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3-2:命令




 やっぱり、と渚は思った。



「すみません、メッセージ……」


「あ、いいんだ。もう怪我は大丈夫かい?」



 ちらりと職員証に目を向ける。B級の一般隊員。名前は『和久田一利』。


 その名前を見て、渚の心臓が跳ねた。



 (七瀬の仲間だった、あの和久田一利!?)



 和久田一利という人物は、《天賀グループ》に所属するA級の《界律者》だ。陽気で気さく、チームの潤滑油のような存在で、誰もが信頼を置く人物として描かれていた。



 しかし、目の前の和久田は、どう見てもまるで別人だった。



 本の描写とは、似ても似つかない。表情には暗い影が焼き付き、覇気も微塵に感じない。



(――どうして、和久田が特務機関に?)



 そしてA級ではなくB級ということも。



「どうかした?」



 和久田は不信げに眉を寄せる。動揺を隠すように、渚は頷いた。

 


「えっと……はい。大丈夫です」

 

「そうか、それなら……良かった」



 俯き加減で安堵したように頷いた和久田は、手に持った装備袋をぎゅっと握りしめる。



「椎野さん、前と雰囲気がちがうね」


「え、そう……ですか?」


「あ! いや、悪い意味じゃなくて……。なんていうか、前より、表情が明るい気がしたんだ」



 渚はさっと自分の頬に手を当てる。ぎこちなく笑みを返した。



「和久田さん、『七瀬玲梓』って名前、聞いたことありますか」



 和久田はきょとんとした表情を浮かべた。そして頭を傾げ、考えるように目を伏せる。



「ななせ? いや……聞いたことないかな」


「S級の新人とか、いませんか」


「S級? 最近その話題は無かったと思うけど、どうして?」



 和久田の目に、嘘をついているような影はない。こつん、と小石を投げつけられたよう。どこかで分かっていたその落胆に、視線が下を向く。



「いえ……ちょっと知り合いで」


「何か調べてるのかい?」


「あ、いえ。聞き覚えがあるか、知りたかっただけです」



 和久田は不思議そうに眉をひそめる。渚が何でもないと苦笑すると、驚いたような顔をして、それ以上は何も聞いてこなかった。

 


 渚の胸の奥で、和久田の言葉がひどく冷たく響いていた。



 この世界に『七瀬玲梓』の名前がない。

 まだ知られていないだけなのか、それとも――七瀬という存在そのものがいないのか。


 希望が全く見えてこない。


 渚が考え込んでいると、和久田が小さな声で言った。



「……副班長なのに、この前は何もできなくて本当にすまなかった。あの調査の時は」



「あっ、……ええと、その……、気にしないでください」



 渚は咄嗟に言った。



「……私、よく覚えていなくて。前の任務のあと、どうなったんですか? 他のメンバーは」



「前回の調査任務は成功したかな。椎野さんを含めて、重傷者が多くなってしまった。他のみんなは、復帰しないことになって、辞めてしまったよ」



「そう、ですか」



 気まずい空気に包まれたその時、控え室のドアが勢いよく開いた。



 入ってきたのは坂田だった。



「和久田ぁ、何をしてる? さっさと準備を済ませろ! 椎野もだ! お前らの失態は二度と許されないと覚えておけ」



 渚の手が小さく震えた。心臓が喉までせり上がる。

 


 (あ――、い、嫌だ)



 理屈ではどうにもならない恐怖が、坂田の登場と共に、肺の奥を押し潰そうとする。身体だけが、渚の意思を置き去りにして硬直していた。

 


「調査先は第四十九番弧洞。ランクC1、現状は非活性だ」

 


 坂田班長の声には、妙な弛緩と浅ましさが混じっていた。



「通常通り、今回も弧洞の脅威度調査と資源分布の確認、拠点候補地の安全確保……」



 薄ら笑いを浮かべながら、坂田は続ける。

 


「――だが、美味しい話は奥に転がってる。異能石だ。目についたもんは全部拾ってこい」

 


 和久田が恐る恐る声を上げた。



「…… しょ、初期猶予時間を超過するのは危険です。それにもし四十九番に所有権がつく予定なら、異能石の収集は協定違反に」



 和久田は、坂田の表情を見て言葉を切った。坂田の笑みが、すっと消えたからだ。



「和久田ぁ。A級の俺が命令してるんだぞ? お前らに選択肢があるわけない。それに、お前らが黙ってりゃ、何があったかなんて誰にも分からない。そういうもんだろ?」


 

「ですが……!」



 和久田は言葉を失う。肩がわずかに震えている。

 


「お前らがやるのは、敵がいるかどうか確かめるだけじゃない。目に付くモンは全部拾ってくる。簡単な任務さ。こんな任務もできないってか? それとも俺の評判を落とすつもりか?」




 坂田の声を聞く度に、渚のこめかみに、脈打つ痛みが走った。



 声の中に、精神を直接削り取るような異質な感触が混じっている。



 押しつぶされるような圧迫感。見えない爪が脳の奥をなぞり、恐怖だけを神経に刻み込んでくるような、違和感。



 その時ようやく、渚はこの感覚の正体に気がついた。



(これ……、坂田の界律能力?)

 

 

 坂田は鼻を鳴らし、ぐるりと全員を見渡した。



「なにをそんなに心配してる。俺だってお前らが死ぬのは見たくないさ」



 坂田の視線に、一片の「守ろう」という意思はなかった。渚は、ぐっと奥歯を噛んだ。



「けど、結果がなきゃあ俺の立場が悪くなるんだよ。そしたらお前らの立場だって悪くなる。ただでさえ力の無いB級とC級を使ってやってるんだ。お前らが命張って成果を持ち帰れば、それでお互い得じゃないか」



 渚は呼吸を整えようとしたが、胸の奥の震えは収まらない。

 


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