35話 潜む敵
──白神桃華は、神薙芽亜が嫌いなわけではなかった。
ただ、見ていて気持ちがいいものではなかった。それだけは、絶対に言える。
──それはなぜだろう、と。考えていた。
──頭では分かっているつもりだった。なぜ、白神桃華は神薙芽亜を目の敵にして、素直になろうとしないのか。
──それはつまり、白神桃華と神薙芽亜は似ているからだった。一応、桃華はメアの境遇については聞いていた。そして、それが白神桃華と似ていることも。
名家の子供として生まれ、しかし家で疎まれながら生きてきた。魔法士の家に生まれながらも、才能を示せず埋もれていき、外を見ることすら叶わなかった少女。家の使用人からは煙たがられ、兄弟達からは虐げられてきた。元からいなかった存在として扱われ、実の父からは勘当を言い渡されている。
どれほど、辛い思いをしたのか。白神桃華には分かるのだ。なぜなら、彼女もまた同じような世界で暮らしてきたのだから。
──白神家には、秘匿され続けてきた少女がいる。それは、誰よりも強い魔法士であり、三家のパワーバランスを崩す存在である。
今から2~3年前。魔法士界の中でまことしやかにささやかれた噂だ。そして、同時にあまり信憑性もない噂だった。なぜなら、噂だけで実際に見た者はいないのだから。これでは、机上の空論に過ぎない。
だが、いつの時代にも騒ぎを大きくする人間はいるものだ。
この噂を聞きつけた人間──否、魔法士達はこぞって白神家に罵倒を浴びせたのだ。
──原因は、恐らく三家間の戦争。今から500年ほど前に起きた最大最悪の戦争。
──関ヶ原の決戦。そこで、三家が対立し火花を散らした。幸い、戦争自体は半日で終わったため、被害はそれほど大きいものではなかったが──それでも、何も知らない一般人やフリーの魔法士達を恐怖に陥れるには充分だった。徳川幕府はすぐさま彼らを招集し、一つのルールを作らせたのだ。
一つ。三家間で情報を共有すること。隠し立てはあってはならず、全てを詳らかにすること。
二つ。生まれた子供──即ち、当主になる可能性がある者に関して、その者の情報を三家に流す事。
三つ。人前で魔法を使うことを禁ずること。
四つ。以上を持って、幕府に仕え人の役に立つこと。
──これが、三家間と幕府の間で交わされたルール。二度と、戦争を起こさないようにするためにその法が作られたのだ。
そしてこのルールは今でもなお、三家を縛る楔となっている。
ここでいう二つ目のルール。それを白神家は破ったことになった。それで、大バッシングを受け、政府から懲罰を受ける羽目になった。そう、他ならぬその秘匿され続けてきたとされる少女──白神桃華によって。
──白神桃華には、記憶がない。
生まれた時から、彼女が十四歳になるまでの記憶一切は抜け落ちていた。
覚えているのは、どこか怪しげな施設で倒れていた白神桃華を、白神有馬が救ってくれたところ。そこが、白神桃華にとっての始まりだ。
以後、彼に保護された桃華は自らを兄だと言い張る有馬の手で引き取られ、気付けば白神有馬が当主である白神家の継承権第一位となっていた。
無論、前述語ったルール、取り決めで情報は三家間で共有すること。また、継承権は誰が持つのかをはっきりさせておくことが義務付けられており、ぽっと出の桃華が継承権一位になったことに対して、随分荒れたそうだ。今のうちに白神家の権力を削いでおこうと侵入してきた者もいれば、桃華を攫いさらし者にしようと企む者、世間に交じって非難を浴びせる者。それら全てを、白神有馬はねじ伏せた。言葉通り、力技で。
『お、お兄様……私は……』
『気にすることあらへん。大丈夫や、何があっても守る。それが家族っちゅうもんやろ。それに、妹バカにされたら、返さなきゃあかんやろうが』
──ただただ憧れた。その、力強い背中に。
反論をする者、非難を止めない者、全てを力技でねじ伏せ、強引に認めさせた白神有馬は──当然、大目玉を食らった。京都に鎮座する魔法の祖──『大導師』によって下された処分は、二つ。
白神有馬の二年間の謹慎。そして、白神家の領地の一部を没収する事だった。
これに黙っていられなくなったのが、昔から白神家に仕えている家系の者たちだった。だが、『大導師』に逆らうことはつまり、日本全ての魔法士に逆らうことを意味する。ゆえに、不満があっても手出しができなかったのだ。
ならば、その怒りの矛先はどこに向いたのか──決まっている。全てを狂わせた、白神桃華のところだ。
『はあ……はあ……』
『おお……なんと、有馬様の血が入っている貴女には出来ないと申すか? それはつまり、有馬様の顔に泥を塗ると同じ事ですぞ』
『分かって、いますわ……!』
白神桃華には記憶がない。それは文字の書き方から、自らの名前、果てには魔法の発動方法まで全て失くしてしまったのだ。ゆえに、魔法を発動させるのにはかなり苦労した。そして、それこそが彼らに付け込まれる要因となったのだ。
継承権第一位は魔法すら使えない。
そんな噂を誰かが流したところから、桃華の地獄は始まったといっても過言ではない。
家中から出来の悪い妹として扱われ、いないも同然の扱いを受けた。魔法ができなければ、罵倒を浴び。魔法ができても、それしかできないのかと言われ。何をどうしても桃華に与えられるのは非難の声。誰も褒めてなんかくれず、むしろ桃華の失敗を誰もが願っていた。
──神薙芽亜の話を聞いたとき。似ていると思った。どころか、そっくりだとすら。運命はなんと数奇なのだろうと思ったぐらいだ。自らと同じような環境に置かれている少女が居るとは、思いもしなかったからだ。
──いや、聞く限りでは神薙芽亜の方が酷かった。なにせ、桃華には有馬がいた。だからこそ、桃華は這い上がってこれた。だけど、神薙芽亜には? 誰か手を差し伸べてくれる誰かがいたのか?
桃華はまだ話してくれる誰かが居た。完全な拒絶ではなかった。だけど、神薙芽亜は違った。拒絶ではなく、無関心。もはや、誰も彼女を気に止めようとしなかった。
──辛いだけじゃないのか? 苦しい思いをしてまで、どうしてこの道を選び続ける?
辛いなら、諦めてしまえばいい。苦しいなら、歩みを止めてしまえばいい。誰だって、彼女が歩んできた地獄のような、傷だらけの人生に文句などつけられないだろう。あるいは、よくそこまで歩んだと褒める者がいるかもしれない。
──そう、そうなのだ。神薙芽亜は、魔法の道を歩んだところで幸せにはなれない。むしろ、更なる地獄を味わうだけ。いばらの道を歩いて、その先に待っているのは変わらない地獄。ゴールは存在せず、したとしても誰も喜んでくれない。そんな道。
──誰が、歩かせたいと思うだろうか。赤の他人であっても、多少なりともその気持ちを知っている桃華は歩んでほしくないと思った。
──結論から言えば。白神桃華は甘かった。やはり、神薙芽亜をただの監視対象として見ることは出来なかった。
──幸せになってほしかったのだ。ただ、人並みの幸せを感じ取ってもらいたかった。それが、白神桃華が神薙芽亜に抱いたたった一つの感情。
幼い頃から愛情を貰えず、果てには家族すら失ってしまった彼女に、平凡な道を歩んでほしかった。茨の道でこれ以上傷ついてほしくなかった。そのために、きつく彼女を突き放した。彼女には才能がないと言い続けた。
──なぜなら、彼女に才能があると認めてしまえば、もう二度と彼女に幸せはやってこないから。
だから、冷たい態度を取った。この道を諦めてもらえるように。幸せを掴み取ってもらいたかったから。
──なのに、彼女は未だ抗っている。道を諦めていない。
なんだ? 何が、彼女をそこまで奮い立たせる? そこまで、茨の道を突き進む原動力はなんなのだ?
──聞いてみたかった。何もかも失くし、諦めてもいい道のりを諦めないで進む理由を。なぜ、戦うのかを。なんのために辛い世界を生き抜き、なんのために力を振るうのか。
──だけど、ここにきてようやく理解出来たような感じがした。
彼女の原動力を。彼女が負けたくないと願い、吠える理由が。
──同じだったのだ。ただ、憧れた。星に。手の届かない、空に。
分不相応にも憧れ、彼女は全力を尽くし前に進もうと足掻いている。白神桃華と同じように。失敗しても次への糧とし、前へと。
(ほんとうに、そっくりですわね、私達……)
満足に体は動かせない。動いても、機敏な動きは出来ない。だけど、それでも──まだできることは残っている!
神薙芽亜──否、メアは全力を絞り出し、魔法を使った。彼女のオリジナルを。
だけど、それでは足りない。それは桃華も、メア自身ですら分かっていることだ。
──だから、託したのだ。今まで冷たい態度を取って、拒絶の意を示してきた自分に。自分の実力を知って、弱さを糧にして。彼女は弱さを受け入れて、前へと進んだ。一人だけで勝つのではなく、皆の力で勝とうとした。
──勝手に、嫌われてもいいと思っていた。あれだけのことをしておいて、仲良くなれるだなんてこれっぽちも思っていなかった。これからも、桃華はきっと彼女の事の前では素直にはなれない。
でも、それでいい。そんな関係こそが、一番似合っている。お互いに置かれた環境は似ていて、だからこそ一歩離れた位置で見守る。それこそが、二人に相応しい。
「我は希う」
肩で息をしながら、まともに体も動かせない状況で、白神桃華は紡ぐ。魔法の詠唱を。それに込める魔法を紡ぎあげるために。
──魔力を込める。残された魔力を全て、この一撃に込める。
「──風よ。夜を凪ぎ、空を翔け、世界を裂く一因となれ」
魔法の短文詠唱。その中でも、ほんの少しだけ改変を加えた、桃華だけのオリジナル。桃華に許された魔法は、白神家の障壁魔法と風魔法のみ。だからこそ、彼女は風の魔法を上げ続けてきた。
その全てを、今ここで発揮しなければいけない。
──かつて、覚えていた。メアの師匠、神代優が言っていた事を、メアも、白神桃華も覚えていた。
メアのオリジナル魔法に付け加えるべきは、風魔法の要素。風の魔法を加えることで、更なる力を発揮すると。
「──ラファーガ!」
風元素8.5個で完成する風魔法の中級魔法にして、白神桃華が最も愛用する魔法。長く使い続けているからこそ、尚且つ白神有馬にすら認められるほどの才能でもって、僅か数日で作り上げた改変魔法だ。
風が巻き起こる。全てを貫通し、台風のような風を引き起こす突風が、メアの魔法を避けていた少女の下へ到達し──。
「ぐ、ぅ……!?」
風によって予測がつかなくなった魔法は──ついに、少女の下へと到達し、直撃した。
メアと白神桃華。二人の全てをつぎ込んだ魔法──ようやく、手も足も届かなかった相手に、一矢報いることに成功した。
そのことに、少しだけ安堵を覚えて──。
「少しだけ、驚いた……」
全弾命中したはずの少女は、しかしそんなことは感じさせないような動きで立ち上がり、今もなお風魔法──ラファーガを発動させ続けている白神桃華に向かって、口を開いた。
「あなたは、神薙芽亜を認めていないと思っていた。だから、連携なんてないと思い込んでいた……まさか、ここまで予測が外れるなんて……」
「人は、成長する生き物ですわよ。不変では生きられない。生き続けるうちは、必ず何かに影響されて生きる……貴女の言う予測とは、ある一点を抽出して、そこからの変化を予測したもの……その間に、予測不能な成長を遂げないとは限らない。あまり、舐めないでくださいませ」
「つまり、私はまた見誤った……と。やっぱり、センセイのように上手くはいかない……」
「ぐ……」
ラファーガは突風を発動させる魔法だ。それこそ、人が前に進めなくなるようなぐらいの風。なのに、そのはずなのに。
──どうして、少女は風を気にせずに前に進んできているのだ!?
「だから、力技で、通させてもらう」
「──っ!?」
同時に。この場にいる二人は感じ取ってしまった。
言い表しようのない威圧と、それによって起こされる未来を。
桃華は魔法の噴出威力を上げ、近づかさせないようにし、メアは後ろで控えている二人を守りに行って──。
「我は希う。──重力世界」
──詠唱の省略。ノータイムで発動する魔法は、オリジナル。それも、桃華が聞いた限りでは──最も厄介な魔法が。
「つぅ……!」
「ぁ、ぁ……ッ!?」
圧が、重力が、全てが二人に──否、この空間に存在する、少女以外の全ての人間にのしかかった。
自分の体重を二倍とか、三倍とか、そういうレベルは遥かに超えている。まるで、巨大な岩がのしかかったような圧が、背中を焦がす。
──立ち上がれない。力を入れることすら、ギリギリなレベル。
(風が……ッ!?)
重力に押しつぶされることによって、魔法の威力が少しずつ収まっていく。
重力の影響もあるだろうが──一番は、術者の問題だ。術者に重力がかかっていて、まともに魔法を噴射させることが厳しい。
「これで、鬱陶しい風はなくなった……続けさせてもらう」
「ほん、っとうに……厄介ですわね……」
もう、打つ手はない。メアと桃華だけでは、この状況を切り抜けることは叶わない。
「ですが……お忘れでありません事?」
「……?」
「洞窟って、風が吹いてくる方向に行けば、いずれ出口に辿り着けるらしいですわよ。真偽は、定かではありませんが」
「……まさか、そのために……!?」
メアが通用しないと言われていた桜花繚乱を発動させたのも、全てはこの作戦を思いついたから。あの訓練を聞いていた、白神桃華に風魔法を使わせるために。もっと言えば、その後に天城音々が言っていた情報を実行に移すために。
「私達には、もう打つ手はありませんわ……だから、外部の手を借りるのも、一興ではなくて?」
「……っ!」
そこまで言って、ようやく最悪の状況を思い描いた少女は、そうはさせまいと白神桃華に迫ってきて──。
「させませんよ」
──同じような大剣が、少女の振るった大剣の進行を防いだ。
そして、現れたのは、彼女らに必勝の一手を思い出させてくれた一人。
少女は忌々し気に、その名を呟く。
「『女帝』……天城、音々!」
「その通りです。どうか、ここは退いてくれませんか?」
「あの女も、使えない……あなたを足止めしてくれれば御の字だと思っていたけど……どうやら、奥の手も引き出せずに、終わったみたい」
「……どうしますか? 貴女のオリジナルがあろうとなかろうと、私は戦えますよ。重力を操作されようと、勝敗は揺らがないと思いますが」
「……一理、ある」
そう言って、少女は大剣を下ろすと──。
「ここに、『女帝』が来た時点で、私の計画は崩れている……なら、さっさと退散すべき」
「そう判断してくれると、ありがたいです」
「でも、忘れないで。神薙芽亜。あなたは、あなたには、全てを変えられる力が備わっている。それがある限り、私達は何度もあなたを標的にする」
「……っ」
「……それと、気を付けたほうがいい。そろそろ、崩れ始めると思うから」
「……?」
最後の最後に、そんな言葉を発して──。散々桃華やメアを苦しめた少女は闇の中へと消えていくのだった。
「おいおい、本当にこっちであってんのかよ!?」
「ああ。さっき、風が舞い込んできた。それも、魔法で起こされたものだ……となれば、他のみんなもそこに居る可能性が高い。それより、氏政。雲母を離すなよ、いつどこから追撃が来るか分からないぞ」
「ああ……勿論だが……っ。流石にこれはなくねえか!?」
天城音々らが戦いに勝利したころ。
優と氏政、そして雲母の三人は罠が張り巡らされた地下を走り抜けていた。
後ろからは鉄球だったり、手裏剣だったりと割と古典的なトラップが迫ってきており、余裕などと言える状況では全くないが。
「というか、氏政! ここは天神の所有じゃないのか!?」
「そんなわきゃねえだろうが! 流石にこんな地下迷路があるんだったら、最初っから使ってらあ!」
「なら、どうやって入ったんだ……?」
「んなもん適当だよ!」
「当てにならない大人……」
絶叫を振り上げながら、優達はどうにか先ほどの風の発生場所に向かっているのだが……どうにも面倒だ。なにか、誰かの意志が介入しているかのように、迷路が不規則に変わっていっているのが分かる。これではまるで蟻塚。餌を迷い込ませ、捕食しようとしているのか。
それとも──。
「広い空間に……出ただと?」
「……この空間、嫌な感じがする……」
「雲母の意見に賛成かな。あからさまに怪しい場所で、止まる義理はない。恐らく、場所はこの先だ。急ごう」
「おうよ──」
だが、そこで優がおもむろに足を止めた。そのことに、氏政は眉をひそめて──。
答えはすぐにやってきた。
ギィィィン!!! と、金属と金属がぶつかりあった重奏音が響いた。と同時に、優は右足を軸にして回転。何者かはそれを分かっていたのか、後ろに下がって──。
「やはり、お前か……」
「クク、はは、はははははははは!! いいねえ、いいよ、やっぱりそれを防ぐよねえ!? 流石は、僕の標的だ!」
「なぜ、お前がここに居る──『隠者』!」
哄笑が洞窟内に響き、遂に最後の役者がここに集う。
闇夜に紛れ、地獄の悪鬼がここに現れ──戦いは、終盤を迎えるのであった。




