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覚醒都市  作者: ムクイ
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03. < ひと と ヒト の 距離 >


03.< ひと と ヒト の距離 >



『 アナタは “人” ですか 』                         Y / N ?





徒歩で約二十分。

そう遠くない距離に十字製薬の本社ビルはあった。

海外の有名な建築家によってデザインされた外装はモダンで、超高層ビルが連なるこの通りでも一際高く聳え立ち、目を惹いていた。


「どうすっかなあ」


そうぼやいた柊木沢さんは、その口調ほど困っているようにも見えなかった。

ビルの入り口にはカメラやマイクを持ったテレビクルーが、おこぼれを狙う野良猫のように群がっている。

その様子を僕達は少し離れた位置から観察していた。

「ここまで来て入れませんでしたっていうのもカッコ悪いよな」

「でも、やっぱり警備員が立ってますよ」

「そうなんだよな。何とか誤魔化せんものか…… ん?」

ガードレールにもたれ掛かった柊木沢さんが、正面に立っている僕の背後に目をやった。

白衣姿の小柄な眼鏡の女性が、大量の紙を抱え早足で通り過ぎていく。

行き先はきっと十字製薬ビルなのだろう。

そんな女性の姿を見て、

「おっ!俺ってばいいこと思いついちゃったよ」

柊木沢さんが少し悪そうに笑った。

そして、僕に後ろから付いて来るよう合図を出すと、何故かその女性に近づいていった。


「それ、随分と重そうだね?手伝おうか?」

「なっ!」


腕の中からいとも簡単に紙の束を抜き取られた女性は、当然のことながらきつい視線で柊木沢さんを睨み付けた。

「あなた何なんですか!?人の物を勝手に、取った、り …… して」

初めは憤慨していた女性の声音は、柊木沢さんの顔を見てから徐々に小さくなっていった。

「何って?俺は通りすがりのフェミニスト。重そうだったからちょっと手を貸した、だけ」

「で、でもいきなりあんなこと、知らない人だし、私」

「怒った顔もなかなか結構可愛かったけど」

「っ!」

女性の顔が見る見るうちに赤くなる。

そのとき、僕はようやく柊木沢さんの“思いつき”を理解した。


「君、名前は?」

「え、私ですか。私はミーナといいます」

「名前も可愛いね」

「そ、そんなっ!それで、あなたは?」

「俺は名も無きジャーナリスト。知り合いにはアキって呼ばれてる。そんでもってあっちが新人で見習いの弟子、みたいなもの」

「あら。どうもこんにちは」

柊木沢さんに指摘されて彼女は初めて僕の存在に気付いたようだ。

振り向いて軽く頭を下げられたので、僕も同じように返した。

「それでミーナちゃん、ちょっとお願いなんだけど」

「はい?」

「俺たちも君と一緒に中へ入れてもらいたいんだ」

「え、でも、報道関係の人は立ち入り禁止になっていて ……」

「そこを何とか!この記事が書けないとマジで仕事クビになっちゃうんだよ!」

「ですが ……」

「別に色々探ろうってわけじゃない、ただちょっとそこらへんで話を聞いて、少し写真なんか撮ったりして、あわよくば被害者の職場の雰囲気とか拝見したいだけなんだ!」

「十分探っているじゃないですか」

コミカルに動く柊木沢さんの様子をくすくすと眺めながら、ミーナさんは覚悟を決めたように頷いた。

「分かりました。でも、私がお連れできるのは一階のロビーまでです。上の業務フロアは私の権限では入ることができませんし、地下の研究施設を部外者に公開することは厳罰ですので ……」

「ありがたい!恩に着る!」

柊木沢さんは満面の笑みでミーナさんを抱きしめた。

捕捉された小動物のような声が腕の中から漏れ出る。

「あ。あともう一つ」

「まだ何かあるんですか?」

再び歩き出した柊木沢さんは思い出したように指を立てた。

心なしか嬉しそうな顔をしたミーナさんが、そんな柊木沢さんを眩しそうに見上げる。

「君の番号、教えてくれる?」

「はっ」

ミーナさんが驚愕の表情で立ち止まった。

衝撃で、彼女の眼鏡が勢いよくずり落ちる。

「ついでに今晩、何か予定ある?お礼に奢るよ」

「え、は、はははい!喜んで」

「それはよかった」

頬を染めるミーナさんに微笑みかけながら、柊木沢さんはほんの一瞬だけ僕の方を振り返った。

そして慣れた仕草でウインクをすると、何事もなかったかのようにミーナさんとの会話に集中する。

その振る舞いはまるで彼女の恋人のように違和感の欠片もなかった。





ミーナさんのおかげで、僕達は入り口の警備を突破することができた。


多少不審な目で見られなかったことも無いけれど、結局呼び止められることもなかった。

「では、私は仕事に戻りますので」

柊木沢さんと携帯番号を交換したミーナさんは、少し名残惜しそうにそう言った。

「あの、本当にあんまり目立つような事はしないでくださいね?」

「大丈夫。もしも捕まっても君の名前を出したりはしないよ」

「…… 捕まったりもしないでください」

「そうだよな。今晩のデートは死守しないと」

「っ!で、では!本当にわたしはこれでっ!」

ミーナさんは柊木沢さんが持っていた分の紙を受け取って、あたふたとエレベーター方面まで去っていってしまった。


「さてはて。何はともあれ潜入完了、と」

そんな彼女に手を振って、柊木沢さんは唇を動かさず小声で呟いた。

「思ってたよりも上手くいった」

「慣れてるんですね」

「まあそれなりに場数は踏んでるから、な」

にやりと微笑みながら、

「でもお前、三七三には言うなよ。こんなことあいつが知ったら一週間はネタにされる」

と釘を刺した。

確かに三七三さんなら涎を垂らして食いついてきそうな話題だった。

「んじゃあ、さっそく聞き込みといきますか」

柊木沢さんはひとつ大きく伸びをして、とりあえず、とホール中心に位置した受付に近づいていった。



正直、僕がここにいる意味はなかった。

柊木沢さんは受付嬢三人を相手に軽快な口調で色々と聞き出している。

僕はといえば、彼の横でその様子をぼんやりと眺めているだけだった。


十字製薬のロビーは天井がとても高かった。

あくせくと行きかう人々も、明らかに白衣で研究者風情の人やスーツのビジネスマンらしき人、ターバンを頭に巻いたアラブ人や金髪碧眼の欧米人の姿と、実に多種多様な賑わいを見せていた。

この広さのためか、それぞれの声がよく通るし、響く。

誰かが大きく笑う声。

密やかに交わされる商談。

真剣なトーンで繰り広げられる議論。

その間を縫う様に走る清掃ロボットの電子音。

これ以上磨かなくても床は既に顔が反射しそうなほど輝いている。

ふと、足元に映った自分と目が合った。

それは確かに僕であり、同時に「僕」ではなかった。

刹那、


ここに 『 彼 』 の存在 を 感じた。





* * *





気が付くと世界は白と黒のみで構成されていた。

音はただのノイズに成り下がり、伝達にも若干の遅れが生じる。


『 ―― よお。暫くぶりだな 』


脳内に直接響いた、声。


床に映った僕の輪郭が歪んで、違う誰かが現れる。

『彼』 は、いつものように冷たい瞳で僕を見下ろしていた。

正確に言えば見下ろしているのは僕なのだけど、『彼』は常に僕の上位に座しているので“見下ろされている”という表現が相応しかった。


『 何だ、ここは初めてだな? 』


『彼』 は境界線の向こう側できょろきょろと辺りを見回した。

そういえば、『彼』 は昔から知らない場所が好きだった。

まだ高校生だった頃、自宅と学校を行き来するだけの僕をつまらないと嘆いていたような気がする。


『 で、今日は何だ?面白い事をしているのか? 』


僕は首なし事件の概要を頭の中に再現してみせた。


『 ふぅん 』


もっと興味を示すかと思っていたのに意外と淡白な反応だった。

そんな僕を小馬鹿にするように、『彼』は鼻を鳴らす。


『 こっちは年中暇なんだ。首がない人間の一人や六人にいちいち驚いていられるか 』


―― まてよ。

と『彼』 は顎に手を置いた。


『 あいつ が絡んでいるとしたら、いや、そういうのは あいつ らしくはない、か 』


一人で思いつき、一人で納得している。

基本的に僕の方から何かを問いかける様なことはない。

この関係はあくまでも一方通行。

『彼』 は常に僕の上位にある存在 ―― 僕は 『彼』 の器に過ぎなかった。


『 まあそんなビジネスライクな言い方するなよ 』


呆れたように僕を竦めながら、『彼』 は真っ直ぐにこちらを見た。

まるで射抜かれるような視線だといつも思う。


『 お前がどう思っているのかは知らないが、俺はお前が嫌いじゃない 』


『彼』 は言う。


『 お前は ―― 実に 面白い。お前自身が気付いていないだけで 』


そうなのだろうか。

僕には分からなかった。

前にも同じような事を誰かに言われたことがある。

僕はただ、僕として僕を生きていくだけ。

『彼』 と違って特殊な能力もなく、柊木沢さんや三七三さんのような才能もない。


『 何れは分かるだろう。“その時” が来る事が、お前にとって望ましいかどうかは別として、な 』


―― ところで。

と、『彼』 は話題を変える。


『 叶は相変わらず健在か? 』


その問いに、僕は多分そうであろうと答えた。

最後に彼と会ったのはもう三ヶ月も前の話だった。


『 そうか。そう簡単に死なれちゃあ、それこそつまらん話ではあるしな 』


『彼』 と叶さんの間には繋がりがあるらしかった。

昔、『彼』 は叶さんを “限りなく生みの親に近い者” と言っていた。


『 そういうことだ。また何か面白そうなことがあったら呼べ 』


『彼』 は唐突に全てをまとめ上げると、最後に


『 ―― 誰か来たみたいだぞ 』


そう言い残して僕の精神から滑るように離脱した。

始まり同様、終わりすらも一方的なのは実に 『彼』 らしい、と思った。





* * *





断絶された神経。

肉体が現実と虚構の間で迷子のようにさまよっている。


『彼』 と交信した後遺症なのだろうか。

会話が終わった後も、僕はしばらくの間、こうして浮遊感を味わうことになる。



音が少しずつ戻ってくる。

柊木沢さんの声が聞こえた。

確かに彼は受付嬢以外の誰かと会話をしている。

男の人、が二人?

色彩が徐々に明確になりつつある中、僕の前に立っている誰かが手を振った。

挨拶をしたかったけれど、体がうまく動かない。

視界の靄が晴れ、筋肉の硬直が完全に解れる頃には、彼らは既に去って行くところだった。

しばらく待った後、

「…… 俺たちも行くぞ」

柊木沢さんの掛け声で、僕達は十字製薬ビルを後にした。


「 お前、さっきのアレ、どう思った? 」


外に出た柊木沢さんは機敏な動きで辺りを確認している。

先ほどの彼らがいなくなったかどうかを見ているのだろうか。

僕の方を見ずに訊ねたその顔は、気のせいかどこか強張って見えた。

「“さっきのアレ”と言いますと?」

「ほら、あの変な刑事のおっさんが言ってた、十五年前がどうとかってやつだよ」

苛立った口調の柊木沢さんに対し、僕は

「すいません。実は、何も聞いていませんでした」

と正直に答えた。

一瞬ぽかんと口を開けた柊木沢さんは、すぐにいつも僕を見る呆れた表情になった。

「聞いてなかったって……。少しもか?ちびっと、もか?」

「はい。最初から最後まで全然」

「おま、そんな堂々と。やる気あんのか?」

「すいません」

叱られたので謝ってみる。

すると柊木沢さんはこのーといいながら、両手で僕の髪をくしゃくしゃにした。

頭の上が鳥の巣のようになった僕を眺め、柊木沢さんは満足げに笑う。

「うむ。お仕置き、完了」

「はあ」

「そんじゃ、俺はミーナちゃんとのデートがあるからここでお別れといこうぜ」

柊木沢さんはポケットからごそごそと煙草を取り出すと、そう言った。

「あれ、本当に行くんですか?」

「当たり前だろうが。俺はフェミニストだぞ」

それにな、とお柊木沢さんは顔を寄せる。

「成り行きで知り合ったとはいえ、ミーナちゃんはかなり可愛い」

「はあ」

「そりゃあ優先するのは情報収集だけどな、ちょっとは美味しい思いをしたところで叶のじいさんだって文句は言わんだろう」

「ええ」

僕にはよくわからなかった。


「というわけだ。明ちゃんへの報告は頼んだぞ」

僕が声をかける前に柊木沢さんは背を向けて、あっという間に雑踏の中に消えてしまった。

頼まれたところで何も聞いていなかった僕には報告のしようもない。


―― とりあえず戻ってみてから考えよう


そう思いながら、僕は柊木沢さんとは反対の方向へと歩き出した。





二ノ宮さんには、『彼』 との接触を除く全てをありのままに話した。


彼女も最初から何かが掴めるとは思っていなかったらしく、

「ご苦労様でした」

と短く告げると、僕はこの日の業務から解放された。



まだお昼時には早い十一時。

特にこれといった予定もなかったので、三七三さんの実験に付き合うことにした。

瑕奈ちゃんは例の薬の影響で体調を崩したらしく、青い顔でソファーに横になっていた。

「そんなに情けない顔するんじゃないの」

非難するような視線を浴びせられた三七三さんは、瑕奈ちゃんの額をぱちんと弾く。

「科学の進歩には常に犠牲が付き物なのよ?」

「ううー、犠牲にしないでくださいよー」

「あんたは黙って休んでなさい」

唸る瑕奈ちゃんを残して、僕は三七三さんと一緒に実験室へと入った。


「うふふっ。何をしようか・し・ら?お姉さん、楽しみだわん」


何故か扉を施錠した三七三さんは近くに置いてあった椅子に腰掛けると、大仰な仕草で足を組み替えた。

そして僕を見る。

「あなたとは一度、じぃぃいっくり語り合ってみたかったのよねぇ」

笑顔に不吉な色が混じっていた。


とは言っていたものの、三七三さんは僕にいくつかの当たり触りのない質問をすると、

「オセロしましょう」

と、どこからか出してきた木製のボードを机に置いた。

結果、三対零で三七三さんの圧勝。

すると今度は、

「モノポリしましょう」

と、またどこかから出してきた古い紙製のボードを広げた。

結果、ほぼ全ての土地を買収し、その大半にホテルを建てた三七三さんの勝利。

「これであたしも晴れてホテル王ね。今の時代、石油王よりは将来安泰だわ」

と一人納得すると、取り掛かりたい作業があるからと、オセロとモノポリと人生ゲームを持たされ研究室を追い出された。


その後、大分回復した様子の瑕奈ちゃんと彼女が作ったパスタで遅めの昼食を摂り、珍しそうに見ていたのでオセロとモノポリと人生ゲームをやった。


「せ、先輩!子供が生まれましたっ!」

「それはおめでとう」


瑕奈ちゃんは三種類のゲームの中でも人生ゲームが一番お気に召したらしい。

計四回プレイした中で、瑕奈ちゃんは電脳アイドルになり、スポーツ選手になり、アナウンサーになり、炎の料理人になり、そして最後は常に億万長者になった。

ちなみに僕はずっとサラリーマンで、何故かいつも昇進のチャンスを逃した。

「それってすごく先輩っぽいです」

瑕奈ちゃんは真顔で何かを納得していた。

「でもやっぱり結婚して、子供を持って、死ぬまで旦那様とラブい関係でいられるのは憧れです」

「そういうものなのかな」

「そうですよー。特にお嫁さんは女の子が持つ永遠のドリームですからね!」

夢見るように指と指を絡ませて祈りのポーズ。

「まあ、何よりも好きな人と幸せでいられることは、とても素敵なことですから」

先輩もそう思うでしょう?と、熱い視線を投げかけられた。

「うん。きっと、そうなんだろうね」

そう返すと、瑕奈ちゃんはうんうんと首を縦に振って同意してみせた。



五時になり、瑕奈ちゃんが先に帰ることになった。


「今度は三七三さんと柊木沢さんも一緒に人生ゲーム、できるといいですね」


屈託の無い笑顔がエレベーターの向こう側へと吸い込まれていく。

それから三十分ほどただ何もせずにいた僕は、頃合を見計らって立ち上がった。


帰り道、僕はさっき瑕奈ちゃんが言っていたことを思い返していた。


誰かと一緒になるということ。

家庭を築き、子供をもうけ、共に年老いていくという事。

それが ―― 幸せ。


それはどうなんだろう、と僕は思った。

僕の中にもそういった願望があるのだろうか。

自分自身を覗き込む行為に突如、足元を掬われるような眩暈に襲われる。


ホントウ ハ ワカッテイル ン デショウ ?


内側から何かがせり上がって来る。


ホントウ ハ ダレモ イラナイ ン デショウ ?


「…… やめろ、」


僕の言葉に、隣を歩いていた主婦が眉をひそめて通り過ぎていく。

ぴきぴき、と。

亀裂が走る音がする。


「僕は、僕はそんな風には思って、いない」


―― ウソ 。


「嘘なんか、じゃ、」


その先がうまく続けられない。

僕は無意識に頭を抑えていた。

世界はやけにしんと静かだった。

消音システムの有効範囲に入ったのだ。

いつの間にここまで歩いてきていたのだろう?

この距離ならそろそろ自宅が見えてくるはずだった。


じりじりと、一歩ずつ、確実に歩を進めていく。

しかし声は影の如く密接に僕から離れようとはしない。



ニゲヨウ ト イウノ ?

ムダ ナ アガキ ダヨ 。


ダッテ、

 「  」 ハ 「  」 ノ ナカ ニ アル ―― 




「あ!帰ってきた!」


ふいに聞こえてきた声に言葉の最後がかき消される。

見上げれば、マンションの入り口に見知った顔があった。

芽衣子めいこ……」

一之瀬いちのせ 芽衣子は幼少期からの幼馴染であり、高校までは一緒に通っていた学友でもあった。

「今朝、携帯のほうに電話もしたのに、ちっとも出ないから…」

そこまで言いかけた芽衣子の笑顔が陰る。

「っ、どうしたの!?すごく、顔色が悪いよ」

「いや、ごめん。すぐに、よくなる、から。多分」

そう言ったにも関わらず、芽衣子は心配そうな顔でこちらへ駆け寄ってくる。

紺色のプリーツスカートが風を受けてふわりと揺れた。

「本当にどうしたの?震えてるみたいだし……」

「大丈夫だから」

指摘されるまで震えていることなんて気付かなかった。

芽衣子に肩を支えられ、彼女の温もりを感じたとき、自分という存在が初めて息を吹き返したような気がした。

僕は芽衣子に向かって首を振り、自らの足で立つ。

そして改めて、久しぶり会う幼馴染の顔を見た。

「どうして急に家へ?」

「そ、それは、」

しかしその会話は突然こだました



「ああーーーーーー!」



という絶叫に遮られることとなる。


「ちょ、お前!おい!芽衣子ちゃんから離れろっ!至近距離禁止っ!」

「おお。こらまた随分と大胆なこって。お二人さん、接近戦はお家の中でしような?」


どすどすと近づいてくるのは 真部まなべ 鷹巳たかみ

襟足の長い茶髪に少し胸の開いたシャツはいかにも大学生といった感じだ。

胸元や手首に光るシルバーアクセサリーはお洒落のつもりなのだろうか。あまり似合っているとはお世辞でも言えそうにない。

そしてその後ろから大量のビニール袋を引っさげて付いて来るのが、春日部かすかべ まもるだった。

鮮やかな緑色の短髪に腕と腹と足、そして背中の大部分が見える露出度の高い服に身を包み、大きな胸を誇らしげに張っている。


二人とも小学生の頃からの付き合いだった。


「なんだ、鷹巳と護もいたのか」

「なんだとはなんだ、なんだとは!」

「そのセリフはまるでアタシたちが邪魔みたいな言い方だな」

「もう!鷹巳くんも護ちゃんも!わたしはただ、」

「てめぇが具合なんか悪そうにしてるからっ、芽衣子ちゃんは走って駆け寄ったんだぞ!芽衣子ちゃんの体に何かあったらどうする!!!」

「そのときは責任とって結婚すらいいじゃねえか」

「んなぬっ!?」

「二人とも ……」

噛み付くように食い掛かる鷹巳に片手で圧勝する護 、そしてそれを宥める芽衣子。

僕が高校を中退するまで毎日のように見ていた光景だった。


「えっと、今日は一体何の用?」


このままだと永遠に収集がつきそうもないので、とりあえず口を挟んでみる。

「そうだった、そうだった。鷹巳が煩いから忘れてた」

「はぁ!?」

「ホレ」

抗議の声を上げかけた鷹巳を無視する形で、護がビニール袋を掲げた。

「酒も摘みも買ってきた。どうせお前のことだからロクなもん食べてないだろうと思って、適当に食材も調達してきてやった」

「はあ」

「…… 相変わらず物分りの悪い奴だなぁ」

護は荷物をどさりと地面に降ろすと、左手を強く打ちつけてきた。

それは鋭く風を切って僕の耳元を掠める。


護の左肘から下は鋼鉄の義腕だった。

従来の機械義肢と同じく年に数回のメンテナンスと成長に伴う部分交換が必要とされていた。

ただ一般ものと違っていたのは、通常機械義肢と比べて規格外の戦闘能力が備わっていたことと、そして何よりもその表面を人工皮膚で覆われていない点だった。

護はその力と見かけを利用して、昔から女の身で近隣の子供たちの頂点に君臨してきた。

一度隣町の中学生に目を付けられたときも、喧嘩を売られたその日のうちに男子中学生十数人を投げ飛ばし、最悪の小学生としてさらに広くその名を轟かせたのであった。

その後、教師と医者にこっ酷く叱られた護は、

「まあ生身の体の方に負担が掛かるから、本当はあんまやんないけどな」

と言って苦笑していた。

けれど一番付き合いの長い鷹巳いわく、護は義腕を手に入れる前から既に最強だったのだそうだ。


「ちょ、ちょっと護ちゃん!」

芽衣子が慌ててその手を制した。

大人でさえ手を焼くような護が唯一その言う事を聞く人物が、何を隠そう芽衣子であった。

「護ちゃんの腕は頑張ればコンクリートにも穴を開けちゃうんだから、人に向けたら駄目って何度も言ってるでしょう?」

「いやいや、さすがのアタシもコンクリは無理だ。せいぜい鉄板くらいだろ」

「でも駄目なものは駄目なのっ!」

「だってコイツが、」

「“だって”じゃありません!」

芽衣子に見えない死角で、鷹巳が両手を口元に当てて嗤っている。

そんな鷹巳に対し、護は拳を突き上げ中指を立てて宣戦布告のサイン。

「もうー!やめなさいってばー!…… 、あ」

そう悲鳴を上げた芽衣子は、急にバランスを崩し、護のほうへと倒れ掛かった。


「め、芽衣子ちゃん!」


その後姿を見た鷹巳がさらなる悲鳴を上げる。

「ごめんね、ちょっと、はしゃぎ過ぎた、みたい」

切れる息で苦しそうに微笑むと辛そうに護の肩に全身を預けた。

線の細い体がさらに弱々しく、そして儚げに見える。

「悪い、アタシも考えなしだった。ちょっと座るか?」

「大丈夫 ……。お薬は飲んできた、から」

ゆるゆると頭を傾ぐ芽衣子を支えながら、護が僕をきっと睨み付ける。

それは睨み付けるというよりも“視線で殺す”と表現した方が正しかった。

何だかだんだん話が読めてきた。


「…… えっと、とりあえず ―― 上がっていけば?」


「そうかあ?そう言われたら仕方が無い!」

険しかった顔から一転、満面の笑みを振りまく護は芽衣子を連れ立って先導していく。

「ほらほら!お前も、鷹巳も!ぼさぁっとしてないで億ションに出発だ!」

「お、俺は芽衣ちゃんが具合悪くて休ませるところが必要だから、仕方がなくお前ん家に行くんだからなっ!じゃなきゃ誰が好き好んでお前の、お前の ……!」

「…… おぅい、チビッ子。“ツンデレ”はいまさら流行らんぞ?」

「誰がチビッ子だっ!」

芽衣子の次に身長が低かった鷹巳はそれをかなり気にしていた。

僕たちの中で一番背の高かった譲との差は一向に縮まりそうも無い。



「やれやれ」


笑い、奇声を上げ、突進し、返り討ちにされ、宥め、賺され、また笑顔になる。

久しぶりに賑やかになった玄関ホールを見ながら、僕は燈り始めた街灯の下、彼らの方へと歩き出した。





部屋に上がりこむなり、


「ただいまっ!アタシのセカンドホーム!」


護が謎の雄たけびを上げた。

確かに他の二人と違って、護は何度か家に泊まりに来たことがあった。

ワークブーツを乱暴に脱ぎ捨てると、勝手知ったる様子でずかずかと上がりこみ、そして手にしていた袋の中身を冷蔵庫の中へと放り込んでいく。

その姿を呆気にとられつつ見つめていた残りの二人であったが、護の

「なんだお前ら?早く上がれよ」

という言葉に、

「お、お邪魔します」

「なんか思ってたよりも広いな……」

恐る恐るその後に続いた。



「ではでは、久しい友人との再会を祝して ―― 乾杯っ!」


床に陣取って座った譲が音頭をとってビールを缶から直接呷った。

そして、

「ぷっしゃー!やっぱビールはアサヒだよな!」

と尖った犬歯を露にして笑った。

ソファーに座っている芽衣子はウーロン茶、その横の鷹巳は糖分の低い炭酸飲料を飲んでいる。

僕はといえば、譲にむりやり押し付けられる形でビールを手に取っていた。

「未成年なのに ……」

「でもこいつも今年でハタチだろ?問題ないって!」

後ろめたそうな芽衣子を他所に、譲はぐいぐいとビールを消費していく。

ちなみに譲は同じ学年ではあったけれど、怪我の関係で小学校を一浪していた為にすでに成人を迎えていた。

しかし酒に強いかといったらそうでもない。

この間、泊まる所がないと半ば強引に押しかけてきたときも、持参したビールを数本飲んでソファーでそのまま酔い潰れていた。

「まあまあ!芽衣子先生も固いこと言わんの!今日は楽しくいきましょうや!」

「…… 譲ちゃん、お酒臭い」

既に酔いが回り始め、無駄に絡み出した譲に芽衣子は冷たい視線を投げかけていた。



乾杯した後は、各自好きに動いていた。


譲はテレビの電源を入れ、あまり面白くもなさそうなお笑い番組を鑑賞している。

足を投げ出した譲の行儀悪さを注意しながら、芽衣子も何だか楽しそうだった。

そんな中、何故か鷹巳だけが僕の方を見てそわそわしていた。


「えっと、鷹巳。大学の方はどうなの?」


「…… べつに。」

僕の言葉にふい、と顔を背けた。

しかしその先にあったものを視線に入れて、その表情が明るくなる。

「なあ!あれってこのあいだ発売された電脳パソコンだよな!?」

「え、ああ。そうだけど」

「ちょっとだけ触ってもいいか?」

「別にいいけど、人に貰ったまんまでまだ起動もさせてないから、」

「尚更好都合っ」

言うが早いか立ち上がると、おもちゃを与えられた子供のように飛びついて行った。


実際、“玩具”という表現は大方間違いではなかった。

僕たちの中で唯一大学へ進んだ彼が専攻していたのは、電脳関連の電子工学科だと聞いている。

昔から機械のことになると、鷹巳はその才能を発揮した。

父親が古い機械を回収、修理リサイクルする仕事についていた影響があるのかもしれない。

とにかくその天賦の才は伸びとどまるところを知らず、高校に入った頃には自作のマシンを何台も作り上げ、校内の一室に無断で設置した挙句に学校の回線を経由して政府の電子情報網まで潜り込み、警察沙汰を起こしたこともあったくらいだった。

良くも悪くもその名を電脳網内で知られるようになった鷹巳は、大学進学を前に一度は侵入に成功したその政府機関から直々に破格の待遇で引抜を受けた。

しかしよく話も聞きもせずそれを断ったのは、

「大学の方が色々と縛られずに好き勝手できるから」

という理由からだったらしい。


何やら熱心にケーブル等々を弄っている鷹巳に、

「なるべく犯罪には発展させるなよ」

と一応、声をかけておいた。

「別にそんなことしねえよ。ただ、この高性能マシンを弄繰り回したいだけっ!」

「でも大学にだってあるんだろ?」

「ああ。でもあそこにある電脳は全部プロテクトが掛かってて、まあ俺にとってはそんなのどうってことないんだけど、勝手に外すとそれはそれで怒られるから手を出さないの」

「なるほど」

いつもは大人びた口調を心がけている節がある鷹巳も、機械の話になると途端に本来の性格が出るようだった。

キラキラと目を輝かせ、どこから取り出したのか色とりどりの工具を使って、僕の電脳を解体していく。

…… まあ本人が楽しそうなので、良しとしよう。


「―― あ、あのね」


僕の分のビールと、そろそろ譲に水を与えるためにキッチンへと立つと、後ろから芽衣子が付いてきた。

「どうした?」

「あ、うん。えっと」

以前会った時よりも伸びた髪を弄りながら、芽衣子が言葉を選んで話し始める。

「昨日、朝陽あさひちゃんと夜月よつきちゃんに、会ったの」

「ああ」

朝陽と夜月というのは、僕の六つ違いの双子の妹たちの名前だった。

「それでね、朝陽ちゃん。あんまり具合が良くなくて ――」

「そういえば芽衣子はどうなんだよ」

口に出した後、まずかったかなと少し思った。

別に特に考えて発言したわけではなかったけれど、芽衣子にしてみれば僕が話を逸らしたように感じただろう。

それでも芽衣子はそれについては触れることなく、気丈な笑顔をつくった。

「うん。まあまあ、かな?お薬は飲まなきゃいけないけど、入院とかはしなくていいし」

「そう」

「それにね、この間から新しい治療も始まってて、それがうまくいけば通院とかもしなくていいし、大分普通でいられるんだって」

「うん」


芽衣子が何を患っているのか詳しい事は知らなかった。

ただ、小さい頃からよく体を壊して学校を休んだり、時々長期の休みを利用して入院したりしていた。

昔から色白で細く陽炎のように危うい所がある芽衣子はそのことでよくいじめられていた。

性格も容姿もまったく異なる芽衣子が譲と仲良くなったのは、譲がそのいじめっ子たちをぶっ飛ばしたことが切っ掛けだった。

高校を卒業してからは実質上、家での静養を強いられている。

「本当は短大でもいいから通いたかったんだけど、お父さんもお母さんも心配性だから」

そう言って、芽衣子は諦めたように微笑んだ。

彼女の父親は五大財閥に名指される一之瀬財閥の長男で、僕の父親の学生時代からの友人だった。

その関係で僕はまだ就学前の芽衣子と出会っている。

そのときの芽衣子は今の姿からは想像もできないくらい活発で、自己顕示欲の強い子供だったように思えた。


あの日のことを、果たして芽衣子は覚えているのだろうか?

僕にとってそれは ―― なかなか忘れ難い記憶だった。





「そろそろお迎えが来る時間だわ」


十時を前に芽衣子が小さく呟いた。

その声に床でごろ寝をしていた譲も起き上がり、うーんと伸びをした。

「おお。もうこんな時間か」

早いうちから水を飲ませていたおかげか、どうやら大分酔いは引いているみたいだった。

「おい、鷹巳。いつまでごちゃごちゃやってるつもりだ?」

「もうちょっと。このコードとこれと、これを繋げて ―― できた!」

得意気な顔で立ち上がった鷹巳は、僕の方を見ながら電脳を指差した。

「これ、メンテナンス終わったから、電源入れれば使えるぜ」

「ありがとう」

「お前 …… そんな恩着せがましい事言って、ただ遊びたかっただけだろ?」

「そうとも言うけどな」

「ったく」


僕と鷹巳は譲に命じられて、ほぼ譲が一人で築き上げた宴会の残骸を片付けた。


「冷凍庫にチャーハンとか、冷蔵庫に惣菜とか入ってるから。あ、あとビールな」

「うん。ありがとう」

こう見えても譲はかなり面倒見がいい。

特に芽衣子の事となると、過保護と称してもいいくらいだった。

「お前もあんまり芽衣子ちゃんに心配かけんなよ」

すっかりいつもの調子に戻ってしまった鷹巳は、作業で黒くなった指先を僕に突きつける。

そしてすぐに譲にかっこつけんなよテメーと殴られていた。

最後に靴を履いた芽衣子が冷たい両手で僕の手を包んだ。

「あの、また電話するね?」

「うん。芽衣子も、体には気をつけて」

「ありがとう」

それじゃあ、と一言残して芽衣子が離れ、友人たちの顔は宵闇へと消えていった。



「…… 何か、疲れた」


久しぶりの静けさに僕は欠伸を飲み込んだ。

風呂に入ってさっさと寝よう。

そう思い腰を上げると、ふいに部屋の片隅にあった電脳が独りでに起動した。

「鷹巳が変な設定にでもしたのかな?」

傍に寄って電源を切ろうとすると、画面はいきなり黒くなり、

そして ――



< 久しぶりだな、カイ >



見慣れた顔が映し出された。


感情の薄い目。

五十も半ばを過ぎているとは到底見えない相貌。

黒い髪をオールバックに撫で付け、身を包んだ紺色のスーツには皺ひとつ無い。


「お父さん」


三年振りだというのに、何の違和感もなかった。

その間にも度々ニュースで見かけていたからかもしれない。


< 単刀直入に言おう。朝陽の具合があまり芳しくない >


再会の余韻に浸ることも無く、父はただ用件だけを述べる。

「それはさっき、芽衣子から聞きました」


< 一之瀬のお嬢さんがいらしていたのか >


「はい、さっきまで」

どうやら親友の娘の名前も憶えていないらしい。

そう考えてみると、僕はこの人に誕生日を祝って貰った記憶がなかった。

多分、彼にとってそれはどうでもいいことなのだろう。


< 私も別にお前に帰ってきてほしいわけではない。ただ、朝陽がごねるものでな >


そんな父も、僕の妹たちには異常なほどに甘かった。

僕の前に予告もせず現れたのも、多分そんな理由からだろう。

別に僻んでいるわけじゃない。

僕にとっても“父”という存在は肉親というよりも、一緒に暮らしていた他人という認識が強かった。


< 顔を見せてやれ。近日中にだ >


これは懇願ではない。命令だ。

「ええ、じゃあ明日にでも家に寄ります」

逆らえば強制的に連行されることは分かっていたことなので、僕は素直に応じることにした。


< いや、水曜日がいい >


ふと何かを思い出したように、父は言った。


< 水曜日なら都合がいい >


―― 私は家にいないからな

そう補足すると父の顔が消え、電脳画面は突然黒くなりそのまま電源ごとブツリと落ちた。





父との邂逅の後、

僕は何も考えずに湯に浸かった。


昇り立つ湯気を見ながら、明日鷹巳に電話して電脳に防壁プロテクトを張ってもらおう、と思った。

こうも簡単に日常を侵略されると、迷惑というよりは面倒だった。



そして風呂から上がると、きちんと髪も乾かさないままベッドに倒れこむ。

時刻は既に “今日” を “昨日” とすり替え、いつの間にか “明日” をつれて来ていた。


―― 今日こそは時計が鳴るまで眠ってみよう


意識が薄れていく中、誰にとも無くそう誓った。




しかし浅いまどろみはまたしても七時を前にして破られる。


「 いきなりビンゴだ 」


柊木沢さんから掛かってきた電話は、例の事件に関する重要参考人を“保護”したという報告だった。













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