見えない影
思い出してしまったから。家族をひとり、失ったこと。
きっかけは、些細なこと。
死んでなお生きている異常事態。何度も見てきた死の光景。それだけ既視感が強かった。
一つわかれば、また一つ。欠けたピースが戻るように。芋のつるでも手繰るように。連鎖的に、思い出していく。何度も、何度も、目の前で。
忘れたままでいたかった。幸せな時間に浸りたかった。
——いつから、こんな幻想に浸っていたのか。
現実を、苦痛を忘れた日常。夢のような時間だった。ずっと続いてほしいと願ってた。
けれど、ここは現実じゃない。何もかもがまがい物。痛いほどに理解してしまった。
ここは、夢の中なのかな。多分、そういう事、なんだろうね。
繰り返す、なんて、現実ではありえないから。
少女の言葉が頭の中で、反響している。——なにがしたいの?
……その答えが、見つからないから。
母親を死なせた。何度も死なせた。繰り返すたびに絶望を忘れ、平穏に浸って————そして、喪う。なのに私はすべてを忘れて、また平穏に浸る。
滑稽だよね。薄々事実に気付いてたのに。必死に可能性から目をそらして、ままごとを続けた。明確にすべてを思い出した今でさえ、あの化物に復讐しようと思えないんだから。
勝てる気がしないから。私じゃ化け物に勝てないから。私は家族を守れなかったから——
言い訳ばかり。
勝てないなら、罠を張り巡らせて、貶めて、虐げればいい。
それさえだめなら、一矢報いて後悔させて。
やるべきことは頭に浮かぶ。……けれど。
何をする気も起きなくて。
自嘲にうつむいていれば、声が聞こえた。
「気に入らない」
そうかもしれないね。
「ムカつく。ほんっとうにムカつく」
そっか。なら、私はどうすればいいのかな。
もう何をする気力もわかないんだ。いっそこのまま死ねたら楽だろうに。このまま諦めてしまいたい。そんな私何を期待してるのか。
「これでも——」
「……」
「これでも、同じ時間を繰り返すの?」
言葉と同時に、映像が見えた。それは、今までの自分の軌跡。
平穏に過ごす私の映像。少し違うのは、私の目線じゃないこと。
きっと、それはこの少女の。
遅れて、その意図に気がついた。あぁ、忘れたままだと思ってるんだ。だから、思い出させようとしている。……知ってるんだよ。この先何が起きるのか、もう理解してる。
あの生活の中で感じていた違和感は、三人称視点だと目立つなぁ、なんて。どうでもいいことを考えながら。
少しずつ時間が進んでいく。やがて、三人で森へ進んで。
こうすればよかった。ああすればよかった。後悔ばかり浮かぶ。
……けれどそれだけ。自分の愚かさを再確認しているだけ。
私はどうすればいいのかな。結局、何をする気も起きないままで。
ほら、終わりが始まる。
霧が解けるように化け物が姿を現す。
映像だというのに鳥肌が立った。空気が若干冷えるような。ほんの少し、体が震えて。
こんな化物に、挑めるわけがないじゃない。
面白くもない映画でも見るように眺めていれば。ふと、違和感。
化物共の体に、影がかかっているような。そんな形で太陽を遮るものなどないというのに。
目を凝らせば、それは蠢いていた。化け物の意志に従うように、ゆらゆらと。
あれは、何?
分からないまま見続けていれば、その何かが謎な軌跡を描いてあたり一面を薙ぎ払って——そして。
動けない母の首に吸い込まれ——力なく崩れていく。
——何それ。
私にあれは見えていなかった。あれが化物の武器だというなら。
目の前で、私は力なく崩れ落ちる。すべてを諦めたように目を閉じて——
勝てるだろうか——なんて。考えるまでもない。
だから、私もまた諦めたように目を閉ざした。
見えない攻撃を行う相手。予備動作も分からない。気づけば殺される未来しか思い描けない。やっぱり、何をする気も起きないまま。
二人を守る。それが私の役目だったはずなのに。
けれど、ああ。あの二人は、本物じゃない。なら、別に頑張らなくていいのでは、なんて。
言い訳ばかり、頭に浮かぶ。
声が、聞こえた。蔑むような、声。
「……なにも、考えていないんだね」
怒りを抑えるようなその声に、私は。
そうだね、と。考えなくていいのなら、何も考えずにいたかったから。
世界が、浸食されていく。白かった世界は、端から徐々に黒ずんで、ぼろぼろと砕けるように消えていく。まるで、この世の終わりのように。
荒れに巻き込まれれば、終わることができるんだろうか、なんて。
そんな光景を眺めながら、私は少女に問いかけた。
「ねぇ、私はどうすればいいの?」
このままじゃいけない。なんとなく、そう思った。けれど、何ができるとも思えなくて。
だから、答えを知りたかった。
戦うべきだって、そう言ってほしかったのかもしれない。或いは、諦めろ。そう言われたかったのかな。
なんでもいい。指標が欲しいだけ。なのに、少女は何も答えてくれない。
ちらり。一瞥してきたその目には、もう期待しないと告げるように、諦めが宿っていて。
気付けば少女は消えていた。教えてよ。ねぇ、私は何を願えばいいの?
崩壊する光景を呆然と眺めるだけの私を残して。
やがて、私も闇に飲み込まれて——
——跳ね起きた。
覚えてる。今までと違って、覚えてる。全部、覚えてる。
いつものように顔を洗って、体を動かして。そして。
幸せな光景を眺めながら思う。この光景こそが現実なら、どれほどいいだろう。
あの出来事こそが夢。そう思ってしまいたい。
何も考えず、この幻想に浸っていたい。もう一度忘れてしまいたい。いっそ消えてなくなりたい。死んでしまいたい。あのまま終わってくれればよかった。生きる意味が分からない。
今もそう。楽しいはずのみんなと食事。心から望んでいたはずなのに。幸せなはずなのに。
胸が痛い。じくじくと、傷口が膿むように。そこに楽しさなんて微塵もなくて
思えば、繰り返す時間の中で、この時を無邪気に楽しめた記憶がない。ずっと、何か違和感を覚えながら、そこから見て見ぬ振りしながら。心から楽しんでいなかった。
その理由も、今ならわかる。
思い通りにしか動かない人形。願えば動き、そこに想定外の何かはない。二人の様子は、それなんだ。見たことのある行動しかとらない。だから、すべてが予想できてしまう。
そこが、違和感だったんだろうなぁ。
——一週間後。化け物が現れる。
いつ現れるのか。どこに現れるのか。いつも決まって、弱った時か油断した時。弱みを見せたら現れる。
ずっとは警戒し続けられない。それでも、現れる時のぞわっとした心地は覚えてる。
毛が逆立つような、体が心から震えるような。気温が数度下がるような。そんな気配。
けれど。出現がわかったところで意味はない。
予備動作なく見えない攻撃。勝てるわけないじゃない。
どうせ無理だ。私じゃ守れるはずがない。
彼らは偽物。死んでも別に構わないじゃないか、なんて。
思いつくのは言い訳ばかり。
このままだと、いつもと変わらない結果に終わる。
喪って、繰り返して。何もできず。何もせず。また目の前で死んでいく。それは嫌。見たくない。けれど、何をする気も起きないままで。
少女の言葉が反響している。——私は何がしたいのかな。