00. < 始まり の 終わり >
爆音。
振動。
建物全体が揺れていた。
「どうやらここもそう長くは持たないみたいですね」
彼は言う。
足を組んで椅子に腰掛ける様子は、遠くの雷鳴を聞いているかのように涼やか。
四方を分厚いコンクリートで囲まれた無機質な部屋。
ただ広いだけの空間にあるのは中央に置かれた二脚の椅子のみ。
そんな場所に僕と彼はいた。
何かの象徴のように時間だけが緩慢に過ぎていく。
崩壊は止まらない。
天井からはらはらと破片が落ちて、音もなく床に積もった。
そんな中、僕は彼と向き合っている。
「いつまでそこに立ち尽くしているつもりなのです」
彼は笑う。
あの子が死んだ日と同じ笑顔。
罪も罰も責をも超越した位置に彼はいる。
彼こそはこの部屋の主であり王様で、僕はただの闖入者であり傍観者だ。
あの子が死んだ日もただ全てを眺めていることしかできなかった。
惨劇を止める力が僕にはない。
「まさかあの少女の仇をとりに来たとでもいうのですか?」
僕は無言でそれを否定した。
ならば、いったい僕は何をするためにここへ赴いたのだろう。
自分で問うておきながら答えが見つからなかった。
答えは、どこにもなかった。
「―― それが何故だかわかりますか?」
一瞬の隙。
彼にとってそれは十分すぎるほどの時間だった。
「残念でしたね」
耳元で囁かれる優しい声。
完全に背後へ回りこまれていた。目を離すべきではないとわかっていたはずなのに。
しかしそのことに対して不思議と焦りは感じなかった。
最初からこうなることが定まっていたかのように、心は凪いだ海よりも平穏だった。
「こころ?あなたはまだそんなものが自分にあると思っているのですか?」
がくん。
体を芯から揺さぶられる感覚。
彼の言葉が沈んだ記憶の奥の奥まで侵食していく。
拒もうとすればするほど深く進入される。
隠そうとすればするほど全てが曝されていく。
僕が ―― 開かれて行く。
「ほら」
勝ち誇った声。
僕はゆっくりと振り返って彼を見る。
子供の顔をした彼は子供の声で笑っている。
その映像は砂のようにさらさらと僕の目の前で流れつつあった。
自己を保つことが、ひどく難しい。
「わたしたちが何の為に創られたか知っていますか?」
透き通った声。
「わたしたちは新しい世界の礎になるために創造されたのですよ」
どこで間違ってしまったのか。どこから狂ってしまったのか。
今ではそれすら解らない。
ならばいっそ、最初から創めてしまえばいい。
それだけの素材が集められているのだから。
最初からやり直すための全てが。
「わたしたちは皆、役割をもっていた。
搾取される者、使われる者、必要とされる者、廃棄された者、そして人を超越した者
―― 人が神と呼び、恐れ崇め敬い導きを求める存在」
それが彼であり、遠い日の『彼女』であり、目覚めるであろう『彼』である。
では僕は何なのだろう。
搾取する意味もなく、使える要素もなく、必要とされもせず、廃棄する価値もない。
神様以前に人にも成り切れなかった僕。
「あなたは初めから望まれていなかった」
脳を掌握する声。
彼に抗うことがいかに無意味な行為であるかを理解する。
そして、ぼくは誰にも気づかれないまま、彼にも覚られないまま、静かに壊れ始める。
「 」 が始まる。
「あなたは、空白だ」
たとえばそれは
ページとページの間に現れた突然の白紙。
映画のコマとコマの隙間に見える数秒の余白。
誰の心にもあるからっぽで何もない砂漠のような ―― 空白。
「それがあなたのすべて。空想の果てにある虚無。世界が宿した無と無の集大成」
ぼく、は
そう。ぼくは、これを知っていたのかもしれない。
時々考えてはいた。
あらゆる意味でだれともつながれないぼくは、目的も未来も可能性も持たないぼくは。
ぼくこそが、終わり、なのではないか、と。
だから『彼女』はぼくを生かし、『彼』がぼくを選んだのだ。
亀裂が走る。
何かがどこかで決壊する。
ぼくのなかの、ぼくのなかに、ぼくのなかで。
「さて、そろそろ ―― 御終いにしましょうか」
膝をつく。
両手は望んでもいないのに開かれ、まるで懺悔のよう。
左手に握っていた拳銃は当たり前のように彼の手に。
さらに当然の如くその銃口はぼくに向けられていた。
「あなたは長く生き過ぎた。無駄に長く不毛な時を」
きりきり、と。
引き金に掛けられた彼の指が動いてく。
物理の原理が歪められたかのように、ゆっくりと。
ただ、ゆっくりと。
それをぼくは見ていた。
ぼくが、それを見ていた。
「わたしは生きる。あなたは死ね」
刹那
意識が反転し、
自己は完結し、
有が無へと変換する。
ぼくが白紙。
ぼくは空白。
なにもない、ぼく。
「無から有は生まれない」
彼は言う。
それは違う、と ぼくは 思った。
それが ぼくの さいご だった。
そして
ぼくが
―― おわった