『プールサイド』
遠く灘を見ていた。
人々の声がラジオの雑音のように騒がしい。切り立つ水面は大きく人を飲むように揺れて、社会を丸ごと押し流す荒波のように爆ぜている。
焦燥に掻き立てられるように浅井は叫んだ。
「…………っ!」
「お父さん」
あどけない娘の声がしていた。
「お魚さんだよ」
彼女はプールの底に描かれた金魚を指しているのだ。はっと意識を現実に引き戻された。
「おお、お利口さんでしゅね」
そういって撫でると娘を引きあげた。プールの水泳監視員が休憩を促している。
「大丈夫、あなた。顔青いわ」
パラソルで休んでいた妻が心配そうにした。
シャークファイト事件が済んで今日でちょうど2か月が経つ。
社会を巻きこんだ、あのおぞましき事件は未だに尾を引いていた。これから警察の捜査ですべてが明るみとなるが、闇にできていたシャークファイト倶楽部の存在はやすやすと口にできたものではない。矢代はブローカーで、代表者では決してなかった。
裏にいたのは某国の大物政治家だ。
とどのつまりはインターポールを介した捜査となる。でもこれは、まだ口にできたことではない。
色とりどりの水着に囲まれていると、日本国という膨大な悪意に巻きこまれた気持ちになった。あんな悪趣味なゲームを考え出した連中がまだ日本には数多存在する。だから警察を止められないのかもしれなかった。
その中で救いだったのは永山涼太が最後まで人を刺さなかったことだ。
最後のあの瞬間、彼は身をひるがえしてサメの攻撃をかわした。西村にサメが喰いついた。彼の勝ちだった。
彼はシャークファイトにて唯一生き残った勝利者だった。
プールを見た。休憩から5分しか経っていないが娘がそわそわとしている。
「もうちょっと待ってなあ」
赤ちゃん声でいうと隣の妻が笑った。
じっと見つめていると水面が黒く濁ってゆく。じわりじわりと蝕まれるように。息を詰めた。肝が凍る。今見えたのは魚影だろうか。
大きな魚影は揺らめくように水面を走るとのそりとした気配を放ちながら静かに奥へ消えた。浅井は目を閉じた。どうかしている。
疲れているのだろう、このところ遅かったからな。
娘の声が聞こえた。
「パパ、いってもいい」
監視員が旗をふっていた。
「いいよ。いこう」
でも、ふとした時にオレはきっとこう思う。
鬱屈した水面の奥に間違いなくシャークファイトを見た。




