002:最後の頼み
多々良は9歳の時に、10歳以下のアマチュア大会で見事に優勝する事ができた。
これを早く遊馬に見て貰いたいと思った。
しかし遊馬は世界戦で連敗を喫してしまった事から人が変わったようにトレーニングを開始した。
それにより家には、あまり帰って来なくなった。
着替えを取りに帰ってきたところで、多々良は嬉しそうに「見て見て!」と優勝した賞状を見せた。
遊馬の目は、ゆっくり賞状の方を見る。
だがその目は子供に向けて良い眼をしていない。
チッと舌打ちしてから、多々良が手に持っている賞状を取り上げてビリビリに破いた。
「こんなものを見せて何のつもりだ? お前は格闘技の才能なんて無いから止めなさい」
賞状を破られた事よりも、遊馬に才能が無いと言われた事がショックで号泣する。
多々良の鳴き声を聞いた幸枝が走ってやってくる。
何があったのかと聞いた幸枝は、荷物をまとめている遊馬に問い詰めるのである。
「どうしてそんな事を言うんですか! 自分が上手くいっていないのを、多々良に当たらないで下さい!」
遊馬に幸枝の声が聞こえていないかのように、何も言い返さずに荷物をまとめている。
そして荷物がまとめ終わったところで、スッと立ち上がって幸枝の横を通り過ぎようとする。
何も言わない遊馬の腕を掴んで止める。
「多々良に謝って下さい!」
「俺がアイツに謝る事なんて無い。さっさと手を離せ」
「あなた……」
「あっそうだ。これ書いて出しておいてくれ」
遊馬は多々良に謝る事なんて無いと言い放って、掴んでいる腕を振り払って立ち去ろうとする。
何かを言い忘れたように遊馬は、スーツの懐から紙を取り出した。
それを幸枝に渡す。
幸枝は何かと思って見てみると、その紙には離婚届と書かれていたのである。
思わず遊馬の顔と離婚届を交互に見る。
「こ これって……ど どうして?」
「もう俺の人生に、お前たちは必要ない。だから、もう俺の足枷にならないでくれ」
「ちょ ちょっと待ってよ……私たちがサポートするからやり直しましょ?」
「もう不可能だ」
どうにか繋ぎ止めようとしたが、遊馬は多々良と幸枝が足枷なんだと言い放って家を出た。
それからしばらくしての事だ。
幸枝が精神疲労から倒れ、そこから7年間もの間、入退院を繰り返した。
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病院から帰ってきた多々良は、コンビニで買ってきた弁当をレンジに入れる。
フゥと溜息を吐きながら座椅子に座った。
リモコンを手に取ってテレビを付ける。
するとテレビのバラエティに遊馬の姿があった。
『遊馬選手、次の試合とかって決まってるんですか?』
『おぉ! それワシも気になってたんだわ!』
『そうですねぇ。ここで重大発表いたします』
司会補助のアナウンサーが、遊馬に次の試合は決まっているのかと質問する。
すると司会者も気になっていたようで正式に、番組からの質問を投げかけた。
この質問に遊馬はモジモジしている。
そしてこの番組で重大発表すると言うのだ。
日本格闘技界だけじゃなく、世界格闘技界においても神格化され始めている遊馬の重大な発表は、固唾を飲んで聞き入るくらいの話である。
『この私《真谷 遊馬》は現役を引退し指導者としての道を進む事に決めました』
遊馬は何と現役引退の表明をした。
この言葉にスタジオのタレントたちもだが、多々良も大口を開けて驚くくらいの重大発表だった。
そして引退した遊馬は指導者の道に進むという。
これにも多々良は驚きを隠せない。
まさか格闘技が全てだった遊馬が、自分から現役引退を表明し指導者の道に進むなんて。
テレビを見た次の日。
多々良はどうしても幸枝に会いたくなった。
走って病室まで行くと、そこには幸枝の姿はベットに無かったのである。
どこにいったのかと思っていると、同室の女性が屋上に行ったと教えてくれた。
多々良はお礼を言ってから屋上に向かう。
屋上の扉を勢いよく開けると、そこには綺麗に晴れた青空を眺めている幸枝がいた。
少し微笑んでいるようにも見える。
その姿を見た多々良は、少し気持ちが楽になる。
そこからゆっくりと幸枝のところまで歩いて行き「母さん」と声をかけた。
「多々良……昨日は会いに来てくれたのに、起きていられなくてごめんね?」
「いや、良いんだよ。母さんが無理をして、体調壊す方が嫌だし」
「ふふふ、アンタは本当に優しいねぇ……そういえば昨日の父さんが出てるバラエティは見た?」
幸枝の方から遊馬の話題を振ってきた。
それでも多々良的には話しづらいので「あ あぁうん」と歯切れの悪い返事を返す。
「最後に遊馬さんに会いたいなぁ……」
幸枝は優しく微笑みながら、どこか遠くを眺めているような顔をしながら呟く。
この言葉に多々良は何も返せない。
だがこれだけは聞こうと「どうして?」と聞いた。
すると幸枝は振り返り微笑みながら「だって私たち、家族でしょ?」と言うのだ。
多々良は幸枝の言葉に黙る選択肢しかできなかった。
2日間、多々良は迷った。
しかし幸枝の最後の頼みだと思って覚悟を決める。
都内で遊馬の座談会があると聞いて、幸枝の気持ちを伝えようと足を運んだ。
有名格闘家の座談会に、同日で入れるわけがなく多々良は入り口で止められてしまう。
「お願いします! どうか父さ……いえ! 遊馬さんに会わせて貰えませんか!」
「いやだからね? 当日入場は認められてないの。入りたいなら、チケットを買っておいて貰わなきゃ!」
「ほんの一言か、二言だけで良いんです! せめて《九頭 多々良》という名前だけ伝えて貰えませんか!」
「だから無理だって言ってんだろ!」
多々良は必死になって一言二言だけと言うが、当たり前だが了承されなかった。
それなら名前を伝えるだけでも良いと言う。
しかしそれすらも却下されて、多々良は何とも言えない感じで駄々をこねる。
すると関係者入り口の方から「あら? どうしたのかしら?」と声が聞こえてきた。
振り返ってみると、そこにはサングラスをかけた綺麗な女性が立っていたのである。
「どうかしたの? 揉めているみたいだけど」
「この少年が中に入れろって言うんです。チケットも何も持っていないんですけど」
「あら、そうなの? 貴方は持ち場に戻って貰って結構いいわ」
「え? あぁ……はい」
女性は係員の男性を落ち着かせ、係員を自分の持ち場に戻らせるのである。
この見た目や係員が敬語という事は、このイベントの偉い人だと分かった。
「あ あの! 俺、多々良って言います! どうか遊馬さんに会わせて貰えませんか!!」
「多々良……あなた、幸枝さんの息子さんね?」
「え? 母を知ってるんですか? それなら話は……」
「帰ってちょうだい」
多々良は女性が幸枝を知っていたので、これはチャンスだと畳み掛けようとした。
しかし食い気味に帰るよう言われてしまった。
あまりの早さに多々良は「え?」と言葉が溢れる。
「あの人は新しい道に進み始めているの。あなた方の勝手で、あの人の邪魔をしないで貰えるかしら?」
「ちょ ちょっと待って下さい! 俺は遊馬の子供です、父に会う権利はあるはずです! それを家族でも何でも無い人に……」
「私は遊馬の妻の《真谷 沙耶香》です」
また多々良の口から「え?」という言葉が溢れる。
この女性は、遊馬の今の妻だというのだ。