私の盲目 プロット
これは、公募用に描いている物語のプロットのようなものですが、少し読めるようなものにしたので、投稿します。あまり、期待せずにお願いします。少し、長いですが、合間に読んでみてください。
頭の弱い女でした。それでも私は、その女を深く愛してしまうのです。何も見えないように私に一直線になっていく女を深く愛してしまうのです。
私は、星を眺めることが好きな人間です。それは、なんとなくという理由だったのだけど、でも、それでもいつも星を見ていたように思います。それは、本当にいつも上を見ていたほどです。それはたとえ、曇り空だろうが、雪が降っていようが、昼間の空であってもそれを見ていたほどなのです。
もとい、考えると私は星など好きではなかったのだと思います。では、なぜいつも星なんかを見ていたのか……、それはきっとこの世のものでないからだと思われます。見えるのに手の届かない存在だったからいつも見ていたのかと思います。いや、ただ単にそれが美しかったと感じていただけかもしれません。
私は、幼い頃からなんだか“死”というものを他人よりも身近に感じていた気がしていました。例えれば、悪夢を見て飛び起きた時のなんとも言えない不安感と似ている感覚です。それがいつもつきまとっていました。それは、記憶をさかのぼると一番初めの記憶がそれであったから特に理由がありません。親からの虐待とかそんなこともありません。私は、長男で初めての子供というだけあって、愛情を注がれていたと思っています。そこに現実を伴う理由などないのです。本当になんとなくというだけでした。
小学生の時からその恐怖と触れ合っていました。
中学生になったらその恐怖に慣れ始めていました。
高校になろうとしていた時、そのなんとなくの恐怖の意味がわかりました。
次第に視力が失われてしまうという病気を発病していたのです。この病気は、徐々に視力を失っていくという病気でしたが、私はなんだかしっくりきました。可笑しいと云われるかもしれませんが、納得したのです。私が前々から感じていたなんだか死んでしまうということはこういうことなんだと思ったからです。
それからなのです。よく思い起こすと、そのことがわかってから私は星に目がいっていたのです。今でも私は、直接的にはそのことは関係ないと思っています。未だに、それが美しいからだとかそういう理由だと思っています。
高校生になり、私は今まで所属していた野球部には入りませんでした。高校になり、硬球でするようになるからしたくないというなんともどうでもいい理由からです。ですが、高校生にもなって部活加入が強制であるこの高校だったので、私は仕方なく天文学部に入りました。しかし、この天文学部には部員と呼ばれる者が私以外おらず、(私がそれを知ったのは入部してからです。)私は一人静かに以前までにいた部長が記していた天文日誌のようなものを見る日々とその本を基に星を見る日々が続きました。私は、その部に入ってから、その日誌のようなものを見ることしかしておらず、部活動としての天体観測などはしていませんでした。
しかし、その日誌もじっくり読んでみても、1年も時間が経ってくれず、私はついに手持ち無沙汰になってしまいました。だから、私は星を見に夜を徘徊することにしたのです。天文部に所属していたため、両親からはあまりとやかくとは言われませんでした。それが僥倖といえば、それまでなのですが。
まず手始めに山奥に一人で星を見に行くことにしました。その時は、夏だったのでさほど気温なども気にすることなく星を眺めることができたのですが、やはり、秋を過ぎた頃になると夜も寒くなり、そこまで行くのも億劫になってきたのです。だから、私は場所をところどころ変えました。
そこは周りも明るくかったのですが、山奥からよく見えていた夜景の光でした。そこから、星でも見ようと思ったのです。
池袋西口公園。私はよく夜になるとそこへ星を見ることにしました。当然、星など見ることはできないのですが、月、それから金星といった比較的明るい星ならそんな場所でも見ることができます。
私は、よく時間が許す限り限られた明るい星を見ていたのです。そして、私は星を見ることがなんとなく好きになっていました。
この日も私は例のごとく池袋西口公園に星を見に行きました。
「おい、お前」
どうやら、これは私に話しかけているようでした。ですが、粗暴な口調で聞き覚えのない声のため、私ではないかもしれません。なので、私はその声を無視することに少しも躊躇いなどありません。本当に用があるならば、また何らかのアクションを起こすだろうとも考えられました。
「お前のことだよ。何だ無視か?」
そういうと金髪で耳には幾つものピアスかイヤリングをつけた(私には、ピアスかイヤリングの区別はつきません)いかにもな、柄の悪い男が私の肩を掴んできたのです。私は少しそれに驚いたのですが、私の肩を掴んでいる男の指に指の数では足りない数のアクセサリーとタトゥーがはいっていることを見るくらいの余裕はありました。
「何だ?本当に無視決め込むつもりか? それとも日本語がわからないのか? お前バカそうだもんな。こんな時間に一人とかまじ笑えるわ」
私が話さない理由は、至極簡単な理由からです。それはめんどくさい、ただそれだけだったのです。ですが、私が押し黙っているとこの男は、どうやらそれが気に食わないようだったのですが、私にはそれはひどく理不尽なことなのです。私とこの男が面識ないというは、この男が私にかける言葉と私の眼で見た男の顔からしてもそれは確実でした。では、なぜこの男が私に話しかけたのかは、想像することしかできませんが、金か憂さ晴らし。または、その両方であると想像できます。
だから、私は、
「友達になりたいのか?」
と言いました。わざわざ相手の求めていることを言ってやるほど私は易しくはありません。この言葉が相手を逆なでするモノであろうとどうでもよかったのです。
「調子のんなよ。このガキが!」
そのような言葉を吐いて男は、私に殴りかかろうとしました。野球をしていた私からしてみたら、そのパンチとも呼べない球はキャッチボールのように簡単に見えていたのです。ならば、避けることは難しくなく、反撃をすることも容易でした。安っぽい言葉で言ってしまえば、この男は“格下”と言えます。
ですが、こういう男は一人で行動するような類いの人種ではありませんでした。もちろん、仲間と呼べる人物が数人いましたが、“類は友を呼ぶ”とはよく言ったものでその男とつるんでいた他の者は似たような力しか持っていませんでした。
痛がる男たちを他所に私はまた星を見ることに専念しだすのです。ですが、その男たちからしたら、何もなかったようにまた星を見る私は、恐ろしいやつと思ったのでしょう(実際これは奇妙なやつと思ったかもしれません)。すぐさま起き上がり、走って逃げてしまいました。もちろん最後には、覚えてろと言ったようなことを言われたと思いますが、その声はあまりにもか細いものであったので、覚えることができませんでした。
男たちが去って行って本当に時間が経ちました。一時間か二時間か……、もしかしたらそれ以上だったかもしれません。私もずっと空に視線を向けられませんから、時間も頃合いだと思い帰ることにしたのです。
そうすると私の帰る方向にこちらをじっと見つめる女を見つけてしまいました。これはまたややこしいことになるのではないかと思ったのですが、どうもこの時の私はこの女を見たことがありました。どこだったのか。思い出そうと直近の記憶をさかのぼることにしたのです(私は、記憶力とも呼べるものが他の人より優れていました。これは気のせいなどではありません。実際にそうだったのです)。そうすると本当にすぐに思い出すことができました。それは直近も直近でした。この女はあの男たちと一緒にいた女の一人だったことを思い出したのです。
ということを思い出すとやはりややこしいこと、ひいてはめんどくさいことに巻き込まれてしまうと思うのが人情です。確認しておきたいのですが、私はわざわざめんどうくさいことに飛び込むほど愚か者ではありません。致し方なくという場合は、除きますが……。
ですので、私はこの女を無視して横を素通りすることにしました。
「お前、いつまで上向いてんだ? 星でも見てんのかって思ってたけど、随分と前から曇り空になったし」
私はこの問いかけを先ほどのように無視しようと思ったのですが、女は横を素通りする時に私の腕を掴んでそんなことを言ったものですから、これは私への問いかけということになりましょう。ならば、これを無視することは余計に“めんどうくさい”ことに巻き込まれてしまうことになると考えた私は、この問いかけに答えることにしたのです。
「空を見ていた……」
ただそれだけです。これを女が求めているものでないということが私からしてみてもわかるものでしたが、どうにも面倒臭かったのです。
「そうか。空を見ていたのか。それは面白いのか?」
ただ予想外だったのが、この女が私の答えでない応えに興味を持ってしまったことです。どうしてそのような反応に至ってしまったのか私には理解できませんで、少しとぼけた顔になってしまい、考えないままに、また一つと言葉を紡いでしまっていました。
「ん? 面白いのかな。よくわからない」
「じゃあ、なんでお前はいつまでも上ばっかり見てるんだ?」
「なんだか美しいと思ったから見ていたんだ」
「は? こんな曇り空が美しいのか? 狂っているな」
と女はバカみたいに私がこれまで生きてきた中で、初めてみる笑い方で笑っていました。しかし、この様子を考えるに、この女からしたら私の方が滑稽に興味深く写っていたのかもしれません。
この女と少し話をしましたが、どんな内容だったか覚えていません。最後にその女が明日もここに来ているの? というものですから、私は、それを肯定して帰路につくことにしました。後から考えたら、それは危険なことだったかもしれません。なにせあの女は、男たちの仲間であったのです。私が明日行くと言ったから、明日行けば報復されるかもしれないのです。
ですが、その心配は杞憂になりました。私が連日のように池袋西口公園の中央で空を仰いでいると声をかけてくる者がいました。
「本当にいるんだな。どうだ? 今日の空は美しいか?」
もちろんこの声には、聞き覚えがあり、私はその声の方に振り返るとやはり私が予想していた女がいました。
「なんだ。報復に来るかと思ったよ」
「昨日のやつか。あたしとあいつらの関係は、そんなに濃いモノじゃない。ちょうどあそこでナンパされたんだ。」
女が指をさすところは、公園に近いコンビニでした。
「あそこで充電してたら、声かけてきたんだよ。カラオケいこーぜってあたしも寒くなってきたし、カラオケで充電すればいいかと思ってついて行っただけだ。報復するために手を貸したりする間柄じゃない。まあ、あんたには充電できなかった恨みがあるけどね」
そう言って少し悪そうに笑う女でしたが、その笑いはなんだか似合っていないとそう感じるのです。
「それは悪いことをした。謝るから今日はどっかいってくれ」
「そんなんで許せるわけないじゃん。今日は私につきあえよ」
あぁ、そうゆう事か、この女は暇なのです。そして、都合よく私の罪とも、付け入る隙とも言えるものを見つけてしまいました。だから、今私はこの女にたかられているのです、脅されているのです、揺さぶられているのです。本当に知能の低い人間というのは世の中一定数いるのです。相手の迷惑など考えないで自分の欲望を優先してしまうのです。それが幼稚な人間の罪なのでしょう。それは、甚だ面倒くさいことなどと考えてすらくれないのですから。
しかし、私もそんな人間の言うことに黙って従うほど、盲目ではありません。自分の思い通りに進んで行くなんて思うなと言いたいのです。
「断る。そんなに暇じゃないんだ。どっかいってくれ」
私がそういうことは誰もが想像できると思います。そして、この女にもそれは想像できるのでしょうが、図太い性格というのは私の想像の斜め上をいくものでした。
「あたしは、空ばかり見てもつまらないんだ。あたしが知っている面白いところに案内してやるよ」
そう言って女は私の手を掴んで歩き出したのです。ですが、女の話の中で私の興味を引く項目がありました。“あたしが知っている面白いところ”に案内してくれるというのです。
私は、その時、非常に胸が踊るのを感じたのを覚えています。
女が歩き出すこと十数分。着いたのは、クラブとラブホテルが乱立する場所でした。私は高校生という未成年なのでそういうことには無知です。未開の領域、未踏の地と言っても相違はないでしょう。
だからか、子供の頃に一人で冒険に出るような、そんな胸をくすぐるような感情が再燃することを避けられそうにありません。
「こういうところは、初めて来るな」
「本当か? まあ、未成年にはあまり縁のないところだからな」
「そんなに年齢は変わらんだろ。こういうところにはよく来るのか?」
「まあ、そうだな。暇つぶしにはなるよ」
「そうか。暇つぶしか……」
女は、クラブの入り口に並ぶと、少し警備員と談笑し、私を入れてくれました。女は警備員と顔なじみであるらしく、今日は特別に金はいらないぞ。と言っていました。
薄暗い室内に狭い通路。私は、なんだか息苦しいと感じていました。エレベーターで二階に上がり、ドアが開くと重低音が体に響き渡ってきます。私は、女の手に引かれるままに、この空間に入っていきます。
「ここが面白いところか?」
「ああ、すごいだろ この爆音。体の芯から振動するみたいで気持ちいいだろ?」
女はそう言ってカウンターでドリンクチケットを飲み物と交換して私に渡してきました。どうやら、この飲み物は強いアルコールの原液とも呼べるものでしたが、(私には酒の種類などはわかりませんが、ウォッカだとかそんな名前の酒であったと思います)私はこの空間に従うようにその飲み物を飲み干しました。ひどく喉が焼けるのを感じましたが、女が知っている面白いことというのがこれをしなくてはならないのであれば、私はそれを飲み干すのです。
「どう? 体が焼けるように熱いでしょ? テンションあげなきゃたのしめないから。それには強い酒が一番!!」
そう言っていました。私は女の手に引かれるままにホールの中央あたりで踊りました。奇しくも私が星を見ていた池袋西口公園のように中央でしたが、とにかく狭く感じるのです。多くの人が入り混じる中で彼女だけが踊りました。女の見た目は楽しそうに踊っていましたが、私には女の顔がどことなくつまらなさそうであるとそう感じました。だから、暇つぶしなのだ、と感じたのほどです。女にとって本当にこの時間を潰せれば、いいのだと思いました。
彼女の提案のままに私は、クラブが閉まる朝5時ほどまで同じ酒を煽りながら踊り続けました。ですが、私にはいっこうにそれが楽しいとは思えなかったですし、私が何気なく見ていた星の方が面白いと感じていたほどです。
閉店時間になり、締め出されるように出てきた出入り口で私は言いました。
「これで終わりか?」
「まっさか〜! ここからが本番」
そう言って彼女は再び私の手を引いて歩き出すのです。私は、少しほっとしたのを覚えています。あれが本番なら本当にがっかりでした。ここからが女が知っている本当に楽しいことなんだと思いました。また私はドキドキし出しました。
目的場所に着いた女は、足を止めることなく建物に入っていきます。私も手を引かれているものですから、足を止めることなく入っていくことになります。
女が入って行った場所は、ラブホテルと呼ばれるところです。高校生の私ですから、その施設の目的は把握しています。ですが、私は本当に残念だったのです。まさか、本番といった女がそうゆう意味だったのかと思うと残念であったのです。この女にとってこれが楽しいということなのかと、不順であるとも感じました。不愉快ですらあったのです。
「あたし先にシャワー浴びてくるね」
と女はすでに裸になっていました。
「帰る」
ここで私はどうしようもなく虚しく、つまらないと感じたのです。
「は? どうゆうこと? これからが本番じゃん。どこ行くつもりなの?」
「つまらない。これはつまらない。まだ空を見ていた方が面白い。こんなの求めてない」
私はそう言って部屋から出て行くのです。この空間がつまらない。女の裸を見たところで何の興奮もしなかったのです。ここまでがっかりしたことも珍しく、病気の告知を受けてもここまでのショックではなかったほどです。
すべからく、私は、この女に期待していたのです。私の知らないことを教えてくれると自称するこの女に、私は、期待せずにはいられなかったのです。ですが、それは裏切りというよりも、やはり知らないのだな、と言う納得とともになくなってしまいました。
私はこの空間にいたくありませんでした。こんなことに私の時間を使ってしまったことが腹立たしく思っていたのです。それは不徳のいたすところです。私は最初から気づくべきだったのです。
……いや、この女には私が求めているものを提供できないことくらい私は薄々気がついていたはずでした。少なくともクラブに行き、楽しくないと思った時にこの女を置いて帰ればよかったのです。
ですが、私は少し期待していたのです。いや、期待しすぎてしまっていたのかもしれません。他の人からすれば、本当は面白かったかもしれませんが、しかし、私にとっては、上辺だけの面白さでしかないのです。私の求めているものではなかったのです。
その日。私は自分がどうやって帰路に着いたか記憶がありません。そして、それ以降、私の前にこの女が現れることはありませんでしたが、そのことに私は悲しいと思ったことはありません。
もうあの女とは会うことはないと思っていたのですが、彼女は再び私の前に現れました。それは私がいよいよ高校の卒業をしようとした頃のことです。私は特にやることはなくぶらぶらと空を見ていました(学校内では、就職か進学かで悩んでいるものが未だにちらほらいる頃です)。私は、特に進学する気もなく、かといって就職する気持ちもありませんでしたが、一応は大学への推薦が決まっていました。ですので、ブラブラです。学校も自由登校でしたので、特にやることがなかったのです。
「また、空でも見ているの?」
その声は聞いたことがある声です。もちろん、あの女であることは疑いようもありませんでした。
「またか」
「またかとはひどいな。でも、そうも言いたくなるか」
後ろから話しかけられたので、その声の方に体を向けました。すると、女の異常に気がついたのです。
「随分と化粧っ気がなくなったな」
「んん。あたしも受験だし、いつまでも時間潰しなんてしていられないからな」
「なんだ、同い年だったのか」
「そう。西高でしょ?」
「なんで知ってるんだ?」
「なんでもいいじゃん。大学合格おめでとう」
「そこまで知ってるのか。ありがとう」
久しぶりに見た女は、随分と印象を変えていました。濃いとも感じられたメイクは鳴りを潜め、しかしノーメイクというわけではなくうっすらとメイクをしている程度でした。私ですら、その違いがわかるのですから激変したと思います。
ですが、別に話すこともない私たちですから、女の登場に少しばかり驚かされて集中力が乱されてしまいましたが、話はそれで終わったのだと思い、私はまた空を眺めることにしたのです。
すると、空に集中することを遮るように女が私に話しかけてきます。煩わしいと思ったのですが、無視するほどのことでもありません。
「教えてくれない?」
「何を?」
「面白いこと」
「知っているじゃないか。クラブに行ったり、ラブホに行ったり。それが面白いんだろ?」
「うん。あたしはそれしか知らないの。今度は、あんたが知っている面白いことあたしに教えて」
「何も知らない。ただ面白いことや美しいと思えることをこの目に焼き付けておきたいだけだ、探しているって感じかな」
「そっか……。」
私はその言葉にすごく驚いてしまいました。まさかこの女がこんなことを言うとは思っていなかったのです。
それも当然です、私たちは、この時久しぶりに会い、しかし、旧友というわけではなく交友と呼べるものは皆無です。ですが、その提案は無理というものです。私は、もう直ぐこの東京という地から離れてしまいます。もちろんそのことを女に伝えました。
すると……、
「あたしもさ……。探してたんだ、面白いこと。でも一人じゃ見つからなかった。だから、あなた。ちょうど同じ道中って感じ。一人よりは二人の方が良くない? 見つけやすそうじゃん。あたしも同じ鳥取の大学なんだ。運命感じるでしょ」
少し照れたように女が笑いました。
この提案には、本当に驚かされてしまいました。女のことをじっと見てしまうほどです。この時、女をじっくりと見たのは初めてでしたが、どうしようもなく女が冗談を言っているとは思えませんでした。
「あたしと一緒に見つけよ?」
ふつふつと、ワクワクしたり、ドキドキしたり、そわそわしたりするのを感じました。期待してしまう時に感じてしまうそれです。この女に興味のない私でしたが、この申し入れには興味を唆りました。興味がよだれとなって多く出てきたほどです。この女はどうして私の興味を駆り立てる提案を幾つもしてくれるのだと少し気味悪がってしまうほどです。
私が病気の宣告を受けてなお、地元の東京から鳥取という田舎に行くのか。全てが揃い、何不自由ない場所から離れ、一人暮らしをするのか。
それは安全な場所を離れて、知らなかった土地に、新しい気持ちを見つけに行きたかった、閉じこもっていたら、いけなかった場所に行きたかったのです。
それは自然を感じたかったからとか、どうしようもなく自然の美しさをこの目に焼き写したかったとか、そんな陳腐な理由で良いのです。今まで星を見ていたことがその理由となっていたのなら、それでいいのです。私は鳥取で星が見たいのです。それを理由としておきましょう。
しかし、この女は以前に私の期待を裏切った人、その人でした。信用してもいいものか……そう思いましたが、私の好奇心はいたって素直です。裏切られたからなんだと思うのです。裏切られたとかそんなことは私の心が常に決めてきたものです。ならば、私はその裏切りも含めて、また、この女に期待してみることにしたのです。
「今度は、裏切らないことを願っているよ」
「いや、それはあたしのセリフだよ。見つける前に逃げ出さないでね」
そう言って女は、今度は少し悪そうに笑うのですけれども、どうしても私にはその笑いが似合っていないとそう感じるのです。
私の元に三度現れた女は、私の楽しみになっていました。どんな面白いものを見つけられるのか。どんな美しいと思えるものを見つけられるのか。鳥取という地からどんな新しい事を見つけられるのか。それが今の私の楽しみになっていったのです。
そのように考えると私は、早くその日々が来いと強く願うのですが、その時間の流れは、私の視力とも呼べるものが弱くなることとイコールであるということでした。
ですが、私にとってはその恐怖すら、取るに足らないことでもありました。日に日に気がつかない間に小さくなる視野ではありましたが、それでも私には大きな楽しみがあったので気にすらしなかったのです。
そして、とうとう卒業式になりました。少し寂しくはありましたが、新しい環境へのワクワクが勝っていました。だからでしょうか。涙は出なかったと思います。
卒業式が終わり、私は早足で鳥取という地に向かうことになりました。他の者からしたら、それは早いと感じるかもしれませんが、私にとっては、遅すぎるほどです。私は、見たかったのです。私の知らない光景を。
鳥取空港。実際は随分と盛りだくさんな愛称でありました。なんといったか、あまり覚えることができないな、と思っていたのは覚えています。
鳥取に降り立った時、私の心に新しい風が吹いたのを気持ちいいと感じました。
「久しぶり。待っていたよ。ここからあたしたちの探求は始まるんだ」
エントランスから出ると聞き覚えのある声が聞こえてきました。もちろんあの女であることはわかっています。女は紙袋を下げてまた現れました。
その時、私は毛が逆立つような興奮と期待。そして、少しの焦燥で以って、少し、下手くそな笑みを浮かべていたと思います。
「本当にいるんだな。まあ、当然か」
「はじめにどこに行く?」
「それは、二人で一緒に調べよう。そこも醍醐味だ……と思う」
「ふふふ。そういうと思ってた、たっくさん観光地の案内マップ買ってきたよ。空港とかに置いてあるガイドマップもあるし、ご飯でも食べながら見よう。お腹減ったでしょ?」
どうやら紙袋の中身はガイドマップらしいです。女がそういうので私はその提案に乗ろうと思います。心のドキドキが抑えられずに漏れていたかと思います。クラブの音楽のように爆音が体の芯を震わせました。私の顔はいつになく輝いていたのかと思います。笑いが抑えられていなかったと思います。それは、女の顔がはじめ驚いた顔をしたかと思うと嬉しそうな顔をしたのでそう考えたのです。
私たちは語らいました。どこへ行くか語らいました。砂丘。雨滝。境港。砂の美術館。花回廊。そして、大山……etc.
私たちは、ガイドマップにある鳥取の名所を行き尽くしてしまうほどに鳥取という場所を満喫してゆきます。
まず外せないのが、鳥取砂丘でしょうか……。
砂丘近くの駐車場に車を置いて、階段を登って行くと、一気にそこは現実と乖離していました。まさかすぐにそこに砂丘とは思いもよりませんでした。そんな気配いくらもなかったのです。
目の前に広がる砂に靴を脱いで、二人で力のかぎり走りました。でもどこまでも続くと思われる砂の連続。しかし、それは永遠ではなく、果てしないけれども、終わりが来ました。でも終わりは虚しくなんかありません。
その終わりとは、海でした。息が上がりながら、砂の山の上で見たその海はとても美しいものでした。太陽がここまで眩しい何て知りませんでした。海がこんなにもいい香りであるなんて知りませんでした。このべたべたする感覚が汗なのか海風なのかわからなかったけれど、決して不快ではありませんでしたし、むしろ清々しくあります。
「これが日本一美しい砂丘か!」
「壮大とか雄大とかがいい言葉?」
「それだとなんだか男性的な表現だろ。優雅とか可憐とか。女性的表現がいい、しっくりくる。そう。そんな表現だ」
「えー、何その言い方。ぜんっぜんしっくりこないけど? てか、本当に面白い、笑える」
女はそう言って顔をくしゃっとして笑うのだけど、どうやら彼女は笑うことが苦手なようです。女自身は、その笑いも自然に笑っていると思っているかもしれません。
それから私たちは靴を片手に波打ち際で肩を並べて歩きました。その時の女の顔は、どうやら彼女と知り合ってから私が一番好きな顔のようです。とても輝いていると思うのです。
「ここからあたしたちの宝探しは始まるんだよ」
「宝探し?」
「そう、宝探し! 心に残る景色を見つけていこ! あたしたちならそれができる!」
「できるかなあ?」
「できるの! 今だってその景色を見つけられたでしょ? あたし確信したもん。あなたとなら、どんなものでも見つけられるって! それってすっごくドキドキしない? すっごくワクワクしない? 少なくとも私はめちゃくちゃ楽しみ」
今この瞬間、愉悦に浸っているこの瞬間。この気持ちを感じた時に、彼女が私の隣にいるのですから、私は、これからも彼女とそういったものを見つけてゆくのだとそう考えた時に、彼女が同じことを思っているということは、きっと偶然です。そのはずです。私は今とても高揚感に満ち満ちているのです。この気持ちをたくさん感じたいと思うのです。
私はよく何を考えているのかわからないと言われることがあるのですが、感情がないというわけではありません。怒る時もあるし、悲しく感じることもあります。ですが、それを表に出すということをしないというだけです。それを人は“ミステリアス”なんていうかっこいい表現をしてくれますが、そんなことを言われるような人間ではないのは、私が一番よくわかっています。
なんだか、感情を表に出すのが恥ずかしいという可笑しな気持ちなのです。ほら、“ミステリアス”なんて似合わないでしょう?
よく人が感情を表に出すところを見たりします。私はそれを総じて美しいと感じますし、それを見ると嬉しいと感じます。感情を表に出すことはとても人間らしいです。が、同時にその行為を偽っている人を見ると激しく醜いと感じます。
“クレーマー”と呼ばれる人が他者を怒鳴り散らしているところを見てみるとこちら側が怒りすら感じます。
クレーマーと呼ばれる人の根本には、偽った感情があります。他者を罵ってやろう、貶めてやろうという気持ちが存在しています。そこに怒りという純粋で美しい感情で身を固め、相手に優位性を主張し、それを武器にしてしまうのです。
それは、使い方が違います。感情の使い方がひどく違うとそう思って、そのような気持ちがある人を私は、罵ってクレーマーと呼ぶのです。
これを言ってしまうと感情とは、純粋であればあるほど、訴えかける引力とも言えるものが強いのかもしれません。だから、クレーマーは感情で身を固めてしまうのかもしれません。皮肉なことに、クレーマーとは、感情の力をよく知っている人たちなのかもしれないです。
つまりは、感情があると“心に残る”ということが言いたいのです。随分と回りくどい説明でしたが、私は心に残るものが見たいということなのです。
それは、感情を表に出したいということと同じです。これが、クレーマーと違うところで、偽った感情のクレーマーは、すぐに忘れてしまいますが、真に感情が表に出た時には、心に残って離れないのです。
彼女の提案は、また私の心を強く掴んできました。
彼女と私は、夕焼け光る美しい海辺で歩いていました。大きな砂丘で彼女の声はいつもより大きく、そして、この黄昏時を見に来る人は、多いのです。だから、彼女の提案はひどく周りの人の反応を駆り立てました。なんといっても、その内容がプロポーズに聞こえるのですから(その時の私は、なぜ周りが騒いでいるのかわかりませんでしたが……)。彼女が右手を私に差し出しているのを見て、その手を何も考えずに握っていました。
「ドキドキするよ、ワクワクもする。君といれば、それが見つかるんなら、僕は君を選ぶ」
「たくさん見つけてやる。あたしならできそうだ」
とそんなことを言ったと思います。そうすると、何だか周りが拍手をしたりして騒ぎ出しました。その時、私たちはなぜこのような反応をされるのかわからなかったのですけれど、後に偶然その場にいたまだ知り合いでない大学の友人に聞いた時は、私はとても恥ずかしい思いをしたのを覚えています。今となっては、いい思い出になっています。
大学に入学をし、幾日か経ったある日曜日の昼下がり、私はいつものように次はどこに行こうかと考えていました。もちろん、今では私の隣には彼女がいます。一緒に住んでいるわけではないのですが、毎朝のように私の家を訪ねては、時間の許す限り私の隣にいるのが彼女の習慣になっています。
彼女の家は、私の借りているアパートのすぐ近くでした。それもいつも隣にいる理由だったのでしょう。
特段にそれが迷惑だとは思ってもいなかったのですが、彼女はどうやら気にしていた様子で、ついには、私に申し訳なさげに聞いてきました。
「ねえ、あたしがいつも家に来るのって迷惑? 最近はさ、毎日一緒にいるじゃん?」
彼女は、コーヒーを入れるために私の比較的新しいアパートの普段私が使わないキッチンで小慣れた手つきで収納棚から薬缶を取り出して、それに水を入れてIHコンロに乗せ、そして、それと当時進行で、いつものように私のマグカップと彼女の紙コップを用意しながらそう聞いたのです。
そんなことを無意識のうちにする彼女がそんなことを聞いたことが少しおかしくて、笑ってしまいました。聞こえてしまったかと私は、キッチンに目を向けて私の方を見ない彼女のことを見ていました。
大丈夫聞こえていないようです。
先ほども言いましたが、私からしてみれば、迷惑など感じなかったのですが、彼女は私にそう聞いたのですから、彼女はこの行為を少なからず迷惑だと感じているのでしょう。そして、それと同時にそれを否定してほしいのだと考えられました。
「何言ってんだよ。そんなにキッチンの使い方が上手くなってるのに、今更だな」
おそらく無意識で私の家のキッチンを使いこなす女。そんな女が私の迷惑なわけありません。突然の出会いであったけれど、それが押掛け女房のようであるなんて思いません。確かに一人になりたいと思うことがあるのですけれど、それと同じく一人になりたくないと思います。
この時の女は、まだ私の病のことを知りません。私の視力が日に日に低下していることすら知らないのです。そして、私の瞳が光を拾えなく無くなった時、私はいつも感じてしまうことでしょう、私の世界が一人になってしまったということに。
それは、きっと死んだ時と同じ感覚です。人は、何かを感じて生きていると実感します。それはひとえに刺激です。ならば、人の死とは、何も感じなくなった時なのです。
そして、人の情報の約8割は視覚からの情報です。人が光をなくすということは、8割の死を意味すると今の私は考えています。
人は、何かを見て感動し、生きていることを実感します。その生に感謝することができるのです。
そうなれば、私の生は、8割ほど死んでしまう。それは心臓が停止することと同じようなことだと私はそう感じるのです。
ですが、今はまだ、生きています。視力と言われる命はまだ私に感動を与え、生きていると実感させてくれます。そうまだ、私は一人になるには早すぎるのです。一人になりたいと思いたくないのです。きっと私は普通ではありません。私の病気が私を一人させていくと同じく、私の病気は私が一人でいることを拒みます。
「君はいつも考えすぎなんだ。今一人なんてきっと逆に落ち着かないしな」
そういった時、私はある項目を思い出しました。
私は、彼女に話しかけられる前に見ていた鳥取ガイドブックのある項目を思い出したのです。それを彼女に見せるべく、机の上に置いてある本を手に取り、コーヒーの用意をしている女のもとに急いで近づいた。
「え? 何? どうかした? 出て行け?」
「いや、いつまでもいていい。そうゆうことじゃなくて、これ! これ!」
私が特定ページを開いて指さして言いました。
「ん? 陶芸?」
「そう。いつも紙コップだから、そんなくだらないこと思うんだろ? 買いに行こうか!」
「…‥! 行こう! 今すぐ行こう!」
「いや、今すぐは無理だろ。河原だぞ。予約とかもいるだろうし」
「じゃあ、今すぐ予約を取ろう。私が取るからね!」
女は少し戸惑って、私の示すものを理解するのに時間がかかっていましたが、理解するととても輝かしい笑顔でノリノリになってしまいました。
その顔を見たとき、私は砂丘のときの顔だ。とそう思いました。
その時ちょうど薬缶の湯が沸き上がったようで薬缶の笛が私たちの会話をさえぎってしまいましたが、特段にこれ以上話すようなこともなかったので良かったのでしょう。
女はそのお湯でインスタントコーヒーを淹れてくれました。淹れてくれる姿はこの後のイベントの期待度の大きさが伺えました。
しかし、そのイベントが来ることはありませんでした。私を迎えに来てくれる時に、彼女が事故に巻き込まれてしまったのです。
もちろん、私は、彼女が入院している病院に急いで向かいました。
病院の自動ドアが開いて、病院に一歩足を踏み入れると、病院の特有の匂いが鼻をつきます。なんとも、嫌な匂いです。いろいろな薬の匂いが混ざりあった匂いです。私は、この匂いがなんとも苦手でした。というよりも、病院自体が苦手なのですが……。
その理由は、私が病院に行くと、いつも視力の低下を告知されることが原因なのです。病院は私に余命宣告をするためだけにあると思っていたほどです。
しかし、そんな薬の匂いが充満する空間を我慢しながら、歩いていく私は、次第に彼女の心配だけで心が充満していました。
いつから私は、ここまで彼女の心配をするまでに至ってしまっていたのでしょうか、しかし、彼女とのこれまでの時間を考えると彼女がいないよりは、いた方が楽しいだろうということが容易に行き着いたことに私は、納得します。
だから、彼女の病室の前に立った時に、すぐに叫ぶように言っていたのです。
「大丈夫か? 事故にあったって聞いたけど、容態はどうなんだ?」
すると、彼女は、個室でベッドから窓を眺めていました。そして、扉の方に目を向けて、びっくりしたように、目を丸くして言いました。
「あれ? お見舞いに来てくれたんだ、容態は心配いらないよ。でも、ごめんね、今日陶芸教室に行けなくて、あたし、ドジだからさ」
あははは、とから笑いを上げて、怪我をした腕を上にあげました。
ああ、そんな笑い方をしないで欲しいのです。いつものようにくしゃっと下手くそな笑いをして欲しいのです。バカみたいな笑みを浮かべて私を安心して欲しいのです。そんな笑い方をしないで欲しいのです。だって、彼女は、今無理をして、その笑いを作っているのですから、彼女のことが心配になってしまいます。
そんな無理をした笑顔で私を安心させることなんてできません。もう、そんな笑いをしないで欲しいのです。
「いい加減にしなくちゃいけない。君は、ドジなんだから……、あんまり心配させないで欲しい。君がいなくなると僕はひどくつまらないらしいから」
彼女は、僕の言葉を聞いて、さらに目を見開いた後、下に視線を落として、手遊びをしだした。
「ごめんなさい。少し、気をつけるね。でも、あなたにそんなことを言われると思わなかったから、少し驚いたな……」
「ずっと一緒にいすぎたせいかな? 言っただろ? 君は考えすぎなんだ」
「別に疑ってたわけじゃないけど、本当にこうして見せてくれると嬉しいね」
ああ、その顔です。私が見たいと願っているのは、その顔なのです。そのくしゃっと笑う下手くそな顔が見たかったのです。
彼女の顔は、昼下がりの刺すように鋭い日差しよりも鋭く、より美しい。その笑顔に私は魅了されてしまうのです。
「怪我は、どんな感じ? 痛む?」
彼女の容態は、骨折はしていませんでしたが、手と足を捻挫しているらしく、全治二週間ほどの怪我でした。今日は、検査入院でしたが、二日は入院しているそうです。
怪我が治るまでは、陶芸教室はおろか、どこにもいけないでしょう。
だから、私と彼女は、ベッドの上でたくさんのたわいのないことを話しました。家族のこと、これからどこに行こうか、どんなものをみたいか、今までに二人で見た素晴らしいとも言える思い出たちのこと。本当にたくさんのことを話しました。今までしてこなかったような話たちです。しかし、病気のことは、言うつもりはありません。このまま何も知らずにいてほしいと思いました。
そして、その会話通り、私たちはたくさんのものを見て、たくさんのところに行くことになります。本当に素晴らしい思い出たちでした。彼女がいなければ、見ることのできない景色です。
ですが、ある時、朝起きて、私はもうダメだと思いました。
大学も折り返しになったところで、私の目はもうほとんど光を拾えなくなりました。
私の病気は、幼い頃に発症してしまっていたためか、進行速度が早いようです。これでは、もう日常生活を送ることができません。
正直、もう、彼女の顔もよく見えません。
そろそろ、私の人生の終わりが近づいてきてようです。人生の意味とはなんだったのか、若輩者の私には、まだわからないままです。
電話を手探りで見つけ、あらかじめ、登録してあるアプリによってワンタッチで電話をかけました。
「もしもし、母さん? もう、ほとんど見えないんだ……」
母さんは、一つ、今から行くわ、とそれだけ伝えて電話は切れました。
彼女とは、時間の許す限りたくさんのものを見ました。彼女は、私に連れられて、どこへだって行きました。その全てが楽しかった、そのどれもが美しかった。
彼女は、私との約束を正しく果たしてくれていました。私は、彼女と出会うことができて、本当に楽しかった。彼女と出会った時間の全てが私の宝物です。
彼女との宝探しは、これでピリオドです。名残惜しいですが、彼女には何も伝えずに戻ろうと思います。ただ、楽しく、ただ、美しい思い出のままにしておきたいのです。私らしいといえば、私らしいです。
母さんは、その日の昼には私を迎えに来てくれました。随分と早い到着ですが、今まで私のわがままを聞いて一人暮らしをさせてくれたので、相当に心配をしてくれていたのでしょう。
「東京に帰りましょう。あなたをもう一人にさせておくことはできないわ」
一人ではなかったよ、と言おうとしたのですが、母さんの気持ちは痛いほどわかっています。まだ少し目が見えている私ですから、母さんが泣いているのがわかるのです。
だから、私は母さんのいうことを素直に聞くことしかできません。
「母さんの言うとおりにするよ」
私は、その日のうちに鳥取を離れることになりました。
東京に着いた時には、夜になりかけており、私は、東京にいた時にお世話になっていた大学病院に、そのまま入院することになります。
本来であるならば、入院する必要などないと思うのですが、母さんは少し心配性なのです。それは私の奔放癖が一つの原因ではあるので、たしなめることもできません。
そして、これからはもう、母に逆らうといことをしないことでしょう。
大丈夫です。私は、今までの人生でたくさんの楽しいと思えることや美しいと思えることを見つけることができたのですから、もう十分だと思います。
次の日の診断で、医師は私に言いました。
「もう、進行を遅らせる術はありません。次第に全てが見えなくなると思います」
顔見知りの医師は、私の手を握り、はっきりとした口調と落ち着いた物腰で私に伝えてくれました。
わかりきっていたことです。今更、失明宣告を受けたことで涙を流すことはしません。この宣告を受けるまでに心の準備は十分にありましたから。
それでも、願うことは、また……、彼女と楽しく、美しい思い出を作ることだったことに、少し、私を驚かせました。
決心していたことが揺らぎそうになるのを少しは止めたいと思うのですが、どうにも止めることができないようです。
人間とは、年をとるほどに欲深くなっていく生き物であるようで、それは、私も例に漏れることはありません。
流れ出す涙を止めることができないのです。また、彼女に会いたいと切実に思ってしまうのです。
また、彼女の下手くそな笑顔が見たいとそう思うのです。
また、彼女と砂丘に行きたいとそう思うのです。
まだ、彼女と一緒にいたいとそう思うのです。
願ってしまうのは、彼女のことばかり。ですが、それは私が鳥取に置いてきたもの、その全てだったのです。空を飛び、逃げる鳥のような彼女を私はもう取りに行くことができない。
だって、私はもう死んでいる。目の前に現れても、それが彼女だと認識することすらできない。
それがどれだけ私を苦しめるのか、想像に難くないことでした。愛してしまった人がわからない男にはなりたくないのです。
だから、私は、何も言わずに去っていく。それで彼女に恨まれることになろうとも、憎まれることになろうとも、私の思い出は、汚されず、楽しく、美しいまま、そのままにしておきたいのです。
これから死んだように生きることになる私の唯一の思い出。私には必要なものです。
彼女に対する感謝の言葉はつきません。
しかし、私は彼女に数え切れないほどの宝物をもらったけれど、それに似合う対価を私は支払えていない。
だったら、これからの日々を彼女の幸せを願い、祈り続けることに費やしてもいいかもしれません。いいえ、それがこれからの私の生きる意味になっていくことでしょう。これは、私の贖罪です。彼女を一人にさせてしまう私の贖罪なのです。
私は、死んだのだと思って、彼女には、これからうんと幸せになってほしい。そして、願っていいのなら、たまに私を思い出して、下手くそな笑顔を漏らしてくれると嬉しいです。
私は、その誓いの通り、東京に来てから、毎日、彼女の幸せを願い続けました。そして、そんな日々を繰り返していました。不思議と、彼女のことを祈っていると、私は生きていると実感しているのです。
個室の窓から見える夕日を見ながら(この時には、もう既に強い光しか拾うことができなくなっていました)、ぼうっとしていると病室にノックの音が聞こえてきました。
先ほど看護師による検診が終わっていたので、看護師ではないと思うのですが、母が来るには、随分と早いですし、母以外に今日は面会の予定などないので、ノックの主に私は見当がつきませんでした。
「どうぞ」
その人は、何も言わないままにドアを開けて、部屋に入ってきたことが音でわかりました。
部屋に入った瞬間に私にはわかりました。気持ち悪いと思われるかもしれませんが、忘れることができない匂いです。実際にその匂いに触れてみると、自分でも怖いくらいに覚えているのです。
彼女の匂いです。私が会いたくて、会いたくて焦がれた彼女の匂いです。はっきりとわかるのです。
でも、今、私が一番会いたくない人でもあります。それは男として、弱い部分は見せたくないという単なるプライドです。
彼女だとわかった瞬間に私は、思わず声を張り上げていました。
「なんで君がここにいるんだ!!」
随分と大きな声だったと思います。私の声は怒っていたと誤認させるほどのものだったと思います。
「あなたが突然いなくなるから……、探した。あなたが病気であったことも、あなたが苦しんでいたことも、あたしは知らなかったのね」
声色で彼女が泣いていることがわかりました。
病気であったことを黙っていたのは、彼女に余計な気遣いをして欲しくなかっただけだとは言えなかったです。そんなことを言ったら、きっと、彼女は怒ってしまうから。
でも、一つだけ彼女の言葉を訂正するなら、私は苦しんでいたわけではないのです。彼女といて、毎日が楽しく、毎日が美しかったです。ワクワクしたし、ドキドキもしました。彼女がいたから、苦しかったことなんて一度もありません。
「馬鹿なあたしは、あなたといつまでも一緒にいたい。あなたが病気であっても、それを知っても、変わらず、あたしはあなたと一緒にいたい。また、たくさんのところへ行きたい。それはあなただから思えることなの」
泣きながら、訴えかける彼女の言葉の一つ一つが決心していた私を動揺させるのです。長く一緒にいた彼女の感情が直接、私に流れ込んでくるのです。
でも、私は言わなくてはならない。彼女との決別の言葉を。
私と一緒にいてしまえば、きっと彼女は不幸になってしまう。それでは、私が納得いかない、彼女には、必ず幸せになってほしいのです。
「それは無理だよ。僕は……もう、何も見えない。君の顔ですらも……。もう……、もう死んだ人間だ。こんな人間を連れ回してたら、周りが迷惑だ。だから、これ以上近づかないでくれ、辛いんだ」
私の声は、震えていたと思います。悲しみが喉を塞いで息をするのも苦しいです。
何と言っても、言いたくない言葉たちで私を忘れてくれと言っているのですから、私個人としても、受け入れ難いことでした。
とうとう、彼女は黙り込んでしまいました。『もう見えない』と言われれば、百年の恋も冷めてしまうことでしょう。そのことが理解できました。
私は、このまま彼女が帰ってくれることを望んでいます。
「目が見えなくてどこかに行くのが怖いんなら、あたしがあなたを危険なく連れ回してあげる。あたしは、それくらいしたいの。いいえ、たとえ、あなたが嫌だって言っても連れ回すわ」
彼女の思いは、本物でした。私は、彼女自身の気持ちというものをこの時初めて聞いたのです。彼女は、私の事を彼女なりに考えてくれていました。
彼女の声の熱量は、高く、興奮していく彼女の息は、なお、熱かったです。
「いや、無理だ」
「そんなことない。あなたに少し生きにくい個性があったとしても、あたしがそれを補うわ。あたしはあなたの杖にだって、眼鏡にだってなれるのよ? それくらいさせて? あなたと一緒にいれるだけで、毎日が楽しかったの。—あたしは、そこまで惹かれてしまっている。それだけあなたは魅力的な人。あなたがそれを醜いと言っても、私はあなたと一緒に生きていきたい」
突然のベッドの衝撃と共に、彼女は、私に柔らかな接吻をしてきました。
一瞬、ちらっと彼女の顔が見えた気がしました。それは、気のせいなのではなく、いつも見ていた彼女の顔でした。
塩味のキスは、砂丘を連想させ、あの時のことが鮮明に思い起こされました。あの時の彼女の顔が今、目の前に見えているのです。
「あたしはここにいるよ。あなたのそばにいる。あなたに触れている。あなたと話している。それでも、あなたはもう死んでいるの? 目が見えないからって何なの。あなたは、生きているじゃない。
……。だから、あたしと一緒にいて? もう、あたしを置いてどこにも行かないで。
あたしは、もうあなたしか見えないの」
頭の弱い女でした。それでも私は、その女を深く愛してしまうのです。何も見えないように私に一直線になっていく女を深く……愛してしまうのです。
どうだったでしょうか。少し、公募用の物語が行き詰まっているので、アドバイスなど頂けたら幸いです。私と彼女に名前がないのは、仕様です。