1話 ギャンブラーの片鱗
夢を見ていた。
彼女との別れの夢。
あたしは彼女に抱きつき、あたしの頭を温かい手が優しく撫でている。といういつもの夢。
その時のあたしは別れを惜しむのを躊躇い涙が頬を伝う。
彼女は何も聞かず、ただ黙ってあたしの頭を撫で続けた。
目が覚めても、この感触だけは消えないだろう。
けど所詮は夢。目が覚めた瞬間、あの温もりがどこにも存在しないという現実だけが残る。
「マヤ姉」
あたしがそう言いながら見上げると、彼女は優しく微笑む。
マーヤ・ディラント。腰まで伸びた三つ編みの黒髪が特徴。血の繋がりはない近所のお姉さんでもあり、あたしは親しげにマヤ姉とそう呼んだ。
マヤ姉は同年代の女性と比べてもとても大人っぽく、優しく、素敵な女性。あたしは彼女の事がとても好きで憧れの対象だった。
あたし達の村は、王都へ続く街道沿いにあった。
行商人や冒険者がときおり立ち寄るおかげで、完全な田舎というわけでもない。
王都へ向かう街道だけは石畳が敷かれ、朝になれば小さな市が立ち、宿屋の煙突からは白い煙がのぼっていた。
村の経営の要として宿は少なからず存在し、マヤ姉は宿を経営する一人娘。
ある日のこと。
「マヤちゃんその子は?」
あたしはその日、たまたまマヤ姉の宿でお手伝いをしていた。
宿の常連らしき旅の商人のおじさんらしき人が話しかけてきた。
マヤ姉はあたしの頭に手を置く。
「近所に住んでいる、フェルという子です。今日は宿のお手伝いをしているんですよ」
「へえ、まるで仲の良い姉妹みたいだね」
おじさんに言われて、マヤ姉と家族のように見られていることが嬉しかった。
「それはそうとマヤちゃん、今回は負けないぞ」
客のおじさんは皮の手袋を外し、カードの束を取り出してテーブルに置いた。
テーブルは高いせいか、あたしはテーブルに覗き込むように視線を向けた。
使い古されたカードは角が丸く擦れている。
一瞬裏側が見えたときの数字からして、トランプだというのが分かった。
あたしもマヤ姉とは何度かトランプを使ったゲームをしていたことがあるので、同じようになにかのゲームをすることは理解できた。
「ええ、私も負けません」
意気込むように言いながら、マヤ姉は楽しそうな瞳で椅子に座って、おじさんとトランプを勤しむ。
トランプ以外にもコインが置かれて、互いにいくつか前に出す。
配られたカードや束から交換などして、なにかのゲームをしているのは理解はできた。
ただ、どんなゲームをしているのかわからず、次第につまらなさそうにしてマヤ姉の服の裾を引っ張る。
「フェルも一回やってみる?」
「うん!」
膝の上に抱き上げられ胸が高鳴る。
机にはトランプのカードと金属の光沢を放つコインが置いてある。
「これなーに?」
「これはね。ポーカーと言って、カードを組み合わせて役を作るゲームなの。コインは賭けに使うんだけど、フェルは初めてだからカードだけね。ほら、カードが配られるから受け取ったら見てごらん」
手札には♦7、♠A、♠8、♥3、♣9。
「この中で気に入らないカードを捨てて、その数だけこのカードの山札から新しく引いてくるの。同じ数字か絵柄を揃えるのが良いよ」
あんまり理解してなかった。
あたしは直感でピンとこない3枚を捨て、山札から3枚拾い上げる。
おじさんが手札を公開するのを見て、あたしも真似するように公開した。
♠A、♠8、♦J、♦3、♥10。
「残念、揃わなかったね」
「もー! もう一回! もう一回!」
「はは、お嬢ちゃん強気だね。ならもう一回するかい? 今度は本当のギャンブルってやつを」
そう言っておじさんはコインを数枚差し出した。
「ちょ、ちょっと。フェルは初心者だからまだ」
「そうかい? お嬢ちゃんは本気そうだぞ?」
マヤ姉はため息をつき、同じ枚数のコインを差し出した。
再度配られた手札を確認しながら、あたしは「うー」と唸りを上げる。
「フェル。そんなに考えなくていいの。あなたの思う通りに出してみて」
マヤ姉がそう言うのだからと、あたしは数字を揃えてみたいと思い手を伸ばすも、ピタリと手が止まる。
「フェル、どうしたの?」
「んーん。なんでもない」
気のせいだと思い交換した。
「むー!」
カードを見て、思わず唸ってしまう。
「ははっ、お嬢ちゃんは揃えることができなかったかな。おじさんはほら、ツーペアだ」
テーブルの上に♥7、♠7、♠5、♦5、♦10が開かれる。
「お嬢ちゃんもカードを出してみた……マヤちゃん、どうしたんだい?」
「いえ……これって……フェル、このカードをおじさんに見せるようにテーブルに置いてみて」
マヤ姉はどこか緊張した面持ちで、あたしの手を掴み誘導した。
広がるカードをおじさんは見て「えっ」と目を見開く。
「フラッシュだと……」
♦2、♦7、♦9、♦Q、♦Kとバラバラだけど、良かったのかな?
そんな疑問を出しているが、マヤ姉がテーブルに出されたコインを全てあたしの方へと持ってきてくれる。
マヤ姉に視線を向けると、微笑んであたしの頭を撫でてくれる。
そしてテーブルに出されたコインを全てあたしの方へと持ってきてくれた。
「ま、まあ初心者であるビギナーズラックみたいなもんだな。うん」
おじさんはそう言って、気を取り直すようにカードをシャッフルする。
びぎなー?
よくわかんないや。とりあえず、あたしは配られたカードに目を通す。
♠K、♥A、♥8、♦3、♠Aとバラバラ。
さっきみたいに揃えたらマヤ姉はまた頭を撫でてくれるかな?
次はどれにしよう……。
捨てるカードを選ぼうとした瞬間だった。
ふと捨てるべきカード、引くべき枚数が無意識に指が動く。
何故かこうするべきだと、確証はなくても確信があった。
♠の2枚を残し、残り3枚を交換へ。
山札から手を伸ばしカードを引こうとした瞬間、また不意にピタリと手が止まる。
たださっきみたいななんとなくではなく、次に来るカードがなにかあたしには分かった。
そして、予想通り揃うカード。
「またカードが揃った! マヤ姉見て見て!」
あたしは喜びのままに彼女を見た。てっきり一緒に笑顔になっているものだと思っていた。しかし、あたしが思い描いていたのとは違った。
その表情は驚きを超えた無言の衝撃。そして瞳の奥底には、まるで未知の怪物を見るかのような、微かな畏怖の表情が宿っていた。
マヤ姉のその視線は、あたしを少しだけ冷たくした。
「おじさん、賭けはどうしますか?」
「どうしたマヤちゃん。まさかまた良い手がきたってのかい? まあ流石に二度連続なんてのはないだろうし……そうだな賭けよう」
コインを出すと、同じ数だけマヤ姉もコインを差し出した。
「お嬢ちゃんのツキがこっちにも回ってきたって所だ。ほらフラッシュだ」
おじさんが出したカードは、♦2、♦5、♦7、♦9、♦J。
「フェル、ほらそのカードを出して。ロイヤルストレートフラッシュを」
♠Q、♠A、♠10、♠J、♠K。
「ろ、ろいやるすれー?」
マヤ姉の唇から漏れた言葉はよくわかんないや。
ただ、すごい自信から良い手なんだろうなと分かった。
「おいおい……そんな役、何万回に一度だぞ……」
おじさんの顔から、先ほどの強気は完全に消えていた。
マヤ姉もおじさんも何か恐ろしいものを見ているようだったが、その「ロイヤルストレートフラッシュ」とやらが、当時のあたしにはわからなかった。
おじさんは疲労の色を濃くし、眉間を深く摘まんでいた。
「そうだ初心者特有のビギナーズラックだ。間違いねえ。は……ははは」
渇いた笑い。誰も笑っていないのに笑い声だけが宿の空気に残る。
「……」
マヤ姉は何も言わなかった。
黙るべきなのだろうか?
あたしもよくわからないが、何か言わなくちゃいけない気がする。
「マヤ姉……もしかして悪かった……の?」
「ううん、問題ないよフェル。このゲームあなたの勝ちだよ。さあ、もう今日のゲームは終わり。降りてちょうだい」
膝の上から、静かに降ろされた。
頬を膨らましマヤ姉を見上げる。彼女はいつもの柔らかな表情に戻っていた。
気のせいだと思おう。少し残念だけれど、ゲームをしたことは楽しかった……楽しかったはずだ。
「それにしても君も強いね。これなら王都へ行けば名を残せるんじゃないかな。なにせ王都には――」
おじさんの言葉を遮るように、マヤ姉は手を二度叩いた。
「さっ、休憩時間は終わり。フェル、お手伝いの再開しましょう」
「うん!」
あとになって、王都には何があるのだろうと。
おじさんが言おうとしたこと、マヤ姉が遮ったこと、その理由はあたしに教えてもらえなかった。
気にしても仕方がない、あたしには関係がないと思い忘れることにした。
マヤ姉と一緒に居て、楽しい日々がこのまま永遠に続くんだし。
と疑いもしなかった。
そんなある日、彼女は唐突に王都へと行くと言った。
冒険者からの入れ知恵なのか、あるいは長年の秘めた憧れなのかはわからない。
ただ、その瞳は強い決意の炎に満ちていた。
王都なんだからマヤ姉は冒険者になりたいのだと、幼いあたしは単純にそう思っていた。
一度、あたしはマヤ姉に将来冒険者になりたいのかと尋ねた事があった。
マヤ姉は「王都へ行ったらフェルあなたと……ううんなんでもない」とはぐらかされてしまった。
そして月日が流れ、マヤ姉の年齢がとうとう15になった。
「王都行きの馬車が来たから、行くねフェル」
相変わらず優しく微笑みながら、あたしの頭をそっと撫でた。
嬉しいのに悲しい。矛盾した気持ちがあたしの中で渦巻いた。
「本当に、本当に行くの……? マヤ姉」
あたしの目には涙を浮かべ、行ってほしくないという気持ちであふれ出そうだった。
「相変わらず泣き虫ね。ほら、涙を浮かべないの。フェル……いいえ、フェル・ラグンダルト。あなたも15歳になれば一人前の成人となるんだから。だからその時は私のいる王都へ迷わずおいで」
うん、とあたしは強く頷くと「マヤ姉、約束」小指を差し出した。
マヤ姉はあたしの小指を絡める。
馬車が来るまでの間、マヤ姉はずっとあたしの手を握っていた。その手は、いつもより少し冷たかった。旅立ちの緊張だと思った。そう思うことにした。
馬車が来て、マヤ姉は乗り込んだ。
車輪がきしむ音と共に馬車が動き出す。
「マヤ姉、大きくなったら必ずあたしも王都へ行くから! マヤ姉と一緒に旅をするからね!」
小さいあたしは遠ざかるマヤ姉に向かって、力いっぱい手を振った。
マヤ姉も同じように手を振り返し、「待ってるから」そう言い終えた途端、鮮明だった夢は唐突に途切れた。
目を開けると頬を伝う冷たい感触に気づく。
夢の中で涙を流していたのだろう、あたしは涙を拭った。
もうマヤ姉はいない……。
その事実をあたしは何年経っても上手に飲み込めない。
長い沈黙が続く。
気分が落ち込む……起きないと……。
カサっと音がなるのにそちらに視線を向けた。
そこにあったのは封筒とその隣には1枚の手紙。
寝る前に読み返したんだっけ。
あたしはその手紙を手に取ると、内容にはこう書かれている。
『フェルへ
元気にしてますか?
お姉ちゃんは王都で順調よ。約束、覚えてるかな。15歳になったら会いに来てね。待ってるから。マーヤより』
マヤ姉が王都へ発ってから数年が経ち、あたし宛てに送られた初めて来た手紙。そして2枚目が来ることのない最後の手紙。
その一枚を読み返すたびに、あたしはちゃんと待ってくれているのかと不安になる。それでも読み返す。なぜなら、それしかないから。
これまで辛くなろうともこの手紙を読んで元気づけられた。
「そうだ、気持ちを入れ替えなくちゃ」
あたしは両手でほっぺを2度ほど叩いた。
今日からあたしは15歳。マヤ姉と同じ15歳だ!
そう思うと、先ほどの空虚感は決意の熱にゆっくりと溶かされていった。
「さあ、あたしも今日からマヤ姉に会いに王都へ行くんだ!」




