安定志向の山田さんによる異世界転生(第2章)改稿前(1)
改稿前のを残しておきます。
プロローグ
カロン村の中心部には、村の共同施設である寄り合い所があった。
立派な石垣に囲まれており、庭は広く、つるべ式の大井戸が設置されている。人が住む場所ではないので、建物の間取りはごく簡素なもの。五十人くらいが入れる大部屋がひとつあり、そこに今、三十人ほどの村人たちが集まっていた。
村の運営に関わる重要事項について話し合う“村会議”に参加できるのは、各家につきひとりだけ。
通常であれば、一家の大黒柱たる男衆が集まるところだが、彼らのほとんどは今、出稼ぎで村を出払っており、今回集まったのは老人や主婦たちが多かった。
すでに定刻を過ぎている。東に浮かぶ太陽の光は陰りをみせ、空が暗くなるとともに、西に浮かぶ月の輪郭が強まりつつあった。
「顔を見ない家もあるが、夕食の支度で忙しいのだろう。そろそろ始めようかの」
“村会議”の議長は、村長である。
名前はヌジィ。六十をとうに過ぎた老人で、枯れ枝のように痩せている。
「ドランがいないみたいだが、いいんですかい? へそを曲げるかもしれませんぜ」
話の腰を折ったのは、木こりのイゴッソだ。
歳は三十半ば。働き盛りの彼が村に残っているわけは、他に木こりがいないからである。
「あやつは鼠狩りに出かけとる。二、三日は戻ってこんよ」
ドランはヌジィの孫だった。
年齢は二十歳で、村の中ではひと際身体が大きく、力も強い。
各家ひとりが原則の村会議だが、議長である村長は除外される。そして、本来出席すべきドランの父親は、出稼ぎをする男たちの監督役として、村を離れていた。
自己顕示欲の強いドランは、家の代表として“村会議”に出ることを強く望んでおり、そのことを知っているイゴッソが揶揄したのである。
「それに、ことは急を要するからの」
疲れたようにため息をついて、ヌジィが話し始めた。
「みなも知っての通り。つい先日、行商人のマギーさんが村に来てくださった。まずは村を代表して、礼を言いたい」
ヌジィの隣には小柄な中年の男がいて、恐縮したように頭を下げた。
「この度はお騒がせをしまして、申し訳ございませんでした」
行商人のマギーは、年に二回ほどカロン村を訪れる。油や紙、古着、薬といったの生活必需品を届けてくれるのだ。
むろん商売のためではあるが、辺境の村では交易手段そのものが貴重である。
だが今回、彼は物資の他に驚くべき情報を持ち込んできた。
それは二日前のこと。
カロン村に向かって、“アズール川”沿いの街道を地場車で走っていたマギーは、川岸の向こう側、“オークの森”との境目付近に、オークの大群を発見したのだ。
その数、なんと数百体。
けたたましい雄叫びを上げながら、オークの集団は川に向かって突進してきた。
自分が狙われていると思ったマギーは、愛馬に鞭を入れて、全速力で逃げ出したのである。
この情報がもたらされたカロン村は、大騒ぎになった。
すぐさま厳戒態勢が敷かれ、状況を把握するため現地に人を出そうとしていたところに、奇妙な一団が現れた。
オークではない。人間である。
若い男がひとりと若い女がひとり。そして子供が四人。
彼らはみな、色鮮やかな服を身に着けていた。
「名前は、ギーチ、ネネ。それから……子供たちは何といったかな?」
ヌジィが首を傾げて、代わりにマギーが答えた。
「レン君、ソラ君、ユアちゃん、サクラちゃんですね」
彼らは王国の公用語であるバシュヌーン語を話すことができなかった。どうやら異国人らしい。しかしネネという女性だけは、こちらの話を理解することができるようだ。
ヌジィは自宅に案内して、事情を聞くことにした。
「彼らは、“オークの森”から逃げてきたらしい」
ざわざわと村人たちが騒ぎ始めた。
「じゃあ、マギーさんが言っていた件と、関係があるってこと?」
発言したのはタチアナという主婦である。
年は二十代半ばで、少し気が強いが面倒見のよい性格をしてる。
「そういうことになるの」
ヌジィは肯定した。
「どういう経緯かは知らんが、異国人たちは“オークの森”に迷い込み、“アズール川”まで逃げてきた。その後をオークたちが追いかけていたようじゃ」
「どうやって川を渡ったの? 川向こうには舟もないのに」
「それがの」
ヌジィはしばし沈黙し、吐息をつく。
「精霊の力を借りた、らしい」
再び村人たちが騒ぎ出した。
“ミルナーゼ”において、魔法という力は比較的身近な存在である。おもな使い手として、冒険者と呼ばれる戦闘集団がいるからだ。彼らは様々な武具や魔法を使って、魔物たちを倒す。
冒険者でなくても魔法を使える者はいるし、都会では私塾などで学ぶこともできる。
だが、精霊魔法を行使できる人間は、ほとんどいなかった。
「サクラという子供が、精霊を呼び出すことができる。わしも実際に見せてもらったが、いやはや、腰を抜かすかと思うたわ」
「その子まさか、エルフ?」
「いや、人間じゃ。耳も尖っておらん」
森の妖精であるエルフは、長い寿命を持つ種族として知られている。その特徴は、耳の先が尖っていること。そして精霊魔法が得意であること。個体数が少なく、人間の前には滅多に姿を現さないが、おとぎ話の中では有名な存在だ。
“オークの森”に迷い込んだ異国人たちは、精霊の力を借りて“アズール川”を渡った。
そしてオークの集団は、川を渡ることができなかった。
「その後、異国人たちは街道を歩いて、村にたどり着いたらしい。他に行くあてがなく、ここに滞在することを望んでおる」
彼らの証言を裏付ける証拠、らしきものはあった。
オークたちの動向を確認するため、マギーともうひとりの村人が“アズール川”に向かったところ、とある地点を境にして、下流の方にだけ洪水が起こったような形跡が見つかったのだ。
「それで、オークたちはいたの?」
タチアナの問いかけに、マギーは首を振った。
「いませんでした。あそこは見渡す限りの平地ですから、オークの集団がいれば、見落とすはずがありません。これは想像ですが、諦めて森に帰ったのではないでしょうか」
その話を聞いて、村人たちはほっと安堵した。
しかし、ぼやかずにはいられなかったようだ。
「まったく、なんという年だ。悪いことばかりが起こりおる」
老人たちがため息をつき、主婦たちも同調した。
今年は冷夏と大嵐による日照不足で、主食となるガラ麦がほとんど実らなかった。村の蓄えをすべて放出したとしても、冬を越せるかどうか分からない。食い扶持を減らし金を稼ぐために、男衆が出稼ぎに出ざるを得なかったのだ。
そこに「オーク現る!」の凶報が入ったのである。
川一本を隔てて“オークの森”と隣接しているカロン村の人々にとって、オークという魔物は、心の奥底に染みついて決してぬぐえない、根源的な恐怖だった。
子供の頃から悪さをすると「オークが川を渡ってきて、さらいにくるぞ!」と脅されて育ってきたのだから、仕方のないことだろう。
「しかし、その異国人ってのも怪しいな。ひょっとして、オークたちが化けてるんじゃねぇのか? ははっ」
イゴッソの下手な冗談に笑い返す者はいなかった。
再びヌジィがため息をつく。
「問題は、異国人たちを村に招き入れるかどうかじゃ。それが、今回の議題でもある」
男衆が出払っている今、余計な揉め事は持ち込みたくないというのが、村人たちの本音だった。しかし、子供を四人も連れた異国人を追い払うというのも、心情的には苦しい。
老人たちは否定的、主婦たちはやや同情的。
しかし今の村の状況では、六人もの人間を食べさせられるだけの余裕はなかった。
天秤が否定的な方向へ傾きかけたところで、ヌジィが発言した。
「ああ、言い忘れておったが」
異国人たちは“オークの森”で、キノコを大量に収穫したらしい。その中には、王国内で高く取引されているジュエマラスキノコがあった。
「滞在を許可してくれるならば、それらを村に提供するという。みなも知っての通り、今年は凶作で男手もない。何もかもが不足しておる。せっかくマギーさんが来てくれたというのに、冬を越すための物資を買うこともできん」
だが、ジュエマラスキノコがあれば、話は別だ。
「マギーさんや。換金額は、どれくらいだったかの?」
行商人が口にした金額は、集まった村人たちの予想を上回るものだった。
「それから、もうひとつ――」
ヌジィは一度大部屋を出て、再び戻ってきた。
その後ろには、見知らぬ四人の子供たちがいた。
年は五、六歳くらい。二人が男の子で、二人が女の子だ。色鮮やかな仕立てのよい服を身に着けている。
全員が木製の盆を抱えており、その上には奇妙な物体が並べられていた。
白い三角形の塊で、透明な膜のようなもので包まれている。
「みなひとつづつ、とってくれんか」
誰に教え込まれたのか、子供たちはとびきりの笑顔をふりまきながら、村人たちの前に盆を差し出した。
そこまでされてはいらないとは言えない。
戸惑いながらも、全員がひとつづつ、奇妙な物体を手に取った。
ほんのりと温かい。
全員に行き渡ったところで、ヌジィが説明した。
「それは異国の食べ物で、“オニギリ”というらしい。ああ、透明な膜は食べられんから、剥ぎ取らんといかんぞ」
ヌジィの隣にきた子供たちが、お手本を見せるかのように、透明な膜――ラップを剥ぎ取って、おにぎりを口にした。
そして再び、とびきりの笑顔を見せる。
そこまでされては食べざるを得ない。おそるおそる口にすると、多くの者が奇妙な顔をした。
「ん、なにこれ? ガラ麦じゃないわね」
「塩からい! これ、塩入ってるわ」
「確かに。なんか、ねばついてるな」
「それよりも、この透明な膜はなんじゃ?」
口々に感想を言い合いながらも、全員が完食したようだ。
「彼らは、この“オニギリ”という食べ物を、定期的に提供してくれるそうだ。見たこともない食べ物じゃが、穀物には違いない。ひょっとすると、全員が飢え死にすることなく、冬を越せるかもしれん。そのことを踏まえて、もう一度検討してくれんかの」
ヌジィが目配せをすると、子供のひとりが「せーの」と合図をして、
「よろしくお願いします!」
みんなそろって頭を下げた。
たどたどしいながらも、きちんとしたバシュヌーン語である。
明らかに練習した形跡が見受けられたが、閉鎖的な心情を持つ村人たちでさえ思わず心がほころんでしまうほどの、それは実に微笑ましい姿であった。
(1)
翌日の朝。
儀一たちがヌジィに案内されたのは、村外れにある廃屋だった。
「跡継ぎがいないまま家主が亡くなり、そのまま数年間、放置されておっての」
いずれは解体して、木材は薪に、石材は他の家などで再利用される予定だったらしい。
「少し傷んでおるが、まあ、雨風くらいはしのげるじゃろうて」
「ありがとうございます」
表情と仕草の両方で、儀一とねねが感謝の意を伝えた。
昨日の“村会議”の結果、儀一たちはカロン村での滞在を許可された。住居として空家を貸してくれることになったのだが、人が住める状態まで整えるのは大変そうだ。
「どれ、応援を頼んでこようかの」
ヌジィが立ち去ると、儀一が感心したように周囲を見渡した。
「石垣が、立派だなぁ」
「村の近くに、石の採掘場があるらしいですよ」
道すがらヌジィの話を聞いていたのは、ねねである。
彼女には翻訳の特殊能力があり、バシュヌーン語を聞き取ることができる。
「へぇ、どうりで。どの家も石垣がすごいと思った」
壊れかけた門扉を押し開く。
庭も広い。
「日本じゃとても住めなさそうだ」
敷地内の雑草は伸び放題だ。腰痛が治っていなければ、暗然たる気持ちになっていただろう。
草を踏みつけながら、玄関までたどり着く。
「この感じだと、中もかなり……」
そこで、儀一は気づいた。
「うん? どうしたんだい、みんな?」
何かと騒がしい子供たちが、おとなしい。
つい先ほどまで、やれ引越しだ、新しい家だとはしゃいでいたはずなのに。
「あの、おっちゃん」
「うん」
「あのさ、その……」
らしくもなく言いよどんだ蓮の代わりに、蒼空が聞いてきた。
「おじさん。本当に、ここに住むんですか?」
「そうだよ」
家の材質は、柱が木、壁は石と土、屋根は瓦。外から見ると、柱は変色し、壁にはひびが入り、瓦は割れている。そして家全体がどす黒い紫色の蔓植物で覆われていた。
「おんぼろ」
結愛が正直すぎる感想を口にした。
「み、みんな、だいじょうぶよ」
子供たちのモチベーションを高めようと、ねねが微笑みながら励ました。
「頑張って掃除すれば、きっとすてきな家になるわ。お庭も草むしりをして、いっぱいお花を植えたら――」
「お化け、出そう」
ぽつりと呟いたのは、さくらである。
さくらの頭の上に乗っていた水の精霊ムンクが、ぷるりと震えて同意する。
ねねの微笑みが固まった。
「お化けなんか出ません」
断言してから、切羽詰ったような顔で儀一に詰め寄る。
「そうですよね! 儀一さん、絶対に出ませんよね?」
ここは“ミルナーゼ”という異世界だ。
魔物もいるし、魔法という不思議な力も存在する。お化けや幽霊がいないとは断言できない。
だがここはあえて、期待されている答えを口にすべきだろう。
「あー、出ないと思います」
「……」
くるりと振り返ると、ねねは子供たちに向かってにこりと微笑んだ。
「ほら出ません。この話は、おしまいです」
オークたちに襲われた時、命を投げ出してまで子供たちを守ろうとしたねねだが、お化けは苦手なようである。
玄関の扉を開けると、埃っぽい空気が流れてきた。
「真っ暗。朝なのに」
少し怖がるように、結愛が儀一のほうに身を寄せる。
「田舎の古い家は、だいたいこんな感じだよ。家というよりも、蔵かな?」
床にはタイルが敷き詰められているようだ。
儀一は土足のまま家の中に入ると、窓を探した。戸板が二枚、蝶番で留められているだけ。その蝶番も壊れているようだ。
外に向かって押し開くと、ぎぎぃと嫌な軋み音がした。
光の筋に、埃の粒子が舞い上がる。
少しだけ明るくなり、部屋の中の様子がおおよそ分かるようになった。
床の上は埃だらけで、土の塊や枯れ草、木材の切れ端などが散乱していた。足の踏み場もない状態だ。
部屋の数は五つ。儀一はすべての窓を開けると、咳き込みながら玄関を出た。
「ふぅ。こいつは、掃除と修理が大変だ」
シャツの袖口のボタンを外して腕まくりをする。
「――さて。村の人が手伝いに来てくれるみたいだけど、その前にできるだけやってしまおうか」
大掃除をする時には、段取りが大切である。
人が住めるようにするためには、屋内から片付けなくてはならない。
儀一は薄汚れた部屋の壁に手をついた。
「召喚。ベラ・ルーチェ東山一〇二号室」
ブォンという効果音とともに、黒いドアが出現した。
これまで儀一たちを何度も助けてくれた召喚魔法だ。彼は生前所有していたマンションを、十二時間だけ召喚することができる。
マンション内から持ち出したものは、掃除用具一式と、軍手、ゴム手袋、そしてマスク。
「まずは、部屋の中に散らかっているゴミを、ぜんぶ外に出そう。怪我をしないように気をつけて」
とりあえず、部屋の中を空にする。
幸か不幸か家具類が少ないので、すぐに完了した。
次に掃き掃除である。大量の埃が舞うので、ねねと子供たちを屋外に退避させ、儀一がヘルメットとゴーグルとマスクをつけて、一気に実行した。
だが、掃き掃除だけでは不十分だ。バケツと洗面器、鍋を使って、マンション内から水を運ぶ。壁や床に直接水をまき、一気に汚れを洗い流していく。
子供たちはこの作業が楽しいらしく、嬉々として水を運んだ。
最後にたわしとスポンジで壁や床を磨き、さらに水で洗い流す。頑固な汚れについては、洗剤も使う。
部屋の中を乾かしている間に、屋外の作業に移る。
腰の高さほどもある雑草が、庭一面を覆っていた。
マンション内に鎌はない。だが、手作業の草むしりはどれだけ時間がかかるか分からない。
ここで儀一が提案した。
「蒼空君の魔法を試してみようか」
「ぼくの、ですか?」
蒼空は小枝を加工した杖を取り出すと、雑草だらけの地面に向かって魔法を放った。
「風斬!」
目に見えない複数の風の刃が、弧を描くように放たれる。それらは広範囲に渡って、雑草を根こそぎ刈り取った。
「おお~」
蓮が感心したように声を上げた。
「そら君、すごーい」
さくらも目を丸くする。
「これは使えるね。ありがとう、蒼空君」
「い、いえ。ぼくは、みんなのお役に立てるなら」
儀一に頭を撫でられて、蒼空は真っ赤になった。
その様子をじっと見つめていたのは結愛である。
「おじさま、あたしもお手伝いする!」
火属性の魔法でも、雑草は燃やせるはず。
そう考えたのだが、
「う~ん。草や枝が燃えて、家に飛び火する可能性もあるし。結愛君の出番はまた今度かな」
刈り取った草をみんなで集める。
もちろん風魔法だけではきれいにならない。地面のあちこちに刃物で切りつけたような跡があるし、雑草も残っている。
ここで活躍したのが蓮の光属性魔法だった。
「いでよ、光刃剣!」
生み出された光の剣は、残念ながら本来の用途――武器として使われることは少ない。
「こうやって、地面を撫でるように」
しかも儀一に右手を掴まれ、操られるのだ。
刃物は危ないというのが、その理由だった。
剣先を軽く地面につけて左右に動かす。ただそれだけで、残った雑草が地面ごと掘り返されていく。
「やっぱり便利な工具だね」
「いっつも、かっこわるい」
地味な作業に蓮が口を尖らせたが、刈り取った草を運んでいた結愛が「ぜーたくいわないの!」と、不機嫌そうに黙らせた。
「ねぇ、ぎーちおじちゃん。ムンクちゃんもお手伝いしたいって」
さくらが精霊の意思を伝えてきた。
水の精霊であるムンクは、空中を移動することができる。しかも意外と器用であり、ちょっとした作業もこなせるようだ。
「じゃあ、壁や屋根の上に生えている蔓を落としてくれるかな」
家全体を覆っている紫色の蔓植物は、壁の割れ目や屋根の瓦に絡みついている。下から強引に引っ張ると、家が傷つく恐れがあった。
ムンクは屋根の上に飛び立ち、二本の触手を使って、次々と蔓を剥ぎ取っていく。
「ムンクちゃん、こっちにもあるよ!」
さくらが家の周囲を駆け回ってぴょんぴょん飛び跳ねる。それに応えるように、ムンクもうねうねと触手を動かした。
唯一の家具であるテーブルと椅子を水拭きして、一番大きな部屋の中央に配置する。大掃除は順調に進み、お昼前くらいには、ほぼすべての工程が完了した。
「儀一さん、お客様みたいです」
ヌジィが応援を呼んでくれたのだろう。儀一とねねが門の所に向かうと、そこには奇妙な動物がいた。
馬に似ているが、首が短く、ずんぐりとした体格をしている、背中が平べったく、足が六本もある。その動物には荷車が繋がれており、中年の男が荷物を降ろしていた。
「ありがとうございます」
儀一とねねはそろって頭を下げた。
男の名前はイゴッソ。村で唯一の木こりだった。
儀一が作業を手伝おうとすると、「邪魔をするな」と威嚇された。そのまま無言で荷物を降ろし終えると、男は馬のような動物の背中に乗って、胡坐をかいた。
独特の騎乗方法である。
「オレは、村長に言われて荷物を運んだだけだ。あとは、あんたたちで勝手にやりな」
そう言い残して、中年男は去っていった。
(2)
届けられたのは、人数分の陶器製の器と木製のスプーン、底の浅い鉄鍋がひとつ。薪がひと束と、ランプと油の入った壺。尖った石と小さな金属の板、そして――
「これは、何でしょうか?」
蒼空が手にしたのは、キノコを乾燥させたような謎の物体である。
「たぶん、火口じゃないかな」
「ほくち?」
「最初に火をつけるやつ。火打石で鉄を叩くと火花が散って、それを火口に当てると、火種――炎の元になるんだよ」
その他には、シーツが数枚と、ブロック状にまとめられた藁が三十個ほど。
寝室にブロック藁を並べて、シーツを被せてみる。
藁ベッドの完成だ。
「いっちばーん!」
蓮がダイブしたが、誰も続かなかった。
シーツの色が黄ばんでいたからだ。
「……あれ?」
蓮がすんすんと匂いを嗅ぐ。
「っ――くっさぁあ!」
驚いて飛び上がり、そのままベッドから転がり落ちた。
その姿を見て、他の子供たちは笑い転げたが、自分たちがこのベッドを使うことに気づいて、泣き出しそうな顔になった。
「だいじょうぶだよ。洗剤を使ってきちんと洗えば、色も匂いも落ちるから」
生地はぶ厚く、ごわごわしており、縫い目も粗い。それでも大切に使われてきたのだろう。布を当てて補修した跡が見受けられた。
ベッドのサイズ合わせを済ませると、儀一はシーツをまとめてマンション内の浴槽に入れた。
少しお湯を溜めて、洗剤を入れる。
「はい、蓮君と蒼空君で足踏み」
少年たちにとって、楽しい仕事だった。
「いっち、にー、いっち、にー」
儀一の号令に合わせて、ばしゃばしゃと足踏みをする。
何度かお湯を換えると、シーツは見違えるようにきれいになった。
乾かす場所がないが問題はない。マンションが消えると同時に水分も消えて、一気に乾くからだ。洗濯が終わったシーツは、とりあえず浴槽の中で水に浸しておく。
儀一はマンションを出た。
儀一たちに与えられた家の間取りは、玄関と炊事場が一体となった大部屋がひとつに、小部屋が四つ。炊事場には竈と調理台があるだけ。シンクはない。
そもそも水道が存在しないのだ。
「火、つきそうですか?」
少しでも現地の生活に慣れるべきだと考えたねねが、初めての火おこしに挑戦していた。
火花は出るものの、なかなか火種がつかないようだ。
「ねね先生、がんばっ」
「次、さくらもやる!」
さすがに子供に任せることはできない。
「力もいりそうですし、最初は僕が――」
「いえ、だいじょうぶです。きっと、火をつけてみせますから!」
これは自分の仕事とばかりに、ねねは譲らなかった。
手を怪我しないか心配しつつその様子を見守っていた儀一だったが、何気なく薪を手に取ると、表情をくもらせた。
「駄目ですね」
「え?」
薪は重く、断面がかすかに湿っている。
「これ、生木です」
新鮮な樹木は大量の水分を含んでおり、燃えにくい素材だ。
薪として使うには、しっかりと乾燥させる必要がある。しかし儀一たちに配られた薪には、そういった処理がなされていなかった。
これでは火がつきにくいし、火がついたとしても大量の煙が出て目や喉を傷めてしまう。
「浴室乾燥だと、時間がかかるだろうし」
儀一はしばし考え込んでから、結愛に目をやった。
「火の魔法を使えば、一気に乾かせるかな?」
結愛は目を輝かせたが、すぐにしゅんとなった。
「でもおじさま。ぜんぶ燃えちゃうかも」
魔法レベルが五であり、魔力拡張というパッシブスキルを取得している結愛の火属性魔法は、かなり強力である。
「普通にやったら、だめだろうね」
しかし酸素の少ない場所で熱を加えてやれば、水分だけ蒸発させることができるのではないか。
そう考えた儀一は、蓮に光刃剣を出してもらい、庭の片隅に穴を掘った。そこに薪を一本入れて、土を被せる。
「よし、結愛君。この中に、発火を撃ってくれるかい」
「うん」
結愛は、杖の先を土に向かって突き出した。
「発火!」
ぼっという音がして、土の表面から煙が出た。
土の温度を確かめながら、儀一が薪を掘り出す。まだ少し湿っていたようだ。再び土をかけて、結愛が発火を使う。
「……うん」
儀一は満足そうに頷いた。
「焦げてもいないし、うまい具合に乾燥している。これなら使えそうだ」
「ほんとう?」
儀一の役に立てたことに、結愛は喜んだ。
ちらりと蒼空の方を見て、ふふんと笑う。
結愛は蒼空のことを、密かにライバル視していたのである。
六歳の子供ながら驚くほど人の機微に聡いこの少女は、蒼空が儀一に対して、自分と同じような気持ちを抱いていることを見抜いていた。
自分を救ってくれた人の役に立ちたい。
そして、いっぱい褒められたい。
好敵手が同年代の少年というのはいささか気になるところだが、負けるわけにはいかなかった。
「それじゃあ結愛君。他の薪も同じように、乾かしてくれるかな」
「まかせて、おじさま!」
土の中に埋められた薪の数は、二十本以上。発火では、何発も撃たなくてはならないだろう。
ここで、結愛は気づいた。
もっと強い火の魔法――たとえば、魔法レベル三で覚えた火炎球ならどうだろうか。
一度で乾かすことができたなら、儀一が何度も土を掘り返して薪の状態を確かめる必要もなくなる。
そうしたら、もっと褒められるかもしれない。
結愛は気合を入れて、杖を突き出した。
「火炎球!」
「――え?」
土の表面が一気に赤く染まり、炎が噴き出した。
予想外の事態に茫然としていた結愛は、横から衝撃を受けた。儀一が結愛を抱きかかえ、炎から庇うようにして、地面に倒れこんだのである。
炎は数秒間吹き上がり、それから鎮火した。
音と熱が消え、焦げ臭い匂いが漂う。
「ゆ、結愛ちゃん! 儀一さんっ!」
ねねが叫んで駆け寄ってくる。
恐怖で硬直していた結愛の身体が、かすかに震え出す。
その背中を、儀一がとんとんと叩いた。
「結愛君、だいじょうぶ?」
それは普段と変わりない、どこか間延びしたような、優しげな声だった。
「お、おじさま……」
「心配ないよ。平気だから」
勝手なことをして、迷惑をかけた。
早く、謝らなくちゃ――
そう考えた、はずなのに。
緊張から一気に解き放たれた結愛の心に、熱いものが込み上げてきて、すべてを飲み込んでいく。
「――っ」
悔しさと、後悔と、そして安堵。
様々な気持ちがごちゃまぜになり、ようやく開いた口からは、嗚咽まじりの声しか出なかった。
東の太陽が暗くなってくると、マンションに入って、夕食とお風呂、歯磨きを済ませる。それからライターでランプに火をつけた。
マンションが消えると、予想通りシーツも乾いていた。急いでベッドメイキングをして、子供たちを寝かしつける。
初めての藁ベッドだが、野宿の経験がある子供たちはそれほど気にはならなかったようだ。今日は一日大掃除で動き回ったこともあり、すぐに眠ってしまう。
薄暗いランプの炎が、テーブルの上で揺れていた。
「儀一さん、本当に火傷してませんか?」
心配そうにねねが聞いてきた。
子供たちがいたので、やせ我慢をしたのではないかと思われたようだ。
「ええ、それはだいじょうぶなんですが」
お昼の失敗で、結愛はすっかりしょげ返ってしまった。
もちろん儀一は怒らなかった。きちんと指示を出さなかった自分にも落ち度があったからである。
それに子供を叱る時には、明確な目的が必要なのではないかと、儀一は考えていた。
それは、まったく無自覚な子供に対して、やってはいけないことをしたのだと自覚させること。
結愛の場合、こちらが諭すまでもなく十分すぎるくらい落ち込んでいたし、次に同じことをするほど忘れっぽい性格でもない。
だが、結愛の様子を見ていると、逆に叱られたかったのではないかとも思えてくる。
自分で自分を許せないのであれば、無理にでも叱ってそれでおしまいにすれば、気が晴れたのではないか。
そのあたりの子供の心理を、儀一は元保育士であるねねに聞いてみることにした。
ねねは少し考え込んだ。
「保育園では、基本的に子供を叱ったりしません」
子供の躾については、それぞれの家庭でのやり方や考え方がある。子供の自由な想像力を伸ばすために、絶対に叱らないで欲しいと注文をつけてくる親もいるのだ。
「でも。儀一さんが結愛ちゃんのことを、そこまで考えてくれているんですから」
何かを確信したかのように、ねねは微笑んだ。
「どういう対応をとったとしても、気持ちは通じると思います」
心が通じ合っていれば、やり方はそれほど問題ではない。結愛はきっと分かってくれるし、挫けたりもしないと、ねねは請け負った。
それは物事の効率と安定性を重視して、然るべき時期に的確に対応するという儀一の手法とは、まったく異なる考え方だった。
ああ、だから――と、儀一は思った。
彼女は無条件に、子供たちを抱きしめることができる。
万の言葉を尽くすよりも大きな安心感を、子供たちに与えることができるのだと。
「そうですね」
仕事でもそうだが、相談できる相手がいるというのは、それだけで心強いもの。
「僕も、結愛君を信じることにします」
「はい」
がらにもなく照れくさくなって、儀一は話題を変えた。
「明日から、カロン村の人たちにおにぎりを配布しようと思います。実際には配るのではなく、希望者を待つ形になりますが」
「――はい」
先ほどとは打って変わって、ねねは少し不安そうな表情になった。
昼前に荷物を運んできたイゴッソの、そっけない態度を思い返したのだろう。自分たちが決して歓迎されているわけではないという事実を、嫌でも認識せざるを得ない出来事だった。
今後のおおまかな一日のタイムスケジュールを、儀一は説明した。
まずは朝八時にマンションを召喚する。炊飯器で五キロの米を炊き、おにぎりを作る。それを村の寄り合い所に持ち込んで配布する。
おにぎりが売れ残ったとしても、十四時ごろには店をたたんで帰宅する。
それから子供たちとともに魔法の練習や、バシュヌーン語の勉強をする。
二十時にはマンションが消えるので、それまでに夕食と風呂と歯磨きを済ませる。
そして、藁ベッドで眠る。
衛生的な問題――特に井戸水を使うことについては心配があり、こういう形をとらざるを得なかった。
「村人たちの信頼を得ることは大切ですが、万が一ということもあります。特にねねさんの場合、身を守る特殊能力がありません。くれぐれも、気をつけてください」
“オークの森”を脱出した直後、存在レベルが十に上がったことで、儀一たちは特殊能力をひとつ取得する権利を得ていた。
今後どのような能力が必要になるか予測が難しいこともあって、儀一と子供たちはまだ選択していなかったが、ねねだけは先に取得していた。
タレントの暗記である。
効果は、記憶力の向上。
儀一としては、身を守る手段として光属性魔法を取得してもらいたかったのだが、ねねは遠慮がちに異を唱えた。
早くこの世界の言葉や文字を覚えて、子供たちに教えたいと考えたからである。
暗記の他にねねが取得している特殊能力は、翻訳と解読。
異なる言語を聞き取り、文字を理解することができる。完全にこの世界での生活に適応するための能力編成だ。
今後は儀一とねねがふた手に分かれて行動するパターンも増えてくるだろう。
決してひとりにはならず、子供たちといっしょに行動すること。
それだけを確認して、話を終えた。
油を無駄にすることはできない。夜の長話は贅沢なのだ。
ベッドは三つ。儀一はひとりで、ねねは結愛とさくらといっしょに眠ることになった。
そして翌朝。
少し早めに目が覚めた儀一は、家の外に出て庭の様子を確認したが、ふと焼け焦げた地面が目についた。
それは、結愛が火炎球で燃やした部分だった。
少し掘り起こして見ると、白っぽい塊が出てきた。
薪の成れの果てだ。
灰にでもなったのだろうと思ったが、それにしてはしっかりと原型をとどめている。木目まで残っているようだ。
ふたつ手にとって、それぞれを叩き合わせる。
キンッと、甲高い音が響いた。
それは土の中、かなりの高温で焼成された、見事な木炭であった。
(3)
カロン村の寄り合い所は、木造の平屋建て。日本家屋と同じく上がり框があり、靴を脱いで入るタイプの建物だ。
大広間と庭の間、縁側の部分に開いた、子供たち曰く“ねね先生のおにぎり屋さん”は、閑散としていた。
「お客さん、こないね」
「……ねー」
おにぎりを乗せたトレイの隣で、看板娘よろしく結愛とさくらが座っている。今日は天気もよく、日向ぼっこ気分のさくらは少し眠そうだ。
ちなみにムンクは呼び出していない。どうやら精霊はかなり珍しい存在のようで、村人たちを怯えさせないための措置である。
朝の十時に開店し、すでに正午を過ぎようとしていた。せっかくの無料配布だというのに、村人たちはひとりも来ない。
明らかに警戒されている様子であった。
蓮と蒼空は早々に飽きてしまったようで、探検とばかりに敷地内をうろついていた。
駆け回ったり、石垣に登ったり、飛び降りたり。
最初は結愛が注意していたのだが、いても邪魔になるだけと悟ったのか、完全に無視している。
「おじさま、おにぎり冷めちゃうよ。せっかくねね先生が作ったのに」
「まあ、最初はこんなものだよ」
儀一は特に焦っていなかった。
おにぎりは村へ滞在するための対価であると同時に、村人たちとコミュニケーションを行うための道具でもある。
警戒心の強い相手の心をつかむには、何よりもタイミングが大切であることを、かつての営業の経験から儀一は学んでいた。
強引な商売をしたところで、自己満足以上の意味はない。相手が困っている時に、すかさず全力で助ける。その機会を逃さないことが肝要なのだ。
そして今のカロン村の状態であれば、確実にその時はやってくる。
かなりあざとい手法だが、基本的には負けのない勝負だと儀一は考えていた。
「あの、儀一さん」
ねねが遠慮がちに聞いてきた。
「こちらの人数が多いというのも、原因なのでしょうか。ひょっとすると、入りづらく感じてしまうのかもしれません」
この“おにぎり配布作戦”に関しては、実はねねが一番気合が入っていた。
先日の“村会議”で出会った多くの村人たちは、秋の実りの時期だというのに、みなやせ細っていた。
栄養状況は深刻なのだろう。村長の話によれば、このままでは冬を越せず、餓死者が出るかもしれないという。
そしておそらく、最初に犠牲になるのは子供たちだ。
ねねにしてみれば、村人たちの信頼を得るというよりも、まず彼らを助けたいという気持ちが大きかったのである。
「それはあるかもしれませんね」
儀一は肯定した。
全員が一か所に固まっているという状況は、作業効率からいってもよろしくはない。
ただこの作戦には、自分たちの顔を売るという目的もあり、また安全面の心配もあった。
「儀一さん、私――」
ねねが何かを言いかけた時、門から三人の男たちが入ってきた。
先頭は一番体格のよい若者。二十歳前くらいだろうか。よく日に焼けている。残りの二人も同じくらいの年齢だが、一歩引いた位置で付き従っているようだ。全員が木の枝を削った棒――木刀を肩に担いでいた。
このような輩を、無条件で子供たちに近づけるわけにはいかない。
儀一は立ち上がると、前に進み出た。
「異国人ってのは、お前らか?」
これまで“異国人”という単語は何度も出てきた。さらに言葉の短さや相手の口調から、儀一は会話の内容を理解した。
「儀一、です」
村の人々には苗字がないようなので、名前だけ名乗る。
「オレは、ドランだ」
「ヨリス」
「ダーズ」
簡潔極まりない自己紹介が終わると、先頭の体格のよい男――ドランが、儀一に向かって木刀を突きつけた。
「いいか。オヤジがいない間、この村を守るのがオレの仕事だ。オレが出ていない“村会議”の決定なんざぁ認めねぇ。好き勝手なことをするんじゃあ――」
いつの間にか儀一の隣に歩み寄ったのは、ねねである。
「あの、おにぎりです」
ラップをはがして、おにぎりを差し出した。
「穀物、です。まずくは、ありません。ガラ麦では、ありません。しかし、似たような食べ物、です。栄養あり、ます」
たどたどしいバシュヌーン語。
それは、“村会議”で村人たちがおにぎりを試食した時に口にしていた単語をつなぎ合わせたものだった。
ねねは翻訳の能力で会話の内容を聞き取っており、暗記の能力で確かに記憶していたのだ。
「無償、です」
少し首を傾げて、にこりと微笑む。
「……」
毒気を抜かれたように、ドランが口を閉ざした。
敷地内を駆け回っていた蓮と蒼空がやってくる。そして縁側にいる結愛とさくら。四人の少年少女たちに見つめられて、ドランは苦虫を噛み潰したような顔になった。
舌打ちとともに、ねねの手を払う。
おにぎりは弾き飛ばされ、地面の上を転がった。
「あっ――」
「そんな怪しいもんが食えるか! オレたちは、荒野鼠を狩ってんだ。ガラ麦がとれなくたって、たらふく肉が食えるんだよ」
ドランはきびすを返すと、大股で歩み去っていく。
「お、おい、ドラン!」
「稽古、しないのかよ」
二人もドランの後に続き、誰もいなくなった。
「ねねさん、だいじょうぶですか?」
「あ、はい」
ねねは驚いただけのようだが、代わりに子供たちが憤慨した。
「なんだよ、あいつら!」
「初対面なのに、無作法ですね」
「感じわるっ」
「さくら、嫌い!」
初日の客はそれだけだった。
二日目も、ねねは五キロの米を炊いておにぎりを作った。
その数、百個以上。
儀一も手伝おうとしたのだが、料理経験のほとんどない彼のおにぎりは不格好で、「これじゃあ、売り物にならないな」と、自分で食べるはめになった。
初日と同じく村人たちは現れなかったが、行商人のマギーがおにぎりを食べにきた。
さすがに商売人だけあって、珍しいものに目がないようだ。
マギーは儀一たちが着ている服の生地の質やデザインについても興味を持ち、是非とも買い取りたいと申し出てきた。
この世界では目立つ服装である。
他の服と交換することはできないかと儀一は考え、ねねが身振り手振りと拙いバシュヌーン語を交えながら、マギーに伝えた。
「では、のちほどお宅にお伺いします」
約束通り、荷馬車を連れてやってきたマギーは、大量の古着を持ち込んできた。村で売るつもりだったものが、思うように売れなかったらしい。
提供したのは、儀一のスーツとねねのワンピース。
儀一は自分のスーツだけで済まそうとしたのだが、ねねが自分の服もいっしょにと、強く希望したのである。
受け取ったのは、全員分の服と下着を数着分。
「いや、本当に素晴らしい生地と、仕立てですね。どうやって縫ったんだろう」
細かく規則正しい縫い目に、マギーが感嘆する。
「これも売り物になりますか?」
儀一が昨日偶然できた炭を差し出すと、マギーは目を見張った。
「ほう、これは魔木炭ですね。火の魔法を使わないとできない炭です。特殊な使い方をしますので、取扱い店を選ぶのですが、幸いなことに知己があります。ぜひ、買い取らせてください」
木炭ひと束で、銀貨と銅貨が数枚。そのお金で、儀一は糸や布といった消耗品や保存食などを購入した。
お互いにとって有益な取引きになったようだ。
「私は明日、ポルカという港町に旅立ちます。せっかく仕入れた大玉のジュエマラスキノコですから。鮮度が落ちないうちに売り捌かないといけません」
よい品物を手に入れることができましたと言って、マギーは去っていった。
そして三日目。
待望の――まともな村人が現れた。
門の前を通り過ぎ、また戻ってきては通り過ぎ、それを何度か繰り返してから、意を決したように敷地内に入ってくる。
それは二十代半ばくらいの女性で、背が高く、少し気が強そうな顔つきをしていた。
女性はタチアナと名乗った。
「私は――」
やや上ずった声で、タチアナは事情を説明した。
「その、オニギリ? は、そんなにいらない。いや、まあ、あれば欲しいとは思うけれど。そうじゃないんだ」
話を要約すると、自分の知り合いにおにぎりを食べさせたいのだという。
「名前はトゥーリ。私と同い年で、幼なじみさ。もともと身体が細くて、病気がちだったんだけど」
夏場に体調を崩し、最近は床に臥せる日も多くなっているという。
「私もなるべく顔を出すようにしてるんだけどね。トゥーリはどんどん痩せていって。だから、その……」
おにぎりを、食べさせたいのだという。
その話を聞き取ったねねが、小さな盆におにぎりをいくつか乗せた。
「タチアナさん、行きましょう」
「あ、あんたも来るのかい? 私は、オニギリをもらえれば、それで……」
ねねがにこりと微笑み、タチアナはたじろいだ。
「儀一さん、私、行ってきます」
「分かりました」
大勢で押しかけても迷惑になるだろう。だが、ねねには自分の身を守る力がない。
「さくら君」
儀一は自分たちの中で最大の戦力をつけることにした。
「おにぎりの配達をするから、ねね先生についていって」
「うん!」
初日にドランたちに絡まれたことから、儀一は子供たちに、いざという時の――例えば、村人たちに襲われた場合の対処法を練習させていたのである。
「水筒を忘れないようにね」
「はーい」
これは儀一のマンションにあった備品で、中には水が入っている。いざとなれば水の精霊ムンクを呼び出すことが可能だ。
水筒を抱えたさくらは、タチアナの手を引いた。
「おばちゃん、いこっ!」
「……うっ」
さくらの無邪気な仕草と表情は、破壊力抜群である。
「わ、分かったよ。行くよ」
しぶしぶながら、タチアナは了承した。
「あんた、ネネっていったっけ?」
道すがら、タチアナが聞いてきた。
「はい」
「こっちの言葉は分かるけど、話せないって本当かい?」
「ほとんど、だめ、です」
「そりゃ、難儀だねぇ」
「難儀、です」
ねねは相手が話したことをすぐに記憶して、口にすることができる。発音はうまくいかないが、簡単な受け答えであれば問題ない。
道ですれ違った女性や畑仕事をしている男たちが、ねねとさくらを観察してくる。
タチアナは特に気にしていないようだった。
「それで、オニギリは売れたのかい?」
「タチアナさん、初めて、です」
「だろうねぇ」
タチアナはしみじみと語った。
カロン村の村人たちは、異国人である儀一たちを警戒している。“オークの森”から逃げてきたという話も、本当かどうか分からない。
それに今は男たちが出払っており、村の守りは手薄なのだ。
「どう考えても怪しい人間に、いきなり変な食べ物をくれるって言われてもさ、尻込みしちまうよ」
ねねは考え込んだ。
「寄り合い所は人が集まる場所だ。朝には共同井戸で洗濯や水汲みをするしね。本当は、みんな食べ物が欲しいんだけど……」
どうしても一歩を踏み出すことができない。
「もし抜け駆けをして、食料をもらっているところを誰かに見られたら、どんな陰口を叩かれるか分からないからね」
ようするに、店を構える場所が良すぎたということだろう。
「タチアナさん、問題ない、ですか?」
「私かい?」
タチアナは自嘲気味に笑った。
「本当は、ガラ麦でもジュキラ芋でも、私が分けてやれたらいいんだけど。うちにも子供がいるし、そんな余裕はないんだ。それでも私は、トゥーリを助けたい。だったら、あんたたちを頼る以外に方法はないだろう?」
幼馴染を助けるためならば、後ろ指を差されるくらい何でもない。
タチアナの話を聞いて、ねねは嬉しそうに微笑んだ。
大切な人のためならば、何かをしたいと思う気持ち。カロン村の人々も、自分たちと何も変わらない。
そう感じたからである。
「あんた絶対、お人好しだね」
ねねの視線を避けるように、タチアナはそっぽを向いた。
「いつかきっと、騙されるよ」
(4)
「いいかい、蒼空君。しっかりと角度をイメージして。三、二、一、ギン」
「風打槌!」
蒼空が杖を振り下ろすと、巨大な空気の塊が地面の上に、斜め方向に叩きつけられた。
鈍く重い轟音とともに、落ち葉や小石が吹き飛ばされる。その直後、空気の塊は地面の上を“滑って”、蒼空や儀一がいるのとは反対側に衝撃波を発生させた。
「おお~、すっげー」
興奮したのは蓮である。
家の敷地内、石垣に囲まれた庭には、儀一と四人の子供たちが集まっていた。
時刻は午後三時時過ぎ。寄り合い所のおにぎり屋を撤収し、戻ってきたところである。
ちなみに、全員がこの国の標準的な普段着を身に着けていた。
やや生地が厚く、ごわごわしているが、ゆったりとしていて保温性は高い。色は白とベージュと薄い茶色。ちなみにファスナーなどの金属製品はついていない。
儀一の指導のもと、子供たちは魔法の訓練をしていた。
課題は、「悪い人に襲われた時の対処法」である。
この世界には、子供たちを攫おうとする悪党がいるかもしれない。そんな時むやみやたらと魔法を使ってしまえば、相手を傷つけるだけでなく、殺してしまうかもしれない。
いわゆる過剰防衛となってしまう。
ゆえに、なるべく相手を傷つけずに無力化させる方法を、事前に習得しておく必要がある。
儀一は子供たちにそう説明したが、これはカロン村の人々への防衛策の一環でもあった。
「はい、キメ台詞」
「今のは手加減をしました。次は、当てます」
儀一がぱんと手を叩くと、蒼空は家の門の所までダッシュした。
「はい、おっけー」
――と、ここまでが訓練である。
もちろん本番ではバシュヌーン語を使う必要があるのだが、まだ覚えていないので仕方がない。
「一度地面に“反射”すれば、少し威力が落ちるからね。相手を吹き飛ばすくらいで済むかもしれない。絶対絶命の時には当てるしかないけれど、余裕がある時には、こうやって相手を驚かすこと」
「はい!」
六歳の子供に暴力と脅しの方法を教えることに対して、儀一は少なからず後ろめたい気持を抱えていた。
しかし、子供たちが発作的に魔法を使って、仮に殺人を犯してしまえば、相手が悪人であったとしても、決して拭えない心の傷を負うことになるだろう。
それに、相手が罪のない人間だった場合は、この世界の治安機構を敵に回すことになりかねない。
「次、オレやるー」
蓮が手を上げて進み出た。
「蓮君の魔法は接近用だから、不意をつくこと」
「分かってるって」
地面に立てた杭を相手に見立てる。
「いくぜ!」
蓮はごく普通に歩みを進めていたが、突然、片手を目に当てて泣きじゃくりだした。
まるで迷子になって途方に暮れた子供のよう。
そのままとぼとぼと杭の前にくると、
「光撃!」
突然叫んで、杭に蹴りを入れた。
蓮の足、脛の部分から強烈な光が放たれて、杭がずんと傾く。
「おっちゃん、どう?」
「バッチグーだね」
「? なに、それ」
大河でオークキングを騙し討ちした時もそうだが、蓮の泣き真似は実に堂に入ったものだった。
これは自分でも引っかかってしまうかもしれないなと、儀一は密かに感心したが、見学していた蒼空、結愛、さくらは微妙な表情である。
魔法が手や杖の先から出るわけではないことを、儀一はこの訓練で解明していた。どうやら集中した身体の部位から出せるようだ。
「はい! 次、さくらがやる」
さくらの場合、土の精霊グーによる逃走が可能である。手品の鳩爆弾という目くらましを使って、逃げ出すという練習を重ねてきた。
だが今回は、攻撃にも挑戦するらしい。
「ムンクちゃん、ぱーんち!」
さくらの頭の上にのっていた水の精霊、ムンクの二本の触手――その先端が球状に変化して、ぐいんと伸びた。
蓮が傾けた木の杭に打ちつけられる。
派手な音を立てて、杭が折れた。
地面に転がった杭を、さらに触手が追撃する。
バキッ、ガキッ、グシャッ、ドガッ。
茫然としているうちに、杭は文字通り木っ端微塵となった。
これが人間だったならば――
「え~と」
儀一は情報盤でさくらの特殊能力ウィンドウを確認した。ムンクの継続時間に変化はなかった。精霊たちはさくらのお願いにより、八十秒間だけ特別な力を出せる行動時間に切り替わるのだが、今のは通常行動のようだ。
「……」
恐る恐るといったように、さくらが儀一を見上げた。
ムンクが怒られると考えたのだろう。その心情を察知したのか、ムンクもまた、ぶるりと緊張したように震えた。
「悪く、ないね」
さくらが、次いでムンクがほっとしたように力を抜く。
これまでの観察により、儀一は精霊という存在の行動原理について、少しだけ理解していた。
おそらく精霊にとって、人間の倫理観念などまったく意味のない代物なのだろう。相手を怪我をさせないように無力化する、その意味すら分からないのではないのか。
親切で小鳥を捕ってきた猫を叱りつけるのは、人間の身勝手というもの。
ようは、きちんと力加減を学習させればよいのだ。
「いつもさくら君を守ってくれてありがとう。でも次は、もう少し力を抜いてくれると嬉しいな」
そう言って儀一は、ムンクをぽむぽむと撫でた。
最後に残ったのは結愛である。
儀一は庭の中央に、目印となる石をひとつ置いた。
「結愛君は、火炎球を撃ってみようか」
先日、木炭を作った時には、あわや大惨事となるところだったが、最初から用心していれば問題ない。
儀一としては、火炎球の効果範囲を把握しておきたかったのだが。
「――いい」
結愛はぶんぶんと首を振った。
「また、今度にする」
「え~!」
蓮が抗議の声を上げた。
「いいじゃん。見せてよ」
「うっさい」
「まあまあ」
儀一が二人を仲裁して、さてどうしたものかと考えていると、家の方からねねの声が聞こえた。
「みんな、ご飯ですよ~」
「お、は~いっ! いこうぜ、蒼空」
「うん」
ころりと頭を切り替えて、蓮がダッシュする。
「ビリのやつは、食事抜き~」
「え~!」
そんなことは絶対ないのだが、蒼空とさくらが焦ったように走り出す。
「さ、結愛君、いこうか」
「……うん」
どことなく元気のない結愛といっしょに、儀一は食欲をそそる匂いが立ち込める我が家へと向かった。
魔木炭の代わりに行商人のマギーから食料を仕入れたおかげで、食卓の景色は一変した。
具体的には、肉である。
しかも猪肉っぽい謎の肉などではない。マギーによると、ラヴ牛という牛の肩肉を干したものらしい。
ねねはそれを水で戻して炒め物にした。野草やキノコでかさを増やしているが、やはり味が違う。
そして、子供たちの食いつきが違う。
質素な服を着ていることもあって、みんなでちゃぶ台を囲んでいると、戦後の貧しい食卓の風景を思い起こしてしまう儀一だったが、ねねはにこにこと嬉しそうだ。
「明日も、トゥーリさんの家にお食事を届けにいこうと思います」
今日、ねねはタチアナに案内されて、トゥーリという女性におにぎりを届けにいった。
「とても理性的な方でした」
トゥーリはタチアナの幼なじみで、ともに年齢は二十代半ばくらい。
ただ、夏場に身体の調子を崩したらしく、床に臥せっていることが多いという。
ねねがおにぎりを渡すと、トゥーリは素直に感謝の言葉を述べた。
凶作で緊急事態に陥っているカロン村では、主食であるガラ麦を食糧庫に集約し、村人たちに配給していた。
だが、これを脱穀してパンにしたり麦粥にするのは労力がかかる。
「ガラ麦も、収獲したばかりだというのに、満足な量は配給されないみたいです」
トゥーリは長時間歩く体力もないらしい。
だから、明日もおにぎりを届けたいと、ねねは言った。
「それから、できれば。タチアナさんにお願いして、その他にも困ってらっしゃる方を紹介していただこうと思うんです」
タチアナの話では、怪しげな異国人に食料を恵んでもらうことに対して、抵抗を感じている人が多いのだという。
しかし、タチアナに案内してもらって、ねねが運ぶのであれば、相手も受け取り安くなるだろう。
儀一はふむと考え込んだ。
確かにこれは、村人たちの信頼を得るチャンスでもある。
この世界に関する情報も、得やすくなるはずだ。
問題は、ねねの身の安全だが……。
子供たちをひとりかふたり。護衛役としてつけようか。
この村に魔法を使える人間はいないらしい。
戦闘力に限れば、子供たちの方が断然上だ。それにねねがいれば、無茶なこともしないだろう。
「分かりました。ねねさんに、お任せします」
(5)
異国の穀物で作った粥は、とろみと弾力がある。塩を使っているようだが、それ以外にも形容のし難い味が混ざっている。
そして穀物と絡み合う、ピコピコ鳥の卵。
とても栄養があり、身体に生気が蘇ってくるようだ。
「言っておくけど、卵はうちの鳥が今朝産んだやつだから」
「分かってるわよ」
ベッドの上でトゥーリは苦笑した。
ねねが作ってくれたお粥を自分があまりにも褒めるので、幼馴染が拗ねてしまったようである。
「ありがとう、タチアナ」
「ま、元気が出たんなら何よりさ」
実際、ねねがこの家に通って食事を届けてくれるようになり、トゥーリは自分でも自覚できるほどに、体調が良くなっていた。
このままベッドから起き上がることもできず、厳しい冬を迎え、立ち枯れた木のように死んでゆくのではないかと、悲観していたくらいだ。
だから、ねねと彼女を連れてきてくれたタチアナには、感謝してもしきれない。
しかし元気になるにつれて、別の心配も出てきた。
「もう、五日になるわ」
「うん?」
「ネネさん、毎日オニギリやお粥を届けてくれるのよ」
早くお返しをしなくてはならないと、トゥーリは考えていた。
ねねは十日ほど前に村に流れ着いた異国人である。
年は二十二歳だという。色白で、身体つきは驚くほど華奢だが、強い意志の力を秘めているとトゥーリは感じていた。
ベッドの隣の椅子に座っていたタチアナが、何となく疲れたように息をつく。
「ま、ここだけじゃないんだけどね」
両手を胸の前で合わせて、
「他に困ってる人はいない、ですか? お腹をすかせている子供、いない、ですか?」
きらきらした目とたどたどしい口調で、ねねのものまねをしてみせる。
「――そりゃいるわさ! この村じゃみんなが腹をすかせてる。毎日、ひもじい思いをしている」
そう答えると、ネネは「分かりました!」と、タチアナの手を引っ張って、村人たちの家へ案内するよう要求してくるのだ。
おかげでタチアナは、異国人と村人たちの仲介役をさせられるはめになった。
「なんで私が、振り回されなきゃなんないのさ」
トゥーリがくすりと笑った。
「ありがたいことじゃないの」
「ちょっとは疑いなさいよ!」
こんなうまい話があるはずない。毎日無料で食料を配って回るなんて、いくら村に滞在するためとはいえ、やりすぎである。
何か打算があるはずだと考えたタチアナは、この五日間、ずっとねねの様子を観察していた。
「それで、どうだったの?」
「……」
無言のまま、タチアナは肩をすくめた。
さっぱり分からないということだ。
「つまり、打算がないのよ」
「ただただ、私たちを助けたいって? んな馬鹿な」
「ネネさんの料理を見ていると分かるわ。最初は薄口で、どろどろの柔らかいお粥だったのに、少しずつ作り方を変えてきている」
今日などは、味付けも歯ごたえもしっかりとしたお粥になった。自分の体調に合わせて作ってくれていることは明白だ。
「第一印象」
「……え?」
「ネネさんのこと、どう思った」
タチアナは眉根を寄せた。
「底抜けのお人好しだね。しかも、お節介だ」
トゥーリは微笑を浮かべた。
「ほら。答え、出てるじゃない。あなたは直感で判断する性格だし、それであまり失敗もしていないのだから、深く考えなくていいのよ」
考えようによっては失礼なもの言いだが、タチアナはため息をついて、「分かったよ」と降参した。
タチアナも、ねねのことを悪い娘だとは思っていなかった。
それどころか、幼馴染であるトゥーリに少しだけ似ているとさえ感じていた。
底抜けにお人好しで、騙されやすい。
甘い言葉にのせられて、トゥーリは短気で粗野な男と結婚した。
酒癖の悪い小心者で、結婚後すぐに馬脚を現した。
それでもトゥーリは、夫の暴言や暴力に耐え、愚痴ひとつこぼさず、家庭を支え続けたのである。
他所の家の事情とはいえ、タチアナは歯がゆくて仕方がなかった。
もっと我侭になればいい。嫌なことは嫌だと主張し、抵抗して欲しい。
トゥーリに言えずにいた気持ちが、知らず知らずのうちに――お人好しのねねに対する疑念という形で現れたのかもしれない。
「村のみんなは異国人を警戒しているからね。特に年寄りは怖がってる。イゴッソの話じゃないけれど、オークたちと関係があるんじゃないかって、噂してるくらいさ」
「そう」
トゥーリは考え込んだ。
「きっとネネさん――いえ、他の異国人の方たちも、困っていると思うの」
「そりゃあ、言葉にも不自由してるからね」
「それだけではないわ。ガラ麦や薪の受け取り方も、分からないでしょう?」
「たぶん」
「キノコや木の実が取れる場所も知らないだろうし、村にどのような施設や店があるのかも知らない。誰か、世話役はいるのかしら?」
「いないわね」
「つまり――」
トゥーリはタチアナを見つめた。
「言葉も分からない人たちを、ずっと放置しているのね?」
「……」
「毎日オニギリを作って、配達までしてくれているのに。何もお返しをしていないのね?」
たたみかけられて、タチアナは渋面になる。
「だったら。せめて私たちだけでも、恩を返すべきではないかしら?」
まさに正論であった。
翌日の正午過ぎ。
「まあ、何というか。もしそちらが――よかったらだけど。この村を案内しようか?」
寄り合い所に現れたタチアナが、そっぽを向きながら言った。隣にはトゥーリがいて、にこにこと微笑んでいる。
誘いを受けたねねは少し驚き、儀一に通訳をする。
儀一は微笑みながら頷いた
「ありがとう、タチアナさん。とても嬉しいです」
「あんた、どんどん言葉うまくなっていくね」
トゥーリが進み出て、あらかじめ持参していた陶器製の板を、おにぎりをのせたトレイの横に立てかけた。陶器製の板には「ご自由にお持ち帰りください」という文字が書かれていた。
「これでいいわ」
「トゥーリさん、お身体、問題ないですか?」
「ええ、ネネさんのおかげで元気になりました。それに、少しくらい歩かないと、足腰が弱ってしまうもの」
両手を胸に当てて、ねねがほっと息をつく。
「よかった、安心しました」
トゥーリはタチアナに意味ありげな視線を向けてから、儀一たちに向かって一礼した。
「異国人のみなさん、始めまして。私はトゥーリといいます。それから――」
タチアナの腕をとって、引き寄せる。
「こちらが、タチアナ。私の一番の親友です。態度はぶっきらぼうだけど、根は優しいの。仲よくしてあげてね」
「なによその紹介、子供じゃないんだから。ちょっとネネ――訳さなくていいって!」
少し頬を染めて慌てるタチアナ。
「さ、ネネさん。私たちにも、みんなさんを紹介していただけるかしら?」
「あ、はい!」
儀一と子供たちの紹介が終わると、トゥーリはねねが運んでくれたおにぎりやお粥の礼を述べた。
「言葉も不自由していらっしゃるのに、慣れない国での生活、さぞやお困りのことでしょう。私とタチアナに、遠慮なく相談してください。できる限りのことはいたしますので」
ようやくまともな村人が現れてくれたと、儀一は安堵した。
これも献身的なねねの行動のおかげだろう。感謝の意味を込めて視線を向けると、ねねが嬉しそうに頷き返す。
ふたりの様子を見て、トゥーリが微笑を浮かべた。
寄り合い所を出て最初に向かったのは、村の西側にある高台だった。円墳のように盛り上がった形をしている。
階段の脇には一本の巨大な樹木が生えていた。
まるで白樺のように、樹皮が白い。
「なんて立派な木……」
感心したようにねねが呟き、子供たちが口々に驚きの言葉を口にした。
タチアナが自慢げに説明する。
「樹齢六百年の御神木だよ。“白木の門”って呼ばれてるんだ」
階段は五十段ほど。それでも巨木の天辺には届かない。
高台の頂上には石造りの建物があった。風通しを良くするためか、小さな窓がいくつもついている。
「ここは、食料庫だよ」
主食であるガラ麦や、村の行事で収獲した食料のうち保存のきくものを保管する場所らしい。この高台は、“アズール川”が氾濫した時の、避難場所にもなっているそうだ。
「月に一度、ここで食料や塩が配給されるよ。それ以外の日は、あまり近寄らないほうがいいかもね」
用もないのに食料庫に近づくのは、怪しい人間だけである。
高台からは村の周辺の景色が一望できた。
「ほらあそこ」
タチアナが指をさす。
「北に見えるのが魔霊峰“デルシャーク山”と、“オークの森”さ。その手前が“アズール川”だね」
黒々とした山肌と森の木々は、紫がかった霧のようなものに覆われているようだ。
タチアナは指を動かす。
「そして、西に見えるのが“シェモンの森”。南の方にある白っぽい塊が“石切り山”」
東側には何もない。赤茶けた大地が広がっている。
次に案内されたのは、村の南側にある石材置き場だった。“石切り山”から切り取った石を保管しておく場所らしい。
その名の通り、加工されていない巨石が、ごろごろと転がっていた。
「ランボじいちゃん、いるかい?」
粗末な石造りの家にも、隣の作業小屋にも誰もいない。裏手の方に回ると、苔むした石畳の上に老人が倒れていた。
「じ、じいちゃんっ!」
タチアナが駆け寄ると、老人はぱちりと目を開けた。
「なんだ、お転婆娘か」
「な、なにしてんの!」
仰向けに寝たまま、老人は「腹がすかないように寝ているだけだ」と理由を説明した。
トゥーリが歩み寄って、声をかける。
「ランボおじいさん、今日はお客様を連れてきたのよ。起きてくれるかしら?」
「おお、トゥーリか。最近見かけんと思っておったが、元気にしておったか。あいかわらず別嬪だの」
「なんで私と対応が違うんだよ」
「昔、ワシの仕事場に忍び込んで、こっそり木の実を焼いた時――」
「ちょっ、そんなの、二十年も前の話だろう。それにトゥーリもいっしょだったじゃないか!」
ランボが立ち上がると、トゥーリが儀一たちを紹介した。
「ほう、異国人か。珍しいこともあるもんだ」
ランボは豊かな灰色の髭をたくわえた、がっしりとした老人だった。
身長は百五十センチもないが、胴まわりは儀一の三倍はある。顔が大きく、肩幅が広い。足は短い。全体的に樽のような体型だった。
「見ての通り、ランボじいさんはドワーフさ」
タチアナはあっさりと言ってのけたが、儀一とねねは反応に困った。
どうやら人間ではないらしい。
「すっげー、ひげもじゃだ」
「あ、ひげに虫がからまってます」
「不潔……」
「ひげもじゃ、もじゃもじゃ!」
子供たちが興奮したようにはやし立てて、ランボはじろりと儀一とねねを見た。
「このガキどもは、何を喜んでおるんだ?」
一瞬ねねは迷った。
「その、おひげが、すてきだと」
「とてもそうは見えんがの」
ランボは石切り職人であり、鍛冶屋であり、陶芸家でもあるという。いつも仕事場にこもっているので、世事に疎く、“村会議”にも参加していなかった。
あまり細かいことにはこだわらない性格のようで、異国人である儀一たちにも偏見を持たず、ぶっきらぼうに接してくる。
「せっかくだから、皿のひとつでも作ってやりたいところだが、最近は炉にも釜にも、火を入れておらんからな」
ごわごわした髭を撫でながら、ランボはため息をついた。
「どうしたの? 冬篭りの前だから、瓦とか釘とか必要だと思うけれど」
トゥーリの問いかけに、老人は渋面になる。
「薪が配給されん。炭もだ」
「ああ――」
得心がいったようにタチアナが頷き、ねねに説明した。
「イゴッソっていう木こりがいるんだけどさ、そいつがとんだ怠け者でね。最近は生木のまま運んでくるし、みんな文句を言ってるんだよ」
儀一たちの家に届けられた薪も同様である。
ひょっとすると嫌がらせなのかと儀一は考えたのだが、どうやら違ったらしい。
「今は、男衆が村を出払ってるからね。注意する人がいなくなって、これ幸いとさぼっているのさ」
夏が終わり、秋も深まりつつある。
暖をとるために薪は必要だし、冬に備えて家の修理もしなくてはならない。
「わぁ! これ、なに?」
蓮と蒼空が見つけたのは、石を組み合わせたような正方形の建造物だった。入口には頑丈な鉄格子が嵌められていて、中には入れない。
「それは、“石牢”だよ。怖い魔物たちを閉じ込めておくための牢屋さ」
「ふんっ」
タチアナの説明に、ランボが鼻で笑った。
「そんな上等なものではないぞ。こいつはな、悪戯好きの鼠を捕まえるための罠だ」
鉄格子の部分はランボが作り直しているが、石の構造物は六百年前のものらしい。
腹が減ったから寝ると言って、ランボは家の中に入っていった。
「さあ、次はどこに行こうか」
「“シェモンの森”はどうかしら?」
「え? 遠くない?」
「入口が見えるところまでよ」
トゥーリの提案で、村の東側に向かうことになった。
「“シェモンの森”では、木を切っては駄目なの。木こりであるイゴッソさんにしか許可されていないから。でも、キノコや木の実なら自由に採れるわ。それを朝市で別のものに交換することも――」
歩きながら、トゥーリが森での注意点と利用方法を説明していると、何人もの村人たちが慌しく走っていく姿が見えた。
村の北の入口へと向かっているようだ。
「ちょっと、ブッキ!」
タチアナが小さな子供を呼び止めて、事情を聞いた。
「大変だ! また異国人が現れたんだ!」
「本当なの?」
「わかんない。僕も今いくところ!」
儀一とねねも驚いた。
同胞ということであれば、例のテロ事件に巻き込まれた、異世界転生者かもしれない。
少年の案内で村の入口に向かうと、そこには人だかりができていた。
中心部には、白いドレスを着た女性がうつ伏せに倒れている。
村人たちは遠巻きに見ているだけ。
「何やってるの、どいて!」
タチアナの剣幕に押されるように、人だかりがざざっと離れる。
一応警戒しながらも、儀一がしゃがみ込んで、女性の肩を叩いた。
「大丈夫ですか?」
「う……」
女性が反応を示した。
儀一がゆっくりと女性を反転させ、抱きかかえた。
「はぁ、はぁ」
疲れきったような息遣い。
年齢は二十歳くらいに見えた。腰まで届く髪は見事な金髪である。肌は白く、睫は毛ぶるように長い。
女性が目を開けた。
瞳の色は、鮮やかな青。
絶世の美女――あまりにも陳腐な表現が、儀一の頭の中に浮かんだ。
「ボ、ボクは、鈴木カミ子と、いいます」
「……」
女性は日本語で名乗った。
「やっとのことで、“オークの森”の方から逃げてきたんです。お腹がすいて、もう限界です。どなたかは存じませんが、助けてください!」
「……」
深々と、儀一はため息をついた。
「こんなところで何してるんですか、神様?」
(6)
村長であるヌジィに事情を話し、カミ子の身柄については、儀一が引き取ることになった。
というよりも、それ以外に選択肢がなかった。
無関係だと主張しても村人たちを困らせるだけだし、追い払ったらカミ子が癇癪を起こしそうだ。
「いやぁ、山田さん、久しぶりだね。それにしても、よくボクがボクだって分かったねぇ。性別まで変えたっていうのにさ。通じてる? 心が通じ合っちゃってる?」
村長宅から北の外れにある儀一たちの家へ向かう道すがら、カミ子は鬱陶しいくらいのハイテンションでしゃべり倒した。
疲労困憊した様子で倒れていたのは、演技だったようだ。
金髪碧眼で、日本語を話し、自分のことを“ボク”と言う。そんな女性はまずいない。しかも異世界転生に関わっているとするならば、これはもう偶然ではないだろう。
顔の造形が驚くほど整っているし、きらきらと輝く純白のドレスもセンスが同じ。
そして、とってつけたような名前。
神様か、神様の身内――どちらにしろ神様だ。
「ねー、神様って、女の子だったの?」
物怖じしないさくらが聞くと、神様は「ふふん、カミ子でいいよ」と鷹揚に許可を出して、それからふぁさと金髪をかき上げた。
「もともと神に性別なんてないんだよ。女の子の身体を作ったのは、ひとえに山田さんを驚かすためさ。それに美人の女の子だと、いろいろ得をするからね」
「とく?」
「屋台とかで買い物をした時に、店の人がおまけしてくれる」
何とも俗な理由である。
この神様は我侭で子供のような性格をしているが、基本的に嘘をつかないのではないかと儀一は考えていた。
わざわざ“オークの森”に降り立ち、“アズール川”を渡ってきたとは考えにくいが、カミ子は「“オークの森”の“方”から逃げてきた」と説明していた。ひと昔前の詐欺師の常套文句である。
「しかし神様、女の子の身体を作ったとおっしゃいましたが、それは人間として転生したということですか?」
「うん、近いね」
基本的に神は、“ミルナーゼ”においてその力を使うことを禁止されている。ただ、抜け道のひとつとして、自らが構築した“特殊能力システム”を異世界転生者たちに適用させることで、“オークの森”でのサバイバルを、よりドラマチックに演出しようと試みたのである。
「ボクの場合も、君たちと同じ手順をたどっている」
“ミルナーゼ”の外で人間用の身体を作り、そこに自らの精神を写し、特殊能力システムを組み込んだ上で、転生した。
これならば、神々の協定を破ったことにはならない。
「だから今のボクは、君たちと同じような力しか出せないんだ。いやぁ、この身体、不安で不安で仕方がないね。外環境を把握する機能が、五感だけしかないなんて。これは実にスリリングな体験だね、山田さん!」
わけの分からない理由で興奮しているようである。
家に到着すると、カミ子は儀一にパーティ登録するよう要求してきた。儀一が召喚するマンションには、パーティメンバーしか入ることができないからだ。
「パーティメンバーは、最大で六名じゃないんですか?」
状態盤に表示される“枠”が、六人分しかなかったので、儀一はそう推測していたのだが、
「ま、いいからいいから。盤を出してみたまえよ」
儀一が「ステータス、オープン」とキーワードを呟くと、右手をかざした位置に半透明な板――状態盤が出現した。
いつの間にか、二画面になっている。
「システムっていうのは、不定期にバージョンアップされるものなのさ」
パーティ登録申請が承認されると、右側の画面いっぱいにカミ子の情報が表示された。
画像も全身像が映っており、なやましげなポーズをとりながら、くるくる回転している。
左側には儀一たち六人分。右側にはカミ子ひとり分。明らかに不自然なGUIだった。
「ひとりだけ、ずっりぃ!」
「これはひどい」
蓮と蒼空が文句を言うと、
「悪いけど、仕様だから」
すげなく仕事を断るSEのような台詞を、カミ子は口にした。
マンション内のリビングに入って、ねねが全員分のお茶を用意する。
時刻は十六時。マンションが消えるまで、あと四時間ほど。
「それで神様、今回のご用向きはなんですか?」
そもそもカミ子が儀一たちを“ミルナーゼ”に異世界転生させたのは、神々による寄り合いの中で披露するドキュメンタリー番組を制作するためだった。
その目的は達成されたはずだ。
「もう上映会は終わったんですか?」
「まだだよ」
番組制作のために用意していた時間には、まだ余裕があるのだという。数年間をかけて、すべての異世界転生者たちの行動をモニタリングする予定だったらしい。
「このまま時間を“飛ばして”もいいんだけどさ。君たちと知り合えたのも、何かの縁だからね。実際に“ミルナーゼ”を体感し、人間たちとともに生活してみるのも、また一興ではないかと思ったのさ」
もっともらしくカミ子は言った。
暇ができたから遊びにきたということだろうと、儀一は推測した。
はた迷惑な話である。
「一般的に、ですが。人間が生きていくためには、働いてお金を稼ぐ必要がありまして」
「働く? 働くってなに?」
これはだめかもしれないと儀一は思った。
カミ子は無一文だった。
持ち物はラメ入りの派手な純白のドレスが一着のみ。律儀にも、儀一たち異世界転生者とまったく同じ条件でやってきたようだ。
「“しばり”を入れたほうが、ゲーム的には盛り上がるからね。もちろん死んだらおしまいさ。この肉体は朽ち果て、ボクは“ミルナーゼ”から退場する。いやぁ、命って儚いね」
カミ子が使えるかどうかを判断するために、儀一はヒアリングを行った。
「バシュヌーン語はしゃべれますか?」
「うん、人並みに」
「“ミルナーゼ”の情報については?」
「一般的な知識はあるけれど、詳しいことは調べられない。今のボクは、種族記へのアクセス権を失ってるからね」
「トライブレコード?」
「たとえば、人間という種族全体の、社会活動に関するあらゆる情報をまとめたもの。すべての真理が詰まっている虎の巻さ。ちなみに、山田さんが使ってる鑑定にも、種族記への一部アクセス権が付与されているんだよ」
儀一が取得した特殊能力、タレントの鑑定を使うと、手に持っているものの情報が状態盤に表示される。
てっきりあの文章は、神様自身が作成したのではないかと思っていたのだが、
「そんな面倒くさいことするわけないじゃん。基本、ありものの再利用と使い回しさ」
残念ながらカミ子は、この世界のアドバイザー的な役割は担えないようである。
料理、洗濯、掃除といった生活関連の技能はない。
力は弱く、持久力もない。
性格的にみて、根気もないだろう。
「ようするに、君たちと同じってことだね?」
カミ子は得意げに笑った。
あえて不自由さを楽しむという感覚は、分からないわけではないが、相手に迷惑をかけないという前提条件が抜けているらしい。
だが、言葉が分かるというのは大きなアドバンテージだ。
「先ほど状態盤に表示されていましたが、神様の存在レベルは十なんですね」
「ふふん、属性魔法のレベルもカンストしてるよ」
存在レベルが上がると、魔力の総量が上がる。また、五レベルごとに新たな特殊能力を取得することができる。
そして魔法レベルが上がると、魔法の威力が増したり、魔力の消費量が減ったり、継続時間が延びたりする。
カミ子が取得している特殊能力は、三つ。
属性魔法の水属性魔法。
タレントの魔力拡張と感覚機能向上だった。
「どうしてボクが、水属性魔法を選んだと思う?」
「そうですねぇ」
儀一は適当に考えた。
属性魔法には、火、水、土、風、光、闇、無という七つの種類がある。
すでに子供たちが光属性、風属性、火属性を取得しているので、被るのは避けたい。わざわざ背中に後光を背負って登場したくらいだから、闇属性はない。ラメ入りの白い服という派手な出で立ちからして、地味そうな土属性と無属性は趣味が合わないはず。消去法で水属性なのではないか。
ちなみに魔法拡張があるのは、魔法の威力で結愛に負けたくなかったから。
「すいません、さっぱり分かりません」
図星をつくと不機嫌になって、面倒くさいだけである。
「ふふっ、便利だからだよ!」
ともあれ、水属性魔法については、儀一は大きな関心を持っていた。
水を作り出す魔法があることを、以前聞いていたからだ。
その魔法を見る機会は、すぐに訪れることになる。
夕食後、マンションが消えて、カミ子の寝る場所が問題になったのだが、カミ子は「心配はいらないよ」と言って、家の広間で水属性魔法を使ったのだ。
「創湧水」
それは魔法レベル三で覚える魔法だった。
カミ子がかざした手の位置に透明な水の球が生まれて、一気に膨れ上がった。
水の量は百リットル以上あるだろうか。
「水を作るといっても、無から生み出すわけじゃないんだ。地下や空気中、あるいは空の上から、水分を集めてくる」
子供たちが驚きの声を上げた。
「ただ、このままだと崩れちゃうからね。操水」
続いて、魔法レベル一で最初に覚える魔法。
集まった水が、ぐねぐねと蠢く。
「この魔法で水を“縛る”と、移動させたり、粘土みたいに自由に形を変えたりすることができる」
寝心地のよさそうなベッドが形作られた。
まさにウォーターベッドだ。
「よっと」
カミ子はベッドの上に飛び乗った。
子供たちも興味津々といった様子で群がってくる。
「神様、この水は飲料水としても使えますか?」
儀一の問いに、カミ子は「もちろん」と答えた。
有機物をほとんど含まない衛生的な水だという。
この時儀一は、子供たちに取得させる三つ目の特殊能力を決めた。
今はまだ儀一のマンションがあるので、飲み水などの生活用水には困らないが、将来、子供たちが独り立ちした時には、この魔法が必要になるだろう。水道すら満足に整備されていないこの世界では、自身と家族を支える最善の力になるはずだ。
しかし、魔法が必ずしも万能ではないことを、儀一は知ることになる。
翌日の朝。
ねねが大広間で悲鳴を上げた。
「ぎ、儀一さん――カミ子さんが!」
起こされた儀一が広間に向かうと、床の上が水浸しになっており、ずぶ濡れになったカミ子が白目をむいて倒れていた。
とあることに気づいて、儀一は状態盤を確認した。
カミ子の特殊能力ウィンドウを開くと、魔力量を現す円の色が黒くなっていた。
いくら存在レベルが十であり、使った魔法がレベル一のものとはいえ、十時間近くも使い続ければ魔力は枯渇する。
魔力切れで、カミ子は気絶したのだ。
「神様、だいじょうぶですか?」
揺り動かすと、反応があった。
「――がはっ!」
喉の奥に詰まっていた水を吐き出し、がたがたと震える。
「な、なにこれ? さ、寒い! いや――暑い?」
カミ子は生まれて初めて風邪をひき、三日間、儀一がつきっきりで看病をするはめになった。
(7)
おにぎり屋は少しだけ繁盛の兆しを見せていた。
タチアナとトゥーリ繋がりの主婦数人が、寄り合い所に顔を出すようになったのである。
主婦たちは子供を連れてくることもあった。当然のことながら、蓮、蒼空、結愛、さくらと顔を合わせることになるのだが、互いに興味はあるものの、恥ずかしがったり、言葉や自分の思いが伝えられず、まごまごしたりもする。
そんな時ねねは、元保育士の経験を活かして、最初のとっかかりの部分だけ手助けをした。
一番効果的なのが、いっしょにゲームをすること。
といっても難しいものではない。少しだけルールを付けた鬼ごっこや、真似っこダンスや、バシュヌーン語に置き換えただるまさんが転んだなど、全員で身体を動かす簡単なもの。
最初に大人が誘導して警戒心を解いてあげると、あとは自然に楽しみの輪が広がっていく。
「みんな、元気いっぱいです」
縁側から嬉しそうに庭の様子を眺めていると、トゥーリが感心したように言った。
「ネネさん、子供の扱いに慣れてらっしゃるのね」
「そういう仕事、していました」
「へー、メイドかなにかかい?」
タチアナが聞いてきた。
日本ではメイドというとアニメやコスプレなどの印象を受けることが多いが、本来は個人宅に住み込みで働く使用人のことである。仕事の中には雇い主の子供の世話もあるので、的外れな問いかけではない。
「メイドではありません。子供をいっぱい預かって、親が仕事をしている間、面倒をみます」
「多いって、何人くらい?」
「全部で、百人くらいです」
「うわ! 大都会だ」
人口三百ほどの村では考えられない数だろう。
「それにしても……」
トゥーリが気遣わしげな視線を向けた。
「ネネさんのご主人、見かけないわね」
「――っ」
強制的に翻訳されたその単語に、ねねは真っ赤になった。
しどろもどろになりながら、ねねは儀一が夫ではないことと、風邪をひいたカミ子の看病をしていことを伝えた。
「カミコさんって、あの金髪で青い目をした、きれいな方?」
「はい、そうです」
「それは、あまりよろしくないわね」
「熱は、少し、下がりました」
心配はいりませんという感じで、ねねが微笑む。
「いえ、そういうことではなくて……」
「えっ? ネネって結婚してないの?」
驚いたのはタチアナだ。この辺りの村では、十代で結婚するのが当たり前という風潮がある。
「は、はい。してません」
「こんだけ器量よしで、かわいいのに。ギーチっていったっけ? いったい何やってんだか――」
ねねが慌てふためいているうちに、人影が近づいていた。
がっしりとした体格の若者、村長の孫のドランだ。
木刀を肩に担いでいる。おともにヨリスとダーズの二人を連れていた。
「あら、ドラン君じゃない。お久しぶりね」
声をかけたのは、トゥーリである。
ドランは少し動揺したように、身じろぎした。
「ドラ坊、また大きくなったんじゃない?」
タチアナに対しては居心地の悪そうな視線を向けてから、ドランは無言のまま、ヨリスとダーズとともに寄り合い所の中に入っていった。
「あーあ、すっかり生意気な、むさ苦しい男になっちゃって」
「仕方がないわよ」
子供の頃のドランは、タチアナとトゥーリの弟のような立場だったらしい。
「ドラ坊――ドランはね、トゥーリに惚れてたんだ。告白して、見事に玉砕したのさ」
「やめなさいよ。あの子が十歳の時の話でしょ」
ドランたちは午前中に寄り合い所にやってくることが多い。異国人であるねねたちの監視も兼ねているようで、毎回のようにじろりと睨んでくる。
正直、儀一がいない間は不安もあるのだが、タチアナやトゥーリの様子を見る限り、それほど悪い人物ではないのかもしれない。
しばらくすると、大広間から鋭い掛け声が響いてきた。この寄り合い所は、剣術の稽古場としても利用されているのだ。
タチアナがため息をついた。
「ドラ坊は、村の自警隊を気取っていてね」
トゥーリも頬に手を当てて、困ったような顔をした。
「頑張っているとは思うけれど。今は、他にしなくてはならないことが、いっぱいあるのに」
カロン村には男手が足りない。力の有り余っているドランたちの仕事は山ほどあるのだが、彼らは娯楽の要素の強い荒野鼠の狩りに夢中になっていて、何日も村を離れたりする。
また。村にいる時でも、稽古をしたり、巡回という名の散歩ばかりに興じていた。
彼らの行為を注意し、指導できる大人もおらず、残った村人たちも匙を投げているのだという。
「それはともかくとして――」
トゥーリが話題を変えた。
ずいとねねに顔を寄せる。
「今度、ギーチさんを誘って、“シェモンの森”に行きませんか?」
「“シェモンの森”。確か、キノコや木の実を自由にとってよい森ですね。それを朝市で別のものに交換することができます」
「そう。危険な動物もいないから、安心して散策ができるわ。子供たちの面倒は、私たちがみてあげますから」
とてもすばらしい提案だとばかりに、トゥーリはぱんと両手を合わせた。
「……あー」
四日目の朝、ようやく熱が下がった。
まったくなんという脆弱な身体だ。
げんなりしたようにため息をついて、カミ子は藁ベッドから起き上がった。
家の中は妙に静かである。
「五十ば――」
いっしょに生活するならば、きちんと名前で呼ぶこと。
儀一との約束をカミ子は思い出した。
「二宮さーん、ごはん……」
寝室の扉を開けて、広間に移動する。家具はテーブルがひとつと椅子が四つだけ。壁際には竈と調理台がある。
玄関とそれぞれの寝室へ続くの扉。そして、明らかに世界観が異なる黒いマンションの扉がひとつ。
テーブルの上には一枚のコピー用紙が置かれていた。
『みんなで食料を探しに行ってきます。お昼すぎくらいに戻る予定です。ちゃぶ台の上に朝食がありますので、レンジで“チン”してください。以上。山田儀一』
そういえば昨夜、儀一がそんなことを話していたような気がする。
“オークの森”で収穫した食材が残り少なくなっているらしい。「頑張って探して来なよ」と言って送り出したのだが……。
なんだろう、この取り残されたような疎外感は。
カミ子はマンションの中に入ると、ラッピングされていたお粥の皿をレンジで温めた。
――チンッ。
レンゲを使ってずるずると流し込み、ウーロン茶を飲み干す。
カチャリ。
レンゲを皿の上に置いて、ひと息つく。
「ふう」
窓の外の暗闇をぼんやり眺めていると、冷蔵庫のスイッチが入って、かすかなコンプレッサーの動作音が聞こえてきた。
「……寂しい」
呟いてしまってから、カミ子はぶんぶんと首を振った。
「寂しいってなんだよ! これじゃあ、都会に出てきたばかりの、孤独なOLみたいじゃないか。ボクは神だぞ? 誰に対しても気兼ねすることなく、これまでずっとひとりで生きてきたんだ。まったく冗談じゃないよ!」
熱は下がった。
身体は少し気だるいが、問題はない。
カミ子はシャワーを浴びてから、外出することにした。
「ふん、食料探しだって? ボクだって特殊能力を使えば、すぐに見つけることができるんだ。見てなよ、山田さん」
帰ってきたら、あっと言わせてやる。
心に決めてから、カミ子は外出した。
(8)
“シェモンの森”は、別名“勇者の森”とも呼ばれている。六百年前に現れた伝説の勇者が、シェモンという名前だったらしい。
カロン村とその周辺には、この勇者に関係する遺跡がいくつか残っていた。
高台にある“白木の門”。
石材置き場の“石牢”と、村の南の方向にある“石切り山”。
「そしてここ、“シェモンの森”よ」
村の西側、歩いて三十分ほどの距離にある小さな森である。
体力が落ちているトゥーリにとっても、ちょうどよい運動になったようだ。
「美しい、森ですね」
覚えたばかりのバシュヌーン語を使って、儀一が感想を口にした。
遊歩道も整備されているし、村人たちの憩いの場にもなっているようだ。
生前、市役所の市政推進課という部署にいた儀一は、こういった場所があるとイベントに使えて便利だなぁ、などと考えていた。
トゥーリが案内役を務め、ねねが通訳する。
「今から六百年前に、人工的につくられた森と言われています。樹木は切り倒した分だけ植樹して、大切に管理されてきました」
そのため、森の中には木材や薪に適した木々が多い。
とはいえ、果実や木の実が収獲できるものあり、地面には野草やキノコなども生える。食料供給の役割も果たしているようだ。
「この森を利用するにあたっては、いくつかのルールがあります」
なだらかな遊歩道を歩きながら、トゥーリは説明した。
勝手に樹木を伐採しないこと。
森の恵みを採りすぎないこと。
そして――
「子供だけで立ち入らないこと」
トゥーリはそっと後ろを振り返った。タチアナが先導する形で、子供たちがついてきている。
タチアナとトゥーリの娘も参加していた。
名前をアイナとミミリという。
寄り合い所で何度も顔を合わせているので、子供たちはみんな仲良しになったようだ。
「危ないからですか?」
ねねの問いかけに、トゥーリは笑顔で答えた。
「もちろんそれもありますが、ここは村の――特に若者たちにとって、大切な場所なんです」
カロン村の周囲には荒野が広がっており、岩だらけの大地には荒野鼠くらいしかいない。他にあるのは“石切り山”と、この“シェモンの森”くらいだ。
村の中は人目があるし、“石切り山”は岩ばかりで風情がない。
「だから、若い恋人たちが逢瀬を重ねる場所として、この森を利用してきたんです」
そんな場所が子供たちの遊び場になってしまうと困る。
ゆえに大人たちは「あそこは勇者様の森だから、勝手に遊んではいけないよ」と、子供たちに教え聞かせるのだ。
「お二人も、遠慮なく使ってくださいね」
含みを持ったトゥーリの言葉に、ねねは真っ赤になった。
とても訳すことなどできない。
「さあ、着いたわ」
子供たちがわぁと歓声を上げた。
そこは少しだけ開けた円形の広場だった。中心部に小さな泉があり、澄んだ水を湛えている。
泉のほとりに一体の石像が鎮座していた。
背丈は子供くらい。球と円柱を組み合わせた人型で、かなりデフォルメされているようだ。丸い頭部には小さな突起が二つついていた。
「これは、“オークの石像”よ」
突起の部分が牙を表しているらしい。
勇者シェモンが伝説の剣を使って、村を襲おうとしたオークを石に変えたという逸話があるそうだ。
「わざわざ、そんな面倒なことしないと思うけど」
やや懐疑的な儀一だったが、彼はこういった歴史的な遺物に興味があった。
注意深く石像を観察する。
「石材置き場の“石牢”と、同じ種類の石ですね。しかし、とても数百年前のものとは思えないなぁ」
頭部以外は苔むしているものの、表面は滑らかで、角もしっかり残っている。
「この石像に恋人や夫婦が背中合わせになって座ると、将来、強くて丈夫な子が生まれると言われています。カロン村で座ったことのない夫婦は、いないんじゃないかしら?」
トゥーリの追加説明に、ねねが硬直した。
儀一が不思議そうな顔をする。
「他に、言い伝えでもあるんですか?」
「い、いえ。その……」
ねねがしどろもどろになりながら通訳すると、
「なるほど、それは素晴らしい」
「は、はい。そう、ですね……」
儀一は大いに納得したようだ。
「日本でも、鬼を踏みつけている仏像があります。四天王像が有名ですが、この“踏みつける”という行為には、相手の存在を封じ込めて、管理下に置くという意味があります。仏教伝来以降――中世の日本では、飢饉や大火、疫病などの災いは、“鬼”という形で表現されました。その恐怖をコントロールすることこそが人々の願いであり、その願いを体現化した仏像は、まさに救世主といえたのでしょう。ここで注目すべき点は、実は“鬼”なんです。救いだけでなく、災いにも姿を与えた仏教は、当時の日本人にとって斬新な思想でした。それまでは、人智を超えた存在である八百万の神や、正体不明の物の怪が災いを引き起こしていたわけですから、諦めるしかなかった。しかし災いそのものに、初めて明確な形が示され、同時に救いの方法まで教えられたのです。仏を信じれば救われる、というやつです。国や民を守るため、あるいは自己保身のために、時の権力者たちが仏教に傾倒していったのは、自然の流れと言えるでしょう。ああすいません、話が脱線しました。先ほどトゥーリさんが話してくれた“オークの石像”に関する言い伝えの件ですが、カロン村ではオークこそが、災い――仏教でいう“鬼”の役割を担っているのだと思います。石像を尻に敷くという行為は、単純にオークの恐怖を封じ込めるだけでなく、その霊的な力を吸収し、親から子供に分け与えるという意味もあるのでしょう。これは霊的信仰に近い考え方で……」
少しだけ複雑な気分で、しかし儀一が嬉しそうだからそれはそれでよかったという感じで、ねねが熱心に頷いている。
二人の様子を観察していたトゥーリが、すっと目を細めた。
「これは、少しテコ入れする必要がありそうね」
さて、現場には着いたものの、木に登るのは危険だし、高枝切りバサミのような便利な道具はない。基本的には地面に落ちている木の実や、地面に生えている野草とキノコを探すことになる。
「では、三つの組に分かれましょう。ただし、この石像が見えるところで探すこと。いいわね?」
「はーい」
トゥーリとねねの言葉に、子供たちがうきうきと返事をする。
「レンとソラは、私といっしょだぞ」
タチアナが少年たちの肩に手を回した。
「おばちゃん、なんで抱きつくんだよ!」
「そ、そうです。主婦の方が、いきなりそんな……」
「う~ん。男の子ってのは、素直じゃなくてかわいいなぁ」
うりうりと頰ずりするタチアナ。彼女は男の子が欲しかったらしく、これ幸いとスキンシップする。
十分に満足したところで、宣言した。
「さあ、行くわよ。他の組に負けたりしたら、承知しないんだから。ほら返事、おー!」
「お、おー」
男の子にとって、収穫とは遊びであり、競争でもある。ひとつでも多くの食材を見つけようと、元気よく駆け出した。
「じゃあ私は、女の子の面倒をみるわね。マイナ、ミミリ、ユア、サクラ。こっちに集合よ」
「は~い」
少女たちがトゥーリの周囲に集まる。みんなで手を繋いで“キノコ狩りの歌”を歌いながら、別の場所に向かっていく。
「ああ――」
その途中、トゥーリが振り返って、
「ネネさんとギーチさんは、反対側をお願いしますね?」
残された二人に軽くウィンクしてみせた。
収穫は思うようにいかなかった。
“オークの森”では、ずっと食べ物を探しながら逃げ続けていたのだから、多少は探し方のコツも習得している。
それでも食材が集まらなかったのは、そもそもこの森に食料となるものが少ないからだろう。
午前十時くらいから二時間ほど探し続けたが、儀一とねねが集めた木の実、キノコ、野草は、帽子一杯分くらいにしかならなかった。
とはいえ、危険が伴わない収獲は、それだけで気分がよいものである。木の梢に栗鼠のような小動物を見つけたりして、十分に楽しむことができた。
「や、これは、みんなに負けたかな?」
「ですね」
ちっとも残念そうではない顔で、ねねが同意した。
お昼になって泉の傍――“オークの石像”に集合したが、他のみんなの成果も、似たり寄ったりだった。
「ぜんぜん見つからなかった」
「こんなものじゃない? みんな頑張ったわよ」
悔しそうに口を尖らせる蓮を、苦笑しながらタチアナが慰める。
“オークの石像”の前に敷物を敷いて、昼食をとる。
おにぎりとおかずとお茶。ピコピコ鳥の卵が手に入ったので、ゆで卵にしている。カロン村の現状ではご馳走だ。
「この森では、ジュエマラスキノコは、とれないんですか?」
質問したのは儀一である。
全員で探したのに、ジュエマラスキノコはひとつもなかった。“オークの森”では嫌というほど収穫できたので、不思議に思ったのだ。
タチアナとトゥーリが見合わせた。
「一日に一個見つけられたら、幸運じゃない?」
「そうね」
ねねが言った。
「“オークの森”には、キノコがいっぱいありました」
「……」
カロン村では決して近寄る者のいない場所である。
タチアナが考え込む仕草を見せた。
「そういえば子供の頃、ランボじいちゃんに聞いたことがあるなぁ」
“オークの森”には大地を耕す芋虫がたくさんいて、土地が肥えているのだという。木々は高く、葉は大きい。気の遠くなる年月をかけて積み重なった腐葉土は、キノコの成育に適しているらしい。
トゥーリが話を引き継いだ。
「今から百年くらい前――害虫が発生して、ガラ麦が全滅した年があったそうよ。その時には、村の人たちが“アズール川”を渡って、“オークの森”に入ったの。運よくオークたちには出会わず、冬を越せるくらいの食料が手に入ったと伝わっているわ」
その方法は今年の“村会議”でも検討はされたようだが、遥か西の砦に出稼ぎに行くということで落ち着いたのだという。
タチアナが肩を竦めた。
「まあ、ジュエマラスキノコを見つけたところで、町に持っていかないと売れないからね。宝の持ち腐れってやつさ」
何かを検討するかのように、儀一は考え込んだ。
カロン村に戻ると、騒ぎが起きているようだった。
多くの村人たちが出歩いている。
「大変だよ、タチアナ!」
声をかけてきたのは、寄り合い所にも顔を出したことのある主婦のひとりだった。
「どうしたの?」
「今から“村会議”が始まるの。ちょっと問題が起きて」
「問題? 何があったの」
儀一たちがいることで、主婦は言いにくそうにしていた。
トゥーリが助け舟を出す。
「この人たちは、信頼できるわ。さ、話して」
「いや、そうじゃなくて……」
その主婦は少し悩んでから、思い切ったように口にした。
「金髪の異国人の女が、村の食料を盗んだらしいのよ!」
(9)
儀一はねねに、子供たちを家につれて帰るようお願いすると、タチアナとトゥーリとともに、寄り合い所へと向かった。
すでに会合は始まっているようで、怒りに満ちたドランの声が漏れ聞こえてくる。
大広間に入ると、二十人近くの村人たちが集まっていた。
部屋の奥――村長の隣にはカミ子がいて、ドレス姿だというのに胡胡座をかきながら、両腕を組んでいた。かなり憤慨している様子だ。
儀一の姿に気づくと、彼女は救いを求めるのように手を伸ばしてきた。
「あ、山田さんっ! ち、違うんだ、聞いてよ。ボクはこいつらに嵌められたんだ!」
無言のまま、儀一はひとつ頷いた。
昨夜の時点で熱は下がっていたようだが、まだ気だるそうにしていた。今日はみんなで栄養のある食事を作ろうと、食料探しに出かけたのである。
「神様、お身体の具合はだいじょうぶですか?」
「ううっ、やばださん……」
ずいぶん苦しい立場にあったのだろう。少し涙ぐみながら、カミ子が言葉を詰まらせた。
「おお、ギーチさんか。大変なことになった」
村長のヌジィもどこかほっとした様子で、儀一を招き入れた。
カミ子の隣に座ると、向かい合う形で座っている村人たちの視線が集中する。
先頭で睨んでいるのは、寄り合い所で儀一に脅しをかけてきたドラン、ヨリス、ダーズの三人だ。頬や手のあたりに、みみず腫れのような赤い跡がついているのを、儀一は確認した。
忌々しそうに、ドランが口を開く。
「ギーチか。聞いたぞ、お前がこの女の身元引受人なんだってな。つまり、この女が犯した罪は、お前が引き受けるってことだ」
カミ子に通訳されると、儀一はふむと考え込んだ。
こちらからドランたちに喧嘩を売った覚えはない。なのに初対面の時からつっかかってくるのは、自分が余所者ということもあるが、見かけ上、同年代の男だからだろう。
野生の動物に例えるならば、雄同士の縄張り争いである。
だが、儀一の精神年齢は四十二歳だ。血気盛んな若者からまれたところで、面倒臭いだけであった。
「それで神様、何があったんですか?」
ぴりぴりした空気の中、儀一はカミ子に事情を聞いた。
「どうもこうもないよ。こいつらがさ――」
今朝、目を覚ましたカミ子は、外出することにした。
目的は、食料を探すこと。
カミ子には秘策があった。
彼女は感覚機能拡張という特殊能力を取得していた。これは五感を拡大させるパッシブスキルで、そもそもはカミ子が自分の身を守るために取得したものだった。外環境の情報をいち早く感知することが、生死を分ける一手になるだろうと考えたのである。
この感覚機能拡張を使えば、視覚や嗅覚を高めることができる。
これで果実が実った木を見つけて、一気に収獲しようという算段だ。
鼻を利かせながらカミ子が村の中を歩いていると、ドラン、ヨリス、ダーズの三人に出くわした。
彼らは木刀を片手に持ち、巡回警備という名の威嚇行為を行っている最中だった。
『やあ、人間君、元気かね?』
カミ子は友好的な挨拶をした。
カミ子を一瞥するなり、三人はそろって絶句した。
声をかけてきたのが、こんな辺境の村ではまずお目にかかれないほど高貴な出で立ちをした、超絶美女だったからである。
『お、おい。この女誰だよ』
『あれじゃね? 異国人の』
『そういえば、噂で聞いたぞ。金髪の青い目をした女。すげぇ』
『――おうい、こっちは挨拶してるんだよ。内輪で盛り上がるのは勝手だけどさ、先にすることがあるだろう?』
興奮していたドランたちは聞いていなかった。
この時点でカミ子は少し不機嫌になっていた。
『オレはドラン。こっちの二人は、ヨリスとダーズってんだ。べっぴんさんよ、村でも案内してやろうか?』
この時カミ子は、自分で食べ物を探すよりも、貢物をさせたほうが効率がよいのではないかと考えた。
勝算はあった。
古今東西、様々な歴史の中の人物を管理してきたカミ子である。当然のことながら、自らの精神を宿す身体にはこだわりがあった。顔の造形だけでなく、声の質も、プロポーションも抜群だ。
『実は昨日まで、ボクは風邪をひいて寝込んでいたんだ。そのせいか、少し喉が渇いていてね。甘くてみずみずしい果物なんかが、食べたいなぁ』
少し腰をくねらせるようにして、金髪をふぁさとかき上げながら、カミ子は妖艶な笑みを浮かべた。
男たちはごくりと唾を飲み込んだ。
『お、おう。ちょっと待ってろ。家から持ってくるからよ』
ちょろいものである。
五分ほどで、男たちは果物を持ってきた。
赤く四角い果実がひとつだけ。しかも、品種改良がほとんどされていないこの世界の果実は糖分が足りなかった。
『う~ん、すっぱい。これだと、二宮さんに頼んで焼き菓子にしてもらった方がいいかもね』
とはいえ、喉の渇きは潤せた。
礼を言って別れようとしたカミ子だったが、ドランに前方を、ヨリス、ダーズに後方を遮られた。
『おいおい、ねーちゃん。こちとら貴重な食料を分けてやったんだ。はいサヨナラはねーだろう?』
『なあ、オレたちと遊ぼうぜ。どっか邪魔の入らないところでさ』
『へへっ、“石切り山”なんてどうだい?』
“四角りんご”ひとつくらいで、どうしてこいつらと遊ばなくてはならないのか。
カミ子は憤慨するよりも、冷めた気持ちになった。
無言でいたことで怯えていると勘違いされたのだろう。口元をにやつかせながら、ドランが手を伸ばしてきた。
その指先がカミ子の白い頬に触れる直前、
『創浄水』
『――うおっ』
巨大な水の塊が出現し、ドランは尻餅をついた。
『ド、ドラン!』
『ま、魔法? この女、魔法使いか!』
『操水』
水の塊が不定形に蠢く。
カミ子は微笑を浮かべていた。
それは場違いなほどに慈悲深い、女神のような微笑みだった。
『心配しなくても、命までは取らないさ。山田さんに迷惑がかかっちゃうからね。だから、水蛇鞭』
水の塊から無数の触手のようなものが伸びて、一瞬で男たちを打ち倒した。
手加減をしたので骨などは折れていない。
その後、ドラン、ヨリス、ダーズの三人はそろって降参し、詫びを入れ、二度と無礼な振る舞いはしないとカミ子に誓った。
『愚かな人間君たち。ボクは食料を探しているんだ。できれば美味しい食べ物をね。ボクが風邪をひいて寝込んだ時、山田さんが付きっきりで看病してくれてね。その借りを返したいんだ。いやぁ、なんだろうね、この心境は。自分でも驚くほど健気だと思っているよ』
『や、まだ?』
『山田儀一。君たちの言葉だと、ギーチのほうが呼びやすいかも』
一瞬、ドラン表情が怯えから怒りのものへと変わった。
自分より少し年上の異国人。初対面の時から気に食わなかった。木刀で脅しつけたのに、びびりもしない。何でも知っているふうな顔をした、いけ好かない野郎である。
『食い物ならあるぜ――いや、あります』
『ドラン!』
『よ、よせよ』
余計なことを言うなという感じで、ヨリスとダーズが警告した。この女と関わるのはまずい。触らぬ神に何とやらである。
『へー。それ、ボクがもらってもいいのかい?』
『もちろん、です。予備の食料ですから』
ドランは高台にある食料庫へとカミ子を案内した。
入口の扉は頑強そうな鉄製で、施錠されていたが、自警隊を気取っていたドランは、倉庫の鍵を家から持ち出して、常に携帯していたのだ。
『ふ~ん、いい匂いがするね』
倉庫の中には、収穫したばかりのガラ麦や、数種類の果実、木の実、乾燥させた肉や魚、キノコなどでいっぱいだった。
『これ、本当に――』
匂いにつられて倉庫の中に入ったカミ子が振り返った瞬間、扉が閉まって鍵がかけられた。
『……えっと』
『今だ、ずらかれ!』
扉の向こう側でどたばたと足音が聞こえ、やがて静かになった。
倉庫の中は薄暗く、高い位置にある小窓から細い光が入ってくるのみ。
『あぁん?』
カミ子はぴきぴきと、青筋を立てた。
神を欺くとは万死に値する罪である。
『ぶっ殺してやるっ!』
カミ子は水の塊をハンマーのような形に変えて、扉に叩きつけた。
予想に反して、鉄製の扉はびくともしなかった。それはドワーフであるランボが製作したものであり、無駄に頑丈にできていたのだ。
石壁を壊したほうが早かったかもしれない。しかしむきになったカミ子は、扉に向かって水のハンマーを叩き続けた。
そして三十分後。
ようやく扉が外れて、外に出てみると……。
「どうなったと思う?」
「ドランが村人たちを連れて待ち構えていた、とか」
「正解! よく分かったね、山田さん」
扉の外には十人くらいの村人たちがいた。その中には、ドラン、ヨリス、ダーズの三人も含まれていた。
そしてドランが、カミ子を指差して叫んだのである。
『こいつだ! こいつが食料庫に忍び込んだ泥棒だ!』
そして、現在に至るわけだ。
寄り合い所の大広間では、ドランが声高々に事情を説明していた。
村の中を警備したところ、カミ子がふらふらと歩いていた。ゆえに警告した。村で生活するにあたっては、気をつけなくてはならないことがいくつかある。特に食料庫は村人たちの共有財産だから、気軽に立ち寄ってはいけないと。
その後、ドランたちが気になって高台に来てみると、まさにカミ子が食料庫へ入ろうとしているところだった。
取り押さえてもよかったのだが、男三人で襲いかかるのは大人気ないし、誤解を招く可能性もある。
だから隙を見て鍵をかけ、他の村人たちを呼んで証人になってもらったのだ。
「若いなぁ」
と、儀一は呟いた。
魔法で叩きのめされて、脅迫されて食料庫に案内させられたと主張されたならば、こちらに打つ手はなかった。
傷害罪、脅迫罪、窃盗罪、器物破損罪――証拠も証人も十分。
言い逃れはできない。
だが、自警隊を自称している男三人が、ナンパに失敗した女にこてんぱんにされて、仕返しに騙し討ちにして食料庫に閉じ込めたとは、言い出せなかったのだろう。
身体は大きくても、精神はまだ子供ということか。
「ちなみに神様、食料庫の食べ物に手をつけてはいませんか?」
「……あ、えーと。ごめん」
実は扉を壊している間、あまりにも暇だったので、カミ子は果物を一個失敬して食べていた。食べながら倉庫の外に出てきたので、村人たちに目撃されている。
「ギーチさん、どうするね?」
ヌジィが聞いてきた。何か弁明はないのかということだ。
「ど、どうする、山田さん」
「こういうのは、先に言ったもの勝ちです」
儀一はカミ子にしおらしい演技するよう頼んだ。
“村会議”は参加している村人たちの合議で結論を出す。ゆえに情に訴えることも必要なのだ。
「実は、ボク」
カミ子は少し俯き加減になって、儀一が口にした通りの台詞で事情を説明した。
「そこの三人の男の人に、襲われたんです」
「な――」
「無理やり、人気のない“石切り山”に連れていかれそうになりました」
弁明ではなく真実を述べる。
ほんの少しだけ、省略して。
「でも幸いなことに、ボクには魔法の力がありました。水の魔法です。ボクは魔法を使って、三人の魔の手を退けました。彼らの顔や手に残っている傷が、その証拠です」
村人たちがざわめき、ドラン、ヨリス、ダーズに視線が集中した。
「その後、彼らはボクに謝罪しました。そしてお詫びにと、食料庫へ案内してくれたのです。食料庫には鍵がかかっていたはずです。ボクひとりで中に入れるはずがありません」
「そ、それはっ」
ドランが立ち上がった。
「お前が、魔法を使って鍵を開けたんじゃ――」
「いいえ違います」
カミ子は大げさに、ぶんぶんと首を振った。
「水の魔法にそういった力はありません。それができるならば、閉じ込められた後、外へ出る時に魔法で鍵を開けていました。それができなかったから、ボクはやむを得ず扉を壊したんです」
防戦一方ではやられるだけ。
たとえ敵地であったとしても、主張すべきことはしなくてはならない。
「扉を壊してしまったことに関しては、深くお詫びいたします。ですが、異国の地で突然男の方に襲われ、理不尽にも食料庫の中に閉じ込められた、ボクの気持ちもお察しください。閉ざされた暗闇は、冷たく怖いもの。一刻も早く外に出たかったのです」
儀一が「はい、そこで泣き真似」と指示を出す。
「ううっ、しくしく」
「で、でたらめだ!」
ドランが真っ赤になって叫んだ。
「お前が――そうだ! お前が、食料庫へ案内しろと言ったんだ。魔法を使って、オレたちを脅して」
今さらもう遅い。
「ほら、証言が覆りました。先ほどのあの方は、ボクに村で生活するにあたっての注意事項を伝えただけと説明していたはずです。あの方の証言は、信頼するに値しません。あの方は――」
「はい、ドランを指差して」
「嘘つきです!」
そこからは、泥沼の展開だった。
ドランたちが逆上したのだ。
彼らに信用があれば、あるいは一方的にカミ子が断罪されていたかもしれない。だが、彼らの素行の悪さについては、村人たちも辟易していたのである。
一方で、新参者のカミ子にも信用はない。
最終的に話をまとめたのは、ヌジィだった。
「あー、ギーチさんや。今となっては真実は誰にも分からん。だが、そこのお嬢さんが、村の大切な食料庫の扉を壊して、貴重な果物を食べたのは事実じゃ。その部分について、何か別の補償をしてはくれんかのう」
「分かりました」
ドランは村長の孫である。彼の罪を確定してしまえば、村との全面対決になるだろう。それは時間と労力の無駄でもある。
せっかく村長が落とし所を示してくれたのだから、ここはのるべきだと儀一は判断した。
ついでに、もどかしい部分を動かそうとも考えた。
「これは噂で聞いたのですが、村では冬に備えるための薪が不足しているそうですね」
ヌジィは頷いた。
「木こりのイゴッソさんも、おひとりでは大変でしょう。もし村長の許可をいただけるなら、薪や炭を作るお手伝いをしたいと思うのですが、いかがでしょうか?」




