22話 迫る暗殺者
「本当に待ち合わせ場所ここであってるんですの?」
「ああ、一応が指定された場所になってたけど……」
「…………」
六月十日。火曜日夜9時。
夜叉神有栖との交渉から一日明けたこの日。背中に大きな荷物を背負った少年──優は勝手について来た白神桃華と、強制的に連れ出してきた早瀬雲母と共にちっとも涼しくない夜風を浴びながら、ここに来るはずの人物を待っていた。
──総理大臣に指名される確率が最も高い人物。増野栄次郎。
政界では辛口コメントで与党からは毛嫌いされているとか何とか。とはいえ、彼の追及などもあってかつい先日与党を巡っての選挙が行われ──見事野党が勝利したらしい。
ゆえに、嫌われ者であるけれど、国民の意志をしっかりと反映してくれるのではないか……という国民の期待を受けた人物である。
そして、なぜ彼のような政界の重鎮を待っているのか。
それは彼が個人的に利用している、彼の個人サイトに行われた書き込みから始まったものだ。
──あなたを殺害します。
簡素な文で、そう書かれていた。
これについては、特段気にすることでもないのかもしれない。大体、そんな風に書き込んで本当に実行に移せる人物などそういないし、暗殺でもするならわざわざ書き込む必要性が見受けられない。
が、今回ばかりは事情が違ったのだ。
「魔法士案件……か。にわかには信じられないことだね」
「ええ。本来ならば、魔法士は裏の人間。まず表に干渉することはありませんわ」
魔法士と言うのはあくまで裏側の人間だ。表側に暮らす人間はそもそも存在を知らないし、第一魔法士達も表立って動く気はない。
が、例外も存在する。
例えば政治家などがその一例だ。彼らは国家の安寧などをこちらに要求する代わりに、魔法士の行動を黙認している。まあ、めったに接触などないが。
「それに……そもそも、増野栄次郎はどこでこの予告が魔法士主導であることを見抜いたのか、という点についても腑に落ちない。一目見て、魔法士かどうかなんて分かるはずもないのに」
「それこそ、お偉いさん方のネットワークでも使用したんじゃありませんこと? 彼らは必要以上に臆病ですし、身を守るに足る独自の情報網を持っておくことぐらい普通ですわよ?」
「それもそうなんだけどね、ただどうしても信じられない。第一暗殺するなら、誰にも知らせなければいいのに、敢えて予告した。これじゃ、まるで怪盗じゃないか」
「そこについては同意しますわ」
今回の事件も例外で、腑に落ちないことばかりだ。工場の件もそうだったが、あまりにも仕組まれ過ぎている気がする。第一、工場で薬が作られていることをどこで知った? 情報源は有村栄人しかいないはずだ。それ以外に、魔人の成功例が居て、捕縛しているなんていう情報も入っていない。
ならば、どこで?
どこから、そんな情報が流れた?
「どこか共通点があるし、見落としている点があるね、これは。──桃華。聞いておくが、魔人化の薬の事。白神家は知らなかったんだよね?」
「ええ。まず、白神家は白神山地の近くにあるせいで、情報が少しばかり遅いのですが……ほんの二日前まで、私がお兄様に連絡するまで知らなかったことですわ。まあ、その後情報が届いたのですが」
三家間には様々な取り決めが存在する。例えば、情報。三家の内どこかが情報を掴んだのならば、独占せずに他の三家にも情報を与えなければならないということが定められている。
そして、その条約からいけば、掴んだ情報は必ず一日以内に他に流さなければならないのだ。だが、白神家が掴んだのはつい先日。正確に工場内の人員、何をしているのか、住所、そして情報が当たっているかどうかの真偽。それらをひとまとめにして、依頼を形にするには最低でも二日はかかる。
だが──それでは時間が合わない。
依頼にするまで二日とするならば、情報を掴んだのが三日前以上。しかし、白神家に情報がもたらされたのは依頼を受けた優とほぼ同じ。
「──ここらは柏木さんに聞くしかないね。なにせ、彼女が俺に依頼を運んできたのだから」
だが、それは全て終わってからだ。柏木由姫と言う女性はまずこっちが依頼を受けている最中は電話に出ようとはしない。まあ、組織が違うのだから当然なのだが。
「車がこっちに向かってきますけど」
「ああ、そのようだね。ということは、どうやら到着したのかもしれない。ナンバーは……2198で、写真と一致している。──あれが、増野栄次郎の乗る車だ」
夜の街に溶け込むかのような全身黒の車──写真で公開されている彼の車と同じ──は優達の前で一時停止し、それを見計らったかのように窓が開けられ。
「初めまして、諸君。早速で悪いが、さっさと車に乗ってくれるとありがたい。こちらも命を狙われているのだから」
──窓の奥にいる男性、増野栄次郎がそう告げ、優達は車に乗り込むのだった。
「それにしても、防弾ガラスか……銃弾など使われるとでも?」
「すまないな。こちらとしても、急な話だったのでね。防魔が施された護符なんて買っている暇がなかったのだよ。まあ、どちらにせよ、私は君達のように小道具を使う気はないがね」
リムジンのような長さの車に乗り込んだ優と白神桃華は、全長の半分ぐらいの席に座り、増野栄次郎と話していた。
「この男……自分が標的になっているにもかかわらず、呑気なもんですわ……」
対策らしい対策を何一つしていない増野栄次郎に向けて、堪忍袋の緒が切れたのか、白神桃華は小声で嫌味を言うが、敢えてここは無視させてもらう。だって、話をこじらせると面倒でしかないからだ。
「さて、あなたが増野栄次郎、で間違いはないな?」
「残念ながら、影武者などではないよ。私は正真正銘、増野栄次郎。『愚者』に依頼をした張本人だ。まあ、小娘が二人紛れ込んでいるがな」
増野栄次郎──目の前の四十代半ばの、よれよれのスーツを着て、赤のネクタイを付けたおっさんは首肯し、外に目を向けた。
「さて、本題に入らせてもらおう。──私のこれからの予定は以下の通りだ」
そう言って差し出されたのはメモ帳だ。中にはぎっしりと予定が詰まっており、寝る時間などあるのかという場違いな疑問を優に抱かせてくれるほどの予定だった。
「なに、気にすることではない。君にはあくまで夜の間だけ。それも23時まで護衛してくれればいい。勿論、帰りは君のアパートの前で下す。──ここまでで、何か質問はあるかね?」
「ぎっちぎちだな……流石は次期総理大臣か」
「馬鹿を言わないでくれ。ここを過ぎたら、私は私のやりたいことを実施できる。もう少しなんだ。こんな案件で足を止められるわけにはいかないんだよ」
「一応の理由は理解したが……本当に大丈夫なのか? これ。見たところ、俺以外の魔法士は雇っていなそうに見えるけど」
「そうだな。だがしかし、問題はない。君はあくまで時間を埋めてくれればいいんだ。23時以降は警備員たちも付く。警備に抜け穴はない。だが、どうしてもこの時間だけは空白になってしまうんだ。故に君に頼んだんだよ」
「警備員……か。いや、でも……正直に言おう。──増野栄次郎。まさか、魔法士に、奇跡を操る者達に、一般人でどうするつもりなんだ?」
「なっ──なんスか、その言い方!」
その言葉に、目の前で目を瞑って話を聞く増野栄次郎ではなく、助手席に座っている警備員らしき人物が抗議の声を上げた。
「残念ながら真実だ。そもそも目的のために記憶改ざんすら厭わない連中だ。どうやって一般人が対抗する? 銃が効くだなんて思うなよ。そもそもあなた方が持っている拳銃で、どうやって魔法士達を狙うんだ」
「そ、それは……」
肩に炎の腕章を付けた警備員は、しかし優の冷酷な声に圧されたか反論も出来ない。というか、あの腕章は何だろうか。いや、恐らくは普通の警備員と見分けるために縫い付けたのだろう。急な予告だったため、人員を急に補給せざるを得なくなってしまい、変装され近づかれる、という状況を作らせないためのものだろう。しかし、悲しいかな。それがどこまで通用するかは分からない。
「『愚者』。話を戻そう。そちらに関しては問題ない。強力な助っ人が存在している。ゆえに君が心配する必要はない。──ああ、それと、最終日は全面的に頼む。強力な助っ人がいなくなるのでね。それと、工場へ向かうつもりだからそのつもりでいてくれ」
「工場……? 丘の上に立つ、か?」
「ああ、あそこは最近過重労働の報告が届いていてね。どうせ来たのだから、見に行こうかと思ったんだ」
「わざわざあなたが行く必要は?」
「そうだな……折角のフリータイムなんだ。何をしようと私の勝手だろう? それに、私は自らの目で見ない限り信用しないタチでね」
「それを言われたら、反論できない、か。だけど……十分に気を付けてくれ。もう、あそこには別の魔法士が陣取っている。流石に、あなた一人を守りながら相手するのはきついかもしれない」
「はは。言う通りにしよう。私も私で、この国を改革するまで死ぬ気はないのでね」
「改革……?」
「ああ、この国は腐り切っている。横領や、専門分野に対して詳しくもない政治家が幅を利かせ、それらを支配するかの如く官僚が蔓延っている……この国は変わらなければならないんだ。時間は足りないし、人材も足りない……本来ならば、こんな些事にかまけている暇はないのだがね。しかし、結局命は惜しいものだ。そう言うわけで、頼むよ、魔法士。柏木由姫が勧める魔法士だ。さぞ優秀な魔法士なのだろうからね」
「なんだか、特段人格が酷い、というわけではないのですわね」
「どうでもいいが、目の前に本人が居るんだ。小声でもそういうのはよくないと思うんだが……」
小声でやり取りしながら、しかしその通りだと優は思った。
政治家なんて誰もが同じだと思っていたが、どうやらこの政治家は一回り違うらしい。よくテレビなんかで討論しているのを見るが、その時との印象は真逆だ。
「……というか、どうしてその子を連れてきたのですの? 危ないと思うのですけど」
「雲母に関しては、むしろこっちにいた方が安心だ。一人部屋に残しておけば、逆に連れ去られるリスクが高くなる。……だけど、こうしてにらみを利かせておけば迂闊に手を出せない、ということだよ」
とはいえ、これも小細工に過ぎない。そして、優が語っているのもあくまで予想だ。あの暗殺者が優の思った通りに動くのならば、これで構わないはずだ。だが──。
(だけど、あの暗殺者は悉く俺の考えを読んで、攻撃を繰り出してきた……となれば、裏に何者かがいると言うことになる。……しかも、場を揺るがしかねない、特大のイレギュラーが)
なんにせよ、目の届くところにいた方がいい。そんな風に早瀬雲母を説得して、ここまで連れてきたのだ。
「…………すごい」
「雲母……? 車初めて?」
「うん…………ここに、来る前は、ずっと……家の中に、いたから…………」
それは、いつの話だろうか。工場の頃の話か、それともそれ以前の──彼女が、工場にて捕縛される前の話か。しかし、彼女は外だけを見つめているので、優には彼女の抱いている感情を理解することは叶わなかった。
「さて、魔法士。そちらが想定している敵は? 状況はなんだ?」
こちら側が話し終わったのを見計らって、彼は若干不服そうにしながら訪ねてきた。
「敵は恐らく天神家の暗殺者だ。福岡を本拠地にしている家柄だけど、聞いたことは?」
「聞いたことはあるとも。ただ会ったことはない。なんでも、頑固なジジイが当主に居座っておるようだが」
「天神早雲。そいつが、そこの当主で、あそこには暗殺者を育成する機関がある。十中八九そこの出身だ。敵の数は……この案件をどれだけ重要視しているかで変わってくる」
「そうか。まあ、全面的にそっちに任せよう。どんな武器を使おうと、私はそれを黙認する。ああ、だが、あまり街を壊さないでくれよ? 破壊活動を黙認してしまえば、国民の心が離れてしまう故な」
「ああ、心に留めておこう」
「しかし……大丈夫なのですか?」
話がまとまったところで、今まで静観の姿勢を取っていた車の運転手──恐らくは彼の護衛要員──が話しかけてくる。
「私達は魔法士の強さが分からないゆえ、どう行動すればいいのか……」
一般人からすれば当然の疑問だ。しかし、優から言えるのはただ一言のみ。
「何もしないでいてくれるとありがたい」
「──!」
「どういう……事っスか!?」
「確かに、あなたたちからすれば素直に聞くことができないアドバイスかもしれない……けど、これが、一番なんだ。誰も死なせずに事を終えるにはね」
神代優と言う人間は、誰かを守ることを最優先とする。誰も死なせず、戦いを終わらせる。それだけが、彼に与えられた指令なのだ。
「そ、そんなの……出来るわけが……!」
「──分かりました。あなたに一任します。魔法士」
どうやら納得してくれたようだ。まあ、一人納得していない者もいるが、こちらは実際の戦いを目の当たりにすれば分かってくれるだろう。
「それはそれとして。その、大きな荷物なんですの? 縦長ですからすごい邪魔なのですけれど」
「お披露目はあっちが来てからだ。こっちとしても、あまりこの武器は見せたくないんでね」
話は終わったと見たのか、同じく今まで口を挟んでこなかった白神桃華は、気になっていた優の荷物について質問してくる。が、これは今の所明かす気はない。
どこに敵が潜んでいるか分からない以上、事前に漏らすのはよくない。
「…………!」
「──来ましたわね」
「ああ。それも……三人だ。全員遠距離の魔法を使って来るだろうね。運転手、悪いけど被害が出ないよう、開けた場所で走ってくれるとありがたい」
その場に居合わせた魔法士全員が、その来訪に反応した。確証はない、が、確信はあった。絶対に来たと。
「了解した」
「どうしますの? 必要なら、私も助力しますけど?」
「いいや」
協力を申し出てくる白神桃華に、しかし優は一人で充分だと告げた。
優は自らの荷物を掴み取り、中から今回のためだけに取り寄せた武器を取り出す。
「桃華。一つやってもらいたいことがあるんだけど、いいかな?」
「──?」
「さて、見せてもらおうか。──魔法士とやらの戦いを」
増野栄次郎の声とともに。『愚者』の、戦闘方法の一端が幕を開ける。
「見失うな。いつまでも走り続けられるわけではない。あちらは拳銃で応戦してくるだろうが、構うな。どうせ届かない、それに例え銃弾が迫ろうと無意味なのだからな」
三人を統率する立場にある覆面を被った男性は、はやる暗殺者どもを抑えながら抑揚のない声でそう言った。
ちなみに全員闇に紛れるため黒のタイツみたいなものだ。
一般人などからすればありえない服装だが気にすることはない。そもそも、彼らには表に戻る気がないのだから。
「将人様……魔法の行使を許可くださいませ。我々はいつでも放てます」
「ああ……もう少しだ。このまま行けば、あの車は大通りに出る。そこで撃て」
「ですが、一般人に漏れる可能性が?」
「既に人払いの結界を張っている。誰も来ないさ」
そう言うことならば、と三人の暗殺者は高速でビルの側面や信号機などを足場にして跳躍を続けていき──そして、遂にその瞬間が訪れた。
「よし。お前らや──」
「がっ──」
だが、合図は先ほどの通りに行われることはなかった。手を上げ、許可する寸前。車の方から何かが飛来し、正確に暗殺者の一人の足を打ち抜いたのである。
そして、当然か。足を撃たれたため、バランスを崩し──そのまま音を立てて墜落。恐らく死んでいないだろうが、この戦いでは使い物にならない。
だが、空中を行く三人は彼など見向きもせず──ただ車の方を直視していた。
「なんだ……あれは……?」
将人と先ほど暗殺者から呼ばれた統率者は、魔法で視力を強化し車の上に何かが乗っていることを確認する。そう、まるで──。
「人……?」
彼が口にする前に、同じ事をしていた暗殺者が先走って口を開いた。
そして、全員が疑問を持っただろう。なぜ、あんなところに人がいるのかと。
だが、その人間は決して考える暇など与えない。
「避けろ!」
怒号のような声が響き──全員が跳躍。なんとか当たらずに済んだ──が、安心するのは早い。なぜなら。
「あれは……スナイパーライフルか!?」
「日本の法律を準拠するのならば、れっきな犯罪だ。だが、忘れたか? 魔法士は基本的に黙認される職業だ。勿論、だから何をやっていいというわけでもないが……自らの身を守るためであれば、誰かを守るためであれば黙認される。そして──俺はあんたらを逃すつもりはないが」
M24。アメリカ軍がよく使っているその銃を、こちらで勝手に改造し、特製の弾丸でも撃てるようにした特注製品。本来であれば連射は不可能なのだが、特製だ。特別な弾丸に耐えられるよう作ってあるため、そこのところも改善してある。
確かに、拳銃であれば届かないだろう。だが、スナイパーライフルであれば──届きうる。例え、超常を操り、人の域を超えた者達でも、関係ない。
これならば、的確に、誰も殺さず敵を無力化でき、尚且つ無駄な戦闘も避けられる。
「行くぞ、暗殺者ども。精々避けろ」
「おおおおおおお──!?」
飛来する。弾丸が、スナイパーライフルの弾が、こちらに向かって飛来する。しかも、単発性ではない。連射だ。
「くそ……将人様! これらの弾丸には何らかの魔法が付与されています! 当たれば、ただでは済まないかと!」
「やってくれたな……この戦い方は、『愚者』あたりか……。お前ら、魔法を許可する。なんでもいい。どんな魔法を使ってでもいいから、あそこに辿り着くのだ!」
「「了解!」」
そして、彼は指示を繰り出し──闇夜に紛れた戦いが始まった。




