ココロサクミライコイユメ
「しまった」
と、僕は図書館の入り口の前で足を止めた。
別に図書館のドアが閉まったというわけでもなく、あわよくば開いたというわけでもなく。
図書カードを忘れたとか何をしに来たかを忘れた、とかそういうのではなく。
今日は図書館の休館日だったことを忘れていた。
「…………」
学校からの帰り道、携帯のメールで妹からの用事を頼まれて図書館に赴いたものの、今日月曜じゃん。
自称文学少女とか言ってんなら図書館の日程くらい覚えとけ。少なくとも俺は知らねぇよ。
妹は頭が良いくせに日常的常識が欠けている。
……とりあえず家に帰ろう。
そう、ため息混じりに後ろを向いたときだった。
「はろはろぅ。井宇屋君」
今しがた、自転車から降りたという感じの、ショートパンツにニーソックス、上は七分袖のTシャツといった簡単な服装をした笑顔の輝かしい少女がいた。ボブな黒髪がさらに眩しい。
「井宇屋君だよね? うん。そんなところで何してるの? もしかして井宇屋君、家の鍵でも忘れたの? わぉ。大変だね、井宇屋君」
と、井宇屋という呼びにくい名前を連呼する僕のクラスメイトである少女・藍上愛、4月2日生まれ。
幼稚園の頃から出席番号が変わらないのが自慢らしい。
地味な自慢だ。
というか家の鍵忘れたとか。この場合、鍵じゃなくて遠隔操作じゃないか?
確かに先程の僕は鍵を忘れたそんな感じに見えたがよ。
それよか図書館が家とかすげぇよ。本物の文学少女なんか感動するよ。
「なわけないだろ。ところで藍上、こんな所でこんな時間に何してんだ? つかなんで私服だし」
「あのね、絵の教室の帰り。井宇屋君家ってこの辺なの?」
「まぁ、東上方の方。つーかあの辺、すげぇ近く」
「よしじゃあ一緒に途中まで行こっか。私はそれより向こうの所だから。帰ろうとしてたんだよねっ?」
「…………」
最初はただ単に、高校3年のクラス替えで出席順で隣同士だったということだった。
かなり人懐っこい少女で、それでいてクラスの学級委員。
受験生なのに絵の教室とか。まぁまだ半年以上先だけど。
特に仲が良いわけでもないが同じクラスの女子が気にならないというわけでもないので、
「じゃ、途中まで」
僕は藍上と帰ることにした。
「ところで井宇屋君は『囚人のジレンマ』って知ってる?」
自転車を押しながら藍川は聞いてきた。
いきなり。
「知らないわけでもないけど……」
そんな大学生レベルのこと聞かれてもね。
お前は心理学者か。
「何?」
「2人の共犯者。だが別々の部屋に捕まる。そこで警察さんは言うわけだよ……。2人とも黙秘にしたらお互い懲役2年。片方自白、片方黙秘の場合は、前者は1年、後者は15年の懲役。2人とも自白したら懲役10年。2人で強調か、裏切るか……友情ともいえないロマンだね」
なにがだよ。
絡みづらいわ。
てかこの時点で意味不。
「井宇屋君がもしも片方だったらどうする?」
「知らん」
超即答。
「というか俺は正しいことしかしない」
「…………」
「いやそんな驚かなくても」
「わぉー」
藍上は僕を尊敬する行動に出たようだ。
「ところでじゃあ井宇屋君は、自転車乗れる?」
何がところでじゃあだよ。またいきなりかよ。つかなめんなよ。
「無論だ」
「わぉ! じゃあ泳げる?」
「勿論」
「どこかで習ったりした?」
「忘れた」
「そっかぁ……普通だね」
「何を?!」
「じゃ、じゃぁ井宇屋君は神様いると思うかな?」
「わからん」
「わぉー……私はいると思うけどな」
「Why do?」
「生きてるから」
……。
?
……。
?
いきなり何を言うかと思ったし。
「どゆこと?」
「ほら、科学の錬成で人間なんて作れないでしょ?」
藍上は顔をのぞき込むようにして言った。
「あぁ」
そういう。
「ほら、それに人間は死ぬと軽くなるし」
「え? 重くなるんじゃねーの?」
「わぉ、それがびっくり。確かに、意識を失った井宇屋君は重くなるけど、死んだ井宇屋君は軽くなるの」
「お前は僕に何をした!?」
「生まれてきたときはあんなに軽かったのにね。やっぱ人間が作ったものを飲食しているから、重くなるんだね。死んだ後は、その分の水分とか色々抜けてくからさぁ……」
「む。なんか理数系チックだな」
「そうかな? で、だから……それだからかな? 魂って7グラムくらいらしいし」
…………。
……面白いこというじゃねーの。
「とにかく、神様がいなかったら私達は存在していません!」
「…………」
最終的にまとまってねーけどな。
「あ。井宇屋君、質量保存の法則って知ってる? あと地球温暖化」
「僕は高校生だ」
「一応答えにはなってるよね……井宇屋君、地球温暖化はただ単に暖かくなるだけじゃんねー」
「それがどうした」
「元々さ、地球にある酸素が二酸化炭素に変わっているだけだから、わぉ、地球の重さは変わらないわけさ、質量保存の法則だから。地球の寿命を減らしているのは、人間が科学的に作ったものを燃やしているからなんだよー。だから、化学製品を一切合切消滅させればいいと言う恐ろしい理論になるわけで」
「一応納得」
「四字熟語みたいだね」
「好きな四字熟語は?」
「杏仁豆腐」
……なんだこいつ、かわいい。
「井宇屋君は?」
「馬鹿野郎」
「うっそっだぁー」
藍上は楽しそうに、けらけら笑う。
「井宇屋君の好みのタイプって、どんなの?」
「可愛くて頭が良い子」
「わぉ、奇遇だね。私も頭いい人好きなんだ」
意外なめぐり合いしちゃった。
「井宇屋君……んー、井宇屋君って、呼びにくいねー。もう歴史的かなづかいの長音として『いう』から『ゆー』で、ゆーや君で良いかな?」
なんていうかこいつ。
「おーい。ゆーや君?」
……面白れぇ奴だな。
「あ、何? ゆー……井宇屋君家この辺り?」
僕はすでに歩くのをやめていた。
そうか、藍上ってすっげぇ面白い奴だったんだな。
頭良いとかそういうんじゃなくて、一緒にいて面白い。
なーんで今まで気が付かなかったんだろうな。
ということで、僕は1つの結論に達する。
「そうだけど……藍上、家まで送ってやろうか?」
「…………なんでなんで?!」
え、何、その一瞬の沈黙。
「あ! もしかして私に惚れてしまったの?!」
「近い」
「わぉー」
「このごろは危ないご時世だしな。まあ、なんていうか」
僕は背伸びをしたあと藍上に言う。
「お前ともっと喋りたくてな」
「…………」
「いや、だからそんなに驚かなくても」
「うー」
藍上は考えていた。何故だろう。
「うん! 井宇屋君はツッコミが激しくも弱くも、優しいからね!」
何が起きたし。
「これで私の家を知ることが出来るというミッションはクリアするという訳か」
「っぐ」
……読まれたか。
「よしじゃぁ行こうサクサク行こう。わぉ、かなり楽しくなってきたっ」
「おぅよ」
少し歩いたところで、
「あれ? 井宇屋君、あそこにツインテールの可愛い女の子が見えるよ」
「あぁ妹だ」
「こっち来るね。あ、転けた」
妹。ツインテール。ドジっ娘。
「凄い要素だろ」
「…………」
「いや、だから……」
「わぉ」
藍上はまた、けらけら笑う。
ぬー。
「藍上」
「何だい?」
「明日放課後暇?」
これはただ、突然の思い掛けで。
これはただ、悄然な思いを晴らすだけのことで。
これはただ、運命でも神様のものでもない悪戯なわけで。
これはただ、物語を進めるためのものであって。
これはただ、同輩との付き合いであって。
これはただ……僕の初の試みなわけで。
「何もないよ」
「じゃあ藍上、明日、一緒に図書館にでも行かないか?」
これはただ、妹からの言付けを完璧に承ろうとしているだけで。
これはただ、それだけのことで。
これはただ、それだけの、とある学校帰りの話であるわけである。
言い訳しすぎだよ主人公(笑)