2-1:目覚めた世界
第二話 『違和』
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――ピ。
――ピピ。
――ピピピピ。
――ピピピピ、ピピピピ。
無機質な電子音が、意識の外側を叩いていた。遠くから呼び寄せるように、硬い音が鼓膜を揺らす。
起きたくない。
嫌な音を避けるように身体を縮めると、機械音は強く、しつこく迫ってくる。
「……うぅ」
渚は煩わしさに反抗して、唸り声を洩らした。
ふわりと意識は浮かび上がるのに、身体は鉛を流し込まれたように重く、瞼を開けるのすら億劫だった。
(おきたくない、うるさいな)
熱に浮かされたように火照り、肌に汗がじっとりと貼りついている。
渚は音の正体を確かめようと、手探りで周囲を探った。
指先に触れたのはスマホだった。
鳴り続ける目覚ましの停止ボタンを乱暴に叩き、渚はそのまま頭の上に放り投げた。
「うう……、う、んぅ……」
逃げるように身体を丸める。柔らかい布団を引き寄せたところで、その手触りに違和感を感じた。
――渚、そ……、おき……い!
遠くから幻聴が聞こえる。
渚はまた布団を手繰り寄せて、布団の柔らかさと居心地の良さに、また違和感を覚えた。
マシュマロみたく、ふわふわした手触り。鼻腔をくすぐる清涼で甘い香り。硬い畳の感触ではなかった。ごわごわとした、薄い安物の布団の肌触りでもない。
――なぎ……、あ……ごはん、でき……よ!
「んぇ……?」
甘い香りの次に感じたのは、香ばしい匂いだった。
焼きたてのパン。意識の表層で、また違和感が膨らんだ。
なぜパンの匂いがするのだろう。
その匂いは渚の嗅覚だけではなく、意識をも刺激した。
「はやく起きなさい!」
「――えっ!?」
布団をはね飛ばして起き上がる。ひゅ、と心臓が掴まれたように喉が鳴った。
目の前の壁――シミもないましろい漆喰の壁紙。
右側の窓――薄水色のカーテンの間から明るい光が差している。
左側の家具――見知らぬ白い簡素なデスク。ワーキングチェア。本。いくつかのぬいぐるみ。水色を基調として落ち着いた部屋。
「ど、どこ、ここ」
身体がきゅっと固まった。
見覚えのない部屋だ。あまりにも整いすぎた光景に、胸の奥がざわつく。恐ろしく脈打つ心臓を落ち着かせるよう、渚は胸元の服を握りしめた。
視界の端、机の上に置かれた写真立てが目に付く。
「何……、この写真」
三人の人間が映っていた。
満面の笑みで幸せそうに笑っている家族写真だ。
(ありえない。嘘だ)
見知らぬ部屋で目覚めたことよりも、その一枚の存在が、渚にとって何よりも異質だった。
男女の間に、高校の制服を着た渚が笑っている立っている。
そんな写真は撮ったことがない。
そもそも、両親と共に過ごした記憶すら残っていない。
笑顔も、怒った顔も、ひとつとして思い出せない。
息が苦しかった。寝起きのせいなのか、この現象のせいなのか、まだ思考がぼんやりとする。
渚は震える手を伸ばして、写真立てに触れようとした。
こん、こん。
その時、閉じられていた部屋の扉を誰かが叩いた。
「なぎさー! まだ起きていないの?」
扉が開き、姿を見せたのは――写真の右にいた女性だった。
「あら! 起きてたなら返事……、どうしたの?」
毎日見ていた写真の人物よりも、顔に小じわが目立っている。
「まったく、寝ぼけてるの? 朝ごはんもうできてるから、はやく来なさい」
渚の心臓は内側で変に飛び跳ねた。
どっ、というよりも、ぐっと押しつぶされるように。
ひどく緊張して、内側の何かが警鐘を鳴らした。
呆然と見つめる渚に、女は怪訝そうに眉を寄せ、すぐに笑みを浮かべた。そして、「いつまで経っても子どものままね」と言い残し、階段を降りていった。
ベットの隣の姿見に、見知った自分の姿が写っている。ひどく呆けた顔をして。
階段を降りていく音。朝のニュースを読みあげるアナウンサーの声。涼やかな鳥の囀り。ユラユラとはためくカーテン。魚を焼く芳ばしい香り。
すべてが遠くに聞こえる中で、渚はまた、家族写真へ視線を戻した。
「え……、お、おかあ、さん……?」
かすれた声が、ぽたりと布団の上に落ちた。
死んだはずの人。渚の母親の姿をした誰かが、目の前にいた。




