アムダの大神官
アムダの神殿地下二階。
……おかしい。
静かすぎやしないか?
ここはもっと、なんというか、神官たちが忙しなく動いている場所のはずだ。
事務所があるはずだし。
それが、一人も見えない。それどころか、気配すら感じない。
それに、地下一階から地下二階につづく階段に、なにやら立ち入り禁止の立札も立ててあった。もちろん無視して進んできてはいるが……。
そしてなにより気になったのは、鼻腔をくすぐるこの不快な臭い。
これは……血と油のにおい。
それも、魔物のような刺激臭ではなく、どちらかというと同族の、鼻に纏わりついてくるような臭いだ。
しかも、これは相当な数だ。
一人や二人などではない。十人以上は――
「!?」
俺は目を疑った。
地下二階への階段を下りた先にある、長い廊下の突き当り。
遠くからではその全貌がわからなかったが、近づくにつれ、その全容が、臭いがあるひとつの事実を指し示していた。
大量の人間の死体。
そこにはなんと、神官たちの死体が山のように積み重なっていたのだ。
ここで行われたのは、無慈悲の虐殺。
どれもこれも廊下側を背に息絶えていた。
そして、この腐敗臭からして、死後数時間のものではないことが判明した。
なんだ?
どうなっているんだ?
アムダの神殿で一体、何が起こっているんだ?
「……ッ!」
そこで、脳裏に浮かびあがったのは、三人の顔。
三人が危ない!!
俺が踵を返そうとすると――
『そこに、誰かいるのですか……?』
と、背後から何者かに呼び止めれた。
俺を呼び止める声。
それも若い男の声。
死体はしゃべらない。ということは……俺はこれに対し、返事をすることを迷った。
理由はふたつある。
ひとつ、俺は戦えないからだ。
もし、返事をして俺がいることがわかったら、そいつが襲い掛かってくるかもしれない。
いま息絶えているこの神官たちと、同じようになってしまうかもしれない。
どう見ても、この状況は普通じゃない。何が起こっても、不思議ではないのだ。
これが誰による仕業かも、何が目的なのかも、そして、どうやって死体を積み上げたのもわからない。
なにひとつとしてわからない。
そうなってしまうと、後手に回らざるを得なくなる。
単体での戦闘力皆無の俺が、ここで襲われでもしたら、それこそ終了。ジ・エンドだ。
そしてふたつ目、これが一番の理由。
ここから一刻も早く出たかったからだ。
ここでもし返事をして、声の主に悪意が無かったことがわかっても、その時点ですでに時間のロスだ。
新手が階段を下って、ここへやってくるかもしれないし、そもそも、声の主はそれが目的なのかもしれない。
そう、だからここで俺が選択すべき行動は、この声を無視して――
「お願いです! ここから出してください!」
「………………」
無言。
なんだ、囚われてるのか……?
しかし、それが罠じゃないという保証もない。
「この惨状を見て、警戒なされているのはわかります! しかし、私はここの大神官です! どうか、どうか助けてはいただけませんか?」
「………………」
第一、なんで俺が助けてくれるやつだと思ってんだよ。魔物とかだとは、欠片もおもわねえのか? この大神官様は? その時点で怪しい。
……はあ、もういいか。考えるのも馬鹿馬鹿しい。
そろそろ行かないと、まじめに三人が危ないかもしれない。
悪いな、大神官様とやら。
俺はここでまごついてる暇はねえんだ。一刻も早く上階へ戻って、あの三人のところへ行かないと。
「もしここから出してくれれば、きっとお礼をいたします! アムダの総本山がしこたまため込んでいる金銭を、すべてお譲りいたしま――」
「うおっけぇーい!!」
「! や、やはり、どなたかいらしていたのですね! ここです! 部屋の中です!」
はっ!? やってしまった!
金銭を全部くれるという悪魔のようなワードに、俺のハートが震えてしまった。
やってしまったことは仕方がない。このまま魂のビートを刻むしかないか……。
「おい、あんた! 部屋の扉が神官たちの死体で隠れてて、とてもじゃないけど入れない。どうしたらいい?」
「とてもじゃないなら、根性で何とかしてください!」
無茶を言うな、この大神官様(仮)は。
「無理だ! 根性で何とかなるんなら、もうとっくにしてる!」
「……そこに、侵入者撃退用の罠があるはずです! なにか、ボタンのようなものが見えませんか!?」
「ボタンって言われても……」
そう言われて、俺は鼻をつまみながらあたりを見まわしてみる。
死体、死体、血だまり、死体、死体、死体……。
それ以外には何も見えない。第一、侵入者撃退用の罠だろ?
それって、俺危なくねえか? 大丈夫か?
……そう考えていると、死体の山のすこし横。
部屋の扉の横に、小さな、呼び鈴のようなボタンが備え付けられてあった。
怪しい……けど、ボタンっていったらこれしかないんだよな。
「なあ! 大神官様! 扉の横に、呼び鈴ぽいのがあるんだけど!」
「そう、それ! それです!」
やはりこれか。
どうする? 押すか? いや、押すだろ。ここまで来たんだから。
逆にどうやったら、押さないって選択肢ができるんだよ。
よし、押すぞ! 押すからな!? 押す! 押すんだ! いくぞ! さあ、押 せ! 俺! 押せ!
「押せよ!」
部屋の向こう、大神官様(仮)が俺に向かって怒鳴りつけてきた。
その気迫に気圧され、俺はとうとうボタンを押してしまった。
……しかし、何も起きない……?
「ああ、そうそう。ただ、押すときに気をつけてくださいね! ――死にますから!」
「へ」
大神官様(仮)の声に呼応するようにして、ガチャコンと円筒の物が天井から出てくる。
次の瞬間――
ボゴォォォォォォォォォォォォ!!
大火力の青炎が、死体を焼いていった!
なんとかして難を逃れた俺は、端に寄ってその光景を見守ろうとするが――
「オエッ……! オエエエエエエエエエエエエエ!?」
なんだ、この刺すような刺激臭は!?
鼻から全身に抜けて、頭を凌辱されたような感じ。
気持ち悪い。視界が揺れる。呼吸したくない。
なにより、目が開けられない。
全身が全霊で、ここに居ることを拒否している。
一刻も早く、ここから逃げ出してしまいたい。
それでも、俺をここに縛り付けているのは大神官様(仮)との約束か、はたまた足が竦んで動けないでいるのか。
結局俺は、永遠とも思えるその永い地獄を前に、直立不動で立ち尽くしていた。
◇
そこにあった死体がすべて黒焦げの焼死体と化したのは、時間にしておよそ数分。
それほどまでに、侵入者撃退用の罠というやつの火力は優秀だった。
そして、人間の慣れというものは怖いもので、あれほどまでに体が、頭が拒絶していた臭いさえも、今はなんら感じなくなっていた。
俺は焦土と化してしまった待機所前廊下で、ただ作業のように、待機所の扉を開けた。
あれほどの火力を受けたにも拘らず、扉は健在で、ドアノブはびっくりするほど冷たかった。
ギィ……。
俺はノブを回し、おそるおそる待機所内へと入っていった。
そこにはなんと、薄黄色い球体の中に閉じ込められている大神官様(?)がいた。
球体は物理的なものではなく、魔法によって生成されているのか、時折『ブゥン』と輪郭が朧気になっていた。
そしてその中心、緑色と白色の十字架が描かれている帽子。
真っ白い神聖そうなローブ。
顔は残念ながら、目元爽やかなイケメンである。
年のころは俺とあまり大差ないように見てとれた。
「無事だったのですね、ここです、助けてください!」
「……いや、助けてくださいって言っても……」
「この魔法牢に触っていただければ、それでいいのです。どうか、お願いいたします」
「いや、なんかこれ触って、また死にそうになったりしない?」
「……はい。問題ありません」
「いや、一瞬言い淀んだよね。見逃さねえよ? 二度目はねえからな? さっきのだって、光の速度を誇る俺の反射神経があったからこそだからね?」
「いいから早く触りやが……てください! このままでは、後にも先にも進めません」
「はあ、まあいいや。ここで確認させてもらうけどさ、あんたを助けたら、なんでも欲しいものくれるんだよな?」
「はい! はい! もちろんです!」
「……じゃあ、いくぞ……!」
俺は恐る恐るその魔法牢へと近づいていくと、人差し指でチョンと触れた。
すると魔法牢は見事にパァンと霧散し、中からイケメン大神官様(仮)が出てきた。
「……いますぐ色々と請求してやりたいけど、そんなこと言ってる場合じゃないのもわかってる。俺はもう上へ行くから、おまえはどこかに隠れてろ」
「やらねえよ……」
「へ?」
さきほどとは全く違う声色に違和感を覚え、振り返る。
大神官様(仮)は煙草を口にくわえ、手に持ったライターでカチッ、カチッと火をつけていた。
「……いま、なんか言った?」
「……ふぅ。助けてくれたことには礼を言う。けど、それだけだ。おまえにやるもんは何ひとつねえ」
大神官様(仮)紫煙を燻らせながら、さきほどまでとは違う視線で俺を見据えている。
なんだこいつ。
二面性というか、別人格か?
さっきと全く違うんですけど。
「おま……! おい、フザケてる場合じゃねえだろ」
「おまえ、あれだろ? 筆頭勇者のパーティ『ユウト』だろ?」
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