ヴォミット
「……たしかに、目立つルートは避けろと言ったけどさ……臭すぎるんだけど!?」
俺たちは今、ヴィクトーリアの先導に従い、ネトリールの地下下水道の中を進んでいた。鼻を抉るような悪臭が気道を抜け、肺にたまり、それをまた口から吐き出すような感覚。一歩踏み出すごとに吐き気を催し、それを必死に抑え込むという動作を繰り返していた。
「やめてくれユウト……臭いと言えば、それだけ気分も落ち込んでくる。ここはあえて、いい匂いだと言おうじゃないか」
「……そういう問題か?」
「病は気から。臭気は思い込みから」
「なんだろう。今のおまえは、いつも以上にマヌケに見えるよ……」
「すー……はー……すー……はー……。うーん、いいにお――げほえほえほっ……うおえっ!?」
ヴィクトーリアは思い切り空気を吸い込んだかと思うと、突然せき込み、嘔吐きだした。
「地獄だ……」
ふと隣を見ると、パトリシアが心配そうな顔で俺を見上げていた。
「あの、お二人とも気分が優れないようですけど、今からでも引き返したほうが――」
「も、問題ない。ヴィクトーリアが言うには、この下水道、そこまで長くないみたいだし……」
「ですが……」
パトリシアが言いかけた直後、背後のヴィクトーリアが慟哭を上げながら口から虹色のなにか(明らかにゲ〇)を吐き出した。戦慄し、足が震えて動けない俺を他所に、パトリシアはすぐさまヴィクトーリアに駆け寄って、その背中を何度もさすった。
「お、おーい、ヴィクトーリアー……大丈夫か?」
「ず、ずまない見苦じい所を……でも……」
ヴィクトーリアは口元をワイルドに拭うと、俺に向き直った。
「なんかスッキリした」
「はやくねーか?」
そう言っているヴィクトーリアの顔はどこか、何かをやり遂げたような、清々しい顔をしていた。
「いっそのこと、ユウトも出したらどうだ? 胃の中に何かあると逆に辛いぞ?」
「そんな、慰められるように言われてもだな……いや、俺は我慢するよ。だから引き続き案内してくれ」
「そうか……スッキリするのに……」
ヴィクトーリアはそう言うと、肩を落としながら先導を再開した。
そうは言うが、下水道で二人並んで仲良くゲ〇を吐くのもなんか違うだろ。どんなパーティだよ。
「……て、今更だけど、パトリシアはあまり辛そうに見えないよな? 王族だし、こういうのって俺ら以上に敏感なんじゃないのか?」
「あ、私ですか? いえ、私はその……ある程度感覚を遮断できるので」
「感覚を遮断……? どういうことだ? もしかして、パトリシアもアーニャと同じで機械化されてるって事か?」
「私は体を機械化させておりません。機械化しているのはお姉さまだけです」
「いや、でも感覚を遮断って……」
「そうですね……なんと言えばよろしいでしょうか……。ここで暮らしていると、否が応でも、人体がある程度まで機械に近くなってしまうのです」
「じゃあ、ここにいるネトリール人って……」
「あ、いえ、機械に近くなると言っても、お姉さまのような、ほぼ完全な機械化ではなくて……ですね……」
「それぞれの国の人間の特色……個性のようなものだ」
パトリシアが言い辛そうにしていると、ヴィクトーリアがすかさず前から助け舟を出してきた。
「個性って、具体的にはなんだ?」
「具体的にいえば……そうだな、同じ人間でも肌の色が黒い人間やちょっと黄色い人間がいるだろう? ネトリールの人間はそれらと同じで、リヒトの心臓の影響を受けやすい体質になっているんだ。だから、他の種族の人間とは違い、ある程度までなら機械のように体質を操作できるという事だ」
「すげー種族だな……でも、ずっと心臓と共にあったのなら、そういう影響も受けるかもしれないって事か……。あれ、じゃあなんでヴィクトーリアは盛大に吐いたんだ?」
「わ、私は昔からニオイに敏感だし、それに――」
「個々人によって、心臓の影響が違ってくるのです」
「なるほど。つまりヴィクトーリアが吐いたのは、こいつが不器用だからって事か」
「あ、あまり吐いた吐いた言わないでくれ……恥ずかしいじゃないか」
「おまえはさっきまで俺に吐くことを勧めてたよな?」
「しかしまあ、そんなところだ。私はどうにも、こういった体質の調整が昔から苦手でな……」
「ええ。ヴィクトーリア様はそれでよく、武器をうまく扱えないと、ガンマ様に怒られていましたわね。ふふふ、懐かしいです」
パトリシアはそういうと、何かを思い出したように小さく、口に手を当てて笑った。
「わ、笑い事じゃないですよ、パトリシア様。そのたびに降ってくる団長殿の拳なんて、洒落にならなかったんですから~……」
「ははは。だからおまえ、ガンマがいた時、機械みたいにずっとガチガチで緊ちょ――うおろろろろろろろろろろろろろろ……!!」
◇
「どうだ? スッキリしただろう?」
ヴィクトーリアが軽快な声で尋ねてくる。
あの後……俺が盛大にリバースした後、たしかにまだ息をするときに、耐え難い悪臭に顔を歪めることはあるが、吐き気を催すことはなくなっていた。
だが、結果として俺は、二人の目の前で盛大に催してしまったわけだ。
些か気を抜きすぎたことが此度の敗北の原因だが……恥ずかしい。
「まあな。……ていうか、さっきから足元に散らばっているコレ……よくわからんが、何かの機械……なのか? なんなんだこれ?」
下水道の通路には、なにかよくわからない機械片などがあちらこちらに散乱していた。時折、バチバチと電気を放ったり弱弱しいが明滅を繰り返したりしていて、その度にビクッとなってしまう。正直、心臓に悪い。
「機械……たしか下水道にも何体か、機械で出来た犬を配置していたような……」
「機械で出来た犬……」
「そうだ。主にセキュリティとして稼働している。侵入者がくればおそいかかるような仕組みになっていたと思うぞ。他には特に思い当たらないし、だからそれだろう。そして、それらが散乱しているのはおそらく、ユウトが言っていた、ここで起きた爆発に巻き込まれたか……」
「誰かがここを通った時に、その機械犬とやらを排除したか……だな」
「どうするユウト? 辺りに何者かが吐いた跡があるかどうか、調べてみるか?」
「バカ。調べてどうするんだよ、気持ち悪い。そもそも、ここを通ったやつなんて、ユウとジョン以外考えられないだろ」
「たしかに、それもそうだな。……いや、でも、機械犬は単体ではさほど脅威にならないが、すぐに異分子に対して集まってくる習性がある。だから集団になると、いくらユウでもそれなりに手こずると思うのだが……ましてや魔法を使えないとなると……」
「何言ってんだ。ユウはここに来てからずっと魔法を使えてるぞ」
「な!? それは本当か?」
「ああ。俺やジョンが使えなかった中、ユウだけはずっと使えてたな」
「しかし、マジックドレインは作動していたのだろう?」
「だからそう言ってるだろ。俺とジョンが使えなかったって」
「ううーむ……なぜだ?」
「知るか。おまえ、そのあたりに詳しいんだろ? おまえこそ、なにかわからないのか?」
「うん。わからない」
「……ポンコツめ」
「ひ、ひどい!? ……でも、そうなってくると、ますますユウが心配だな。急がないと」
「あいつは……まあ、大丈夫だろ」
「……なぜそう言い切れるんだ?」
「たぶん、な。俺にもわからんが、あいつがくたばっているところなんて、想像できないからな」
「た、たしかに。あのユウが……なんて、私にも想像ができない……かも」
「あ! ここではありませんか?」
パトリシアが足を止め、下水道の上部を指さした。そこには地上へと続く梯子と、円形の蓋があった。