013:トランクス
試合まで残り1週間が切の切ったあたりで、体の強度を上げるメニューからジャノ対策の練習メニューの方が多くなってくるのである。
試合映像をアランは確認していて、多々良は映像を流し程度にして見れていない。
「よいか? アイツは技術よりもパワーを重視するタイプじゃ! ガードを固めてカウンターのタイミングを計るんじゃ」
「ペースとしては、かなり早い方ですよね? カウンターを狙うにも……やっぱり間近で見てみないと、何とも言いづらいところがありますね」
「じゃから、まず第1ラウンドは様子を見よ! ワシらの勝負をかけるのは第2ラウンドからじゃ!」
ジャノのスタイルは技術ではなく、パワーを重視してゴリゴリに押してくるタイプである。
そこでアランの提示した作戦は、ガードを固めてカウンターを合わせるというものだ。
向こうのペースとしては、かなり早い方だ。
カウンターを狙うにも、まだタイミングを分かっていない多々良は間近で見てみないと分からないという。
そこで第1ラウンドは様子を見るように言われる。
そして勝負をかけるのは第2ラウンドからだ。
そこを意識しながらミット打ちやシャドー、スパーリングを行なって着々と準備を整える。
体重もフェザー級の計約体重である〈65.8kg〉に向けて落とせている。
これなら問題ないだろう。
あとはパフォーマンスを万全にする為の調整だ。
そんなタイミングで、多々良たちのジムに訪問者がやってくるのである。
その人はパリッとした高そうなスーツに身を包み、全身から強そうだというオーラを出している中年男性だ。
「アランさん、お久しぶりです! まさかまたジムでお会いできるなんて感激ですよ!」
「おぉフェルナンドか! わざわざ来て貰って悪かったのぉ!」
ジムにやって来たのは、フランス国内のプロMMA団体である〈Thor Fighter Championship(トール ファイター チャンピオンシップ)〉の現会長《フェルナンド=チャペス》である。
「この子が例の子ですか?」
「あぁそうじゃ! 名は九頭 多々良という。ワシの最後の弟子にするだけの価値がある選手じゃ!」
「アランさんが、そこまでいうんですから本当に素晴らしい選手なんでしょう。しかしそう簡単にプロ契約を結ぶわけにはいきませんから、キッチリとジャノとの試合を見させて貰いますよ。その結果と内容で、オーディション大会への切符を渡しますから」
「もちろんそれで構わん。ワシが教えているとか、どうかとかは関係なく、小僧はプロとして相応しいかだけを考えて判断してくれれば良い!」
フェルナンドは試合が行なわれる前に、挨拶だけはしておきたいと思ってやって来たのだ。
アランには大きな恩があるらしいが、そんな事は関係なくプロ団体の会長として判断するという。
多々良もアランも、それこそが求めているものだ。
次のジャノとの試合が、多々良という選手がプロのリングに上がれるかだけを判断して欲しいと頼む。
その心意気と覚悟にフェルナンドは微笑んだ。
分かりましたと返事をしてから多々良のところに行って、肩を優しくポンッと叩く。
そして頑張れと応援してくれるのである。
多々良は嬉しくなって「ありがとうございます!」と深々とお辞儀をして感謝する。
パフォーマンスが落ちないように、ペース配分をしながら試合までトレーニングを続ける。
そして前日の計量もクリアし、ようやく待ちに待っていた試合当日がやって来たのである。
「小僧っ試合まで残り1時間半じゃ! 試合時間も合わせて2時間もしないうちに、小僧がプロへの挑戦切符を掴むのか、それとも振り出しなのか決まるぞ」
「そう考えると武者震いして来ますね!」
「しかし忘れるんじゃないぞ。小僧の目標は何じゃ?」
「俺の目標は……遊馬を越える事です!」
「ちゃんと分かっているみたいじゃな! その事を絶対に忘れるんじゃ無いぞ!」
アランは多々良のモチベーションを上げさせる為に、今日の試合は人生を大きく変える事になるという。
自分の人生を大きく変える試合が、今から始まるってなると多々良は武者震いがして来る。
前のめりになっている多々良に目標を思い出させる。
目標がハッキリしているのは、とても大きな事だ。
だからこそ試合前に、目標を多々良にもう1度認識させるように遊馬を倒すと言わせる。
多々良は準備をしてアップを始めるのであるが、まだ試合用のトランクスが届いていない。
普通ならば別のも用意するところだが、多々良は美玲の両親を信用しているので焦らずにアップをする。
ミット打ちからグラップリングの確認など、試合ギリギリまでやれる事を全てやる。
すると控え室の扉が開いて、息切れしている美玲が入って来たのである。
「み 美玲、大丈夫?」
「す すみません、急いで来たもので……こ これを届けに来たんです! 本当に遅れてすみません!」
「これって、もしかして……」
多々良は息切れしている美玲に駆け寄る。
ゼェゼェしているので、話すにも話せない為、少し深呼吸をしてから多々良に袋を渡す。
もちろんその中には美玲の母親・聡美の作った試合用のトランクスである。
どんな物かと思って多々良はワクワクしている。
恐る恐る袋を開けて手に取ってみる。
「おぉ! 凄い良いよ!」
「ほ 本当ですか!? それなら良かったです!」
多々良用のトランクスは、真っ白な生地に甲冑のデザインが水墨画のように描かれている。
そしてもちろんスポンサーとしてエッジの企業名とロゴも描かれているが、バランスの邪魔をしていない。
早速、履きたいと思っているくらいだ。
だが美玲が目をキラキラさせながらガン見しているので、とても履きづらい状況である。
「あ あのぉ〜。そんなに見ていられたら、さすがに履けないんですけど……」
「あっ! ご ごめんなさい!」
さすがに多々良はトランクスを履き替えるまで、部屋の外に出て貰えないかと頼むのである。
もちろん美玲も着替えを見たいわけじゃ無いので、信じられない速度で控え室を出て行った。
その隙に多々良はトランクスに履き替える。
鏡で見てみると「おぉ!」と自分で言うくらい完璧な仕上がりで感動すら覚えるのだ。
アランの方を見ると、アランも親指を立ててグッジョブポーズをするのである。
美玲にも見せようと、扉の外で待っている美玲に声をかけて控え室に入って貰う。
トランクス姿を見せる。
すると美玲はパチパチパチッと凄い拍手をする。
「とても似合っています! 日本をイメージしたデザインに、多々良さんのカッコ良さが合わさって素晴らしい感じになってます!」
「そこまで褒められると照れちゃうなぁ……さすがは美玲のお母さんだ! こんなに素晴らしい物を提供して貰えるなんて信じられない。美玲のご両親にも、お礼をするつもりで頑張るよ!」
「はい! 母と父も観客席で見ているので、全員で多々良さんを応援しますね!」
多々良のトランクス姿を褒めまくる。
あまりにも美玲に褒められた多々良は、こんな素晴らしい仕事をしてくれた両親の為にも、全力で試合に臨んで勝ってみせると宣言するのである。