運命の小指
'それ'は何の変哲も無い、一日の終わりの事だった。
『・・・・・・』
バイトの帰り、日が暮れ始め様々なネオンが暗闇から浮かび上がってくる帰路。
早く帰りたい一心で歩を進めるが、かなりの人込みの為思うように先へ進めない。
さっきから俺の目の前にいる老人も、この流れを遅くしている要因の一つだ。
『どうしようか』
左右どちらかに避けて進もうとしたが、
俺とは逆方向へ歩く人や後ろから来る人が邪魔になって結局ずっとこの位置をキープしてしまっている。
時折俺の方を邪魔そうに見てくる人がいる、俺が遅いわけじゃない。
全く、とんだとばっちりを受けるものだ。
仕方なくそのまま老人の後ろを進んでいたが、
あまりの遅さの為しだいに頭に血が上ってくるのが分かる。
『鬱陶しい』
あまりに意識しすぎてか頭が痛くなってきた。
痛さから逃れようと反射的に一瞬目を閉じる。
するとどうだ、次に目を開けた時にはさっきまでいた老人がいないのだ。
『――ぇ』
思わず足を止めてしまった。
俺の周りを通りすぎる人は俺をチラチラと見ている。
邪魔な奴・・・とでも思っているのだろう。
俺はそんな周りからの視線よりさっきまでいたはずの老人を探した。
『どこかにいるはず』
'俺の頭は普通である'という確信が欲しく、老人を探す。
『おかしいのは俺の頭じゃないよな?』
不安に駆り立てられる。
さっきまで居たはずの人間が突然いなくなるなんて。
人ゴミの中探して見るが行動が思うように取れず、なかなか老人は見つからない。
この人込みの中では探すのは無理だと感じ始める。
とにかくこの場に居ても落着かない、俺は一度この人込みから抜けようと、
老人を探している途中に見つけた水銀灯の光る小さな公園へと向った。
人ゴミから抜けて緊張の糸が切れたせいか、急に全身から力が抜け体が重くなった気がする。
俺はとにかく一度休もうと、どこかに座ろうと腰掛ける場所を探していると―――
『いたッ!』
木製のベンチに座っていて、何か丸いものを抱えたさっきの老人。
やっぱり俺の頭は正常だよなと安心し、ベンチに腰掛けようと老人へ近づいた。
「隣・・・いいですか?」
「はいはい、どうぞ」
落ち着いた物腰で答える老人。
こちらを見るとも無く細い目をして答える。
俺はそんな様子を見ながら、ふぅと溜息をしてベンチに座った。
「あんたはさっきわしの後ろに居た人かい?」
『・・・気づいていたのか』
俺は少し驚いたが顔に出すことなく、頷いて応えた。
「すまんの、わしの足の遅さのせいで気を遣っただろうに」
「いえ」
「見ての通りわしは両手が一杯でな、早く歩く事ができなかったんじゃ」
両手がいっぱいになるような荷物とは何だろう、俺は改めて老人の抱えている物へと目をやった。
「それ・・・・・・毛糸ですか?」
何故こんな目立つ物を俺は改めて確認したのか違和感を覚えたが、
老人が抱えている24型TVほどの大きさの丸い物体は毛糸を集めてできた玉のようだと判断した。
「いいや、ただの糸じゃ」
糸の玉? 普通の糸でこんなに大きな物ができるのか?
それにこんな大きな糸玉を持ってるなんて普通考えられない。
一体何故こんなものを持っているのだろうか。
糸とはいえこれだけの大きさの玉になると結構な重さがありそうだ。
老人はこれを持っているためか顔色が悪い。
さっき歩いていた時だってふらふらして倒れそうだった事を思い出す。
「あの、それ、代わりに持ちましょうか?」
座っている間だけでも老人に楽をさせてやろうという思いと、
人ゴミの中、こんな顔色が悪い老人に声をかけなかった自分への罪滅ぼしの意味を含めて言う。
「いいのかい?」
「えぇ」
「・・・それじゃぁ、お願いするよ。ただ、わしのはいいからお前さんのをお持ち」
老人は細い目で微笑むと、俺のベンチに置いてある手を見た。
老人のはいいから俺のを持て・・・・・・俺の何を持てと?
「ありがとうよ」
首を傾げながら老人の指す手を見ていた俺だったが、
突然の言葉に老人の方へと再び目を向ける。
「それはの、運命の赤い糸らしくての、わしは60年探してきたが結局終点は見つからなんだ。
自分だけの赤い糸が見える力、大事にしてやっておくれ」
老人が満面の笑みを浮かべたと思うと、突然老人の体が透け始め揺らぎ始める。
『え!?』
一瞬の事だった、消えてしまったというか、淡い光が霧散したというか・・・・。
とにかくどこにも老人はいなく、
さっきまで老人が座っていた場所に向けた俺の視線には水銀灯に照らされた滑り台が映っていた。
「・・・は、はは。 俺、夢見てるのかな?」
そう思いながら老人が見ていた右手を見た。
『・・・・・・』
小指に巻き付けられた赤い糸。
そしてその先から続く一直線に伸びる細く赤い糸。
俺はこの状況を理解しようと震える左手で糸を触れる。
『ある、本当にある』
俺はとにかくこの異常な赤い糸を切ろうと手で引っ張ってみた。
細い糸なので切れると思ったが全く切れる様子はない。
それに引っ張っているはずの指や手は痛みを全く感じていない。
俺もあんな老人のようになるのか?
60年間糸をたどっても見つからない終点を?
俺は何も考えられなくなった、とにかくこの糸を切ろうと引っ張ったり、
ベンチにこすり付けたり、噛んでみたり、様々な手を尽くしてみた。
触れる事ができ、引っ張る事もできるのに痛みは無い・・・。
まるで断崖に立たされた様な気分になり、背筋に悪寒が走った。
『これからどうしようか』
そんな事ばかり考えていだが、突然一つの'あたりまえ'の疑問が思い出されたように湧いてきた。
そういえば、さっきの老人はなんだったんだ?
突然消えてしまったが、この赤い糸に縛られて成仏できなかった幽霊とかなのか?
それだと、この糸を俺に託したことで呪縛がとけ成仏したって事になるよな。
信じ難いがあの老人は幽霊だったのだろう。
それだからこの糸も老人の幽霊も見る事ができたけど、実体がないこの糸が切れないんだ。
しばらく考えた末、自分で自分を納得させるためにこの事をまとめてみた。
終点が見えない物をあの老人のように追う事は俺には無理だろう。
60年間という長い間探しても見つからないという前例があるのだ。
・・・とにかく、これは運命の赤い糸がみえる能力らしい。
糸をたどって終点を探すより、俺は自分の手で終点を作って見せる、目安でしかないさ、こんな糸。
そもそも'運命'なんて言葉で俺の好みを邪魔されてたまるかっての!!
そう思い俺は腰を上げる。
糸は集めることなく普段通り帰路についた。
これからまた普段と同じ生活が始まるだろう。