西紅柿
朝方に、アムダの神殿を発った俺たちが、キバト村についたのは、陽が傾きかけてきた頃。
村の第一印象は、思ったほど暗くない。むしろ、明るい……だった。
とりあえず俺たちは、宿を取るために村で宿を探したのだが、どうやらキバト村には宿はないらしい。
珍しいな、と思いつつなにか代替案はないのか? と、村長に尋ねると民宿ぽいものがあるとのこと。
とりあえず、歩き詰めでしんどかった俺は、そこに泊る旨を伝えると、カタログのようなものを渡された。
カタログにはこれまたビッシリと、民宿の紹介が星付きで載ってあった。
不思議に思いつつも、俺は適当に星が三つ付いている中くらいの民宿を選んだ。
民宿につくと、家の中から、人の良さそうな老夫婦が、俺たちを快く招き入れてくれた。
家はそこらへんにある民家と何ら変わりなく、特別、『民宿らしさ』を感じることはなかった。
とりあえず、風呂に入りたいとのことで、女性陣は遠慮がちに風呂へ、俺は手持無沙汰になるのもなんか嫌だったので、食卓へと移動した。
食卓にはすでに食事の用意が出来ており、俺に気がつくと老夫婦はにこっと笑顔を浮かべ、俺を食卓に座らせてきた。
……ちなみに、その食卓にはトマトや、トマトを使った料理は一切なかった。
「おや、その覆面は食事中にも取らないので?」
「ああ、気を悪くしてしまったらすみません。昔、火事で顔面を大火傷してしまいまして、その名残で人に顔を見られるのがあまり得意ではなくて(ウソ)。もし、気になされるのでしたら、取りますが……」
ちなみに、隠者の布は相変わらず、顔に巻くことにした。
さきほどの騒ぎは、『突然、口に飛び込んできた虫かなんかを誤飲してしまい、それで息ができなくなってしまった』ということで、なんとか納得してもらった。
こういう時ばかりは、純粋な子ばかりだと助かる。
ならそんな純粋な子を騙すことに何ら抵抗はないのか、と問われれば――ない。
んなもんはない。だって、未遂ですし。
「おやおや、そんなことが……。気にしないでください。ただ少し気になっただけです。あなた方は、わしらの御客人。どうぞごゆるりと、くつろいでいってくださいませ」
「ありがとうございます」
さて、色々と訊いておきたい事はある。
なにしろ、俺がクリムトから聞いていた印象と、実際の村の印象がかけ離れている。
本当に、この村は魔物に支配されているのか。
それとも、クリムトが言っていた通りただの根も葉もない、噂話だったのだろうか。
まあでも、このふたりに聞くのは、あの三人が風呂から出てきた頃だろう。
……というか、一般民家風なのに、あの三人が入れるほどの風呂があるんだな。
さすがは民宿と言うべきか……いや、それとも今、浴室はすし詰め状態!?
くんずほぐれつ状態!?
キャッキャウフフ状態!?
やべえな。
男の浪漫がこんなにも近くに、まさに手を伸ばせば届くところにあるとは……。
これは、飯食ってる場合じゃないな。
其処に風呂があれば、覗かざるは男の恥。
これ以上、恥の上塗りをしてたまるか。
男ユウト。
桃源郷に飛び込み、真なる男へ――
「おー、いいにおいがするな、食事はもう出来てるのか」
「あ、ユウトさんこちらにいらしたのですね」
三人は、すでにその身に湯気をくゆらせていた。
ほのかに香るはトイレタリーのかほり。
その香りが三人はもう、風呂から上がったということを如実に表していた。
よかった。
俺は罪を犯さずに済んだのだ。
「……おにいちゃん、もういっかい、今度はあたしとお風呂に入る?」
「心の中を見透かしてるんじゃねえよ。それに、天地がひっくり返っても、おまえとは風呂に入らねえ」
「残念。こんなに成長したのに……」
そういって、ユウは無駄に成長した胸部の駄肉を、これでもかと強調してみせた。
「ふむ、確かにユウのはすごかったな……」
「えー? そんなことないよー、ヴィクトーリアさんだって、素敵だったよ?」
「ううう……わたしだって成長すれば、いずれ……」
アーニャだけが会話に参加できず、俯いていた。
大丈夫、物事には専門分野というものがある。この場合は胸の事だ。大きければいいなんてことはないんだ。靴の大きさがそれぞれあるように、胸の好き好きも人それぞれ。大きいのが好きな人もいれば、もちろんその逆もいる。だから、キミが落ち込むことなんてないだよ。元気を出してくれ。
――と、励ましたかったが、やめといた。
傍から見たら、ただの変態だからである。
「……まあ、ヴィクトーリアも相当なのはわかっている。なんせ八十六もあるんだしな」
「ゆ、ユウト……!? それは忘れろと言ったではないか!」
「フム、ハチロクか。この数字は忘れそうにないな……」
「お、おまえを殺して、わたしも死ぬぅー!!」
◇
一通りヴィクトーリアにボコられた後、俺たちは老夫婦と仲良く食卓を囲っていた。
不機嫌だったヴィクトーリアも、いまでは笑顔で白米をかっ込んでいる。
「おかわり!」
「はいはい。よく噛んで食べてくださいね」
「……それにしても、残念です。食卓にひとつもトマトがないなんて……」
落胆した様子を見せるヴィクトーリア。
……?
なんだ? いま、あの二人、ちょっとピクっと動いたような……?
「最近は不作でして、とくにキバト村名産のトマトは採れなくなっているのですよ」
やっぱりそうだったのか。
てことは、その原因も……?
「では、その原因は魔物だったりするのですか?」
ナイスだ、ヴィクトーリア。
聞きたい事を聞いてくれた。
……でも、やっぱり妙だな。この問題に触れようとすると、すこしだけふたりの動きが止まる。
ふと横を見てみると、ユウも箸の手を止めて、おばさんのほうを見ていた。
こいつも、獣なりになにか感じ取っているのだろうか。
「……いいえ、魔物ではありませんよ。ただ不作なだけです」
「へーえ、そうでしたか。なんだユウト、どうやらクリムト殿の言ってたことは、ただの噂だったみたいだな」
……だと、いいんだけどな。
「……ところで、あなた方はどうしてキバト村へ?」
「魔物退――」
「観光です」
ヴィクトーリアの言葉を遮る。
それに特に意図はないけど、本音を言い合う必要もないだろう……と、判断したからだ。
それになんだか、この二人の態度もなんとなく引っ掛かる。
「観光……ですか。それまたどうして、こんな村に……?」
むぅ……、これまた予想外な答えが返ってきた。
一番、適切な回答をしたつもりだったのだが、どうやらこの村に観光に来ることは、おかしいようだ。
……てっきり、あれほどの民宿があったのだから、観光客も多いものかと思っていたのだが……どうやら違ったらしい。
「いえ、俺たち、なにせ都会生まれの都会育ちですから、なにぶん自然と触れ合う機会がなくて、それで自然豊かな、キバト村を選んだんです。明日もキバト村は近くの森なんかを散策しようと思ってまして……」
「……? ユウトさん、なにを?」
「ユウト?」
……しまった。
嘘はなるべく、ひとりの時につかないとふたりが混乱してしまう。
ユウは黙ってるけど、アーニャとヴィクトーリアが案の定、怪訝な顔でこちらを見ている。
どうしたものか……。
ここはなんとか気づいてもらうため、ウインクをしてみることにした。
「………………」
二人はなにやら黙って、俺の顔を見ている。
気付け。気付いてくれ。もはや高速瞬きと化してしまった、このウインクを!
「……あー!」
アーニャのほうが、突然ぽんと手を叩いて声をあげた。
どうやら、俺の意図に気付いてくれたようだ。
アーニャはヴィクトーリアにこそっと耳打ちをすると、今度はヴィクトーリアが「あー」とポンと手を叩き、俺に液体の入った小瓶を渡してきた。
「……なんだこれ?」
「目薬だ。使っていいぞ」
「あのね、ヴィクトーリアさん。おにいちゃんは多分、この村がクリムトさんの話とはだいぶ雰囲気が違うから、クリムトさんの話は所詮噂で、特に何も問題はないなって思ったんだけど、さっきからあの二人の様子がおかしいし、トマトもなんやかんやで出ないしで、不思議に思ったの。それで、さっきからちょくちょく探りを入れてる限りだと、あのふたりを問い詰めても、これ以上は有益な情報を得られそうにないから、ここは嘘をついて、適当に乗り切って、後日改めて、この村を調査しようってつもりなんだと思うよ」
「ほう、なんだ、そうだったのか」
「うん。そうだけど、それ言っちゃダメだよね? ユウ?」
「えへへ……つい」
「褒めてねんだよなー……」
俺はそろりそろりと振り返り、老夫婦の顔を見る。
……しかし、どうやらふたりはユウの話を聞いて取り乱す様子も、かといって、何か咎めてくる素振りもなかった。
……うーん。杞憂か? この村にはホントに何もないのか?
まあ、いいか。
調査をするって言っても、怒らなかったんだから。
あとは適当に調査だけしたら、アーニャもヴィクトーリアも納得してくれるだろうし。
それからポセミトールに向かえばいいんだしな。
……でも、その前に――
「ああ、その、嘘ですから。こいつ、昔から虚言癖があるくせに、誇大妄想癖もあって、ことさら手が付けられないんですよ。いまのはほんと、忘れてください。明日は森にカブトムシでも捕まえに行くんで」
「なるほど、そうでしたか。森に……それは、気をつけてくださいね」
「え? あ、はい」
「……それでは、もう夜も更けてきたことですし、そろそろお休みになられては?」
「そ、そうですね」
「ユウトさんと皆はどうぞ、休んでいてください。わたしは後片付けを――」
「ああ、後片付けはワシらがやりますので、そのままで」
食器に手を伸ばしていたアーニャがおばさんに止められる。
アーニャは出掛かった手を引っ込めると「では、お言葉に甘えて……」と言い残した。
俺たちはそのまま、老夫婦に見送られるようにして、それぞれの寝室のある二階へと上がっていった。




