プロローグ
今か今かと待ち侘びる観客の声が、控え室で精神統一している多々良のところまで響く。
タオルを頭から被って、ひたすらブツブツと自分を鼓舞する言葉を吐き続けている。
しかし早く戦いたくて笑みが溢れる。
オモチャを与えられた子供のように、それはそれは無邪気に笑っているのである。
「多々良っ! 覚悟はできておるな? リングに上がれば逃げ場は無いぞ!」
「そんなに大きな声出したら、またお医者さんから注意されますよ? 俺の事は心配いらないっすよ」
「何言っておるんじゃ! ワシの方こそ大丈夫じゃ。唯一の不安があるとするならば、お主が興奮しすぎて足元を掬われないかだけじゃ!」
集中している多々良に、ヨボヨボのヨーロッパの老人が声をかけるのである。
多々良は下を向きながら楽しそうに冗談を言う。
まさしく家族にジョークをぶつける海外の人のようであり、それだけリスペクトを感じる。
タオルを頭から取った多々良は、立ち上がって老人の肩をポンッと叩くとシャドーを始めた。
俺は準備万端だと言わんばかりのシャドーだ。
「心配は無いよじゃな」
「あぁ心配無用だよ。今日も今日とてやる事は変わらないよ……俺はヒールで良いんだ。最高に嫌われて、最高の頂に登ってやろうよ」
「ふっ! そんなセリフは勝ってから言うんじゃな。ほれ、観客が待っておるから行くぞ!」
「あぁ! 最高の舞台に行こうぜ」
多々良は後ろに老人、そしてジムの仲間たちを引き連れて最高の舞台であるオクタゴンに向かう。
これはアンチヒーローがヒールとして、英雄に成り上がる話である。