第5話:老練なる潜水士
庭に据えた七輪から、脂の乗ったサンマの焼ける香ばしい煙が、ピーカンの空へと真っ直ぐに昇っていく。
パチパチという炭の音を聞きながら、おいらは団扇をゆっくりと動かした。
おいらには、生まれついての奇妙な「業」がある。
他人の夢の中に、勝手に、それも唐突に出入りしちまう特殊能力――自称 「ドリームダイバー」 ってやつだ。
と言っても、四六時中潜ってるわけじゃねぇ。長い人生で、たったの3度だ。
だがな、一度潜ればそれがその時の「日常」になっちまう。
「お、ここはどこだ?」と気づいた時には、もうどっぷり他人の頭の中に潜り込んでいる。それがおいらの逃れられねぇ運命ってやつだ。
この能力には絶対に破っちゃならねぇ鉄則がある。
> 【ドリームダイバーの鉄則:その一】
> 「お邪魔虫」だとヌシに悟られてはならない。
> 万が一バレちまえば、夢の世界は異物を排除しようと歪み、恐ろしい 「掃除屋(排除機能)」 を送り込んでくる。そうなれば、おいらもお陀仏だ。
だから、おいらはいつだって「元からそこにいた住人」のツラをして、慎重に動かなきゃならねぇ。
「……ダンナぁ、もう勘弁してくだせぇ。あっしら、もう悪いことはしやせんからよ」
目の前では、さっきまで威勢の良かったマンマカリッド団の三人が、板間の上でカチカチに正座してやがる。その前で腕を組み、仁王立ちしているのは、四歳のコハナだ。
「ふん」
コハナは鼻の穴に指を突っ込むと、手近なちょび髭――「ケルナグル」とか名乗った大男の服の袖に、丹念に鼻水をなすりつけた。
「……ひぃっ!?」
引き攣る男を見て、コハナが前歯の抜けた口を開けてニターッと笑う。
まったく誰に似たんだろうなこの悪辣ぶりは。
◇
夢の中じゃあ、現実の知り合いが別の役回りで出てくるのはよくある話だ。
あのちょび髭、顔付きから何から、甥っ子の ヤスオ にそっくりだ。いつも飯どきを狙ってフラッと現れては、なんだかんだ言って最後には食い逃げしていく。
マンマカリッド団なんてカッコつけてやがるが、おいらに言わせりゃ 「マンマタカリ団」 だ。後の二人は知らねえ顔だが、まあヤスオの取り巻きの投影だろう。
(さて、この奇想天外な世界観……主はサユキか、それともチョージあたりか?)
さっきおいらがカモメを操った時に出た「ピンクのおなら」にしてもそうだ。おいらにそんなファンシーな能力はねぇ。すべては夢を見ているヌシの想像力が、おいらに与えた「設定」に過ぎない。おいらはただ、その台本通りに踊っているだけさ。
「まあ、何にしても腹ごしらえだな。話はそれからだ」
おいらがサンマを裏返すと、じゅわっと脂が炭に落ちて、暴力的なまでに美味そうな香りの煙が巻いた。
「……ダンナ。あっしらのような無頼漢にも、頂けるんで?」
「これも何かの縁だ、食え」
ちょび髭が、おずおずと立ち上がった。
と思ったら、急に右手を胸元、左手を膝に置き、背筋をピンと伸ばして腰を深く落としやがった。
「マンマカリッド一家の厄介者、生命の義―― ケルナグル と申す駆け出し者でござんす。命を助けられた上、食事まで頂戴するなど、この恩義、一生忘れやせん!」
「なんだ食わねえのか?」
「いえ、頂戴いたしまする!」
こういう妙に仰々しいところもヤスオのまんまだ。夢のヌシに相当嫌われてやがんな、あいつ。
そんなわけで、今日の晩飯は サンマの塩焼き だ。
こんがりと黄金色に焼き上がった皮に箸を突き立てると、パリッという小気味いい音と共に、中から熱々の肉汁が溢れ出す。
雪のように盛られた大根おろしに、醤油をツッーと垂らす。そのおろしをたっぷりと身に乗せて、一気に頬張る。
「……うめぇ」
香ばしい皮目、ふっくらとした白い身、そしてワタの心地よい苦味。
サユキもチョージも、夢の中だとは露知らず、一心不乱にサンマを突っついている。
おいらはそれを見ながら、冷えたビール(これも夢のヌシからの配給だ)を喉に流し込んだ。
(サユキか……いや、案外チョージの冒険心か。ま、今はいい。この美味いサンマを、夢が覚める前に堪能させてもらうとするか)
◇
「陸地ぃ? ダンナ、夢でも見てんじゃねえですかい」
サンマの骨を器用にしゃぶりながら、ケルナグルことヤスオが鼻で笑った。
「あっしらがこのヘンテコなプロペラ機で、どれだけ空を這いずり回ったと思ってんです。島一つ、電信柱一本立ってやしねぇ。陸地なんて、この世から綺麗さっぱり消えちまったんですよ」
ヤスオは脂ぎった指で、空の彼方を指差した。
「あるのは、たまに流れてくる『家』や『ガラクタ』、それからさっきのクジラみてぇな化け物だけ。ないですないです、土の匂いがする場所なんて、もうどこにも」
シゲジイは黙って、遠い水平線を見つめた。やはり、普通の世界じゃねぇ。
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