藪蛇
「オロロロロロロロロロロロロロロロロロ――……」
とめどない吐き気は、とめどない吐瀉物へと変換される。
吐瀉物は俺の胃を駆け巡り、食道を駆け上がると、俺の口から男の顔面に、レーザービームのような感じで射出された。
あれほどまでに、俺を悩ませていた吐き気が、いまはもうほとんどない。
なるほど、俺はあれほどの強烈な吐き気と引き換えに、このレーザービームのような吐瀉物を錬成したのか。
なるほど、これが等価交換。
ヴィクトーリアではないが、俺はなんとなく、錬金術の極意というものが分かった気がした。
「へっ! きちゃねぇレーザービームだにゃ……」
永遠と続くのかと錯覚してしまうほどの「びちゃびちゃ」という水音が終わり、やがて吐き気も完全に収まった。
横にはなぜか、ニヒルな感じでにやにやしながら、俺が嘔吐するのを見守るビースト。
俺は一通りの射出を済ませると、そんなバカ丸出しなビーストを尻目に、テーブルに備えてあった紙ナプキンをとって、男の顔面を拭いた。
ゴシゴシゴシ……。
男は怒ることも笑うこともなく、ただその場で、微動だにすらしなかった。
怒ってるかな? 怒ってたらヤダな……でも、表情わかんないからな……。
俺は意を決し、男の目を拭くふりをしながら、さりげなく、そろそろとサングラスを取ってみた。
そして、サングラスの下にあったのは、あまりにもまっすぐな瞳。
サンサンと照り付ける太陽を、キラキラと、これでもかと反射しており、その眼からも多少なりとも、光を発光しているのではないか、と錯覚してしまほど、綺麗な目をしたヤクザ。
俺はその純真で無垢な瞳に気圧されて、おもわず、碌すっぽ拭いていない、びちゃびちゃなサングラスを、その瞳を封印するように、男にかけなおした。
男は未だに、何とも言えない顔で、俺を直視してきている。
やっぱ、ここは謝ったほうがいいよな。
人の顔面を吐瀉物まみれにしたんだから。
「えと……ご、ごめんごめん。会話の内容にビックリして……、おもわずレーザービームしちゃった」
「あ、はい。大丈夫っす。自分もそういうとき、ありますから」
「え? まじで? あんの? レーザービーム?」
「はい、いまはもうだいたい、周三レーザービームってます。もうビムってないと調子が悪いくらいっすね」
「まじかよ。どんなかんじ?」
「先ほどのよりも、もうちょっとスタイリッシュな感じっすね。もっとこう……ギューンっていって、ぼぎゃーんって感じの……」
「え、それは……引くわ」
「え。なにこれ、フォローしたのに?」
「……ご主人たち、にゃに話してるにゃ……」
「おっと、そうだった。話を戻そう。……それで、本当なのか? さっき言ったことって?」
「はい。今、ビト組は水面下で、ふたつの勢力の派閥争いが繰り広げられてるんす。ミシェール……つまり、現組長の派閥とテッシオさんの派閥です」
まさに青天の霹靂。
薬の情報を聞き出そうと、藪をつついてみたら、大蛇が現れた。
あまりの急展開に、開いた口がふさがらず、そして、開いた口から大量の吐瀉物が噴出してしまったわけだが……。
なんだ?
あのふたり……そういう素振りは、一切見せなかったよな……。どういうことだ?
「……ちなみにその派閥争いをしてるって自覚は、二人ともあるのか? おまえら部下が勝手にはやし立ててるとか、そんなんはないのか?」
「ふ、ふたりって言うと……?」
「とぼけるな。当然、組長とテッシオさんだ」
「……これ以上、まだなにか、情報が欲しいんすか?」
「ああ。おまえから搾れるだけ搾る」
「か、勘弁してください! そんなのバレたら、俺が組に消されますって!」
「まあでも、今おまえが情報を隠蔽しようとしたら、それこそ今、殺すからな。……この隣のケダモノが」
「にゃんにゃん」
「選べ、今死ぬか、後で死ぬか」
「ぐ……、そんな……殺生な……っ!」
「……よく考えてみろ。今断ったら即効で殺すけど、そのことを組にバレなきゃいいんだろ? そんなの、誤魔化す方法はいくらでもある。後者のほうが、圧倒的に、生存率の高い選択肢だと思うけどな」
「それもそっすね」
「うん。やっぱバカだわ、こいつ」
「え」
「いや、なんでもない。ただ、おまえがバカだなってだけだ」
「なぁんだ、そんなことっすね」
「……ご主人、ニャーはにゃんか、可哀想になってきたにゃ」
「わからなくはない。……さて、話を戻そう。二人はそのことについて、知ってるかどうかだ」
「も、もちろん知ってるでしょうね……。お互いがお互いを気に入らないから、分裂してるわけですし……」
「うーん……」
普通に考えるとそうなんだけど、見たところ、あの二人の様子は普通だったよな。
――いや、でもまてよ……、確かに、なにかと斬りあってたよな、ふたりとも。
主に、テッシオさんがちょっかいを出して、それでみっちゃんがキレてっていう……、今まで、ふざけあってる感じにしか見えなかったんだけど、じつはそうじゃなかったのか?
もちろん、目の前の男が嘘を言っている可能性もあるが、それこそこの男にメリットがない。
俺たちに見逃してほしいなら、もっと違う嘘をついているはずだ。
けど、こいつ言っていることが組に露見した場合、本当に組にいられなくなる。
事実、こいつはこのカードを切るのに、かなりの難色を示していた。
俺もテッシオさんはアヤシイと踏んでいたが、それはあくまで、一方的にテッシオさんが何かを画策していたのではないか、という話だ。
しかし、男の話を聞いている限りだと、双方が双方を潰そうと、水面下で火花をちらしているということ。
そうなってくると、それこそ俺が介入する余地はなくなってしまう。
組内部の問題だ。
そういう風に、組内部で取り決められているなら、俺たちが介入することで、さらにみっちゃんの立場は弱くなってしまう。
それこそ、本当に組長をやめさせられるほどに……。
『……さて、悪いけど、仕事の時間だよ。カタギさんたちは、どうぞ、お引き取りくださいな』
昨日みっちゃんが言っていた言葉は、もしかして、このことを指していたのか?
……いや、そう決めつけてしまうのは、まだ早計だ。
しかし、だとすると、何を訊けばいい?
まだピースは出揃っていない。
今回の、この事件の全貌は、まだ見えていない。
だったら、まだ情報が必要になってくる。
しかし――
「にゃ。おみゃー、組がふたつに分裂するって言ってるにゃが……構成員全員はそのことを知ってるにゃ?」
その質問だ。
ナイスだ、ビースト。
そもそも構成員全員が、二人が取り決めで、組の頭を決めると知っていたのなら、こんな大事にまで発展するはずがないのだ。
話を聞いている限りだと、こいつはテッシオさん側の人間。
もし、みっちゃん側の構成員が、このことを知らずにいたら……。
この質問の、答えの如何によっては、この事件に対する、俺の見方はがらりと姿を変える。
さあ、どうだ。
どう答える……?
「――知りません」
「……それは、おまえが――という意味か?」
「……いえ、構成員がです」
「おみゃー……さっきから、にゃんか隠してるにゃ?」
「え、あの……」
「これ以上にゃにか隠してるって感じ取ったら、その首、次の瞬間には胴体から離れるにゃよ?」
「ぐぐ……! ……はあ、観念します。じつは今回の――テッシオ次期組長による、現組長暗殺の件は、現組長側の構成員どころか、組長にすら知られていません」




