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チャドの霊圧は消えない

作者: はじ


 月曜の朝、コンビニで立ち読みをした週刊少年ジャンプのなかから、もう連載終了から2年近く経つというのに、あの漫画を探してしまった。雑誌を一通り読んでから、何か物足りなさを感じて、後ろの目次ページに何度も視線を上下させて、探してしまっていたのだ。

 しばらくして、ああもう、ここでは読めないのだと雑誌棚の先にある景色を眺めながら感慨に耽る。毎日通る道にぽっかりと穴が空いていることに改めて気付いたような、そしてそれがあまりにも大きいことに戸惑ってしまったような、そんな心地を引きずったまま、何も買わずコンビニをあとにした。

 駅へと続く道を多くの人が歩いていた。職場や学校といった各々の目的地へと向かうその歩き姿に、迷いや戸惑いは一切ないように思えた。

 思えただけで、各々の中にはぼくと同じように休日明けの沈鬱が秘められているはずだ。それを紛らわすための週刊少年ジャンプだというのに、ぼくの気は晴れるどころか渦を巻いた雲のように、重く重く全身にのし掛かってくる。駅に向かう人々に合流したものの、足が重くて周囲の速度にどうも乗り切れない。バキバキ歩くスーツ姿の会社員や膝上30センチスカートの女子高生、母親と手を繋いだ幼稚園児にすら追い越される始末で、脇にあるブロック塀を欠伸まじりに歩いていく三毛猫にも抜かされてしまうと、もう止まっても変わらないんじゃないかな、変わらないよ、うん、変わらない変わらない、と思って立ち止まる。途端に周りの流れは速まり、わぁ、みんなバキバキだぁ! と感動する間もなく数え切れないほどの人々がバキバキ追い越していく。


 バキバキ、バキバキ

  バキバキ、バキバキ

   バキバキ、バキバキ

    バキバキ、バキバキ

     バキバキ、バキバキ

      バキバキ、バキバキ

       バキバキ、バキバキ

         バキバキ、バキバキ

          バキバキ、バキバキ

           バキバキ、バキバキ

          バキバキ、バキバキ

         バキバキ、バキバ

        バキバキ、バキバキ

       バキバキ、バキバキ

      バキバキ、バキバキ

     バキバキ、バキバキ

    バキバキ、バキバキ

   バキバキ、バキバキ

  バキバキ、バキバキ

 バキバキ、バキバキ


 まるで軍隊のように統率されたバキバキ行進のなかから、こんな会話を耳にする。

「昨日のシュテルンリッターの会議、大変だったよ。一番大事な書類にシュリフト忘れててさ、もう部長はかんかんでクインシー・フォルシュテンディッヒになっちゃって。俺も虫の居所が悪くてさ、クインシー・レットシュティールで応戦したんだけど、部長が、私はエヒト・クインシーだぞ、お前は所詮ゲミシュト・クインシーじゃないか! って、持ってたハイリッヒ・プファイルを投げてきて、それで俺も頭に血が上って、即ブルート・アルテリエ。でもやっぱ、エヒト・クインシーのブルートは全然違うわ。部長のブルート・ヴェーネに全く歯が立たなくて、結局最後はスクラヴェライされちまった」

 耳を疑うよりも前に、話していた人物を探した。しかし、過ぎていく行進は速すぎて、人々は代わる代わるの入れ代わり立ち代わりで、もう誰が誰だか分からない。それでもどうにか人を掴まえては、「あ、あのクインシーの方でしょうか?」「あ、あのクインシーの方ではないでしょうか?」「あ、あのクインシーの方でしょう?」「あ、あのクインシーの方でしょうね?」「あ、あのクインシーの方ですよね?」「あ、あのクインシーの方でしょ?」「あ、あのクインシーの方?」「クインシーのかたー! このなかに、クインシーの方はおられませんかー!」と尋ね歩いてみたが、怪訝な顔をして、その表情の残像だけを残して一瞬で歩き去ってしまう。

 いつまで経っても発見できず、もう諦めて粛々と駅に向かい、粛々と電車に揺られ、粛々と仕事をこなそう、今日も粛々と生きようと思い、道の先へと顔を向けたところで、そのど真ん中にマンホールよりもやや大きな穴が、ぽっかりと空いているのを見つけた。そしてそこから、しくしくと泣き声が聞こえてくるのだ。ぼくは戸惑いながら歩み寄り、なかを覗き込む。深さは思っていたよりもなく、2メートルほどだった。そしてその穴底にいる俯いた女の子が、しくしくの発生源だった。

 ぼくは問いかける。

「どうしたの?」

 女の子は伏せていた顔を上げ、その目元にうすく伸びた涙のあとを拭おうともせずに、

「チャドの霊圧が消えてしまったの」

 寂しそうに、そう呟いた。

「えっ? チャド?」

 ぼくが尋ね返すと、女の子は鼻を一度すすってから静かに話し出した。

「身長197センチメートル 体重112キログラム メキシコ人のアブウェロのもとで育った彼の幼少期は荒れていたわ。生まれながらの恵まれた体格をつかい、自分の意にそぐわないものたちを力づくで従わせていた。思い通りにならないものには暴力を、圧倒的な暴力を、容赦なく、圧倒的な暴力を、容赦なくふるった。でもそれが正しかった。彼のいる世界ではそれが当たり前だった。身体が丈夫なものが生き残れた。拳を固く握ったものが全てのものを手に入れられた。背丈が高いものだけが世界を見下ろすことができた。彼にはそうなる権利があった。

 でも、彼は変わる。

 そう、アブウェロのおかげで。

 毎日のように暴力をふるっていた彼を見かねて、アブウェロはこう言うの。

『おまえのその巨きく強い拳が何のためにあるのかそれを知りなさい』って。

 彼はその言葉の意味を考えたわ。でもいくら考えても分からなかった。彼は思考から顔を上げて自分の周りを見渡す。明かりの消えた通りには、多くの悲劇と数々の非業が壁にもたれかかって喘ぎ、地面に横たわるものはもう喘ぎもしなかった。それは今この瞬間にも積み上げられていた。積み上げているのは彼だった。

 彼は訊いた。


『おまえのその巨きな身体は何のためにある』


 そいつは答えなかった。彼は腹が立って殴った。そいつは倒れた。それでも殴った。馬乗りになり動かなくなるまで殴った。そいつの巨きな身体がぼろぼろになるまで殴ったあと、強く握られている拳に彼は訊いた。


『おまえのその巨きく強い拳は何のためにある』


 拳は答えなかった。嘘みたいに赤い血液を滴らせて、まだ殴り足りないのか、強く、つよく、己を握りしめていた。痛かった。この血液は自分のものなのかもしれない。そう思った彼は、その拳で自分の胸を殴りつけた。


『おまえのその巨きく強い拳は何のためにある』


『おまえの、その巨きく強い、拳は、何のためにある』


『おまえ、の、その、巨き、く、強い、拳、は、何のために、ある』


 殴る度に息は途切れていった。

 それでも殴り続けた。

 だれも答えないのなら、もうここにしか答えはないと思った。

 でも、いくら殴っても頑丈な身体は応えなかった。

 拳だけが痛かった。

 一体何のためにあるのか分からない拳だけが、


 痛かった。


 痛くて仕方なくて、

 手を止めて空を仰いだ。


 青かった。


 ただ青かった。


 絶望も希望もなく


 ただ青かった


 その青空に


 霹靂のような痛みが奔った


 自分の拳の痛みだとは

  すぐには気付かなかった


 気付けなかった。

 おそらくずっと、気付けていなかった。

 痛みはどこにでもあるのだ。


 光の届かない路地の暗闇にも

 砂ぼこりを被った老人にも

 物乞いをする子どもにも

 それを打ち抜く弾丸にも

 物思いにふける少女にも

 トラックの荷台から眺める

 鉄格子に区切られた青空にも

 それらを止められなかった

 巨きく強いだけの、この拳にも


 彼は知る

 俺は知った。


 彼はようやく知った。

 俺のこの巨きく強い拳が何のためにあるのか、それを知った」


 女の子は淀みなく動かし続けていた口を止める。

「でも、もう大丈夫」

 そう言うと彼女は小さく頷いて、ぼくを確りと見上げる。

 そこにはもう、涙のあとは残されていなかった。

「きっとあなたが、とても良いチャドになるから」



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