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シャークファイト  作者: 奥森 蛍
プロローグ
1/40

『血と地』

 黄土の海辺を風が撫ぜた。運ばれてくる潮風には血生臭いにおいが混じり、ここが漁業と密接に絡み合った貧しい地域であることを思い知らされる。

 主に水揚げされるのはマグロ、サバ、シイラなどの中型魚。そうした漁業も盛んだが、その一方で命を落とす密漁者が後を絶たない。


 沿岸一帯はホホジロザメの群生地で、先日もアワビを密漁していた若い男が犠牲になった。

 彼らが命がけで採ったアワビは主にアジアに向けて出荷される。


 人々の暮らしはいつでも危険と隣り合わせで、それでも緩慢に生きられるのは、虐げられることを長く強いられてきた国民性なのかもしれない。


 中型漁船が港に入るとわっと活気が湧いた。

 男たちが船に向けて忙しく走っていく。太いロープで牽引し、船を船着き場に繋ぎとめると網から魚を出す作業に入った。


 その賑わいを遠巻きに見つめながら、ヨアンは遮光マスクを下ろすと再び作業に戻った。粗野な軍手で鉄パイプを持ち、火花を散らしながら等間隔で溶接していく。


「でっけえ檻だなあ」


 明るい調子で声が聞こえて振り向くと老人がいた。マグロの加工場で働く老人である。

 遮光マスクを上げて応じた。


「ジイさんおはよう。今日は不漁だろうなあ、海が荒れてる」

「ああ、だが中型のサメが一本揚がったらしい」


 サメか。アジアンなら喜ぶだろうが、この地にフカヒレを味わう文化はない。そいつもヒレだけが無残に切り離されて、大海を越えてどこかの金持ちへ届くのだろう。

 老人は枯れ枝のような体を折り曲げて、そばの丸太に腰かけると煙草を吸った。誰でも吸っている安物の煙草だ。

 老人の目は目前の巨大なオブジェを見つめていた。


「ライオンのハーレムでも丸ごと飼うのかい。それにしちゃあ間隔がでかすぎる」


 燻らせた煙の向こうで、ヨアンがせせら笑った。幅30センチ、どこかの動物園でも見ないような規格外のサイズだ。ライオンならばすっぽり抜ける。いわずもがな人もだ。


「サメを食うんだぜ、アジアンの考えることは分かんねえよ」


 そういって、ポケットから広げたのは折り目のついた一枚の設計図だった。几帳面にパソコンで図面が引かれている。老人は目を剥いた。


「100×200メーターだと。馬鹿いってんじゃねえ。そんな檻、砂漠にしか置けねえよ」


 詳細は聞いておらずヨアンも手を払った。


「半金はもう貰ってるんだ。完成させりゃあ、一生遊んで暮らせるだけの金が手に入る」


 船工場を見渡すと、他の仕事仲間もまた忙しそうに溶接作業を続けていた。従業員総出での突貫仕事なのだろう。休むひまも無さそうだった。


「造船はもうやめるのかい」

「必要ねえ」


 笑いながらそういうと、老人はかっかと笑った。今後働かなくていいのならそうだろうなとこぼす。


「邪魔したな。もうオレはいくよ。これから魚をさばかなきゃならねえ」


 老人は煙草をもみ消すと漁港へ戻っていった。彼はこれから半日かけて大量のまぐろの冷凍加工をする。

 この地ではみんな仕事を持っている。小さな子供でさえも。

 若くても年頃になると漁船に乗りこんで、そうでなければサメの海に潜り密漁。命がけで異国の金持ちのためにアワビを採る。誰もが、そう誰もが。


 心には豊かな暮らしを送れたらどんなにいいだろうという願いもある。だが、その願望は海の彼方でしか叶えられない。

 海風で磯の臭いが散らばった。ミズナギドリが空で鳴いている。


 貰った半金はすでに工場のみんなで分けあった。ヨアンもまた昨日の夕食を思い出す。久しぶりのバッファローの肉があった。はるかに豪華なものだった。

 3人の幼い子供たちはみな大いにはしゃいでいた。それを思い出し、笑みがこぼれる。満たされた腹を抱え嬉しそうに眠りについた家族たちのことを。


 密漁しようと思った時期もあった。だが、止めて少ない銭で働いた。密漁者の命は使い捨てだ。だからヨアンは究極のところで選ばなかった。

 この地域の実情を思うとやり切れない。

 かたわらではホホジロザメのケージダイビングを楽しむ観光客の姿もあるというのに。

 そうか、ケージダイビングか。他人事のようにひらめいた。

 ヨアンは思い出したように、土地にまつわる古い歌を口ずさんだ。


「老爺はサメに呼ばれて海へいく、見送る老婆の目に涙、我は死せり、ああ無情、ああ無情」


 目先に水平線が見えた。荒波の立った黒い海が見えた。


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