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69 思い出せない。
「………?」
馬車に揺られて、居眠りをしていたようだ。
起きて、首をかしげた。
なんだか、とても懐かしい夢を見ていたような気がする。でももう、どんなだったかは思い出せない。
霧の向こうでぼんやりと、手が届きそうな距離に、映像が。記憶が。
ああでもやっぱり、思い出せない。
もどかしい、けど、………。
なんだか、身体が強ばっている。手も、握りしめていたように赤くなってる。
『私は――――っ!』
またふっと、映像が浮かんで、そして消える。これもまた遠い過去のこと。
一瞬背筋がゾッとしてドレスの裾を握り、思い出しかけたことに蓋をする。
―――私は、アルルベット。
愛されて育った、公爵令嬢。
―――前世は、聖女。
「アルルベット様。もうすぐ着きますよ」
「………そう。ありがとう」
知らせに来た一人の男に、そっと微笑みかけた。この人たちと馬車は、お父様が私を北の国に向かわせるために寄越したのだ。本当にお父様は、何から何まできっちりとしている。そう思って何故か、暖かい気持ちになった。
……聖女が愛を与えたという北の国まで、あと少し。




