第1話:やまない雨はない。
雨、雨、雨。
窓の外はもうずっと、色のない景色が続いている。
毎日、毎日、しつこいくらいに。
朝の我が家は、静寂とは無縁の「戦場」だ。
「ねえユキ姉、テレビおかしいってば!」
小学6年生の弟、チョウジがリモコンを連打しながら叫んでいる。台所では母さんが、小気味よい音を立ててお弁当の隙間を埋めていた。
「ほら、写んないんだよ。ザーザー言っててさ……」
追い打ちをかけるように、4歳の妹コハナがギャン泣きを始める。彼女は朝、この世の終わりみたいに機嫌が悪いのがデフォルトだ。
私だって、自分の支度で手一杯なのに。
「もう、シゲジイに頼みなよ。テレビくらい直せるでしょ」
投げやりにそう言うと、ソファの主が応えた。
「――ぷぅぅぅぅぅ。」
返事の代わりに、シゲジイのオナラがリビングに響く。
孫と目も合わせず、新聞を広げたまま。なんでそんなに自由自在に、思い通りのタイミングでオナラが出せるんだろう。この人の括約筋はどうなってるんだ。
「ギャーギャーギャー!!」
シゲジイに負けじと、コハナの泣き声が一段とボリュームを上げる。
「……もう、無理。行ってきます!」
私は食べかけのトーストを口に押し込み、食器をシンクへ放り投げた。母さんから差し出されたお弁当をひったくるように受け取り、戦場からの離脱を図る。
「いってらっしゃい、気をつけてね」
母さんののんびりした声が背中に届く。
私は逃げるように玄関のドアを掴み、思い切り外へ蹴り出した。
またあの、じめじめした雨の中を学校まで歩くんだ。最悪。
そう思っていた。
「…………は?」
一歩踏み出した足が、空中で止まる。
網膜に飛び込んできたのは、どんよりした灰色ではなく、刺すような「青」だった。
見渡す限りの、海。
吸い込まれそうなほど高く、突き抜けたピーカンの青空。
昨日までそこにあったはずの、アスファルトも、電柱も、隣の家の古びた塀も。
そのすべてが消え失せ、我が家だけが、真っ青な水平線のど真ん中にぽつんと浮かんでいた。
「……は?」
固まった。
さっきまで耳についていたコハナの泣き声も、台所で包丁がまな板を叩く音も、全部が遠くへ消えた。
代わりに私の鼓膜を震わせたのは、穏やかな、でも圧倒的なまでの「ざざーん」という波の音。
「……え、ちょっと、何これ。夢?」
思わず一歩、外へ足を踏み出す。
そこにあるはずのアスファルトの道も、向かいの田中さん家の生垣も、電柱も、何ひとつない。
玄関のタイルから先は、透き通った青い海へと続く真っ白な砂浜。
そしてその先には、水平線まで続く、見たこともないほど真っ青な世界が広がっていた。
「……ユキ姉、何してんの? 早く行かないと遅れ……」
後ろからチョウジが顔を出した。そして私と同じように、言葉を失う。
手元でガシャリと音がした。
母さんが、私の忘れた水筒を持って追いかけてきたんだ。でも、その水筒は玄関の床に転がっている。
「……海?」
母さんの震える声。
さっきまでギャン泣きしていたコハナも、開いたドアから差し込む強烈な日差しに目を細め、ぽかんと口を開けている。
そんな中、家の中から「ぷぅ」と、また緊張感のない音が響いた。
シゲジイだ。
よろよろと玄関まで歩いてきたシゲジイは、私たちの肩越しに外を眺めると、眩しそうに目を細めて言った。
「……今日は、えらい遠くまで流されたな」
「冗談いってる場合じゃないでしょ!」
私の叫びが、雲ひとつない快晴の空に吸い込まれていく。
毎日、毎日、降り続いていたあの雨。
あれは、世界が作り変えられる予兆だったんだろうか。
それとも、私たちは家族ごと、どこか別の場所に「呼ばれて」しまったんだろうか。
水平線の向こう、よく見ると小さな島のような影がいくつも浮いている。
あれは……もしかして、他の誰かの「家」だろうか。
私たちの「戦場のような朝」は、どうやらここから、全く別の方向へ加速し始めるらしい。
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