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現代魔法士と魔導教典  作者: ミノ太郎
第一部 二章
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32話 早瀬雲母

 早瀬雲母が工場に捕らえられていたのは、あくまでいたずらな運命だったと言える。

 男──天神氏政によって地下から出され、天神から離れた街であり、魔法的要素がないリフォームゾーンに身を寄せることになった。

 が、運命は気まぐれである。先ほども述べたように、それはいつだって脈絡なく、突然にやって来た。


 ──ある日のことだ。最近ようやく身についてきた生活習慣を、いつも通りにこなそうとして──気づいた。そう、自分と言う存在に語り掛けてきている何かに。

 それは、まるで自分の声のようで、自分の声ではなかった。似ているのに、本質は全く違う。自分の声を出している間にも、寝ている間にも、絶えず話しかけてくるそれは、いつしか自分の声と同期して聞こえるようになってきた。


 ──天神のために戦え。天神のために命を散らせ。


 まるで、洗脳。思想を統一されたに近い怨念が、毎秒ごとに雲母と言う少女の脳を揺さぶってくる。

 そして、体もまた。早瀬雲母と言う意識、魂に反発するかのように。むしろ、体に何か意志があるかのように。戻れ、と。訴えかけてくるのだ。

 その頃から、分からなくなってきたのだ。

 自分が何者で、自分が何のために存在しているのか。このまま行けば、いずれ早瀬雲母という人格は跡形もなくなる。多くの魂によって、すり潰される。

 ──ならば、生きる意味とは何だろうか。どうせ、死がすぐそこにあるのに、今を生きる意味は何だろうか。楽しくない。楽しくない。楽しくない。輝きは消え失せ、視界は明滅してくる。何が正しくて、何が間違っているのか。どれが自分の声で、どれが自分の声ではないのか。

 ──しまいには、思うようになってしまった。


 ──今こうして、何かを考えている自分すら、何者かによって支配されているのではないかと。

 そこまで考えたら、もうだめだった。自分という存在が、あまりにも歪で、気持ち悪くて、居てはいけない存在のように思われて。


『さて、早瀬雲母。少し、私についてきてくれないだろうか?』


 そして、機械的な、無機質な声を出す、全身宇宙服のヘルメット男と出会った。


◆◆◆◆◆


「ゲヘナ!」


 それは地獄から湧き出る煉獄。全てを溶かし、灰へと還す最悪の火。

 地を這いながらゆっくりと、いたぶるように進んでくるそれを、優は魔法で打ち消すために口を開く。


「我は希う。──聖水よ、この世にあふれ出たる邪悪を打ち消し、氷結させよ。凍らせ、全てを。──アイシクル!」


 氷。万物を凍らせる氷が、侵攻してくる煉獄を止めるように進み、彼女の下へと辿り着き──。

 ──だが、その途中で、消えた。相殺ではない、完全なる消失だ。


「魔力喰い……魔法を喰ったのか……!」


 聞いたことがある。この世に存在する中で、そういう特異的な力を持つ魔法使いがいると。オリジナルとは違い、生まれた時からそれを取得している。

 早瀬雲母は特異者だった、ということだ。


「くそ……」


 つまり、まずい事態になった。彼女の魔法を防ぐ手立てがない。相手が魔法を撃ってくるのならば、それを躱すか、相殺するかが一番いいのだが──早瀬雲母が特異者であり、尚且つ魔力を食べるとなれば話は別だ。

 この狭い洞窟の中で、スペースは限られている。避けるのも一苦労なのは、言うまでもないだろう。


「どうやって……どうするの? 何を、するの? どうやって、私を助けるの?」


 それは、先ほどの言葉の続きだろう。


「雲母……さっき、君は言ったな? ……自分が何者であるかが分からないと。だから、自分を見つけてほしいと」


「……」


「もしかしたら、今こうして過ごしている自分ですら自分ではないと思っているのかもしれない。当然だ。魂を何度も融合させたんだ。それなりの副作用がなければ、誰だって試すではないか」


 もしも、不老不死がノーリスクで行えるのなら、この世の誰もが不老不死を完遂しているだろう。だが、実際にはそうなっていない。つまり、明確なデメリットがあるからこそ、不老不死は完成していないのだ。

 そして、早瀬雲母もまた。その実験の被害者であることに変わりはない。


「雲母……この一週間、どうだった?」


「……?」


「俺が君を助けて、一週間が経って。……どうだった? 俺や、皆と過ごした時間は。その時間は、君の、君だけの時間じゃなかったのか?」


「違う……あれは、違う……」


「あの時間は紛い物だと? 早瀬雲母として過ごしたのではなく、他の何かとして過ごしたと?」


「……私は」


「雲母……俺はね。正直、君が今どっちであるかなんて、さして論ずる必要がないと思ってる」


「……は?」


「だって、早瀬雲母という人間は、確かにそこに存在するのだから」


「──、え……?」


 当然の理論ではないか。早瀬雲母という人間は、紛れもない本人が、今優と争っている。


「誰かに唆されたから。自分が自分ではないから。──それだけで、自分を否定するな。自分という存在が何者であるのかなんて、誰も分からないんだから」


 何のために生きている? ──そんなものはこれから決まることだ。

 恐怖はすさまじいのかもしれない。だが、優には決して計り知れぬことだ。その恐怖を、実体験しなければ、実際に彼女の立場にはなれない。しかし、それでも、言わなければならない事が残っている。


「ゲヘナ! アスカロン!」


 無詠唱で──即ち、ノータイムで魔法が乱射された。

 しかも、どれも中級魔法だ。尚且つ、彼女は魔力が研鑽されており、威力は間違いなく上級魔法に匹敵するだろう。

 だが──。


「なんっ──」


 そのすべてを、地面を、天井を、何もかもを利用し、避け切った。

 追随する煉獄を躱し、迫る岩石を避け、遥か彼方に居る彼女の下へ翔ける。


「思考が短絡になればなるほど、読みやすくなる。相手がどこに、どう放つのかがね」


 それに加えて、優はこの一週間曲がりなりにも彼女と過ごしてきた。

 僅か数時間足らずで、人の癖や性格を暴く並外れた観察眼──それこそが、神代優が身につけた技能。即ち、未来予測。


「く──」


「メアは……いや、あの時遊んだ皆は、少なくとも今喋っている君が早瀬雲母だと言うだろうね。勿論、俺も」


「なんで……どうして!」


「君は宿命を背負ってこの世界に生まれた」


 天神のために命を投げ出さなければいけない。何十人分もの魂を詰め込んだのが、彼女という存在だ。

 そう、早瀬雲母という人間なのだ。すべてをひっくるめて、彼女なのだ。


「こんな、私は……生きている価値がない! 自分が何者なのかすら分からなくて、それで……。こんな、こんな惨めなら、外に出なければよかった。こんなに辛いなら、生まれてこなければよかった!」


「──ふざけるなよ、早瀬雲母!!」


 顔をくしゃくしゃにして、宝石のような雫すら目尻に浮かべて。彼女は彼女の存在を否定する。生きていても意味がないと。生まれてこなければよかったと。

 ──ふざけるな。それは、そんなものは、ただの逃避だ。都合の悪い何かから、逃げているだけだ。直視したくない現実から、遠ざかろうとしているだけだ。


「自分を見ろ! 早瀬雲母という存在を、もう一度見ろよ! どうして気づけない!? どうして、分かろうとしない!? 一歩を踏み出せよ! 固定概念なんて捨てちまえ! 自分の在り方を疑うな!」


「──ぁぁぁあああああああ!!」


 知っている。知っている。知っている。

 かつて、同じような壁にぶつかった人間を、優は知っている。

 だが──優が知っている誰かは、それを克服した。だから、今度もそうするだけだ。


「分かってる……怖いんだろう? 雲母……。自分が自分でなくなって、いつしか自分という存在の足跡がなくなってしまって、他人事のようになってしまうのが」


「……!」


 ──生まれながらにして、非業を背負い、自らが何をすればいいのか。苛む終わらない声。天神のために命を捧げよと喚きたてる声に、いつしか吞まれてしまうかもしれない。

 それでも、自分が早瀬雲母だったと感じられるうちはまだいい。だけど、それすらなくなったら? 誰も、早瀬雲母を覚えていてくれなかったら? よるべが、なくなってしまったら? 記憶すら残らなかったら? 

 どうすればいい。どう過ごせばいい。どうやって、窮屈で偏屈でどうしようもない世界を生き残ればいい?

 極論、それが彼女の悩みであり、苦しみだ。


「だけど、そうはならない」


「──どうして……っ」


「もしも、早瀬雲母という人格がなくなってしまっても、必ず誰かの心の内に残り続ける。──だって、そうだろう? ……もう、君は俺の友達だ。そして、彼女たちにとっての親友だ」


 そうだ。だから、きっと──。


「俺は、彼女達は決して忘れない。君という人間を。何度君が呑まれて、記憶を失くそうが、俺達は忘れてやらない。……だって、そのぬいぐるみがあるからね」


「……ぁ……」


 結局、彼女がこうなってもつけ続けていた、優が取ったぬいぐるみのキーホルダー。

 それは、つまり、彼女という人格は、記憶は忘れないと言うことの証で──。


「早瀬雲母! 君が、君が過ごした一週間は! 君だけのものだ!! 語り掛けてくるやつらのものではなく、君という人間が残した足跡なんだ! これが、君の本当の君なんだよ!」


 確かに、誰かに毒されていたかもしれない。でも、それでも、この一週間は本物だ。仮初だらけの中での、本物。

 もしも、彼女がそれを否定するならば──。


「そして、君は言ったはずだ。私を助けて、と。……これは、あくまでの可能性だ。成功する可能性なんて、一割にも満たない。仮に成功したとしても、その先に居るのは君じゃないかもしれない」


 いつしか、崩れ落ちた早瀬雲母に、優は語り掛けていた。


「でも、方法はある。君の中から魂を取り出し、純粋な早瀬雲母を取り戻すという方法は。……どうしたい? いずれ消えゆく意識だと割り切り、次に託すか。それとも──足掻くか」


「本当に……ほんとうに、助けてくれるの……?」


「勿論だとも。君が、そう望むのならば」


 流れ落ちる涙は頬を伝って、地に落ちる。

 ──枯れ果てた涙。枯れ続けるまで叫び続けた声。代償は、支払った。これより先は、もう何も失わせやしない。

 これ以上、彼女から全てを奪うのならば──。


「それじゃあ、始めよう。君を助けるために」


 そして、契約を。

 彼女を真の意味で、助けるために──。

























「ははっ、ははははははははは!!?」


「──」


 暗殺者の哄笑が洞窟内に響き渡り、同時に夥しい金属音が鳴り響いていた。

 天城音々と暗殺者、『異名殺し』の戦いは苛烈を極めていた。

 暗殺者の型にはまらない、いわゆる何があっても必ず殺すという信念を持った斬撃が、天城音々を襲う。容赦ない多段攻撃が、天城の武器を抉り──。


「はは、やっぱ簡単にはいかないな」


「そちらも、いい加減に魔法を使ったらどうですか? でなければ、先に殺してしまいそうです」


「威勢がいいね……女だと思って馬鹿にしてた所もあったんだが……中々どうしてってか……舐めてた私が悪いんだけどな」


「まさに、その通りですね」


 ──否、全ての剣閃は、撃ち落とされていた。処理するのが速すぎて、目で捉えることすら出来ない程の早業。天城音々という人物の技術だ。


「魔法……使ってる気配はねえ、か。こりゃ、面倒になってくるねえ……なあ!」


「では、こちらから行かせてもらいますね。我は希う。──抉れ、大地を。ウェルダスメテオ」


 それは、土元素9.5で完成する土の中級魔法。

 風を裂き、大地を割る流星の一撃。まさに、流れ星が如きその岩石が、暗殺者に向かって真っすぐ進み──。


「ははっ……なんだ、短文化かよ。やっぱそこまで行ってるよなあ……」


 だが、それは、何の脈絡もなく破壊された。それこそ、粉々に。


「──っ」


「そんじゃあ、お望み通り……やってやるよ、精々生き延びな」


「──これが……!」


 暗殺者──異名殺しの使う、オリジナル魔法。いわゆる、結界魔法だろう。限定的な場所のみに、自らの有利な世界を作り上げる魔法。

 この暗殺者の場合──。


(限定的場所における、半永久的な召喚……ですか)


 出せる数はほぼ無限であり、一発一発の威力は当たれば人を殺せる。これほど、面倒な魔法も存在しないだろう。これこそ、数の暴力だ。

 だが──それ程度で怯むほど、天城音々は弱くはない。


「うーん……やっぱ、どいつもこいつもバカばっかだわ。お前ら」


「お褒めに与かり光栄です」


 全てを、灰燼に帰した。迫る手全てを、武器を変えながら塵へと変化させた。

 ──これが、天城音々。千差万別の戦いをし、戦場を彩る華。『女帝』だ。


「そして……あなたの魔法の原理も分かりました」


「──」


 ここに来て、初めて沈黙が流れた。

 当然だろう。自らのオリジナルを、一目見ただけで看破できる人間など、そうはいない。


「あなたの魔法……それは、この空間を冥界と見立てていることによって成立しているものです。恐らく、元はペルセポネー……まあ、そこらへんは割とどうでもよく。冥府って言うのは、私個人の見解ですが、冥土の世界と同質なようですね。つまり、死人が到達する場所、ということです」


「……」


「そして、あなたの手は無数にやってくる魂を手に変化させているだけ。……つまり、魂から検出される魔力をつぎ込んでいる。これが、一撃一撃が即死級の理由。いわゆる、限定的な蘇生ということです。まあ、蘇生先は手なわけですが」


「……」


「魔法は奇跡……ですが、行えない奇跡もある。その最たる例が、死者蘇生というものです。クトゥルフ神話での死者蘇生……『復活』とかは、一見完全に見えますけど……これも完璧ではありません。錬金術も、失敗しか量産しない」


 この世界の全ての魔法は、死者蘇生という、誰もが一度は願ったことのあるそれに負けた。言い換えれば、それだけ難しいということなのだ。まるで、何者かがそれを防いでいるかのように。


「あなたは、機転によってその死者蘇生を限定的にとはいえ成功させた……お見事です。そのまま行けば、いずれ死者蘇生に手を伸ばせるかもしれないですね」


「……は、ははっ、はははははは! マジか、マジかよ!? こりゃあ、傑作だ! まさか、一発見られただけで見抜かれちまうとはなあ! 初めてだよ、『愚者』にも見抜かれなかったのになあ!」


「あの人は……そこまでギリシャ神話に詳しくはありませんから。見抜けないのも当然です」


「くく……ああ、ほんとに世界ってのはすげえな……お前みたいのがわんさかいやがる。──でも、だからなんだって? 理屈が分かっても、こいつを避け切れなきゃ意味ねえだろ!?」


 確かにその通りだ。間違っていない。理屈を解き明かしただけでは、この局面は切り抜けられない。


「まあ、楽しめたぜ。お前の名は忘れないよ。……だから、死にな」


 そして、無数の手が天城音々に飛来して──。

 直後、闇が視界を覆いつくした。

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