第3話:ショッピングセンター
テーブルにこぼれた砂が、まるで生き物のように蠢き始めた。
さらさらと音を立てて形を変え、そこにははっきりと文字が浮かび上がる。
『母さん、ユキ、チョージ、コハナ。みんな元気にやってるかい』
「――お父さん!」
チョージが悲鳴に近い声を上げた。でも、すぐに自分を律するように言い聞かせる。
「お父さんは死んでない、ただの単身赴任だ。死んでない、死んでないから……!」
その必死さが、逆に出口のない不安を煽った。
たった一行の、あまりにもありふれた挨拶。けれど、ここが「どこかも分からない海の上」であることを考えれば、その言葉は生者からの便りというより、この世のものではない場所からの「暗示」のように思えてならなかった。
静まり返ったリビングに、突如としてノイズが走る。
シゲジイが置いていった、年代物のトランシーバーだ。
『ザッ、ザー……こちらシゲジ。マルコモール、マルコモールを発見! オーバー』
「マルコモール!?」
チョージが飛びついた。この地域で一番デカいショッピングセンターだ。あそこに行けば、ゲームも、お菓子も、日常のすべてがある。
「こちらチョージ! ずるいよシゲジイ、一人で行くなんて! 沈んでないの? 誰か他に人はいるの!?」
「ちょっと、代わって!」母さんも受話器を奪い合う。「お義父さん、そこに行けば電話は繋がるんですか!?」
『……誰もおらん。沈んでもおらん。今から帰る。以上だ、オーバー』
ぶつりと通信が切れた。
それからしばらくして、水平線の向こうから「黄色い点」が近づいてきた。
アヒルの浮き輪ボートにまたがり、長い長いロープを引きずりながら、シゲジイが帰還したのだ。
シゲジイは庭の一番大きな柿の木に、そのロープを慣れた手つきで括り付けた。
「今けーったぞ」
「おじいちゃん、これ……」
「このロープを手繰っていけば、家ごとモールまで行ける。さて、一息ついたら皆でこのロープを引っ張るぞ。引っ越しだ」
平然と言うシゲジイの肩を、私は掴んだ。
「それより、さっきの手紙……あの砂の文字は一体何なの? お父さんに何かあったの?」
「おいらにも詳しい事はわかんねぇ。わかんねぇけどな……」
シゲジイは、どこか遠い目をして、水平線の先を見つめた。
「……そんな、悪いもんじゃあねえぜ」
「そんな無責任なこと言わないでよ! 世界がこんなになっちゃったのに!」
私が叫ぶと、シゲジイはゆっくりと私を振り返った。その顔には、いつものふざけた様子は微塵もなかった。
「おいら、3度めだ」
「……は?」
「だから、おいら。こういう目に遭うのは、人生で3度めなんだよ」
その瞬間、シゲジイの背後の空が、一瞬だけガラスが割れるような音を立てて歪んだ気がした。
◇
「……1度めは、今のチョージぐらいの時。2度めはな、タケフミ――お前たちの親父が産まれたばっかりの頃だった」
シゲジイは遠く、水平線の向こうにあるはずの「過去」を見つめるような目で言った。
「どっちもおいら一人きりだったが、家ごと流されるっつうのは、今度が初めてだなぁ」
「……夢、みたいなもんなの?」
私が恐る恐る尋ねると、シゲジイは短く「ぷっ」と鳴らして、いつもの調子に戻った。
「まあ、夢みたいなもんさな。いつかは覚める。だがな、夢の中でも腹は減る。そこだけは現実と一緒だ。……さあ話はおしまいだ、家がどっかへ流されちまう前に、さっさとモールまで引き寄せるぞ」
◇
私たちは庭の柿の木に結ばれた黄色いロープを、家族全員で掴んだ。
「せーの、オーエス! オーエス!」
チョージの威勢のいい掛け声に合わせて、全力でロープをたぐる。
不思議なことに、数トンはあるはずの我が家が、水面を滑るアヒルのようにスイスイと動き出した。重みを感じない。まるで、世界そのものが私たちの意志に協力してくれているみたいに軽いのだ。
「モールだ! 看板の『マ』の字が見えてきたぞ!」
チョージが指差す先、巨大な「マルコモール」の建物が、海面に堂々と鎮座していた。
シゲジイは家をモールの搬入口近くにピタリと接岸させると、手際よく電柱にロープを括り付けた。
「よし、着いた。……さあ、ショッピングと洒落込もうぜ」
シゲジイがよっこらせとモールの敷地に一歩踏み出すと、センサーが反応して自動ドアが「ウィーン」と静かに開いた。
中からは、聞き慣れた、でも今はどこか物悲しい軽やかなBGMが流れてくる。
電気は通っている。エアコンも効いている。
けれど、そこには店員も、客も、人の気配だけがすっぽりと抜け落ちていた。
◇
「……誰も、いないんだね」
母さんが呟く。私たちは食料品売り場から、とりあえず今食べたいものをカゴに詰め込んで、誰もいないイートインコーナーへ集まった。
「あーあ、ドスバーガー食べたかったなぁ」
チョージが、シャッターの降りたハンバーガーショップを寂しそうに見つめる。
もちろん、従業員なんて一人もいない。
……でも、キッチンの中には、材料がすべて揃っているはずだ。
私はふと思い立ち、カウンターの横から厨房へと足を踏み入れた。
「いっちょう、やってみるか」
ハットを被り、エプロンを締める。
巨大な鉄板に火を入れ、フライヤーのスイッチを入れると、油が「ジュージュー」と小気味よい音を立てて泡立ち始めた。
いつもレジ待ちの間に眺めていた手順を思い出す。
「ねえ、ユキ姉! もしかして作れるの? ドスバーガー作れるの!?」
カウンター越しにチョージが目を輝かせる。
「俺、肉たっぷりがいい! 頼むよ!」
「はいはい、わかってるって」
パンズを割り、鉄板でパテと一緒にこんがりと焼き上げる。ケチャップ、マスタード、トマト、レタス。
ポテトをザルごと持ち上げ、塩を振って専用のサジでカシャカシャとかき混ぜる。
その音と香りが、しんと静まり返ったモールに、束の間の「日常」を呼び戻していく。
「みんな、飲み物は何がいい?」
「俺、コーラ!」
「カルピス!」
「……おいら、ビールな」
みんな、今の状況を忘れたわけじゃない。
ここがどこなのか、不安は消えない。
けれど、シゲジイが言うように「どうせ夢なら、楽しんだほうが得」なのかもしれない。
私たちは、無人のモールで贅沢なランチを始めた。
外には、相変わらず突き抜けるような青空と、どこまでも続く海が広がっている。
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