町のクリーニング屋さん
新しい家からは、クリーニング店の看板が見えた。
チェーン店に慣れた女はその古びた看板に一抹の不安を覚えたが、不精な女にとってクリーニング店は近い方がいい。
程なくして、女はその門を叩いた。
店の前にはは鉢植えが溢れ、閉店しているかのようにガラス戸には葦簀が立てかけてある。訝しみながら入ると、迎えてくれたのはグレーの髪とひげを丁寧に整えた愛想のいい店主だった。
「いらっしゃい」
初めこそ名前を聞かれたが、ここには会員カードなんて無粋なものはなく、店主は客の顔と名前を覚えていてすらすらとボールペンで伝票を書き出すのであった。
「あらあ、背が高い人は何でも似合っていいわねえ」
こちらはご夫人である。やはり髪を整え綺麗に化粧をして、決して華美ではないが明るい印象である。女は、ここに来る時はコンビニに行く時よりも身だしなみに気を遣っていた。
「爪、綺麗ですね」
女は前から思っていたことを言った。赤やピンクではないマニキュアを奥さんがしていたからだ。
「これねえ、お友達がやっているんだけどね、おかしいでしょう職人の奥さんが」
恥ずかしそうに奥さんは爪を隠す仕草をしたが、職人の妻、という響きは良かった。ここは工場で洗濯しているんではなく、店頭から見えるところでアイロン掛けしているのだ。職人という矜持がいいと、女の帰り道の心は軽かった。
ある日は、銅色に変色した紺のワンピースを出して、
「麻を着て洗剤なんかが飛ぶとこうなっちゃうんだ、直らないんだよ」
と残念そうに告げられ、それは承知していた女は汗抜きとアイロンがけだけしてくれと言ったのだが、奥さんが
「マジックで塗りつぶせば目立たなくなるんじゃないかしら!」
とわいわい言って、「いやあ…」と言いながら細かいオレンジのシミをご主人が一生懸命全部塗りつぶして
「ほうら、だいぶ良くなったわよ、ねえ!」
と本当に綺麗にしてくれて女はとっても嬉しかった。
秋が来た。女は夕焼けを眺め、綺麗だね、と言う相手が隣にいないことを嘆きつつクリーニング店に向かった。
「まだ出来てるかわからないんですけど…」
「多分出来てるわよ!」
出したのは四日前で、普通どれくらいで出来るか女は予想がつかなかったのだが、奥さんは伝票も見ずに威勢良く答えた。
そこに後ろのドアが開いて、
「あ、百円、返した?」
ご主人だった。
「この前百円多く貰っちゃったんだよ」
奥さんは細かい確認などはしないですぐに百円を女にニコニコ渡し、ご主人はごめんねえと言った。
百円得した気がして、女の帰りの足取りは軽かった。秋の涼しい風が吹いた。