


「ものすごい時間と労力がかかるだろう。“シルバーローズ”に、そんな余裕はないんだ」


 冒険者組合によると、バランスのよいチーム構成は、魔法使ウィザードい一に対して、戦士ウォーリアが五とされていた。

 この数字が的を得ていることを、レイディ自身経験から知っていた。“シルバーローズ”唯一の戦士ウォーリアである彼女の負担は、すでに限界にきているのだ。

 このことを正直に話したところ、“シルバーローズ”のメンバーたちは「レイディさまがそうおっしゃるのでしたら」と、納得してくれた。


「ただ、大きな問題があってね」

「そうなんですの!」


 “シルバーローズ”は、他の冒険者たちから侮られていると、レイディは告白した。

 シェフィール女子魔法学園は、宮廷魔術師や王国騎士団の魔法部隊の隊員、貴族のお抱え魔法使いなどを養成する学園である。それなりの社会的階級を持った生徒が集められているし、社交界での礼儀作法や舞踊などの講義もある。

 卒業生は、純粋培養のお嬢さまばかりだ。


「最近うちのメンバーが、たちの悪い冒険者たちに絡まれることが多くてね。僕がいる時には守ることができるんだけど」


 さすがに十一人全員について回ることはできない。


「冒険者だけじゃない。料理屋で食事をしていても、街を歩いているときでさえも、小さなトラブルは寄ってくる」

鬱陶うっとうしいですわ!」


 体力のない女性の魔法使ウィザードいたちは、重い鎧兜を好まず、厚手の羽織ローブを身につけることが多いのだが、地味なわりに人目につきやすい。

 多くの冒険者チームの間では、圧倒的に魔法使ウィザードいが不足している事情もあり、怪しげな勧誘があったりもする。


「暴力をふるわれてもいないのに、街中で魔法を行使するわけにはいかないからね。対処法としては、逃げるしかない。もし“シルバーローズ”の名に、絶対的な力があれば――」


 ちょっかいをかけてくるやからはいなくなるだろうと、レイディは語った。

 これは、“シルバーローズ”に他の冒険者、戦士ウォーリアを招き入れる場合の懸案事項でもあった。

 既存の女性メンバーとしては、チーム内での主導権は握りたい。というよりも、居心地のよい雰囲気を荒らされたくない。しかし、強力な個性を持つ新メンバーたちが、チームの方針に対して強固な意見を出してきた時に、対抗できるだろうか。

 今の状態では難しいとレイディは判断した。


「残念ながら僕には、これだけの数のメンバーの上に立つ器量はないんだ。どちらかと言えば、二番手か三番手あたりで気軽に行動したいタイプだしね」


 だから、対外的にも威厳を示すことができ、なおかつ内部においても睨みがきく人物に、リーダーになってもらいたい。そしてその人物に、現メンバーである女性の魔法使ウィザードいたちの味方になってもらいたい。


「そこで僕が推薦したのが、ヤンク兄さんというわけさ」

「ありえませんわ!」


 すでにカリンは酔っ払い、茹でたタコのように顔を真っ赤にして、くだを巻いていた。年下のナギサに世話をされながら、もはや恐怖を克服したとばかりに、タコのガーリックオイル焼きをぱくついている。


「だからお願い。僕といっしょに来て」

「……」


 たくましい腕を組みながら、ヤンクはぼそりと呟いた。


「ここには、ナギサがいる」


 まだ十四歳の子どもであり、保護者が必要だとヤンクは言った。


「ひとり残しては、行けねぇだろ?」

「もちろん、ナギサも一緒に――」

「この店は、ナギサの居場所でもあるんだ」


 ヤンクは微動だにしなかった。


「そもそも、オレに漁師を辞めて料理屋をしようと言ってきたのは、ナギサだ。オヤジのように海にのまれて、帰ってこないかもしれない。そんな恐怖に怯えながら、ひとりで留守番するのが怖かったんだろう」


 微笑を浮かべていたナギサは、ふと気づいたように小声で囁いた。


「ねぇカリンさん。カリンさんって、魔法とか使えるの?」

「もちろんれすわ! こう見えてわたくし、中距離攻撃の古代魔法コモンマジックが得意れすのよ! 具体的には、“爆発”とか」

「見てみたいけど、ここだと危ないかなぁ」


 レイディが俯き、ひとつ吐息をついた。


「それはそうかもしれないけれど。王都でも居場所は作れるよ。ザルバ兄さんも、アルスも、それに僕だっている。生活の心配はさせないから」

「そういう問題じゃねぇ。居場所ってのは、人と人との繋がりの中に生まれるもんだ。ナギサは、ここで楽しそうに働いている。馴染みの客にも人気がある。それによ。最近、ナギサと話したいばかりに、ガキどもが店にやってくるんだ。金もねぇくせに、笑っちまうぜ。ナギサは自らが望み、他人ひとから望まれて、ここにいるんだ。こんな幸せなことはねぇだろう?」

「でも。昔みたいに、家族で一緒に暮らせるんだよ」


 深刻な話をしている兄妹の隣で、ひそひそ話は続く。


「自分の魔法で怪我をするのは、ひよっこの見習い魔法使いらけれすわ。きちんと魔法防壁を張ってから行使する。これは魔法実践学の基本れすの」

「へー、カリンさん、すごいんですね」

「ふっふっふ、学年主席を、みくびらないでくらさいまし」

「カリンさんの魔法、見てみたいなぁ。あ、魔棒ロッドとかあるんですか?」

「ここにありますわ」

「意外と短いんですね」


 レイディは唇を噛んだ。

 ヤンクが頑固者であることを、彼女はよく知っている。いくら言葉を尽くしても、兄の心を動かすことはできないだろう。


「だったら、ナギサ本人に聞く」

「やめろ。あいつは家族思いだし、根が優しい。オレやお前に遠慮するに決まってんだろ?」

「それは……」

「お前はもう、子どもじゃねぇ。五年前に家を飛び出して、いっちょ前になりやがった。たとえ目の前の壁があったとしても、それをぶち破るだけの力があるはずだ。仲間を導くだけの力量もあるはずだ。みんな、お前を慕って集まってくれたんだろ? それは、お前の力だ。自信を持て、レイ」

「ヤンク、兄さん……」


 ヤンクは視線を外し、遠くを見るような目をした。


「それに、この町にはオヤジとおふくろの墓もある。店も建て替えたばかりだ。せめて、ナギサが成人するまでは……」

「えい」


 次の瞬間。

 目の奥を焼き尽くすような閃光とともに、耳をつんざく爆発音がこだました。

 四方のレンガ壁が崩壊し、天井が崩落する。

 飛び交う石や木の欠片。もうもうと舞い上がる白煙。

 物音が収まると、さわやかな夜風が吹き込んできた。

 ヤンク、レイディ、カリン、ナギサが座っているテーブルは無傷である。ティーカップとお茶のポットもそのままだ。

 しかし、店の大半は吹き飛んでいた。

 遥か上空には、美しい星々が瞬いている。


「ねえ、お兄ちゃん」

「あ?」

「王都、行こうよ」

「……だな」





     (5)



 どこまでも続く草原に、湿り気を帯びた風が吹き荒れていた。

 やや小高い場所でいきり立っているのは、立派な体格を持つ牡馬おうま。普通の馬よりもふた回りは大きいだろうか。筋肉の張りや落ち着きのなさからして、まだ若馬だろう。毛色は漆黒。目のあたりまで覆い被さっている長いたてがみは、鮮やかな赤。まるで炎のように揺らめいている。


「いい面構えじゃねぇか? あ?」


 やや低い位置で対峙しているのは、ひとりの男。片足に重心をかけながら直立し、顔をやや斜め上の角度に上げていた。後ろになでつけた濃い金髪に、鋭い三白眼。ハの字型の口ひげと顎ひげ。上半身は裸で、裾の膨らんだ奇妙な脚衣ズボンを身につけている。

 雲の流れは早い。

 灰色から黒色へ。

 やがて、空が泣き出した。


「こいや、コラ!」


 男の怒声に応えるかのように、黒馬が甲高くいななく。

 男はがに股になり、両足を踏ん張った。

 拳は使わないと男は決めていた。相手は馬。こちらだけ拳を使っては、対等ではないと感じたからだ。

 大地と草をひづめでえぐりながら、漆黒の塊が突進してくる。

 質量差は歴然。まともな精神の持ち主であれば、衝突後の結果を想像して、本能的に身が竦むはず。

 だが、男は怯まない。

 逃げる素振りすらみせない。

 相変わらず目つきは鋭いが、口元には笑みすら浮かべていた。


 ――衝突。


 額と額がぶつかり、鈍い音とともに火花を散らす。

 やや上方からの攻撃に、男の足がくるぶしまで地面にめり込んだ。

 それほどの衝撃だったのである。

 しかし、男は倒れない。膝も屈しない。

 驚いたのは黒馬だった。想像した結果が、明らかに違ったからである。

 ぎょろりと目を動かし、いななきながらも、首を上下に振って男を倒そうとする。


 ――再度、衝突。


 しかし男は倒れない。額から血を流し、歯を食いしばりながらも、耐えている。

 しびれを切らした黒馬は、後ろ足で立ち上がり、前足のひづめで攻撃してきた。


「足を使うのか。じゃあ、オレもだ」


 男は空中に飛び上がり、目にも止まらぬスピードで身体を半回転させた。

 必殺のバッり。

 男の足は黒馬の首筋に当たり、鈍い打撃音とともに黒馬をぐらつかせた。


「へっ、倒れねぇか。だが――」


 そのまま男は黒馬の首筋に飛びついて、地面に押し倒した。

 ここからは、体力と精神力を駆使した根競べだ。

 混乱し、暴れまくる黒馬と、その動きを力でねじ伏せようとする男。

 ひとりと一頭の戦いはそれから半日ほど続き、互いに納得する形で完全に決着が着いたという。 





 

 ひなびた宿場町の客はそれほど多くないようで、帰省の時に立ち寄ったレイディとカリン、そしてカリル家の執事のことを、宿屋の女将おかみは覚えてくれていた。


「おや銀髪さん、お早いお帰りじゃないか。新しい子が増えたみたいだね」

「妹です。あと、兄もいるんですが、少し遅れてくると思います」

「そうかい。まあ、ゆっくりしておいきな」


 とりあえず四人部屋をふたつ取って、お湯を用意してもらう。


「ナギサ、初めての旅で疲れただろう?」

「ううん。ヘイポの町以外は初めてだから、おもしろいよ」


 実際ナギサは、馬車の窓から外の景色を見ているだけでも楽しそうだった。


「王都まで、あと三日くらい?」

「そうだね。人が増えて行きの時より重くなってるから、一日くらい遅くなるかも」

「え~、ナギサ、そんなに太ってないよ」


 仲良く話している姉妹のそばで、金髪の巻き毛の少女がひとり、うろんな表情で俯いていた。


「カリン、まだ気にしてるの?」

「……でしたわ」

「うん?」

「申し訳ありません、でしたわ!」


 この旅で何度目かの懺悔ざんげ。カリンは両手を床について頭を下げた。


「そんなに謝らなくてもいいよ。ヤンク兄さん、細かいことは気にしないし」

「こ、細かくはないですわ! わたくしが、レイディのお兄さまとナギサさんの大切なお店を、こわ、こわ、こわし――うわ~ん!」


 カリンは酔っ払った勢いで爆発系の古代魔法コモンマジックを使い、ヤンクの店を破壊してしまったのだ。翌朝、我に返った彼女は真っ青になって、以来、発作的にこのように泣き出してしまう。


「ナギサが魔法が見たいってお願いしたんだから、カリンさんに責任はないよ」


 穏やかな笑顔と口調で、ナギサがカリンをなだめる。


「そうだよ。悲しみの涙は、カリンには似合わない。いつもの元気な笑顔を見せて欲しいな」

「ううっ……」


 そう言ってレイディは、カリンの頬に手を添えた。一見慰めているふうだが、彼女は兄を王都に連れ出すという当初の目的を達成できたことで、むしろ上機嫌だった。


「しかし、ヤンク兄さんはどこに行っちゃったんだろう。合流できるのかな」


 最初は同じ馬車に乗っていたヤンクだったが、めそめそしているカリンに嫌気が差したのか、途中で馬車を降りて別行動をすると言い出したのだ。


「心配いらないと思うよ。お兄ちゃん、勘が鋭いから」

「そういえば、そうだった」


 昔からヤンクは、弟や妹たちに危険が迫ると、必ず駆けつけてきた。子どもの頃、海で沖合いに流されたレイディも、間一髪のところで助けられた経験がある。どういう理屈なのかは、本人もよくわからないらしい。

 しばらく休んで、夕食の時間になった。

 具材は芋が中心。典型的な田舎料理だが、贅沢はいえない。食堂は他に客がおらず寂しい雰囲気だったが、話し好きの女将が噂話などを聞かせてくれた。

 宿場町の東にはなだらかな草原が広がっている。面積は広大だが、土地は痩せており、開墾の対象にすらならない不毛な土地だった。

 そこには大人しい草食動物しかいなかったが、最近、とある魔物が現れたのだという。


「……魔馬まば?」

「そうさ、黒い身体と血のような赤いたてがみを持つ、おっかない化け物馬だ。もともと草原にいた野生の馬たちを、たった一頭でまとめ上げちまった」


 幸いなことに、魔馬が縄張りとしている場所は街道から離れているので、旅人たちが被害に遭うことはないらしい。


「本当なら、銀髪さんみたいな頼もしい冒険者に退治を依頼するんだけど、まだ被害は出ていないからね。町の男連中も二の足を踏んでるのさ」


 宿屋の外から、甲高いいななきき声が響いてきた。

 やけに大きなひづめの音が近づいてきて、出入り口の扉の前で止まる。


「おやおや、こんな時間にお客さんかい?」


 旅人を出迎えた女将は、扉を開けるや否や悲鳴を上げて尻餅をついた。

 レイディたちが駆け寄ると、そこには黒毛に赤いたてがみを持つ巨大な馬に乗ったヤンクがいて、血と泥にまみれた顔で、得意そうに笑っていた。


「あ~」


 眉根を寄せて頬を膨らませたのは、ナギサである。


「お兄ちゃん、また喧嘩したでしょ。そんなに服汚して!」

「おう。上着は脱いだんだけどヨ。こいつがしつこくてな」

「洗濯する身にもなってよね。血とか、落ちにくいんだから」

「……すまねぇ」

「ナギサ。注意するところ、そこじゃないでしょ」


 顔に手を当てて、レイディが吐息をつく。


「ま、ま、ま――魔馬ばば!」


 腰を抜かした女将が、ヤンクの乗っている黒馬を指差しながら後ずさる。

 漆黒の首に赤色のたてがみがゆらゆらと揺れていた。そのたびに炎のような残像が現れ、怪しく輝いている。

 レイディが警戒するように身構えた。


「普通の馬じゃない。魔物の血が混じってるかも。ヤンク兄さん、その子、どうしたの?」

「ちょっとそこの草原で会ってな。喧嘩して、勝って、舎弟にした」


 ヤンクは黒馬の首を、頼もしそうに撫でた。


「名前は、フォアだ」


 ドリームCB400FOUR。

 それは彼が前世でこよなく愛したバイクの呼び名であり、黒と赤のカラーリングもよく似ていたのだが、そのことを彼自身、まるで自覚していなかった。





     (6)



 王都エクリアスは、温暖な気候で水捌けがよい土地に創られた巨大都市である。

 長大な城壁に囲まれた内部だけでも人口は三十万人を超えており、城壁の外に住む不法滞在者も含めれば、総人口は五十万人にも届くとされていた。

 この都市の住人は、社会的階級に縛られながら生活している。

 一番大きな区分けとしては、貴族階級、上流階級、中流階級、下流階級、落伍階級の五つがあるが、この階級を超えた交流が行われることは、ほとんどない。さらにそれぞれの階級の中にも、上位、中位、下位という区分けがある。

 自分あるいは相手がどの社会的階級に属しているのか、最も明確に判断することができるのは、居住地の位置だろう。

 王都エクリアスは“太陽の丘”と呼ばれるなだらかな丘地の斜面にあり、丘の頂上付近にあるサンラウド城から位置が下がるにつれ、住民たちの社会的階級も下がっていく傾向にあるのだ。

 ちなみに冒険者たちの社会的階級は、それほど高くはない。活躍度によって幅はあるが、平均すると下流階級がいいところである。

 しかし、何事にも例外はあった。

 結成してからまだ一年に満たない冒険者チーム“シルバーローズ”のメンバーたちのほとんどは、上流階級である。しかも貴族階級にかなり近い、上位上流階級だ。

 彼女たちの事務所ホームは、治安がよく緑豊かな高級住宅街にあった。

 お洒落な褐色レンガの屋敷で、室内外には色とりどりの草花が飾られている。品のよい調度品と家具、一番大きな談話室サロンには巨大なテーブルがあり、高級な紅茶とお菓子が並べられている。

 席についているのは、十人の少女たち。紅茶の香りを楽しみながら談笑中だ。

 普段たおやかな彼女たちは、若干興奮気味であった。

 何故ならば、彼女たちのリーダーである“氷の歌姫”レイディが、間もなく王都に帰還する予定だからである。


「ああ、早くレイディさまにお会いしたいですわ」

「本当に。もう半月以上、お話をしていないんですもの」

「“シルバーローズ”も開店休業状態。正直、少し暇ですしね」

「わたくしたちでは、どのような依頼を引き受けたらいいのか、判断がつきませんもの」

「どのみち、魔法使ウィザードいだけではパーティは組めませんわ。他の方とご一緒するのは、ちょっと……」

「それは、気が滅入りそうです」

「ああ、レイディさま。早くわたくしたちの元に帰っていらっしゃって」


 最近の彼女たちの話題は、レイディのことと、もうひとつ。


「レイディさまのお兄さま、もうすぐお見えになられるのですね?」

「きっとすてきな方に違いありません。だって、レイディさまのお兄さまですもの」

「なんでも、子どもの頃にご両親を亡くされて、お兄さまがおひとりで、レイディさまたちご兄弟姉妹をお育てになられたのだとか」

「頼りがいのある殿方だと、レイディさまがおっしゃっていましたわ」

「たくましくて、気高い方だと思います」

「そうですわ。わたくしたち“シルバーローズ”の窮地を、きっとお救いになってくださいますわ」

「みなさま。何ごとも他人ひと任せではいけませんことよ。わたくしたちも、変わらなければ」

「ですわね」

「今こそ決断の時ですわ」

「まあ、いさましいこと」

「勇気を出して、お兄さまを受け入れましょう」

「そうしましょう」

「まずは、歓迎会ですわね」


 それはいい考えですわとみなが賛成し、わいわい騒ぎ始める。

 サブリーダーであり仕切り屋のカリン・カリルがいないので、それぞれの担当をもたもたと決めていく。

 料理はフラー・プリトン、アロマ・アルゼ、パルム・ランパの三人。飾りつけはゼリシオ・ルエト、エア・シーズ、ニコリコ・ブラン、ユイラ・メイズの四人、そしてプレゼントの買出しはキスイト・ミュズ、ファムロ・ゴーキュ、チェイナ・ククの三人。

 基本的に彼女たちは仲良しであり、隠し事もしない。

 憧れの君であるレイディを奪い合ったりはしないし、足の引っ張り合いもしない。

 誰かを蹴落としてでものし上がろうというのは、余裕のない貧乏人や成り上がりの発想なのだ。

 真の上流階級に属する人間は、争いごとがいかに無益であるかということを、子どものころから肌で感じ、自然に身につけている。

 もちろん、学力や魔力など個人的な能力には差が出る。優劣はつく。

 しかし、そのことと家柄とは、まったくの別物だ。

 彼女たちは、生まれながらにして成功者なのである。

 他者を蹴落とす必要などなく、まず第一に、自分の子孫たちに財産を残すことを考えなくてはならない。

 十人の少女たちは暇な時間が潰れたことに感謝し、リーダーとサブリーダーの帰還、そして新たなる客人を歓迎するための準備に取りかかった。

 カリンより臨時のとりまとめ役を仰せつかっていたのは、ゼリシオである。彼女は王都の正門に家令のひとりを配置して、カリル家の馬車が着いたらすぐに知らせるよう手配した。

 レイディたちが王都に戻る日程については、正確には分からない。だが、料理は自分たちが食べればいいことだし、待っているこの時間こそが、楽しくもあるのだ。


「お嬢さま方。今しがた、お着きになられました!」


 昼下がりの午後、思っていたよりも早く家令からの連絡が届いた。


「きゃぁ、お料理が間に合いませんわ」

「ど、どうしましょう」

「ビスボルクのお店で、買ってきましょうか」

「名案ですわね」


 超がつくほどの高級菓子で有名な店である。再び家令を走らせて、急ぎ準備を整える。


「飾りつけは、う~ん。少し窓際が寂しいかしら?」

「もう、時間がありませんわ」

「それよりも、キスイトさん。プレゼントはどうでしたの?」

「宝石商に注文しました。わたくしたちのチームエンブレムを入れたネックレスですの」

「まあ、すてきですわね」

「半年後に完成ですわ」

「……え?」

「それでは、間に合いませんことよ」

「でも。よいものを作るには時間がかかりますし」

「そう、ですわねぇ」


 どたばたしながらも、やはりのんびりとした雰囲気で最後の仕上げに取りかかる。

 まるでお誕生日会のように華やかに飾られた談話室サロンで、十人がようやくそろい笑顔で出迎えたのは、すっかり生気を失いやせ細ったカリン・カリルだった。


「カ、カリンさん。どうなさいましたの?」

「馬車でお酔いになったのかしら」

「大変! お薬を用意しなければ」

「い、いえ。けっこうですわ。わたくしは、だいじょうぶです」


 馬車の中でずっと自分の罪を責め続けていたカリンだったが、とりあえずお金で償うべきだと結論づけ、執事を実家に戻したところである。それよりもまず、チームのサブリーダーとして、悲痛な覚悟で注意を促した。


「レイディと、お兄さまのヤンクさま、そして妹君のナギサさんが王都にいらっしゃいました。今はレイディの家に荷物を運び入れているところです。間もなくこちらにいらっしゃいますわ。みなさん、しっかりと心の準備を整えてくださいまし」

「き、緊張しますわね」

「ヤンクさま。なんてすてきな響きでしょう」

「きっと本物の紳士でいらっしゃるはずよ」

「お兄さまとお呼びしても、失礼ではないかしら?」

「そういえば、呼び方について話し合っていませんでしたね」

「一度お呼びしてしまえば、こちらのものではなくて?」

「そうですわね。ああ、ついにわたくしにもお兄さまが……」


 興奮と妄想で舞い上がっている仲間たちの様子を、カリンがひとり、冷めた目で見守っている。

 やがて、談話室サロンへと通じる廊下の奥から、会話の声と足音が近づいてきた。


「ねえ、ヤンク兄さん。ほんとうにその格好で挨拶するの?」

「ったりめーだ。今日はハレの日だぞ」

「いや、確かに晴れてるけどさ」

「挨拶は最初が肝心なんだヨ。ガツンとやらねぇと、ナメられる」

「そんな子、いないんだけど」

「レイディお姉ちゃん。何言っても無駄だよ。どちらかというとその後のフォローが大切だから、頑張ってね」

「ナギサ……」


 最初に入ってきたのは、長身で逞しい体つきの男だった。

 膝まで届く純白の長外套ロングコートを身につけている。えりはぎざぎざで、異様に長い。布地のいたるところに刺繍が施されていた。外套コートの前ははだけており、首に金のネックレスが光っている。腹には布を巻いているようだ。外套コートと同じ純白のズボンを身につけ、腰の高い位置で荒縄のようなベルトで結んでいた。膝頭まである長靴ロングブーツは、黒革。

 派手派手しいその格好は、とある世界では“特攻服”と呼ばれていたりするわけだが、こちらの世界に類するものはない。

 男は華やかな談話室サロンに入ってくると、テーブルの前で立ち止まり、集まった面々を見渡した。

 鋭い三白眼に射竦いすくめられて、少女たちの笑顔が硬直する。


「よォ、今日から頭を張ることになった、ヤンク・キースだ」


 自己紹介とともに、男は半身になった。

 長外套ロングコートの背中に刺繍されていた海竜サーペントの絵とヘイポ漁業組合の金文字が、少女たちの目に飛び込んでくる。

 肩越しに振り向きながら、男はこめかみのあたりで二本の指をぴっと動かす。


「ヨロシク!」


 それは前世から現世にかけて、彼がとかく好んだ決め仕草ポーズだった。





     (7)



 “シルバーローズ”は特殊な冒険者チームである。

 メンバーのほぼ全員が上流階級の出身であり、実家の援助もあるため、生活に困ることはない。結成の動機からしていささか不純であったが、その活動目的は、冒険者として身を立てることではないのだ。

 彼女たちの出身であるシェフィール女子魔法学園は、宮魔術師や王国騎士団の魔法部隊、貴族のお抱え魔法使いなどの育成を目指している。しかし、そういった役職は貴族の身分を持つ令嬢から割り当てられる傾向にあった。

 実際、学年主席であったカリン・カリルにでさえ、宮廷魔術師への道は開かれなかった。

 優秀な人材が、組織の上層部へ入り込むことができない。これは魔法使ウィザードいだけに限ったことではなく、騎士ナイトについても同様だ。重要な役職は爵位の順によって決まるため、災害が起こった時などは、騎士団全体が機能不全に陥ることも珍しくない。身分や家柄を重んじるお国柄の弊害であった。

 さて、話を“シルバーローズ”の少女たちに戻そう。

 シェフィール魔法学園の在籍中、たとえ就職先が決まらなかったとしても、彼女たちの評価が下がることはない。

 魔法は自分自身の身を守る手段になり得るし、相手への牽制けんせいにもなる。商家の令嬢を誘拐しようとした盗賊が魔法で返り討ちに遭うという話は、実は珍しいことではないのだ。

 それにシェフィール女子魔法学園では、魔法技術だけでなく社交界での作法も学ぶ。貴族界でも通じる本格的なものであり、この学園を卒業するということだけでも、淑女の中の淑女という証になるのだ。

 どこに出ても恥ずかしくない淑女であり、なおかつ魔法で身を守ることができる。

 政略結婚の相手としては、これ以上の条件はないだろう。

 そして“シルバーローズ”のメンバーたちは、自分自身の運命について受動的であった。

 自由恋愛に憧れがないわけではないが、家のために身を捧げる覚悟はできている。

 だからせめて、その時が来るまでは、憧れの君――レイディのそばにいたい。

 志はないが、動機は同じ。

 ゆえに雰囲気は緩いが、結束力が強い。


「それで、その時ってのは、いつなんだ?」


 ヤンクの問いに答えたのは、カリンだった。


「遅くとも二十歳までには、わたくしたちの運命は決まっているでしょう。ですが、正確なところは分かりません。一年後か二年後か。実際のところ、明日ということもありえますわ」


 一番最初の茶話会ミーティング。“シルバーローズ”のリーダーを引き受けるにあたってまずヤンクが確認したのは、チームの方針と当面の目標だった。

 ヤンクは意外と職業意識の強い男である。もし趣味で冒険者家業をやろうというのであれば、この役割を断ろうと思っていたのだ。

 だが、違った。

 彼女たちにはそれぞれの家の事情があり、抗うことのできない運命の中で、足掻あがこうとしている。

 自分たちの大切な居場所を、守ろうとしている。

 それは、彼自身の生き方に合致する考え方であった。


「ようするにお前たちは、一年か二年の間に、とことんやりたいことをやりたいんだな?」

「え〜と、たぶんそうですわ」

「レイ。お前も同じ気持ちか?」

「そうだね。僕は彼女たちとともに、楽しく冒険をしたいと思っているよ」

「分かった」


 ヤンクはひとつ頷くと、不敵な笑みを浮かべた。


「そういった事情なら、オレに任せておけ。人間ってのは不思議なもんでな。いくら粋がっていても、いつかは自分の道、なるべきものを選ぶ時がくるんだ。自然とな。それは人さまの親だったり、社会での役割だったり、子どものころにはつまらねぇと思っていた、ごくありきたりのものだったりする」


 テーブルに両手をついて、ヤンクは立ち上がった。


「だが、お前たちはまだだ。まだ、その時じゃねぇ!」


 “シルバーローズ”の面々が、惚けたような顔になった。


「お前たちの時間は、オレが預かった。死ぬまで忘れられねぇ、激アツな青春を経験させてやるヨ。血ヘド吐くまで鍛えてやるから、覚悟しな!」

「……」


 何かが違うと、少女たちは思った。

 何かがずれていると、少女たちは感じた。

 自分たちはただ平穏に、“シルバーローズ”での活動を楽しみたいだけ。近い将来、名前も顔も知らない相手に嫁いだとしても、心の支えになってくれる美しい思い出を作りたいだけなのだ。

 しかし彼女たちには、その違和感を問い正すだけの勇気がなかった。

 淑女らしく、穏やかな笑みで見守ってしまった。


「こりゃあ一日たりとも無駄にできねぇな。よし、レイ。買い物にいくぞ」

「ど、どこに?」

「お兄ちゃん、ナギサもついていっていい?」

「いいぜ」

「わ〜い。久しぶりに、三人でお買い物だ」

「ちょっとヤンク兄さん、どこいくの!」


 まるで突風のように、ヤンク、レイディ、ナギサが出て行った後、談話室サロンに残された少女たちは、気持ちを落ち着かせるために紅茶を飲んで、ほうと吐息をついた。

 それから今の出来事について、どういった意味なのかしらと、不安そうに話し合うのであった。





     (8)



「乗馬だなんて、ひさしぶりですわねぇ」


 フラー・プリトンが、やや間の伸びた口調で言った。暗茶色の髪に同色の瞳。後ろ髪をひとつのまとめて、右肩から前に垂らしている。口調の通りおっとりとした性格だ。


「わたくしもです。シェフィール学園での実技以来でしょうか」


 こちらは少しわくわくした様子の、チェイナ・クク。卵型の髪は鈍色にびいろ。瞳の色は深い青色。少年のような小柄な体格である。


「チェイナさんは、乗馬に限らず運動全般がお得意でしたわね。そういえば、ゼリシオさんも、お家で訓練をなされているのでしょう?」


 ニコリコ・ブランが問いかけた。明るい蜂蜜色はちみついろの髪を頭の左右でくくりつけている。目は大きくぱっちりしていて、えくぼが可愛らしい。


「そ、それは……」


 ぎくりと肩を震わせて、ゼリシオ・ルエトが頬を引きつらせた。腰まで届く黒色の髪に、切れ長の目。ニコリコとは対照的に大人びた風貌である。父親が軍人のため、彼女は幼少の頃から厳しい訓練を受けていた。


「最近は、特に。今は、冒険者のお仕事に集中することにしていますので……」

「わたくしの家にもお父さまの馬がいるのですが、危ないからといって近寄らせてくれませんの」


 頬に指を当てながら、ユイラ・メイズが悩ましげに吐息をついた。睫が長く、憂いを帯びた表情が似合っている。艶やかな紫紺しこん色の髪が、ゆるやかに波を打っていた。


「ユイラさんのお父さまは、ユイラさんのことを大切に思っていらっしゃるのですね」


 控えめな笑顔を浮かべているのは、エア・シーズだ。メンバーの中で唯一、彼女だけは貴族階級に属しているのだが、性格は大人しく、自己主張をすることがない。小豆あずきの髪は前髪が長く、目を覆っていた。


「過保護すぎるのも考えものですわ。わたくしは、冒険者なのですから」

「その通りです。お父さまもお母さまも、執事のじいやまで、危険なことはしないようにと、毎日お小言ばかり。もちろん、心配してくださるのは嬉しいことですが、正直、食傷気味ですわ」


 やや憤慨気味にアロマ・アルゼが文句を口にする。生真面目な性格で、人一倍仲間意識が強い。燃えるような赤毛で、眉よりもやや高い位置で一直線に切りそろえている前髪が特徴的だ。


「ファムロさん、ご気分が優れないのですか?」

「……え?」

「先ほどから上の空で、お元気がないようです」


 丁寧だが平坦な口調で、キスイト・ミュズが問いかけた。灰色の髪に赤茶色の瞳。色白で表情に乏しく、どこか人形のような雰囲気を身にまとっている。

 ファムロ・ゴーキュだけがひとり、他のメンバーから遅れていた。自分のために歩みを遅らせてくれたキスイトに詫びてから、彼女はわけを話した。


「わたくし、乗馬に自信がありませんの」


 ファムロは肉付きのよいぽっちゃりとした体型の少女である。食べることが大好きで、そのことを少し恥じている。ゆるく三つ編みにした瑠璃るりいろ色の髪と碧石色エメラルドの瞳は美しく、目鼻立ちも整っているのだが、頬と顎のラインは丸い。


「シェフィール学園での成績も、乗馬に関しては落第寸前。先生方には大変なご迷惑をおかけしたのです」

「……」


 キスイトが沈黙し、ファムロは焦った。


「だ、だいじょうぶです。学園を卒業してからはあまり運動をしていませんが、身体が覚えているはずです」

「あまり、ご無理をなさらないように」


 “シルバーローズ”のメンバーたちは、乗馬用の帽子と服、そして長靴ブーツを身につけていた。もちろん全員が脚衣ズボンを着用しており、集団で歩いていると颯爽とした雰囲気である。

 カリン・カリルから訓練を行うという連絡が入ったのは、ヤンクを迎えて初めて行った茶話会ミーティングから、三日後のことだった。

 訓練の内容は、乗馬らしい。

 王都でのおもな移動手段は馬車のため、乗馬ができる住人は限られている。だが、戦いに出る可能性のある魔法使ウィザードいの育成を目的とするシェフィール女子魔法学園では、乗馬は必須科目だった。得意不得意はあるものの、卒業生であれば早駆けくらいはできる。

 集合場所は、正門から出て少し歩いた場所にある、巨大な貸し馬小屋だった。

 王都エクリアスは大陸でもっとも物資や人の移動が激しい都市である。すべての馬車が城壁内に入ることはできない。王都内で利用できる馬車は登録制になっており、王都と地方を行き来する旅行馬車や荷馬車などの多くは、城壁の外にある貸し馬小屋を利用するのだ。

 干草のブロックがうず高く積み上げられた細道を通り、目的の場所にたどり着くと、そこはカリン・カリルがいて、両手を大きく振っていた。


「みなさん、こちらですわ!」


 “シルバー・ローズ”のリーダーにヤンク・キースを招き入れたことで、これまでリーダーを務めていたレイディがサブリーダーとなった。カリンの立場が微妙になったわけだが、「副リーダー二人体制でいいんじゃないかな」というレイディの提案を、カリンは丁重に断わった。理由としては、レイディに憧れてこのチームを結成したのだから、同格になるのは趣旨に反するというものだ。

 今後は魔法使ウィザードい以外のメンバーも加入するはずなので、今のカリンはシェフィール女子魔法学園出身メンバーの取りまとめ役という立場である。

 馬小屋らしき建物から、レイディが出てきた。

 故郷に帰ってから少し伸ばしているようだが、ゆるやかな曲線を描く銀髪はうなじが隠れる程度の長さ。朝日を浴びてきらきらと輝いている。氷青アイスブルー色の瞳は穏やかな情感を湛えているが、これは少女たちに対するものであり、“シルバーローズ”の事務所以外では、鋭い眼差しに変わる。“氷の歌姫”の二つ名は、彼女が他の冒険者たち――おもに男性に向ける視線と態度からつけられたものなのだ。


「やあ、みんな、おはよう」


 自分たちがレイディの笑顔を独占していることを、“シルバーローズ”のメンバーたちは知っている。だからこそ、よけいに嬉しい。

 レイディの名前を呼びながら、十人の少女が駆け寄り、きゃあきゃあと騒ぎ立てた。約半月の旅に同行したカリンはずっとそばにいることができたが、その分他の少女たちは寂しい思いをしていたのだ。普段であれば、レイディが困っている様子を見かねて止めに入るカリンも、しばらくは好きにさせようと静観している。


「突然の召集で、迷惑をかけたね」

「とんでもございませんわ」

「レイディさまとの乗馬、楽しみにしていましたもの」

「わたくし、紅茶と軽食を用意してまいりました。どこか景色のよいところで……」


 次いで姿を現したのは、ナギサである。


「わあ、レイディお姉ちゃん、もてもてだね」

「ええ。冒険者だけでなく、一般住民の間でも大変な人気ですわ」

「アルスお兄ちゃんよりも?」

「女性限定で考えるならば、圧勝ですわ」


 と、カリンが冒険者の人気ランキングの状況を語った。


「お姉ちゃんたち、おはようございます!」

「あら、ナギサちゃん」

「おはようございます」

「わぁ、とても可愛らしい出で立ちですわ」

「ほんとうに。帽子に耳がついていますのね」

「垂れ耳ウサギの帽子だよ」

「まあ、なんてかわいらしい!」


 ナギサもレイディとともに囲まれる。

 田舎の港町ヘイポから大都会である王都エクリアスに引っ越してきたばかりだが、ナギサはすぐに順応してしまった。“シルバーローズ”の事務所ホームにも毎日顔を出し、お姉さまたちにお菓子と紅茶をご馳走になり、すっかり気に入られてしまった。

 肩の上で切りそろえた栗色の髪に、榛色ヘイゼルの瞳。表情豊かな十四歳の少女である。“シルバーローズ”全員の“妹”という立場を、ナギサはすでに確保したようだ。

 憧れの君であるレイディと、保護欲をくすぐられるナギサ。異なる心情と応対を同時に求められて、少女たちは忙しい。


「お姉ちゃんたちもかっこいいよ。ね、レイディお姉ちゃん」

「うん。普段は羽織ローブかデイドレスだから、乗馬服はちょっと新鮮だね。みんな、よく似合ってる」

「まあ、そんな!」

「およしになって」

「レイディさまとナギサちゃんには、かないませんわ」


 盛り上がりが最高潮に達したところで、ヤンクが登場した。

 いつぞやの白い特攻服姿である。ポケットに手を突っ込みながらけだるそうに歩いてくると、右手を出して、二本の指をこめかみのあたりでぴっと動かした。


「よォ、集まったか」


 レイディとナギサを除く全員が、びくりと硬直した。

 シェフィール女子魔法学園では、教師以外の男性と接する機会はほとんどなかった。冒険者になってからはそれなりに接する機会は出てきたものの、冒険者組合などでたむろっている、礼儀作法のなっていないがさつな男たちばかりだった。彼らはいやらしい目つきで胸や腰のあたりを観察し、下品な笑みを浮かべながら近づいてくる。

 そんな経験をしてきた“シルバーローズ”の少女たちは、男という存在について一種の固定観念、それも嫌悪感や忌避感といった負のイメージを抱いていたのだ。

 だが、彼らとは違う雰囲気を、ヤンクは身にまとっていた。

 少女たちは直感で理解していた。

 この方は、自分たちを女性として見ていない。

 性別など関係ない。一瞬でも油断をすれば、切り裂かれてしまう。そんな凄みを感じさせるのだ。

 しかし、今は――

 少女たちの表情が、緊張から戸惑いに変わった。

 満面の笑みを浮かべたナギサがヤンクの隣に来て、ポケットに入れたままの左腕に抱きついた。


「どう? おそろいだよ?」


 特攻服姿のヤンク・キースは、ナギサと同じ帽子を被っていた。

 二本の耳がだらしなく垂れ下がった、ウサギの帽子。特攻服と同じ白色なので、何となく合っているような感じもする。しかし身につけている当人の目は、切り裂きグマのように鋭かった。


「……」


 あ然とした様子の少女たちを観察してから、ヤンクは舌打ちをして、垂れ耳ウサギの帽子を剥ぎ取った。


「だから言ったろ。こんなんで空気が和むわけねぇって」

「お兄ちゃん、ただでさえ顔が怖いんだから。少しでも工夫しなきゃ」

「いらねぇよ」


 垂れ耳ウサギの帽子をレイディに向かって投げつけると、ヤンクは気合を入れ直すかのように、両腕を胸の前で組んだ。


「よし、全員、集合だ!」


 戸惑ったように互いの顔を窺いつつ、少女たちがのろのろと集まる。


「冒険者にとって大切なものは、何だと思う?」


 唐突に、ヤンクが問いかけてきた。

 やや抽象的な質問である。答えはひとつではないだろうし、正解があるかどうかも分からない。それでもヤンクは全員の口から自分なりの答えを出すことを求めた。


「端っこにいる、緑からだ」

「は、はい!」


 瑠璃るりいろ色の髪を三つ編みにした小太りの少女、ファムロ・ゴーキュが真っ青になる。口元に手を当てておろおろしながらも、「仲間を信じる心、です」と、消え入りそうな声で答えた。


「よし、次は前髪ぱっつん」

「ぱ、ぱっつん?」


 聞きなれない言葉に、今度は赤髪のアロマ・アルゼが真っ青になる。しどろもどろながら、「協調性、でしょうか」と、生真面目な少女らしい言葉を口にした。

 やはり良いところ出のお嬢さまたちである。信頼関係に重きを置く答えが多いようだ。軍人の娘であるゼリシオ・ルエトは「チームの規律」で、冷静なキスイト・ミュズは「無理をしないこと」。唯一カリン・カリルだけが、自信満々でこう答えた。


「わたくしは、圧倒的な破壊力だと思いますわ。具体的には、“爆発”とか」


 酔っ払ってヤンクの店を破壊した張本人は、すっかり立ち直ったようである。


「レイ、お前はどう思う?」

「そうだね。僕はチーム力だと思う。冒険者ひとりでできることなんてたかがしれているからね。みんなの力をひとつにしないと」


 頷きながら、ヤンクはそれぞれの答えを咀嚼そしゃくしているようだった。

 そして最後に、彼は自分の考えを口にした。


「ここ三日ばかり、あちこち走り込みながら考えてみたんだ。オレは元漁師で、ついこの間まで料理人だった。ようするに素人だ。そんなやつがチームの頭を張るなんざ、笑い話もいいところだがな。男がこれと決めたからには、やるっきゃねぇ」


 最初の茶話会ミーティングから、ヤンクは一度も事務所に姿を現さなかった。ナギサの話によると、王都の近郊を馬で駆け回っていたらしい。

 その彼が出した答えとは――


「冒険者にとって一番大切なもの。それは、スピードだ」

「スピード?」


 予想外の答えに、レイディが思わず聞き返した。


「ああそうだ。冒険者ってのは魔物退治が生業だろう? 誰かが魔物に襲われて困ってんのに、とろとろ旅行馬車で駆けつけるのか? そんなんじゃ、現場に着く前に終わっちまうぜ」


 その通りである。

 荒くれ者の冒険者たちといえども、自分たちの命を守らなくてはならない。依頼を引き受けるには正確な情報が必要だし、それなりの報酬も要求する。場合によっては、依頼主との金額の交渉や物資の調達も必要だ。そのような手続きだけでも時間がかかるというのに、遠方からの依頼ともなると、現場に駆けつける前に状況が悪化することも十分に考えられる。だから地方からの依頼では、魔物から襲撃される前、危険性を認識した時点で、一番近くの冒険者組合に依頼をすることになる。冒険者に依頼するかどうか、その見極めはとても難しい。不確かな状況では冒険者たちは動いてくれないし、魔物が動き出してからでは遅いのだ。


「だからヨ。オレたちは、どんな依頼でもとにかく一番に駆けつける。そして、魔物たちをぶっ飛ばす!」


 揺るぎない強靭な意思と、圧倒的な自信。


「オレが目指すのは、まるで風のように走る最速のチームだ。文句のあるやつは今のうちに言っておけ。あとで後悔しても知らないぜ」


 意外と愛嬌のある顔で、にっと笑う。

 レイディたち“シルバーローズ”のメンバーは、ヤンクの言葉にのまれて、一様に押し黙った。冒険者という存在に対して、ヤンクの考えに反論できるほどの信念を持っている少女はいなかったのだ。

 ただひとり、垂れ耳ウサギの帽子を被ったナギサだけが、あきれたように呟いたのである。


「それらしいこと言ってるけど。お兄ちゃん、ただみんなと走りたいだけだよね?」





     (9)



 ヤンク・キースは“シルバーローズ”のメンバー全員分の馬を購入した。しかも、ある程度調教された若い軍用馬である。これにはみな驚いてしまった。


「このようなものを、いただいてもよろしいのでしょうか?」


 軍用馬の価値を知っているゼリシオが、遠慮がちに聞いた。


遠慮えんりょすんなヨ。こいつは爆発嬢ちゃんが――」

「み、みなさん。この子たちは、わたくしのお父さまの伝手つてで、お安く手に入れることができましたの。そう、かなりお安く。ですから、それほど気にされることはありませんことよ。おっほっほ」


 冷や汗まみれになりながら、カリンがヤンクの言葉を遮った。

 実はヤンクの店を古代魔法コモンマジックで破壊したカリンが弁償すると申し出て、ヤンクの意向を受けたナギサがカリル家の執事と交渉した結果が、この馬たちだったのである。

 レイディとナギサの分を含めて、軍用馬が十三頭。田舎町の店一軒ではとても釣り合いが取れないはずだが、カリル家の体面もあり、また“シルバーローズ”のためということもあって、カリル家の執事は最高の軍用馬を、しかもたったの三日で用意したのである。

 しかし軍用馬は体格が良く、騎乗するだけでもひと苦労だった。ナギサなどはヤンクに持ち上げられるようにしてまたがり、あまりの高さに目を丸くした。


「ナギサちゃんも乗るのですか? 少々危険なのでは?」


 意外とあっさりと飛び乗ったのは、キスイトである。心配そうにヤンクに注意を促したものの、ナギサはにこにこ顔である。


「あいつはオレが鍛えたからな。けっこう乗れる」


 大変だったのはファムロと、意外にもゼリシオだった。

 卒業した時よりもかなり体重が増えていたファムロは、単純に身体能力のせいだったが、ゼリシオは身長も高く、すらりとした体型である。それでも苦労したのは、馬を恐れたせいだ。

 彼女は、実は極度の怖がり屋だったのである。

 軍人の父を持つ家柄ということもあり、ずっとやせ我慢をしていたようだが、大きな馬も目の眩むような高さも大の苦手だった。


「さっさと乗れ。こいつも待ってるだろ」


 ヤンクに促されたが、腰が引けているので足が馬の背にかからない。


「ほれ、もたもたするな」


 痺れ切らしたヤンクが尻を持ち上げて、ゼリシオは淑女らしくもなく「ぎゃっ」と声を上げてしまった。

 騎乗してからも、羞恥心のために俯き、両肩を震わせている。

 結局、ファムロも尻を持ち上げられることになり、真っ赤になりながら手綱たづなを握ることになった。


「二人ともだいじょうぶかい? 無理しなくてもいいんだよ」


 レイディの馬は白馬である。銀髪をなびかせながら軽やかな手綱捌きを見せるその姿は、まるで童話に出てくる王子さまのよう。

 瞬間、恐怖も羞恥も忘れて、ゼリシオとファムロは見とれてしまった。


「ようし、全員乗ったな」


 ヤンクの愛馬であるフォアは、魔物の血が混じっているらしい。他の馬よりもひと回り以上馬体が大きく、血のようなたてがみからは、禍々しい魔気オーラを発していた。冒険者である少女たちもそのことに気づいたが、指摘する余裕はなかった。


「今日は初日だから、のんびり行くぜ」


 ヤンクを先頭とした二列編隊を組み、出発する。

 小高い丘を越えた辺りで、一気にスピードが上がった。


「――ひっ」


 悲鳴を上げたのは、カリンか、それともニコリコか。

 軍用馬は、前を走る馬についていくよう訓練されている。しかし、乗り手が恐怖のあまり手綱たづなを引いてしまえば、無理に走ろうとはしない。不満そうにいななきながら、歩みを止めるのである。

 レイディとキスイト以外の馬が遅れ、そのたびに隊列を組み直して、出発する。

 再び数人が遅れて、停止。

 再度、隊列を組み直す。

 恐怖のあまり、少女たちの顔は真っ青になっていた。馬から落ちないようにしがみついているだけで精一杯だ。悲鳴を上げる余裕すらない。全身が強張り、脚は痙攣し、ついには目を開けることもできなくなる。


「ヤンク兄さん、初日から飛ばしすぎ!」

「あ? どこがだ?」


 たまらずレイディが注意を促したが、ヤンクは気だるそうにしていた。彼が跨るフォアなどは、いらただしそうにくつわ馬銜はみをもごもごしている。

 レイディは最後尾に回り、大混乱しているファムロの隣についた。


「も、申し訳ありません。レ、レイディ、さま」

「しゃべらないで。舌を噛むから!」


 ファムロ同様に苦労したのは、ニコリコ、ゼリシオ、ユイラの三人だった。ゼリシオなどは涙を流しながら馬にしがみついているありさまだ。

 すでに隊列などと呼べる代物ではなくなっていた。

 ほんの半刻ほどで、その日の訓練は終了となる。


「明日も同じ時間に集合だ。遅れんなヨ」


 そういい残して、ヤンクと彼の黒馬はこれまでの鬱憤を晴らすかのように、風のようにどこかへいってしまった。

 残されたメンバーたちは、敗北感に打ちのめされ、自信を喪失し、互いに迷惑をかけたことを詫びた。


「そんなに落ち込むことはないよ。久しぶりだったんだし、今日はゆっくりと休もう」


 レイディが優しく声をかけて、みなを励ます。

 言葉少なく事務所に戻り、談話室サロンで紅茶を飲むと、ようやく恐怖心がほぐされたようだ。


「ああ、怖かった……」


 両手を顔に当てて、ニコリコが泣き出した。屈託のない笑顔でいつも雰囲気を明るくしてくれる少女の泣き顔を、メンバーたちは初めて見た。


「よく頑張ってね。ニコリコ」


 レイディがそっと少女を抱きしめる。他のメンバーたちも集まり、身を寄せ合った。

 それから“シルバーローズ”のメンバーたちは、事務所にいたクク家の若い家令に命じてお湯を沸かしてもらい、全員で湯船につかることにした。

 この事務所には巨大な浴室があり、冒険者として依頼を達成した後などには、お祝いにと贅沢にお湯を沸かし、全員でお風呂に入ることになっていた。だが、今日は特別である。身も心も温まったことで、ようやく彼女たちは落ち着くことができた。

 翌日は、初日よりもひどかった。

 慣れない運動のため全身の筋肉が強張り、身体が思うように動かなくなっていたのだ。

 レイディが訓練の中止を進言したが、ヤンクは聞く耳をもたなかった。


「今日やらねぇやつは、明日もできねぇ。さっさと馬に乗れ!」


 どすのきいた声に少女たちは恐怖を感じ、身をすくませた。

 その日の訓練も、半刻ほどしか続けることができず、“シルバーローズ”のメンバーたちは、うな垂れながら湯船につかることになる。





     (10)



 少女たちの生活は、一変した。

 冒険者の仕事がない日には、全員で買い物に出かけたり、アウリスト王立劇場やビカラ美術館に行ったり、事務所の談話室サロンに集まって、持ち寄ったお菓子と紅茶をいただきながら、他愛のないおしゃべりを楽しんでいたりした。

 それが、今や……。


「よし、できたぞ。さっさと食いな!」


 巨大なテーブルに並べられているのは、全員分の朝食である。彼女たちがあまり味わったことのない庶民的な料理だ。


「朝食はみんなで食うもんだろ?」


 このヤンクのひと言で、朝の早い時間に全メンバーが集合して、いっしょに朝食をとることになったのである。

 そのことに不満はないのだが、とにかく量が多い。

 食欲のわかない朝は、パンとチーズとお茶というのが定番。それなのに、肉や野菜をふんだんに使った炒め物まで出てくる。「朝はしっかり食わねぇと、力がでねぇからな」というのが、料理人であるヤンクの持論であった。


「では、いただきます!」


 まず先陣を切って、ヤンクが合掌する。これはキース家独特の作法であり、前世でのヤンクの習慣がそのまま影響している。ヤンクの仕草に倣ったのはレイディとナギサのみで、他のメンバーたちは、それぞれ自分が信仰する神への祈りを捧げた。

 ヤンクは自分の分をもの凄い勢いで平らげると、さっさと談話室サロンを出て行ってしまう。


「食べきれなかったら、遠慮なく残しな」


 そう言われているものの、強面のリーダーが作った料理を残したりしては、気分を害するかもしれない。もたもたしながらも、無理やり食事を胃の中に詰め込むのであった。

 その後、彼女たちは紅茶を飲みながら腹ごなしの休憩をとる。会話ははずまなかった。

 間もなく恐怖の乗馬訓練が始まることを、誰もが知っているからだ。

 初日から三日目くらいまではまさに最悪だった。ただ馬を走らせるだけで精一杯。恐怖で震え、悲鳴を上げる余裕すらなかった。訓練はわずか半刻ほどで中止となり、ヤンクはどこかへ行ってしまった。

 それ以降、徐々に身体が慣れてきたが、状況はさらに悪化した。先頭を走るヤンクと彼の愛馬であるフォアがスピードを上げ、さらなる恐怖に直面することになったのである。

 スピードが上がれば、その分振動や衝撃も大きくなり、不安定になる。

 落ちれば大怪我は必至。

 下手をすれば、死ぬ。

 冒険者として魔物と戦う時には、嫌でも死の影がつきまとう。しかし、魔法使ウィザードいである彼女たちは、直接魔物たちと刃を交えるわけではない。何よりも、レイディがいてくれる。いざという時には助けてくれるという絶大な信頼感が、安心へと繋がっていたのだ。

 しかし、馬の上ではひとりだった。

 自分ひとりの力だけで、恐怖と戦わなくてはならない。


「お前らなぁ。ちっとは馬の気持ちも考えてみろ。こいつらは、ただ走ってるだけだぞ。危険だなんてこれっぽっちも思っちゃいねぇ。だから、お前らも怖がるな。自分がおんぶしている奴がこちこちに固まってたら、走りにくいだろう?」


 休憩中にヤンクから受けた、ごく初歩的なアドバイス。頭では分かっているのだが、どうしても恐怖に身体が反応してしまう。

 普段から鍛えているレイディと予想外に身体能力能力が高かったキスイト、優等生のカリンや運動神経のよいチェイナなどは、どうにかヤンクについていくことができたが、他のメンバーは脱落していった。

 特に、ファムロが酷い。ある一定上のスピードを出すことができない。恐怖で無駄な力が入り、バランスを崩しては馬の首にしがみつく。このような主人では馬も安心して走ることができず、混乱し、やる気を失い、投げやりに首を振った。


「ごめんなさい、テイシア。本当に、わたくし……」


 愛馬であるテイシアを失望させている。そのことを自覚して、ファムロはさらに自信を失う。隊列を止めてしまったことで、他のメンバーたちにも迷惑をかけてしまっている。シェフィール魔法学園の同級生たちは、もちろん不満そうな顔などしない。本気で心配し、声をかけてくれる。

 ヤンクは相変わらず怖い顔と鋭い目つきで見てくるが、怒鳴り散らしたりはしなかった。


「緑、風になれ!」


 などと、訳の分からないアドバイスを伝えてくる。

 ちなみに“緑”とは、髪の色からつけられたファムロのあだ名である。ヤンクに名前で呼ばれたことは一度もなかった。

 ファムロはこれまで生きてきた中で、一番落ち込んでいた。光り輝く穏やかな生活は過去のものとなり、暗く冷たい現実の中で、立ち往生している。

 しかし、ファムロ以外の少女たちも、程度の差はあれ似たような心境だった。

 ヤンクとフォアは、本気を出していない。そのことを彼女たちは理解していた。

 何故ならば、ヤンクは手綱たづなを握っていないからだ。

 フォアの背中に載せられたくらは、少々特殊な形状で、まるで馬車の座席のような背もたれがついていた。そこに背を預け、ヤンクは両腕を組んだまま走っているのである。

 どう考えても、体勢がおかしい。

 これで何故落馬しないのか、よくわからない。

 しかし、彼がまるで本気を出していないことは明らかであった。


「続きは明日だ。アバヨ!」


 少女たちの気力と体力が尽きたことを知ると、ヤンクは不思議な別れの挨拶を口にして、風のように去っていく。

 明日の朝食まで姿を現すことはないだろう。ようやく安堵し、少女たちは力なくくらの上に座り込む。

 憂鬱な朝が続いていたが、よいことがひとつもないわけではなかった。

 それは、全員でお風呂に入る習慣ができたということ。

 “シルバーローズ”の事務所には、必ずメンバーの家令が待機している。実家の親が娘のことを心配し、共同で派遣するする取り決めになっているのだ。

 お茶や菓子の用意、消耗品の買出し、お出かけ用の馬車の手配など、様々な雑用をこなす役割を担っている彼らだが、最近の朝の仕事は、たっぷりのお湯でお風呂を沸かすことだった。

 疲れきった心と身体を癒してくれるのは、みんなで入るお風呂。


「みんな、ごめん。本当は、僕がヤンク兄さんを止めないといけないのに」


 湯けむりの中、しなやかな身体にお湯をかけて、レイディが浴槽に入ってくる。


「レイディさま、謝ったりなさらないで」

「わたくしたちの実力不足が原因なのです」

「レイディさまは、何もわるくないですわ」


 などと言いつつ、少女たちはレイディの身体をそれとなく観察していた。

 常に前線で戦い続けているというのに、傷ひとつない美しい身体。背が高く、信じられないくらい足が長い。少年のようにほっそりとしているが、出るところはちゃんと出ている。そして腕や足や腹部には、しなやかな筋肉がついている。水滴のついた銀髪、気遣わしそうな氷青アイスブルーの目。そして憂いを帯びた表情。まるで古の名工の手による彫像のようだ。

 まさに眼福であった。


「ヤンク兄さんは、一度言い出したら聞かないから」


 肩まで湯に浸かると、レイディはふうと息を吐く。頬が上気し、少しだけ無防備な顔になる。まるでレイディの秘密を覗き見しているようで、少女たちはいけない気持ちになってくる。


「はっ、このままではいけませんわ!」


 我に返り浴槽の中で立ち上がったのは、カリンだった。

 水気を吸った金髪の巻き毛が崩れ、白い肌に張りついている。


「みなさんに提案があります」


 両手を腰に当てて豊かな胸を揺らしながら、カリンは力説した。

 このままでは、ヤンクとフォアのスピードについていくことはできない。いずれヤンクを失望させてしまうだろう。自分だけならまだしも、レイディまでも。


「そんなことになっては、“シルバーローズ”の名折れですわ」

「で、でも、どうすればよいのか」


 前髪で隠れて表情は窺えないが、不安そうにエアが身をすくめた。控えめな性格で自己主張することはない。実はカリンよりも大きな胸をさりげなく隠している。


「もちろん、特訓ですわ!」


 午前中の乗馬の訓練で力を使い果たした少女たちは、昼食を食べる元気もなく、午後からずっと談話室サロンで休憩していた。その無駄な時間を、乗馬の訓練にあてようというのだ。

 全員の賛同を得て、レイディを中心とした乗馬の特訓が始まった。

 そして、数日後。


「も、もう、身体が動きませんわ」


 談話室サロンのテーブルの上に突っ伏しながら、提案者であるカリンがひび割れた声を出した。髪も乱れ、淑女らしからぬ姿を晒している。

 彼女だけでなく、他の少女たちも似たような状況だった。訓練の時間を増やせば増やすほど、疲労も蓄積する。その影響は朝の訓練にも出てしまい、散々な結果に終わってしまった。

 さらにヤンクからひとつの指令が出た。

 それは、馬の世話を自分たちですること。

 

「く、くさいですわ!」


 高級なスカーフを口元に巻きながら、カリンがヤケクソ気味に叫んだ。

 食事の前、朝一番で馬の世話をすることになったのである。馬小屋には馬糞も落ちている。このような汚れ仕事を、お嬢さまである彼女たちはしたことがない。お金を払って他人にやってもらうというのが常識だったのだ。 

 シャベルでおそるおそる馬糞をすくい、集める。完全に腰が引けているので、すぐに腰が痛くなる。ブラシで馬の身体を擦る時も、いつ噛みつかれるかと冷や冷やだ。


「では、いただきます!」


 ヤンクの作る朝食は、相変わらず重い。

 少女たちの食欲は落ち、憔悴していった。





     (11)



 “シルバーローズ”の少女たちが苦境に立たされている時、“妹”のナギサが何をしていたのかというと、午前中の訓練だけ適当に付き合って、午後からは書類と格闘していた。また、日替わりで事務所に来るそれぞれの家の家令に聴取ヒアリングを実施し、お姉さま方に対してどれだけの経費がかかっているかを調べ上げた。

 結果は散々たるものであった。

 “シルバーローズ”の帳簿は、大赤字だったのである。

 これまで達成した依頼の報酬ではとてもまかないきれないほどの経費が積み重なっていた。

 普段、談話室サロンで何気なく飲んでいるお茶は最上級の茶葉を使っているし、お菓子も超がつくほどの高級店から取り寄せていた。事務所で食べる食事もそれぞれの家の料理人たちが用意し、わざわざ配達していたようだ。

 カリンたちお嬢さまだけのことならば、別に気にする必要はないのだが、姉であるレイディもご相伴にあずかっているとなれば、話は別である。

 キース家の人間としては見過ごせない。


「レイディお姉ちゃん、これじゃ、ヒモだよぅ」


 “ヒモ”というのは、働かずに食べさせてもらっている駄目男のことである。ナギサはヤンクからそう習った。姉は男ではないが男嫌いなので、ほぼ当てはまるだろう。

 お金を払っていないので自覚していないようだが、姉は今の収入ではまかないきれないほど贅沢な暮らしを享受していたのだ。そもそもこの事務所からして、カリル家の元別荘ということで、普通に賃貸料を払おうとするならば、もっとむしゃらに働かなくてはならない。


「お兄ちゃん、みんなの朝ごはん作って」


 と、ヤンクにお願いをしたのは、実はナギサだった。

 さらに訓練の後、遠乗りから帰ってきたヤンクを捕まえて、家令たちがよく買い物に訪れるという高級菓子屋に連れて行ってもらった。


「お兄ちゃん、このお菓子、作れる?」

「いや、レシピがねぇと無理だろ」


 そこでナギサは、再び家令たちに聴取ヒアリングをして、お菓子のレシピを取り寄せてもらった。


「ナギサ、お兄ちゃんが作ったお菓子、食べたいな」

「おう、まかせろ」


 料理人としての探究心もあり、ナギサが注文する食べ物ならば、ヤンクはたいていのものを作ってくれる。

 それに、ヤンクは顔に似合わず甘党だった。田舎町のヘイポにはない洒落たお菓子の数々に内心興味を抱いていることを、ナギサは気づいていたのだ。

 カリンの話では、お姉さま方は家のために結婚する可能性が高いとのことだった。その猶予期間は、一年か二年。もっと短い可能性もあるそうだ。その後、仮に“シルバーローズ”が解散することになれば、残された自分たちはどうなるだろうか。ヤンクには金銭感覚がないし、レイディの様子を見る限り、こちらも危機感はなさそうだ。

 今の生活に慣れてしまえば、いずれ経済的に窮地に陥る時が来るかもしれない。

 そこでナギサは、今の生活水準をなるべく維持しながら、それと知られないように経費を抑えようと試みたのである。

 まずは、それぞれの家令たちを集めて秘密会議を開き、「自立した生活を送るよう努力することこそが、お姉ちゃんたちのため」と説得して、協力の約束を取りつけた。

 “シルバーローズ”の経費については、すべてナギサが把握し、調整することになった。また収入面についても情報収集を開始した。

 今はまだ乗馬の訓練中だが、“シルバーローズ”の活動が再開された時に、よりよい条件の依頼を確保しなくてはならない。

 体制が整ってから行動したのでは、遅いのだ。


「ふ〜ん。普通の冒険者さんは、ギルド内にある掲示版に張り出された案件の中から依頼を選んでるんだ。でも、本当においしい仕事は、直接組合から口利きをしてもらってるんじゃないかな?」

「そのようなルートもあるようです、ナギサさま」

「“シルバーローズ”の特長は、何といっても魔法使ウィザードいの数なんだから、それに特化した依頼を引っ張った方がもうかりそうね。機動力が備わったら、緊急案件を中心に漁った方がいいのかも。冒険者組合と繋がりのある家、あったりする?」

「当家では、十年以上前より冒険者組合に定期的に寄付を行っております」

「プリトン家は、地方で鉱山の開発をしているんだっけ?」

「さようです。人里離れた辺境では、魔物が頻繁に発生します。作業に支障をきたす可能性もございますので、一刻も早く冒険者たちの派遣を依頼しなくてはなりません」

「直接依頼を受けることもできるけれど、それじゃ名声が上がらないからなぁ。やっぱり、組合を通して受けた方がいいのかも」

「“シルバーローズ”を指名するよう取り計います。ですが、フラーお嬢さまの安全に関しては……」

「ヤンクお兄ちゃんとレイディお姉ちゃんがいるからだいじょうぶだよ。アルスお兄ちゃんが帰ってきたら、そっちも取り込むつもりだから」

「はっ。ご配慮、恐れ入ります」

「他の家はどうかな? せっかくこれだけの力を持つ家が集まっているんだから、壁を作らないで互いに有益な関係を築かないとだめだよ。もちろん、”シルバーローズ”以外のことでもね」


 十一名の家令たちは、そろって頭を下げた。

 情報を取りまとめる一方で、ナギサはこれまで甘やかされて育てられてきたお姉さま方の、精神的なケアも行わなくてはならないと考えていた。

 乗馬の訓練が始まってから半月、そろそろ不満も出てくる頃だろう。

 ナギサの予想は、的中した。


「あの方は、わたくしたちのことが、お嫌いなのでしょうか」


 お風呂上がり後の休憩時間。談話室サロンの長テーブルに突っ伏しながら、チェイナが悲しげに呟いた。


「無茶のしすぎです。このままでは、誰かが怪我をするかもしれません」


 お茶を飲みながらキスイトが意見を述べ、何かに気づいたように首を傾げた。


「お茶の葉が、変わりましたか?」

「キスイトお姉ちゃん、ごめんなさい。ナギサ、お茶をいれるの、へたっぴだから」


 申し訳なさそうにナギサが謝る。自分もお姉ちゃんたちの役に立ちたいと言って、談話室で飲むお茶はナギサがいれることにしていたのである。


「あ、謝らないでください。ナギサちゃんがいれてくれたお茶、とても美味しいです」


 逆に慌てたように、キスイトが微笑む。

 実はお茶の葉の品質そのものが変わっていたのだが、健気にお手伝いをしてくれる“妹”に対して疑念を抱く者はいなかった。


「そうですわ。ナギサちゃんはまだ小さいのに、わたくしたちと同じ訓練を受けて、それなのに、お茶までいれてくださるんですもの。感謝してもしきれませんわ」

「わたくしは、こちらの方が好みです。独特の風味があって」

「わたくしもそう思いますわ」


 他のお姉さま方も、そろって同意する。

 しかし、厳しさを増すばかりの訓練と何を考えているのか分からないヤンクの言動については、不満を抑えきれないようだ。家族であるレイディとナギサがいることが分かっていても、つい不満が口に出てしまう。


「ここ半月、馬にしか乗っていません。リリスは可愛いのですけれど」


 大きくため息をついて、アロマ。


「これでは、冒険者とはいませんわねぇ。メルディはとてもすてきなのですが」


 片手を頬に当て、困り果てたようにフラー。


「最近、足が太くなってきたような気がします。あ、ピニャはとてもいい子です」


 と、悩ましげに呟くユイラ。

 世話を続けてきたせいか、最初は怖がっていた自分たちの愛馬のことを、彼女たちは可愛がるようになっていた。うまく走らせてやれないという申し訳ない気持ちと、自分の命を預けているという信頼感。それによくよく観察すれば、つぶらな瞳にさらりとした尻尾など、美しさの中に可愛らしさが同居していることに気づく。何よりも自分個人の持ち物であるという実感が、彼女たちの愛情をより強いものにしていた。

 馬たちも主人の心境の変化を感じているようで、世話をされていると、首を寄せて甘えたり髪の毛を甘噛みしたりもする。

 そのふれあいが、たまらないようだ。


「あの方は、何を考えていらっしゃるのでしょうか。冒険者はスピードが大切とのことですが、現場に着いても疲れきってしまっては意味がありません。もちろん、シランちゃんのことは大好きです」


 ニコリコが少し踏み込んだ物言いをした。

 同意したのは、カリンである。


「わたくしのヴェルマインこそ、至高の存在ですわ! それはともかくとして、もう少し魔法の訓練に時間を割いてもよろしいのではなくて? このところ、わたくしは魔法を使っておりませんのよ。爆発とか、爆発とか、爆発とか……なんですの、”爆発嬢ちゃん”って!」


 憤慨するカリンに、アロマが続く。


「わたくしなど、”前髪ぱっつん”です。意味がわかりません」

「お二人とも、まだましな方ですわ。わたくしなど、”へっぴり腰”……」


 つい最近まで、ヤンクに尻を持ち上げられて騎乗していたゼリシオが、羞恥心と悔しさで真っ赤になって、肩を震わせた。

 ヤンクは彼女たちを、名前でなく彼が勝手につけたあだ名で呼んでいた。

 ちなみに、前髪の長いエアは“のれん”、ユイラは“泣きボクロ”、のんびりとしたフラーは“昼あんどん”、ファムロは“緑”、頭の左右で髪をくくりつけているニコリコは“じゃりんこ”、存在感の薄いパルムは“地味へび”である。


「確か、キスイトさんだけは強そうなお名前でしたわね?」


 ゼリシオの問いに、キスイトは微妙に視線を落とした。


「わたくしは、“雌豹めひょう”です」


 意味の分からない呼び名もあるが、好意的に捉えている者はいなかった。そのお返しというわけではないのだが、いつしか彼女たちは、ヤンクのことを名前ではなく、“あの方”と呼ぶようになっていた。

 カリンは皿の上のケーキを頬張ると、無理やり紅茶で流し込んだ。


「キスイトさんの言う通り、このままでは怪我人が出るかもしれませんわ。“シルバーローズ”には、神聖魔法ホーリーマジックの使い手はいないのです。あんな危険な走り方をして、もし、誰かが落馬でもしたら……」


 他の少女たちも恐ろしい光景を想像し、身震いをする。


「ねえ、レイディ。お兄さまに、それとなくお伝えすることはできませんの?」


 ヤンクを“シルバーローズ”のリーダーに招いたのはレイディだ。その責任も引き受けなくてはならない。そのことを自覚しているレイディは難しい顔になったが、それでも兄への絶対的な信頼感が勝ったようだ。


「ヤンク兄さんは、無茶ばかりするけれど、絶対に仲間を裏切ったりしない。いざという時には、きっと助けてくれる。だから、お願い。みんなにはつらい思いをさせてしまうけれど、もう少しだけ協力して欲しい」


 レイディは全員に向かって頭を下げた。


「レ、レイディさま」

「およしになって!」

「レイディさまのお願いならば、わたくしはどんなことでも……」


 姉の言葉に微笑みながら、ナギサは言った。


「そうだよ。お姉ちゃんたちのことが嫌いだったら、お兄ちゃん、朝早く起きてみんなのごはんを作ったりしないと思う」

「そ、そうですわね」

「確かに……」

「それに、このケーキだって、お兄ちゃんが作ったんだから」

「え?」


 これにはレイディすら驚いた。舌の肥えたメンバーたちが違和感を感じないほど、見栄えも味も完璧だったのだ。


「これを、ヤンク兄さんが?」

「みんな疲れているだろうから、甘いものを食べて元気になって欲しい。そう思って作ってくれたんじゃないかな?」


 真偽のほどは定かではないが、疑問系であれば嘘にはならない。お姉さま方たちの不満は、とりあえず解消されたようだ。





     (12)



 半月あまりの訓練で、少しずつではあるが馬の扱いにも慣れてきて、“シルバーローズ”“のメンバーたちは、かなりの速度でも隊列を維持できるようになっていた。

 しかし、ファムロだけはずっと苦戦していた。

 疲労の蓄積も原因のひとつだろう。ふくよかだった顔はやつれ、目の下にはくまができ、口数も少なくなっていた。

 そして彼女は、どこか思い詰めたように、午後の訓練を休むことをレイディに申し入れたのである。

 事情を聞こうとしたレイディだったが、すんでのところで思いとどまった。

 ファムロは、少し休んだ方がいい。

 このまま無理に訓練を続けさせるよりも、まずは精神こころと身体を休めることが先決だと判断したからだ。

 自分の言葉がファムロにこのような選択をさせたのだと、この時のレイディは気づかなかった。

 午後の訓練はレイディが指導役になり、午前中よりも緩やかな速度で早駆けをする。ヤンクがいないので、悲壮な雰囲気などなく、少女たちの表情も心なしか明るい。

 まずは気持ちよく走ることが大切。レイディはそう考え、みなの技量が確実に向上していることを伝えつつ、少しでも自信を取り戻させようと心がけていた。

 しかし残念ながら、ファムロにはその気持ちが届かなかったのかもしれない。

 翌朝、馬小屋には顔を出したので、ほっと胸を撫で下ろしたのだが、朝食後の訓練でファムロは精彩を欠き、初めてヤンクに怒られた。


「どんなに怖くても、目を閉じるな。これは力とか技の問題じゃねぇ。何度も言わせんなよ」


 それはぞっとするほど冷たい、突き放すような声だった。


「は、はい! も、申し訳ありません」

「続けるぞ」


 これまでとは違って、ヤンクはファムロに厳しく接するようになった。

 唯一安らげるお風呂場でも、ファムロはひと言も喋らなかった。レイディが話を振っても、ぼんやりと生返事をするだけ。これには他の仲間たち、特に仲のよいキスイトが心配した。


「ファムロさん、ご無理はなさらないで。それと、つらいことは口に出された方が、すっきりします」


 キスイトはもどかしそうな様子だった。自分が口下手であることを自覚しているのだ。

 儚げに微笑みながら、ファムロは「だいじょうぶです」とだけ答えた。

 ただでさえ他の仲間たちよりも身体能力や技量が劣っているというのに、練習もしないのではさらに苦しくなる。朝の訓練ではヤンクに厳しい言葉を突きつけられて、彼女は言葉を詰まらせながら何度も謝った。

 そんな日が数日続き、やがてファムロはお風呂にも来なくなった。


「レイディさま。わたくし、ファムロさんの家に行って参ります。おひとりで悩んでいらっしゃるのかもしれません」

「うん、そうだね。頼むよ、キスイト」


 昼の訓練の後、ゴーキュ家の屋敷に向かったキスイトだったが、ファムロは外出しており、話をすることはできなかった。

 翌朝、馬小屋にやってきたファムロは、さらに暗い顔をしていた。

 朝の訓練では、隊列のスピードについていけず、脱落してしまう。むしろこれまでより悪くなっているようだ。


「やるき気あんのか、緑。あ?」

「も、申し訳ありま……」

「ないなら帰れ」


 馬の上で顔をくしゃくしゃにして、涙を流しながら、ファムロは手綱たづなを握りしめた。


「ヤンク兄さん!」


 訓練の後、たまらずレイディがヤンクに詰め寄った。


「どうしてファムロにだけ厳しくするの? そんなのヤンク兄さんらしくないよ!」


 確かにヤンクは厳しいところはあるが、陰湿なことはしない。そのことをよく知っているレイディは、珍しくヤンクを責め立てた。小指で耳の穴をほじりながら、ヤンクはレイディの話を聞き流し、逃げ出すようにどこかに行ってしまった。

 さらに数日が経過したが、状況はさらに悪化しているようだ。この頃になると、ファムロが“シルバーローズ”を辞めるのではないかという憶測が、仲間たちの間で飛び交うようになった。

 明らかに、ファムロは変調をきたしていた。無口なのはもちろんのこと、表情が乏しくなり、逆に目だけがぎらつき、馬上でぶつぶつと何かを呟き始めたのである。


「ファムロ。“シルバーローズ”のサブリーダーとして、これ以上君を苦しませるわけにはいかない。しばらく朝の訓練を休んで。ヤンク兄さんには僕から伝えておくから」

「わたくしは、だいじょうぶです」


 ファムロはにこりと微笑んだ。それは、レイディが久しぶりに見る彼女の笑顔だった。


「違う。違うよ、ファムロ」


 ファムロは小首を傾げた。


「僕は、君にこんな顔をさせるために、ヤンク兄さんを呼んだんじゃない。みんなで、楽しく過ごせるように……。それなのに、こんなことになるくらいなら、いっそのこと――」

「レイディさま」


 言葉を詰まらせるレイディに、ファムロは言った。


「レイディさまは、何も間違ってなどいませんわ。わたくしが、すべてわるいのです」


 ここまでくると、他の仲間たちも黙ってはいられない。浴槽で仁王立ちになって怒りを爆発させたのは、カリンだった。


「納得がいきませんわ!」


 人にはその人に合った訓練方法がある。リーダーたるもの、メンバー全員の実力や性質を正確に把握し、意欲モチベーションの維持に務めながら、より効果的に導いていかなくてはならない。


「それなのに、まったくなっていませんわ。無意味なしごき――いえ、もはやこれはいじめですわ。“シルバーローズ”の取りまとめ役として、これ以上、看過することはできません!」


 カリンが先陣をきると、他のメンバーたちも心のかんぬきがゆるくなる。ぼそりぼそりと、ファムロに対する同情と、ヤンクに対する不満を口にした。

 もっとも過激な発言を口にしたのは、キスイトである。


「もう、やるしかない」


 灰色の髪に赤茶色の瞳という特異な風貌の持ち主だが、彼女が強い怒りを感じた時、その瞳がぼんやりと赤く輝く。


「ちょ、ちょっとキスイト。やるってなに? 早まらないで!」


 慌てたようにレイディがなだめ、「僕からヤンク兄さんに伝えるから」と、みなの不満を抑えることになった。

 ヤンクを王都に呼んでから、約ひと月。色々と問題を起こすのではないかと予想していたレイディだったが、今の状況は想定外だった。

 喧嘩などで他の冒険者たちと対立するならばまだしも、チーム内の不協和音を呼び、メンバーのひとりを肉体的にも精神的にも追い詰めることになるとは思わなかった。

 故郷であるヘイポの町では、ヤンクは若者たちから「アニキ」と呼ばれ、慕われていた。義理堅いところもあるので、先輩の猟師たちからも可愛がられていた。

 ヤンクが上京することが決まった時、リセラ商店会の会議所が開放されて、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎが三日三晩も続いた。


「魔物に襲われたら、いつでも言いな。誰よりも早く駆けつけるぜ!」


 ヤンクは得意の仕草ポーズで決めて、涙と大歓声を背に出立しゅったつしたのである。

 だが、気が強く荒々しい港町の人間と、王都でおしとやかに育ったお嬢さまとでは、人種が違う。さすがの兄でも勝手が違うのかもしれない。

 朝の訓練が終わると、ヤンクは愛馬であるフォアを駆ってどこかへ行ってしまう。ナギサの話によると、お昼くらいに一度戻って昼食を作り、すぐにまた外出してしまうようだ。

 その間レイディは“シルバーローズ”のメンバーたちと午後の訓練を行う。夜には家に戻って、ナギサとともに夕食をとるのだが、ヤンクはどこかで飲み歩いているらしく、就寝後まで戻ってこない。最近はすれ違いの生活が続いていた。

 だからレイディは、ヤンクが帰ってくるまで自宅の居間リビングで待つことにした。

 夜半過ぎ、家の外から甲高い女性の笑い声が聞こえてきた。

 玄関の扉を開けると、そこにはヤンクと二人の女がいた。ヤンクはかなり深酔いしているようで、両腕を女たちの肩に回し、支えられていた。


「よう、レイ。帰ったぜ」


 ぷらぷらと右手を上下に振りながら、ヤンクがからからと笑う。


「あらまあ、もの凄い美男子さん」

「ねぇヤンさん。この方、どなた?」

「妹だぜ、ひっく」

「やだ、女の人だったの!」

「こんなにきれいな子、初めてみたわ」


 レイディは二人の女性たちを観察した。

 派手派手しいドレスにアクセサリー。背が高く、体つきにもメリハリがある。化粧が濃く、香水の匂いもきつい。

 まるで仮面を被ったかのように、レイディの表情が冷たいものになった。


「君たち、兄が面倒をかけてすまなかった。あとはこちらで看病するから」

「病人じゃねぇんだぞ。ひとりで歩けらぁ」


 ふらつきながら、ヤンクは家の中に入っていく。レイディは女たちに飲み代の支払いについて聞いたが、つけになっているので心配いらないとのことだった。


「それに、ヤンさんと飲んでると、楽しいし」

「そうそう、いつでも大歓迎よ!」


 王都に来てたったひと月で、つけのきく馴染みの店ができたのだろうか。しかも女たちの容姿や格好からして、かなりの高級店だ。

 忘れかけていた不快感が、胸の奥底に沸き起こった。

 それは暗く、熱く、そして鮮烈な、とても強い感情だった。

 本来ならば送っていくべきだろうが、「子どもが寝ているから」と、レイディは女たちを追い返すことにした。

 レイディの家は大通りの近くにあり、治安もよい。ランプ灯はまだ消えていないから、問題はないだろうと考えたのだ。

 居間リビングに戻ると、ヤンクは水を飲んでいた。


「ヤンク兄さん、ファムロのことで話があるんだ」

「……緑が、どうした?」


 レイディはファムロの窮状を訴えた。そして、他のメンバーたちがとても心配していることも。やや厳しい口調になっていたが、抑えることができなかった。


「僕だってそうだ。ファムロはどんどん痩せていく。みんなとも会話をしなくなった。あんなつらそうな笑顔なんて、見たこともないよ。だから――」

「緑が、言ったのか?」


 彼女を休ませてほしいと続けるつもりだったレイディは、機先を制された。

 ヤンクの顔は赤かったが、眼だけは笑っていない。


「あいつが、助けて欲しいって言ったのか?」

「いや、ファムロは何も言ってない。たぶん、言えないんだと思う」

「だったら必要ねぇな」


 ヤンクは酒臭い息をついて、自分の部屋へ戻ろうとする。


「ヤンク兄さん!」


 居間リビングの出入り口で足を止めると、振り返らないままにヤンクは言った。


「助けを求めてもいないやつに気を回すのは、余計なお節介ってやつだ」

「そんな……」

「中途半端に手を差し伸べても、そいつのためにならねぇ。放っておけ」


 翌日の朝。

 朝食の時に、ヤンクから試験を行うという話が出た。

 実施日は、七日後の朝。

 今度は自分も本気で走るという。


「ついてこれなかったやつは、チームを抜けてもらうぜ」


 そう言って、ヤンクはにやりと笑った。





     (13)



 ヤンクが手綱たづなを握ると、馬の動きが激変した。

 直線はともかくとして、急な曲道カーブになると断然スピードが違う。ヤンクは曲芸士のように身体を大きく乗り出して、内側に思いきり体重をかけるのだ。

 がに股で、膝が地面の方を向く。

 純白の特攻服の裾が、まるで翼のように舞う。


「でた、ヤンク乗り」


 ぼそりと呟いたのは、ナギサである。彼女は隊列の中段に位置しており、先んじることも遅れることもなく馬を走らせていた。

 故郷であるヘイポの町でも、ヤンクはこの独特の騎乗体勢フォームで爆走していた。よい馬が見つからなかったので、どこか不満そうにしていたのを、ナギサは覚えている。しかし、燃えるような赤い鬣を持つ漆黒の馬は、ヤンクの本気を受け止めることができるようだ。


「これは、ちょっと厳しくなるかも」


 ナギサの予想通り、隊列はすぐに乱れ始めた。先頭を行くカリンやキスイトさえも、ついていくことができない。


「おら、そんなんじゃ“シルバーローズ”は解散だぞ!」


 七日後の試験でついてこれない者は、チームを抜けてもらうとヤンクは宣言した。

 ひと月近く続いた訓練の成果は、確かに出ている。しかし、それでもまだ足りない。そのことを、“シルバーローズ”のメンバーたちは思い知らされた。


「どうした、レイ。身体がなまったか?」

「くっ」


 ついにはレイディまで遅れ始める。

 冒険者たちは基本、騎乗はしない。魔物たちはうっそうとした森林や険しい山岳地帯、洞窟の中に潜むことが多く、様々な地形で戦うことになるからだ。馬に乗っていると足かせになることもあるし、維持するだけでも経費がかさむ。それならば、必要な時に馬車を賃貸した方が効率がよい、という判断に落ち着くのだ。

 冒険者になって五年。その間レイディはほとんど馬に乗る機会がなかった。身体能力だけで馬を操るには、限界があったのである。

 メンバーの誰もが、自分以外を気づかう余裕などなくなっていた。ただただ前方と重心のみに集中し、馬の呼吸に合わせるだけだ。


「本番は、こんなもんじゃねぇぞ」


 訓練が終わり王都に戻ってくると、まるで初日の訓練に戻ってしまったかのように、全員が疲れきっていた。

 重々しい足取りで風呂場へと向かう。

 鼻の下まで湯船に漬かりながら、レイディは考えた。

 ひとりでも、ヤンクの試験に合格することができなかったら――

 “シルバーローズ”を、解散しよう。

 自分たちは冒険者チームである前に、運命共同体だ。ひとりでも失うわけにはいかない。それでは意味がない。

 自分の考えを、レイディはみなに伝えた。


「だからあと七日間。悔いを残さないように、全力で頑張ろうと思う」

「ファムロのことは、どうするのですか?」

「とにかく、話してみるよ」


 キスイトの問いにレイディは短く答えた。

 顔を突き合わせて話し合わないことには、気持ちを伝えることができない。そのことをレイディだけだなく、メンバーの誰もが痛感していた。

 午後の訓練は、より厳しいものになった。

 ひとりも脱落させないためには、全員の意欲モチベーションの維持に努めるような、これまでのやり方だけでは無理だ。

 実力の劣る者を、鍛え上げるしかない。

 レイディはカリン、キスイト、ゼリシオの三人を指導役とし、一対一マンツーマン形式で他のメンバーの面倒をみさせることにした。“へっぴり腰”のゼリシオは最初こそ馬を怖がって苦戦していたが、彼女は幼少の頃から軍人の父親に手ほどきをうけていたこともあり、技術については確かなものを身につけている。


「カリンはユイラ、キスイトはニコリコ、そしてゼリシオはフラーを頼む。指導役は後ろについて、気づいたことがあったら相手に遠慮なく伝えること。そして指導を受ける三人は、自分が疑問に思っていることを聞くこと。どんなささいなことでも、いいね?」


 これまでレイディは、十一人のメンバーたちに順位付けをしたことはなかった。古代魔法コモンマジックの実力にも差はあるのだが、そんなことは関係なしに平等に扱っていた。

 その前提を、初めて崩したのである。

 レイディの悲壮な覚悟をメンバーたちも感じたのだろう。ヤンクに対する不満を口にすることはやめ、この困難を乗り越えるため、一致団結することにした。

 昼の訓練を終えると、レイディはファムロに会うため、ゴーキュ家を訪問する。残りのメンバーたちは集会ミーティングを開き、各々が気づいた点を挙げて実力の底上げを図ることになった。

 しかしレイディは、ファムロと話をすることができなかった。

 家に行っても外出中だし、早朝の馬の世話、朝食、朝の訓練の後に「お願いだから話を聞いて欲しい」と頼み込んでも「申し訳ございません。大切な用事がありますので」と、逃げられてしまう。

 何の成果も得られないまま、五日が経ってしまった。


「明日は、一日休みだ。疲れたまんまじゃ力が出ねぇからな。昼の訓練もするんじゃねぇぞ」


 一方的にヤンクが決定し、思わぬ休暇を得ることができた。

 これ幸いと、レイディはファムロに接触を試みる。


「ファムロ、明日は――」

「試験の前日ですので、休ませていただきますわ」


 もはや万策尽きたとうなだれたレイディだったが、まだやれることがあるはずだと、覚悟を決めた。

 試験前日の夜、レイディはヤンクに直訴した。

 一度口にしたことを、兄は絶対に曲げない。そのことを承知の上で、必死に頼み込んだ。

 自分たちは精一杯のことをやっている。しかし時間が足りない。ファムロについては自分が責任を持って面倒をみるから、明日の試験でついてこれなくても、彼女を見捨てないで欲しい。

 自分が情けないことをしていると、レイディは自覚していた。

 予想通り、ヤンクはつまらなさそうな顔になる。


「あ? なに言ってんだ?」


 しかし次に兄が口にした言葉は、レイディの予想を裏切るものであった。


「ここ数日、脱落者は出てないだろ?」

「え?」


 ヤンクが手綱たづなを握るようになってから、隊列のスピードは一気に上がった。

 初日はレイディすら遅れ、脱落者が続出した。しかし二日目からは、全員が決死の覚悟でくらいついていった。

 他のメンバーの様子まで見ている余裕がなかったが、ファムロも隊列の中にいたはずだ。そういえば、ヤンクにもどやされてはいなかった。スピードが上がっているはずなのに、ファムロは脱落しなかったのだ。


「精一杯のことを、やってる?」


 怪訝そうな顔になるレイディに、ヤンクがぶっきらぼうに言い放つ。


「そんなんじゃお前、あいつにくわれるぞ」


 翌日は空が暗く、霧のような小雨が降っていた。

 朝食後、緊張した面持ちでメンバーたちが馬小屋に集合すると、両腕を組みながらヤンクが待っていた。


「ようし、全員そろったな」

「い、いえ、その……」


 はっきりとものを言う性格のカリンが、しどろもどろになっている。

 ひとつ息をついて、レイディが報告した。


「ファムロが、まだ来てないんだ」


 ヤンクが沈黙し、緊迫した空気が舞い降りる。


「今日は天気がわるいし、試験は延期でも――」


 怒鳴られることを覚悟でレイディが提案したその時、馬の手綱たづなを引きながら、ひとりの少女がやってきた。


「も、もうしわけございません。少し、着替えに手間取ってしまいまして」


 少女は乗馬服ではなく、白い長外套ロングコートを身につけていた。 

 えりはぎざぎざの形状で、ぴんと上に向かって立っている。ボタンは留めず、前がはだけていた。肌着は着ておらず、上半身に白い布を巻いているようだ。外套コートと同じ純白の脚衣ズボンを、荒縄のようなベルトで留めている。長靴ロングブーツは黒革だ。

 ゆるく三つ編みにした瑠璃るりいろ色の髪と、碧石色エメラルドの瞳。このひと月ほどで、引き締まった顔立ちになった。

 霧雨の中から現れたのは、ファムロだった。

 布を巻いただけという格好が恥ずかしいのか、頬も耳も真っ赤になっている。

 驚きのあまり言葉を失っているメンバーたちの前にくると、ファムロはくるりと半回転して、長外套ロングコートの背中を見せた。

 そこに刺繍されていたのは、銀色の薔薇と“シルバーローズ”のチーム名。


「きょ、今日は、ヨロシク!」


 ぎこちない仕草で振り向くと、瑠璃るりいろ色の髪の少女は、指先をこめかみのところでぴっと動かした。





     (14)



「おう、バッチリ決ってるじゃねぇか」


 よく分からない言葉を使ってヤンクが褒めると、ファムロは真っ赤になって俯いてしまった。

 背中の刺繍こそ違うが、ファムロの格好はヤンクのものとほぼ同じ形状だ。明らかに真似をしている。


「もともとは、羽織ローブを作らせていたのですけれど、急きょ仕様を変更いたしましたの。この日のために、無理をいって仕上げていただきました」

「それで、オレの一帳羅いっちょうらを貸して欲しいって言ったのか」

「はい。服飾士の方に見ていただいて、参考に……」


 何やら気安い感じで会話をしている。

 

「ファ、ファムロ、それはいったい?」


 やや混乱したように、レイディが聞く。

 純白の特攻服を身に着けた瑠璃るり色の髪の少女は、レイディを、そして他のメンバーたちを見て、深く頭を下げた。


「みなさま。このたびはご心配をおかけしまして、まことにもうしわけございませんでした」


 ファムロは語った。

 朝の訓練が始まった当初から、ファムロはヤンクにも、他のメンバーたちにもついていくことができなかった。

 午後の訓練では、レイディは連帯感を意識するかのように、一番遅い馬に合わせる形をとった。

 つまり、ファムロにだ。

 自分ひとりが遅いために、効果的な訓練ができない。

 そのことを自覚して、彼女は落ち込み、悩んだ。

 そんなファムロに一筋の光明が差したのは、乗馬の訓練が始まってから約半月が経ち、メンバーの中で不満が出始めた頃だった。

 風呂場でレイディが言ったのである。


「ヤンク兄さんは、無茶ばかりするけれど、絶対に仲間を裏切ったりしない。いざという時には、きっと助けてくれる。だから、お願い。みんなにはつらい思いをさせてしまうけれど、もう少しだけ協力して欲しい」


 絶対に、仲間を裏切ったりしない?

 いざというときには、きっと助けてくれる?

 ファムロは決断した。

 朝食をかきこむように食べて外に出ていこうとするヤンクを捕まえて、個別指導をお願いしたのだ。

 このままでは、隊列のスピードについていくことができない。いつまでもずっと、みんなに迷惑をかけ続けることになるだろう。

 誰も責めたりはしない。それは分かっている。

 だがそれでも、いやだからこそ、ファムロはみなの足手まといにはなりたくなかった。助けられ、同情されるだけの存在。そんな者は、チームの一員ではないはずだ。


「キスイトさんが、何度も、無茶をするなとおっしゃってくれました。そのお心遣いは本当に嬉しかったのですけれど、わたくしは、無茶をすべきだと思ったのです」

「ファムロさん……」


 呆然としたように、キスイトが呟く。

 ファムロは午後の訓練を休むとレイディに申し入れ、ヤンクにつきっきりで指導を受けることになった。


「オレは、女相手だからって手加減はしねぇぞ。お前が泣いてもやらせる。それでいいな?」

「は、はい!」


 ヤンクとの訓練は、熾烈を極めた。

 身体も精神こころも疲労し、食欲も落ち、ファムロは一気に消耗していった。

 そんな彼女をぎりぎりのところで救っていたのは、“シルバーローズ”のメンバーへの想い。


「馬を信じろ。そいつだけが、お前を助けてくれる」

 

 そして、愛馬への信頼。


「わたくしは、“シルバーローズ”にいる。みんなとともにある。遅れはしない。怖がりもしない。テイシア、お願い、テイシア。わたくしを助けて――」


 ぶつぶつと呪文のように、ファムロは呟き続けた。

 疲労の蓄積もあり、騎乗すらままならない状態になったファムロは、朝の訓練でもヤンクにどやされ続けたが、少しずつ身体が慣れ始めた。

 愛馬であるテイシアも、彼女の想いに応えた。

 そして、ようやく“感じ”がでてきたのは、ここ数日のことである。

 一日ゆっくりと休養したことで、今は気力、体力ともに充実していた。


「みなさんに隠し事をしていたこと、お詫びいたします」


 運命共同体である“シルバーローズ”のメンバー内では、隠し事をしない。それは誰が決めたわけでもない不文律だった。

 そのルールを破り、彼女は己の我を通したのだ。


「ああ、ファムロ!」


 レイディと他のメンバーたちがファムロに駆け寄り、取り囲んだ。


「本当に心配したよ」

「まったく、一時はどうなることかと思いましたわ」

「ファムロさんが“シルバーローズ”をお辞めになるのではないかと」

「それだけではありません。精神こころを病んでしまっては、大変なことになります」

「ファムロさん、よかった……」


 ひとりだけ取り残されたヤンクは満足そうに頷いていたが、少女たちのおしゃべりが一向に終わる気配を見せないので、ついには青筋を立てて怒鳴った。


「おら、試験はこれからだぞ。気合入れてかかれよ!」


 訓練中の隊列は、先頭がヤンク、そこから二列編隊となり、レイディとカリンがみなを率いる。しかし今日は、ヤンクの指示でカリンの位置にファムロが入ることになった。

 前を行く者がもたつけば、後続も遅れることになる。当然そのことを承知しているファムロは、二つ返事で引き受けた。


「務めさせていただきます」


 泣きながら手綱たづなを握っていたかつての少女ではない。ヤンクと同じ特攻服を身に着けることで、まるで別人にでもなったかのように、その表情は気合と自信に満ちていた。


「よし。全員、オレについてこい!」


 これまでの訓練の中でもっとも激しい、ヤンク曰く“爆走”が、開始された。

 街道から林道へ入る。空は暗く、視界は悪い。

 雨風が、強くなってきた。

 風の音と、馬の蹄の音。

 木々がきしむ音、葉が擦れる音。

 そして内側から聞こえる、呼吸と鼓動の音。

 風が壁にでもなったかのように、息苦しい。濡れた身体から体温を容赦なく奪っていく。

 細長い連続した曲道にさしかかり、少女たちは緊張した。

 ここで離されたら、終わる。

 ひとり先頭を行くヤンクの身体が、大きく傾ぐ。白い長外套ロングコートの裾が翻る。

 そして、次に続くファムロの長外套ロングコートも同じように。


 ――ヤンク乗り。


 ファムロもまた、重心を内側に傾けるために馬から大胆に身を乗り出したのだ。

 これまで最後尾を走っていた彼女がこの乗り方に挑戦していることを、他の誰も認識していなかった。

 ファムロのすぐ後ろにいたキスイトが、瞠目する。

 もちろんヤンクほど堂の入った動きではない。ぎこちなさはある。

 だが、早い。

 この騎乗体勢フォームを習得するために、彼女がどれだけ努力し、どれだけの恐怖に耐えてきたのか。

 食べることが大好きな、おっとりとした少女だった。争いごとが嫌いで、いつも控えめに微笑んでいた。


「ファムロ、さん……」


 無理をしないで欲しいと何度も口にしてきたキスイトに対して、ファムロが自分で出した答え。

 みなとともに在るために、あえて無茶を、する。

 隊列のスピードが、上がった。

 ひらりひらりと、純白の裾が舞う。瑠璃るり色の三つ編みが、激しく跳ね上がる。

 ファムロの後ろ姿に勇気づけられ、他の少女たちがよりいっそうの気合を入れたのだ。

 森を抜けると、ヤンクは山岳地帯へと方向を切り替えた。

 片方は、崖。

 目の前は、黒色の空。

 怖気づき、不用意に手綱たづなを引いてしまえば、隊列が乱れて、馬が脚を滑らせるかもしれない。

 転落の恐怖が襲い掛かり、全身がこわばる。

 しかし、前を走るファムロは臆することなく、大胆に身体を乗り出し、攻める。


 ――負けられない。


 少女たちの心はひとつになっていた。

 互いを尊重するだけでなく、ともに切磋琢磨し、さらなる高みを目指す。

 隊列は文字通りひとつの塊となり、大海を切り裂く魚群のように、縦横無尽に駆け巡った。

 

「お前ら! 風になれ!」


 ヤンクの怒声が響く。

 心地よい風などではない。地面を削り、木々をなぎ倒す、それはまさに暴風雨だった。

 坂を上りきると、一気に駆け降りる。

 黒い空を真っ白に染める稲光。遠くの方で雷の音がこだました。

 先頭のヤンクが方向を誤れば、全員が命を落とす。それはもう決定事項だ。たくましい背中に命を託すしかない。

 そのヤンクは、大声で笑っていた。

 何がおかしいのかは不明だったが、高らかに、勝ち誇ったかのように、心底楽しそうに笑っていた。

 我知らず、少女たちも叫んでいた。

 雷が鳴っただけで枕を抱きしめて、眠れぬ夜を過ごしてきた令嬢である。その彼女たちが、雷の音に負けるかとばかりに意味不明な叫びを上げたのだ。

 雲が流れ、雨が上がり。


 いつしか――


 少女たちは、見知らぬ場所へとたどり着いていた。

 全身が雨に濡れ、髪は乱れ、顔中泥だらけになっている。他人ひとにはとても見せられない格好だ。

 しかし少女たちは、誰ひとりとして欠けることはなかった。 

 そこは山の中腹あたりに位置する、崖の先端だった。

 雲の合間を縫うように、幾筋もの太陽の光が差し込んでいる。光と影が織りなす、幻想的な光景だ。

 眼下に広がるのは森と平原。細筆で描いたような道の先に、王都が見えた。

 その遥か上空。広がり始めた青空に、大きな虹がかかっていた。

 これほど見事な虹を少女たちは目にしたことがなかった。くっきりとした鮮やかな色彩が見事な弧を描いている。

 両手を顔に当てて、ファムロが泣いていた。

 無理やり気合を入れていたとはいえ、やはり相当な重圧だったのだろう。キスイトが近寄り、その肩に手をかけた。

 他のメンバーたちも集まり、互いを称え合う。

 その様子を見ていたヤンクが、叫んだ。


「ファムロ・ゴーキュ!」

「――は、はい!」


 名前を呼ばれたら、大声で返事をする。個人訓練をするにあたって、ヤンクとそういう取り決めをしていたファムロは、反射的に声を出していた。


「カリン・カリル!」

「は、はいですわ!」


 ファムロにつられるように、カリンも返事をする。


「キスイト・ミュズ!」

「はい」


 擦れたような声で、キスイト。


「ゼリシオ・ルエト!」

「ふぁ、ふぁい!」


 緊張した場面に弱いゼリシオが、あたふたと返事をする。


「フラー・プリトン」

「は、はい」


 おっとりとして何事にも動じないフラーは、涙をこらえきれない様子だ。顔をくしゃくしゃにしている。


「チェイナ・クク!」

「はいっ!」


 少年のような体つきで運動が好きな少女が、ぴんと手を上げる。


「ニコリコ・ブラン!」

「……は、はいぃ」


 頭の左右でくくっていた紐がなくなったのだろう。いつもとは違う髪形で大泣きしながら、ニコリコ。


「ユイラ・メイズ!」

「はいっ」


 大人っぽい顔つきに、自信と誇りをにじませながら、ユイラが頷く。


「エア・シーズ!」

「……はい」


 長い前髪の奥で瞳を潤ませながら、エア。


「アロマ・アルゼ!」

「は、はい!」


 生真面目なアロマが、何を勘違いしたのか、敬礼する。


「パルム・ランパ!」

「……はい」


 めったに口を開くことのないパルムが、消え入りそうな声で、しかしはっきりと応える。

 そこでいったん口を閉ざしたヤンクだったが、最年少のメンバーが目を輝かせながらこくこくと首を振ってくるので、やや苦笑気味に名前を呼んだ。


「ナギサ・キース!」

「はーいっ!」


 ナギサは両手を天に向かって突き出した。

 

「よくやったな。こいつは――」


 親指を立てて背後にある虹を指しながら、ヤンクはにやりと笑う。


「オレたちだけの、景色だぜ」


 これまでヤンクは、少女たちを名前で呼ぶことはなかった。ファムロならば“緑”というように、適当なあだ名で呼んでいたのである。

 そして今日初めて、少女たちを名前で呼んだ。

 自分たちが認められたのだと、少女たちは認識した。そして、ヤンクを含めた全員が、新たなる“シルバーローズ”のメンバーになったのだと。

 同じ思いをレイディも感じていた。

 自分でも驚くほどに少女たちは頑張った。自分でさえぎりぎりだったスピードに、最後までくらいついていった。

 確信に近い予感が頭の片隅によぎる。

 

 この子たちは、変わる――


 いや、変わらざるを得ないだろう。

 胸に沸き起こるこの気持ちは、期待なのか、それとも不安なのか。

 

「あ~、……バコ、吸いてぇな」


 時おり意味不明な呟きを漏らす兄の横顔を、レイディは真剣な眼差しで見つめていた。





     (15)



 いつもは閑散としている酒場に、大勢の客が押し寄せていた。

 それほど趣味のよい店ではない。カウンターやテーブルは古ぼけているし、窓ガラスも変色している。

 店の中央の天上部につけられたシャンデリアだけがやけに立派だったが、それがまた見栄を張ったようで、店全体の印象をさらにみすぼらしいものにしていた。

 簡潔に表現するならば、下町の片隅にひっそりとたたずむ、うらぶれた酒場。

 だが、今夜ばかりは様子が違うようだ。

 店内は満席どころか、座りきれなかった客たちが壁際に背を預けている状態である。客層は年齢も性別もばらばらだが、身なりは整っていた。中流階級から上流階級に属する人々だろう。

 客たちは酒を飲みにきているわけではなかった。

 テーブルの上には酒瓶もグラスもあったが、今日ばかりはただの飾りでしかない。

 店の一角に小さな舞台ステージがあり、そこに弦楽器リュートを構えた中年男と、純白のドレスを着た美しい女性がいた。中年男の伴奏で、女性が歌い手である。

 客たちのお目当ては、その歌姫だった。

 肩に届かないくらいの美しい銀色の髪。そして氷青アイスブルーの瞳。

 長身で、スタイルがよい。

 大胆に胸の開いたドレスには、銀糸で薔薇の花が刺繍が施されている。

 歌の内容は、とある冒険者がたったひとりで魔物の大群に立ち向かう、英雄叙事詩ヒロイックサーガだ。

 美しい調べが徐々に激しくなり、戦いの始まりを予感させる。

 銀髪の美女が拳をにぎり、声に張りを出す。

 氷青の瞳が、鋭く光る。

 まるで、目の前に本物の魔物がいるかのように。

 強大な敵にも決して怯まない、勇者のように。

 頬が上気し、髪が乱れ、汗が浮かんだ肌に張りつく。

 歌姫の声は、女性にしてはやや低めで、落ち着いた響きを持っている。

 しかし、驚くほど豊かな声量と圧倒的な表現力が、来場者の視線を釘付けにし、心を鷲掴みにしていた。

 歌姫の名は、レイディ・キース。

 本職は冒険者だが、定期的にこの酒場で公演会リサイタルを開いている。ちなみに伴奏者は酒場の主人マスターである。

 客の反応が、感心から陶酔とうすい、そして戦慄せんりつへと変わった。

 約ふた月ぶりの公演ということもあるが、これまで聞いてきた以上に、情感がこもっていると感じたからだ。

 やがて戦いが終わり、魔物とともに勇者も力尽きる。

 歌姫の声もか細く、しかしぴんと張り詰めたものとなり、長い余韻を残しつつ、途切れた。

 聴衆たちが一斉に立ち上がり、拍手を送る。

 中には目を赤くし、口元を押さえる女性客もいる。

 彼らはこの感動を忘れることはできないだろう。どれだけの倍率であろうとも、どれだけの金を積み上げようとも、再び彼女の講演会リサイタルに参加しようとするはずだ。

 歌姫は聴衆たちの期待を上回る成果パフォーマンスを披露してみせた。

 だが、今夜に限っては、その歌声はただひとりの男のために、彼女が心を込めて紡ぎ出したものだということを、誰も気づいてはいない。

 自分の表現を出し切った歌姫は満足そうに微笑むと、伴奏者とともに一礼して、舞台ステージをあとにした。






 舞台衣装から着替えると、レイディは粗末な控え室から出て、客たちの注目を浴びながら店内のカウンターへと向かった。

 普段の男装ではなく、飾り気のないドレス姿だ。

 

「やあ、レイディ君、お疲れさま」


 カウンターの中に戻っていた主人マスターが、ねぎらいの言葉をかける。


「いつも、本当にすまないね」

「好きでやってるんだから、気にしなくていいよ」


 気軽にレイディは答えたが、彼女ほど人気のある歌い手は引き手数多だ。場末の酒場で歌っていることに対して、不思議に思っている聴衆たちは多い。

 五年前。王都に来たレイディが駆け出しの冒険者となり、己の実力で食べていけるようになるまでの間、短い期間だったがお世話になっていたのが、この酒場だった。

 不規則な就業しかできないことを承知の上で、人の良い主人マスターは、レイディを雇ってくれたのだ。

 結果、男装の麗人がウェイトレスとして入ったことが評判を呼び、客も増えた。

 店としても利点メリットがあったわけである。

 この酒場の舞台に出演する予定だった歌手が都合で来れなくなった時に、その場のノリでレイディが歌って、それ以来、レイディは歌姫としての才能を開花させた。

 冒険者としても活躍するようになり、ウェイトレスは辞めたのだが、世話になったお礼にと、この酒場で定期的に講演会を行っている。

 彼女が冒険者仲間たちに“氷の歌姫”と呼ばれている、ひとつの理由であった。

 ちなみに報酬はささやかなもの。

 彼女の人気からすれば、酒場の主人マスターが恐縮するのも無理はない。

 だが、お酒だけは無料ただで飲むことができる。

 レイディはカウンタの隅でグラスを傾けている男の元へと向かった。


「ヤンク兄さん」

「よぉ、レイ」


 ただ酒が飲めると釣られてやってきた、ヤンク・キースである。すでに酒瓶ボトルを半分ほど開けているようだ。

 

主人マスター、私のグラスもお願い」


 レイディの注文に、酒場の主人マスターは少し驚いたような顔をした。彼女が誰かと酒を飲む姿など、これまで一度も見たことがなかったからだ。

 主人マスターは、ヤンクの隣の席にあった「予約席」の札をとると、代わりにグラスを置いた。


「つまみも出そうか?」

「じゃあ、リーマの塩漬けで」

 

 小さな赤い果実で、癖のある味がする。

 ヤンクがレイディのグラスにとくとくと酒を注いだ。


「お前、酒飲めんのか?」

「少しならね。酔っ払っても、ヤンク兄さんが送ってくれるでしょ」

「そうだな。昔みたいに、おんぶしてやるヨ」


 子どもの頃のレイディはやんちゃだった。女の子たちのグループを守る騎士ナイトになり、男の子たちと常に喧嘩していたものだ。

 同年代であれば負けることはなかったが、年上の男の子たちに囲まれた時には、さすがにかなわなかった。

 つかみ合いの殴り合いで、ぼろぼろにされたこともあったが、負けそうになるといつもヤンクが助けに来てくれた。

 そんな時に兄は「よくやったな、レイ」と頭をくしゃくしゃに撫でてから、背中を向けてしゃがみこむのだ。

 兄に背負われての帰り道。周囲を染める鮮やかな夕焼けが、今でも心の奥に焼きついている。

 

「いや、助かったぜ。今月はもう金がなくてな」


 ヤンクが王都に来てから、ひと月半が経つ。午前中はチームの合同訓練、午後は行方不明となり、たいがい深夜に酔っ払って帰ってくる。働いている様子はなかった。


「そう言えば、飲み代とかどうしてるの?」

「……」


 ヤンクはしぶい顔つきになり、舌打ちした。

 

「小遣い制だ」


 話によると、ナギサから毎月の飲み代をもらっているらしい。この歳にもなって、好きに酒も飲めないと、ヤンクは愚痴をこぼした。

 そのため、ツケがきいたり、ただ酒を飲ましてくれる店はないか探し回っているようだが、そう毎日顔を出すわけにもいかない。

 先日自宅に現れた二人組みの派手な女性のことを思い出して、レイディの目が少し険しいものになる。

 チームのために頑張ってくれているのだから、少しくらいは負担してあげようかと思ったのだが、やめた。


「生活費、ナギサが管理してるんだ」

「あいつ、財布の紐が固くてなぁ」


 レイディはにこりと微笑む。


「僕がこの店で歌う時だったら、いくらでも飲んでいいよ」


 ヤンクに限らず、港町の漁師たちは酒が好きだ。どちらかと言えば大勢でどんちゃん騒ぎをするイメージのある兄だったが、ひとりで黙々とグラスを傾ける姿も似合っているとレイディは思った。


「しかしお前……」


 ヤンクは不躾な視線を送ってきた。

 首筋と肩、それから胸へと。

 

「すっかり、女らしくなったな」


 兄の中では十五歳の時のやんちゃな自分のままなのだろう。

 実際のところ、ドレスを着るのは舞台の上だけで、普段着は相変わらずの男装である。それでも、以前と比べて身体のラインは丸みを帯びているし、表情も柔和になってきたと思う。

 思わず顔を赤らめたレイディだったが、慌てたように表情を取り繕った。


「そ、そういえば、もうファムロとの訓練も終わったんでしょ。相変わらず、フォアといっしょに郊外を走り回ってるの?」

「いや、王都にいるぜ」

「昼間っから飲んでるの?」

「んなわけねーだろ」


 心外そうに肩をすくめると、ヤンクは意外すぎる言葉を口にした。


奉仕活動ボランティアってやつだ」





     (16)



 “シルバーローズ”の試験が終わってから数日後。

 小遣いのほとんどを使い切ってしまったヤンクは、飲み代が足りないと妹に直訴しようとした。


「おう、ナギサ。実はな……」

「ごめんね、ヤンクお兄ちゃん」


 十四歳の妹はにこりと微笑んだ。


「今、稼ぎがないから、お小遣いあんまりあげられなくて」

「……」


 王都に来てから銅貨デュラム一枚稼いでいないのだから、強気で言い返すこともできない。ヤンクは「気にすんな」と言って、やけくそ気味に家を飛び出した。

 知り合いもいないので、行くあてはない。

 とはいえ、王都には見所が山ほどある。


「てきとーに、ぶらついてみるか」


 考えなしに歩いていると、すぐに道が分からなくなった。


「なんじゃこら」


 田舎と違って、よく似た景色が多すぎるのだ。日傘を差して静々と歩いている女性に道を聞くことにする。


「おう、わりぃな。ちょっと、聞きてぇんだが」

「――ひっ」


 女性は一目散に逃げ出した。

 ヤンクは知らなかったが、今彼がいる場所は上流階級の人々が行き交うお洒落な大通りだったのだ。

 目つきの鋭い男がポケットに手をつっこんだままがに股で近寄ってきたら、身の危険を感じて逃げようとするだろう。

 近くにいた通行人たちがちらちらと様子を窺ってくる。


「見世もんじゃねぇぞ?」


 通行人たちも足早に去っていった。


「ちっ」


 しばらくぶらついていると小腹が減ってきたので、ヤンクはスタンド型の屋台で食べ物を買うことにした。

 看板には「魔法菓子」とあった。


「ばあちゃん、これ、どんな食いもんだ?」


 店員は年老いた老婆ひとりだけだった。

 古ぼけた布帽フード付きの羽織ローブを身につけており、人のわるい魔女のような微笑を浮かべている。


「なんじゃお前さん、エクリアス名物を知らんのか」

「田舎から出てきたばかりなんだヨ」


 布帽フードの中でぎょろりと目を剥きながら、老婆は得意げに説明した。

 魔法菓子とは、その名の通り魔法を使って作った菓子のことだ。冒険者崩れの辻魔法使いの多い王都ならではの商売だという。

 もっとも人気が高いのは、老婆が作っている“雪果汁スノージュース”である。


雪果汁スノージュース?」

「果物の果汁に魔法をかけながら、まぜていくんじゃ」


 老婆は数種類の果実を絞った汁を、拳ほどの大きさの木の実の殻に入れた。

 液体に向かって両手をかざし、ふわふわと指を動かす。


「ほれ、こうしての……」


 手も触れていないというのに、果汁に気泡が立つ。やがてぴきぴきと音を立てて、表面に霜のようなものが浮かんだ。 


「凍結と風送りの魔法の同時展開。高等技術ぞ」


 やがて果汁は、色のついた綿毛のような状態になった。


「ほぉ、確かに、雪みてぇだな」

角銅貨かくデュラム五枚」

「頼んでもねぇのに、金とんのかよ」


 飲みに行くことを考えれば安い。寂しい財布の中から銅貨を出すと、ヤンクは屋台のそばにしゃがみ込んで、雪果汁スノージュースを食べ始めた。

 容器は木の実の殻で、持ち帰りもできるようだ。

  

「冷てぇな」


 氷を使った菓子とは珍しいが、シンプルで美味い。

 うちの嬢ちゃんたちの中でも作れるやつがいるだろうかと考えながら、何とはなしに周囲を見回す。

 石畳で舗装された道は、馬車が通る車道と歩行者が行き交う歩道とわかれていた。街路樹も植えられており、レンガ造りの建物群と合間って、調和のとれた景色になっている。

 初めて来たばかりの大都会だというのに、ヤンクはどこか懐かしさを感じていた。

 それは彼の前世の影響だったのだが、もちろん気づくことはない。

 妙にしっくりくる、という感覚である。

 これで近くに港があれば完璧なのだが……。

 視界に影が差した。

 

「お、お兄ちゃん。これ、買って……」


 いつの間にかヤンクの前に立っていたのは、小さな女の子だった。五歳くらいだろうか。手には小さな木の葉の包みを持っている。


「あ?」


 気だるそうにヤンクが声を出すと、女の子はびくりと身体を震わせた。


「お、おい。やめろって、チコ」


 少し離れた位置から、少し年上らしい少年が声をかけてくる。


「お兄ちゃん、これ買って。おいしいよ」


 女の子は完全におびえていたが、何とかその場に踏みとどまり、木の葉の包みを差し出してきた。

 その勇気に免じて、ヤンクは受け取ることにした。

 中身を開いてみると、それは得体の知れない茶色の塊だった。


「なんだ、こりゃ?」


 子どもに対する気遣いなどまったくみせず、ヤンクは思った通りのことを聞く。


「お、お菓子。おいしいよ」

 

 どうやら小麦粉を練って焼いたもののようだ。


「いくらだ?」


 少女が口にした金額は、ちっぽけなものだった。痩せこけた身体や身なりからして、かなり貧しい身分であることが伺えた。

 

「やめておけ」


 ため息まじりに、屋台の老婆が注意を促してくる。


「その子らは、近くの孤児院の子じゃ。金払いがよいと思われたら、毎回たかられる。それに、材料も分からんものを食べたら、腹を壊すぞ」


 硬そうな焼き菓子をじっと見つめていたヤンクは、おもむろに手を伸ばして、焼き菓子らしきものを口の中に放り込んだ。


「おぬし……」

「まじいな」


 ぎろりと少女を睨みつける。

 

「いいか、譲ちゃん」

「ひぐっ」

「客ってのはな、うまいもんを食いたくて、金を払うんだ。まずけりゃ客は二度とこねぇ。それじゃ、困るだろ?」


 ヤンクの言っていることを理解したのかは分からないが、お気に召さなかったことは察したのだろう。少女の顔がゆがみ、泣きそうになった。


「お、おい。やめろ! お菓子を食ったんだろ? だったら早く金を払えよ!」


 たまらず、少し離れた位置にいた男の子が駆け寄ってきた。こちらは七、八歳くらいか。女の子よりも背は高いがやはり痩せていて、服もところどころ穴が開いている。


「あ?」


 ヤンクは立ち上がり、少年のはるか頭上から見下ろした。


「ここでオレを怒らせたら、お前、そこの譲ちゃんを守れんのか?」

「――くっ」

「リニお兄ちゃん」


 少年は言い返すことができない。それでも両手を広げて、必死に女の子を庇っている。全身を震わせながらも、その目には敵に立ち向かう意思が宿っていた。

 しばらくの間少年の様子を観察していたヤンクは、力を抜くように苦笑した。

 

「これ、お前らが作ったのか?」

「ち、違うの」


 答えたのは、少年の背中に隠れていた女の子である。


「ヨウコリスお姉ちゃんが、作ってくれたの」

「その姉ちゃんが、売ってこいって言ったのか?」

「ううん。お姉ちゃんは、みんなで食べなさいって」

「ば、ばか、チコ!」


 おおよその事情を察したヤンクは再びしゃがみ込む。


「つまり姉ちゃんは、その菓子を、お前らに食べてもらいたかったわけだ」

「……うん」

「それを売っちまったら、姉ちゃん、悲しむんじゃねぇのか?」


 まったく考えていなかったようだ。女の子は沈黙して、泣き出しそうな顔になる。

 苦渋に満ちた表情で、少年が言い訳をした。


「お、おれたちには、金がいるんだ」

「だったらヨ、仕事しな」

「し、仕事?」


 怪訝そうに、少年は眉をひそめた。






「……でもさ」


 ほっそりとした顎先に指を当てながら、レイディが聞いた。


「そんな子ども向けの仕事なんて、ないでしょ?」 

「まあな。だが、小遣い稼ぎくらいはできる」


 ヤンクが子どもたちに提案したのは、不慣れな自分のためのまち案内だった。

 報酬はちっぽけなもの。だが、後ろめたさのない仕事だ。子どもたちは嬉しそうに、自分たちが知っている精一杯のことを教えてくれたのである。


「抜け道とか、隠れ家みたいな倉庫とかあってな。けっこうおもしろかったぜ」


 別れ際、ヤンクは美味い料理を出す店を知ってるかと、子どもたちに聞いた。

 お金のない子どもたちは残念そうに首を振ったが、「いつも行列ができてる店だ」と言うと、それならいっぱい知ってると答えた。

 その後ヤンクは、財布代わりのナギサもつれて、何度か子どもたちにまち案内を頼んだ。

 財布の紐が硬いナギサだが、いい店を見つけたと言えば、喜んで金を出してくれる。彼女曰く先行投資らしい。


「うう。それは、僕もいっしょに行きたかったな。ナギサだけずるい」


 さらに酒が進み、ヤンクは後日談を語った。

 一般的な菓子ならば、レシピを取り寄せることもできるが、有名店の一品となるとそうはいかない。“シルバーローズ”のメンバー用の菓子として提供するには、試行錯誤が必要になる。


「試作品の菓子は、孤児院のガキたちに食わしてる」


 これがヤンク曰く、奉仕活動ボランティアらしい。

 

「それは、めちゃくちゃ喜びそう」

「孤児院には二十人くらいガキがいてな。あいつら、目をきらきらさせながら――」


 ヤンクは下唇を突き出すようにして、不満そうな顔になった。


「オレのことを、“お菓子のおじちゃん”と呼びやがる」


 レイディは吹き出した。

 強面の兄の周囲に子どもたちがむらがり、「おじちゃん、おじちゃん」と連呼している様子を想像したからだ。

 憮然としている兄の肩を叩きながら、レイディは大笑いした。

 それから呼吸を整えると、頬杖をついて、どこか優しげな、親愛のこもった眼差しをヤンクに向けた。


「ねぇ、ヤンク兄さん。今度僕も、その孤児院に――」


 しかし、言葉を続けることはできなかった。

 無粋な二人の男が会話に割り込んできたからだ。


「やあ、レイディ。今日の歌は、特にすばらしかったよ」


 声をかけてきたのは、長身で均整のとれた身体つきの男だった。年齢は二十台の半ばくらい。さらりとした金髪と深い青色の瞳を持つ美男子ハンサムで、服装も洒落ている。

 もうひとりは、酒場にいるのが場違いな十台半ばくらいの少年で、まるで女の子のような顔つきをしている。


「いつもはすぐに帰ってしまうのに、今日はめずらしくお酒を飲むんだね」


 ヤンクの方に背を向ける形で、男が強引に間に入ってくる。

 レイディの表情が消え、代わりに氷青アイスブルーの瞳に剣呑な輝きが宿った。


「ベリス、アルタナ、来てたの」

「私は、この酒場のイベントし物を常にチェックさせてるからね。見逃すはずがないさ」


 ベリス・アンドゥール。アンドゥール公爵家の三男という身でありながら、一介の冒険者として活躍している男だった。

 家柄や容姿だけでなく、実力も一流である。彼が率いるチーム“トライアンフサーガ”は、王都の冒険者組合が定期的に発表している冒険者チームランキングでも、常に五位以内を確保キープしている。


「こ、こんばんは、キースさん」


 おびえたように頭を下げた少年は、アルタナ・メロス。“トライアンフサーガ”のメンバーで、常にベリスに付き従っている。 

 ベリスは優雅な微笑を浮かべつつ、レイディに語りかけた。


「ここは、君のような人にはふさわしい場所ではないよ。どこか別の場所で飲みなおさないかい? リーダー同士、積もる話もあるだろう」

「悪いけれど」


 努めて平坦な口調で、レイディは言った。


「君と話すことは何もない。私は、“シルバーローズ”のリーダーを辞めたからね」

「なっ!」


 ベリスは目をむき、上半身を仰け反らせる。

 後ろにいたヤンクと接触し、彼が持っていたグラスから酒がこぼれた。


「ど、どういうことだい? ちょっと話を……」

「おい――」


 がしりと服をつかまれ、ベリスが振り返る。

 まさに問答無用。

 座ったままのヤンクの右拳が突き上げられて、ベリスの顎に叩き込まれる。


「ベ、ベリスさまっ!」


 “星の王子”の二つ名を持つ美男子ハンサムな冒険者は、白目をむきながら吹き飛ばされた。


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