さよならのオルゴール
これはエリオット王国の南西部にある街、スーザに住む少年の物語である。
少年の名はルーク・パウエル、十四歳。街にある鍛冶屋で働いていて、どこにでもいるような茶髪に茶色い瞳をした少年だった。
ルークは今日もいつも通りの日常を送っていた。
室内には鉄を叩く音が響いている。
熱気あふれる工房で、ルークは剣を磨いていた。
そこへドアを叩く音がして、場にそぐわぬ可愛らしい少女が顔を覗かせた。
「こんにちは」
少女の名はリリアン・リチャード。この街の領主の娘だ。
二十代くらいのすらっとした金髪の女性が一緒だった。
この女性の名はケイティ・リックマン。リリアンの護衛を任されている女性だった。
鉄を叩いていた親方のジャック・コリンズは袖で汗を拭いた。
鍛え上げられた大きな体に、顔には黒々とした髭を蓄えている。
「リリアンお嬢さん。もうそんな時間か。ルーク、上がっていいぞ」
ルークはジャックを見た。
「はい、親方。リリアン、これだけやっちゃうから、少し待っていて」
リリアンは頷いて言った。
「分かったわ、ルーク。表で待っているね」
リリアンは外に出て、扉を閉めた。
ルークは急いで剣を磨き終え、身支度をして、ジャックと兄弟子のフランクに挨拶をした。
「それじゃあ、俺は上がります。お疲れ様でした」
細身で細い目をしたフランクは、剣を磨いていた手を止めて、手を上げる。
「お疲れ、ルーク。また明日」
ジャックも鉄を打つ手を止めずにちらりとルークを見た。
「早く行け。リリアンお嬢さんを待たせるんじゃない」
「はい、親方。また明日!」
ルークは元気よく工房を出て行った。
表で待つリリアンに声を掛ける。
「お待たせ、リリアン」
「いいのよ。お仕事だもの。行きましょう。ルーク」
ルークとリリアンは連れ立って歩き出した。
その少し後ろをケイティがついてくる。
二人は仕事終わりに墓地へ行くのが日課になっていた。
丘の上にある墓地にはルークの両親が眠る墓がある。
ルークたちが墓地に着いた頃には日が暮れはじめ、陽は赤く染まっていた。
ルークたちは墓の前で膝をつき祈った。
リリアンが顔を上げて言う。
「ルークのご両親が亡くなって、もう二年が経つのね」
ルークは頷いた。
「親方が鍛冶見習いとして拾ってくれた。感謝しかないよ」
「そうね。この街には孤児院はないから、私たち離れ離れになっていたかも」
「そうだな。そうなっていたら、リリアンと会えなくなっていたかもしれないな」
「そんなの嫌よ。ルークと会えなくなるなんて寂しい」
リリアンはルークの腕を掴んで言った。
ルークはそんなリリアンの栗色の髪を撫でる。
「あんまりくっつくなよ。俺、汗かいていて臭いから」
「平気よ。いつものことじゃない」
ルークとリリアンは顔を見合わせて笑った。
ルークたちが墓地から街へ戻った頃には、日が暮れて暗くなっていた。
街を歩いていると、道の反対側から声が掛けられた。
「ルーク! 俺たちこれから食堂に行くけど、ルークも来るか?」
ルークと同い年くらいの少年二人が手を振っている。
「俺はやめとく。しばらく金ないんだ」
「そっか。またな」
ルークは少年たちに手を振った。
リリアンがくいくいっとルークの袖を引く。
「お金ないの?」
「あー。生活に困るほどじゃないから平気」
来月にはリリアンの誕生日がある。
前にリリアンがショーウィンドウに飾ってあったオルゴールが可愛いと言っていた。
ルークは店主に頼み込み、分割でそれを買ったため、お金がないのだ。
それをリリアンに言うこともできず、ルークは頭に手をやって笑って誤魔化した。
ルークの家の前についた。
リリアンはルークに手を振って、ケイティと共に領主邸に戻って行った。
ルークはそれを見送り、暗い室内に入っていく。
ランタンに火を灯し、明かりを取る。
ここは両親と暮らしていた家で、ジャックが一緒に住むことも提案してくれたが、離れがたくてひとり暮らしをしていた。
ルークは食事をとって、体を水で濡らしたタオルで拭いてからベッドに横になった。
今日も一日、いつも通りだった。
翌日、ルークはいつも通り工房に向かって歩いていた。
街の大通りを歩いていると、正面から豪奢な馬車が走ってきた。
――この辺では見ない立派な馬車だったな。
それを見送りながらルークは思った。
工房に着く頃には、ルークは馬車のことをもう気にも留めていなかった。
今日もルークは文字通り汗水たらして働いた。
自分が磨いた剣を翳して、磨き残しがないか確認している。
ジャックは椅子に座って、汗を袖で拭いた。
「なんとか納品は間に合いそうだ」
その言葉を聞いて、フランクが細い目に笑みを浮かべた。
「よかった。今回は大口でしたね」
「ウィルソンの武器商からの依頼だったからな。こんなところまで依頼が来るって、戦争でもおっぱじめようとかじゃないといいが……」
ウィルソンはエリオット王国の首都であり、辺境のスーザからだと馬車で十日はかかる距離だ。そんな遠方からの依頼はなかなかない。
ジャックは窓の外を見る。
「そろそろルークは上がれ」
「え? もうそんな時間? リリアン、遅いなぁ」
ルークも窓の外を見ると、日が傾きはじめていた。
ジャックは言う。
「リリアンお嬢さんも忙しくて来られない日くらいあるだろう」
「それなら前日に言うか、誰かよこしてくれるんだけど……」
ルークは身支度をして、工房を出た。
ルークはリリアンが来ないことが気になって、いつもの墓地へ行く道ではなく、領主邸に向かって歩き出した。
領主邸に向かう途中でリリアンと会うこともなく、領主邸に到着してしまった。
ドアをノックすると、侍女がドアを開けてくれた。
侍女はルークを見て、少し困ったような顔をしている。
「ルーク……」
「リリアン様がいらっしゃらないので様子を伺いに来ました」
侍女は一呼吸おいてから言った。
「ルーク、落ち着いて聞いてちょうだい。リリアンお嬢様は亡くなられたの……」
ルークは侍女が何を言ったのか理解できなかった。
――亡くなっただって?
昨日のリリアンはいつも通り元気で、変わった様子はなかった。
ルークは信じられなくて、歪んだ笑みを浮かべる。
「え? どういうこと……。だって、昨日も会ったけど……」
「誰か来ているのか?」
侍女の後ろから男性の声がした。
侍女が振り返ると、ドアの先にある階段から男性がひとり下りてくる。
領主のジョン・リチャード、リリアンの父親だ。
ルークはお辞儀をした。
「こんばんは、領主様」
ジョンはルークを見て、悲しげな表情をした。
「ルークか。リリアンに会いに来たのか?」
「はい。いつもの時間にいらっしゃらないので……。リリアンが亡くなったなんて嘘ですよね? 領主様」
ジョンは首を横に振る。
「もうこの世にリリアン・リチャードはいない」
ルークは大きく息を吸い込んで俯いた。崩れ落ちそうになる膝が震える。
リチャードはルークの手を取り、そこに銀貨二枚を乗せた。
「今までリリアンと仲良くしてくれてありがとう。もうリリアンのことは忘れなさい。君のためだよ」
ルークは手の中にある銀貨を地面に叩きつけたかったが、それはしなかった。
頭を下げて領主邸を後にした。
ルークは呆然としながら歩いていたら墓地へと来ていた。
墓地は暗く、もう人はいないはずだった。
しかし、ルークの両親の墓の前に誰かいた。
――リリアン⁉
ルークが駆け寄ると、少女は振り返った。
少女はリリアンの侍女でルークとも仲のいいサラ・ベイカーだった。
墓の前にしゃがみ込んでいたサラは、涙を流しているようだ。
「サラ?」
「ルーク!」
サラはルークの胸に飛び込む。
ルークは戸惑いながらもサラの肩に手を置いた。
「サラ、どうしてここに? リリアンが死んだのに……」
ルークも耐えられなくなって涙が溢れた。
サラは首を横に振る。
「リリアンお嬢様は死んでなんかいない!」
「俺だって信じられないけど……。領主様が……」
サラは涙を湛えた顔を上げた。
「違うの。リリアンお嬢様はウィルソンに行ったの」
「え……? どういうこと?」
ルークはサラの両肩に手を置いて説明を求めた。
サラはゆっくりと語り出す。
「これは絶対に言ってはいけないと言われていることだから、わたしから聞いたのは伏せてほしい」
ルークは頷く。
それを見て、サラはまた口を開いた。
「リリアンお嬢様は王女様だったの。陛下のご落胤。それで、今朝王家からお迎えが来て、リリアンお嬢様は連れていかれてしまった。このままだと隣国の王子様と結婚させられちゃう!」
ルークの体から力が抜けて、サラの肩を掴んでいた手が下へと落ちた。
――リリアン・リチャードはもういないというのは、そういうことだったのか……。
ジョンの言い方に引っ掛かりを覚えていたルークは納得した。
さっきからルークの理解が追いつかないことばかりだ。
ルークはもういっぱいいっぱいだった。
「リリアンが王女様……」
「お願い、ルーク。リリアンお嬢様を助けてあげて!」
サラはルークにそう縋った。
ルークは冷笑して、額に手を置いた。
「俺に何ができる? こんな片田舎の鍛冶見習いの俺にできることなんて、なにもないじゃないか……」
――そうだ。俺にできることなんてなにもない。もうリリアンに会うことさえできない。
ルークは踵を返して街へ戻って行った。
混乱する頭を整理しながら歩いて、工房の隣にあるジャックの家の戸を叩いた。
家の中から女性の声がしてドアが開いた。
おかみさんのローラ・コリンズが顔を出した。赤髪を一つに束ね、恰幅のいい女性だ。
ルークはローラに凭れ掛かるようにして抱きついた。
ローラは様子のおかしいルークを抱きしめる。
「どうかしたのかい?」
「おかみさん……、俺、どうしたらいいのか分からない」
震える声で言ったルークの背をローラは撫でた。
家の中からジャックの声がする。
「誰だった?」
ローラは振り返って言う。
「ルークだよ。ルーク、とりあえず中に入りな」
ルークは頷いた。
ちょうど食事中だったようで、ダイニングテーブルには料理が並んでいる。
ジャックとフランクは酒を飲んでいた。
泣き腫らした目のルークを見て、ジャックは尋ねる。
「まずは座れ、ルーク。なにがあった?」
ルークはダイニングテーブルの椅子に座って、工房を出てからあった出来事を話した。
ジャックは深い溜息を吐きながら髭を一撫でした。
「そうか。リリアンお嬢さんは王の子であったか……」
ローラも顔に手をやりながら言う。
「リリアンお嬢様の御母君は王城に行儀見習いに行っていてね、数年後に大きなお腹を抱えて戻られたんだよ。リリアン様に似ていて綺麗な方だったから……」
ジャックは顔を歪めて言う。
「王には四人の王女がいる。三人の王女はもう結婚されているし、一番下の王女はまだ幼かったはず。隣国の王子と結婚させられる適齢の王女がいなかったから、リリアンお嬢さんに白羽の矢が立ったのだろう。とはいえ、あまり気分のいい話ではないな。ずっと放っておいた娘を政治の道具に使おうってことだろう」
コリンズ家のリビングは重い雰囲気が漂いはじめた。
ルークはジャックを見た。
「俺、ウィルソンに行きたい。もう一度リリアンに会いたい」
ジャックは困惑した顔で首を横に振る。
「リリアンお嬢さんは王城にいるはずだ。そう簡単に会わせてもらえるはずはない。それに、これは一介の平民が知るべき話じゃないんだ。下手に首を突っ込めば、牢獄行きになるかもしれん」
ルークはズボンをぎゅっと握った。
「会えなくてもいい。ウィルソンに行きたい」
ジャックは溜息を吐く。
「無茶はしないと約束できるか?」
ルークは頷いた。
「なら、明日ちょうど剣の納品のためにウィルソンに行く予定だった。連れて行ってやる」
ルークの茶色の瞳が大きく開く。
「親方、ありがとう!」
ジャックは首を掻く。
「やれやれ。仕方のないやつだ。朝一番に出るぞ。遅れるなよ」
「うん!」
ローラは立ち上がって言った。
「ルーク、ごはんはまだなんでしょう? 食べてお行き」
ルークは笑みを浮かべてローラを見た。
「ありがとう、おかみさん」
エリオット王国の北側にあるウィルソンの街は、国の中で一番大きな街である。
王城は高く聳え立ち、その周りに多くの建物がある。更にそれを高い外壁が囲んでいる。
ルークとジャックは十日かけてウィルソンに到着した。
ジャックが武器商に納品している間、ルークは街を見て回る。
スーザとは違って人が多く、気を抜くとぶつかってしまいそうだ。
ルークは王城の前まで来て、ルークの背の何倍もある城門を見上げる。
門兵がルークを警戒したので、ルークはその場からすぐに立ち去った。
――城壁を登って中に入るのは難しそうだ。
ルークは穏やかではないことを考えながら歩いていた。
商店街の方へ向かうと、ルークは腕を引っ張られて路地裏に引き込まれた。
「ルーク、なぜここにいる?」
ルークの腕を引っ張ったのはケイティだった。スーザの街の時のように軽装ではなく、鎧を着ている。
ルークは驚いてケイティを見た。
「ケイティこそ、どうしてここに?」
「私はルークに聞いている。誰かからリリアン様のことを聞いたのか?」
ルークは首を横に振る。
サラから聞いたことは、ケイティには黙っていなければいけない気がした。
「ち、違う。親方がウィルソンに納品に来たから、ついてきただけだ」
ケイティは舌打ちをする。
ルークはケイティの腕を掴んだ。
「ケイティはリリアンがどこにいるか知っているのか?」
ケイティは溜息を吐く。
「しくじったな。まさかルークがここにいるとは思わず、早合点してしまった。余計なことを言ったが忘れてくれ」
ケイティは去ろうとするが、ルークはケイティの腕を掴む手を離さなかった。
「リリアンに会いたい」
ケイティは振り向く。
「無理だ。諦めろ。リリアン様はもうお前がお目見えできるようなお立場ではない」
「何とかしてよ、ケイティ」
ケイティは頭をがしがしと掻いた。
「ああ、もう。リリアン様といい、ルークといい。仕方がない。リリアン様にお伝えだけはしてやる。ついてこい」
ルークとケイティは大通りに戻った。
ケイティは大通りの先を指差す。
「この道の先に広場がある。連れ出せるようであれば、今夜その広場で落ち合おう。あまり期待はするなよ」
ルークは頷く。
「分かった。待っている」
ルークはケイティと別れて、ジャックのいる武器商の店の前まで戻った。
ジャックは店の前でルークを待っていたようで、ルークの顔を見るなり怒鳴った。
「店の前で待っていろと言っただろう!」
「ごめんなさい。ケイティに会ったんだ」
ジャックは眉を顰め、ルークの肩を掴んで人の少ない場所まで行った。
「会えそうなのか?」
「分からない。会えるとしたら今夜だ。街のはずれの広場で待ち合わせることになった」
ジャックはルークの頭をがしがしと撫でた。
「よかったな。とりあえず、宿屋に戻るぞ」
ルークは頷いた。
夜になり、ルークとジャックはケイティに指示された広場へときた。
広場に明かりはなく、月明かりだけが頼りだ。
しばらく待つと、人影が二つこちらに向かってくる。
「ルーク!」
リリアンは駆け寄り、ルークに抱きついた。
ルークはそれを受け止める。
「リリアン」
二人は抱きしめ合って、お互いの存在を確かめ合う。
「ルークに会えてよかった。さよならが言えなかったことが心残りだったの」
ルークはぎゅっとリリアンを抱きしめて、耳元でリリアンだけに聞こえるように言った。
「二人で逃げよう」
リリアンは驚いた顔をしてルークを見た。
そして、微笑んで首を横に振る。
「ダメよ。王命は絶対だもの。逃げきれない。それに私が隣国に嫁げば、エリオット王国と、シェケルズ王国の和平は成立する」
「リリアン……」
リリアンは涙を流した。
「ねぇ、ルーク。私はスーザだけでなく、この国も守れるのよ。それってとても素晴らしいことでしょう?」
ルークは目を閉じて一呼吸した。
リリアンの覚悟を感じ取って、茶色い瞳に涙を堪えて言った。
「そうだね。リリアン」
ルークはリリアンを離し、鞄からオルゴールを取り出す。
そして、それをリリアンに差し出した。
「これって……。ショーウィンドウからなくなってしまったから、誰かが買ってしまったのだと思っていたけどルークだったのね」
リリアンはルークから受け取る。
「リリアンの誕生日にあげたかったんだ」
リリアンがオルゴールのねじを巻くと綺麗な音が流れた。
そして、それをぎゅっと抱きしめる。
「ありがとう、ルーク。大切にするね」
リリアンはそっとルークの頬にキスをした。
驚いたルークは頬に手をやり、顔をわずかに赤らめた。
「お礼」
リリアンは綺麗に笑った。
リリアンとケイティが帰っていくのをルークは見えなくなるまで見送った。
数か月後、リリアンを乗せた馬車がスーザの街を通り抜けて行く。
大勢の騎士がそれにつき従っていた。
ルークはその一団を墓地の丘から眺めていた。
そして、ルークは国境騎士団に入隊した。
リリアンが外からこの国を護ると言うのなら、ルークは中から護ろうと決めたのだ。
それから約一年後、リリアンが嫁いだ隣国のシェケルズ王国で戦争がはじまった。
シュケルズ王国と同盟を結んでいたエリオット王国は、シュケルズ王国に派兵を決めた。
「全体、進め!」
指揮官の号令に従って、鎧を着たルークはシュケルズ王国へ向かった。
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