あるいはもう一つのプロローグ1 夜叉神家当主との会合
「さて、ここか」
六月一日、夜九時。
優は夜叉神家当主との会合に行くために正装に着替えずに、敢えていつも通りの服装──黒のパーカーに、動きやすい黒のズボン──に着替えて、夜道を歩いていた。
と言うのも、勿論理由がある。
──そう、別に正式な面会じゃないから正装で行く必要ないんじゃね? という考えに至り、いつものクソ暑い服装に着替えたのだ。いや、別に正装が制服以外ないからとか、面倒だから、とかいう安直な考えの下ではない。そう、決してだ。
「高いな……」
そして、時間通りに家を出発し、辿り着いたのが──恐ろしく高いホテル? ビル? みたいなのだった。街の中心にあるにもかかわらず、初めて見るような感慨を感じる時点でもうダメだとか思わない。
ともかく。高校生である自分には縁のないであろうそこに入り、エレベーターを使って最上階へ──行く前に、二人の男性が待ち構えていた。
恐らくは、夜叉神側が提案した取り決め通りだ。
「神代優様でありますか?」
「はい。携帯は渡しておきます」
「ありがとうございます。──それと、お手数おかけしますが、何か持っていないかを検査させていただきます」
「どうぞ。それが規定でしょうから」
夜叉神側が提案した取り決め、というのは携帯他、録音できるものの持ち込みだ。
つまり、よほど今日のこの面会を知られたくないのだろう。
取り決めに従い、警備員らは優のポケットだったりを調べ──。
「これは……ストラップですか?」
「それも預かる、というなら渡しますけど」
「いえ。あくまで我々が預かるのは携帯などの通信機器です。──どうぞ、通ってください。神代優様」
「どうも」
警備員の許可を経て、エレベーターに乗り、最上階のボタンを押し──暫くして最上階に辿り着いた。
絶景だった。夜の街、と言うのが更に絶景っぷりを引き立たせているのだろう。夜空に瞬く星空のように映る光に、街全体が見下ろせるほどの高さ。まるで、政府のご用心が来るような世界に、優は足を踏み入れた。
──そして、絶景を写す鏡の隣。
女性がいた。
ツインテールというか、なんだかめんどくさい髪の結び方をしていて、蟲毒を表すかのような紫の髪。トパーズに近い瞳を持ち、繊細さを醸し出しながらも、しかしどこか危険さを漂わす絶世の美女。
──夜叉神家当主にして、アルカナナンバー14『天界の女王』。夜叉神有栖。
齢20歳にして、家督を継いだ本物の天才。それが、優雅に座っていた。
いるだけで感じる重圧と緊張。かつてないほどの圧力。
──引退する前では、絶対に味わうことのなかったそれを受け、若干ながらに汗が滴るが、何もなかったように彼女に話しかけた。
「初めまして、夜叉神有栖様」
「あら、来てくれたようで何よりです。神代優様。どうぞ、お座りください。なんでも注文してくださっていいのですよ? 今日はこちら側が勝手にお呼びしたのですから」
紡がれる柔和な、それでいて敵意を感じさせない声で、メニュー表を差し出してくる。
正直、これが果たして本性なのかどうかは疑いたいところだ。今のところの印象は柔和で温厚、だ。
だが──優しいだけで、当主になれるほど、勝ち取れるほど甘くない。
ゆえに、しっかりと意識は保っておくべきだろう。いつ、相手の機嫌を損ねて敵対するかも分からないのだから。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
そんなわけで、差し出されたメニュー表を開いて、まずドリンクの場所に目を通して──。
気付いた。そこに、甘い飲み物がないことに。いや、はっきり言おう。ミルクティーがないことに。
若干優の顔が引きつったのを感じたのか、夜叉神有栖は近くに控えているマスターを呼んで──。
「ミルクティーを用意していただけると助かります。このお方は、苦い飲み物が苦手でして」
「いや、別にそう言うわけじゃないんですが……」
とはいえ、夜叉神有栖の進言だ。マスターは速攻で姿を消し──僅か数十秒でミルクティーを優の前に置いていく。
その手腕に感心しつつも、久方ぶりのミルクティーの味を味わう。それを終わるのを待っていたのか、彼女は優の目を真っすぐと見つめて。
「それにしても、驚きでした。かの有名な『愚者』様が、このような魔法とは無縁と言っていい場所に居を構えていて、既に魔法士界を引退為されていたとは」
「誉め言葉として受け取っておきましょう。それと、魔法士には戻ります。今抱えている依頼が終わって、気が変わらなければ、ですが」
「その言葉が聞けてうれしく思います。『愚者』様がその猛威を奮っていらっしゃった頃……そうですね、貴方様が天神に喧嘩を売った頃でしょうか。その頃は噂が持ちきりでした。個人が三家に喧嘩を売ったと。お父様なんかは、絶賛していらっしゃいましたが」
「ありがたいお言葉ですね。まさか、三家当主の一人にそう言ってもらえていたとは」
「誇っていいと思いますよ、私は。そして、私自身も大いに興味を寄せておりました。たった一人の少女のために、天神家を敵に回し、結果見事少女を救い出した、英雄に。まあ、会うということはついぞかないませんでしたが」
それも仕方のない事ではあるのだろう。
なにせ、彼女が表舞台に現れた時。彼女が三家当主として台頭した時。既に優は魔法士界を引退していたのだから。
「正直に言えば、神代様が消息を絶たれた時……なんともったいないのか、とそう思わずにはいられませんでした」
「それは、またどうして」
「『才能ある者は世の役に立たなければならない』……私のお父様の、言葉です。それに当てはめるのならば、まさしく貴方様はこれを具現化したような人材だった。惜しい人物がいなくなったと、当時は」
「──それはどうも」
一見すれば優を褒め称える言葉の数々だ。
だが──優にはどうしてもそれが軽く思えてしまう。なぜなら、彼女は一言も自らの本心で語っていないからだ。
彼女の中で言う先代当主が、彼女の中でどのくらいの位置を占めているかで話は変わってくる。彼女が自らの父を卑下していたのならば、優を貶めている、と言うことになるが──。
しかし、かといって嘘もついていない。
(簡単に信用しては、ならないということか……)
夜叉神家当主夜叉神有栖。底の知れない、怪物。
やはり、と言うべきか。傑物だ。一切自分の本心を語らずに相手を引き込む。話術がどうこうというレベルは既に超えている。
「さて、本題に入りましょう。神代様。今回の事件の解決、お見事でした」
「別に褒められるようなことはしていないんですが……」
「謙遜することではございません。なにせ、魔人、という脅威は魔法士界最大のものです。被害は甚大で、何より後ろに控えている者の情報が何一つ見えませんでしたから」
「お役に立てたようで何よりです」
「神代様が捕まえた魔人ですが……これについてはもう少しで釈放となります。ただし、魔人としての力を封印して、記憶領域を消去し、一般人として。新たな人生を送っていただく。……これが三家の見解です」
「罪については問われないと?」
「いいえ。勿論、罪に罰せられるべきです。……ですが、私は生憎と裁判官のように法に基づいた判断を下せるわけではありませんので。それに、彼の場合は送ってきた人生が要因のようなものですから」
「まあ、そうですが」
優も後で聞いたことだ。
両親に捨てられ、小中学校、否、高校に入ってからもいじめを受け、性格が歪んでしまった。ゆえに、魔人と言う強くなる方法に縋り付いたと。
この話自体に、おかしな点は見受けられない。そう、前提を除いてだ。
「言いたいことは理解できます。──誰が、どのようにして、魔人化薬を持ち運び、彼に渡したのか、という点ですね。こちらについては……私達にも解析できていません。彼の発言では、全身宇宙服でヘルメットみたいなものを被っていたと。見るからに怪しい人物です。こんな格好を常にしているのならば、見つけやすい、はずなのですが……」
「まあ、簡単に見つかるはずはないと」
その謎の男が、どのようにして有村栄人を見出したのか。なぜ、彼に魔人化薬を渡し、魔が住む世界の門の開き方を教えたのか。
有村栄人本人も、完全に理由を分かっているわけではない。むしろ、何も知らない、と言った方が正しいだろう。
だが──確信があった。
「ただ……一般人に魔法を教えるという我々に課せられたルールを破り、尚且つ封ぜられたはずの門の開き方を知っていて、魔人についても深いところにいる人物。これは間違いなく中枢です。このお方を見つけ、捕縛する事さえできたのなら、状況は好転するでしょう」
「それに……秘密裏に進めていた魔人化薬を表に出す時点で、ある程度段階は進んでいる、と見た方がいいでしょうね。本来なら、魔人を外に出す必要なんて皆無なのですから」
魔人化、というのが敵の中枢に位置するのならば。なぜ、架空の敵はそいつらを公にした? 隠していれば、公表せずに秘密裏にたくさんの魔人を作っていれば、魔法士界は抗う暇もなく、その脅威が正しく伝わる前に終わっていた。
にもかかわらず、それを放棄した。知られていないと言うアドバンテージを捨てているのだ。
そして、それはある意味こういうメッセージを表しているのではないのか。
──もう、段階は次に進んだ。これ以上、隠す必要はない、と。
宣戦布告。魔法士界に対しての、あまりにもド派手な布告だ。
「それと……いい加減にしましょう、夜叉神有栖。もう、いい加減腹の探り合いはうんざりだ。あなたはあくまで一魔法士として来た。そうだろう?」
「──」
穏やかに微笑するだけだった。
核心を突いたはずだ。そう、今までの情報は全て掴みだ。これらは全て、天城からもたらされた情報をもう一度復習しているだけ。
あくまで、本心は語らない。機が熟するまで、あるいは、こちらの心情を変えるまで。
「私は、夜叉神家当主、、、、、、として来たのではなく、、、、、、、、、、、一魔法士としてここに来たのですから、ゆえに、わざわざ畏まって話す必要はない、と」
「そもそもあなたが、夜叉神家当主が、一魔法士に会うためだけに来たと知られれば、大問題になる。それを分かっていないはずがない。下手をすれば、あなたの方が窮地に立たされる可能性が高いけど?」
脅し。一過性のものだということぐらいは理解できている。
だが、それだけの時間があればいい。夜叉神家が何かを企んでいる、と言うのなら──今度は夜叉神家に宣戦を布告すればいいだけだ。
「残念ながら、それはないでしょう。このことは、既に三家の当主に送り、確認を取っている事項です。つまり、既に周知の事実。外にはたくさんのお迎えが上がっていますが?」
「──先ほど、夜叉神家当主としてではなく、一魔法士として来たとか言っていなかったかな?」
「いいえ? 一度も言っておりませんが。私はただ復唱しただけ。一度も、明言はしておりませんよ、神代様」
女狐が、と心の中で舌打ちする。
確かに、彼女の言う通り思い返してみれば彼女は、主語を自分にして一度もそう言っていない。あくまで復唱しただけ。
経験の差。離れすぎたがゆえに、交渉の場では圧倒的な不利に陥ってしまう。
「さて、一歩互いに踏み込んだことですし……そろそろ」
「──」
「アルカナの称号を拝した者。『愚者』──神代優。夜叉神家に来なさい。それこそが、私からあなたに求める最大の見返りです」




