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過去の欠片

 食事は進み、ある程度腹も膨らんだ頃。

「今日の予定、外でいいかな?」

 その一言で、楽しい余韻は消え去った。

 兄の言葉は「森の奥へ進む」という、よくある予定の一つに過ぎない。そのはずなのに、一瞬何を言われたのか理解できなかった。意思が理解を拒むように。それでも普段を装えたのは、昨日の言葉を思い出したから。

「……ああ。そういえば、食料、少なくなってきてるんだっけ」

 ぽつり。漏れでた言葉に、母は苦笑するけれど。

「まぁ、まだ保存食もあるし、切羽詰まってるって程ではないけどね」

 行きたくない。そんな気持ちが二人に伝わってしまったのかもしれない。

「だから、今日。行ける時に行こう」

 そう返す兄からさえ、「仕方ないなぁ、この子は」と言いたげな、優しい空気を感じる。

 微笑ましい物でも見るような二つの視線に身を縮めながら——心の中で、行かなくていい理由を探していた。

 森に囲まれたこの屋敷では、それ以外で糧を得られない。頭では理解してる。けれど、今日じゃなくていいじゃない。そう思ってしまう。

「ねぇ、兄さん」

「んぁ?」

「目的は?」

「小動物の捕獲、罠の確認、合間に山菜や木の実なんかの採取」

 兄は気負いなく答えてくれる。いつも通りの行動だからか。何処か不思議そうにしているのも……

 小動物の捕獲なら、罠猟。いくつか罠を仕掛け、一度帰る。

 昼頃、その罠の状態確認。かかっている可能性は低いものの、念のため。かかっていればとどめを刺す。そうでなければ様子見。かかった後逃げられた痕跡があるならば回収。

 ——ただそれだけの作業。

 小動物がいる場所なら、危険な獣はいない。化物の類も出ない。罠猟であるなら深追いも、深入りもしない。命の危険がないとは言わないけれど、九部九厘何事もなく終わるはず。

 なら。なぜ、嫌な予感が消えてくれないのか。

 今日は行かなくていいんじゃない? 寸前まで出かかった言葉を飲み込んだ。言えば取りやめてくれるだろう。けれど、この感覚は、いつになれば消える? 明日? 明後日? ……ああ。消えるかもしれない。本当に?

 わからない。対して、食料のカウントダウンは進み続ける。

 今日はまだ大丈夫だろう。明日でも問題ないかもしれない。いつか食料は尽きる。もっと危険な狩りへ出なければならなくなる。

 想像の飛躍かもしれない。それでも、ないとは言えない未来の姿。

 そうなる前の今、行動すべき。

 わかっている。だから、反論できない。行かない理由も見つからない。

 頷くしかなかった。不安な心に、そっと蓋をして。

「わかった」

 失敗は許されない。生きてここに戻らなきゃいけない。

 そのために私ができること。それは、きっと、落ち着くことだ。

 不安を消して、落ち着いて。荷物の用意の合間にでも——と。

「じゃ、行こうか。……実はもう準備は終わってるんだ。だから、後は行くだけ。どうする?」

 母の言葉が、猶予を潰す。

「ちょっとだけ、準備させて」

 全ては最初から全て決まっていた。そんな気がして。少し、苛立つ。

「早くしてね」

「わかってる」

 ◇

 部屋に戻った。カーテンを閉め、部屋の中を闇に染める。それでもわずかな光は漏れ出すらしい。大丈夫。十分暗い。過去に浸れるくらいには。

 誰もいない、何もない。目的も、願いも、意味もない。輪郭だけが浮かぶ暗がりの中。そこが、唯一の居場所だったあの頃。そこに『希望』は存在しない。

 命じられれば、誰であっても殺す。たとえ、昨日隣にいた存在であっても。どれほど親しい相手であっても。そこに感情など必要なく、示された対象を排除するための道具——

 自分を、そう定義していた日々。希望(のぞみ)は誰よりも強かった。同時に誰よりも愚かだった。

 あの時の感情が、鮮烈に蘇る。そして、その感情に引きずられる。今の自分が塗りつぶされていくように、希薄に染まっていく。そのままいつか、目標に向かって動くだけの人形に戻ってしまうような気がして。

 ……だから、怖い。

 幸せだと感じる今が消えてしまうことが。今ある自分が消えてしまうことが。あの日の自分に染まってしまうんじゃないか。また大切な人を失ってしまうんじゃないか——

 恐怖は常に付きまとう。夜、明りを消して眠ることができないほどに。朝、明かりがないだけで動揺するほどに。

 ……だというのに、今。

 薄明りの中、何も入っていない戸棚を押しのければ、押し入れが現れる。それを開いた。小さくため息を吐きながら。

「いつになったら」

 今感じているのは、嫌悪と恐怖。

 もしも目の前に鏡があったなら、表情の抜け落ちた自分がいるだろう。今こうしているだけで、自分がむしばまれていくような。

 目の前に現れたそれは——過去の象徴。

 視界に入れたくない。けれど、捨てることもできない。だから、こんな場所に隠してる。

 それは「刀」。道具だった自分が振るっていた獲物。

 私は何がしたいのか。

 過去を嫌っているはずなのに、気付けばいつもここにいる。

 戦いへ挑む時。嫌な予感がする時。そして、感情が煩わしい時。気づけばこうして眺めてる。過去の私も、今の私も、どちらも自分。忘れた技術を思い出せることはない。体力が戻ることもない。あの日の強さを取り戻せるわけでもない。

 ただ、恐怖は麻痺させられる。嫌な感情も、消えていく。

 楽しいうれしい面白い——そういう感情を代償として。

 ——それは、麻薬。高揚も快楽もない。恐怖と感情をかき消すだけの、無味乾燥とした。

 こんな事続けても、強くなれるわけじゃない。

 恐怖を失える。それだけのために、過去に縋る。今、こうしているように。

 ゆっくりと手を伸ばし、刀を握る。

 瞬間、鳥肌が立つ。

 その感情を飲み込んで、消化して。目を閉じた。余計なことを考えないために。

 あの日を思い出す。より無機質に。より無謀に。恐怖を忘れ、必要なことだけに集中する。

 自分が自分でなくなる、その感覚に吐き気すら覚える。それでも意識を張り詰めていく。限界まで。

 危険な状態であると理解しながらも、なお。ほんの些細な変化にも、反応できるように。

 ——今度こそ。


希望(のぞみ)、そろそろ行こう」

 母が希望(のぞみ)を呼びに来た。そんなに時間が経っただろうか。時間の感覚が曖昧で。まだ足りない。もう少しだけ時間が欲しい。その想いに、そっと蓋をした。

「うん。今行く」

 もう少しだけ。そう思い続けて、結局一日中動かなかったこともあったっけ。

 ……それは、いつのことだっただろう。

 あの時、何を思っていただろう。なぜ動けなかったんだっけ。

 大切なことだったような気がする。忘れてはならないことだと思う。なのに、思い出せない。取掛りさえ見つからない。

 もどかしくて。気持ち悪くて。けれど——まぁ、いいか、と。

 忘れるということは、その程度の記憶だったのだろうから。

 刀を腰に差し、母の後に続いて歩く。

 ——今度こそ。

 無意識の中で誓いながら。


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