3話 遠い記憶の果て
きっと、こうなるであろうことは分かっていた。
なにせ、昔のパートナーに似た少女──神薙芽亜の存在を見た時に、少なからず優の中で衝撃が走ったのだから。
別に外見が似ていると言う話ではない。そもそも、彼女は銀髪なんかではなかったし、最初は素人同然の動きに、魔法しか使えなかった。
薄情なものだが、優自体彼女を仲間としての感情に居れていなかった時期もあった。そう、ある時までは。
だが、その少女は変わったのだ。いずれかの事件を経て、強くなりたいと口を開けば言っていたことを思い出す。
──だから、この夢を見ることも、必然だったのだ。
天城と別れ、新設された馬鹿高いマンションより帰ってきた優は、自らに与えられた唯一のプライベートルーム──所詮高校生が借りられる程度なので対して広くない──に備え付けられたソファに鞄を置き、すぐさまシャワールームに入る。
その後、去り際に買ってきたコンビニ弁当を食べ、明日の予習などもせずに電気を消しベッドにダイブ。そのまま目を瞑り──見ないだろうと思っていた夢を見た。
かつて、優が魔法士を引退するきっかけになった事件。その顛末を。
──遠い記憶が思い返される。思い出したくもないと、そう思っていた日の、光景を。何も変わらず、光景には何の差しさわりもなく、鮮明に、克明に思い出される。
雨が降っている日だった。まるで、天が何かを悲しんでいるかのように。まるで、誰かの心を反映したかのように。まるで、大切な者を失った誰かの涙のように。酷くなることは合っても、止むことはなかった。
優は──そこで、一人の少女と対峙していた。否、対峙、と言うのは語弊があるかもしれない。
ナイフを、突き刺していた。一人の少女に。今まで共に戦ってきた、最高の戦友に。全てを打ち明けた、最愛する恋人に。このまま放っておけば、世界の全てが瓦解するからと言って、ただ無感動に、無秩序に、滑らかにそれを突き立てた。
世界を救う。困っている誰かを救う。顔も知らない有象無象を助ける。つまり、優にとっての心の支えであり、彼が掲げた幼く、愚直な想い。そんなもののために、苦楽を共にした少女を殺したのだ。
誰も殺させないと、殺さないと。誰も悲しませないと、そう、謳っておきながら。
くそみたいな理想に、数少ない賛同を示してくれた少女を、この手で殺したのだ。
降りしきる雨によって、既にこびりつこうとしていた血は流れ落ちていた。まるで、優にその罪を忘れろと言うように。
やがて、どれくらいそうしていたかすら分からなくなったころ。完全に息の根が止まったはずの少女の、口が動いた。
その時の言葉を、思い出すことは叶わない。なぜなら、いつだってその言葉にはノイズがかかっているから。
『ゆる、さない……必ず、あなたを……す。……を捨てた、醜い、あなたを……』
『──』
『あなたは、悪魔。人ではない。反論できるなら、してみなさい……』
『──』
『たとえ、……が、果てようとも。あなたを、……。生まれ変わろうと、……。それが、あなたの残した……なのだから』
『──』
『あなたは、……なんかじゃない。あなたは、殺人鬼。あなたは、あなたでは、……には、なれない』
遠き理想の果て。理想が幻想に変わった瞬間。叶えられないと知って、なおも足掻き続けた、その最後の結末。
その最後は、あまりにもあっけなかった。
『俺は……』
ジジ、と明瞭だった光景に、罅とノイズが走る。白く染まっていた空には亀裂が見え、少女は闇に呑まれたように、優の手の中から消え去る。
残ったのは、優だけ。まるで、それは、優と言う人間を異物として扱っているようで。まるで、それは、優が関わった全ては死んでしまうのだと、言外に言われているようで。
『あ、ああああああああああああああああああああ!!??』
「……あ?」
そして、目を覚ます。ベッド付近にある明かりをつけ、付近に置いておいたタオルで、べったりとついた冷や汗をふき取った。
予想していた事ではあった。たぶん、見るだろうなとは当たりを付けていた。
魔法士を引退してから、一年間ぐらいはずっと見ていたのだ。対応もそれなりになってくる。
「くそ……目覚めが悪いな……」
カーテンを開けた先は、雲一つない晴天。まるで、優を嘲るような天気だった。
「おいおい、どうしたよ。なんだか朝っぱらから死にそうだけども」
「──啓二か。おはよう。それと、その感想については否定しないでおく。久々に嫌な夢を見たんだ。夢見心地が悪くて、寝れなかったんだよ」
結局、朝五時に起きてしまったゆえ、二度寝しようにも出来そうになかったので、いつもより早めに学校に来ていた。いつもなら、優が学校に来るのは登校時間ぎりぎりだ。だからこそ、いつも遅く来ているような人間が早くにきていれば当然疑問もあるだろう。
だからこそ、朝早くにきている筆頭の啓二が顔色悪い優に話しかけてきたのだ。
「おう……そりゃ、ご愁傷様。けど、予想外だったぜ。お前が夢見るだなんて思わなかったからよ」
「それは言外に俺を人でないと言っているのと同義だと思うが」
人は眠るときに必ず夢を見ていると聞いたことがある。ただ、それを覚えているか覚えていないかの違いだ。とはいえ、覚えているような夢は基本的に悪夢の類が多い気もするが。
数少ない友人と会話に華を咲かせていると──。
「おはよー、神代君、長嶋君」
「委員長じゃないか。久しぶり。なんか風邪だったと聞いてるけど、大丈夫なの」
啓二と優の会話に割って入ったのは、クラスを纏める女子──委員長だ。印象はボーイッシュの一言に尽きる。名前は委員長だ、いや、ただ単に委員長と言う呼び名が定着しすぎてこれが常になっているだけだが。
「ええ。二日間も休んだら流石にね。それと……体調悪そうに見えるところ悪いんだけど、ちょっと手伝ってもらえない? 休んでた間に溜まってた仕事全部片付けないといけないのよ」
「そこに啓二も……いねえ。あいつ、面倒ごとを押し付けられると分かった瞬間に逃げやがったな……」
友人の相変わらずの危機察知能力に苦笑しつつ、大人しく委員長の仕事を手伝う。普段世話になっている恩返しだ。なにより、彼女は数少ない友人の一人だ。新しくクラス替えした際に、意気投合したのだ。
──別に、誰も友達がいなくて、一人で寂しくご飯を食べていたところ、同情されて話しかけられ意気投合したわけではない、決して。
「それで、なにすればいいの? もう少しで授業始まりそうだから簡単なのがいいんだけど」
「うん。この資料、準備室に戻してきてくれないかな。これ、ほんとは係の仕事なんだけど……」
「気にしない。どうせ、係なんてそんなものだし。それよりも、委員長まだ仕事残ってるし、早くやった方がいいと思うけども」
「うわー!? なんか色々山積してる!?」
予想外の仕事量の多さに目を回す委員長を残し、彼女に渡された資料を持って準備室へと移動を始める。正直、なんで資料を元の場所に戻さなければならないのか、という疑問が湧いてくるが、きっと印刷禁止なのだろう。いや、そう納得しておく。
「さて。そろそろ授業が始まりそうだな……待て。これ、番号順に並べていくやつじゃないか?」
教室から約数メートルの距離にある準備室、または資料室に資料を置きに来た優は、時間のかかる作業だと言うことに今更気づき驚愕する。
委員長の言では、簡単な仕事だと言っていたが──まあ、この世に簡単な仕事なんてないと言外に告げているのだろう。
仕方なく、資料を最初から並べようとして──。
「あの、すいません。次の授業で使うので、貸してもらえませんか?」
「──」
声が優に向けられて発せられた。まるで鈴のような声で、リラックスしている状態であれば、暫く聞き惚れてしまうような、そんな声。
とはいえ、授業も近く、あちらも焦っているのだろう。取りあえず、優は戻しかけた資料を後ろの少女に渡そうと振り返って──。
「神薙、芽亜……?」
「はい。そうですけど……どこかで、お会いしましたっけ?」
そこに居たのは、日本人に似つかわしくない銀髪に、そこらのモデルが素足で逃げ出すほどに整った美貌。アクアマリンのような瞳に、あどけない感じを残した少女。
──神薙芽亜。つい、その名を口にしてしまった。
相手からすれば何事だと思うだろう。面識もないような、陰湿で顔も知らない人間に自らの名前が知られており、尚且つ口に出されるのは。
「ああ、ごめん。気分悪くしたっていうなら、謝る」
「いえ、いいです。学校に居れば分かりますし」
だが、彼女はなんでもない、というように頭を振って、優が抱えていた資料を受け取る。
「では、ありがとうございました」
ぺこり、と礼儀正しくおじぎをして──足早に去っていった。
その背中を眺めていると、タイムリミット──つまり、授業の始まるを告げる鐘が鳴り響き、盛大に溜息をつくのだった。
「いやー、ごめんね? 放課後まで手伝ってもらっちゃって」
「気にすることはないよ。どうせ、家に帰っても勉強するかゲームするかしかないんだからさ」
そして、時は流れ放課後。時計の針は17時を回っており、本来ならば既に下校している時間だが、多すぎる仕事の量に目を回している委員長を見て、手伝うと申し出たのだ。
「しかし……みんなもしっかり仕事やってくれればいいんだけどねー。こんなだから、私も学校休みにくいっていうか」
「珍しいね、委員長の愚痴は。まあ、二日休んだだけでこんなに溜まるんだから言いたくなるのも分かるけど」
係がやっていなかった仕事を片付けている間に漏れた委員長の愚痴に賛同する。優もその手の仕事──主に、昔の親友がやっていなかった資料作成などを徹夜でやっていたことを思い出す。ここについては、きっと委員長と長い夜を語り合える気がするとすら優は思えた。
「そう言えば、委員長が休むの珍しいけど……なにかあったの? 風邪で熱出たならしょうがないけど、ほら、委員長って少しぐらい体調崩れても学校に来るものだと思ってたけど」
「神代君てさ、常識を知らないようなこと時々言うよね……それ、言外に私が人間じゃないって言ってる……」
「あ、それなんかデジャヴなんで結構です」
なんでさー、と不満を募らせる委員長を尻目に、優はせっせと仕事を進めていく。先ほども言ったが、量が何より多い。ゆえに、心してかからねば下校時間までに終わらない可能性もなくはないのだ。
委員長も、そんな優の姿勢を見て黙々と仕事をこなしていく。
「ねー……神代君さ、ほんとは身体能力いいのになんで部活とか入らなかったの?」
「何を言い出すかと思えば」
黙々と作業し続けて、どれくらい経っただろうか。不意に、委員長が背中を向けたまま切り出してきた。
それはかねてからの疑問だったのか、それとも間を持たせるための疑問だったのかは分からない。ただ、彼女はなぜかクラス全員の頭のよさとか、身体能力だとかを把握しているのだ。だからこそ、彼女の目からすれば不思議だったのかもしれない。
優もまた委員長に背中を向けて答える。
「なにか買いかぶっているようだけど、俺は平凡だよ。少なくとも、委員長が期待しているほど足が速いわけでもないし、何かに優れているわけでもない。それに、部活とかは性に合わないしね」
「嘘でしょ。神代君、一年前ぐらいかな。その時、めちゃくちゃ速かったの覚えてるもん」
「──」
自分は大したことないと告げる優に対して、委員長は違うと、そうじゃないと優の評価を否定してくる。神代優は、基本的に高校生活では平凡を突き詰めて生きてきた。少なくとも、自分ではそうやってきたつもりだ。
だが、それは別に運動が出来る人間を馬鹿にしているわけじゃないのだ。ただ、今までが非日常の中で生きて来たらこそ、ただ何も考えずに平凡に暮らしてみたいと、そう思ったからなのだ。
「あー……別に、深い意味はないよ。部活とかはさっき言った通り、あんまり興味ないしさ。中学校でも部活やってなかったから、なんていうか、勝手が分からないし」
「でもさ、それって退屈じゃない? 何もない日常で暮らしてて、何の刺激もないまま過ごしてさ」
「……いや、そこまでじゃない。そもそも、そういうのに憧れたわけだし。退屈でいいんだよ、問題ごとで溢れてたら、それこそ面倒なことにしかならないと思うけど。普通でいいんだよ、普通で」
「なんか、中年の人の言い方だね、神代君」
「人を中年のおっさんにしない」
「だってさ、人なんて常に問題を求めているような人種なんだよ? 例えば、何も変わらない日常に飽きて、刺激を求めて、何か法的に禁止されているようなことをやったり」
「それはごく一部の人間。平常ならばやらないさ。まず、理性が邪魔する。理性を取っ払っても、どこかで引っかかる。そういう生き物なんだよ、人間てのは。新しいことに挑戦する際に、恐怖を覚えて、結局取り組めないのと同じように。人間は臆病者なんだ。まあ、取り組める者も少数居るけどね」
だからこそ、人は今まで歴史を保たせ続けてきた。つまり、そういうことだ。退屈でいい。むしろ、それぐらいがちょうどいい。第一、優がこの学校を選んだ理由にそれも含まれているからだ。
今まで、非日常に身を置いて来たからこそ、日常というものに溶け込んでみたいと。
「……そう、だね。はは、ごめん。私、何言ってるんだろう。ちょっとおかしくなってたね」
「しょうがないさ、これだけの仕事をこなしてるんだから」
「まあ、神代君だったらまず味わわないもんねー、仕事に押しつぶされるなんて」
「なにか、途轍もなく不名誉なこと言われた気もするけど……敢えて、無視させてもらうけど、なんでいきなりそんなこと聞いてきたの? いつもの委員長だったらまず、聞かないことだけど」
「うーん……なんで、だろうね。他の人の、やりたいこととか聞きたかったからかもしれないね。私も、やりたいこと見つけられたから」
「なんで、それが俺の隠し事暴きになるのか……」
そんなこんなで、若干の不安を覚えながら時間は過ぎ去っていくのだった。
「しかし、やりたいことね……」
委員長との仕事が下校時間ぎりぎりで終わり、優は彼女と別れ、一人考え込んでいた。
やりたいこと、少なくとも今の優にはないものだ。とにかく、欲がない。人並み程度の生活を過ごしたい、なんていう欲しかないのだ。
だが、昔はあった。幻想であったけども、理想でしかなかったけども、何もかもを等しく救い上げると言う、馬鹿げた夢を。
だけど、もうそんな夢は掲げていない。なぜなら、そのすべてが無駄だと分かったからだ。
「……」
ふと、とある少女の顔が浮かんだ。自分の手で殺した、血化粧を施した最後の顔を。
思い出した。銀髪の少女の事を。自らの手で殺した少女に似ている、誰かを。
「──やりたい、こと」
ただ、気になった。優のパートナーに似た、銀髪の少女はなぜ強くなろうとしているのか。なぜ、足掻いているのか。
彼女の事は分からなかった。理解できなかった。
だから、知りたい。少女の根源を。なぜ、強くなろうと足掻くのかを。
「結局……戻ることに、なっちまうのか……」
優は肩にかけている鞄から携帯を取り出し、とある人間に通話をする。そう、優の電話帳の中で三番目ぐらいに登録されている柏木と言う女性に。
『やっほー。どうしたの? そっちからかけてくるだなんて、珍しいじゃない』
「柏木さん。この前の仕事、受けてもいいです」
『本当!?』
「ただし、条件として一週間。まず、一週間ください。それだけもらえれば、見極められるので」
『神薙芽亜が、本当に教えるに足る存在であり、尚且つ、上に行けるかを?』
「はい」
『うーん、分かった。彼女にはそう伝えておくわ。家庭教師みたいなものだと』
「助かります」
『でも、どうして今更受ける気になんてなったの? 言ってたじゃない、もう、こっちには戻りたくないと』
「──」
そこで、淡々と受け答えをしていた優は初めて返答に詰まる。
どう説明すればいいのか、それに悩んだだけだ。だけど、答えるべき言葉をすぐに見つけ、口に出す。
「見てみたいんです、知りたいんです。彼女が、どうして強くなりたいのか。それを、知りたい」
『そっかあ……君も、見たんだね。彼女の、目を。そりゃあ、不思議よねえ……普通なら、とっくに挫けてるはずなのに、それでも前しか向かない、彼女が』
「──それじゃあ、さようなら、柏木さん」
今まで断っていた仕事をいきなり受けたことに興味を持ったのか、勘ぐってくる柏木だが、彼女の欲なんて知ったことか。さっさと通話を切り──そして、前を見る。
朝から、何一つ変わらず、雲一つなくその姿を現わしている太陽。きっと、このタイミングで、あの夢を見たと言うことは。
「よし……」
つけるべき決着をつけてこいと言うことなのだろうから。




