I
「だから、妊娠したのは……”俺”なんだ!」
結婚して一ヶ月。
夫が妊娠した。
結果として、頭が真っ白になったこの不可解な現象はただの前座に過ぎなかった。
後に、私は死ぬほど後悔する。
こんなことになるのなら、"あんなこと"しなきゃよかった……と。
◆◆◆
「……はい、直樹の分のコーヒー置いておくわね」
「ありがとう、沙也。そろそろトーストが焼けるはず……おっ、ちょうど焼けたね」
淡いミントグリーンのトースターからチンッ!という明るい音が鳴り、二枚のトーストがこんがりと焼け出た。
二時間は並ぶ人気ブランドパン屋、"多が和"の食パン。
近所の高級スーパーでしか買えないとっておきのバターを乗せた瞬間、するりと生地を滑った。
こだわって探した北欧風のお皿に乗せると、たちまち理想の朝食が完成する。
赤と緑が鮮やかなトマトサラダに、フローラルな香りが漂うエチオピア産のコーヒー……。 沙也は愛する夫――直樹と向かい合うと、お互いに胸の前で手を合わせた。
「「いただきます」」
トーストを囓ると、サクッという軽い食感とともにバターの塩味と食パンの芳醇な香りが口中に広がった。
続けて飲んだコーヒーが、仄かな苦みを残して綺麗さっぱりと押し流す。
(こういうのを"丁寧な暮らし"って言うのよね)
結婚に至るまでが大変だった分、今は落ち着いた毎日を過ごせている。
(目の前にいる直樹はどこにも行かない。私だけの直樹)
幸せで胸がいっぱいになった沙也は、自然と今の思いが口を突いて出た。
「愛する人と一緒に過ごす朝って本当に美しいわね」
「朝からすごい惚気るじゃない。なんか良いことあった?」
「ええ、あなたが同じ家にいるから」
沙也と直樹は見つめ合うと、どちらともなくふふっと笑い合った。
パンを囓りながら直樹が話す。
「もっと早く沙也に出会えていたら、また違った人生を歩んでいたのかな。でも、君が落ち着いてくれてよかったよ。付き合っているときは、いつ結婚してくれるの! って毎日取り乱していたから」
「だって、少しでも早く直樹と結婚したかったんだもん。もういいでしょ、昔のことは。……あっ」
テレビでニュースを点けていたら、子育て特集が始まった。
〔……今日の頑張りお母さんは、東京都荒川区にお住まいの川島はるかさんでーす!〕
アナウンサーの陽気な声とともに、五歳くらいの幼い少女を抱いた女性が映る。
これは各地の子育て主婦を巡る番組で、すっかり朝の風物詩となっている。
テレビを眺める沙也に、直樹がぽつりと呟いた。
「早く俺たちの子どもが欲しいね。できれば、男の子がいいな。沙也に似ている子」
「そうね、私も男の子がいい。……自分たちの子かぁ、本当に早く欲しいわ。できたらすごい可愛がるのに」
二人の生活は順調だが、唯一の悩みは子どもがなかなかできないことだ。
付き合っているときから自分たちの子どもが欲しくて授かり婚も狙っていたが、結局できないまま結婚に至った。
――愛の結晶である自分たちの子ども。
早く欲しいなと思う沙也の手を、直樹がそっと握る。
「……今からどう?」
「馬鹿言わないで。まだ朝じゃないの。いくらリモートだからって、仕事しないでそんなことしていたらクビになっちゃうわよ。子どもができてもお金がなかったら困るでしょう」
「ちぇっ、結婚前はすぐに応じてくれたのに。あの頃を思い出そうよ」
「今はもう落ち着いたの、いろいろとね」
直樹は大手IT企業"アゾルデ"に勤める優秀なシステムエンジニアだ。
若手のホープだったが、沙也との結婚を優先して出世コースを降りてくれた。
収入も社内での地位も頭打ちだろう。
だが、そのおかげでリモートワークが増えて、一緒にいられる時間も増えたからよかったのかもしれない。
そのまま平穏な朝食を終え、食器を食洗機に入れたところで、直樹が背伸びしながら言った。
「さーって、本当にそろそろ仕事しないと。我が家の才能溢れるグラフィックデザイナー様の今日の予定は?」
「新商品のデザインを一件と、小さな広告を二件片付けておきたいわ」
「忙しそうでいいね。じゃあ、またお昼に会おう。……愛してるよ、沙也」
書斎に向かう直樹の投げキッスをあしらい、沙也はダイニングテーブルにノートパソコンを出す。
立ち上げた後、まずはざっとメールをチェックする。
沙也はフリーランスのグラフィックデザイナーで、AIを使いながら画像を作っていた。
AI使用についてはクライアントにも許可を貰っているから問題はない。
メールボックスには、今取り組んでいる案件について先方からの指示が舞い込んでいた。
――――――――
小島沙也様
お世話になっております。
Foorieの伊藤でございます。
ご依頼している画像の背景につきまして、ご相談がありメールさせていただきました。
現在の黒系から白系に変更をお願いできないでしょうか。
何度も修正をお願いしてしまい、誠に申し訳ございません。
期日は今週末までで構いませんので、ご検討いただけたら幸いでございます。
お忙しいところ恐れ入りますが、ご確認のほど何卒よろしくお願いいたします。
――――――――
(……うん、これくらいならすぐに修正できる)
沙也はさっそく、画像生成のAIソフトを起動して修正を始めた。
Foorie社は家具などのインテリアを販売する会社で、自社の商品を使ったモデルルームの写真制作を沙也に依頼している。
今調整中の画像は、オープンキッチンのダイニングだ。
他の仕事と比べても、沙也はひときわ楽しく調整していた。
(なんか、うちの内装と似ているのよね)
素朴で上品な長テーブル、栗色のダイニングチェアが四脚、部屋の隅に置かれた観葉植物のパキラ……。
その他、白くて清潔な壁紙まで瓜二つだから、まるで自分たちの家のようだ。
何より、フリーで働いている身としては、締め切りより前に送って先方からの印象をよくしたい。
(今日の午前中には完成して、伊藤さんに送ろう)
沙也は気合いを入れて作業を始める。
画像生成、修正、画像生成、修正……。
操作を続けてしばらく。
不意に、画面の右上に視線を奪われた。
「……ん?」
小さな『I』みたいな文字が浮かんでいる。
Iの一番上だけ黒で、他は赤色だ。
白背景だととても目立つ。
(なにこれ、ノイズ? ……まぁ、いいや。修正していれば、そのうち消えるでしょ)
いつものノイズとは多少違う気がしたが、沙也は特段気にしなかった。
作業を再開するが、画像を生成するたび『I』は少しずつ太く大きくなり下に移動する。
沙也は徐々に苛つきを覚える。
(……ちょっと、いい加減にしてよ。全然消えないんだけど。ソフトの故障?)
今までの画像生成でノイズが出てくることは何回もあったが、いずれもプロンプトを調整すればすぐに消えた。
このような無駄なストレスが溜まるパソコンのトラブルが一番嫌いだ。
イライラしながらキーボードを打つ手がふと止まった。
「え、これ……近づいている?」
画像を生成するたび、『I』は少しずつ大きくなって下に移動する。
ただ動いているだけだと思っていたが、"近づいている"と言えなくもなかった。
まるで、遠くにいた人物がこちらに歩いてきているかのように……。
一度自覚すると、『I』の黒い部分は頭に赤い部分は服に見えてきた。
(ひ……人? そんなわけないでしょ……っ)
沙也は思わず周囲を見渡す。
もちろんのこと誰もいないが、いつもは気にならない冷蔵庫の重い稼働音や食洗機が食器を洗う音がやけに耳に障る。
沙也は若干の指の震えを感じながら、今まで生成した画像を見直してみた。
最初は数mmの大きさだった『I』が、たしかに"近づいている"。
いつの間にか震え出した指で、新しいダイニングの画像を生成する。
『I』はさらに大きくなり、眼を凝らすと顔が浮かび上がった。
(これは…………女の子?)
『I』に少女の顔がチラついた瞬間、沙也は勢いよくパソコンを閉じた。
バンッ!という音の余韻が消え、ダイニングに静寂が戻る。
「……故障だ。これはパソコンの故障よ。いや、AIソフトの故障かも。うん、絶対にそうだわ」
自分に言い聞かせるように呟き続けると、解決策が頭に浮かんだ。
(……そうだ、直樹に見てもらおう)
SEなんだから直してくれるはず。
不気味なノートパソコンはダイニングに置いたまま、願望を胸に直樹の部屋を尋ねる。
事情を話したら、直樹は快く承諾してくれた。
二人でダイニングに戻る。
直樹はノートパソコンを開くと、余裕のある微笑みを浮かべた。
「ああ、これね。たしかにノイズっぽいな。まぁ、ちょっといじれば直ると思うよ」
「ありがとう、直樹。本当に助かるわ。今コーヒー淹れるからね」
(あの気持ち悪い画像なんてもう見たくないから)
沙也は直樹に背を向け、サイフォン式のレトロなコーヒーメーカーを操作する。
背中からはカタカタというリズミカルな音が聞こえ、不安は少しずつ払拭されていったとき。
バキッ!という異音が響き、思わず沙也は振り向いた。
「……は?」
椅子から立ち上がった直樹が、二つに分離したノートパソコンを持っている。
膝に叩きつけて壊したようだ。
それが自分の物だと気づくまで、沙也は多少の時間を要した。
「な……何やっているのよ、直樹! 何で壊したの! いくらしたと思ってんのよ!」
衝撃で『I』の恐怖など忘れた沙也がノートパソコンを取り返そうとすると、直樹は激しく抵抗した。
「もう二度とAIで画像作るな! パソコンも使うな! 仕事も今すぐ辞めろ!」
「はぁ!? 仕事を辞めろって、そんなことできるわけないでしょ! まだ抱えている案件だっていくつもあるのよ! パソコンを返して! 返してよ、私のパソコン!」
「うるせえ! こんなもの捨てろ! こんな……こんなもの家に置いとくな!」
「やめて!」
沙也が止めるのも構わず、直樹はノートパソコンをテーブルに叩きつけ滅茶苦茶に破壊する。
その日は、結婚してから初めて……いや、付き合ってから初めての大きな喧嘩になった。
□□□
柔らかな夕陽が差し込むダイニングで、沙也は一人コーヒーを飲んでいた。
ノートパソコンの件から、あっという間に数日が過ぎた。
沙也と直樹は気まずい日々を送っている。
食事は別々に食べていて就寝も別。
会話らしい会話もなく、今日だって直樹から「腹の調子が悪いから病院に行ってくる」と独り言のように言われただけだ。
直樹は昼過ぎに出かけ、まだ帰ってきていない。
不思議と、コーヒーの香りがいつもより濃く感じられる。
(一緒にいられない時間が何より嫌いだったのに、今はどこかホッとする……)
思い返せば、沙也と直樹は時間が許す限り一緒にいた。
たまには少し離れて、自分の心と向かった方がいいのかもしれない。
そう気持ちに整理をつけた直後、沙也は"最悪の可能性"に気づいてしまった。
(病院に行ったのは嘘だったら……他の女と会っていたらどうしよう。他の女に盗られたらどうしよう!)
一転して、サァッと血の気が引いて背筋が冷たくなり、心臓は拍動する。
――いつか、自分を捨てて他の女のところに走ってしまうのではないか。
直樹のことは信じているが、ずっと……ずっとこの猜疑心が振り払えない。
付き合っているときも結婚してからも、沙也は強い不安感に取り憑かれていた。
「……仲直りしたいよぉ」
気がついたら、沙也の頬をポロリと涙が伝った。
直樹は沙也の人生そのものだ。
愛する彼と一緒にいられるなら何でもするし、どんな犠牲でも払う。
実際、直樹と結婚するために沙也は会社を辞め、フリーランスになったのだ。
(仲直りしたい……直樹と仲直りしたい……!)
拭っても拭っても涙は止まらない。
目が赤くなるほど服の裾で拭っていたら、ガチャリと玄関の開く音が聞こえた。
沙也は慌ててダイニングを飛び出す。
靴を脱いでいる人物を見たら、安堵のため息が漏れた。
「直樹……」
夫の帰宅に沙也は安心する。
とりあえず、帰ってきてくれたことが嬉しかった。
直樹は何も話さずダイニングに来ると椅子に座る。
何となく促されているようで、沙也も正面の席に座った。
しばし無言の間が続いた後、先に口を開いたのは直樹だ。
「……仕事は大丈夫?」
「え、ええ、連絡はスマホでもできるし、新しいパソコンも買って急ぎの仕事は終わらせたから」
フリーランスは勤め人より、目の前の仕事を丁寧にこなさなければならない。
あの件は沙也の心を抉ったが、
データもバックアップしていたので大事にはならなかった。
パソコンを変えたからか『I』のノイズも出てこず、仕事自体は順調だ。
二人の間を不気味な沈黙が包む中、直樹は俯きながら呟いた。
「ごめん、妊娠した」
「…………え?」
絞り出すように言われた言葉に、沙也は唖然とする。
しばし何も言えなかったが、先ほど落ち着いた心が急に荒れ始めた。
「え……ちょ、ちょっと待って。妊娠したって誰が……女? まさか、他の女を妊娠させたってこと!? 私を捨てるの!? あのパソコンみたいに!」
「違う……違うよ。だから、妊娠したのは……"俺"なんだ!」
直樹が叫ぶように言った瞬間、沙也は固まった。
意味がわからなかった。
生物学的に男である直樹は妊娠しない。
そんなこと小学生でもわかることなのに、いったい何を言っているのだ。
沙也は激しい混乱に包まれたが、直樹のあまりにも深刻な顔を見て冗談ではないと察した。 正面の椅子に座り、呟くように尋ねる。
「な、直樹が妊娠したって……どういうこと……? 何かの間違いじゃないの?」
素直な疑問をぶつけると、直樹は一枚のモノクロ写真を差し出した。
写真の隅にはCRLだのBPDだの英文字が描かれ、インターネットで検索したらそのまま出てくるようなまさしく胎児のエコー写真だ。
日付は今日。
呆然と眺めることしかできない沙也に、直樹は呟く。
「……妊娠12週」
「……は?」
直樹が指した黒く映された空間――羊水の中には、小さな人型の影がある。
これが胎児ということだろう。
(……なにこれ)
やっぱり、他の女の写真じゃないかと思いサッと目を走らせたが、紙には小島直樹と印字されていた。
(じゃあ、ほんとに直樹は……妊娠したの?)
混乱が焦燥感に変化する。
沙也は慌てて立ち上がり、直樹の傍に駆け寄った。
「ちょ、ちょっとお腹見せて」
トレーナーと肌着を一緒に捲って確認すると、下腹部が歪にぽこりと膨らんでいた。
沙也は言葉を失い、直樹は絞り出すように話す。
「2,3日前から腹の調子が悪くて病院に行って、念のためエコー検査してもらったんだ。そしたら妊娠してて。の先生たちも意味がわからないって言ってて……。何度も検査をやり直したんだけど、何も変わらなくて……。いろいろと詳しく調べるから今日はもう帰りなさいって……」
直樹は混乱と不安に押し潰され、とうとう泣き出してしまった。
そのまま、彼は素直な気持ちを吐露する。
「僕のせいだ。沙也のパソコンを壊したり酷いことを言ったりしたから罰があたったんだよ。この世の誰よりも沙也のことが好きなのに……」
テーブルにぽつぽつと直樹の涙が零れる。
その顔からは深い後悔の念が感じられた。
(直樹……)
沙也は直樹の涙をハンカチで吹くと、愛する夫の身体を優しく抱き締める。
「大丈夫。落ち着いて、直樹。私こそ、あのときは怒鳴ったりしてごめんなさい。私も直樹が誰よりも好きだわ。この気持ちはずっと変わらない」
「沙也……ほんと……?」
ハッとした表情で振り向いた直樹に、沙也は静かに頷く。
そのまま、沙也はこの不可解な現象について、自分の考えを述べた。
「これはきっと……神様のいたずらよ。私と直樹が仲直りできるきっかけを、神様がくれたんだわ」
「神様の……いたずら……?」
「ええ、そうに違いないわ。だって……このおかげで私たちは仲直りできたじゃない」
直樹の泣き腫らした顔に、少しずつ明るさが戻る。
沙也はさらに安心させるように穏やかに微笑んだ。
「疲れたでしょう? 今日はもう寝た方がいいわ」
「ああ、そうだね。ほんとに疲れたよ……。沙也、ありがとう。ごめん、君にも疲れさせちゃったね」
「いいえ、気にしないで。私はあなたの妻だもの」
直樹は素直に従い、寝室に向かう。
その後ろ姿を見送った沙也は、自然と拳を硬く握っていた。
(どんな困難も私と直樹は二人で乗り越えてきた。いろんなものを犠牲にして、たくさんの障壁を乗り越えて手に入れた、この幸せな結婚生活……絶対に守り通してみせる)
一旦仕事をして気持ちを落ち着けようと、沙也は新しいノートパソコンをテーブルに出す。 ユーザーアカウントを同期したので、設定やソフトなどは全く同じ通りに使える。
念のためクラウド上にデータを保存しておいたことも、うまくバックアップを助けてくれた。
画像生成ソフトをクリックした沙也は、忘れかけていた緊張感を覚える。
すでに納品が済んだFoorie社のモデルルーム画像を開き、椅子を一脚増やすよう指示をして生成する。
やはり『I』は出現せず、沙也は大きくため息を吐いた。
(もう『I』は……出てこないわね。やっぱり、パソコンの不調だったんだ)
直樹が破壊してから、AIでいくら画像生成しても『I』が出てくることはなくなった。
ホッとして作業を開始した直後。
「ぎゃあああああああああああああああああああああっ!」
寝室から直樹の凄まじい叫び声が轟いた。
「直樹!?」
沙也はパソコンを放り出し、転がるような勢いで寝室に走る。
「どうしたの、直樹! 大丈……っ!」
扉を開けた沙也は、夕陽に照らされる光景を見て衝撃のあまり硬直した。
(え、嘘……)
ベッドに腰掛けた直樹のお腹が……膨らんでいる。
ぽこりとした膨らみが、今では妊娠10ヶ月……いや、それ以上の大きさだ。
空気を送り続けられる風船のように一定の早い速度で膨らみ続け、あっという間に胸の辺りまで膨らんだ。
「さ、沙也、助けて……救急車……救急車呼ん……でぇっ!」
凄まじい破裂音とともに直樹の腹が弾け、部屋中が血で染まる。
沙也は大量の血を浴びても衝撃から脱せなかった。
直樹の腹から、赤い服を着た子どもが――五歳くらいの幼い少女がずるりと這い出たから。
顔を上げた少女の顔が夕陽に照らされた瞬間、沙也は心臓が凍り付いた。
(ア、『I』だ……こいつはあの『I』だ!)
画像生成するたび、沙也に近づいてきた謎の『I』。
沙也は腰が抜けてしまい、へたりと座り込んだ。
『I』はゆらりと立ち上がり、不気味な猫背でゆっくりと沙也に近づく。
(に、逃げなきゃ……逃げなきゃ……)
沙也は足腰に力が入らず、ずるずると後ずさることしかできない。
寝室を出る直前で、少女の不気味なほど冷たい指に首を掴まれたとき、沙也はようやく心の底から後悔した。
「……ねぇ、どうして、わたしのママからパパを盗ったの?」
すっかり忘れていたこの少女は、直樹の娘――愛だった。
(略奪婚なんかしなきゃよかった……)
骨の折れる音が、空虚に響いた。




