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ヒナの王子様

作者: 愛田美月

本作は、募金活動として2012年1月迄発売されていた、One for All , All for One and We are the One ~オンライン作家たちによるアンソロジー~VOL3に収録されていた作品を加筆修正したものです。

 陽菜の夢は王子様と結婚すること。

 百歩譲って王子様じゃなくても、王子様みたいな人とロマンチックな恋をして、おとぎ話のお姫様のように幸せに末永く暮らすのだ。


 幼稚園の頃、陽菜は仲良しだった男の子に、もう少し拙い言葉で、その夢を意気揚々と語って聞かせた。

 聞かされた男の子は、気弱そうな顔に笑顔をのせて、陽菜にこう言ったのだ。

『じゃあ、ボクね、ヒナちゃんの王子様になる』

 可愛らしい宣言だったが、陽菜は即座に 顔を顰める。

『えー。やだぁ。タカちゃん弱虫なんだもん。弱虫の王子様なんてありえなーい』

 誰かに聞かれていたら、何様だと言われそうな発言に、男の子は泣き顔になる。

 そして、本当に涙をこぼした。

 陽菜は慌てて、泣きやませようと頭を働かせた。

『だ、大丈夫だよ。えっと、タカちゃんは王子様にはなれないけど、陽菜の家来にしてあげる』

 どうだ、とばかりに胸をはるが、タカちゃんは、家来なんて嫌だと涙を流し続けた。

 困り果てた陽菜は、ふとこの間見たアニメを思い出して顔を上げた。

『そ、そうだ。じゃあ、家来じゃなくてね、えっと、ナッ、ナットウ?……じゃなくて、陽菜のナ、あ! ナイト! 陽菜のナイトにしてあげる。ナイトはね。王子様の次にカッコいいんだよ。陽菜を守る大事な役目なんだから』

 高飛車な物言いだったが、男の子は目じりに涙をためたまま、陽菜を見た。

『ボク、ナイトになれるの?』

『うん、頑張ればなれるよ』

 陽菜のどこまでも上から目線の言葉にも、男の子は嬉しそうな顔を見せ頷いた。

 ナイトも結局はお姫様の家来だと言うことに、この時の二人はまだ気づいていなかった。




 越智木洩れ日学園高等学校の、文化部棟と呼ばれている旧校舎の二階。その最奥に、数人の生徒しか寄りつかない部室がある。

 木の札に書かれたクラブ名は『オタクラブ』

 一見して何のクラブか分かる者は、まずいないだろう。

 柚木陽菜ゆずきひなは部室の扉に手をかけて、大きな溜息をついた。

「どうかしたのか?」

 陽菜の背後から、低い声が聞こえる。同級生で幼馴染の大地貴志おおじたかしだ。陽菜は貴志を軽く睨みつけるように見上げる。中学生までは陽菜の方が、背が高かったのに。高校生になった途端に、ぐんぐん背がのび、今は百六十五センチの陽菜よりも十センチは身長が高い。

「別に、何でもないわよ」

 ふんっと鼻を鳴らして、陽菜は勢いよく扉を開けた。

 部屋の中を見て絶句する。

 真ん中に寄せ集められた六つの机。

 その脇で、二人の男子生徒が、互いの首に手を掛け、額をくっつけてこんな会話を交わしていた。

「やっぱり、僕にははじめしかいないよ」

「僕も、なつめだけだ」

 あと少し近づけば互いの唇が触れるくらいの距離である。二人の間には何とも怪しい雰囲気が流れていた。

 その雰囲気を壊すかの如く、黄色い歓声が彼らの奥から聞こえてくる。

「キャーキャー、ステキ、最高! 萌えるっ、萌えるわー」

 その声を耳にして我に返った陽菜は、ずかずかと部室に足を踏み入れ、二人の男子生徒の間に無理やり割って入った。

「うわっ、陽菜ちゃん強引」

「せっかく、ラブラブしてたのに」

 と、男子生徒からブーイングが飛ぶ。陽菜の眉間に深く皺が刻まれた。

「同じ顔して、ラブシーンしてんじゃないっつーの! そんなにやりたきゃ、自分家でやれ自分家で」

 陽菜の左右にいる男子生徒が、陽菜好みの甘いマスクに不機嫌さをにじませた。その顔はそっくりである。彼らは一卵性の双子であった。

「家でこんなことする訳ないじゃん」

「そうそう。弥生ちんが、萌えてくれるからやってんだしさ」

 先ほど黄色い声を上げていた同クラブの女子生徒、今野弥生こんのやよいに双子が目を向けた。彼女は嬉しそうに声を上げる。

「うん、ありがとう。萌えた。マジ萌えた。ハジメ君もナツメ君もホント最っ高ー!」

 親指を立てて見せた弥生は、細身で背の高い陽菜と違い、小柄ですこしぽっちゃりとした体型をしている。そんな彼女は、自他共に認めるBL好きだ。

「どういたしましてー」

 双子は弥生と同じように親指を立て、異口同音に返事をした。

 陽菜は細い眉をさらにぎゅっと寄せ、双子と弥生を睨むように見る。

「どういたしましてじゃなーい。あんたたち、特に、弥生。あんな大きな声出して! まーた、隣から苦情くるわよ。それから、河原ツインズ、悪乗りしない!」

 陽菜は、手近にあった机を音がなる程強く叩いた。

「陽菜ちゃんこっわー」

 と、またもや息ぴったりに同じことを言って、始と棗が抱き合った。それに、また弥生が興奮している。懲りない奴らだ。

「おまえら、その辺にしとけ、陽菜が暴れ出すぞ」

 扉の前で推移を見守っていた貴志が、大きくないがよく響く声で告げる。一瞬部室に静寂が訪れた。

 始がふっと肩をすくめる。

「王子に、言われちゃしょうがねーか」

「この辺が潮時だね」

 始の発言に、棗が返し、弥生が頷いた。ちなみに、王子とは、貴志のあだ名である。名字の『おおじ』と『おうじ』の響きが似ているため、ツインズにそう命名されたらしい。本人はあだ名をつけられた当初はかなり嫌がっていたが、嫌がれば嫌がる程に、双子が悪乗りするので、訂正させるのを諦めたようだ。

 王子と呼ばれている貴志より、むしろ双子の方が王子顔なのだが。

「じゃあ、王子。一戦やろうぜ」

 と言って、始が手に持って掲げたものは、折り畳み式の将棋盤であった。貴志は言葉なく頷き、了承の意を示した。

「えー? ずっりー始。……しょうがない、陽菜ちゃんでいいか。囲碁しない?」

 しょうがないという言葉に、引っかかりを覚えたが、陽菜は怒り疲れていたので、むっとした表情だけを作った。

「私、囲碁のルール知らないし。本読むつもりで借りてきてるし。椎名しいなが来るまで待てば?」

 と、つれない返事を返す。棗は、駄々っ子のように頬を膨らませた。整った顔が台無しである。

 陽菜が先ほど口にした椎名とは、オタクラブのメンバーの一人だ。その椎名がそろえば、オタクラブ部員が全員そろうことになる。ちなみに部員は全て二年生だ。

「えーじんが来るまで暇じゃん。何かしようよ」

 食い下がる棗に、陽菜は嘆息した。

「五目並べなら、私でもできるけど」

「んじゃ、それで」

 嬉しそうに、応じた棗の笑顔に、陽菜の王子センサーが働いた。胸がドキドキする。陽菜はとにかく、王子様のように爽やかで、綺麗な顔立ちをした人が好きなのである。まあ、簡単にいえば美形好きということだ。

 陽菜が初めて河原ツインズを見た時、その顔に一目ぼれしたのは内緒である。その後すぐに、双子の挙動を見て、陽菜の恋心が一気に冷めたのも内緒だ。

 河原ツインズの表情に、たまにドキドキするのは、美形好きとしてはどうしようもないのだろうと諦めている。陽菜としては、ツインズにばれないことを祈るばかりだ。

 盤を広げて、碁石を出したところで、部室の隅から微かに声が上がった。

「あのー」

 その陰気くさい声に、一同が驚いて、声のした方に顔を向ける。

「僕なら、ここにいますけど」

 そう言って、手を上げたのは、先ほどからいないと思われていた椎名仁だ。

 男にしては背が低く、可愛い顔立ちだ。

「あ、あんた、いつからそこに」

「ジン君……気づかなかったわ」

 陽菜に次いで、弥生が呆然としながらも声をだす。弥生が一番、椎名の居場所から近かった。

「はじめから 、ここにいましたけど」

 ぼそぼそと椎名は言った。

「そんな所で何してたんだ?」

 貴志が聞くと、椎名は近くにあったカーテンを細い手で掴み、窓の外を見上げてこう言った。

「ちょっと交信してまして」

 何と?

 椎名以外の全員がそう思ったが、誰も口に出来る者はいなかった。




 囲碁・将棋クラブ。漫画クラブ。心霊研究クラブ、文芸部。この五つのクラブが集結して出来たのが現在の『オタクラブ』である。

 越智木洩れ日学園高等学校では『生徒は必ずどこかのクラブに所属しなければならない』という、校則がある。

 クラブとして存続するために最低六人必要なのだが、その六人という定員を割ってしまったクラブは、この『オタクラブ』に強制的に集められることになっている。

 陽菜が先輩から聞いた話によると、学園長が、定員を割ったクラブ名を見て、『オタクっぽいクラブばっかり。名前はオタクラブにして、一つのクラブとして扱えばいいじゃない。オタクLOVEって書くと何か可愛いし』と、のたまった、否、おっしゃったそうである。

 代々オタクラブに所属していた生徒が少し変わった人物が多かったことと、何よりオタクという言葉がネックになったのか、『オタクラブは変人の集まり』というレッテルが張られていた。

 このため、オタクラブ制度が出来て以来、なんとか人員を確保しようと、越智木洩れ日学園のクラブ勧誘は年を追うごとに、より白熱したものとなっている。

 



 この日もまたオタクラブの部室では、河原ツインズに肩を組ませて、弥生が喜んでいた。

 騒々しい最中、陽菜はおとぎ話集を手に、熱心に読書を楽しんでいた。

 物語の中のお姫様は、どの話もきらきらとしていて、優しくて賢くて、強い王子様と幸せになっている。

 読み終えた本をゆっくりと閉じて、満足の溜息を吐いた。

「あーやっぱりいいなぁ」

 囁くようでいて、どこか浮かれたような呟きを聞きつけたのは、近くに座り、肩を組んだ河原兄弟を写生していた弥生だった。

「ん? 何がいいの? ヒナちゃん」

「え? 王子様よ。やっぱ男は王子様みたいにカッコよくないとね」

 夢うつつのように、陽菜は持っていた本を置いて、指を組んで口元へ持っていく。

「そういや、陽菜ちゃん。おとぎ話よく読んでるよね」

 と発言したのは、棗である。それと分かるのは、髪型のおかげだ。前髪の分け方が真ん中なのが棗、分けていないのが、始だ。

「もしかして、陽菜ちゃん。理想の王子様が、白馬に乗って登場するのを待ってる。とか言わないよね」

 からかい口調の始の言葉に、思わず顔が熱くなった。図星に近かったからである。

 その反応を見て、陽菜の周りに集まってきた三人は驚きの反応を見せた。

「うっそ、マジ? 陽菜ちゃんて、意外と乙女思考だったんだ」

「ヒナちゃん可愛いー。私、分かるわ。その気持ち」

 棗に続き、弥生も声を上げた。

 陽菜は、むぅっと唇を突き出して、答える。

「悪かったわね、意外で。えーえー。どうせ私は乙女思考ですよ。超優しくて、強くて、カッコいい王子様とステキな出会いを果たして、プロポーズの時はたくさんのバラをプレゼントされて、そんでもって、 お姫様みたいに幸せに暮らすのが夢よ。悪いかっ!」

 半ば、やけくそ、半ばキレ気味に陽菜が声を荒げる。

 双子が顔を見合わせて、噴き出した。

「あはは、無理。ぜったい、無理。そんな男いないって」

「いまどき、そんな乙女思考全開の女子高生がいるなんて、マジ希少だよ」

 と、言って腹を抱えて笑っている。

 笑いすぎだ。

 さすがに、同じ女子として、気の毒になったのか、弥生がフォローを試みた。

「でも、それって、女の子にとっては夢よね。現実が 見えてないだけで」

 あまり、フォローになっていなかった。

 陽菜はガクッと、頭を下げ、笑い転げている二人と弥生に座ったまま背を向け、机に肘をついてぼやいた。

「別にいいじゃない。夢見るくらい」

「あまり笑ったら、気の毒ですよ」

 ぼそりと聞こえたその声に驚いて、双子の笑いがぴたりとやんだ。

 陽菜もどこから声が聞こえてきたのかと辺りを見回し、部室の端っこに立つ少年の姿を見つけた。また、窓際である。

「ジン君、一体いつからそこに」

 驚いたように、弥生が声をあげる。

「僕が一番乗りでしたけど」

 誰も気づいていなかった。どれだけ存在感薄いんだとツッコミたくなる。

「柚木さん。おとぎ話が好きなら今度持ってきましょうか? 僕『本当はものゴッツい怖いおとぎ話』って本、持ってますけど」

 話を向けられた陽菜は、大急ぎで首と手を横に振った。

「嫌、いい、いい。怖い。その題名で怖い。私の夢が壊れるっつーの」

 陽菜は慌てて辞退した。

「そうですか。残念ですね。面白いのに」

 さして残念そうな顔も見せず、椎名が呟いた。

「ところで、仁。おまえそこで何やってたんだ?」

 尋ねたのは始だ。

 椎名は、ふっと窓の外に目をやった。他のメンバーがつられて窓の外に目を向ける。

「窓の外にいる人と、ちょっとお話を……」

 怖ぇよ。

 部室にいた椎名以外の全員が思ったが、口に出す者はいなかった。



 

 貴志が部室に顔をだした後。珍しく真面目に河原ツインズと貴志、そして椎名が将棋をさしていた。

「あ、そうだ」

 棗が思いだしたように声を上げた。

 相も変わらず、おとぎ話を読んでいた陽菜に顔を向け、棗が自分の対戦相手を指さした。

「ここにいるじゃん。陽菜ちゃん。王子様」

「はあ?」

「何のことだ」

 陽菜と、貴志の言葉が被さる。

 陽菜の横で、漫画の下絵を描いていた弥生がポンと手を打った。

「本当だ。ちょうどいいじゃない。名前も王子だし」

 弥生の言わんとすることが分かって、陽菜は大きく首を横に振った。

「ダメよ、貴志は」

「だから、何の話だよ」

 一人意味の分からない貴志が、少し苛立ったように声を上げる。

「陽菜ちゃんの王子様の話だよ」

 始が答えた。

「柚木さんは、カッコいい王子様と、恋におちるのが夢なんだそうです」

 椎名が付け加えた。貴志はその話なら知っていると頷く。

「それで、何で俺の名前がでるかな」

「だって、いっつも陽菜ちゃんと一緒にいるしさ」

「そうそう。さりげなくフォローしてるじゃん王子」

「名前も王子だしね」

 河原ツインズの発言に、弥生も乗っかった。

「あんたたち、勝手なこと言わないでよ! 貴志とはただの幼馴染。それに、貴志のどこが王子様に見えるっての。名字の響きが似てるくらいじゃないの」

「えー。王子くん。そこそこモテるんだよ」

 不満そうな声を上げた弥生に向かって、陽菜は食ってかかる。立ちあがって、貴志を指さした。

「コレのどこが? 貴志、王子様って言うより、お殿様って感じじゃないの」

 その言葉に河原ツインズが同時に噴き出した。今の言葉が二人の 笑いのツボを刺激したらしい。

「確かに、着物とか似合いそう」

「王子って言うよりは、若か殿って感じだ、マジウケる」

 げらげらと笑い続ける二人につられ、弥生も申し訳なさそうに口元に手を当てて笑っている。

「悪かったな」

 貴志はむっつりと呟いた。

「別に、いいじゃん。殿でも」

「あ、これから、殿って呼んじゃう?」

 心底嫌そうに顔を歪めて、貴志は棗の提案を却下した。棗は不満顔だ。

「ちぇー、しょうがないな。でも、王子マジ陽菜ちゃんと合ってると思うけどな」

 と、棗がなおも食い下がる。貴志は溜息をついて、ちらりと視線を陽菜に送った。

「俺は、子どもの頃、こいつに下僕に任命されたくらいだぞ」

「下僕じゃなくて、家来でしょ。人聞きの悪いこと言わないで」

 慌てて声を上げた陽菜に、仁がぼそっとツッコミを入れる。

「たいして変わらないんじゃ……」

 その言葉に、陽菜はムキになった。

「違うわよ。それに、家来からナイトに格上げしてあげたんだから」

 そう言うと、河原ツインズと弥生、それに仁までもが笑いだした。

「な、何がおかしいのよ」

 机をバンバンと叩きながら笑っている始が、涙目になった顔を陽菜に向ける。

「ひ、陽菜ちゃんって、やっぱ陽菜ちゃんだよね。お姫様より、女王様って感じ」

「これから女王様って呼んであげるよ」

 棗がこれまた始と同じように爆笑しながら、そんな言葉を吐く。

「いらんわっ!」

 陽菜は、大声をあげて棗の提案を退けた。




 陽菜が乙女思考を思わず暴露してしまった日の翌日。

 九月も下旬にさしかかろうというのに、いまだ暖かさの残る風が、カーテンを翻して入ってきた。

 放課後。陽菜の他、部室には貴志以外の全員がそろっている。

「王子、遅いなぁ」

 そう漏らしたのは、椎名と棗の将棋の試合を見ていた始である。自ら買って出たわりに、棋譜を読むことに飽きたらしい。

「そういや、そうね」

 弥生の書いた漫画のネームを見せてもらっていた、陽菜が答える。

 椎名が将棋の盤に向けていた顔を上げた。

「裏庭……」

「え?」

 棗が聞き取れなかったのか、椎名に顔を向ける。

「裏庭にいますよ。大地くん」

「何で知ってるの? ジン君」

 弥生が驚いた顔を見せる。

 椎名は弥生の言葉に首を横に振って見せた。

「いえ、知っている訳ではありません」

 始と棗が不思議そうな顔になった。

「じゃあ何で言いきれるんだ」

 さすが双子。同時に同じ質問をした。

 椎名はいつもの無表情のまま、首を少し横に傾けた。

「さあ。でも、分かるんです」

 何で?

 と、仁以外の全員が思ったが、これ以上つっこんだ質問をしても無駄だと各自判断した。

 何しろ椎名自身が、不思議そうな顔をしているように見えたからだ。

「んじゃ、ちょっくら覗きに行っちゃう? 裏庭」

「いいねぇ」

 始の提案に棗が乗った。

「ええ。そんな、いいのかな」

 弥生の言葉に、河原ツインズはニヤニヤ笑いを浮かべて見せる。

「そんなこと言って、弥生ちんだってみたいくせにー」

 また、言葉が被った。さすが双子。

「まあ、興味がなくは、ないかな」

 弥生は正直に言って、照れ笑いをした。

 裏庭にいる貴志を見に行って何が楽しいのかと、一人話についていけていない陽菜を見かねたのか、椎名が口を開いた。

「裏庭にある金木犀、知ってますか?」

「知ってるけど? 最近いい匂いしてるよね」

 それがどうしたと首を傾げる。

「学校の七不思議の一つです。裏庭の金木犀の前で告白して、実った男女は末永く幸せにくらすという話です」

「へー。七不思議って怖いのばかりでもないのね」

 弥生の感想に、河原ツインズが、なぜかガクッとなった。関西の芸人みたいだ。

「な、何よ」

「陽菜ちゃん、にっぶーい」

 ダブルで言われて、陽菜は膨れる。

「何よ。私のどこが鈍いっていうのよ」

「だから、裏庭にいるってことは……」

「告白されるか、しに行ってる可能性が高いってことだよ」

 双子に言われ、初めて先ほどのニヤニヤ笑いも、弥生の発言も合点がいった。

 それにしても、信じがたい。貴志は色恋沙汰など一切関心がないものと思っていた。

 陽菜は促されるまま、貴志を抜いたオタクラブメンバーと共に、裏庭へと足を向けた。




 塀の近くに植えられた、大きな金木犀の前に、二人の男女が立っていた。時おり 生ぬるさを残す風が金木犀の葉を揺らす。金木犀の良い香りがこちらにまで届いた。

「ホントにいた」

「やるじゃん仁」

 校舎の陰から顔を出して、中庭を覗いている双子が口々に言った。双子の足元にしゃがんで、同じように中庭を覗いている仁は頷いただけだ。

「しかも、真っ最中ね」

 小声でそう言ったのは、しゃがんでいる椎名の背に手を乗せて、中庭を覗いている弥生だった。

 弥生の言うとおり、まさしく告白現場にオタクラブ部員達は出くわしていた。

 髪を耳の上で二つにくくり、くりくりとした大きな目が特徴的の可愛らしい女の子が、貴志に告白していた。まるで童話の中に出てくるお姫様のように愛らしい姿の女の子だった。

 こちらからは、貴志の後ろ姿しか見えないので、貴志の表情は分からない。

 陽菜は何故だかドキドキした。なんだか緊張しているような、驚いているようなドキドキだ。

 まさか貴志が、あの泣き虫だった貴志が、女の子から告白される日が来ようとは。

 私なんて、まだ一度も誰からも告白されたことなんてないのに。

 陽菜にとっては晴天の霹靂であった。

 一通り、女の子の告白が終わった。後は貴志の返事を聞くのみとなった時、陽菜たちは興味津津で聞き耳を立てた。

 さあ、何て返事をする?

 誰かが唾を飲み込む音が、陽菜の耳に入る。

「悪いけど、俺好きな人いるから」

 はっきりと貴志の口から言葉が放たれた。

「うそ」

 思わずそう口にしていたのは、告白した女の子ではなく、陽菜であった。囁くような声だったので、貴志に届くことはなかったが。

 振られた女の子は、大きな目に少し涙を浮かべながら、可愛らしくお辞儀をし、踵を返して去って行った。

「もったいねー、可愛い子だったのに」

 始の言葉に、棗も頷いている。

「でも、きっぱり断るところはさすが王子君って感じだね」

 弥生が感想を言った時だった。

 彼らに、低い声がかかった。

「おい、おまえら。こんな所で何やってる」

 貴志だった。

 いつの間に近づいて来たのやら。

 どうやら、覗いていたのを気づかれたらしい。

 貴志の目が据わっている。

 覗き見していた面々は、とりあえず笑ってごまかした。もちろん。そんなことでごまかされる貴志ではなかったが。




 悪乗りしすぎだと、貴志から叱られた面々は、殊勝に謝罪し彼の怒りを鎮めることに成功した。

 陽菜は、貴志にオタクラブメンバーと一緒に叱られていた時も、他のことを考えていた。


 貴志の好きな人って誰だろう。

 小さい時から、いつも一緒で。

 それこそ、幼稚園から高校までずっと。

 登下校も一緒。今はクラブすら一緒だというのに。

 貴志が誰かに恋をしていたことに気付かなかったなんて。

 幼馴染失格。

 かなりショックだった。


 陽菜は大きな溜息をついた。

 その時、頭に軽い衝撃を受ける。

「痛っ」

「陽菜、ボケっとすんな。帰るぞ」

 貴志だった。どうやら、貴志に頭を軽く叩かれたらしい。いつの間にか、クラブ活動終了の時間がきていたようだ。

 陽菜は気を取り直すように、貴志を見上げて軽く睨んだ。

「何すんのよ。私の頭が馬鹿になったらどうしてくれる」

「それ以上なるわけないだろ」

 失礼極まりない。

 陽菜が、貴志に食ってかかろうとした 時だった。

「柚木さん」

 不意に名を呼ばれてそちらを見る。

「何? 椎名」

 男にしておくにはもったいない可愛い顔の仁に目をやると、仁はじっと陽菜を見つめた。

 陽菜は、なんだかいろんなものを見透かされているような、不安な気分になる。

「階段、階段に気をつけてください」

「怪談? する予定ないけど?」

 忠告の意味が分からず、首を傾げる。

 仁は、手を横に振った。

「イヤイヤ、違います。カイダン違いです。僕の言っているのは、建物の中にある階段です」

「あ、あぁ。そう」

 つい、心霊研究クラブの部員としてオタクラブにいる仁なので、『かいだん』と言われて『怪談』を連想してしまった。

「とにかく、気をつけてくださいね。それじゃ、さよなら」

「さ、さようなら」

「また明日」

 仁は、貴志と陽菜の脇を通って、先に帰って行ってしまった。

 気づけば部室の中には貴志と陽菜だけになっていた。

 じゃあ帰るか、と言って貴志は陽菜の鞄を陽菜に手渡すと、先に部室の扉を潜る。それを慌てて陽菜は追いかけた。




 聞いてみてもいいのだろうか。

 貴志の好きな人。


 階段を下りながら、陽菜はぼうっとそんなことを考えていた。

 考えても考えても、貴志の好きな人というのが見えてこないのだ。幼馴染なのに、いつも一緒にいるのに。どうして、貴志は陽菜に打ち明けてくれなかったのだろう。好きな人が居ることを。

 打ち明けてくれたら、少しくらい協力してあげられるかもしれないのに。

 胸がチクっと痛んだ。何故だろう。そう考えた時だった。


 不意に足が滑った。

 浮遊感に見舞われる。

 落ちる。

 思わず目を瞑った時。

 腹を力強く掴まれた。


「おまえ、気をつけろよ」

 その言葉に、陽菜はそっと目を開ける。気づくと、陽菜は貴志の胸の中にいた。足を滑らせた陽菜を慌てて掴んでくれたらしい。貴志はほとんどしゃがんだような格好で、右手で陽菜の腹部を掴み、左手で手すりを掴んでいた。

 陽菜はペタンと、階段に尻をついた。

 階段を落ちそうになったからなのか、それとも他に理由があるのか。陽菜の心臓は割れんばかりにどくどくと音を立てていた。

「ご、ごめん」

 貴志は大きく溜息をついた。その息が首筋にかかり、いっそう胸の鼓動が早まるのを感じた。

「なあ、陽菜」

「な、何?」

 急に貴志の声が 真剣味を帯びた気がして、陽菜は焦った。

「俺はいつまで、おまえのナイトでいればいい?」

 陽菜はゆっくりと、貴志の顔に目を向けた。

 しばらく互いに見つめ合う。

 そして。

 貴志が先に立ちあがった。

「行くか」

「う、うん」

 貴志が階段を下りはじめたので、陽菜も立ち上がってその後に続く。


 今のは、一体どういう意味なのだろう。

 そう、思いながら。




 昼間は晴れていたのに、放課後になると小雨が降ってきた。部室は湿気がこもって暑いが、窓を開けると雨が入って来るので今は窓を閉めている。

「あー。眠い」

 陽菜は、持っていた本を閉じると、机に突っ伏した。

 隣で、漫画の下絵を描いていた弥生が首を傾げた。

「昨日寝るの遅かったの?」

「まあね……」

 貴志のことが気になって眠れなかったとは、言えなかった。そんなことを言えば、からかわれること請け合いである。

「昨日階段で何かありました?」

 聞かれて、陽菜は顔を上げた。斜め前の席にいつの間にか、仁が座っていた。

「あんたいつの間に」

 聞かれた言葉の意味より先に、声の主がいたことに驚いて声を上げていた。

「僕が 一番乗りです」

 相変わらずの問答のあと、仁はもう一度同じ問いをした。

「昨日、階段で何かあったんですか」

「……あった。あんたって、なんでもお見通しなのね」

 仁に隠しごとをしても無駄な気がして、陽菜は正直に口を開いた。幸い、まだ河原ツインズも貴志もクラブに顔を出していない。

「何でもって訳ではないですが。原因は大地くんですね」

 ですねと来たか。陽菜は、ははっと笑って腹をくくった。

「まあね」

「なに、なに? すっごーく興味ある」

 瞳をキラキラとさせて、弥生が二人を交互に見る。

「あー、もー。一人でぐちぐち悩むのって、性に合わない」

 そう声を上げて、陽菜は二人に向かって内緒にしててよと前置きをした。

「昨日、貴志の告白現場目撃しちゃったじゃない」

 弥生と、仁が頷くのを見て、陽菜は続けた。

「私、貴志に好きな人がいるなんて、これっぽっちも思ってなかったのよ。だから、何で、私に言ってくれなかったんだろうって。ずっと思ってた訳」

 仁は相変わらずの無表情だったが、弥生の顔が少し気の毒そうになった。やはり同性だけあって気持ちが分かるのだろうか。

「それなのに、昨日貴志が好きな人いるって分かったでしょ。だから、それって誰なんだろうってずっと悩んでて、そしたら階段で足すべらしちゃったのよ」

「え、大丈夫だったの?」

 弥生が声を上げた。陽菜は、頷いた。

「貴志が助けてくれたから大丈夫」

「そ、そこで恋が芽生えちゃったとか?」

 期待に満ちた弥生の瞳を怪訝に見つめ返しつつ、陽菜は首を横に振った。途端に弥生ががっかりした顔になる。

「えー。そこは芽生えとこうよ」

「なんでよ。ったく。で、その時に貴志に言われたのよ『俺はいつまでおまえのナイトでいればいい?』って」

 弥生と、仁が顔を見合わせた。

「それってどういう意味だと思う? 貴志がナイト気分でいたことにはびっくりだけど、でもそれってさ、私から離れたいってことだと思わない? そうでしょ。貴志がナイト気分でいたってことは、私を守ってるつもりだった訳じゃない。そうなると、貴志がいつも私と一緒にいたのは、一緒にいたいからじゃなくて、正義感とか義務感からってことになると思うのよ。だから、貴志は好きな人が出来たから、私から離れたいって思って るんじゃないかしら。貴志は私の事が邪魔にな……」

 まだまだ続きそうな陽菜の言葉に、弥生は待ったを掛けた。

「ヒ、ヒナちゃん、ストップ、ストップ」

「柚木さん落ち着いて、一回深呼吸」

 仁が口を添える。陽菜は言われた通りに深呼吸した。

「ちょっとは落ち着いた?」

 弥生の言葉に陽菜は頷く。

「うん。まあ、そんな 訳で、今言ったようなことをぐるぐるぐるぐる考えてたら、眠れなかったの」

 弥生は腕組みをすると、うーんと唸った。

「そうか。そっちの方に思考がいっちゃう訳ね」

「僕には、大地君が柚木さんから離れたがっているようには見えませんけどね」

 仁の言葉に、陽菜はそうだと良いけどと、表情を曇らせた。

 その時、ガラリと部室の扉が開く音がした。先ほどまで噂していた貴志が河原ツインズを伴って部室に入ってきたのだ。

 陽菜は驚いて思わず席を立っていた。勢いよく立ちあがりすぎて、椅子がひっくり返る。けっこうな音がした。

 貴志が不審そうな顔を見せる。

「どうした? 陽菜」

「ど、どうも。どうもしないし」

 無駄に大きな声を発し、陽菜は椅子を元に戻す。手近にあった本と鞄を手に取ると、教室に入ってきた三人から逃れるように壁伝いに出入口へ向かい、扉に手をかけた。

「わ、私、ちょっとこの本、図書室に返してくるから。そんでもって、今日はもう帰るから。んじゃ、そういうことで」

言うなり、ドアを開けて陽菜は部室を出て行った。


 遠ざかって行く足音が部室まで響いてくる。

「何あれ」

 河原ツインズが異口同音に呟いた。

「ものすごく挙動不審だったな」

 貴志が呆れたような声を出した。

 仁と弥生は顔を見合わせ、肩をすくめあった。




 小雨が降った日から数日が過ぎた。

 今日は綺麗な青空が広がっていたが、貴志の心は曇っていた。

 陽菜が変だ。

 今までいつも一緒に登校していたのに、日直だ何だと理由をつけて、ここ数日、別々に登校している。

 それだけではない。クラブでの様子も変なのだ。貴志と目を合わせようとしないし、貴志が話しかけるとすぐに、訳の分からない理由をつけて部室を出て先に帰ってしまう。

 今も、陽菜は部室にいなかった。

 一体なんだというのだ。

 貴志は溜息をついた。

 その溜息を聞きつけたのは、兄弟で将棋をしていた始だった。

「どうした。王子めずらしいじゃん。溜息なんかついて」

「どうせ、陽菜ちゃんのことでしょ。はい、王手」

 棗が分かった風に言って、駒をさした。王手飛車取りだ。このまま行っても、金でとどめを刺される。始は参りましたと宣言してから、貴志に向き直った。

「ケンカでもした? 最近めちゃくちゃ避けられてるじゃん陽菜ちゃんに」

「それとも何かやらしいことでもしたんじゃないの? 王子」

 ニヤニヤと笑いながら、棗がからかう。

 貴志は怒ったようにそんなことするか、と声を荒げた。

「階段ですよ」

 陰気くさい声が部室の隅から上がって、河原ツインズと貴志、そして漫画を描いていた弥生の視線がそちらへ向いた。

「え? 怪談」

 双子が同時に同じ言葉を吐く。それに、仁は首を横に振った。

「何かニュアンスが違う気がします。僕が言っているのは、校舎にある階段のことです。大地君、階段で何かあったでしょう」

 話を振られて、貴志はすぐに思い当たったようだった。

 ツインズは興味をひかれたように貴志を見る。

「陽菜が、階段から落ちかけたのを助けたけど……」

 棗が将棋の駒を直していた手を止めて、何かに気付いたように貴志を見た。

「もしかして、その時陽菜ちゃんの胸掴んじゃったとか」

 その言葉に、始も将棋盤を片づけていた手を止めて、そっと目の縁に手を当てた。

「そうか。可哀相に陽菜ちゃん。王子にセクハラされたのが、トラウマになったんだね」

 可哀相にと、双子が絶妙のハモリを見せる。

「違う! 断じて違う! 誰がセクハラなんてするか」

 貴志が怒鳴ると、双子はニヤニヤとした笑いを浮かべた。完璧に遊んでいる。

 貴志は急に疲れを感じて、机に肘をついた。

「王子君、階段で陽菜ちゃんに言ったことあるでしょう」

「言ったこと?」

 貴志はとぼけて見せたが、何を言ったかは憶えている。

 それを見抜けない双子ではない。

「何言ったの」

「お兄さんたちに言ってみなさい」

 始と棗が貴志に詰め寄る。

「誰がお兄さんだ。誰が」

 一応ツッコミを入れてから、貴志は溜息をついた。

 こうなったらやけくそだと、開き直る。

「俺はいつまでおまえのナイトでいればいいのかって言ったんだよ」

 始と棗が顔を見合わせた。

「ねえ、王子君。私思ったんだけど、それって遠まわしの告白なんだよね?」

 弥生がずばりと言い当てた。

 そう、どうせ鈍い陽菜のことだから分からないとは思ったが、言わずにはいられなかったのだ。陽菜の目に、自分が映っていないことが分かっていたから。

「はい、意味が分かりませーん」

 棗が片手を上げた。弥生が皆に説明するように顔を巡らせる。

「つまり、ヒナちゃんのナイトのままだと、ヒナちゃんの王子様にはなれないわけでしょ? だから、ナイトやめたいって意味……だよね」

 弥生に尋ねられ、貴志は頷いた。

「でも、それってさ。確実に陽菜ちゃんには伝わってないんじゃないの?」

 始が頭を掻きながら貴志を見る。

「だと、思っていたんだが。あの言葉で避けられているということは……」

避けたくなる程、陽菜の恋愛対象から外れているということか。そう思って、貴志はへこむ。

「柚木さんは違う意味に捉えているようですよ」

 仁が口を開いた。一斉に視線が仁へと集中する。

「いつまでナイトでいればいいって、捉え方によっては、ナイトでいたくない。離れたいってとれますし。実際、柚木さん。そう考えてましたよ」

 仁の言葉に弥生が慌てたように、唇の前に人差し指を一本立てた。

 その仕草を見て、仁はあっと声を上げた。

「すみません。コレ、柚木さんに、内緒って言われてました」

 双子がガクッとよろけて見せた。

「つまり陽菜は、俺が陽菜から離れたいと 思ってるって、勘違いしてるのか」

 貴志が独り言のように呟く。

「まあ、ジン君が言っちゃったから言うけど。そういうことみたいよ。それに、王子君の告白現場とかも見ちゃって、混乱してるみたいだったし」

「そうか」

 貴志は、弥生の言葉に頷いた。

 その横で、棗が始に耳打ちをしている。今度は逆に始が棗に耳打ちをしてから、二人してにんまりとした笑顔を貴志に向けた。

「王子。俺たち良いこと考えた」

 双子の笑顔を見ていると、妙な不安を覚える貴志であった。




 貴志から逃げまくって、一週間が過ぎた。陽菜は大きな溜息をつくと、下駄箱のふたを開けた。

 靴を取り出そうとして気づく。中に封筒が入っていた。

 白い封筒を怪訝な顔で取り出す。差出人は貴志だった。

 陽菜の胸がドキリと音を立てた。

 とうとう、最後通牒を突きつけられるのかと不安が陽菜を襲う。

 封筒から便箋を取り出す。

『放課後。部活へ行く前に裏庭へ来てください。待っています。 貴志』

 簡単な文面。少し角ばった貴志の文字だ。裏庭なんて人気のないところで、何を言うつもりなのか。好きな人ができたからもう一緒にはいられない。そう、告げるつもりなのか。

 陽菜の不安はどんどん募るばかりであった。




 放課後。

 いつもは、真っ先に向かう部室とは別の方角へと陽菜は足を向けた。

 貴志からの指定の通り、裏庭へとやって来た。

 壁にそうように、金木犀が植えられている。オレンジ色の小さな花が咲き誇り、そこから良い香りが漂ってくる。

 なんとなく、金木犀に目をやった。貴志はまだ来ていない。

 呼び出しておいて遅れるとはいい度胸である。

 このまま、来なくてもいいのにな。

 ふと、そんなことを思う。

 いつの間にか、貴志といることが当たり前になっていた。

 この一週間貴志を避け続けて、気づいた。陽菜は貴志がいないと寂しいのだと。貴志がいるのが当たり前で、貴志がいるから毎日が楽しくて。

 それなのに。

 貴志は他に好きな人がいるのだ。

 いつか、陽菜のもとから去って行くのだ。

 そう思うと悲しくなってくる。


「遅いな。貴志」

 陽菜は腕時計に目を落とした。裏庭に来てもうすぐ十分がたとうとしていた。

 何時に待ち合わせとは書いていなかったが、遅すぎるのではないか。

 待っていますと書いていたくせに。

 このまま、帰ってしまおうか。そう思って、踵を返し歩きだそうとした。

 その時。

「陽菜!」

 足音と、荒い呼吸音が、背後から近づいてくる。今、陽菜を呼んだのは確かに貴志の声だった。

 陽菜はゆっくり後ろを振り返った。

「貴志……」

「悪い、遅くなって」

 陽菜から少し離れた場所で立ち止り、乱れた呼吸を整えるように右手を口元にあてる。左手はなぜか後ろへと回されていた。

「こ、こんな所に呼び出して、な、 何の用よ」

 つっかえてしまったが、つい、いつもの調子で偉そうな言葉使いになってしまった。

「陽菜に、話がある」

 乱れた呼吸が大分落ち着いてから、貴志が顔を上げた。

 陽菜は胸の鼓動が速くなるのを感じる。今まで、貴志を見てこんなにドキドキしたことがあっただろうか。

 ゆっくりと、貴志は陽菜の前に来た。

 手を伸ばせば、触れられるほど近い距離。

「陽菜」

 名を呼んで、貴志は急に片膝をついた。

「な、何? どうしたの貴志」

 驚いて声を上げた陽菜の右手を貴志はとった。

 そして、陽菜を見上げる。

「陽菜」

 真摯な瞳と目が合った。陽菜はその眼に釘付けになる。

「陽菜は俺のことタイプじゃないのは知ってる。ずっと言われ続けてきたから」

 陽菜は、黙って貴志を見つめていた。

 切れ長の瞳。スッと伸びた鼻筋。陽菜の好みではないけれど、男前と言って良い顔立ち。

「でも、俺はずっと陽菜が好きだった」

 陽菜の目が驚きに見開かれた。貴志は言い募った。

「ずっと、ずっと、ずっと。幼稚園のころから。俺は陽菜一筋だった」

 嘘でしょ。

 そう思うのに、声がでなかった。

 陽菜は顔がどんどんと熱くなるのを感じる。

「なぁ、陽菜。俺はおまえが好きなんだ」

 そう言って、貴志は陽菜の右手に口づけた。

 陽菜は心の中で『キャー』と悲鳴を上げる。

 貴志は、握っていた陽菜の右手を離し、ゆっくりと立ち上がると、ずっと後に隠していた左手を前にだした。

 その手にはバラの花束が握られている。すっと陽菜の前に差し出された。

「陽菜。俺をおまえの王子にしてくれ」

「貴志……」

「今は、十二本しかないけど、いつか、抱えきれないくらいのバラをプレゼントするから」

 差し出されたバラが、不意に揺らめいて見えた。涙が一筋、陽菜の頬を伝う。

 そっと、陽菜はその花束を受け取った。バラの芳香がふわりと漂ってくる。

 陽菜は今、自分が物語の世界に足を踏み入れたような感覚を味わっていた。

 ずっとずっと憧れていた、お姫様になれたような気がした。

 夢見ていた王子様は今、目の前にいる。

「夢みたい……嬉しい貴志。ありがとう」

「陽菜」

 貴志の顔がいつになく嬉しげに輝く。

 ああ、王子様だ。

 私だけの、王子様だ。

 陽菜は指で涙を拭い、にっこりと微笑んだ

「私の王子様は、貴志だったんだね……今まで気づかなくてゴメン」

 そう言った途端。

 陽菜は貴志に抱きしめられた。金木犀とは違う、バラの芳香が二人を包む。

 陽菜はバラを潰さぬよう、ゆっくりとその身を貴志に預けた。




 どれくらい抱き合っていたのだろう。

 不意に、拍手のような音が聞こえて、陽菜は目を開けた。

 貴志から離れて、拍手の音がする方向に目を向ける。

 校舎の陰。

 そこから、四人の人影が現れた。

「あ、おまえら」

 貴志も気づいたようだ。

 オタクラブのメンバーに。

「あ、あんたたち。もしかして、全部覗いて……」

 顔が真っ赤になるのを自覚しながら、陽菜が声を上げた。

「もっちろん」

 校舎の陰から出てきた始がブイサインをしてよこす。

「王子、俺たちの『陽菜ちゃんの乙女心に訴えよう大作戦』大成功だったろ」

 と、棗も貴志に向かってブイサインを繰り出した。

「作戦? 作戦って何よ、貴志」

 陽菜が貴志に詰め寄る。

「いや、それは……」

 と、あさっての方向を見る貴志に、なおも詰め寄ろうとした時。こんな言葉が耳に届く。

「しっかりムービー撮っといたからね」

 慌てて声のした方に顔を向けると、棗がウインクするのが目に入る。

「私はしっかり写メっといたから。ちゃんとぶれずに撮れてるからね」

 弥生がにっこりと笑った。

「僕はやめといた方が良いって、一応言っときましたから」

 と、仁が肩をすくめて苦笑いする。

 一同の言葉を聞いた陽菜が、顔を俯けて肩を震わせた。

「あーんーたーたーちー」

 怒りに満ちた声が陽菜から発せられた。

「成敗してやる!」

 陽菜の言葉に、河原ツインズと弥生、仁が逃げ出した。

「きゃー、女王様がお怒りだー」

 ふざけたセリフは棗の声か始の声か判断がつかなかった。

「貴志、棗のムービーは任せた。私は弥生の写メを消すから」

「おう」

 二人は顔を見合わせ、笑顔を交わすと、ふざけて逃げ惑うオタクラブメンバー達を追いかけるため走り出す。

 暖かな午後の日差しの下。

 金木犀の香る裏庭に、にぎやかな声が響きわたった。


ここまで、お付き合いいただき、ありがとうございました。


今作は、チャリティー企画に参加した作品になります。これを書いたころ、小説自体を書くのがものすっごく久しぶりでして。ある意味リハビリ的な作品となっております。まあ、今も小説を書くことから遠ざかっているのですが(汗)時間とやる気と根気が欲しい今日この頃です。


なんかワイワイガヤガヤした話が書きたいなぁと思って出来た作品です。

拙さの目立つ作品になっちゃった感は否めませんが、いかがでしたでしょうか。相も変わらずの王道恋愛ものでございます。


誤字脱字がありましたら申し訳ありません。気をつけてはいるのですが、まるで隙をついたように現れるのです。(←推敲が足りないだけ)


なにはともあれ、少しでも、お楽しみいただけていれば幸いです。

私も、久々に双子が書けて、楽しかったのを憶えています。


それでは、また。


お会いできることを願って。

愛田美月でした。

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