星斗1:喰うモノ
頭を挙げれば真っ暗闇が広がっている。
今夜は新月で僅かな星明かりだけが地上の木々を照らしている。
「怖いよぉ」
山奥にある森林の地表に星明かりは届かず、見上げたときにだけ木漏れ日よりも遥かに小さく脆い光の欠片が落ちてくるだけだ。
だから大人でさえ近づかない夜の森林に齢5つにも満たない子供が彷徨っているのは人間で言えば異常事態なのだ。
獣の多くは夜に活動を活性化させるものが多く、狩猟を得意とする一族は簡単に捕えられる獲物を見つければ瞬く間に柔い喉笛を噛みちぎり自分たちの巣へと運んでいくだろう。
この子供は運が良いのだ。
かれこれ2,3時間は彷徨っているというのに襲撃者どころか無害な獣の一つとさえ鉢合わせていないのだから。
無音の暗闇というのはそれだけで恐ろしく慣れていない者には身体を萎縮させ決断を鈍らせる。
子供が進んでいけるのはこの先に親が居るかもなどという希望を目指しているからではない。
ただ進まなければならないという染み付いた強迫観念が幼い子供の心を恐怖に打ち勝たせ、暗闇の間を通り前へ前へと押し進ませている。
「はぁ、はぁ。なんだろ」
子供の耳は森林の風切り音ではない何かを聞き取り、子供の心はそれが希望になるとすがって歩を早めながら音の聞こえた方へと進んでいく。
だけど進む先にある木は背の低いものが多く子供の背丈でも邪魔になってしまう。
頑張れば通れるかと思い木の枝葉に触れてみるが子供の柔肌にとって傷付けかねない痛みを感じさっと手を引っ込めた。
仕方がないから低木の群生地を直進するのを諦め回り道をして進むことにした。
トゲの低木は大きく群生しているわけではなく所々に穴があり、その一つを子供が見つけて低木たちの群れを抜けた。
「?」
低木を抜けてもう少しだけ歩けば草木の生えていない森の広場に出た。
このような場所が出来上がるのは地中に住む生物たちが巣をつくり、元々生えていたか新たに生えてきた植物の根を噛みちぎることで植物が枯れて森の真ん中にポッカリと穴が空くのだ。
地中の生物以外にも人間が投棄した毒物が周囲に悪影響を与えて出来上がるものや地熱によって植物が枯れギャップが起きずにそのまま空いたものがある。
だけどこの場所はそのどれでもない。この星の中で一度だって有りはしなかった生物によってつくられた森の広場だ。
「気持ち悪い」
広場に生えていた植物は黒く変色し子供の服が揺れて当たっただけでも崩れ落ちてしまうほど脆い。
中央にはブヨブヨと肥えて脈動する肉塊が絶えず蠢いていて、赤黒い表皮は時折肉の反対側の景色が映るほど透明へと色が抜ける。
足音かそれとも匂いか、はたまた別の何かを感知したのか子供が近づいたのを感じ取りその場で振動を続けるだけだった肉塊は子供の方に肥えた身体を引きずり回転しながら向かってきた。
未知の生物を前にして進めるほどの強さは子供にはなく、その場で尻餅をつき一歩たりとも動かせなくなってしまった。
その間にも肉塊は子供目掛けて身体を引きずり進んでいる。
通った後には肉塊から出た酸で溶けた地面と千切られて塊から離れた肉の小粒が残されていて、小粒は千切られてもまた一つになろうと進み続ける肉塊へ戻ろうとするが小さいほど速度は遅くなり距離は離されるばかりだ。
「あっ、あぁ」
遂に子供の眼の前まで辿り着いた肉塊は嬉しそうに―精神体系が異なるから正確に嬉しいと感じているかは分からない―こちらから感じれば嬉しそうに身体を揺らした。
子供は正体の分からない化け物が座り込んだ膝下まで近づいても動かずにいた。
肉塊が動いたのはそこまでだ。
後は全て子供がした行動だ。
クチュッ・・・クチュッ・・・クチュッ・・・クチュ・・
クチュ・・・クチュ・・・クチュ・・・クチュ・・・クチュ・・・
クチュ・・クチュ・・クチュ・・クチュ・・クチュ・・クチュ・・クチュ・・クチュ・・
クチュ・クチュ・クチュ・クチュ・クチュ・クチュ・クチュ・クチュ・クチュ・クチュ・クチュ・クチュ
クチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュクチュ
子供は喰べている。
一心不乱に喰べている。
子供の心に迷いはなかった。
肉塊はそれでも嬉しそうだった。
子供の手と口は肉塊が出す酸によって溶け始めた。
肉塊は子供の手によって千切られ集まった小粒も喰べられた。
喉の奥が焼け消化器官には穴が空いた。
全身に激痛が走ったが構わず喰べ続けた。
喰べやすいよう自分を一口大に切った。
生命維持が困難になるが構わず切り分け続けた。
これは一種の契約で、存在を融解するための儀式だ。
どちらもこのことを露も知らないが、これで良いと感じていた。
もう殆ど残っていない肉の最後の一欠片は肘より下の腕で掴み取り外れた顎を退かして喉へと詰め込み喰べた。
肉の味は上手いとも不味いとも言えないが、少なくとも今まで食べたこともない珍味だった。
食べ終われば少女は横になり小さく寝息を立て始めた。
少女の体は熱くなり、灼熱に身を焼かれる想いで夢の中を彷徨う。
しばらく続きは出ないかも