プロローグ~異世界王子からゴブリンへの転落(後)
温泉宿に泊まった翌朝――。
温泉を堪能した俺たちは早々に出発の支度を終えると、親衛隊100名と侍女20名と共に宿を発とうとしていた。
「それでは兄上また領都で会いましょう」
見送りに来ていたエリックにしばしの別れを告げる。
エリックの背後には今回エリックが先発隊として率いたロートブルグ王国兵が40名いる。
彼らもエリックと同じく俺たちの見送り役だ。
帰りは行きとは逆で俺が先発する、それは帰りの場合は先発の方が安全だからだ。
俺は右手を差し出すと、笑顔でエリックに握手を求めた。
全てが予定通り進んでいた。
その時までは――
「いや、お前と会う事は二度と無い」
「えっ!?」
――突然エリックがとち狂った発言をする。
俺は混乱する頭で必死で考える。
同じ転生者だと言った昨日のエリックはハチャメチャだった、もしかしたら今も同じノリなのかもしれない?
そうだとしても家臣の前で王太子にこんな発言が許されるハズがない。
これを冗談で終わらせる事は果たして可能なのか?
今からエリックが「冗談だよ、ビックリしたか」と言って、
俺も笑って「びっくりしたぞ」で丸く収められるのか、家臣がそれで納得するのか?
俺は必至でエリックを庇う方法考える。
だがエリックは――
「お前にはここで死んでもらう」
――それをあざ笑うような笑みを浮かべて言った。
――終わった。
――もう俺にはこいつを弁護するのは不可能だ。
そう思った直後、事態は更に悪化した。
エリックの言葉を合図に――
エリックの背後の王国兵40名が一斉に剣や槍を構え、俺たちに反旗を翻し交戦の意志を示した。
(こいつら全員正気か!)
この事態に反応した親衛隊100名も俺を守るために一斉に武器を構える。
(このバカ野郎が! こんなのが俺と同じ日本人だったのかよ! お前1人ならともかく王国兵まで道ずれにしやがって、俺には親衛隊がついてるんだぞ! )
俺は親衛隊の実力を高く評価している。
親衛隊の隊長ガヤック=アールスタ凖男爵は俺の婚約者ルミナの父親だ。
ルミナと婚約してから親衛隊の実力はメキメキと上がっていった――将来娘を守る兵士を鍛えるのに手を抜く奴はいないと言う事だ。
そして――
「エリック殿下ぁ!!」
――俺とエリックの間に割って入り、エリックに剣を構えるのはロートブルグ王国最強の騎士であるゴルドバ副隊長だ。
ゴルドバは他の親衛隊と共に王都に残ったルミナの父ガヤックに代わり、こちらの親衛隊を指揮している。
「ゴルドバ副隊長に機会をやろう、剣を下ろして俺につけ」
エリックは最強の騎士を相手にして不遜な笑みを浮かべ寝返りをそそのかす。
――嫌な予感がする。
「殿下こそ降伏して下さい、今ならまだ処刑は免れるかも知れませんぞ」
「ゴルドバ機会は与えたぞ」
エリックがさっと片手を上げる――
グサッ、グサッ
「ぐうっ」
――それを合図にゴルドバの身体に二本の槍が突き刺さった。
(なにぃ!?)
俺の両隣にいる親衛隊員がゴルドバを後ろから突き刺したのだ。
俺はゴルドバを刺した親衛隊員を斬るため抜刀する――
「貴様らぁ――っ」
「グハッ」
「ぎゃああ」
「うあああ」
――俺の言葉を遮るように周りにいた親衛隊員の半分近くがバタバタと倒れた。
彼らを斬ったのは――同じ親衛隊員。
(なんだこれは!?)
虐殺現場を見た侍女たちが悲鳴をあげる。
生き残っている親衛隊員たちが俺の方を向くと、全員が俺に剣を向け構えた。
(ど、どうして……)
俺にはこの状況が理解できない、したくなかった。
剣を突き付ける新鋭隊の顔ぶれの中には貴族の子弟として幼い頃から俺に近侍として仕え、将来は重臣となるハズだった者たち、兄とも弟とも慕った者たちまで含まれていた。
唯一理解できたのは――ここにはもはや敵しか残っていないという事。
「王太子様お逃げください……」
見るとゴルドバが更に数本の槍を身体に受けながらもまだ生きていた。
その虫の息のゴルドバの首を――
バシュ
――エリックは容赦なく首を切り落とした。
「エリッーク! 貴様許さんぞぉー!」
俺は怒りを爆発させた。
「次はディアベル、お前の番だな」
「くっ!?」
その瞬間、俺の背筋に寒気が走った。
命の危険を感じ自然と身体が震える。
それでも震える手で剣を構えエリックと対峙する。
「俺を殺したら王になれるとでも思ってるのか!」
「思ってるさ。 いい事を教えてやる、俺の彼女がディアベルを苦しまずに逝かせて欲しいってさ、優しい女だろ」
「お前の彼女の事なんか知るかぁ!」
「それはどうかな、俺の彼女の父親は娘を王妃にしたいらしくってな、王様じゃなくて俺に付くってさ」
「お前もそいつもすぐに死ぬ事になる!」
俺の言葉にエリックは「誰に? 王様に殺されてか?」と嫌な笑みを浮かべる。
「残念だがその王様は、先にお前をあの世で待ってると思うぞ」
「なんだとっ!?」
(バカな親父には親衛隊長ガヤックがついてる――まさか!)
「お前、王都の親衛隊も裏切らせていたのか! それで王様と隊長を殺すように命令したのか!」
「プッ。お前まだ分からないのかよ、俺の彼女って言うのはお前の婚約者のルミナの事だぞ」
(!?)
「……な、何言ってんだお前。そんな嘘を信じるわけないだろ!」
(そうだ嘘に決まっている、ルミナが俺を裏切るはずがないんだ)
「お前の十五歳の誕生祝いの時に忙しいお前に代わって、俺がルミナの相手をしてやっただろ」
俺の脳裏に誕生会の日に見た、バルコニーで話すエリックとルミナの姿が流れた。
次の瞬間、エリックが馬鹿にしたようなニヤケタ笑いをし。
「きっちり最後まで面倒見てやったぞ、嫌がるルミナを無理やり手籠めにしてやってなぁ」
「なっ!!」
何を言っているんだこいつは、ルミナが俺以外の男に抱かれただと!?
そんな分けがない!
「ふざけるな! そんな事ルミナは一言も俺に言った事はないぞ!」
「言えるわけないだろ、義兄に純潔を奪われましたなんてさ、それに祝賀会の護衛の責任者である父親の首が物理的に飛ぶぞって脅してやったからな」
――嘘だ!
――これはエリックの嫌がらせだ!
――こんな話し信じたくない!
俺は怒りと絶望で目頭が熱くなり涙が溢れそうになる。
「誕生祝いの後もルミナを脅して何度も抱いてやった。ほんとお前に隠れてお前がまだ抱いたことのない婚約者を抱くのって楽しかったよ。そう言えばお前がいる隣の部屋でヤった事もあったな、知ってるだろ?」
「っ!!」
俺は思い出した。
隣の部屋で声を殺してヤッていたカップルがいたことを――その時はメイドだと思い「2度と隣でヤらせるな」とメイド長に注意して済ませてやったのだ。
――エリックの話は全て本当の事なのか!!
最近ルミナがよそよそしかったのはマリッジブルーのせいじゃなかったのかよ!
「今じゃルミナの奴ベッドで俺の事を「愛してます」って言うんだぜ」
「っ!」
嘘だ、ルミナがこんな奴を好きになるハズが無い! 言わされてるんだ!
「それでさぁ、ディアベルはもういいのかって聞いたら押し黙るんだぜ」
――当たり前だ! ルミナが本当に愛してるのはこの俺なんだからな!!
「そこがまたいいよな、簡単に「もう忘れました」何て言う女は俺のタイプじゃないからな、マジで惚れちまったよ。だからルミナと結婚の約束をしたんだぜ」
そう言ってジョンは薬指に嵌められた指輪を見せた。
「……嘘だろ」
その指輪はルミナが今回の旅で嵌めていた物と同じだった――ルミナが「婚約指輪を無くすと大変だから」って代わりに付けていた指輪だ。
ルミナ――お前俺よりこいつを選んだのか!
「ルミナの頼みだから楽に死なせてやる、剣を捨てて王族らしく毒を飲め」
兵士どもに囲まれた俺にエリックは勝ち誇った顔で告げる。
――もはや死は免れない。
この畜生が俺の幸せを奪いやがって!!
「くっ……くっそぉ~」
許さねぇ! こいつだけは! せめてこいつだけは絶対に殺してやる!!
俺はエリックを斬るために剣を振り上げた――
グサリ
――その瞬間、何本もの槍が俺の身体を貫いた。
「ディアベル!!」
「お兄さまぁー」
母上と妹の悲鳴を聞いた俺は――終わったなと思った。
兵士どもが俺を突き刺した槍を引き抜くと、俺の身体は力なく崩れ落ちる。
ドスンと衝撃を背中に受け、仰向けに倒れる。
ゴフッ
口から血を吐く俺を、エリックは見下ろし――
「バカな奴だ、楽に死なせてやったのに。そうだ最後だから教えてやる、ルミナが体調不良で来れなかった本当の理由、それはつわりだ。ルミナの腹にはもう俺の世継ぎがいるんだぜ、すごいだろぉ」
俺は視界がぼやけもうエリックの顔がまともに見えない。
ただ俺を馬鹿にする笑い声だけが聞こえて来る。
急速に失われる意識の中、俺は最後の力を振り絞る。
「絶対に……お前を……ころす……おまえ……む…………す……」
だが全てを伝える前に俺の意識は闇に沈んだ。
○●○●○●○●○●
【ジョンサイド】
「絶対に……お前を……ころす……おまえ……む…………す……」
ディアベルは全てを言い終える前に息絶えた。
だがエリックには後に続く言葉が「息子に生まれ変わってでも殺してやる」だと分かっていた。
それは転生する時に「魔王を倒すまでこの異世界に、記憶を持ったまま転生し続ける」と女神に説明されていたからだ。
「お兄さまぁー!!」
「いやあああ」
耳障りな王女と王妃の叫び声がエリックの耳に入る。
兵士どもに押さえつけらる二人を見たエリックは――
「王妃と王女を放していいぞ、最後の挨拶くらいさせてやれ」
兵士どもが掴まえていた手を放すと、王女と王妃がディアベルの遺体に駆け寄り「お兄様ぁ」「ディアベル」と泣きながら身体を揺さぶる。
エリックは後ろに振り返ると――
「エレノア、殺っちまったが大丈夫なんだよな」
――白いフードの女に声を掛けた。
「問題ない……死んでもしばらくは……魂と体は繋がっているから……」
顔を隠しているが女の声は若く、フードからは僅かに緑色の髪が見てとれる。
「じゃあ頼む、息子になんか転生されたらかなわないからな」
エレノアと呼ばれた女はディアベルの遺体の前まで歩いて行くと目をつぶり呪文を唱え始めた。
「§℄¶ΔξΨΣπКЦЮε……」
それを見た王妃がエリックの顔を睨みつけ――
「エリック! 何をする気ですか、弟を殺しただけじゃ飽き足らず、亡骸まで冒涜する気ですか!」
「ふん、王妃いい事を教えてる。俺とディアベルは同じ異世界から来た転生者なんだ」
「えっ!?」
「俺たちはな、使命を果たすまで何度でも記憶を持ったまま転生する。だからディアベルには人間では無くゴブリンに転生する呪いをかけてやるのさ」
「っ!!」
王妃は声にならない悲鳴を上げた。
それはディアベルが転生者だったからではない――この世界には少なからず転生者や、召喚された勇者の記録が残っている。
「ゴブリンに転生させるですって! そんな話し聞いたことがありません!」
「だろうな、俺も最近知ったんだがエルフにはそう言う魔法がある、もちろん禁術だけどな」
「!!!」
王妃は呪文を唱える女を見やり……ギョッとする。
「やめてぇぇぇー」
王妃は女の足元にしがみつき、必死に呪文を止めさせようとした。
だが時すでに遅く――魔法は発動する。
横たわるディアベルの遺体の下に、赤い文字からなる魔法陣が浮かび上がる。
やがて魔法陣から黒い煙が溢れ出すと、それらはディアベルの頭の方へと向かい、鼻からディアベルの体内へと侵入していった。
「……終わったわ」
「そうか、よくやった礼を言う」
「エリックあなた何て事を!」
王妃が涙を流しながら睨みつけるとエリックは冷笑を浮かべ。
「ディアベルの事より自分と娘の事を心配したらどうだ。お前たちはゴブリンロードに襲われた事にするんだからな、意味は分かるよな?」
「っ!?」
王妃は目を見開き青ざめた。
「……だめ、リリアナだけは助けて!」
王妃はエリックの足元にひれ伏し手を握り懇願する。
「そうだな初めての相手がゴブリンじゃあ可哀そうだ」
そう言ってエリックはいやらしい目つきでリリアナを上から下へと眺めてゆく。
「兄からの最後のプレゼントだ、俺が女にしてやろう。ゴブリンに渡すのはその後だ」
エリックの言葉を聞いたリリアナが「ひぃ」と恐怖で顔を歪める。
「エリック! 血の繋がった兄妹なのよ!」
「安心しろ、確かに血は繋がっているが俺たちは兄妹じゃない。俺の本当の父親は王の叔父、分家のウイリアム=マクガイア侯爵だ」
「え!?」
それを聞き、王妃は昔の噂を思い出した。
それはまだエリックが胎児だった頃「腹の子供は王の子では無いのではないか?」と言う噂だ――生まれた赤ん坊が父親と同じ赤毛だったので噂は直ぐに収束していった。
「そんな……」
王妃と王女は様々な感情の入り混じった混乱した目でエリックを見る。
エリックは視線を王妃から再びリリアナに戻すと――
「だから安心して俺に抱かれろリリアナ、もっともそのせいで俺はお前を助けてやれないがな」
エリアックの実父マクガイア侯爵の昨日までの王位継承順位は第八位と高い。
ゆえにエリアックは自分が王になった後、実父がマクガイア侯爵だと臣民に公表しても王座は揺るぐ事は無いと言う自信があった。
既にマクガイア侯爵や支持者と今後の筋書きを立てている。
子供のいないリチャード王はエリックを王にする約束でマクガイア侯爵からエリックを譲り受け養子にしたが、実子ディアベルの誕生により一方的に約束を反故にした。と言う事にするのだ。
そして今回不幸な事故により養子のエリックが王位に就く事になったが、エリックは約束を破ったリチャード王の子を名乗るのは本意では無い、ゆえに実父の姓を名乗りマクガイア王家・マクガイア王国と名乗ると内外に公表するのだ。
なぜエリックがこんな事をするのか――それは実父であり、強力な支持者でもあるウイリアム=マクガイア侯爵たっての望みであり、またやましい事ほど堂々と振舞えば真実になると知っているからである。
王妃は絶望していた。
(話が本当なら王位を狙う分家のエリックにとってリリアナは邪魔者以外の何者でもないわ。生かす理由など何1つ――あっ)
「そ、それならリリアナをあなたの妻に! そうすれば貴方が正当な王よ!」
予想外の王妃の提案にエリックは目を見開く。
「流石は王妃だ――だがあいにく次の王妃の座は決まっている」
「な、なら側室でもかまわないわ!」
必死でリリアナの命乞いをする王妃の手を払いのけると、
エリックは宣告する――
「悪いな王妃、本家の人間は根絶やしにすると決定したんだ」
――王妃は絶望に打ちひしがれ、エリックの足元に抜け殻のように崩れ落ちる。
◆◆◆◆◆◆
3ヵ月後。
日本の女神・日美華は朝から転生の仕事を同僚の女神に押し付けると、緊張した面持ちで異世界を霊視していた。
世界に大いなる災いをもたらす魂がいよいよゴブリンに転生し、この世に誕生しようとしているのだ。
今日までは日美華の予見した未来視の通りに事が進んで来た。
だがそれは奇跡と言っていいくらいの幸運だった。
――そう未来は絶対ではないのだ。
道に例えるならほとんどの場合は大きな道を行くだろう。
だが時として小さな道を辿る場合もある。
そう例えば――
「うそっ、順番が変わった! ダメじゃ戻るのじゃ!」
――このように。
日美華は焦っていた。
大いなる災いとなるゴブリンを宿した母体は年若く未熟だった。
その母体は4匹のゴブリンの胎児を妊娠しているのだが、日美華の未来視では未熟な母体の体力では3匹までしか子供が産めず、4匹目の赤ん坊は母体とともに死ぬ運命にある。
なのに日美華の願いもむなしく、母体は3匹の赤ん坊を産み落とすと4匹目のゴブリン――大いなる災いとなるはずだったディアベルの転生体――を体内に残して力尽きようとしていた。
「だめじゃ! そんな事は許さぬ!」
日美華の計画が根底から崩れようとしていた。
今この時に生まれなければディアベルが再びゴブリンに転生しても、大いなる災いとなる保証などどこにもないのだ。
日美華は声すらはっきりと聞こえるように、持てる神力の全てを霊視に注ぎ込む。
「お母さま……どうかこの子を……助けて……あげ……て……」
「いやあああーっ! リリアナ死なないでぇぇ!」
王妃はリリアナをしばしらく抱きしめたあと、涙を流しながらも「あは、あはは」と笑いながら立ち上がる――リリアナの死で王妃は半ば正気を失ってしまったのだ。
王妃はテーブルにふらふらと歩いて行くと、置いてある短刀を笑いながら手に取った。
その後――。
王妃はリリアナの腹を泣きながら切り裂くとゴブリンの赤ん坊を取り出した。
だが時すでに遅く赤ん坊は――息をしていなかった。
死んだ赤ん坊をボトリと床に落とすと、王妃はへたれ込んだ。
直後――
グホッ、ゲホゲホ。
「!?」
――赤ん坊が息を吹き返した。
「よかった生きていたのね」
王妃は赤ん坊の顔を覗き込むと、優しく微笑んだ。
――この日世界に災いをもたらす、1匹のゴブリンの赤ちゃんが誕生したのだった。