06. < 古也 廻間(ふるや はざま) による 真部 鷹巳 についての考察 >
06.< 古也 廻間 による 真部 鷹巳 についての考察 >
―― 新・東京理科大学付属、青山キャンパス
通称、電脳キャンパス。
それは電脳工学と呼ばれる電脳装置とその性能、および関連技術の修学に特化した学部と、探究・開発を主な目的とした大型研究施設によって構成された学び舎である。
十五年前に設立されたこの学部は基本的に理学部・工学部どちらに属すこともなく、文部科学省の特別管轄の下、その支援を受けながら運営されていた。
その電脳学部を飛び級で卒業した僕こと古也 廻間は、今年から同研究所にて研究者として勤務している。
仕事内容としては新型電脳の性能を試したり、一般電脳防壁の強化に携わったりと、まあやっていることは学生時代とさして変わりがなかった。
しいていえば先述した大学を卒業したという肩書きが出来たことと、先輩として学生に助言する機会が増えたことくらいだ。
「古也くん」
A棟とB棟を繋ぐ渡り廊下の途中で、正面から歩いてきた人物に呼び止められる。
小型電脳技術を応用した機械人形製作論で一時期時の人となった、倉坂 有教授だった。
「倉坂教授、こんにちは」
「やあ。研究のほうはどうかね?」
「そうですね。いまのところ順調ではないか、と」
正直なところ、彼は僕にとって苦手な種の人だった。
おどおどと硬い笑顔を貼り付けて若輩者の僕にも媚び諂う様な態度は、はっきり言って見苦しい。
そのくせ在学生の課題を大勢の前で酷評してみたりと、その性格は陰険極まりなかった。
彼は自分が影で某“陰金たもつ”と呼ばれていることを知っているのだろうか。
「ところで、」
倉坂教授は引きつった顔を僕に寄せてきた。
「例の“天才少年”を見なかったかね」
「…… 鷹巳 のことですか?」
「そうなんだ。彼、また僕の講義に出てなくってね。いくら単位は取れているからって、このまま欠席が続くようだと僕も学長に報告しなくてはいけないと思っているんだよ」
彼の喉の奥から羽虫の羽ばたきのような音が聞こえてくる。
それが笑い声であることに気付くまで、随分の時間を要した。
「でも、そういったお話なら僕にせず、彼に直接なさったらいかがですか?」
「そうしたいのは山々なんだが、彼は僕のいう事なんか耳に入らないようなんだよ」
卑屈に呟くと、倉坂教授は右手で僕の肩を掴んだ。
「彼も親友である君の話ならばきっと素直に聞くだろう。そういうわけだから、ここは一つ私の顔を立ててくれたまえ」
「…… はい」
白衣の上からでも感じる汗ばんだ手に抱いた圧倒的な不快感。
これはおろしたばかりの一着だったけれど、今日中に捨ててしまうことにしよう。
「それでは僕はこれで、」
その手を失礼にならないくらいそっと振り払うと、僕は一礼してその場から立ち去ろうとした。
が、
「待ちたまえ」
すれ違いざまに腕を掴まれた。
「…… まだ何か?」
「あ、いやその、」
いい加減、付き合いきれなかった。
倉坂教授は感情を押し隠すことをやめた僕の顔を見て怯えるようにぱっと離れた。
そして唇をひと舐めすると、
「その ―― お父様に、私からよろしくお伝えしてくれ」
わざと何でもないように延べて、足早に立ち去って行った。
「ああ。そういうこと、か」
小さくなっていく後姿に納得する。
どうやら鷹巳に関するあれこれはただ僕の気を引くための口実で、本当の目的はこれを伝える事だったのだ。
電脳工学の権威でありこの大学の特別顧問教授でもある父の名は、この学界では絶大な威力を発揮した。血の繋がりがないとはいえ、息子である僕に対しこの類の話で絡んでくる人の数は在学中から減ることがない。
さしずめ次の学内会議での口添えを期待しているのだろう。
まったく、鬱陶しさこの上ない。
「さて、」
僕はひとつ大きな深呼吸をすると、最初に話題へ上がった例の友人について想った。
時刻はもうすぐ六時になろうとしている。
珍しく雲間からちらつく赤い夕日の残像を眺めながら、これからのことを考えた。
「…… まあ、久しぶりに会いに行ってみますか」
説得はさておき、僕はとりあえず彼の様子だけでも見に行ってみることにした。
*
電脳学部 B棟。
A棟の影に立っていることもあってかここは昼間でも薄暗く、静かだった。
その不気味さ故か、この棟で何かの影を見たと証言する生徒も多かった。
専攻している学問があらゆる意味で現実的な分、その手の話題が流行るのだろうか。
僕が入学してからも夜な夜な電脳を持ってさ迷う女の霊が出るとか、誰もいないはずの電脳室の奥から呪いの電子音が聞こえてくるといった噂をよく聞かされたものだ。
B棟にはいまだ使われていない部屋の方が多い。
血のように見える空の色を反射した廊下は確かに薄気味悪くも見える。
しかしそれを逆手にとって、このB棟五階で好き勝手にやっている人物を僕は知っていた。
「―― 鷹巳、入るよ」
B棟第二視聴覚室。
ほんのわずかに光の漏れる扉に手を掛けると、がらがらと引き開ける。
そこには初見ならば思わず引いてしまうような光景が広がっていた。
黒い遮光カーテンによって完全に塞がれた窓。
部屋には大きめの木製デスクに置かれた改造電脳を初めとした各種タイプの電脳が、ところ狭しと並べられていた。
そのどれもが複雑な方法によって部分リンクされている。
それは個別に活動する電脳の群れであり、と同時に全体でひとつの大型電脳基地として稼動していた。
「また連結増やしたんだね」
気を付けないと躓きそうになる回線をよけながら、僕は振り向かない背中に向かって話しかける。
ふと右脇に見慣れた種の電脳があった。
「あ、これ!うちの研究所から勝手に持ち出したやつでしょ!」
それは先月開発され、現在特許の申請を待つばかりの最新型だった。
所長はこれを『今世紀最大の一流傑作』と自負していた。
「いくら同型の作りおきが何台かあったからって、無くなった一台の存在を誤魔化すのに僕がどれだけ苦労したことか …… ねえ、聞いてる?」
「・・・・・・」
鷹巳の全神経は目の前の電脳に注がれている。
その両手は休むことなく動き、画面上ではいくつものプログラムが並列して同時進行していた。
「鷹巳、ってば」
ためしにその体を揺すってみる。
回転椅子に片膝を立てた鷹巳は、無言で揺られているだけだった。
「鷹巳?鷹巳さん、鷹巳くん、鷹巳さま?」
目の前で手を振ってみる。
その両眼は虚ろで、僕の存在をまるで認知しようとしない。
鷹巳は明らかに一種のトランス状態に陥っていた。
「…… しょうがないなあ」
こうなってしまっては埒があかない。
なので、
奥の手を利用することにした。
「鷹巳。」
僕は友人の耳元に囁きかける。
「―― 大事な芽衣子ちゃんがどっかの野郎に孕まされちゃうよ?」
「んなっ!」
「あた、」
鷹巳が振り返った衝撃で、彼の頭と僕の額が激突する。
「痛いじゃないか」
「おま、なんかいまさらっと不吉なこと言っただろ!?」
「さあ?空耳じゃない?」
「そ、そうか?」
両手で顔をごしごしと擦る鷹巳に罪悪感を感じつつ、電脳世界から帰還してくれたのでよしと思うことにした。
「ところで、一体熱心に何をやってるのさ」
「おお!良い事を聞いてくれました!」
鷹巳は子供のように目を輝かせ、得意気に解説を始める。
その顔を眺めながら僕は彼の語る内容よりも、先ほど倉坂教授が言っていた“天才少年”という行が気になっていた。
*
< 天才少年 >
真部 鷹巳の名前は、入学前から知っていた。
電脳技術に少しでも感心がある者なら誰もが耳にしていた噂だ。
―― 国に喧嘩を売った男
かつて政府の電脳防衛ラインを尽く掻い潜り侵入したにも関わらず、その情報を一切持ち出すことなく消えた伝説の破壊者の存在。
それが僕と同い年の少年だということは俄かに信じがたかった。
彼の入学日当日、青山キャンパスには在校生から卒業生、そして教授やはたまた政府の要人にまでもが、その姿を一目見ようと講堂に集まっていた。
しかし、結局その日彼は現れることはなかった。
かわりに注目されることとなった僕としてはとんだ災難である。
養父について聞かれたところで、僕に語れることなどほとんどなかったのだから。
僕が鷹巳を初めて見かけたのはとある講義でのことだった。
入学式をさぼった天才児の噂はもはや天文学的なレベルにまで膨れ上がっていた。
特に欠席した理由については、FBIに極秘任務を依頼されていたからといったものから、実は超VIP待遇で秘密の隠し通路からその光景を隠れ見ていたなどといった見解にまで飛躍した。
その日の講義でも一番後ろの席にふんぞり返った鷹巳は注目の的だった。
教えている方の教師が居た堪れなくなる雰囲気の中、生徒たちはちらちらと鷹巳を振り返り、小声で彼についての詮索を囁きあった。
しかし当の鷹巳本人はといえばそんな視線に気付いてもいないのか、講義開始わずか十分足らずで大きな寝息を立てている有様だった。
その後、鷹巳について回った噂は沈静化の一途を辿った。
彼の提出物や課題発表は確かにその知識の深さを垣間見せていたものの、どこか情熱に欠け、いかにもやっつけ仕事といった感じが否めなかった。
鷹巳自身、自分について何も語ろうとしなかったせいもある。
特に伝説的な活躍もなく、その無欲な態度に妄想することにも飽きてしまった人々は、終には鷹巳が伝説の人物だというのはでまかせだったのだ、と結論付けてしまうのだった。
僕としては、最初から鷹巳の存在にまるで興味がなかった。
文部科学省にスカウトされようが、FBIの秘密工作員だろうが、何だってよかった。
あの頃の僕は自分に降りかかるプレッシャーに押しつぶされないよう必死で、他人のことまで気にしている余裕なんて皆無だったのだ。
そんなある日のこと。
僕が食堂で昼食をとっていると、見慣れない先輩の集団が近づいてきた。
―― 君、あの名誉教授の息子なんだって?
周囲に聞こえるよう声を張ったリーダー格の男は、僕の前に腰掛けた。
―― いいよねえ、親のコネがある人は
彼は仲間にむけて大仰な態度で嘆いてみせる。
後ろから彼らの間抜けた笑い声が響いた。
―― でも、親って言っても義理の関係なんでしょ?
ふいにそう問われ、僕は改めてその人物を見た。
吹き出物にまみれた醜い顔をしていた。
―― 君って、高校に上がってから引き取られたんでしょ?それってちょっと怪しくない?
なあ?
彼が後ろの取り巻きに同意を求め、彼らがより大きな笑い声を上げたとき、僕はようやく彼が言いたいことを理解した。
―― 君って可愛い顔してるもんね。やっぱりアレなの?そうやって取り入っちゃったわけ?
はっきり言うと、僕は決して我慢強い方じゃない。
古也さんはいつも冷静沈着ですねと言われることもあったけれど、それは僕が意図的にそう見せているからだった。
それだって僕にしてみればかなりの努力を要しているのだ。
だからこのときも内心は怒りで震えていた。
実際、片手はフォークを握り締め、もう片方は水の入ったコップを掴んでいたりと、かなり危険な状態だった。
そして僕の忍耐は、目の前の男が放った次の一言で決壊する。
―― 単位が欲しいときはパパにお願いするのか?その体を使って、さ
限界だった。
そう思った僕がコップの水をぶちまける前に、男は頭からスパゲティーまみれになっていた。
あまりに突然のことに、一体何が起こったのかわからなかった。
トマトソースを滴らせた男が鷹巳に掴みかかっていくのを見て、ようやく僕は彼が男の頭めがけて自分のトレーをひっくり返したのだと知った。
結果、鷹巳は食堂の向こう側まで吹っ飛ばされた。
男とその友人たちは鷹巳に二度とその面を曝すなと吐き捨てると、どこかへ消えて行ってしまった。
「…… どうしてあんなことしたわけ?」
「あ?」
鼻から流れ出る鮮血を拭いながら、鷹巳が僕を見上げた。
「僕に同情でもしたつもり?だったら大きなお世話だよ」
「でもよ、」
冷たく言い放った僕に、鷹巳は不服そうな顔になる。
「誰だってさ、可愛いとか女顔とか背が低いとか言われたら腹が立つじゃん!」
「…… は?」
「俺もさー、好きな子がいるんだけど、その子との身長差が五センチくらいしかなくてさー、やっぱり十センチは欲しいよな。十センチは」
「同情したのって、そこなの?」
「うん」
真顔で呟かれた僕は、呆気にとられるしかなかった。
それから僕と鷹巳は何かと一緒に行動するようになった。
表面上しか見ていない教師たちには僕たちが親友に見えていたのかもしれない。
実際のところ、どうだったのか。
僕にとって鷹巳は父の存在を抜きにして付き合える稀有な存在だった。
よく授業をサボる鷹巳のためにノートをとってやったり、単位が危うくなると忠告してやるようなことはしても、休日にどこかへ遊びに行ったりするようなことはなかった。
友達というよりも、他人から学友に昇格したようなものだった。
しかし鷹巳の方は違ったようだ。
殴られたあの日を境目に、僕は彼にとっての“心の友”、そして共有の話題が通じる唯一の相手として認識されるようになった。
「いやな、高校時代からのダチは電脳の話になると滅法弱くてさ」
対等に話せる奴を探してたんだよね、と彼は笑った。
その二年後、
僕は飛び級で卒業し、鷹巳はいまだ在学中。
けれどその後も僕たちの関係は今も変わらず続いている。
そして気がつくと僕は、鷹巳にだけは自然に笑えるようになっていた。
*
「ちょっとちょっと、廻間さん?聞いてます?」
見れば鷹巳が怪訝な顔をしていた。
「斬新かつせんせーしょなる、な俺の計画の全貌を分かりやすくお前に説明したんだが、」
「“斬新”と“センセーショナル”って同じ意味だよね」
「そこに注目するなっ!」
鷹巳は底の磨り減ったスニーカーをばんばんと踏み鳴らして憤慨した。
薄く積もった埃が宙を舞い、僕達はしばしそれに噎せ苦しむことになる。
「それよりも、さ」
僕はふと思い出したように呟いた。
「鷹巳、また講義出なかったんだって?さっき倉坂教授に僕が怒られたよ」
「“陰金たもつ”にか?」
「そうそう」
「うーん、だってあいつの授業、つまんないんだもん」
確かに、と僕は思う。
鷹巳と付き合い始めて僕は改めて彼の電脳に対する知識の広さを思い知った。
彼ほどのレベルならば、並大抵のことは教えられる前から習得してしまっているのだろう。
「でも」
それはそれ、だ。
「あの人、君がこのまま出ないようだったら学長に連絡するって言ってたよ」
「げっ。それは困る」
「だろ?だから、今度の講義はちゃんと出るように」
「うーむ。面倒臭いがしかたがない、か」
嫌々ながら納得してくれたようだった。
倉坂教授に義理などなかったけれど、これで彼との約束も果たせたわけだ。
勿論、後者の嘆願については聞こえなかったフリをしてしまうつもりだった。
そうこうしている内に、すっかり時間が過ぎていた。
「そろそろ終わりにしたら?もう陽も暮れたよ」
「んー。今日は泊まりで仕上げようと思ってたんだけど」
「でもお母さんだって心配するでしょ?それに、」
僕は鷹巳の格好を観察した。
シャツには皺がより、目には隈ができている。
「どうせ昨日も帰ってないんでしょ?汚い男は女の子に嫌われるよ」
「そ、それもそうだな!」
鷹巳は勢いよく立ち上がった。
こういうところの感覚は、まるっきり男子中学生のままだった。
「―― で、芽衣子ちゃんとはうまくいってるの?」
「いっ!」
鷹巳個人のプレイルームと化した視聴覚室を後にして、僕達はB棟の階段を降りていた。
建設上の経費削減か、このB棟にはエレベーターがない。
地道な下降の途中、ふと投げかけた問いに鷹巳が顔を赤くする。
「お、お前な!その神聖な名前を軽々しく口にするんじゃねえよ!」
「…… やっぱりうまく言ってないんだ」
彼の想い人である芽衣子という少女を実際に見かけたことはなかった。
ただ鷹巳いわく、彼女は清廉かつ可憐で笑う姿は花のよう、ということだ。
しかし彼女はどうやら彼らの共通の友人に恋をしているようで、その男を想う切なげな表情もそれはそれでまたいいのだ、と鷹巳は夢見心地で語っていた。
「でもさ、年頃の男の子なんてケダモノだよ?早く動かないと芽衣子ちゃんが妊娠するって」
「バカ!たとえ脳内でも芽衣子ちゃんを汚すことは許さん!」
「純情なんだから」
「お前といるとエロエロが伝染する」
鷹巳は早足で階段を降りていく。
その後姿は確かに男と呼ぶにはまだ頼りなさ気に見えた。
もっとも、僕も人のことは言えなかったけれど。
「ねえ、鷹巳」
「んん?」
「鷹巳はさ、将来何になりたいの?」
「いきなり唐突だな」
大分伸びた茶髪の頭が振り返る。
満ち始めた夜の空気に肌寒さを感じた。
「そうだなぁ。とりあえず、MIZUHAシステムの攻略かな?」
「…… それ、まだ言ってるの?」
MIZUHAシステムとは、政府が独自に開発した電脳防衛網の総称だった。
その防壁はペンタゴンも真っ青になるほど強固なものだと聞いている。
しかしそれは実際にその存在を確認されているわけではない、つまり都市伝説のようなシステムなのだ。
どこに設置されていて、壁の向こう側で何を守っているのか。
何の情報も無いというのに、それは電子網の海でも信憑性のある噂として、鷹巳のような電脳使用者たちの間で実しやかに流れ続けていた。
「でも、MIZUHAに侵入して鷹巳は何をしたいわけ?」
「んにゃ。別に」
「…… はい?」
「だから俺の目的は侵入することであって、その向こう側にあるものには興味がないの」
仮にMIZUHAシステムが存在するとして、その実態が噂どおりであるならば、それはエベレストを酸素マスクもなくガイドもつけずに登頂するようなものだった。
成功した暁には誰だって何か記念になるものを持ち帰ろうと思うだろう。
しかし鷹巳は現に政府の防壁を突破したときも、そこに記されていたであろう数多くの重要機密にはまったく手を触れなかった過去をもっている。
「…… 君ってほんとに無欲だね」
「どうだっていいだろ」
「そんなにMIZUHAがいいわけ?あんな幽霊みたいに手ごたえのないものより、もっと確実な、そう、たとえばそれこそペンタゴンとか狙えばいいじゃない」
「実はここだけの話なんだけどさ、」
ふと鷹巳が声を顰め、辺りを窺った。
「―― 俺のオヤジさ、どうもMIZUHAシステムに関わってるみたいなんだよ」
「お父さんが?」
僕は眉を寄せた。
一度だけ鷹巳の家に行った時、彼を見かけたことがある。
いらなくなった電化製品や廃品を回収して修理、販売するいわゆる“ジャンク屋”を営む鷹巳の父親は、機械技師というよりはボディーボルダーのような筋肉隆々の体をしていた。
「そんな話、聞いたことなかったけど」
「だって話たことなかったもん」
鷹巳がきょとんとした顔になる。
「まあ関わってるっていっても、初期の構想とかを練ってただけだ。結局オヤジの提案とかはもっと上の人間に搾取されちまったみたいだけど」
「なるほど」
それならば納得できた。
「でもさ、前にオヤジが俺に言ったことがあったんだよ。MIZUHAシステムは人間の可能性を最大限に引き出したシステムなんだってさ!」
「…… そう」
「だからさ、オヤジがそこまで言うもんならやっぱ挑戦してみたいじゃん?」
「それはお父さんを超えるため?」
「そんな難しいことは考えてなかったな」
ただ、そこにあったから。
それが一番大変なことだと言われているから。
「鷹巳ってさ、とりあえず山があったら登ってみちゃうタイプだよね」
「意味わかんねーよ」
「比喩だよ、比喩」
誰かが聞いたらバカにされそうなことを、真剣に言えるということ。
それは簡単なようで何よりも難しいことだ。
人は誰でも、駄目だった場合や失敗してしまう時を恐れ、その一歩が踏み出せない。
僕も同じだった。
結局誰かが敷いたレールの上を歩くしかない僕には、鷹巳のその強さが正直羨ましいのかもしれない。
*
「ああ、そういえば母さんがお前にまた来いって」
鷹巳が思い出したように呟いた。
B棟とは違い、A棟にはまだ数人の学生が残っている。
「母さんさ、お前のこと気に入っちゃって。またあの美少年を連れて来いって煩いんだよ」
「そうなんだ」
家にある電脳を見てほしいと言われ赴いた鷹巳の家は、想像以上に賑やかだった。
たくましい父親と優しく線の細い母親。
食卓には毎晩温かい手料理が並べられ、家族全員でそれを囲んで食べる。
それは、僕が体験したことのない種類の生活だった。
「あ、悪ぃ。お前の都合も聞かないで」
「ううん。いいよ、お母さんの料理、とっても美味しかったし」
「そうかあ?」
そう言いながらも鷹巳は嬉しそうだった。
―― ああ、そうか
僕は静かに理解する。
彼のこの強さは、あの温かい場所で育ってきたことに由縁するものなのだ。
愛し、愛されることで得た強さなら、僕に対抗できる余地は無い。
「鷹巳はずっとそのままでいるといいよ」
僕は落とすように呟いた。
「ずっとそのままでいてね。そしたら僕も、何となく大丈夫だから」
「はあ?どうした、頭でも打ったか?」
「ううん。なんでもないよ ―― 鷹巳ちゃん」
「っ!」
彼の母親はこの歳になった彼を今でもそう呼び続けていた。
何の疑問も感じていなかった様子の鷹巳は、僕が指摘したことで多少気にし始めたようだった。
「あれから母さんにはその呼び方はやめさせた!今では“鷹巳くん”だ!」
「ええー、それも可愛いけどやっぱり僕は“鷹巳ちゃん”がいいなぁ」
「お前の希望なんざ聞いてねえ!」
A棟と研究所を繋ぐ通路で、僕達は別れることにした。
「まだちょっとやらなきゃいけないことがあるから」
「お前、働きすぎなんじゃねえの?」
「大丈夫だよ。誰かさんと違って毎日家に帰って、お風呂に入っていますから」
「うっ」
絶句する鷹巳は、恨めしそうに僕を見た。
「じゃあな。今度、また誘いに来るからな」
「うん。お母さんには楽しみにしてますって伝えておいてね」
「おう」
そう短く応じると、彼は背を向けて去っていく。
一度だけ腕を伸ばして手を振るその姿を、僕は消えてしまうまで見送った。
「さて、」
僕は暗くなった空を見上げた。
虫取り用の電流を流した外灯がちりちりと音を立てて、青白い明りを提供している。
季節はずれの大きな蛾がそれにぶつかってひらりと墜ちた。
ぶつかることのできない僕と、ぶつかって散っていく命と。
本当に生きているといえるのは ―― どちらだろうか。
** *
―― 新東京理科大学付属、青山キャンパス
この校舎に付設された研究室には一般の研究者は愚か、同大学の理事ですら知らない場所があった。
それは物置の一つに見立てられ存在している。
万が一知らない誰かがそれを見たとしても、入ってみようとも思わなかっただろう。
仮に何らかの理由で興味を持ったとしても、鋼鉄製の扉は正規の方法以外では押し開けることもこじ開けることもできなかった。
その入り口の前に、一人の少年が現れる。
白衣姿の彼はポケットの中からいくつもの鍵が連なった鎖を取り出すと、二つを選択し、同時にその扉へと差し込んだ。
扉は彼の前に何の抵抗も無く開かれる。
目の前には暗闇の中、ぼんやりと灯ったエレベーターがあった。
迷いなき足取りで進むと少年はその箱に乗り、設置されていた指紋認証タイプのロックを解除して、下降を始める。
どこまで下降していくのだろう。
階数にして二十階、いや三十階ほどだろうか。
まるで冥界へと続いていくような暗闇の中、突然その箱は全ての動きを停止する。
再び扉が開かれたとき、そこには少年以外の少数しかその存在を知ることの無い、もう一つの研究所があった。
暗がりの中、多種多様な機械と白衣姿の研究員が何人か忙しなくデータを取っていた。
その一人が少年の存在に気付き、近づいてくる。
「―― 状況は?」
少年は冷え切った声で訊ねる。
つい先ほど、友人と楽しそうに語り合っていた姿とはまるで別人だった。
訊ねられた薄毛の男は太りすぎた体でひいひいと息を吐いた。
「そ、それが、その、機嫌が悪いみたいで ……」
「“機嫌”?あなたはまだあれをそんなレベルで見ていたのですか?」
「は、すいません」
「もういいです。私が直接行きましょう」
目の前の男に大してさして期待もしていなかったのか、落胆も見せずに少年は呟いた。
そして研究所の奥へと進んでいく。
それは下水溝のような場所だった。
足元には少量の水と、大量のケーブルがうねり絡み合っている。
家庭で見慣れた細いタイプのものから子供の胴体ほどある太い管まで、色とりどりのそれはさしずめ腕を流れる血管のようだった。
少年はその最深部にあるひとつの部屋に入っていった。
この部屋に入る権限は小数の中でもさらに少数、少年を含め三人にしか与えられていない。
「―― また我が侭、ですか?」
部屋に入るなり、少年は強い口調でそう零した。
「あなたは自分の立場というものをわかっているのですか?」
返事はない。
「その状況でよくも抵抗、いや拒否などできるものですね」
返事はない。
「私が本気になればあなたを戒めることなど簡単なのですよ」
返事はない。
「…… そうですか」
少年は暗い瞳で嗤った。
それは堕ちてしまった者の顔だった。
「そうですね。確かにあなたは優秀です」
返事はない。
「私たちもあなたがいなければここまで完璧なシステムは構築できなかったでしょう」
返事はない。
「けれど、だからといって ―― 代わりがいないわけではないんですよ」
返事はなかった。
しかし、
鈍く響き渡った音が部屋の中にある各種の装置が起動したことを証明する。
そしてここでも散乱しているケーブルのうちのいくつかが、何かを供給するように脈動していく。
「そうです。やればできるじゃないですか」
少年は労うように目の前の存在に触れた。
それは巨大なガラスの筒だった。
天井から床までしっかりと固定された円形の筒。
中には水槽のようにたっぷりの水、正確には培養液が閉じ込められている。
筒の内部には それ が、いくつもの細い管に繋がれ漂っていた。
黄色い光に照らされるように浮かび上がっていたのは ―― 人 の 脳。
「では、この調子で頑張ってくださいね。私は他にもやらなければならないことが沢山ありますので」
もちろん、返事はない。
けれど それ には少年の声が確実に届いていた。
「 私を失望させないでくださいね ―― ミズハ 」
そう言い残すと 少年こと古也 廻間は 棺桶で眠る住人を見舞う為に その部屋を後にした。