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ネタ帳  作者: 加茂セイ
17/21

飄々(ひょうひょう)ひょう太(1)〜(4)

     (1)



 妖怪(ようかい)の定義は、実に曖昧(あいまい)だ。

 存在そのものが曖昧(あいまい)なのだから(いた)(かた)ないところだが、無理やり言葉で表現するならば、『”隠世かくりよ“に()みつく知的生命体』ということになる。

 ちなみに”隠世かくりよ“とは、”現世うつしよ“と”常世とこよ“の狭間(はざま)にある世界のこと。巨石や巨木、神社の鳥居(とりい)といった、いわゆるパワースポットと呼ばれる場所から、比較的容易に行き来できたりする。

 ”隠世かくりよ“の住人である妖怪(ようかい)たちが生きていくために必要なものは、衣食住(いしょくじゅう)よりも(ゆう)。つまり、娯楽であった。

 生きがいと言い換えてもよいだろう。

 何しろ妖怪(ようかい)たちは、寿命が長い。数百年から数千年、平気で生き続けたりする。

 だというのに、”隠世かくりよ“は、あまりにも変化に乏しかった。

 妖怪(ようかい)たちは基本、個人主義で、怠惰(たいだ)で、かつ気まぐれである。

 科学技術や文化の発展など、とても望めない。

 人間たちがコンピュータを発明し、ネット上で膨大な情報をやりとりして、高層ビルや宇宙ステーションを建造している間も、妖怪(ようかい)たちはあいも変わらず酒を飲んだり、喧嘩けんかをしたり、互いに()らいあったりと、太古の昔と変わらぬ自堕落(じだらく)な生活を享受(きょうじゅ)していているのであった。

 さて、”隠世かくりよ“の“鷺森(さぎもり)”と呼ばれる森に、風変わりな妖怪(ようかい)が生まれた。

 種族名を小豆洗(あずきあら)い、名をひょう太という。

 この妖怪、何を隠そう人の生まれ変わりであった。

 妖気(ようき)の吹き溜まりから自然発生する妖怪(ようかい)たちは、”隠世かくりよ“で生きていくための基礎知識と種族としての本能を、生まれながらに備えている。

 それに加えてひょう太は、人間として生きていた頃の、つまり前世の記憶を持っていたのだ。

 ゆえに、彼は混乱した。

 つい先ほどまで、改善される見込みもないブラックな企業で、六十日間連続勤務という自己新記録を打ち立て、意識も朦朧(もうろう)としたままベッドに倒れこんだばかだりというのに、目を覚ますと奇妙な場所にいたのだから、無理もないことだろう。

 周囲は妙に明るい。白く濃い霧が立ち込めており、曲がりくねった木々が不気味な影を作っている。

 どうやら森の中のようだ。

 頭上の空は紫色で、驚くほど巨大な三日月が張り付いていた。


「ははっ、夢だな。夢」


 少しばかり移動すると、澄んだ泉があった。

 そこで初めて、ひょう太は自分の姿を確認することができた。

 水面(みなも)に映っていたのは、化け物だった。

 小豆洗(あずきあら)いは比較的人間に近い妖怪(ようかい)だが、異形(いぎょう)であることに違いはない。

 身体に比して頭が大きく、ぎょろりとした目は人間の三倍はあり、鼻は小さく、口は裂けている。髪は長くボサボサで、耳が笹の葉のように尖っていた。身長は約百五十センチ。ひどい猫背で腰が曲がってる。

 しかも、藁蓑わらみのに赤ふんどしという赤面ものの姿。


「これは、ひどい」


 無理やり背筋を伸ばすと、ばきばきと骨が音を立てた。


「いたたたっ」


 ということは、夢ではないようだ。

 ひょう太はため息をついた。

 自分は人間ではなく、妖怪(ようかい)小豆洗(あずきあら)い。

 ここで、この姿で生きていくのかと、ひょう太は考えた。


「まいったなぁ」


 節くれだった獣のような手で器の形を作ると、そこに小豆(あずき)(あふ)れ出てきた。

 深い赤、(つや)があり、硬い。

 ずいぶんと立派な大粒である。品種は大納言だろうか。

 しばらく手の平いっぱいの小豆あずきを見つめていたひょう太は、おもむろに泉の中に手を入れて、小豆(あずき)を洗い始めた。

 しょり、しょり、しょり。

 何故か、心が落ち着く。


「……ふう」


 平静を取り戻したひょう太は、今後の方針を考えた。

 ”隠世かくりよ“に住む妖怪たちの中で、小豆洗(あずきあら)いという種族が弱い部類に入ることを、彼は何となく知っていた。

 上位の妖怪に見つかり、気分を害したならば、とって()われてしまうだろう。

 ここは、あまり動かないほうが得策か。

 幸いなことに、この森には泉と木がある。

 種族特性として小豆あずきも出せる。

 仮の住処(すみか)を探し、鍋の代替品を作り出すことができれば、しばらくは生きながらえることができるはず。

 この方針を、ひょう太は却下した。


「そうだ、仕事!」


 あろうことか、種族としての本能を、前世の生き(ざま)が上回ったのだ。

 人間時代のひょう太は、自他共に認めるワーカホリックだった。

 他人ひとから頼まれると断れない性格が(わざわ)いして、入社当初から無茶な仕事を押しつけられてきた。責任感が強く、適当に手を抜くことができなかった。さらには、上司や同僚たちにも恵まれなかった。

 唯一の救いといえば、膨大な仕事を、効率よく正確にこなす能力に長けていたことだろう。

 周囲から見れば不可能と思える仕事量を、ひょう太はぎりぎりのところで乗り切ってみせた。経験を積めば、キャパシティも広がる。ミスらしいミスもなく、常に同僚の三倍から五倍の仕事をこなしていたひょう太は、上司や顧客から絶大なる信頼を勝ち得ていた。

 自分がいなくなれば、会社が潰れる、とまではいかないものの、所属する部署は大ダメージを受けることだろう。同僚たちは、おそらく死ぬ。

 もはや挽回(ばんかい)することはできないだろうが、せめて自分がいないことを、一刻も早く上司に報告すべきだと思った。


「どこだ?」


 妖怪(ようかい)としての基礎知識が告げていた。

 この森のどこかに、隠世かくりよと”現世うつしよ“をつなぐ出入り口があるはず。

 ひょう太は()んだ。

 まるでのみのようにぴょんぴょん飛び跳ねながら、濃い霧が立ち込める不気味な森の中を、猛スピードで駆け抜けていった。



     (2)



 しばらく飛び跳ねていると、微弱(びじゃく)な気配を感じた。

 言葉にするのは難しいが、ざわざわと毛が逆立つような感じ。

 かなり弱い。自分と同じくらいの妖気(ようき)だ。

 これならば危険は少ないだろうと、ひょう太はその場所に向かった。

 霧の中に光があった。

 それは()き火だった。

 森の中の少しひらけた場所、()き火そばに、一体の妖怪(ようかい)がいた。

 ジャラン。

 不意に、古風な弦楽器の音が鳴った。


祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)のぉ〜」


 ジャララン。


「鐘のぉ、音ぉ〜」


 これは、平家物語か。(なま)で聴くのは初めてだ。

 飛び跳ねるのをやめて、ゆっくりと近づく。


諸行(しょぎょう)無常(むじょう)のぉ〜」


 低く、迫力のある女性の声だ。


「響きッ⁉︎」


 ジャラバチコンッ。

 驚いたようにこちらを振り返ったのは、琵琶びわ妖怪(ようかい)だった。

 頭部が琵琶(びわ)で、身体は人間。古びた着物を身につけている。頭を傾けるようにして(げん)を押さえているので、とても弾きにくそうだ。


「こんにちは」


 すごい音がしたなぁと思いながらひょう太が挨拶をすると、琵琶(びわ)の妖怪は、顔を――つまりは琵琶(びわ)を真っ赤にした。

 ひょう太は自己紹介をした。


「僕は、小豆洗(あずきあら)いです」

「こ、これはどうも、ご丁寧に。琵琶牧々(びわぼくぼく)でございます」

「お邪魔をしてすいませんでした。お続けになって下さい」

「い、いえ。お構いなく。わたくし、極度のあがり症で。ひと様に見られていると、上手く弾き語ることができないのでございます」


 弾き語っている時とは違う、可愛らしい声だった。

 アニメの声優っぽい。


「とてもよい音色(ねいろ)をされていますね」


 この褒め方が適切かどうかは分からないが、琵琶牧々(びわぼくぼく)は再び真っ赤になって、恥ずかしそうに(うつむ)いてしまう。

 そろそろ用件を切り出そう。


「ところで琵琶牧々(びわぼくぼく)さん。ひとつお聞きしたいことがあるのですが」


 ひょう太は自分が生まれたばかりであること、”現世うつしよ“に用事があることを伝えた。


「どうにかして”現世うつしよ“へ行きたいのですが、その場所も、行き方も分からないのです。よろしければ、教えていただけませんか?」

「まあ、さようでございましたか」


 琵琶牧々(びわぼくぼく)は親切な妖怪(ようかい)だった。

 ひょう太にとってそれは、非常に幸運な出会いであった。

 “鷺森さぎもり”にそれほど強い妖怪(ようかい)はいない。だが、残忍(ざんにん)狡猾(こうかつ)(やから)はいる。何も知らないひょう太のことを(だま)して、たとえば匂いを嗅ぐだけで身体が(しび)れてしまう瘴気(しょうき)の沼に誘い込まれる可能性すらあったのだ。

 趣味や生きがいを見出せない妖怪(ようかい)たちは、(じゃ)の道に走りやすい。

 琵琶牧々(びわぼくぼく)には、音楽という極めきれない道があった。


(たつみ)の方角。ちょうどお月さまの方に向かって、半()ほど」


 一()は確か約四キロなので、二キロくらいか。


「森のはずれに、白い彼岸花(ひがんばな)が一輪、(はかな)げに咲いてございます」

「白い、彼岸花(ひがんばな)?」

「はい。そこが、隠世扉(かくりよのと)。”現世うつしよ“へと繋がる道」


 ジャラン。

 効果音付きだ。

 

「ただし」


 琵琶牧々(びわぼくぼく)は、扉の使用に関する注意事項を教えてくれた。

 隠世扉(かくりよのと)を通った先の出口は、現世扉(うつしよのと)といって、同じく白い彼岸花(ひがんばな)が咲いているらしい。

 

現世扉(うつしよのと)がある地名と、周囲の景色をしっかり思い浮かべながら、扉を通りませ。でなければ」


 ジャララン。


「迷いまする」

「……」


 ひょう太が沈黙していると、やや遠慮がちに琵琶牧々(びわぼくぼく)が申し出てきた。


「あの、もしよろしければ、わたくしがご案内いたしましょうか? 初めて隠世扉(かくりよのと)を通る方には、付き添いが必要ですから」


 隠世扉(かくりよのと)現世扉(うつしよのと)も無数にあり、しっかりとイメージを持たなければ、どこに飛ばされるか分からない。下手をすると、”常世とこよ“の地獄へ落ちることもあるという。

 ぞっとしない話だ。


「いえ、だいじょうぶです。ありがとうございました」


 ひょう太はお辞儀をすると、両手を前に差し出した。


「これは、お礼です」


 思わず差し出された琵琶牧々(びわぼくぼく)の手の平いっぱいに、小豆(あずき)を落とす。


「では、またご(えん)があれば」

「は、はぁ」


 やや呆然としている琵琶牧々(びわぼくぼく)を残して、ひょう太は走り去った。

 琵琶牧々(びわぼくぼく)の親切を受けなかったのには、理由がある。

 小豆洗(あずきあら)いは飛び跳ねて移動できるが、着物姿で草履(ぞうり)を履いた琵琶牧々(びわぼくぼく)ではそうはいかない。

 森の中、二キロ近い距離を歩くのは、かなり時間がかかるだろう。

 それに、行き先については当てがあった。

 巨大な三日月に向かって、ひょう太はぴょんぴょん飛び跳ねていく。

 ほんの十分ほどで、目的の場所にたどり着いた。

 空気の流れが違う。空間の(ひず)み、のようなものを感じた。

 そして、やや大きな二つの妖気(ようき)

 見つけた。

 枯れ果てた古木の、根元。

 ぼんやりと白く輝く花。

 彼岸花(ひがんばな)だ。


「あいや待たれいっ!」

新参者(しんざんもの)が、どこへ行く!」


 ひょう太の行く手を(はば)むように、二体の妖怪(ようかい)が現れた。



     (3)



 白い彼岸花(ひがんばな)を、ひょう太は何度か見かけたことがあった。

 人間だった頃、”現世うつしよ“での話だ。

 それは終電ぎりぎりの会社帰り、半死半生はんしはんしょうといった感じでふらふらと帰宅する途中のこと。

 住宅街の片隅の、ほんの半畳(はんじょう)ほどのスペースに、壊れかけた木造の(ほこら)があった。

 立て札もなかったので、(いわ)れも、どのような神様が(まつ)られていたのかも分からない。

 その(ほこら)の前に、時おり白い彼岸花(ひがんばな)が咲いていたのである。

 いつも見つかるわけではない。

 本当に疲れ果てて、意識が朦朧もうろうとしている時にだけ見えたような気がする。目を()らして観察すると消えてしまうので、疲労からくる幻影だと思っていた。

 だが、違った。

 その時の自分は、”現世うつしよ“から”隠世かくりよ“を経て、”常世とこよ“、つまり死の世界へ引き込まれようとしていたのだ。

 おそらくあの場所が、現世扉うつしよのとのひとつ。

 ひょう太は自分が住んでいた街の地名と、(ほこら)の様子を思い浮かべた。


「我こそは、“鷺森(さぎもり)”の(ぬし)たる大妖怪(だいようかい)火間虫入道(ひまむしにゅうどう)様の(いち)の子分、手長(てなが)だ」

「同じく、火間虫入道(ひまむしにゅうどう)様の(いち)の子分、足長(あしなが)だ」


 ひょう太の前に現れた二体の妖怪(ようかい)、異様に手の長い髭面(ひげづら)妖怪(ようかい)と、異様に足の長い禿()げ頭の妖怪(ようかい)は、互いに見つめ合った。


「わしが一番だろ?」

「いや、わしのはず」

「嘘をつくな。舌を引っこ抜くぞ!」

「そちらこそ。この前、将棋(しょうぎ)でわしに負けたことを忘れたか!」

「あれは無効だ、このイカサマ野郎」

「なんだと!」

「すみません、先を急ぎますので」


 いがみ合っている妖怪たちの間を駆け抜けると、ひょう太は白い彼岸花(ひがんばな)のすぐ上、空間が渦を巻くように歪んでいる穴の中に飛び込んだ。


「お、おい、貴様っ!」

「待て――」


 どぷりと、水の中に飛び込むような感覚。

 瞬間、体内の妖気(ようき)がごっそりと抜け落ちた。

 目眩(めまい)(こら)えていると、少しずつ感覚が戻ってくる。

 どこか懐かしい風が、頬を撫でた。

 目を開けるとそこは、見慣れた住宅街の一角だった。

 壊れかけた(ほこら)の前。足元には、白い彼岸花(ひがんばな)が揺れている。

 時刻は、おそらく深夜。

 

「帰って、きた」


 ”現世うつしよ“、人の世界だ。

 しばし感動に浸りたいところだが、あいにくと今の自分は異形(いぎょうの)の化け物である。しかも藁蓑(わらみの)に赤ふんどしという致命的な姿。

 警察官や通行人に出会わないよう注意しながら、ひょう太はこそこそと移動した。

 幸いなことに、誰ともすれ違うことなく、自宅のマンション前にたどり着くことができた。

 ひょう太の部屋は三階である。

 エントランスに入ってエレベーターを使うためには、ICチップ内蔵の鍵が必要だし、入口前の端末から呼び鈴を鳴らしても、誰も出ないだろう。

 ひょう太はマンションに隣接している駐車場側にまわると、周囲の様子を窺いながら跳躍した。

 二メートル以上はあろうかというフェンスを越えて、マンションの敷地内に着地する。

 そこからは、雨樋(あまどい)を伝って登っていく。

 三〇二号室の扉の前に来た。

 自宅にいる時には、扉の鍵をかける習慣がなかった。そのお陰で、今回は助かった。

 予想通り、扉は開いた。

 玄関には見慣れた革靴とスニーカーが一足ずつ。

 そっと、リビングに入る。

 真っ暗だ。

 記憶を頼りに壁のスイッチを押すと、LEDの光が照らされた。

 三十七型の液晶テレビ、仕事机、パソコンとプリンタ、キッチンに冷蔵庫。そしてエアコン。

 何も、変わっていない。

 使用済みの靴下が、リビングの床の上に投げ出されていた。

 ひょう太は仕事机の上に無造作に置かれていたスマートフォンを手にした。

 指紋認証、はできないので、パスワードを入力する。

 日曜日の、午前三時過ぎ。記憶にある日付だった。

 意外な事実にひょう太は驚いた。自分が帰宅してから、三時間と少ししか経っていないではないか。

 心臓が、どくりと鳴った。

 口の中が乾く。呼吸が乱れる。

 小豆(あずき)を洗いたい。

 だがその行為は、現実逃避に過ぎない。

 意を決して、ひょう太は寝室の扉を開けた。

 リビングの光によって、部屋の一部が照らされた。

 セミダブルのベッド、かけ布団の上に倒れ込むようにして、男が寝ていた。

 ネクタイは外したようだが、そこで力尽きたらしい。身につけているのは、白いシャツにスラックス。仕事帰りそのままである。

 靴下は履いていない。

 とても不思議で、奇妙な光景だった。


「あの、すいません」


 恐る恐る、ひょう太は声をかけた。

 近づいて、突いてみる。

 反応はない。


「あの、起きてください」


 すでに鼓動は、早鐘(はやがね)のように鳴っていた。 

 ぜいぜいと息を荒げながら、小豆洗(あずきあら)いのひょう太は、男の身体をひっくり返した。

 ベッドの上の男、人間の田中(たなか)平太(へいた)は、息をしていなかった。



     (4)



 頬を強めに叩いたり、心臓マッサージをしたり、何とか魂を移せないかと額を合わせて念じてみたりと、できる限りのことをしが、やはり駄目だった。

 心の動揺を抑えるために、ひょう太はキッチンのシンクで小豆(あずき)を洗った。

 それからデスクチェアに座って考えた。

 これはもう確定である。

 人間だった自分は、死んだ。

 死因はおそらく、過労死(かろうし)

 頬はこけ、目の下にはクマができ、唇はかさかさ。人間だった自分の顔を観察すると、ひどい有様(ありさま)だった。

 唯一の救いがあるとするならば、何よりも(ほっ)していた睡眠が取れたことで、安らかな死に顔だったことくらいか。

 人間の自分が死んで、妖怪の自分がいる。

 これは、輪廻転生(りんねてんせい)というやつだろう。

 ようするに、生まれ変わりだ。

 死んで三時間後に生まれ変わるというのは、いさささか早すぎるような気もするが、世の中の仕組みとは、そういったものなのかもしれない。

 すでにひょう太の心は静まっていた。

 子供の頃から泣かず、落ち着きがあり、両親から子供らしくないと嘆かれたこともある。

 学校でのあだ名は、ひょう太。

 田中(たなか)平太(へいた)の読み方を少し変えたもの。

 ひょうひょうとしているから、ひょう太。

 妖怪に苗字(みょうじ)は必要ない。家族という概念がないからだ。実際、小豆洗(あずきあら)いとして生まれ変わった時にも、親はいなかった。

 だから、これからはひょう太と名乗って生きていこう。

 ひょうひょうのひょう太だ。

 さて、直近の問題は、寝室にある死体の扱いである。

 このまま放置した場合、月曜日か火曜日あたりに会社の上司か同僚が確認にきて、発見されることだろう。

 その後、警察と家族に連絡がいき、検死が終われば、葬式が執り行われるはずだ。

 今すぐに、(みずか)ら警察に連絡するという手もあった。

 死体発見が早まるならば、それに越したことはない。第一発見者は自分になるが、警察が来る前に逃げてしまえばよい。いくら日本の警察が優秀だとしても、”隠世かくりよ“までは捜査の手は及ばないだろう。

 どちらの方法も、ひょう太は選ばなかった。

 社会的に田中平太の死亡が確定してしまえば、預貯金などの財産は凍結されてしまう。役所で証明書類を発行することもできない。

 今後、”現世うつしよ“で活動する可能性があるならば、生きていると(よそお)った方が得策だと考えたのだ。

 ひょう太はパソコンを起動すると、メールを二通出した。

 一通は会社の上司宛て。

 内容は、辞職届けと詫び文である。

 もう一通は、実家に暮らす妹宛て。

 内容は、会社を辞めて放浪(ほうろう)の旅に出るというもの。最後の(むす)びは、「探さないでください。かしこ」だ。

 これでしばらくは、時間を稼ぐことができるはず。

 ついでに、ネットで預金の残高を確認することにした。

 七百万弱。文字通り、命を削って貯めたお金だ。

 ”隠世かくりよ“に経済という概念があるかどうかは分からないが、”現世うつしよ“で購入した商品と物々交換ができるのであれば、この金は有用である。

 次に、ひょう太は着替えることにした。

 クローゼットの中を探すと、フリーサイズのジンベエと短パンがあった。これで肌触りの悪い藁蓑(わらみの)破廉恥(はれんち)な赤ふんどしとはおさらばだ。

 クローゼットの奥にリュックサックを発見した。いつか登山をしよう購入したものの、結局使わなかったやつだ。

 中に必要と思われるものを詰め込んでいく。リュックサックを身体の胸側に身につけると、ひょう太は自分の死体を背中に(かつ)いだ。

 小豆洗(あずきあら)いは野生の猿並みに力があるようで、重さ的に問題ない。ただ身長が低いので、死体の両足を引きずることになる。

 周囲の気配や物音に気を配りながら、ひょう太は部屋を出た。逃げ道のないエレベーターはよろしくない。階段を使って一階まで降りると、エントランスから外に出る。

 時刻はすでに、午前四時を回っていた。

 人通りはないが、東の空がかすかに明るくなっている。

 ここで警察に見つかったらおしまいだ。きょろきょろと周囲を見渡しながら、素早く(ほこら)へと移動する。

 白い彼岸花(ひがんばな)は、まだ咲いていた。

 安心した。

 朝になると消えてしまいそうな、そんな気がしていたのだ。


「そういえば、手足の長い妖怪(ようかい)が言ってたっけ」


 “鷺森(さぎもり)”の(ぬし)たる暇人(ひまじん)何某(なにがし)が、云々(うんぬん)かんぬん……。

 ということは、あの霧深い森は“鷺森(さぎもり)”というのだろう。

 先のことを考えて、親切な琵琶牧々(びわぼくぼく)から、もう少し詳しく聞いておくべきだった。

 反省である。

 地名と、”隠世かくりよ“に咲いていた白い彼岸花(ひがんばな)の周囲の風景を思い浮かべながら、ひょう太は再び空間の(うず)の穴へ飛び込んだ。

 二度目の渡来(とらい)も、うまくいった。

 妖気(ようき)をごっそり奪われたが、覚悟していたせいか、気を失うほどではなかった。

 “鷺森さぎもり”に、ひょう太は帰ってきた。

 妙に落ち着く。ここが生まれ故郷だからだろうか。

 いつの間にか、霧が晴れていた。

 空に浮かぶ巨大な月の形が、少し変わったような気がする。

 あの手足の長い妖怪は、いない。

 誰かに見つかる前に済ませてしまおう。

 ひょう太は隠世扉かくりよのとから少し離れた場所に移動すると、死体を降ろして、地面に穴を掘り始めた。

 スコップやシャベルなどなかったので、代用品としてフライパンを持ってきたのだが、意外と使えた。

 一時間ほどかけて穴を掘りあげると、半透明のゴミ袋で死体を包んだ。

 お徳用七十五リットルの十枚入り。大きさも強度も十分である。

 隙間なく包んで、ガムテープで繋ぎ合わせる。


「……」


 まるでミイラだ。

 本当は火葬にしたいところだが、燃料や木材がない。それに、じかに土の中に埋めるのは、少し抵抗があった。

 最後に土を被せる。

 墓石はない。必要ないだろう。

 どういう経緯であれ、自分はまだ生きている。

 死体はあっても死者は存在しないという結論に落ち着いた。

 とりあえずこれで、”現世うつしよ“での用事は完了したわけだが、問題は何も解決していなかった。

 ”隠世かくりよ“のことはほとんど分からないし、これからどうやって生きていくかも定まっていない。

  

「さすがに、疲れたなぁ」


 ひょう太は大樹の根元に腰を下ろすと、その幹にもたれかかった。

 少し休んでから考えよう。

 ふと見れば、枝の先に小さな蝙蝠(こうもり)がぶら下がっていた。

 ゆらりゆらりと揺れている。

 いつの間にかうたた寝をしていたひょう太は、敵意を持った妖気(ようき)が近づいていることに、気がつかなかった。


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